露木茂アナウンサーの情報(つゆきしげる) アナウンサー/フジテレビ→フリー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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露木 茂さんについて調べます
■名前・氏名 |
露木茂と関係のある人
柏村武昭: 在学中は、当時露木茂(のちのフジテレビアナウンサー)なども所属していた早稲田大学放送研究会に所属。 根津ゆかり: 専攻はアナウンス実習(当時の講師は露木茂)。 内田恭子: 1年後輩の千野志麻はフジテレビアナウンサー時代からの友人で、結婚式では元上司の露木茂とともに司会を務めた(千野の結婚式には日枝久や村上光一などフジテレビ幹部やかつての同僚アナウンサーが出席した)。 舛方勝宏: 同アナウンス研究会に同時在籍していた先輩・後輩に鈴木史朗(3期先輩、元TBS)や久米宏(2期後輩、元TBS)、露木茂(2期先輩、フジテレビ)や永島信道(1期先輩、元フジテレビ)、逸見政孝(3期後輩、元フジテレビ)、松倉悦郎(3期後輩、元フジテレビ)がいた。 岩佐徹: 卒業後の1963年4月1日付で、露木茂(早稲田大学放送研究会の出身)や能村庸一(青山学院大学放送研究会の出身)と共に、アナウンサーとしてフジテレビに入社した。 鈴木史朗: 会友には露木茂や大沢悠里らがいた。 坪井章子: 露木茂のTOP情報 芳村真理: 芳村の、男性司会を立てつつ進行をしていくというスタイルは「くだけた感じの品位」という絶妙の雰囲気を番組にもたらし、各番組の長寿化を後押しする一助となった(特に「かくし芸」での高橋圭三とのコンビ、「FNS歌謡祭'78〜'86グランプリ」での露木茂とのコンビ、「料理天国」での西川きよしとのコンビ、「夜ヒット」での井上順とのコンビはそれぞれ約10年近くに渡る長期司会となった)。 タモリ: 1988年と1989年の全2回、タモリが総合司会を務めたFNSの日『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』のニュースパートとして放送された『タモリのニュースファクトリー』や『DATE LINEデラックス』や『スーパータイムデラックス』を進行アナウンサーの露木茂と担当(その他では、『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)のトークコーナー「テレフォンショッキング」でも何度も共演をしていた)。 福井敏雄: 同コーナーには3年連続で出演を果たし、タモリ・露木茂・逸見政孝・長野智子・明石家さんま・笑福亭鶴瓶らの笑いを誘った。 永島信道: 1988年からはテレビから離れ先輩の露木茂とともに新人アナウンサーの教育に専念。 千野志麻: 媒酌人は岡野光喜・スルガ銀行社長夫妻、披露宴の司会を務めたのはフジテレビ時代の上司の露木茂と先輩の内田恭子であった。 安原顕: 早稲田高等学院時代の学友には、露木茂、渡辺武(のち日本郵船)、昆田文彦(のち古河電工)らがいた。 野間脩平: 露木茂が退職後の2002年4月からの1年半はフジテレビの最年長アナウンサーだった。 梅田淳: 大学4年時にフジテレビのアナウンサー室で正社員アナウンサーとしての採用を直訴したところ、居合わせた露木茂から「フジテレビでは(牧原俊幸の)採用が決まってしまったが、お前は(系列局の)関西テレビに向いている。 逸見政孝: 告別式の営まれた12月27日には、露木茂が『スーパータイム』でニュースを読み上げた。 安藤優子: スーパータイムスペシャル(フジテレビ) - 共同司会(上田昭夫・黒岩祐治・露木茂とともに) 頼近美津子: 続いて露木茂と組んで『ニュースレポート11:30』を担当した。 竹下陽平: FNS系列局聖火リレーでは上司の露木茂のサポートランナーとして同期の佐々木、藤村両アナと共に富久町から河田町のフジテレビ本社まで伴走した) 久保田智子: 2002年4月からは入社3年目にして朝の情報番組『おはよう!グッデイ』のメインキャスターを元フジテレビアナウンサーで編成局専任局長だった露木茂と共に1年間務め、2003年からは『おはよう!グッデイ』の後枠番組としてスタートした『ウォッチ!』に先輩である土井敏之と1年間引き続きメインキャスターを務めた後に2004年3月29日より再び『はなまるマーケット』に再登板、斎藤哲也と共にアシスタントとして出演し、主に『とくまる』『はなまるカフェ』『水野真紀の気ままに1DAYレッスン』を担当していた。 二瓶正也: 元フジテレビアナウンサーの露木茂は中学校時代の同級生。 