鈴木康博の情報(すずきやすひろ) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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鈴木康博と関係のある人
田中有紀美: 鈴木康博メインストリートをつっ走れ(2011年、RKB毎日放送 他) いとうまい子: 作曲:鈴木康博/編曲:松下誠 つちやかおり: B3.さよならに慣れるまで 竜真知子/鈴木康博/佐藤健 遠山裕: ジョニー大倉、太田裕美、小柳ルミ子、和田アキ子、德永英明、村下孝蔵、谷村新司、南こうせつ、イルカ、フォーリーブス、おりも政夫、江木俊夫、堺正章、L⇔R、黒沢健一、瞳みのる、嶋大輔、鈴木康博、大久保一久、C.C.ガールズ、A.S.A.P、遠藤京子、森川美穂、峠恵子、黒沢裕一、加藤高道、狩人、TASTE4(江木俊夫・高道・晃・あいざき進也)、真氣、Sunflower's Garden、鳥塚しげき、寺尾聰、貴水博之他 富倉安生: 鈴木康博 - アルバム『Long Slow Distance』(1985年) 小田和正: 2017年11月23日、NHK-FM「今日は一日“小田和正”三昧」でメッセージの形でだが鈴木康博と35年ぶりに共演した。 桑原潤: 野村の後妻・沙知代の長男であるダンは、1978年から1981年までヤクルトに選手として在籍し、引退後にはマイナーリーグ1Aのサリナス・スパーズのオーナーを務めていて、1989年シーズンには3人の選手(忰田幸也、鈴木康博、幸田正広)がヤクルトからサリナスへ野球留学で派遣されており、球団と野村家の間には以前から太いパイプがあった。 つちやかおり: B1.眠らせてララバイ 竜真知子/鈴木康博/山田秀俊 松ヶ下宏之: 2008年 鈴木康博『Yasuhiro Suzuki Anniversary Live 1970-2008』 2008年6月29日横浜ランドマークホール/11月16日ヤクルトホール (Keyboard) 康珍化: 鈴木康博 大川茂: 『歓び』 - トヨタ自動車・カリーナCMソング(作詞:阿久悠、作曲:鈴木康博。 清水仁: 最初は難しい音楽理論の話をする小田和正、鈴木康博を見て「こりゃついていけん。 細坪基佳: 2000年 - 鈴木康博、山本潤子とともにSong for Memoriesを結成。 山本俊彦: 『歓び』 - トヨタ自動車・カリーナCMソング(作詞:阿久悠、作曲:鈴木康博。 大津あきら: 鈴木康博 - 憧れという名の汽車 / あなたに明日を / 蜉蝣 / サンクチュアリー / ソフィーの青空 魚住勉: 鈴木康博 つちやかおり: A1.さよならに慣れるまで 竜真知子/鈴木康博/佐藤健 岡崎倫典: 杉田二郎、鈴木康博、森山良子、谷山浩子、尾崎豊、沢田聖子、ふきのとう、沢田知可子などのレコーディングやコンサート・ツアーに参加する。 野村克也: 沙知代の長男であるダンは、1978年から1981年までヤクルトに選手として在籍し、引退後にはマイナーリーグ1Aのサリナス・スパーズのオーナーを務めていて、1989年シーズンには3人の選手(忰田幸也、鈴木康博、幸田正広)がヤクルトからサリナスへ野球留学で派遣されており、ヤクルト球団と野村家の間には以前から太いパイプがあった。 谷本光: TV番組・コンサート・レコーディングなどで《谷村新司・渡辺美里・夏川りみ・秋川雅史・松浦亜弥・平原綾香・千住明・より子・ジェロ・Chage・alan・手嶌葵・Rin・斉藤恒芳・鈴木康博・山本潤子》のバックギタリストとして参加する。 柳田ヒロ: オフコース(小田和正.鈴木康博):コーラス(クレジットなし) 山本潤子: 2月27日から28日、山本潤子SpecialLive(池袋アムラックスホール)、鈴木康博・山本潤子・吉川忠英「PPMを歌う」が反響を呼ぶ。 松本純: 聖光学院通学時代、同高校に在学中だった鈴木康博からウッドベースを借りたのをきっかけにベースを始める。 谷村新司: 坂崎幸之助や鈴木康博といった旧友に混じって、元MR. BIGのギタリストポール・ギルバートが参加。 ヤス: 鈴木康博 - シンガーソングライターで、元オフコースのギタリスト兼ボーカリスト。 小田和正: 小学3年生のとき中学受験のため通っていた進学塾への通学途中、京浜急行の車中で鈴木康博と運命の出会いを果たす。 伊藤麻衣子: 作曲:鈴木康博/編曲:松下誠 山本潤子: 4月、鈴木康博、細坪基佳とのユニット「Song for Memories」結成。 松本隆: 妖精たちのTea Party(作曲:鈴木康博) 魚住勉: おやすみマイ・ラブ (作曲:鈴木康博) |
