遠山元一の情報(とおやまげんいち) 経営者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
遠山 元一さんについて調べます
■名前・氏名 |
遠山元一と関係のある人
遠山一行: 遠山元一の長男として東京市麻布区笄町(現在の港区西麻布)に生まれ育つ。 佐伯秀男: 「僕の兵役」小泉純也・江川宇禮雄・水木京太・前田多門・相羽有・片岡音吾・安藤孝三・伊東東一郎・大川平八郎・新居格・光永星郎・大崎新吉・吉田秀人・岡譲二・高岡大輔・遠山元一・木村友衛・牧野周二・加藤勘十・北林透馬・佐藤惣之助・海野十三・檀野禮助・五島慶太・山田忍三・田原豐・秦豐吉・宇野浩二・飯村五郎・大下宇陀兒・太田亥十二・磯野秋雄・大山健二・川端龍子・梶原仲治・坪山德彌・吉植庄亮・中村武羅夫・小林秀恒・田原春次・神田伯龍・東郷靑兒・福原俊丸・井染四郎・赤城宗德・中村正常・愛野時一郎・淸澤洌・南部耕作・佐伯秀男・坂東好太郎・佐分利信・河野密・窪田四郎・石井德久次・松岡俊三・田中武雄・大辻司郎・山下太郎 : 『実業之日本』第40巻第19号所収、実業之日本社、1937年10月発行、p.158-172. 遠山一行: 日興證券会長を務めた遠山元一の長男。 山下肇: 父方は埼玉県川越の旧家で、日興証券創業者の遠山元一の親類にあたる。肇の父方の大叔父である山下経治が遠山元一の妹の静子と結婚している。 |
遠山元一の情報まとめ
遠山 元一(とおやま げんいち)さんの誕生日は1890年7月21日です。埼玉出身の経営者のようです。
現在、卒業、病気に関する情報もありますね。1972年に亡くなられているようです。
遠山元一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)遠山 元一(とおやま げんいち、1890年7月21日 - 1972年8月9日)は、埼玉県出身の実業家。日興證券の創業者で初代会長。美術品収集家としても名高い。 埼玉県比企郡三保谷村白井沼(現在の川島町)の豪農の家庭に長男として生まれる。母方も川島町の旧家で、外祖父は比企郡の初代郡長も務めた鈴木庸行。父・義三の放蕩により生家が没落したため、高等小学校卒業後、15歳で上京し、当時内務大臣秘書官をしていた遠縁の水野錬太郎の書生になり、南佐久間町の私塾に通った。父の勧めで16歳で東京日本橋兜町の株屋半田商店に雇われ丁稚奉公をする。5年ほど勤めたのち、病弱のため規模の小さい市村商店や平沢商店に転職した。 病気や没落した一家の先行き不安から、母が通っていた鎌倉メソジスト教会牧師の美山貫一を頼り、プロテスタントの信仰に入る。 1918年に独立し、川島屋商店を設立。1920年、株式会社に改組。満州事変以来の好況にのって事業は大いに発展し、現在の価値で120億円をかけて、1936年に故郷に3000坪の豪邸を建設して生家を再興し、錦を飾る。1938年、川島屋證券会社を創業。1944年、川島屋商店を吸収合併。大日本證券投資取締役を経て、1944年、旧日興證券との合併により社長となる。 1948年に新証券取引法案が連合軍総司令部の承認を受け、同法の運用に当たる証券取引委員会が発足し、委員長に徳田昂平、遠山は理事会議長に就任した。1950年、米国証券界視察のため、山一證券の小池厚之助、野村證券の平山亮太郎、丸万証券の武田正三らとともに渡米。1952年、同社会長に就任。1964年に会長を退くまで戦後日本の証券業界の近代化に尽力し、遠山天皇と呼ばれた。 東京証券取引所理事、経団連評議員・同常任理事、東京商工会議所常任理事、日本証券業協会連合会会長などの要職を歴任。日本棋院理事もつとめ、1964年に大倉喜七郎賞を受賞。