押坂忍: 2008年12月1日、アナウンサー生活50周年記念の「感謝の集い」が開かれ、露木茂・徳光和夫・小倉智昭・古舘伊知郎らが出席、祝福した。 松山香織: なお、FNNスーパータイム担当期間中に露木茂の代役して出演した堺正幸(当時のフジテレビアナウンサー、現フリーアナウンサー)は古巣・CBC時代の先輩である大石幼一(現相談役)と同じ慶應義塾大学法学部の同級生にあたる。 溝口泰男: ゆく年くる年(1980年、制作:日本テレビ・民放連共同) - 徳光和夫、渡辺謙太郎、露木茂、金子勝彦とメインパーソナリティーを務めた。 芳村真理: FNS歌謡祭'77〜'86グランプリ(1977年 - 1986年度、フジテレビ系)※相手役は関口宏→露木茂と交替 川端健嗣: フジテレビを代表する番組の司会進行をジャンル問わず先輩アナウンサーから多く引き継いでいることが多く、1994年に、前年に逝去した逸見政孝の後任としてバラエティ番組正月特番『タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ』の司会、2002年春から2006年秋まで、堺正幸の後任として報道番組『FNNスピーク』の平日メインキャスター、1996年 - 2004年まで、露木茂の後任として音楽番組特番『FNS歌謡祭』の総合司会を楠田枝里子とともに9年連続で務めた(ニューヨーク赴任中の2000年も、一時帰国して担当)。 岡元あつこ: 露木茂のHOTほっと土曜ワイド(文化放送) 飯塚治: 露木茂のHOTほっと土曜ワイド(1999年1月9日~12月18日 アシスタント) 芳村真理: 奥様スタジオ・小川宏ショー(1966年12月 - 1968年3月、フジテレビ系)※小川宏・露木茂と司会 小沢昭一: 12月14日に千日谷会堂で行われた本葬では生島ヒロシ、永六輔、乙武洋匡、加藤武、桂米團治、神津善行、黒柳徹子、篠田正浩、春風亭小朝、露木茂、長峰由紀、中村メイコ、野坂昭如、林家正蔵、林家三平、吉行和子ら850人が参列した。 |
露木茂の情報まとめ
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露木 茂(つゆき しげる)さんの誕生日は1940年12月6日です。東京出身のアナウンサーのようです。
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人物・エピソード、過去の担当番組などについてまとめました。テレビ、卒業、事件、事故、現在、ドラマ、家族、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。露木茂の現在の年齢は83歳のようです。
露木茂のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)露木 茂(つゆき しげる、1940年〈昭和15年〉12月6日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 元フジテレビのエグゼクティブアナウンサー。東京国際大学特命教授・客員教授。日本記者クラブ企画委員。 TBSスパークル(旧:キャスト・プラス)所属。妻は早稲田大学時代の同級生で同じ放送研究会に所属していた元NETテレビ(現:テレビ朝日)アナウンサーの軽部和子。 東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)出身。千代田区立麹町小学校、千代田区立麹町中学校、早稲田大学高等学院(早大学院)を経て早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。両親は、早大学院と並行して受験していた東京都立九段高等学校への進学を勧めており、入学金も支払っていたが、最終的には露木本人の意志で早大学院に進学している。 高校・大学時代はボート部、大学途中でアナウンス研究会に所属(当時の会友には大沢悠里、鈴木史朗、枇杷阪明、石川顕らがいた)する。6大学コンサートなどを通じて他の大学のアナウンス研究会員とも交流を持ち、特に徳光和夫と森本毅郎は数十年来の友人となった。 大学卒業後の1963年、アナウンサーとしてフジテレビに入社。同期入社のアナウンサーに岩佐徹、能村庸一らがいる。1970年には『小川宏ショー』での司会ぶりが評価され、第7回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞する。 『小川宏ショー』終了後は、昼の報道番組でキャスターを通算9年、夕方の報道番組でキャスターを5年、早朝・深夜の報道番組を1年ずつ務め、あさま山荘事件や日本航空123便墜落事故、中華航空140便墜落事故などが発生した際に、フジテレビの報道特別番組を担当した。