鈴木康博の情報まとめ
鈴木 康博(すずき やすひろ)さんの誕生日は1948年2月18日です。静岡出身のミュージシャンのようです。
卒業、現在、ドラマ、解散、脱退、テレビに関する情報もありますね。鈴木康博の現在の年齢は76歳のようです。
鈴木康博のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)鈴木 康博(すずき やすひろ、1948年2月18日 - )は、日本のシンガーソングライター。オフコースの元オリジナル・メンバー。血液型はB型。身長182.8cm。通称は、ヤス、ヤスさん、yassと英語表記されることもある。 静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)に生まれ、横浜市磯子区にて育つ。実父は京浜急行電鉄に勤務し、後に取締役になった。中学生の頃からアメリカンポップスに影響されギターを持つようになった。 横浜市立浜小学校時代に中学受験のために進学塾に通っていた電車(京浜急行電鉄)内で小田和正と出会う。1960年、2人揃って聖光学院に進学した。聖光学院高等部3年時の学園祭では小田、鈴木、地主道夫、須藤尊史(横浜市立大学を経てシェル石油入社。ヨット界で有名)の4人でステージを披露した。これがオフコースの原点となる。 その後、東京工業大学に進学、制御工学(いわゆるロボット工学)を専攻した。小田、地主は東北大学に進学。東京・仙台と離れ離れになったが、頻繁に車(日産・ブルーバード)に楽器(鈴木は当初コントラバスを担当)を積んで行き来して音楽活動を続けていたという。ライブは主に横浜で行っていた。 1969年、小田、地主とともにジ・オフ・コースを結成。ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに東北地区から出場。東北から出場したのは「東京だとレベルが高そう。東北のほうが勝ち抜きやすいのでは」という理由だったが、実際に出てみると東北地区も大変レベルが高く、最後まで勝ち抜けるか不安だったという。しかし東北地区1位となり、全国大会でも2位の好成績を残した(1位は赤い鳥)。大学卒業後、鈴木は内定していた安川電機への就職を断り、プロとして音楽の道に進む決意をする。 1982年のコンサートツアー「over」にて日本史上初の日本武道館10日間公演を成功させ、最終日(1982年6月30日)のステージを題材にしたTV番組『NEXT』を制作後オフコースを離れ、ソロ活動を始める。 ソロ活動開始後は積極的に作品を創出し、約25年のソロ活動を通して21枚ものアルバムを残し(2008年現在)、全国的なライブ活動も精力的に行っている。また、TVの音楽番組にも頻繁に出演、ドラマの音楽監督なども務めている。 1983年、郷ひろみに提供した「素敵にシンデレラ・コンプレックス」がトヨタ・カローラのコマーシャルソングに採用されヒット。鈴木は今でもこの歌を「僕が作った曲では最大のヒット曲」と言って観客を笑わせる。 1984年、コカ・コーラのコマーシャルイメージソングを歌い(ただし自作曲ではない)、フジサンケイグループ広告大賞特別音楽賞を受賞。 1986年、キリン「ラガービール」のコマーシャルソング「TOGETHER」(原曲は「Let Us Begin Beguine」)がヒット。 1989年、オフコースの解散を受けてエッセイ『時代を超えて、今』(勁文社、ISBN 9784766909289)を発表。オフコース脱退を決意するに至った心境、この当時のオフコースに対する思いを率直に語っている(ただし、その後は「(小田に対する)感情的なわだかまりはもう無い」と語っている)。 2000年より細坪基佳(ふきのとう元メンバー)、山本潤子(赤い鳥、ハイ・ファイ・セット元メンバー)とユニットSong for Memoriesを結成。和洋問わず幅広いポップス・ナンバーのカヴァー中心に活動、アルバム5枚をリリースしている。 2003年、自ら音楽を担当した「ブルーもしくはブルー」に俳優として出演した。 2010年、所属事務所であるOMGの社長の逮捕の影響で公式サイトが一時アクセス不可能になった。 2011年、所属事務所をユイミュージック(旧ユイ音楽工房)に移籍。 