もしもし情報局 > 8月10日 > 政治家

近衛篤麿の情報 (このえあつまろ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月24日】今日誕生日の芸能人・有名人

近衛篤麿の情報(このえあつまろ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

近衛 篤麿さんについて調べます

■名前・氏名
近衛 篤麿
(読み:このえ あつまろ)
■職業
政治家
■近衛篤麿の誕生日・生年月日
1863年8月10日 (年齢1904年没)
亥年(いのしし年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
京都出身

近衛篤麿と同じ1863年生まれの有名人・芸能人

近衛篤麿と同じ8月10日生まれの有名人・芸能人

近衛篤麿と同じ出身地京都府生まれの有名人・芸能人


近衛篤麿と関係のある人

徳川家達: 1903年(明治36年)10月の近衛篤麿の7年の貴族院議長任期満了が近づく中、近衛の病状の悪化により議長後任問題が浮上した。


徳川家達: 家達の英国滞在中、日本では天璋院が義弟(天璋院は徳川家定に嫁ぐ前に近衛家の養女になっていた)にあたる近衛忠房の長女・泰子(近衛篤麿の妹・近衛文麿の叔母)と家達の縁組をまとめていた。


頭山満: 日中戦争(支那事変)が勃発した昭和12年(1937年)通州事件が起き、当時の首相・近衛文麿は、父の近衛篤麿や外相・広田弘毅と親密な関係だった頭山を内閣参議に起用する計画を立てた。


山県有朋: 貴族院は明治24年から近衛篤麿らが結成した三曜会、四将軍派のうち三浦を除く谷ら3人を中心に結成した懇話会が勢力をもっており、藩閥政府に批判的な勢力が多かった。


近衛文麿: 1891年(明治24年)10月12日、公爵・近衛篤麿と旧加賀藩主で侯爵・前田慶寧の五女・衍子の間の長男として、東京市麹町区(現:千代田区)で生まれた。


池田成彬: 英米敵視の近衛は、大陸進出に熱心だった父近衛篤麿を継承すると共にその中国観にも父の影響が見られ、対する池田は米沢藩で財界の大御所であり自由主義者である父をルーツに持っていたためではと言われる 。


森鴎外: 研究のかたわら、邦人の少なかったドレスデンと異なり、同世代の原田直次郎や近衛篤麿など名士の子息と交際し、よく観劇していた。


谷干城: この思想は貴族院のほとんどの有力者が掲げ、貴族院全体が目指す普遍的な目標であり、谷は同じく政界入りした曾我と、主張が一致する三曜会の領袖近衛篤麿と組んで政争に立ち向かっていった。


近衛篤麿の情報まとめ

もしもしロボ

近衛 篤麿(このえ あつまろ)さんの誕生日は1863年8月10日です。京都出身の政治家のようです。

もしもしロボ

事件、病気、解散、現在に関する情報もありますね。1904年に亡くなられているようです。

近衛篤麿のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

近衛 篤麿(このえ あつまろ、旧字体:近󠄁衞 篤麿󠄁、文久3年6月26日(1863年8月10日) - 明治37年(1904年)1月2日)は、明治時代の日本の政治家。五摂家筆頭・近衛家第29代当主。位階・勲等・爵位は従一位勲二等公爵。第3代貴族院議長、第7代学習院院長、帝国教育会初代会長などを歴任した。号は霞山。

文久3年(1863年)6月26日、左大臣・近衛忠房の長男として京都に生まれた。母は島津斉彬養女(島津久長の娘)光子とされているが、島津家の資料では「光蘭夫人(光子)篤麿養母」と記載されている。明治6年(1873年)父が家督を継いだ翌月に35歳で病没したため、祖父近衛忠煕の養子となり家督を相続した(文献によっては忠煕九男と記載)。

明治12年(1879年)に大学予備門に入学したが、病を得て退学を余儀なくされ、京都へ戻った。以後、和漢に加え英語を独学。明治17年(1884年)、華族令制定に伴い公爵に叙せられる。翌明治18年(1885年)に伊藤博文の勧めでドイツ・オーストリアの両国に留学し、ボン大学及びライプツィヒ大学に学んだ。

