野上照代の情報(のがみてるよ) 映画スクリプター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
野上 照代さんについて調べます
■名前・氏名 |
野上照代と関係のある人
川喜多和子: 1960年(昭和35年)5月11日にスクリプター野上照代の紹介で、伊丹一三(伊丹十三)と出会い、1週間後には同棲、7月13日に結婚式を挙げる。 伊丹十三: 1960年5月11日にスクリプター野上照代より、日本映画界の巨人である川喜多長政・川喜多かしこの娘の川喜多和子を銀座のバーで紹介され、同年7月13日に東京・国際文化会館にて結婚。 成瀬巳喜男: 黒澤のスクリプターとして多くの黒澤作品に参加している野上照代は「黒澤さんが一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と自著に書いている。 本多敏行: 書類選考・面接を経て「黒沢監督・本多猪四郎・野上照代」による面接を受けた。 三船敏郎: 野上照代によると、撮影中でも黒澤は三船の演技に注文をつけたことは無く、およそ、批判的な眼で三船を見ることは無かったという。 早坂文雄: 早坂の親族をはじめ、湯浅譲二・佐藤慶次郎(共に作曲家)、野上照代(スクリプター)、村木与四郎(美術監督)、土屋嘉男(俳優)、桂木洋子(元女優・黛敏郎未亡人)、黒澤和子(映画衣裳デザイナー・黒澤明長女)、三船史郎(元俳優・三船敏郎長男)など、数多くの音楽・映画関係者が出席した。 川喜多和子: 駆け出し時代に出会ったスクリプター野上照代とは生涯に渡る親友となり、映画評論家おすぎとは姉弟のような付き合いが続いた。 伊丹十三: 夏より、スクリプター野上照代が「飯炊き係」として約1年同居し世話をした。 |
野上照代の情報まとめ
野上 照代(のがみ てるよ)さんの誕生日は1927年5月24日です。東京出身の映画スクリプターのようです。
映画、卒業、退社、テレビに関する情報もありますね。
野上照代のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)野上 照代(のがみ てるよ、1927年5月24日 - )は、日本の映画スクリプター。黒沢プロダクション・マネージャー。 ドイツ文学者、社会思想研究家で戦後神戸大学教授を務めた野上巌(筆名・新島繁)の娘として東京に生まれる。 1943年、都立家政女学校卒業。図書館講習所入学。1944年、図書館講習所を卒業、山口県の旧制山口高等学校図書室に着任。終戦後、東京へ戻る。1946年、人民新聞社に入社。1947年、八雲書店に入社。同僚に草柳大蔵、仕事で井伏鱒二と知り合い親交を深める。 女学生時代に伊丹万作監督の『赤西蠣太』を観て、ファンレターを書いたのがきっかけで、伊丹家と親しくなり、約1年間、万作の長男伊丹十三と同居し、面倒を見る。1949年の監督の没後、大映京都撮影所で記録係(スクリプター)の見習いとなる。 1950年、黒澤明監督の『羅生門』にスクリプターとして参加。1951年、東宝へ移り『生きる』以降の全黒澤映画に記録・編集・制作助手として参加した。その間、1966年よりサン・アドにも在籍し、CM制作なども手がけた。1979年、同社を退社。 1984年、自らの少女時代を描いた“父へのレクィエム”が読売ヒューマンドキュメンタリーの優秀賞を受賞。2008年これを『母べえ』として山田洋次監督が映画化した。 羅生門(1950年) 生きる(1952年) 七人の侍(1954年) 蜘蛛巣城(1957年) 用心棒(1961年) 天国と地獄(1963年) 赤ひげ(1965年) デルス・ウザーラ(1975年) - 協力監督 影武者(1980年) - アシスタント・プロデューサー 乱(1985年) - プロダクション・マネージャー 夢(1990年) - プロダクション・コーディネーター 八月の狂詩曲 - プロダクション・マネージャー まあだだよ(1993年) - プロダクション・マネージャー 雨あがる(2000年) - 監督補 阿弥陀堂だより(2002年) - 監督協力 『天気待ち 監督・黒澤明とともに』(文藝春秋、2001年、文春文庫、2004年) 『蜥蜴の尻っぽ とっておき映画の話』(文藝春秋、2007年/草思社文庫、2021年) 『母べえ』(中央公論新社、2007年、中公文庫、2010年) - 映画『母べえ』の原作 『黒澤明 「七人の侍」創作ノート』(2巻組、編・解説:文藝春秋、2010年) 『もう一度天気待ち 監督・黒澤明とともに』(草思社、2014年、草思社文庫、2016年) 第5回読売「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞・優秀賞(『父へのレクイエム』にて、1984年) 山路ふみ子功労賞 第3回文化庁映画賞・映画功労表彰部門(2005年) 第28回(2010年度)川喜多賞 第34回日本アカデミー賞・協会特別賞(2011年) 第69回毎日映画コンクール特別賞(2014年) 第2回京都国際映画祭・牧野省三賞(2015年) 第94回キネマ旬報ベスト・テン 特別賞 野上照代が記録した19本の黒澤映画(NHK BS、2008年) 監督 黒澤明と歩んだ時代~世界は今も夢をみる~(日本映画専門チャンネル、2015年・全5回) 1993年公開の伊丹十三監督の映画「大病人」のテレビ版メイキングの監督を中尾彬とともに務めた。 ^ 撮影日誌を元にした共編著『黒澤明 樹海の迷宮』(小学館、2015年)がある ^ 第2部に『天気待ち』を再録(元版の第1章は割愛) ^ “第28回川喜多賞 野上照代氏”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2021年7月14日閲覧。 ^ “69th(2014年)”. 毎日映画コンクール. 毎日新聞社. 2021年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月1日閲覧。 ^ キネマ旬報 ベスト・テン、KINENOTE、2021年2月27日閲覧。 “冨田美香研究室(野上照代の作品リスト)”. 2016年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月1日閲覧。 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 IdRef スクリプター 黒澤明 東京都出身の人物 1927年生 存命人物 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/19 11:58更新
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nogami teruyo
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