この報道特別番組での功績が認められ、日本新聞協会賞を受賞する。 その傍ら、1978年から18回の長きに渡り『FNS歌謡祭』の総合司会を担当するなど、バラエティの分野でも活動した。その後はアナウンス部副部長、アナウンス部専任部長、編成局専任局次長、編成局専任局長、役員待遇メディア事業本部専任局長、役員待遇解説委員・エグゼクティブアナウンサーを歴任した。先輩の山田祐嗣が退職した1989年からは、フジテレビにおける最年長・最古参のアナウンサーだった。 フジテレビ在籍中には文化放送『露木茂のHOTほっと土曜ワイド』のパーソナリティを担当し、『小川宏ショー』で共演していた小川宏とともにテレビ朝日『徹子の部屋』(1976年5月5日)に出演したこともある。『徹子の部屋』に他局の現職アナウンサーが出演した唯一のケースである。また、『FNNニュースレポート11:30』で共演していた部下の小出美奈と共にTBS『クイズダービー』(1986年11月15日)にもギャンブラーで出演したこともある。 2002年に役員定年(契約満了)を迎えフジテレビを退職してフリーに転身し、同年4月から1年間、露木にとって初の他局レギュラー出演となるTBSテレビ『おはよう!グッデイ』の総合司会を務めた。 フジテレビ在籍中から日本大学芸術学部講師として「アナウンス実習」を担当し、その他にも日本大学文理学部講師(「情報社会論」担当)などの教職も務めた。フジテレビ退職後も、2002年4月から2011年3月まで東京国際大学国際関係学部の教授を務めたほか、2003年4月から2011年3月までは早稲田大学客員教授としてマスコミュニケーション論を担当した。 かつて、事件の立てこもり犯を説得したことがあると2017年にゲスト出演した『爆笑問題の日曜サンデー』にて語った。 現在はフリーの司会業や講演活動に加え、東京国際大学特命教授を務めるほか、日本記者クラブ企画委員として、日本記者クラブ主催討論会の司会も務めている。 人物・エピソード学生時代には学生バンドの司会、東京中日新聞の電話ニュースアナウンサーのアルバイトを経験する。特に学生バンドの司会は単価が高く、親の仕送りが不要になるどころか、学費すら賄えるほどの収入を得た。フジテレビの初任給は学生バイトの報酬より少なくがっかりしたと述懐している。在学中、直接の面識はなかったが、早稲田大学の後輩であるタモリは学生バンド司会経験者という共通点があり、タモリは露木を見かけるたび「先輩」と声をかけてきたという。 フジテレビの前に日本麦酒(後のサッポロビール)の内定を得ていた。露木が担当していたニュース番組でドライ戦争に関する特集を組んだ際、ビール会社を志望した理由について「ただでビールが飲めるだろうから」と語っていたが、実際は電話ニュースアナウンサーの先輩に倣ったものだった。 フジテレビへの入社は4月1日ではなく3月1日となっている。当時のフジテレビはニッポン放送と文化放送の共同出資で設立されてから年月が浅く、自社アナウンサーが不足しており、新人でも即戦力として仕事をせよと言われたためで、早大の在学末期からアナウンサー研修を受けていた。また、入社1年目にはTBSからヘッドハンティングを受けたことがある。 『鉄人28号』のオープニングで流れていた有名な台詞『てつじんにじゅうはちごう、ガオー』は露木の声であり、これがアナウンサーとしての初仕事であった。また、ナレーターや声優としての経験もある。 1969年にフジテレビの労働組合の執行委員となった際、当時の経営陣から執行委員を辞めるよう迫られ、拒否した結果、1970年3月31日の放送を最後にキャスターを担当していた『小川宏ショー』の降板を命ぜられた。しかし、番組終了直前にADから渡された「富士山上空で日航機がハイジャックされた」(日航機よど号ハイジャック事件)というニュース速報を見るや「ただいま日航機がハイジャックされたというニュースが入ってきました。今からその取材に行って参ります」と挨拶し、その日の放送を終了させた。これは露木の独断であったが、生放送中の発言のため撤回することもできず、上層部は彼にリポーターを任せざるを得なかった。翌日の放送からは現場リポートという形で出演を続け、事件の収束後、再びキャスターに返り咲いた。同年7月に任期満了で執行委員を退任したのと同時に、当時29歳という若さで報道局解説委員に任命されるが、この人事は前述の一件から経営陣より組合活動への参加を牽制する狙いがあったという。 1972年に連合赤軍あさま山荘事件で犯人逮捕人質救出作戦が行われた2月28日、司会兼リポーターとして出演していた『小川宏ショー』がスタートした9:00から夕方の『FNNニュース』が放送終了時刻の18:45まで現場からリポートしていた。本人の話によると「次の番組を飛ばしたから頑張ってくれ」という指示が本社から出続けたため、食事はおろかトイレにも行けず「一体いつになったら終わるのだろう…」と不安に駆られたという。またこの時、犯人からの銃弾が至近距離に着弾した。 日本航空123便墜落事故の際には、通算10時間以上も『FNN報道特別番組』の司会を務めた。