2013年、ソロ活動30周年記念ライブ「たどりついたぜ!! 30年」を9月21日に大和田さくらホール、12月24日に横浜新都市ホールで開催。 2017年11月23日NHKFM「今日は一日“小田和正”三昧」でメッセージの形ではあるが小田と35年ぶりに共演した。 2019年 (2019)、5月29日リリースの松尾一彦デビュー45周年記念ミニ・アルバム『君を待つ渚』収録の、オフコース時代の楽曲「君を待つ渚」のセルフカバーに、鈴木がギターで参加。 2022年1月15日 (2022-01-15)、音楽活動50周年ライヴ『鈴木康博LIVE2022 おかげさまで50年+2』を、東京・かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホールにて開催。もともと2020年 (2020)に開催予定だったが、コロナ禍の影響で2年伸びたものの「50周年は何が何でもやりたかった」という鈴木の意向で開催された。 yass box (2004年12月1日 (2004-12-01)) Double Neck Records(デビュー35周年記念) 「たどりついたぜ!! 30年」 LIVE IN CONCERT and More (2014年3月19日 (2014-03-19)) BIG PINK RECORDS Song for Memories (2000年9月20日 ENSEMBLE)– 2枚組ライブ・アルバム Song for Memories II (2001年8月18日 OAK Records) – アルバム Ellys Green (2006年10月4日 avex io)– アルバム Song for Memories コンサート2009 渋谷C.C.Lemonホール (2009年6月3日 Double Neck Records)– ライヴDVD イエスタデイ・ワンス・モア〜TRIBUTE TO THE CARPENTERS〜 (2009年3月25日 UNIVERSAL MUSIC)– カーペンターズのデビュー40周年にあわせ制作されたトリビュート・アルバム。「YESTERDAY ONCE MORE」にて参加。 「空とぶプリンプリン/パイパイ プリンプリン」(2016年6月22日 日本コロムビア)– シングル。タイトル曲は、NHKの『みんなのうた』で2016年6月から7月に放送された。 アーティスト名は50音順、曲名は発売順に列記。作品はソロ以降に限定。 ロケットマン『愛と海と音楽と』(2006年8月2日 CD:COCP-50944)
鈴木康博 メインストリートをつっ走れ! 来歴の項のとおり、小田とは聖光学院中等部時代からの同級生。 優勝して音楽活動にけじめをつけるはずだったヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで2位となり、音楽活動は継続したが、プロとしての活動にいささかの躊躇を見せ同時に早稲田大学大学院に進学した小田と違い、企業の内定を蹴って音楽活動に専念、アレンジの勉強を本格的にしていた鈴木は、小田にとって先生的な存在だったという(『小田和正インタビュー たしかなこと』)。一方、鈴木は小田について「小学生のときバイオリンを習っていたので、早くから音楽に習熟していた。僕は小田に楽譜の読み方を教わった」と語っている。 鈴木自身のライブMCなどによれば、オフコースをやめようと思ったのは1979年頃だという。小田にそれを伝えたのは1980年、理由は「だんだん自分の居場所がなくなってきていると思った」「自分もいろいろ(キーボードなど)トライしてみたいが、相棒(小田)の邪魔をするわけにもいかないし」「トップを走っていたい」「オフコースという足かせの中での音楽活動に行き詰まりを感じていた」と語っている。オフコースのアルバムは小田、鈴木がほぼ同数の曲を提供していたところ『We are』からそのバランスが崩れ鈴木の楽曲比率が減るが、これは鈴木自身がオフコースにどんな曲を書けばいいか、イメージできなかったためだという。 鈴木は代替メンバーを入れればいいのではないかと考えていたようだが、小田はその考えを容れることができず、一度はオフコースの解散を決意した。アルバム『We are』、『over』のタイトルについて「我々は終わった」=解散のメッセージだったと鈴木は語っている。1983年、メンバー及びスタッフとの話し合いの末オフコースは解散せずに4人での活動継続を選択。