高島俊男の情報(たかしまとしお) 中国文学者、エッセイスト 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
高島 俊男さんについて調べます
■名前・氏名 |
高島俊男と関係のある人
藍川由美: (岡崎久彦・蔡焜燦・遠藤浩一・藍川由美・福田逸・高島俊男・桶谷秀昭・稲田朋美・鷲尾英一郎・小堀桂一郎・笹原宏之・松本徹・市村真一・早川聞多・土田龍太郎)『今昔秀歌百撰』(特定非営利活動法人文字文化協會 2012年) 駒田信二: 高島俊男によると、捕虜になって死刑宣告を受けたのは気を失っている間に捕らえられ、日本軍に味方した中国人(漢奸)と思いこまれてしまっていくら説明しても信じてもらえなかったからとのことで、「小説に書かれては」と高島が言ったところ「あまりに奇妙すぎて小説にならない(小説としてリアリティに欠ける、の意)」と述べたという(『本と中国と日本人と』、ちくま文庫)。 東海林さだお: 高島俊男も東海林の文章を「二十世紀日本の文章の天才をたった一人あげろ、と言われたらわたくしは、『太宰治』と答えるに躊躇しない者であるが、それにつぐのはあるいは東海林さだおではないか、と思っている」と、激賞している。 野口武彦: 『「源氏物語」を江戸から読む』で、村田春海の著として論じた「源語提要」は、五井蘭洲の著であることを中村幸彦が既に指摘しており、また『忠臣蔵』では、言葉の使い方がおかしいと、高島俊男から指摘されている。 井波律子: 高島俊男が幸田露伴の「運命」について、ネタ本を訓読しただけだと批判したのに対し、直接高島の論には触れず、露伴は取捨選択していると賞賛している(「幸田露伴の中国小説」『文学』2005年1・2月)。 藤田宙靖: 高島俊男『漢字と日本人』、金谷武洋『日本語に主語はいらない』、ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』、ロバート・S・マクナマラ『マクナマラ回顧録』、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』。 幸田露伴: これらの評価については、『運命』は谷崎潤一郎らの絶賛を博したが、高島俊男は中国の史書の丸写しに過ぎないと批判している。 |
高島俊男の情報まとめ
高島 俊男(たかしま としお)さんの誕生日は1937年1月16日です。兵庫出身の中国文学者、エッセイストのようです。
卒業、趣味、母親、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2021年に亡くなられているようです。
高島俊男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)高島 俊男(たかしま としお、1937年〈昭和12年〉1月16日 - 2021年〈令和3年〉4月5日)は、日本の中国文学者、エッセイスト。兵庫県相生市出身。 1942年4月:兵庫県相生の那波(なば)幼稚園入園(黄組(きいぐみ)) 相生市立那波小学校、相生市立那波中学校、兵庫県立姫路東高等学校卒業。 東京大学経済学部卒業。 東京大学文学部中国文学科卒業。 東京大学大学院人文科学研究科修了。 東京大学経済学部を卒業後、銀行に5年勤めたが、大学院人文科学研究科中国文学科に入り、前野直彬らの指導の下で学んだ。文革後の中国文学、唐詩、「水滸伝」などの研究が中心。 岡山大学助教授を務めていたが、1989年に辞職。以降は在野の研究者だが、1994年-1997年には愛知大学で非常勤講師として中国近現代文学を講義している。 1991年、『水滸伝』を論じた『水滸伝と日本人 江戸から昭和まで』で第5回大衆文学研究賞受賞。1995年、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』で第11回講談社エッセイ賞。 『週刊文春』誌上で1995年5月4・11日号から2006年8月17・24日号まで11年にわたって「言葉の語源や、本来の正しい使い方、などについて」の連載エッセイ「お言葉ですが…」を連載した。連載最末期の部分は、文藝春秋が刊行を拒んだため、連合出版から刊行された。