このニュースの音源は2005年8月21日放送のテレビ東京『上を向いて歩こう・坂本九物語』の台詞として使われ、2005年8月12日にフジテレビで放送された、日本航空123便墜落事故関連の再現ドラマ内で、当時の映像に露木本人が速報と報道特番で登場した姿がある。 またこの時、夏休みで大阪の実家へ帰省する予定だった逸見政孝も家族揃って123便への搭乗を検討したものの直前で東海道新幹線利用に切り替え九死に一生を得た。逸見は東京に戻って報道特番に出演することも考えたものの「いいとこ取りになる」と考え実家に残って露木の出演した報道特番を視聴することにした。後に逸見は著書の中で、露木のキャスターぶりを絶賛している。 1986年11月25日の『おはよう!ナイスデイ』の放送中に、有楽町で3億円の強奪事件が発生し、露木は報道センターから速報を伝えることになった。司会の桑原征平 と山田美也子が「フジテレビの報道デスクさん、新しい情報入って来ましたでしょうか?」と呼びかけて映像が切り替わると、飛び込んできたのは、スタッフと談笑し大爆笑中の露木の姿だった。すかさずスタジオに映像が戻り、桑原は苦笑しながら「露木さん、今非常に笑っておりますが、ちょっとこの連絡が、失礼いたしました、連絡がつかなかったようなんですけれど、えー、露木さん、本番前にちょっとリラックスされてたんでしょうかねぇ。失礼いたしました」と苦し紛れの弁明をし、桑原が「露木さん!」と再度呼びかけ再び報道デスクに映像が切り替わると、数秒前とは180度変わった大真面目な顔をし、「突然来たものですから」と弁解してニュースを伝えた。 多くのフジテレビの看板番組で司会を務めた芳村真理とは、1966年に芳村が『小川宏ショー』のアシスタントとして抜擢されて以降、何かと同局の大型番組でコンビを組むことが多く、私的にも親しい間柄とされている。特に年末の『FNS歌謡祭』では1978年から関口宏に代わる男性司会者として抜擢されて以来、9年連続でコンビを組み、同番組の黄金期を共に支えた。
アナウンス部長時代には中井美穂、有賀さつき、河野景子、八木亜希子、木幡美子、佐藤里佳、田代尚子、大坪千夏、松井みどり、近藤サト、中村江里子、小島奈津子、西山喜久恵など後に活躍する「女子アナブーム」の主役たちの採用を決めた責任者だった。また仕事柄で芸能関係者と交流がある彼は、新人女性アナウンサーがデビューする頃、タモリや笑福亭鶴瓶などの芸能関係者に「もうすぐ新人が世話になるからよろしくね」と毎年挨拶していた。1988年頃から新人アナウンサーの教育係を担当。 『FNNスーパータイム』の最終回で、自局のドラマプロデューサー・塩澤浩二が逮捕されたニュースの際、「『スーパータイム』最後の日に、私共身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなくてはならないというのは大変情けない」と、自局の不祥事ながらもバッサリと斬り捨てた。 1998年4月から1年間、早稲田大学の大学院に通い、メディアと社会の関係についての講義を受講した。 定年目前の1999年11月、同局の公金を横領したとの疑惑が浮上。政界への工作資金と報道され、当時司会を務めていた『報道2001』を降板し、前任者の黒岩祐治と交代したが、2002年3月までの間は役員待遇の為定年延長となりフジテレビに在籍した。その後は2007年11月にドラマ『SP』に元総理大臣役で古巣のフジテレビの番組に4年7ヶ月ぶりに出演した。2008年には8月に『カスペ!フジテレビアナウンサー全員集合!超真剣女子アナvs男子アナ完全決着〜アナ☆ログSP〜』にVTRで出演し、11月に『ウチくる!?』などに出演している。 