1989年まで活動を続けたが、それに対して当初強い違和感があったことを自著『時代を超えて、今』で表明していた。 ソロ活動開始後、オフコース時代の楽曲は折に触れ歌っていたものの(「さよなら」「愛の唄」などの小田楽曲を含む)オフコースや小田について語らなかったが、2005年、オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム『FORWARD』発売の前後から、詳しく語るようになっている。自身がパーソナリティをつとめるAMラジオ番組『メインストリートをつっ走れ!』では、同番組で最近小田とメールをやり取りしたことを明かしたり、ゲストとともに「さよなら」を演奏している。また、オフコースの元メンバー大間・松尾・清水のユニット「A.B.C」のライブにて、急病となった松尾の代役として出演した(2005年)。2007年2月16日に放送された『僕らの音楽』では、小田楽曲である「Yes-No」をカヴァーしたCHARAと共演、アコースティック・ギターとコーラスで参加している。 基本的にオフコースの再結成については小田と同様に消極的。ただし、オフコースの再結成そのものをあまり語らない小田に比べ、かなり具体的に考えを語っている。旧公式サイト経由でファンから問われた「ファンに対する責任」については「自分はオフコースをやめようと決意してから3年(1982年まで)とどまった。これでファンに対する責任は果たしたと思っている」と語っている。「(小田に対して)感情的なわだかまりはもう無い」と語っているが、再結成については「やるなら、昔の歌を歌うだけじゃだめ。新しい歌も書かなければ」「オフコースでやる以上、今(の音楽活動)と同じというイメージは持てない」と語っている。他には「小田の求める音楽と僕の求める音楽は必ずしも同じ方向には向いていない。それなら今のまま、別々にやっているほうがいい」とも語っている(2005年 - 2007年のライブMCより)。なお、アルバム『FORWARD』収録曲「明日の風に吹かれて」は「今オフコースをやるとしたら、というイメージで作った」と語っている。 ^ 旧公式HP内「From Yass NO.0042」によれば知人から画数について指摘され、アルバム『Long Slow Distance』発表よりアーティスト名義では「博」には最後の画“`”が付かない。 ^ オフコースのメンバーとしての活動は1982年で終わっているが、契約上は1983年8月31日までメンバーだった。8月21日にソロ・アルバム『Sincerely』と同時発売されたシングル「愛をよろしく」では、初回プレスのみジャケットに“鈴木康博(オフコース)”と表記された。 ^ 82年に脱退後初!小田和正、オフコースの盟友・鈴木康博と35年振り共演、2017年11月23日サンケイスポーツ(2017.12.11閲覧)。 ^ “【鈴木康博 インタビュー】カッコ悪くてもいいから、その時の自分をそのまま歌っていきたい”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社 (2022年5月20日). 2022年6月19日閲覧。 ^ “ある日突然…”. テレビドラマデータベース. 2021年11月17日閲覧。 ^ 2人時代のオフコースの楽曲は小田と鈴木に印税収入に差が出ない様にほぼ半々の割合でアルバムでは収録されていて、5人になってからのアルバムでも『JUNKTION』は小田が3曲、鈴木が4曲、小田と鈴木の共作が2曲、『FAIRWAY』の時は小田と鈴木が5曲ずつ、『Three and Two』は小田が5曲、鈴木が4曲とほぼ均等割合での収録だった。『We are』での楽曲比率は小田が6曲、鈴木が3曲、松尾が1曲(大間との共作)だった。また、それまでは作詞作曲は殆どが鈴木の単独作品だったのが同アルバムでは3曲中単独作品は1曲だけで(他の2曲は清水との共作とあんべ光俊との共作の1曲ずつ)、次のアルバムの『over』の時は小田が5曲、鈴木が2曲、松尾が1曲(小田と大間との共作、ストリングスアレンジは鈴木が担当)で、鈴木の2曲は単独作品では無かった(大間との共作と大間とあんべとの共作の1曲ずつ)。5人での最終アルバム『I LOVE YOU』は小田が4曲、鈴木が3曲、松尾が2曲(小田との共作と清水と大間との共作の1曲ずつ)で鈴木の3曲は全て単独作品だった。 