ヨーロッパへの船旅の途上、清仏戦争の講和会議が始まろうとしている時期であったため、台湾海峡を通過した際に澎湖島の所々に立てられたフランス国旗を目撃した。篤麿はそれについて日記に「我が国何ぞこれを対岸の火災視して可ならんや。唇亡歯寒の喩、みるべきなり。」と記し、次は日本の番だと白人帝国主義への恐怖の念を露わにしている。当時海外留学した者は西洋心酔主義者になるか逆に恐怖心から国粋主義者になる傾向があったが、篤麿は後者だった。

明治23年(1890年)に帰国。同年に貴族院が発足し、公爵だったために無選挙で議員となる。議長の伊藤博文伯爵の代わりに仮議長を務め、会期の大部分の議長職を代行した。院内会派として同志会を結成。翌24年(1891年)に三曜会と改称、同年に月曜会も設立して同志を募った。月曜会はしばらくして自然消滅に向かったが、篤麿は同じく五摂家出身の二条基弘らと共に三曜会に属し、谷干城らが結成した懇話会と共同歩調を取り貴族院で政治活動を行った。後に三曜会が衰退すると朝日倶楽部と合併、同じく活動が低調になった懇話会とも合併し、新たに結成した土曜会に移り活動を続け、次第に政界で重要な地位を占めるようになった。貴族院で様々な活動を行ったが、政党政治家にはならず党利党略的な活動はしなかった。白柳秀湖によれば、武士階級出身者がともすれば露骨な利己主義なのに対し、公家階級出身の彼は国家的見地に立って進退したという。明治天皇は内命をもって侍従長を介し篤麿に意見があれば何事も随意に奏聞するよう命じていた。これは異例だったが、皇室と近衛家の特別な関係及び篤麿の卓越した見識が評価されたことによる。

明治24年(1891年)の大津事件でロシア皇太子ニコライが襲撃された際には貴族院を代表して皇太子を見舞った後、閣僚問責運動を起こしている。

明治25年(1892年)に貴族院議長に就任し、病気退任する明治36年(1903年)まで務めている。明治28年(1895年)には学習院院長となり、華族子弟の教育に力を注いだ。その活発な政治活動は多額の資金を要したが、収入は貴族院議長(公爵は貴族院議員としては無給)と学習院院長としての給料のみであったため常に借金をしていた。

第1次松方内閣の樺山資紀海軍大臣の「蛮勇演説」をめぐり紛糾、空転した衆議院の解散総選挙では、品川弥二郎内務大臣が主導した選挙干渉で民党側に死者25名・負傷者388名を出す惨事になり、篤麿はこれについて政府の姿勢を追及した。さらに政党についても猟官主義に走ればそれは単なる徒党にすぎないと批判した。以後、松方正義内閣、大隈重信内閣、山縣有朋内閣、伊藤博文内閣などから入閣の誘いがあったが断っている。

篤麿の外交政策は、中国(当時は清)を重視したもので、特に日清戦争後は積極的に中国をめぐる国際問題に関わった。

明治26年(1893年)に東邦協会の副会頭に就任。日清戦争後、西欧列強が租借権等による中国分割の動きを激しくしていく中で危機感を抱く。明治31年(1898年)1月に雑誌『太陽』第4巻第1号に載せた論文「同人種同盟附支那問題の研究の必要」で「最後の運命は黄色人種と白色人種の競争にして此競争の下には支那人も日本人も共に白色人種の仇敵として認められる位地に立たむ」と日本と中国は同文同種と主張して同年に同文会を設立したが、同文会は、アジア主義の祖たる興亜会やアジア主義の巨頭犬養毅の東亜会、さらに東邦協会と善隣協会の一部などを吸収して東亜同文会となり篤麿は同会の会長に就任する。かくて民間諸団体を糾合し国家主義、アジア主義大同団結運動を企み、康有為との会談ではアジア・モンロー主義を主張した。