2007年、草思社の公式サイト「草思WEB」で「新・お言葉ですが…」を再開するが諸般の事情により10号で休載する。2008年1月からは文藝春秋の月刊誌『諸君!』に「退屈老人雑録」を連載していた(2009年6月号で「諸君!」が休刊したのに伴い、「退屈―」も18号で休載)。 2001年には夏目漱石が漢文で書いた旅行記「木屑録」を口語訳した『漱石の夏やすみ 房総紀行<木屑録>』で第52回読売文学賞随筆・紀行賞を受賞。 晩年は眼病を患い、執筆活動は口述筆記に頼るようになった。 2021年4月5日、心不全のため死去、84歳。2023年3月5日、相生市陸本町の駅南第二公園に高島の顕彰碑(揮毫は友人であった影山輝國・実践女子大学名誉教授)が設置された。碑文には「人とはちがふ道を歩く」と刻まれた。 囲碁が趣味で、「お言葉ですが…」の連載中もたびたび囲碁の話題に触れていた。 SF作家の野田昌宏は『水滸伝の世界』を読んで感嘆し、「この人はスペース・オペラの面白さがわかる人ではないか」と考えて手紙を出し、親しく文通していたことがある。また、高島は『水滸伝と日本人』のあとがきで、母親が死んだ後、いきなり丸谷才一や野田を訪ねたことを書いている。 評論などで日本語、漢字、漢文訓読文について述べている。 『漢字と日本人』において、「漢字は本来、シナ語を表記するための言葉であり、日本語を表記するのには適さない。もし中国の言語・文字が入ってこなければ日本語は健全に成熟し、いずれ、やまとことばに適した文字を生み出していたに違いない。それが、まったく違う言葉と文字の『侵入』によって、日本語は発育を阻止され、音だけでは意味が通じない、文字を見なければ伝達できない言葉ができあがってしまった」、「そのため、日本語本来のやまとことば(和語)を表記するのに漢字を使うのは不自然である。まして、やまとことばを漢字で表記する際に複数の漢字の候補がある場合、『どの漢字が正しいのか』と議論するなど滑稽きわまりない」としている。ただし、上記の理由から、漢字なしでは論理的かつ効率的な文章を構成することもできないとして、漢字廃止論も否定している。また、単語や文章の意味が変わったり、不明になったりすることから、旧字体を新字体に置き換えることを批判している。 白川静の漢字学について、白川と藤堂明保との論争を分析した『お言葉ですが…別巻3』において、白川の漢字学を「いたって程度の低いもの」と批判している。 『漱石の夏やすみ』において漱石の漢文作品「木屑録」を現代語訳し、今日でも使われている漢文の読み下し「漢文訓読文」は江戸末期に成立した日本語として半端なものであるとしている。 中国史に関連して次のような主張をしている。 『中国の大盗賊』において、中国の民衆反乱を緻密に分析し、盗賊による建国に付いて述べたエリック・ホブズボームの分析を基に「中国の王朝末期に起こる反乱軍は、多数の流民をひきつれた『盗賊』であり、その最終勝者が次の王朝を開く。前漢の劉邦は元祖盗賊皇帝というべき人物である。明の朱元璋もそうである。太平天国の乱の洪秀全は盗賊から成り上がって皇帝に即位したものの、ライバルの曽国藩に倒され失敗した皇帝である。そして盗賊の最後にしてキワメツケなのが毛沢東だ。毛沢東は過去の盗賊のやり方に多く習っている」と論じた。なお、同書でいう『盗賊』とは日本で言う盗人ではなく、ときには日本全土より大きな支配権を持った在野の武装組織の意である。高島は「盗賊が、行政文書作成に長けた知識人の参画、運送業者・行商人の参加を得、職のない食えない農民をかき集め、略奪をしなくなり、彼ら彼女らを上手く食わせた人間が皇帝になる」と論じた。 『お言葉ですが―別巻2』に収録された論文「宋江実録」において、『水滸伝』作中の首領である宋江が実際に「方臘の乱平定戦に参加した」と史料にあるが、これは『水滸伝』を読んだ後世の文人によって加筆されたものであると論じている。 文芸作品について次のような評論をしている。 『メルヘン誕生』では、向田邦子の代表作『父の詫び状』の舞台となっている家庭環境が「戦前の標準的な家庭」として描かれていて、一般読者からもそう受け取られているが、実は非常にエリートの特殊なものであると論じている。 『しくじった皇帝たち』の後半で、幸田露伴後期の代表作とされる歴史小説『運命』を批判し「漢文の原作(『明史紀事本末』)をただ、漢文書き下し文で翻訳したのみであり、文学的な価値はない」とし、返す刀で露伴の文体を賞賛している著名人たちをも酷評している。 