公式ウェブサイト 鈴木康博メインストリートをつっ走れ公式ツイッター 表 話 編 歴 小田和正 鈴木康博 清水仁 大間ジロー 松尾一彦 群衆の中で ⁄ 陽はまた昇る(1970年4月5日 (1970-04-05)) 夜明けを告げに ⁄ 美しい世界(1971年10月5日 (1971-10-05)) おさらば ⁄ 悲しきあこがれ(1972年4月25日 (1972-04-25)) 僕の贈りもの ⁄ めぐり逢う今(1973年2月20日 (1973-02-20)) もう歌は作れない ⁄ はたちの頃(1974年4月5日 (1974-04-05)) 忘れ雪 ⁄ 水いらずの午後(1974年10月20日 (1974-10-20)) 眠れぬ夜 ⁄ 昨日への手紙(1975年12月20日 (1975-12-20)) ひとりで生きてゆければ ⁄ あいつの残したものは(1976年5月5日 (1976-05-05)) めぐる季節 ⁄ ランナウェイ(1976年10月5日 (1976-10-05)) こころは気紛れ ⁄ あなたがいれば(1977年2月5日 (1977-02-05)) 秋の気配 ⁄ 恋人よそのままで(1977年8月5日 (1977-08-05)) ロンド ⁄ 思い出を盗んで(1977年11月20日 (1977-11-20)) やさしさにさようなら ⁄ 通りすぎた夜(1978年4月5日 (1978-04-05)) あなたのすべて ⁄ 海を見つめて(1978年7月20日 (1978-07-20)) 愛を止めないで ⁄ 美しい思い出に(1979年1月20日 (1979-01-20)) 風に吹かれて ⁄ 恋を抱きしめよう(1979年6月5日 (1979-06-05)) さよなら ⁄ 汐風のなかで (1979年12月1日 (1979-12-01)) 生まれ来る子供たちのために ⁄ この海に誓って(1980年3月5日 (1980-03-05)) Yes-No ⁄ 愛の終わる時(1980年6月21日 (1980-06-21)) 時に愛は ⁄ 僕等の時代(1980年12月1日 (1980-12-01)) I LOVE YOU ⁄ 夜はふたりで(1981年6月21日 (1981-06-21)) 愛の中へ ⁄ Christmas Day(1981年12月1日 (1981-12-01)) 言葉にできない ⁄ 君におくる歌(1982年2月1日 (1982-02-01)) YES-YES-YES ⁄ メインストリートをつっ走れ(1982年6月10日 (1982-06-10)) 君が、嘘を、ついた ⁄ 愛よりも(1984年4月21日 (1984-04-21)) 夏の日 ⁄ 君の倖せを祈れない(1984年7月18日 (1984-07-18)) 緑の日々 ⁄ CITY NIGHTS(1984年9月21日 (1984-09-21)) call ⁄ 2度目の夏(1985年2月21日 (1985-02-21)) たそがれ ⁄ LAST NIGHT(1985年5月22日 (1985-05-22)) 夏から夏まで ⁄ ぜんまいじかけの嘘(1985年9月21日 (1985-09-21)) ENDLESS NIGHTS ⁄ EYES IN THE BACK OF MY HEART(1985年11月30日 (1985-11-30)) IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) ⁄ IT'S QUITE ALL RIGHT (INSTRUMENTAL)(1987年3月4日 (1987-03-04)) もっと近くに (as close as possible) ⁄ Tiny Pretty Girl(1987年5月25日 (1987-05-25)) 君住む街へ ⁄ 君住む街へ-INSTRUMENTAL VERSION-(1988年1月25日 (1988-01-25)) she's so wonderful ⁄ 陽射しの中で(1988年7月25日 (1988-07-25)) 夏の別れ ⁄ 逢いたい(1988年10月25日 (1988-10-25)) コンプリート・シングル・コレクションCD BOX(2020年6月3日 (2020-06-03)) オフ・コース1 ⁄ 僕の贈りもの(1973年6月5日 (1973-06-05)) この道をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド2(1974年5月5日 (1974-05-05)) ワインの匂い(1975年12月20日 (1975-12-20)) SONG