東亜同文会はアジア主義的色彩の強い立場に立脚し、中国・朝鮮の保護と日本の権益保護のため、外務省・軍部と密接に提携しながら、明治33年(1900年)に南京同文書院(後の東亜同文書院、その後身愛知大学)を設立するなど対中政治・文化活動の推進を図っていく。また、清朝内で強い権力を持つ地方長官劉坤一(両江総督)や張之洞(湖広総督)などにも独自に接近、日清の連携をもちかけた。

そうした中で明治33年(1900年)6月、中国華北や満州(現在の中国東北部)を中心に義和団の乱が勃発、これに乗じたロシアが満州を占領下に置いた。篤麿は伊藤博文ら政府高官にロシアに対して開戦を辞さない強硬な姿勢を取るよう持ちかけたが、対ロシア融和派の伊藤は応じず戦争回避に動いていたため、篤麿は犬養・頭山満・陸羯南・中江兆民ら同志を糾合して9月に国民同盟会を結成して対ロシア主戦論を唱え、ロシアとの開戦に踏み切らない日本政府を批判した。

さらに長岡護美に書簡を託し、満州を列国に開放することで領土の保全を図るよう、劉坤一や張之洞に働きかけた。張が特にこれに大きく触発され、劉とともにこの篤麿の案(根津一などがゴーストライターとして考えられるが)を清の中央に上奏し、採用を求めている。当時は却下されたものの、満州開放案はその後袁世凱も採用し、日露戦争後にはむしろ権益独占を図る日本に対する障害となった。また、明治36年(1903年)には玄洋社の頭山と平岡浩太郎や黒龍会の内田良平も名を連ねる対露同志会を結成。貴族院議長を辞任、枢密顧問官に任命された。戸水寛人らの七博士意見書にも関与していた。

小川平吉と頭山らが篤麿を首班とする内閣を作らんとする最中、明治37年(1904年)1月2日に死去。享年42(満40歳)。中国渡航時に感染した伝染病アクチノミコーゼ(放線菌症)が原因であった。6日葬送に付き、前日に勅使として侍従子爵北条氏恭が差遣され、幣帛と祭粢料5千円を下賜された。近衛家の菩提寺である大徳寺(京都市北区)に葬られた。

篤麿の死の2か月後に彼の希望通り日露戦争が発生することになる。死後、多額の借財が残されたが、頭山や五百木良三ら国民同盟会のメンバーが債権者を退散させたという。

明治10年(1877年)1月20日 - 従五位

明治17年(1884年)7月7日 - 公爵

明治18年(1885年)4月1日 - 従四位

明治22年(1889年)6月26日 - 正四位

明治26年(1893年)6月16日 - 従三位

明治30年(1897年)7月2日 - 正三位

明治34年(1901年)6月21日 - 従二位

明治36年(1903年)

    6月26日 - 勲三等瑞宝章

    12月28日 - 従一位勲二等旭日重光章

    明治33年(1900年)5月21日 - ロシア帝国:神聖アンナ第一等勲章

    明治36年(1903年)3月9日 - 大清帝国:頭等第三双竜宝星

    父:近衛忠房

    母:島津光子 - 島津斉彬の養女、島津久長の娘

    養父:近衛忠熈

    先妻:衍子(さわこ、前田慶寧五女、1869年 - 1891年)

      長男:文麿(ふみまろ、貴族院議長、内閣総理大臣、公爵)

      継妻:貞子(もとこ、前田慶寧六女、1871年 - 1945年)

        長女:武子(たけこ、公爵大山柏夫人)

        次男:秀麿(ひでまろ、音楽家、貴族院議員、子爵)

        三男:直麿(なおまろ、雅楽演奏家・研究者)

        四男:忠麿(ただまろ、水谷川家継嗣、春日大社宮司、貴族院議員、男爵)

        近衛家は、藤原忠通の子である近衛基実を始祖とし、五摂家の一つであった。

        『蛍雪余聞』 水谷川忠麿編、陽明文庫〈陽明叢刊〉、1939年12月(全3巻)