過去の担当番組報道・情報番組の出演経歴(フリー転身後も含めて) 小川宏ショー(5月 - 1970年3月、1975年10月 - 1981年3月、サブ司会) - 1966年11月までは、土曜日も放送 サンケイテレニュースFNN(4月 - 1982年3月、平日昼枠での担当キャスター) 月 - 木曜日担当(1988年4月 - 1991年3月) FNNニュースレポート11:30(4月 - 1987年3月、メインキャスター) 日曜TOP情報(4月 - 1987年3月、総合司会) FNNニュース工場(4月 - 同年9月、平日メインキャスター) FNN DATE LINE(10月 - 1988年3月、平日メインキャスター) FNNスピーク(4月 - 1991年3月、月 - 木曜日メインキャスター) ニュースバスターズ(4月 - 同年9月11日、MC) おめざめ天気予報(4月 - 1992年3月27日、ニュースコーナーキャスター) FNN World Uplink(4月 - 1992年3月、総合司会) ニュース&ウェザー(3月30日・31日、ニュースコーナーキャスター) FNNスーパータイム(4月 - 1997年3月、平日メインキャスター) - 以前は、逸見政孝の代行メインキャスターを担当 ビッグトゥデイ(10月 - 1997年3月、ニュースコーナーキャスター) 報道2001(4月 - 1999年11月14日、総合司会) おはよう!グッデイ(TBS、4月 - 2003年3月、総合司会) - フリー転身後最初の出演番組 報道ライブ21 INsideOUT(BS11、4月 - 2016年3月、総合司会) - 月 - 木曜日での放送 バラエティ・特別番組の出演経歴(フリー転身後も含めて) 鉄人28号(オープニングのセリフ) オリンピックへの道 世界の窓 ○曜ナイター - 実況アナのアシスタント スター千一夜 紅白スタージェスチャー(1969年4月 - 7月) ※本人にとって初のバラエティ番組。 モーレツ欲張りゲーム(1969年7月 - 11月) 夕やけニャンニャン(1985年8月・1986年8月) - 報道センターからのニュースコーナー(逸見政孝の代理) スーパータイムスペシャル - 総合司会 スターどっきり秘報告 志村けんのだいじょうぶだぁ - ナレーション FNS番組対抗NG名珍場面大賞 - 編成局専任局長の肩書きで出演。 世界ゴッタ煮偉人伝(2000年4月 - 9月) 笑っていいとも!増刊号(1984年12月2日・1990年4月8日・1999年8月29日) FNS歌謡祭(毎年12月放送、1978年 - 1995年) ※18年連続総合司会 FNS27時間テレビ(FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島・27時間テレビ、1987年 - 1991年、1994年 - 2000年)
フジテレビ30年史(1988年3月31日) - 楠田枝里子・明石家さんまと司会 ザッツお台場エンターテイメント! 『第1夜・歌番組の38年』(1997年3月31日) - 司会 あっぱれさんま大先生 スペシャル(1995年9月21日) - 『あっぱれスーパータイム』コーナー オレたちひょうきん族(1986年4月頃より不定期) - 『ひょうきん私の秘密』進行役 ハイスクール!奇面組 第50話(1986年) - キャスター 役(声の出演) アナウンサーぷっつん物語(1987年) - 本人役 サザエさん スペシャル(1994年10月16日) - 声の出演 こちら葛飾区亀有公園前派出所スペシャル『大ハード!両津勘吉は2度死ぬ』(1998年7月5日) - 本人役(声の出演) NONTV(TBS) - 不定期 流星倶楽部 第47・48話『老星は死せず』(弘兼憲史原作「黄昏流星群」より)(朝日放送・文化放送) - 主人公・月岡貞一 役 SP(エス・ピー) 第2・3・4話『元内閣総理大臣を警護せよ』 - 元総理大臣・加藤純三 役 オジサンズ11(日本テレビ、2007年10月 - 2008年9月) 今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王(テレビ朝日)- 不定期ゲスト 露木茂の「ニュース映画で見る昭和」(ヒストリーチャンネル、2008年 - 2009年) ボクらの時代(2009年3月29日) ※早稲田大学の先輩・鈴木史朗、山本文郎と共演。 露木茂のアロハスピリッツ(JCOM) おわこんTV(NHK BSプレミアム、2014年7月 - 8月) - オープニングナレーション ※文化庁芸術祭参加作品 アナテレビ(NHK総合・2023年5月3日) - 特別ゲスト。 露木茂のHOTほっと土曜ワイド(文化放送、1999年1月9日 - 12月18日) 2024/06/11 09:12更新
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tsuyuki shigeru
露木茂と同じ誕生日12月6日生まれ、同じ東京出身の人
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