野口武彦の中国語版『忠臣蔵』を「言葉の使い方がおかしい」と指摘し、「這一本所說的是。有一位諸侯。為一件鬥毆上特特送了性命。(この本が物語るのは、ある高位の諸侯が特上の暴力によって命を落としたお話である。)」とすべきと主張した。 1991年(平成3年)第5回大衆文学研究賞 研究・考証部門(『水滸伝と日本人―江戸から昭和まで』) 1995年(平成7年)講談社エッセイ賞(『本が好き、悪口言うのはもっと好き』) 2001年(平成13年)読売文学賞随筆・紀行賞(『漱石の夏やすみ』) 『お言葉ですが…』1996年 文藝春秋 ISBN 978-4163521107、1999年 文春文庫 ISBN 978-4167598020 『お言葉ですが…「それはさておき」の巻』1998年 文藝春秋 ISBN 978-4163537702
『お言葉ですが…〈3〉せがれの凋落』1999年 文藝春秋 ISBN 978-4163547404
『お言葉ですが…〈4〉猿も休暇の巻』2000年 文藝春秋 ISBN 978-4163560007
『お言葉ですが…〈5〉キライなことば勢揃い』2001年 文藝春秋 ISBN 978-4163570907、2004年 文春文庫 ISBN 978-4167598068 『お言葉ですが…〈6〉イチレツランパン破裂して』2002年 文藝春秋 ISBN 978-4163581705、2005年 文春文庫 ISBN 978-4167598075) 『お言葉ですが…〈7〉漢字語源の筋ちがい』2003年 文藝春秋 ISBN 978-4163596006、2006年 文春文庫 ISBN 978-4167598082 『お言葉ですが…(8) 百年のことば』2004年 文藝春秋 ISBN 978-4163656908
『お言葉ですが…〈9〉芭蕉のガールフレンド』2005年 文藝春秋 ISBN 978-4163667508、2008年 文春文庫 ISBN 978-4167598105 『お言葉ですが…〈10〉ちょっとヘンだぞ四字熟語』2006年 文藝春秋 ISBN 978-4163679808、2009年 文春文庫 ISBN 978-4167598112 『お言葉ですが…第11巻』2006年 連合出版 ISBN 978-4897722146
『お言葉ですが…〈別巻1〉』2008年 連合出版 ISBN 978-4897722313 『お言葉ですが…〈別巻2〉』2009年 連合出版 ISBN 9784897722436。改訂版 2015年 ISBN 978-4897722894 『お言葉ですが…〈別巻3〉漢字検定のアホらしさ』2010年 連合出版 ISBN 978-4897722528。改訂版 2015年 ISBN 978-4897722924 『お言葉ですが…〈別巻4〉ことばと文字と文章と』2011年 連合出版 ISBN 978-4897722610 『お言葉ですが…〈別巻5〉漢字の慣用音って何だろう?』2012年 連合出版 ISBN 978-4897722689 『お言葉ですが…〈別巻6〉司馬さんの見た中国』2014年 連合出版 ISBN 978-4897722863 『お言葉ですが…〈別巻7〉本はおもしろければよい』2017年 連合出版 ISBN 978-4897722986 『「最後の」お言葉ですが…』2023年、ちくま文庫 『李白と杜甫―その行動と文學―』1972年 評論社 ISBN 978-4061592919 - 最初の著書
『声無き処に驚雷を聴く―「文化大革命」後の中国文学』1981年 日中出版 ISBN 978-4817510761 『文学の自立を求めて―今日の中国文学を読む』1983年 日中出版 ISBN 978-4817511133 『水滸伝の世界』1987年 大修館書店 ISBN 978-4469230444
『中国の大盗賊 天下を狙った男たち』1989年 講談社現代新書 ISBN 978-4061489721
『独断!中国関係名著案内』1991年 東方書店 ISBN 978-4497903129
『水滸伝と日本人―江戸から昭和まで』1991年 大修館書店 ISBN 978-4469230765