          『蛍雪余聞 上』陽明文庫〈陽明叢刊 第1輯〉、1941年。https://dl.ndl.go.jp/pid/1117570。 

          『蛍雪余聞 中』陽明文庫〈陽明叢刊 第1輯〉、1941年。https://dl.ndl.go.jp/pid/1117575。 

          『蛍雪余聞 下』陽明文庫〈陽明叢刊 第1輯〉、1941年。https://dl.ndl.go.jp/pid/1117584。 

          『近衛篤麿日記』 近衛篤麿日記刊行会編、鹿島研究所出版会、1968年-1969年(1-5巻、別巻)

            『近衛篤麿日記 第1巻』鹿島研究所出版会、1968年。https://dl.ndl.go.jp/pid/2989585。 

            『近衛篤麿日記 第4巻』鹿島研究所出版会、1968年。https://dl.ndl.go.jp/pid/2989586。 

            『近衛篤麿日記 第4巻』鹿島研究所出版会、1968年。https://dl.ndl.go.jp/pid/2989587。 

            『近衛篤麿日記 第4巻』鹿島研究所出版会、1968年。https://dl.ndl.go.jp/pid/2989588。 

            『近衛篤麿日記 第5巻』鹿島研究所出版会、1969年。https://dl.ndl.go.jp/pid/3001162。 

            『近衛篤麿日記 別巻』鹿島研究所出版会、1969年。https://dl.ndl.go.jp/pid/2989597。 

            『北海道私見』赤石定蔵、1902年10月。https://dl.ndl.go.jp/pid/801023。 

              『北海道私見』(橘文七 校註)北海道文化資料保存協會、1950年3月。https://dl.ndl.go.jp/pid/2530265。 

              ^ 『官報』1904年1月6日「彙報○華族薨去」。

              ^ 薩藩維新秘史

              ^ 平成新修旧華族家系大成上p605

              ^ 杉森久英 1987, p. 16.

              ^ 杉森久英 1987, p. 17-21.

              ^ 杉森久英 1987, p. 23.

              ^ 杉森久英 1987, p. 21.

              ^ 杉森久英 1987, p. 31.

              ^ 杉森久英 1987, p. 51.

              ^ 山田孝雄『近衞篤麿のこと : 私の欽仰する近世人』

              ^ 安岡昭男「東邦協会についての基礎的研究」67頁

              ^ 杉森久英 1987, p. 31/51.

              ^ 朴羊信『「七博士」 と日露開戦論』1998

              ^ 『信州の人脈(上)』15頁

              ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)12頁

              ^ 「近衛篤麿」 アジア歴史資料センター Ref.A06051169000 

              ^ 『官報』1904年1月6日「宮廷録事○勅使差遣」。

              ^ 工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず』49頁

              ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。

              ^ 『官報』第6149号「叙任及辞令」1903年12月29日。

              ^ 『官報』1900年6月11日「叙任及辞令」。

              ^ 『官報』1903年5月6日「叙任及辞令」。

              工藤武重著 『近衛篤麿公』 大日社、1938年3月

                工藤武重著、栗田尚弥解説 『近衛篤麿公』 大空社〈伝記叢書〉、1997年5月、ISBN 4756804691

                山本茂樹著 『近衛篤麿 : その明治国家観とアジア観』 ミネルヴァ書房〈MINERVA日本史ライブラリー〉、2001年4月、ISBN 4623033473

                衞藤瀋吉監修、李廷江編著 『近衛篤麿と清末要人 : 近衛篤麿宛来簡集成』 原書房〈明治百年史叢書〉、2004年3月、ISBN 4562037377

                杉森久英『近衛文麿』河出書房新社、1987年(昭和62年)。ISBN 978-4309004877。 

                霞山会編輯 『近衛霞山公』 霞山会、1924年6月

                『支那』第25巻第2・3号(近衛霞山公記念誌)、東亜同文会業務部、1934年2月

                近衛篤麿日記刊行会編 『近衛篤麿日記 別巻 近衛篤麿日記付属文書』 鹿島研究所出版会、1969年

                坂井雄吉 「近衛篤麿と明治30年代の対外硬派 : 「近衛篤麿日記」によせて」(『国家学会雑誌』第83巻第3・4号、1970年8月、NAID 40001394171)