1968年、故郷の豪邸を法人化して財団法人遠山記念館とし、敷地内に美術館を建てて長年にわたる貴重な蒐集美術品を収蔵。1971年に川島町名誉町民となる。1972年、入院中の国立第一病院(現・国際医療研究センター)で心不全により没した。 長男の遠山一行によると、元一はしばしば人に騙されたが、「だまされてもぐずぐずいわずに一歩しりぞき、しかもまたくりかえしだまされた」という。そして或る時、元一からは「自分は今まで人にだまされることはあっても、人をだますことはしなかった。自分に万一のことがあったら、そういう精神だけはうけついでくれ」と言われたという(『遠山一行著作集』第4巻所収「だまされる相場師」p.113(新潮社、1987年)。 妹静子の夫は日興証券常務、赤山鉱山社長・山下経治(山下肇の大叔父)、妹てるの夫は野田電機社長・高橋五六、弟の遠山浩三はミッションジュース社長、弟の遠山四郎は東京螺子社長で日本ねじ研究協会初代会長。母方親戚に鈴木聞多。 妻の愛子は原一郎の姉。長男の遠山一行は音楽評論家。次男の遠山信二は指揮者。三男の遠山直道は出版社社長。長女貞子は外交官・吉田健一郎の妻。孫に遠山公一、遠山元道、遠山正道がいる。従兄に遠山証券(のちに日興証券に吸収)創業者の遠山芳三。芳三邸は三菱電機高輪荘(東京都港区)として現存する。従妹の孫に日興証券社員からチョコレート職人に転じた神田光三。 ^ 母の生家(鈴木家住宅)は国登録有形文化財となっている。 ^ “川島のみどころ”. KJブランドサイト. 川島町. 2020年5月23日閲覧。 ^ 第25回 遠山元一(その一)だまされる幸福―人間通の「株屋」が、日興證券を創業する前夜福田和也、『週刊現代』2013年3月23日号 ^ 遠山元一『非常時財界の首脳』 (武田経済研究所, 1938) ^ 第26回 遠山元一(その二)病気に苦しみ人の弱さを実感― 大儲けする陰で「教会」に駆け込んだ福田和也、『週刊現代』2013年3月30日号 ^ 第27回 遠山元一(その三)新聞に躍る言葉「株式ブーム」---一般市民が投資熱に見舞われた時代とは福田和也、『週刊現代』2013年4月6日号 ^ 『現代の系譜 日本を動かす人々』、東京中日新聞出版局、1965、p172 ^ 協会沿革日本ねじ研究協会 ^ 遠山元一『経済第一線』倉田春一 著 (大鵬書房, 1935) ^ 三菱電機高輪荘(旧遠山芳三邸)港区ゆかりの人物データベース ^ 『エリートの転身』高杉良、角川書店 遠山記念館 武蔵遠山氏 公益財団法人遠山記念館 野ロ幸洋、「野村徳七と遠山元一 : 日本証券業のパイオニア」『日本経営倫理学会誌』 3巻 1996年 p.73-82, 日本経営倫理学会, doi:10.20664/jabes.3.0_73 川島屋商店社長遠山元一 『新東亜建設を誘導する人々』(日本教育資料刊行会, 1939) ISNI VIAF 日本 19世紀日本の実業家 20世紀日本の実業家 19世紀のプロテスタント信者 20世紀のプロテスタント信者 日本の企業創立者 SMBC日興証券の人物 日本の美術品収集家 博物館・美術館の創設者 遠山元一家 遠山氏 日本のプロテスタントの信者 私の履歴書の登場人物 埼玉県出身の人物 1890年生 1972年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/19 22:58更新
|
tooyama genichi
遠山元一と同じ誕生日7月21日生まれ、同じ埼玉出身の人
TOPニュース
遠山元一と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「遠山元一」を素材として二次利用しています。