『三国志[人物縦横談]』1994年 大修館書店 ISBN 978-4469230970
『本が好き、悪口言うのはもっと好き』1995年 大和書房 ISBN 9784479390336 『ほめそやしたりクサしたり』1998年 大和書房 ISBN 978-4479390602 『寝言も本のはなし』1999年 大和書房 ISBN 978-4479390664 『水滸伝人物事典』1999年 講談社 ISBN 978-4062058889。編著 『メルヘン誕生―向田邦子をさがして』2000年 いそっぷ社 ISBN 978-4900963139 『漱石の夏やすみ―房総紀行「木屑録」』2000年 朔北社 ISBN 978-4931284487
『漢字と日本人』2001年 文春新書 ISBN 978-4166601981 『座右の名文―ぼくの好きな十人の文章家』2007年 文春新書 ISBN 978-4166605705 『しくじった皇帝たち』2008年 ちくま文庫 ISBN 978-4480423993 『天下之記者―「奇人」山田一郎とその時代』2008年 文春新書 ISBN 978-4166606214 『漢字雑談』2013年 講談社現代新書 ISBN 978-4062882002 『漢字と日本語』2016年 講談社現代新書 ISBN 978-4062883672 ^ “中国文学者の高島俊男氏死去 辛口エッセー「お言葉ですが…」シリーズが人気”. 産経新聞. (2021年4月5日). https://www.sankei.com/article/20210405-WWDDSPNVOVIN7IWI5YBAJEETEA/ 2021年4月5日閲覧。 ^ Takashima, Toshio; 高島俊男. (2023). Saigo no okotoba desuga. Tōkyō: Chikumashobō. ISBN 978-4-480-43863-8. OCLC 1370536355. https://www.worldcat.org/oclc/1370536355 ^ 駅南第二公園の顕彰碑の記載による。 ^ 連合出版ホームページ ^ 「歩く」の字は新字体の歩ではなく、旧字体:步(右の点がない)の形で作られている。 ^ 「高島氏の功績たたえる碑」読売新聞2023年3月6日付朝刊地域面(播磨姫路) ^ 野田昌宏『新版 スペース・オペラの書き方』(早川書房、1994年、p.127)ISBN 978-4150304096 ^ 『漢字と日本人』p.14-15 。 ^ 『漢字と日本人』p.85-88 。 ^ 『漢字と日本人』p.169-192 。 ^ これは師の前野直彬から受け継いだ説を少し変形したものである。前野『精講漢文』ちくま学芸文庫では、「現在の漢文訓読は江戸時代の学者が原語直訳調にしたものであり、それ以前は「細細腰支」を「さいさいとほそやかなるようしのこし」と読むような『文選読み』という日本語の古文らしい読み方をしていたとしている。文選読みの実例は『デジタル大辞泉』文選読みの項によった。 ^ 『中国の大盗賊』には、序章「盗賊」とはどういうものか、としてページを割いて詳述されている。『中国の大盗賊・完全版』(講談社現代新書 2004年 ISBN 4-06-149746-4)ではp.10-57 。 ^ テレンス・レンジャーとの共著『創られた伝統』(紀伊國屋書店, 1992年)で著名。高島2004では「この人は盗賊研究家で、全世界の盗賊を調べている」と高く評価している。 ^ 行政組織を作るために官僚予備軍が必要であり、科挙の落第生や政府に不満を持つ下級官吏などがそれにあたる。具体例をあげれば漢の蕭何、明の劉基で、何れも下級官吏から宰相の座に駆け上がっている。高島2004 ^ 高島俊男『お言葉ですが・・・』ISBN 978-4163521107 ^ 『海外奇談』序文より 高島俊男 お言葉ですが…最新版 - ウェイバックマシン(2016年9月15日アーカイブ分) ブログ(2020年6月30日で終了)、※現在は閉鎖 高島俊男さんの本 - 著書リスト。連合出版内のページ 高島 俊男. “新・お言葉ですが…”. WEB草思. 2009年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月5日閲覧。 