                酒田正敏著 『近代日本における対外硬運動の研究』 東京大学出版会、1978年3月

                栗田尚弥著 『上海東亜同文書院 : 日中を架けんとした男たち』 新人物往来社、1993年12月、ISBN 4404020775

                帝国議会会議録検索システム - 国立国会図書館

                憲政資料室の所蔵資料 近衛篤麿関係文書(MF:陽明文庫蔵) - 国立国会図書館リサーチ・ナビ

                近代日本人の肖像 近衛篤麿 - 国立国会図書館

                大日本教育会・帝国教育会東京府会員ファイル3 - ウェイバックマシン(2015年2月3日アーカイブ分) - 大日本教育会・帝国教育会の群像

                心得/校長 立花種恭 1876/1876-1877

                初代 立花種恭 1877-1884

                第2代 谷干城 1884-1885

                事務代行 木村弦雄 1885-1886

                心得 谷干城 1886

                第3代 大鳥圭介 1886-1888

                御用掛 谷干城 1888

                第4代 三浦梧楼 1888-1892

                第5代 岩倉具定 1892

                第6代 田中光顕 1892-1895

                第7代 近衛篤麿 1895-1904

                心得 細川潤次郎 1904

                第8代 菊池大麓 1904-1905

                事務取扱/第9代 山口鋭之助 1905-1906/1906-1907

                第10代 乃木希典 1907-1912

                事務取扱 白鳥倉吉 1912

                第11代 大迫尚敏 1912-1917

                第12代 北条時敬 1917-1920

                事務取扱 井上勝之助 1920

                第13代 一戸兵衛 1920-1922

                第14代 福原鐐二郎 1922-1929

                第15代 荒木寅三郎 1929-1937

                第16代 野村吉三郎 1937-1939

                事務取扱 武者小路公共 1939

                第17代 山梨勝之進 1939-1946

                事務取扱 松平康昌 1946

                第18代 安倍能成 1946-1947

                第18代 安倍能成 1947-1951

                第18代 安倍能成 1951-1966

                代行 小山直彦 1966

                第19代 麻生磯次 1966-1970

                第20代 櫻井和市 1970-1981

                第21代 磯部忠正 1981-1987

                第22代 内藤頼博 1987-1993

                第23代 島津久厚 1993-2002

                第24代 田島義博 2002-2006

                代行 内藤政武 2006

                第25代 波多野敬雄 2006-2014

                第26代 内藤政武 2014-2020

                第27代 耀英一 2020-

                谷干城 1885

                事務代行 下田歌子 1885-1887

                大鳥圭介 1887-1888

                西村茂樹 1888-1893

                細川潤次郎 1893-1906

                下田歌子 1906-1907

                松本源太郎 1907-1918

                大島義脩 1918-1923

                松浦寅三郎 1923-1932

                長屋順耳 1932-1940

                芝田徹心 1940-1945

                下村寿一 1945-1946

                安倍能成 1946-1947

                カテゴリカテゴリ

                コモンズメディア

                学校法人学習院

                テンプレート学校法人

                テンプレート学習院大学学長

                一覧記事学習院大学の人物

                一覧記事学習院女子大学の人物

                初代 近衛篤麿:1898(明治31)年-1904(明治37)年

                第2代 青木周蔵:1904(明治37)年-1907(明治40)年

                第3代 鍋島直大:1907(明治40)年-1918(大正7)年・総裁:1918(大正7)年-1921(大正10)年

                第4代 牧野伸顕:1918(大正7)年-1936(昭和11)年

                第5代 近衛文麿:1936(昭和11)年-1945(昭和20)年

                伊藤博文 - 蜂須賀茂韶 - 近衛篤麿 - 徳川家達 - 近衛文麿 - 松平頼寿 - 徳川圀順 - 徳川家正

                議院 - 貴族院 - 参議院 - 衆議院

                細川潤次郎

                近衛篤麿

                西園寺公望

                谷干城

                由利公正

                徳川家達

                谷干城

                二条基弘

                徳川頼倫

                蜂須賀正韶

                二条厚基

                近衛文麿

                松平頼寿

                徳川圀順

                島津忠重

                中御門経恭

                廃止

                箕作麟祥

                小畑美稲

                近衛篤麿

                二条基弘

                箕作麟祥

                大原重朝

                箕作麟祥

                小笠原忠忱