IS LOVE(1976年11月5日 (1976-11-05)) JUNKTION(1977年9月5日 (1977-09-05)) FAIRWAY(1978年10月5日 (1978-10-05)) Three and Two(1979年10月20日 (1979-10-20)) We are(1980年11月21日 (1980-11-21)) over(1981年12月1日 (1981-12-01)) I LOVE YOU(1982年7月1日 (1982-07-01)) NEXT SOUND TRACK(1982年9月21日 (1982-09-21)) The Best Year of My Life(1984年6月21日 (1984-06-21)) as close as possible(1987年3月28日 (1987-03-28)) Back Streets of Tokyo(1985年8月1日 (1985-08-01)) Still a long way to go(1988年6月9日 (1988-06-09)) SELECTION 1973-78(1978年5月5日 (1978-05-05)) SELECTION 1978-81(1981年9月1日 (1981-09-01)) IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987(1987年7月5日 (1987-07-05)) YES-YES-YES(1983年11月3日 (1983-11-03)) BEST COLLECTION(1985年8月31日 (1985-08-31)) BEST NOW OFF COURSE(1987年1月22日 (1987-01-22)) スーパー・ベスト30 さよなら(1989年1月25日 (1989-01-25)) バラード(1989年1月25日 (1989-01-25)) アコースティック(1989年1月25日 (1989-01-25)) レア(1989年1月25日 (1989-01-25)) SELECTION SUZUKI(1989年1月25日 (1989-01-25)) SELECTION ODA(1989年1月25日 (1989-01-25)) 君住む街へ 1984→1988(1989年2月1日 (1989-02-01)) SUMMER JUNCTION BEST FROM OFF COURSE(1989年6月7日 (1989-06-07)) スーパーベスト(1990年9月5日 (1990-09-05)) OFF COURSE Singles(1998年3月28日 (1998-03-28)) Off Course GREATEST HITS 1969-1989(1998年5月21日 (1998-05-21)) i(ai)(2006年12月6日 (2006-12-06)) ever(2015年12月16日 (2015-12-16)) 秋ゆく街で ⁄ オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート(1974年12月20日 (1974-12-20)) LIVE(1980年5月5日 (1980-05-05)) Off Course 1982・6・30 武道館コンサート40th Anniversary(2022年6月29日 (2022-06-29)) コンプリート・アルバム・コレクションCD BOX(2020年10月28日 (2020-10-28)) ザ・ジャネット ザ・バッド・ボーイズ Acoustic Beatles Club オフコースのカバー一覧 「言葉にできない」のカバー一覧 Template:小田和正 ISNI VIAF 日本 MusicBrainz 日本の男性シンガーソングライター 日本の男性ポップ歌手 日本の男性ロック歌手 日本のフォークシンガー 日本のロック・ギタリスト 静岡県出身の人物 オフコース バンダイ・ミュージックエンタテインメントのアーティスト 東京工業大学出身の人物 聖光学院中学校・高等学校出身の人物 1948年生 存命人物 ウィキデータにない公式ウェブサイト ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/20 20:17更新
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