表 話 編 歴 第1回 (1985年) 野坂昭如 「我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ」 ・ 沢木耕太郎 「バーボン・ストリート」 第2回 (1986年) 吉行淳之介 「人工水晶体」 ・ 景山民夫 「One fine mess」 第3回 (1987年) 尾辻克彦 「東京路上探険記」 第4回 (1988年) 嵐山光三郎 「素人庖丁記」 第5回 (1989年) 永倉万治 「アニバーサリー・ソング」 第6回 (1990年) 早坂暁 「公園通りの猫たち」 第7回 (1991年) 伊藤礼 「狸ビール」 ・ 須賀敦子 「ミラノ 霧の風景」 第8回 (1992年) 柴田元幸 「生半可な学者」 ・ 出久根達郎 「本のお口よごしですが」 第9回 (1993年) 林望 「林望のイギリス観察辞典」 ・ 和田誠 「銀座界隈ドキドキの日々」 第10回 (1994年) 池内紀 「海山のあいだ」 第11回 (1995年) 東海林さだお 「ブタの丸かじり」 ・ 高島俊男 「本が好き、悪口言うのはもっと好き」 第12回 (1996年) 鹿島茂 「子供より古書が大事と思いたい」 ・ 関容子 「花の脇役」 第13回 (1997年) 米原万里 「魔女の一ダース」 第14回 (1998年) 六嶋由岐子 「ロンドン骨董街の人びと」 第15回 (1999年) 檀ふみ ・ 阿川佐和子 「ああ言えばこう食う」 ・ いとうせいこう 「ボタニカル・ライフ 植物生活」 第16回 (2000年) 四方田犬彦 「モロッコ流謫」 第17回 (2001年) 小池昌代 「屋上への誘惑」 ・ 坪内祐三 「慶応三年生まれ七人の旋毛曲り」 第18回 (2002年) 該当作なし 第19回 (2003年) 到津伸子 「不眠の都市」 ・ 関川夏央 「昭和が明るかった頃」 第20回 (2004年) 荒川洋治 「忘れられる過去」 ・ 酒井順子 「負け犬の遠吠え」 第21回 (2005年) アーサー・ビナード 「日本語ぽこりぽこり」 第22回 (2006年) 野崎歓「赤ちゃん教育」・福田和也「悪女の美食術」 第23回 (2007年) 青山潤「アフリカにょろり旅」・岸本佐知子「ねにもつタイプ」 第24回 (2008年) 立川談春「赤めだか」 第25回 (2009年) 青柳いづみこ「六本指のゴルトベルク」・向井万起男「謎の1セント硬貨」 第26回 (2010年) 長島有里枝「背中の記憶」・山川静夫「大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし」 第27回 (2011年) 内澤旬子「身体のいいなり」・内田洋子「ジーノの家 イタリア10景」 第28回 (2012年) 平松洋子「野蛮な読書」 第29回 (2013年) 小川恵「銀色の月 小川国夫との日々」・永田和宏「歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年」 第30回 (2014年) 末井昭「自殺」 第31回 (2015年) ジェーン・スー「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」 第32回 (2016年) 横尾忠則「言葉を離れる」 第33回 (2017年) 小泉今日子「黄色いマンション 黒い猫」・穂村弘「鳥肌が」 第34回 (2018年) こだま「ここは、おしまいの地」・高橋順子「夫・車谷長吉」 ISNI VIAF WorldCat ノルウェー ドイツ アメリカ 日本 チェコ 韓国 CiNii Books CiNii Research IdRef 中国文学者 日本の文学研究者 20世紀日本の随筆家 21世紀日本の随筆家 読売文学賞受賞者 講談社エッセイ賞受賞者 江戸時代の中国系文化 岡山大学の教員 東京大学出身の人物 兵庫県出身の人物 1937年生 2021年没 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/20 18:07更新
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