                村田保

                徳川達孝

                富井政章

                二条基弘

                三好退蔵

                廣澤金次郎

                大原重朝

                名村泰蔵

                松平康荘

                芳川顕正

                京極高徳

                波多野敬直

                奥山政敬

                岡部長職

                吉井幸蔵

                大原重朝

                徳川頼倫

                万里小路通房

                寺島誠一郎

                川村鉄太郎

                廣澤金次郎

                清棲家教

                近衛文麿

                吉井幸蔵

                中山輔親

                松平頼寿

                吉井幸蔵

                寺島誠一郎

                伊東祐弘

                土方寧

                松平頼寿

                柳原義光

                溝口直亮

                青木信光

                柳原義光

                浅野長之

                織田萬

                溝口直亮

                青木信光

                安保清種

                秋元春朝

                奥平昌恭

                廃止

                新設

                谷干城

                細川潤次郎

                谷干城

                曾我祐準

                近衛篤麿

                谷干城

                岡部長職

                谷干城

                岡部長職

                谷干城

                正親町実正

                岡部長職

                正親町実正

                曾我祐準

                吉川重吉

                岡部長職

                浅田徳則

                前田利定

                林博太郎

                大河内正敏

                柳沢保恵

                林博太郎

                柳沢保恵

                林博太郎

                渡邊千冬

                井上匡四郎

                林博太郎

                八条隆正

                林博太郎

                廃止

                近衛篤麿

                徳川篤敬

                箕作麟祥

                槇村正直

                二条基弘

                津田真道

                細川護成

                平松時厚

                村田保

                二条基弘

                大原重朝

                伏原宣足

                坊城俊章

                名村泰蔵

                柳原義光

                鍋島直彬

                二条基弘

                寺島誠一郎

                廣澤金次郎

                徳川頼倫

                寺島誠一郎

                松平直之

                奥平昌恭

                寺島誠一郎

                徳川慶久

                一条実輝

                徳川慶久

                大木遠吉

                細川護立

                西村精一

                細川護立

                兒玉秀雄

                奥平昌恭

                堀田正恒

                中川久任

                樺山愛輔

                中御門経恭

                伊藤安吉

                千田嘉平

                四条隆愛

                二荒芳徳

                紀俊秀

                辻太郎

                千田嘉平

                佐佐木行忠

                鷹司信輔

                千田嘉平

                辻太郎

                東久世秀雄

                周布兼道

                千田嘉平

                小畑大太郎

                深尾隆太郎

                周布兼道

                飯田精太郎

                廃止

                近衛篤麿1884-1904

                近衛文麿1904-1945返上

                鷹司熙通1884-1918

                鷹司信輔1918-1947

                九条道孝1884-1906

                九条道実1906-1933

                九条道秀1933-1947

                一条実輝1884-1924

                一条実孝1924-1947

                二条基弘1884-1920

                二条厚基1920-1927

                二条弼基1927-1947

                徳川家達1884-1940

                徳川家正1940-1947

                三条実美1884-1891

                三条公美1891-1914

                三条実憲1914-1924

                三条公輝1924-1945

                三条実春1945-1947

                毛利元徳1884-1896

                毛利元昭1894-1938

                毛利元道1938-1947

                島津忠義1884-1898

                島津忠重1898-1947

                島津久光1884-1887

                島津忠済1887-1915

                島津忠承1915-1947

                岩倉具定1884-1910

                岩倉具張1910-1914

                岩倉具栄1914-1947

                徳川慶喜1902受爵-1910

                徳川慶久1910-1922

                徳川慶光1922-1947

                伊藤博文1907陞爵-1910

                伊藤博邦1910-1931

                伊藤博精1931-1947

                大山巌1907陞爵-1916

                大山柏1916-1947

                山縣有朋1907陞爵-1922

                山縣伊三郎1922-1927

                山縣有道1927-1945

                山縣有信1945-1947

                徳大寺実則1911陞爵-1919

                徳大寺公弘1919-1937

                徳大寺実厚1937-1947

                桂太郎1911陞爵-1913

                桂広太郎1913-1947

                西園寺公望1920陞爵-1940

                西園寺八郎1940-1946返上

                松方正義1922陞爵-1924

                松方巖1924-1927返上

                徳川圀順1929陞爵-1947

                基実 - 基通 - 家実 - 兼経 - 基平 - 家基 - 家平 - 経忠 - 経平 - 道嗣 - 兼嗣 - 忠嗣 - 房嗣 - 政家 - 尚通 - 稙家 - 前久 - 信尹 - 信尋 - 尚嗣 - 基熙 - 家熙 - 家久 - 内前 - 経熙 - 基前 - 忠煕 - 忠房 - 篤麿 - 文麿 - 文隆 - 忠煇

                FAST

                ISNI

                VIAF

                WorldCat

                ドイツ

                イスラエル

                アメリカ

                日本

                オランダ

                CiNii Books

                CiNii Research

                IdRef

                日本の貴族院議長

                貴族院公爵議員

                明治時代の貴族院議員

                在職中に死去した日本の貴族院議員

                日本の枢密顧問官

                従一位受位者

                勲二等旭日重光章受章者

                聖アンナ勲章受章者

                東亜同文会の人物

                帝国教育会の人物

                大日本教育会の人物

                東邦協会の人物

                殖民協会の人物

                戦前北海道史の人物

                北進論の人物

                大陸浪人

                ライプツィヒ大学出身の人物

                近衛家

                京都市出身の人物

                1863年生

                1904年没

                学習院

                学習院大学

                プロジェクト人物伝項目

                FAST識別子が指定されている記事

                ISNI識別子が指定されている記事

                VIAF識別子が指定されている記事

                WorldCat Entities識別子が指定されている記事

                GND識別子が指定されている記事

                J9U識別子が指定されている記事

                LCCN識別子が指定されている記事

                NDL識別子が指定されている記事

                NTA識別子が指定されている記事

                CINII識別子が指定されている記事

                CRID識別子が指定されている記事

                SUDOC識別子が指定されている記事

                ISBNマジックリンクを使用しているページ

2024/11/22 03:13更新

konoe atsumaro


近衛篤麿と同じ誕生日8月10日生まれ、同じ京都出身の人

北澤 豪(きたざわ つよし)
1968年8月10日生まれの有名人 東京出身

北澤 豪(きたざわ つよし、1968年8月10日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。元サッカー日本代表。現在は日本サッカー協会参与、フットサル委員長、日本障がい者サッカ…

高桑 大二朗(たかくわ だいじろう)
1973年8月10日生まれの有名人 東京出身

高桑 大二朗(たかくわ だいじろう、1973年8月10日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。元日本代表。 横浜マリノス時代は怪我が多かったため「ガラスのGK」とよ…

小池 清(こいけ きよし)
1931年8月10日生まれの有名人 東京出身

小池 清(こいけ きよし、1931年8月10日 - 2012年4月28日)は、日本の元アナウンサー。毎日放送勤務後、フリーアナウンサーに転身。 東京府東京市滝野川区(現:東京都北区)田端出身。東京都…

河出 奈都美(かわで なつみ)
1996年8月10日生まれの有名人 東京出身

河出 奈都美(かわで なつみ、1996年8月10日 - )は、日本テレビのアナウンサー。 東京都品川区出身。身長157 cm。青稜中学校・高等学校、青山学院大学国際政治経済学部国際コミュニケーション…

友稀 サナ(ゆうき さな)
1988年8月10日生まれの有名人 東京出身

「ピチレモン」第1回読者モデルオーディション準グランプリ(2003) SUPER GTイメージガール「Airy」(2008年) SUPER GT マレーシア戦イメージガール (2009年) 友稀…


藤原 あき(ふじわら あき)
1897年8月10日生まれの有名人 東京出身

藤原 あき(ふじわら あき、1897年8月10日 - 1967年8月8日)は、日本のタレント、政治家。自由民主党参議院議員(1期)。資生堂美容学校校長。藤原義江の元妻。中上川彦次郎の庶子。参議院議員時…

白石 茉莉奈(しらいし まりな)
1986年8月10日生まれの有名人 東京出身

女優、タレント、歌手、恵比寿★マスカッツ→恵比寿マスカッツ まりりんといっしょ 白石 茉莉奈(しらいし まりな、1986年8月10日 - )は、日本のAV女優、歌手。Bstar所属。 かつてジュニ…

川田 あつ子(かわだ あつこ)
1965年8月10日生まれの有名人 東京出身

川田 あつ子(かわだ あつこ、1965年8月10日 - )は、日本の女優、元アイドル。東京都保谷市(現・西東京市)出身。ラストシーン所属。明治大学附属中野高等学校定時制から転校、東京都立代々木高等学校…

遊井 亮子(ゆうい りょうこ)
1976年8月10日生まれの有名人 東京出身

遊井 亮子(ゆうい りょうこ、1976年8月10日 - )は、日本の女優。東京都出身。ボックスコーポレーション所属。 出生地は母の実家のある長野県。子供のころは東京都北区で過ごし、小学1年生の終わり…

山口 奈々(やまぐち なな)
1938年8月10日生まれの有名人 東京出身

山口 奈々(やまぐち なな、1938年8月10日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。東京府東京市(現:東京都)出身。青二プロダクション所属。 テレビタレントセンター、松竹を経て青二プロダクシ…


齋藤 飛鳥(さいとう あすか)
【乃木坂46】
1998年8月10日生まれの有名人 東京出身

齋藤 飛鳥(さいとう あすか、1998年〈平成10年〉8月10日 - )は、日本のタレント、女優、ファッションモデルであり、女性アイドルグループ・乃木坂46の元メンバー、『CUTiE』の元専属モデル、…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


近衛篤麿と近い名前の人

近衛 はな(このえ はな)
1980年3月21日生まれの有名人 東京出身

近衛 はな(このえ はな、1980年3月21日 - )は、日本の女優、タレント、脚本家、詩人である。本名、目黒 裕佳子(めぐろ ゆかこ)。旧芸名、目黒 ゆかこ。 東京都出身、青山学院大学国際政治経済…

近衛 十四郎(このえ じゅうしろう)
1914年4月10日生まれの有名人 新潟出身

近衛 十四郎(このえ じゅうしろう、1914年4月10日 - 1977年5月24日)は、戦前から戦後にかけて活躍した時代劇俳優。数多くの時代劇ファンを魅了する殺陣は「日本映画史上最も殺陣の上手い役者」…

近衛 文麿(このえ ふみまろ)
1891年10月12日生まれの有名人 東京出身

近衛 文麿(このえ ふみまろ、正体字:近󠄁衞 文󠄁麿󠄁、1891年〈明治24年〉10月12日 - 1945年〈昭和20年〉12月16日)は、日本の政治家…

近衛乙嗣(このえ おとつぐ)
11月11日生まれの有名人 出身

近衛乙嗣(このえ おとつぐ、11月11日 - )は、日本のイラストレーター。武蔵野美術大学卒。 エイティエリート(庄司卓著/角川スニーカー文庫) 撃墜魔女ヒミカ(荻野目悠樹著/電撃文庫) ゴッデス!…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
近衛篤麿
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

GEM E-girls palet ALLOVER 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「近衛篤麿」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました