もしもし情報局 > 8月22日 > 作家

幸田露伴の情報 (こうだろはん)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

幸田露伴の情報(こうだろはん) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

幸田 露伴さんについて調べます

■名前・氏名
幸田 露伴
(読み:こうだ ろはん)
■職業
作家
■幸田露伴の誕生日・生年月日
1867年8月22日 (年齢1947年没)
卯年(うさぎ年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
東京出身

幸田露伴と同じ1867年生まれの有名人・芸能人

幸田露伴と同じ8月22日生まれの有名人・芸能人

幸田露伴と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


幸田露伴と関係のある人

樋口一葉: 田辺花圃の紹介で、これまでとはスタイルの異なる幸田露伴風の理想主義的な小説『うもれ木』を雑誌『都之花』に発表。


尾崎紅葉: 幸田露伴とともに明治期の文壇の重鎮となり、この時期は紅露時代と呼ばれた。


斎藤緑雨: 戒名は春暁院緑雨醒客居士(幸田露伴の撰)。


三木清: この名をつけたのは幸田露伴である。


川村二郎: 特に泉鏡花を愛好し、幸田露伴の『幻談』などの再評価にも一役買った。


山田風太郎: 原胤昭、幸田露伴、細谷十太夫、横川省三、鈴木音高、井上伝蔵、岩村高俊、新島襄が登場)は明治19年から20年が舞台。


郡司成忠: 報效義会の関係者が1919年建立した石碑「志士之碑」(幸田露伴揮毫)が、弾痕だらけといえども現存していることが確認されている。


沢柳政太郎: 同級には狩野亨吉、上田萬年、幸田露伴、尾崎紅葉などがいた。


青木奈緒: 随筆家青木玉の娘、幸田文の孫、幸田露伴の曾孫。


屋良有作: 帝都物語(幸田露伴


水上勉: 『城』では堀口伝右衛門という人物の残した「拾椎実記」、『蓑笠の人』では「越佐草民宝鑑」、『一休』では元禄年間の刊行物を元に書かれたという「一休和尚行実譜」といった創作文書を軸にしているところに共通点があり、幸田露伴の「虚言を束し来たって歴史あり」という言葉を方法論としていることを語っている。


幸田延: 兄に大日本帝国海軍軍人である郡司成忠と作家の幸田露伴、弟に歴史学者の幸田成友、妹にヴァイオリニストの安藤幸がいる著名人一家で、猷から三味線に見立てた二尺差しと裁縫のへらを延に持たせて、針仕事をしながら長唄の手ほどきを受けた。


中野孝次: 『自分を活かす “気” の思想 幸田露伴『努力論』に学ぶ』(集英社新書) 2001


徳富蘇峰: 会は毎月第2土曜日に開かれ、気鋭の文筆家たちが酒なしで夕食をともにし、食後に1人ないし2人が文学について語り、また参加者全員で雑談するという会合で、坪内逍遥や森鷗外、幸田露伴などが参加した。


北杜夫: 斎藤茂吉も生前の全集刊行で、親子で生前に全集を完成させた最初の例となった(死後刊行では幸田露伴・文親娘がいる)。


鈴木鎮一: 旅に使われた船のサロンにはピアノがあり、旅に同行していたピアニストの幸田延(幸田露伴の妹)の伴奏で鎮一はバイオリンの演奏を披露したりした。


幸田文: 幸田露伴次女。


子安武人: 文豪とアルケミスト(幸田露伴


青木玉: 翌年、幾之助は肺壊疽のため手術を受け回復するも、文と玉は幸田露伴の家に戻り、協議離婚した。


国木田独歩: これらの作品は後に、1905年に『独歩集』、1906年に『運命』と纏められて刊行され、高く評価されたが、作品発表当時の文壇はまだ尾崎紅葉と幸田露伴が主流の、いわゆる「紅露時代」であり、時代に早過ぎた独歩の作品はあまり理解されず、文学一本では生計を立てられなかった。


斎藤茂吉: 幸田露伴、森鷗外などを愛読。


上田萬年: 東京府第一中学変則科(現・都立日比谷)の同期には、澤柳政太郎、狩野亨吉、岡田良平、幸田露伴、尾崎紅葉らがいた。


青木玉: 幸田露伴の孫、幸田文の一人娘。


樋口一葉: 1896年(明治29年)には『文藝倶楽部』に『たけくらべ』が一括掲載されると、森鷗外や幸田露伴は同人誌『めさまし草』で一葉を高く評価した。


南方熊楠: 当時の共立学校は大学予備門(のちの東京大学)入学を目指して主として英語によって教授する受験予備校の一校で、クラスメートに幸田露伴の弟の成友らもおり、高橋是清からも英語を習った。


平井英子: 7歳で幸田露伴の妹幸田延子に師事しピアノを学ぶ。


斎藤緑雨: 樋口一葉の真価を理解評価し、森鷗外・幸田露伴とともに「三人冗語」で紹介した一人である。


郡司成忠: 小説家の幸田露伴、日本史学者の幸田成友は弟。


井波律子: 高島俊男が幸田露伴の「運命」について、ネタ本を訓読しただけだと批判したのに対し、直接高島の論には触れず、露伴は取捨選択していると賞賛している(「幸田露伴の中国小説」『文学』2005年1・2月)。


森鴎外: 小林勇によると晩年の幸田露伴は鷗外について、「森という男は恐ろしく出世したい根性の人だった」「森という男は蓄財の好きなやつさ。


幸田露伴の情報まとめ

もしもしロボ

幸田 露伴(こうだ ろはん)さんの誕生日は1867年8月22日です。東京出身の作家のようです。

もしもしロボ

卒業、結婚、病気、再婚、現在、家族、兄弟、趣味、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1947年に亡くなられているようです。

幸田露伴のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日(慶応3年7月23日) - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の小説家、考証家。本名は成行(しげゆき)。別号に蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都)下谷生れ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。

『風流仏』で評価され『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また漢文学、日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。旧来「露伴、漱石、鷗外」と並び称され、日本の近代文学を代表する作家の一人である。

1867年8月22日(慶応3年7月23日)、武蔵国江戸下谷三枚橋横町(現東京都台東区)に四男として生を受ける。父は幕臣の幸田利三(成延(しげのぶ))で、母は猷(ゆう)。幸田家は江戸時代、大名の取次を職とする表御坊主衆であった。幼名は鉄四郎。 もともと病弱であり、生後27日目にして医者の世話になるなど、幼時は何度も生死の境をさまよったことがあった。翌年、上野戦争が起こったため、浅草諏訪町に移る。

下谷に戻った後、神田に落ち着いた。下谷泉橋通りの関千代(書家・関雪江の姉)の塾で手習い、御徒士町の會田某の塾で素読を学んだ。1875年(明治8年)、千代の勧めで東京師範学校附属小学校(現筑波大附属小)に入学。このころから草双紙、読本を愛読するようになった。

卒業後の1878年(明治11年)、東京府第一中学(現都立日比谷高校)正則科に入学する。尾崎紅葉、上田萬年、狩野亨吉らと同級生であった。のちに家計の事情で中退し、数え14歳で、東京英学校(現青山学院大学)へ進むが、これも途中退学。東京府図書館に通うようになり、淡島寒月を知った。また兄・成常の影響で俳諧に親しみ、さらに菊地松軒の迎羲塾では、遅塚麗水とともに漢学、漢詩を学んだ。

数え16歳の時、給費生として逓信省官立電信修技学校(後の逓信官吏練習所)に入り、卒業後は官職である電信技師として北海道余市に赴任。現地の芸者衆に人気があったと伝えられるが、坪内逍遥の『小説神髄』や『当世書生気質』と出会った露伴は、文学の道へ志す情熱が芽生えたと言われる。そのせいもあり、1887年(明治20年)職を放棄し帰京。この北海道から東京までの道程が『突貫紀行』の題材である。また、道中に得た句「里遠しいざ露と寝ん草枕」から「露伴」の号を得る。

免官の処分を受けたため父が始めた紙店愛々堂に勤め、一方で井原西鶴を愛読した。この頃「好色五人女」の写本を書いている。1889年(明治22年)、露伴は「露団々」を起草し、この作品は淡島寒月を介して『都の花』に発表された 。これが山田美妙の激賞を受け、さらに『風流佛』(1889年)、下谷区の谷中天王寺をモデルとする『五重塔』(1892年)などを発表し、作家としての地位を確立する。

1894年(明治27年)、腸チフスに罹り生死をさまよったが、翌年に結婚。それ以降の数年で『ひげ男』(1896年)『新羽衣物語』(1897年)『椀久物語』(1899年~1900年)を発表。また当時としては画期的な都市論『一国の首都』(1899年)『水の東京』(1901年)も発表する。

この頃に同世代の尾崎紅葉ととも「紅露時代」と呼ばれる黄金時代を迎える。「写実主義の尾崎紅葉、理想主義の幸田露伴」と並び称され明治文学の一時代を築いた露伴は、近代文学の発展を方向づけたとされる。また尾崎紅葉・坪内逍遥・森鷗外と並んで「紅露逍鴎時代」と呼ばれることもある。

1904年(明治37年)、それまで何度も中絶のあった「天うつ浪」の執筆が途絶えた。これ以後、主に史伝の執筆や古典の評釈に主眼を移した。史伝の作品としては「頼朝」「平将門」「蒲生氏郷」などがある。一方、井原西鶴や『南総里見八犬伝』を評釈し、沼波瓊音、太田水穂ら芭蕉研究会の6人との共著『芭蕉俳句研究』を出した。1920年(大正9年)には『芭蕉七部集』の注釈を始め、17年かけて晩年の1947年(昭和22年)に評釈を完成させている。

1907年(明治40年)、唐の伝奇小説『遊仙窟』が万葉集に深い影響を与えていることを論じた『遊仙窟』を発表。1908年(明治41年)には京都帝國大学文科大学初代学長の旧友・狩野亨吉に請われて、国文学講座の講師となった。同時期に内藤湖南も東洋史講座の講師に招聘されている。この両名はそれぞれ小説家として、ジャーナリストとして当時から有名であったが学者としての力量は未知数であり、狩野の招聘は破天荒とさえいわれた。

露伴の指導を仰いだ青木正児によると、日本文脈論(日本文体の発達史)・『曽我物語』と『和讃』についての文学論・近松世話浄瑠璃などの講義内容で、決して上手な話し手ではなかったが学生の評判は非常によかったという。ただし、黒板の文字は草書での走り書き、しかも体格ががっちりして頭が大きいので文字を覆ってしまいノートを取ることが難しかったという。露伴は学者としても充分な素養があったのだが、何かの事情により夏季休暇で東京に戻ったまま、僅か一年足らず(京都へ移り住んだのは当年初めだった)で大学を辞してしまった。露伴自身は冗談めかして、京都は山ばかりで釣りが出来ないから、と述べているが、官僚的で窮屈な大学に肌が合わなかったようだ。また、妻の幾美が病気がちであったことも理由に考えられる(妻は翌1910年に没)。皮肉なことに、大学を辞めた翌年の1911年(明治44年)に文学博士の学位を授与されている(『遊仙窟』が主要業績)。

しばらく作品を発表しなかった時期の後、『幽情記』(1915年から1917年の作品をまとめた短編集)『運命』(1919年)を発表し、大好評を博して文壇に復活する。これらは中国の古典を踏まえた作品であり、これ以降も中国から素材をとった作品を多く発表している。小説を書くだけではなく、道教研究でもパイオニアの一人であり、世界的にまだほとんど道教が研究されていない時期に幾つかの先駆的な論文を表している。これらの評価については、『運命』は谷崎潤一郎らの絶賛を博したが、高島俊男は中国の史書の丸写しに過ぎないと批判している。道教研究に関しては南條竹則が「道教の本を色々漁ったが、最も感銘を受けたものは露伴とマスペロのものだった」と述べており、アンリ・マスペロの『道教』と並んで未だに道教研究の古典として名高い。

1937年(昭和12年)4月28日には第1回文化勲章を授与される。受賞時のコメントとして「この数年というものはほとんど筆をとりません」と語っている。同年、帝国芸術院会員となる。

1945年、文、玉とともに露伴の再婚相手であった八代(やよ)の別居先の長野県に疎開。その後、静岡県伊東に移り、文と玉は土橋利彦宅へ一時留まったのち、1945年10月、千葉県市川市菅野に家を借りて移り住んだ。1946年1月28日、露伴も菅野の家に移る。

市川時代の露伴は高齢で白内障であったため、寝たきりの生活だった。そんななか、土橋利彦の口述筆記により『芭蕉七部集評釈』を完成。1947年(昭和22年)7月30日、肺炎に狭心症を併発し、戦後移り住んだ千葉県市川市大字菅野(現:菅野四丁目)において、満80歳で没。

文は、露伴の様子を『雑記』として執筆。『雑記』は露伴の80歳記念に発行される予定であったが、露伴死去のため、露伴は『雑記』を目にすることはなかった。

葬儀は、三間しかない小さな自宅でささやかに行われたが、片山哲と安倍能成が出席、衆議院と参議院からは弔詞が捧げられた。墓所は池上本門寺。戒名は露伴居士。死後、墨田区寺島町にあった露伴が長く住んでいた民家の老朽化が進み取り壊された時に、その跡地に公園が建設される事となった。公園は1963年(昭和38年)4月24日に完成し5月上旬に開園式が行われ「露伴公園」の名前が付けられた。この公園は、2020年現在も「墨田区立露伴児童遊園」として現存する。

露伴は幸田成延、猷夫妻の四男である。父の成延は奥坊主(江戸城中奥の雑用係)を務めた今西家の出で、表坊主(江戸城表の雑用係)だった幸田利貞の一人娘・猷の入婿となり利三の名で表坊主を務め、維新後成延に改名し、大蔵省の下級属官となったが1885年の官制改革で非職となった。

長兄の成常(1858-1925)は東京米商会所の書記を経て、実業家となり相模紡績社長などを務めた。次兄の成忠(しげただ)は海軍軍人、探検家で、郡司家へ養子に出された。弟は歴史家の成友(しげとも)で、末弟の修造は東京音楽学校在学中に早世した。妹の延(のぶ)はピアニスト・ヴァイオリニスト、幸(こう)はヴァイオリニストである。幸の子に作家の高木卓がおり、露伴についての著作のほか、幸田家の遺産相続争いをモデルとした小説『血と血』を上梓した。

幸田家は法華宗を宗旨としていたが、罷免された成延が延の学友である岩城寛と植村正久の勧めによりキリスト教へ改宗、他の家族も入信させた。余市の赴任から帰京した露伴も植村に改宗を勧められたが、これを拒絶している。そのため父母兄弟の中で露伴だけがキリスト教徒ではない。

数え年29歳の時に山室幾美(きみ)と結婚。よき理解者であり、長女歌、次女文、長男成豊(しげとよ)が生まれた。幾美は1910年(明治43年)にインフルエンザで亡くなり、その2年後の1912年(大正元年)に歌が若くして亡くなる。この年キリスト教徒の児玉八代(やよ)と再婚している。文は八代の計らいでミッション系の女子学院へ通った。1926年(大正15年)、成豊が肺結核で亡くなる。八代は1933年(昭和8年)から別居し、1945年(昭和20年)に亡くなった。

文は、露伴の死の直前に随筆を寄稿し、さらに露伴没後には父に関する随筆で注目を集め、その後小説も書き始め作家となった 。文の一人娘青木玉も随筆家、またその子青木奈緒はドイツ文学畑のエッセイストである。

1897年(明治30年)から約10年間住んでいた「向島蝸牛庵」(東京府南葛飾郡寺島村)は、博物館明治村に移設保存されており、登録有形文化財(建造物)である。

未来学者としての一面も持ち合わせており、1911年に発表された『滑稽御手製未来記』では無線送電、動く歩道、モノレール、電気自動車等が記されていた。

露伴は、囲碁・将棋の他にも、釣り・料理・写真など、さまざまな趣味を持っていた。将棋の場合、十二世名人小野五平、十三世名人関根金次郎、十四世名人木村義雄に師事し、更に、将棋史の研究にも励み、雑誌『太陽』に「将棋雑考」「将棋雑話」といった論文を寄稿している。1916年小野名人から初段、1917年井上義雄八段から二段、1922年関根名人から四段の免状を授かった(何れもアマ段位)。また、1957年、露伴の十回忌には日本将棋連盟から六段が追贈されている。

『露伴全集』は生前に弟子の漆山又四郎を中心に編まれた。没後は塩谷賛等により2度にわたり全集(岩波書店、第2次版(全44巻)は増補巻を追加し1978年から80年にかけ刊)が編まれた。

露団々(1889年、金港堂)

風流仏(ふうりゅうぶつ)(1889年9月「新著百種 第5号」。1889年 吉岡書籍店)

    新著百種 第5号(1982年 教育出版センター )

    雪紛々(1889年11月 - 12月「読売新聞」に連載。1901年、春陽堂)

    縁外縁(1890年1月、「日本之文華」に掲載。6月「対髑髏(たいどくろ)」と改題して短篇集『葉末集』に収録)

    いさなとり(1891年前編、1892年後編、青木嵩山堂)

    五重塔(1892年、青木嵩山堂『小説 尾花集』収録)

    風流微塵蔵(ふうりゅうみじんぞう)(1893年 - 1895年「国会」に連載。未完。第1巻1895年12月刊、第2巻1896年2月刊、第3巻4月刊、第4巻8月刊)

    ひげ男(1896年、博文館)

    新羽衣物語(1897年8月、村井兄弟商会) - たばこの新製品の景品として公刊された。

    天うつ浪(1903年1月 - 05年1月、春陽堂)(未完)

      『天うつ浪 第1巻』春陽堂、1906年。https://dl.ndl.go.jp/pid/887083。 『天うつ浪 第2巻』春陽堂、1906年。https://dl.ndl.go.jp/pid/887084。 『天うつ浪 第3巻』春陽堂、1907年。https://dl.ndl.go.jp/pid/887085。 

      滑稽御手製未来記 (『實業少年』 1911年、博文館)

      雪たたき(『日本評論』1939年 / 1941年『幻談』所収)

      連環記(『日本評論』1941年4月-7月 / 1941年『幻談』所収)

      二宮尊徳翁(1891年、博文館)

      頼朝(1908年、東亜堂)

      運命(1919年、雑誌『改造』4月創刊号)

      明の建文帝が永楽帝に追われて、何十年も潜伏して生活していたという伝説について書かれた話、他にも中国を舞台にした文語体作品が多数ある。

      蒲生氏郷

      平将門

      一国の首都(1899年 - 1901年、雑誌『新小説』)

      水の東京(1901年、雑誌『文芸倶楽部』)

      潮待ち草(1906年、東亜堂)

      蝸牛庵夜譚(1907年11月、春陽堂)

      「遊仙窟」を収録

      小品十種(1908年6月、成功雑誌社)

      普通文章論(1908年10月、博文館) - 「文章は楽しく書くべきである」など初学者向けの文章指南。

      努力論(1912年、東亜堂)

      変更も保存も(1921年、国本社)

      冬の日記抄(1924年9月、岩波書店)

      春の日・曠野抄(1927年6月、岩波書店)

      ひさご・猿蓑抄(1929年12月、岩波書店)

      炭俵・続猿蓑抄(1930年1月、岩波書店)

      評釈 芭蕉七部集(1947年完成)。岩波書店7巻組、復刻1983年、1993年

      枕頭山水(1893年9月、博文館)

      蝸牛庵日記(1949年8月、中央公論社)

      名和長年

      東京都立墨田川高等学校校歌

      『五重塔』 岩波文庫、改版1994年(1927年初版)

      『努力論』 岩波文庫、改版2001年/角川ソフィア文庫、2019年

      『幻談・観画談 他三篇』 岩波文庫、1990年

      『連環記 他一篇』 岩波文庫、1991年。他は「プラクリチ」

      『一国の首都 他一篇』 岩波文庫、1993年。他は「水の東京」

      『渋沢栄一伝』 岩波文庫、2020年 山田俊治解説

      『雲の影・貧乏の説』 講談社文芸文庫、1994年

      『運命・幽情記』 講談社文芸文庫、1997年

      『芭蕉入門』 講談社文芸文庫、2015年。旧版・新潮文庫

      『蒲生氏郷 武田信玄 今川義元』 講談社文芸文庫、2016年

      『幸田露伴 近代浪漫派文庫6』 新学社、2005年

      『幸田露伴 ちくま日本文学 023』 筑摩書房〈文庫版〉、2008年

      『幸田露伴集 怪談 文豪怪談傑作選15』 東雅夫編・解説、ちくま文庫、2010年

      『珍饌会 露伴の食』 講談社文芸文庫、2019年 南條竹則編

      『幸田露伴 明治の文学12』 坪内祐三編、筑摩書房、2000年

      『幸田露伴集 新日本古典文学大系 明治編22』 岩波書店、2002年

      『露伴随筆集』 寺田透編、岩波文庫(上・下)、1993年。上巻 考証篇/下巻 言語篇

      『作家の自伝81 幸田露伴 少年時代/硯海水滸伝』 登尾豊編、日本図書センター、1999年。

      幸田露伴 著、開高健 編『露伴の釣り』アテネ書房、1985年12月20日。ISBN 4-87152-106-0。 

      小林勇 『蝸牛庵訪問記』 岩波書店、1956年/筑摩書房「著作集」、1983年/講談社文芸文庫、1991年

      塩谷賛 『幸田露伴』 中央公論社全3巻/中公文庫全4巻、1977年

      下村亮一 『晩年の露伴』 経済往来社、1979年

      篠田一士 『幸田露伴のために』 岩波書店、1984年

      『近代作家 追悼文集成31 三宅雪嶺・武田麟太郎・織田作之助・幸田露伴・横光利一』 ゆまに書房、1997年

      瀬里廣明 『露伴と道教』 海鳥社、2004年

      関谷博 『幸田露伴論』 翰林書房、2006年

      登尾豊 『幸田露伴論考』 学術出版会〈学術叢書〉、2006年 

      井波律子・井上章一編 『幸田露伴の世界』 思文閣出版、2009年

      斎藤礎英 『幸田露伴』 講談社、2009年

      関谷博 『幸田露伴の非戦思想 人権・国家・文明 -〈少年文学〉を中心に』 平凡社、2012年

      岡田正子 『幸田露伴と西洋 キリスト教の影響を視座として』 関西学院大学出版会、2012年

      おとうと(1960年 演:森雅之)

      おとうと(1976年 演:木村功)

      帝都物語(1988年 演:高橋幸治)

      わが愛の譜 滝廉太郎物語(1993年 演:柴田恭兵)

      おとうと(1958年 演:加藤嘉)

      おとうと(1981年 演:鈴木瑞穂)

      おとうと(1990年 演:中条静夫)

      小石川の家(1996年 演:森繁久弥)

      山田風太郎からくり事件帖(2001年 演:蓑輪裕太)

      幸田家の人びと(2002年 演:中村梅雀)

      有福詩人(1964年 演:平幹二朗)

      有福詩人(1989年 演:中野誠也)

      オペラ 瀧廉太郎(1998年 演:藤田喜久)

      帝都物語(1991年 演:屋良有作)

      ^ 家をもたないカタツムリに擬した命名。度々引っ越しを余儀なくされた自宅を指す。(小林勇『蝸牛庵訪問記』)

      ^ のち幸田文が小説『おとうと』として発表した

      ^ あちこちの川への釣行、鉤の形状に関する蘊蓄、餌となる蚯蚓の飼い方などを、日記、随筆、詩歌に書き残している(露伴の釣り 1985)。

      ^ 紀田順一郎『現代人の読書』71頁(三一書房、1964)。

      ^ 青木玉 『記憶の中の幸田一族』 講談社文庫、2009年、略系図、「母を語る」「祖父のこと、母のこと」など

      ^ 『ちくま日本文学023 幸田露伴』 年譜

      ^ 「窓」『日本経済新聞』昭和26年7月16日3面

      ^ 「露伴の出世咄」、『思い出す人々』(内田魯庵、岩波文庫)所収。

      ^ 受賞者の業績と略歴『大阪毎日新聞』(昭和12年4月27日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p655 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

      ^ 岩波書店版『幸田文全集 第23巻』 年譜

      ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)138頁

      ^ 『市川の幸田露伴一家と水木洋子脚色の〈おとうと〉』市川市文学プラザ 2008年

      ^ 「寂しい中に首相 露伴翁の葬儀」『朝日新聞』昭和22年8月3日

      ^ 大田の史跡めぐり 1997, p. 17-18.

      ^ “露伴児童遊園”. じゃらん. 2020年7月20日閲覧。

      ^ 『きょうだいの日本史』日本歴史編集委員会、吉川弘文堂、2024年、p211-219

      ^ 雑誌「藝林閒歩」1947年(昭和22年)「露伴先生記念号」。ただし、雑誌発行は露伴の没した直後であった

      ^ 『新潮日本文学アルバム 幸田文』新潮社

      ^ 国指定文化財等データベース 「明治村幸田露伴住宅蝸牛庵」

      ^ 春原千秋『将棋を愛した文豪たち』1994年、メディカル・カルチュア社、「幸田露伴」の項。

      ^ 柳田泉『幸田露伴』中央公論社、1942年、414頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/1069370/1/220。 

      『大田の史跡めぐり』大田区教育委員会 社会教育部 社会教育課 文化財係、1997年2月14日。 

        市川市|幸田 露伴・文

        市川市|市川市立図書館 ⇒市川ゆかりの著作家 幸田露伴

        幸田 露伴:作家別作品リスト - 青空文庫

        ビールを愛した近代日本の人々・幸田露伴|歴史人物伝|キリン歴史ミュージアム|キリン

        書評

          幸田露伴『連環記』1991 岩波文庫 松岡正剛の千夜千冊 第0983夜

          FAST

          ISNI

          VIAF

          WorldCat

          ノルウェー

          スペイン

          フランス

          BnF data

          ドイツ

          イスラエル

          アメリカ

          ラトビア

          日本

          韓国

            2

            オランダ

            ポーランド

            CiNii Books

            CiNii Research

            IdRef

            幸田露伴

            19世紀日本の小説家

            20世紀日本の小説家

            19世紀日本の評論家

            20世紀日本の評論家

            日本の文芸評論家

            文化勲章受章者

            帝国学士院会員

            日本藝術院会員

            明治時代の人物

            京都大学の教員

            武蔵国の人物

            東京都区部出身の人物

            東京都立日比谷高等学校出身の人物

            東京英和学校出身の人物

            幸田家

            1867年生

            1947年没

            FAST識別子が指定されている記事

            ISNI識別子が指定されている記事

            VIAF識別子が指定されている記事

            WorldCat Entities識別子が指定されている記事

            BIBSYS識別子が指定されている記事

            BNE識別子が指定されている記事

            BNF識別子が指定されている記事

            BNFdata識別子が指定されている記事

            GND識別子が指定されている記事

            J9U識別子が指定されている記事

            LCCN識別子が指定されている記事

            LNB識別子が指定されている記事

            NDL識別子が指定されている記事

            NLK識別子が指定されている記事

            NTA識別子が指定されている記事

            PLWABN識別子が指定されている記事

            CINII識別子が指定されている記事

            CRID識別子が指定されている記事

            SUDOC識別子が指定されている記事

2024/11/21 17:41更新

kouda rohan


幸田露伴と同じ誕生日8月22日生まれ、同じ東京出身の人

川口 浩_(俳優)(かわぐち ひろし)
1936年8月22日生まれの有名人 東京出身

川口 浩(かわぐち ひろし、1936年〈昭和11年〉8月22日 - 1987年〈昭和62年〉11月17日)は、日本の俳優・司会者・探検家・タレント。 東京府生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経…

相澤 仁美(あいざわ ひとみ)
1982年8月22日生まれの有名人 東京出身

相澤 仁美(あいざわ ひとみ、1982年8月22日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドル、女優、歌手、レースクイーン。 プラチナムプロダクション所属。東京都出身。 2004年8月22日、自身の…

大和田 美帆(おおわだ みほ)
1983年8月22日生まれの有名人 東京出身

大和田 美帆(おおわだ みほ、1983年〈昭和58年〉8月22日 - )は、日本の女優、タレントである。東京都出身。株式会社スタッフ・プラス所属。 東洋英和女学院中学部・高等部、日本大学芸術学部映画…

円城寺 あや(えんじょうじ あや)
1960年8月22日生まれの有名人 東京出身

円城寺 あや(えんじょうじ あや、1960年8月22日 - )は、日本の女優。東京都出身。身長160cm、血液型はO型。浅井企画所属。特技は水泳、ウクレレ。趣味はお城巡り。 夢の遊眠社にて、野田秀樹…

斎藤 工(さいとう たくみ)
1981年8月22日生まれの有名人 東京出身

斎藤 工(さいとう たくみ、1981年8月22日 - )は、日本の俳優、映画評論家、クリエイター、YouTuber。本名の齊藤 工(読み同じ)名義で映画監督としても活動。ブルーベアハウス所属。東京都港…


深町 彩里(ふかまち あやり)
1988年8月22日生まれの有名人 東京出身

深町 彩里(ふかまち あやり、1988年8月22日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。81プロデュース所属。 瀧野川女子学園中学校・高等学校卒業。マイクの前で話すことが好きであり、小学校の頃から…

菅谷 政子(すがや まさこ)
1937年8月22日生まれの有名人 東京出身

菅谷 政子(すがや まさこ、1937年8月22日 - 2021年2月25日)は、日本の女性声優。アーツビジョン最終所属。東京都出身。 小学生の頃から劇団に所属しており、幼い頃から芝居を始めていた。 …

加藤 祐梨(かとう ゆり)
8月22日生まれの有名人 東京出身

加藤 祐梨(かとう ゆり、8月22日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。ワンダースペース所属(2017年3月 -)。身長162 cm。 以前はEARLY WINGに所属していた。 太字はメイン…

天音みほ(あまね みほ)
1994年8月22日生まれの有名人 東京出身

天音みほ(あまね みほ、1994年8月22日 - )は、日本の女性歌手、女優、声優、モデル、元アイドル。東京都出身。ディアステージ所属。 家族が大のミュージカル好きで、子供の頃に劇団四季の舞台を観劇…

吉川 虎範(よしかわ とらのり)
1962年8月22日生まれの有名人 東京出身

吉川 虎範(よしかわ とらのり、1962年8月22日 - )は、日本の男性声優。東京都出身。本名:吉川 一虎(よしかわ かずとら)。アーツビジョンに所属していた。 太字はメインキャラクター。 19…


柳沢 栄治(やなぎさわ えいじ)
1967年8月22日生まれの有名人 東京出身

柳沢 栄治(やなぎさわ えいじ、1967年8月22日 - )は、日本の男性声優。ぷろだくしょんバオバブ所属。東京都出身。 バオバブ学園(現:ビジュアル・スペース俳優養成所)3期生を経てぷろだくしょん…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


幸田露伴と近い名前の人

幸田 夢波(こうだ ゆめは)
1992年4月18日生まれの有名人 東京出身

幸田 夢波(こうだ ゆめは、1992年4月18日 - )は、日本の声優、歌手。東京都出身。 プロダクション・エース演技研究所出身、元プロダクション・エース所属。本名・旧芸名:高橋 夢波(たかはし ゆ…

幸田 弘子(こうだ ひろこ)
1932年8月29日生まれの有名人 東京出身

幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子<旧姓:臼田>、1932年〈昭和7年〉8月29日 - 2020年〈令和2年〉11月24日)は、日本の女優、声優、朗読家。東京都出身。女子美術大学…

幸田 直子(こうだ なおこ)
1959年3月22日生まれの有名人 北海道出身

幸田 直子(こうだ なおこ、1959年〈昭和34年〉3月22日 - )は、日本の女優、声優。北海道札幌市出身。 実家は開業医。一人っ子だったため、両親は医師にしたかったという。 子供の頃から映画が…

幸田尚子(こうだ なおこ)
1979年12月31日生まれの有名人 福岡出身

幸田 尚子(こうだ なおこ、1979年12月31日 - )は、日本の女優。 福岡県福岡市出身。大阪芸術大学舞台芸術学科演技演出コース卒業。 無名塾、劇団青年座を経て2008年8月から2014年12…


幸田 夏穂(こうだ かほ)
1967年7月8日生まれの有名人 東京出身

幸田 夏穂(こうだ かほ、1967年7月8日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。81プロデュース所属。 1992年、俳協ボイスアクタースクール卒業。 1994年、江崎プロダクション付属養成所に…

幸田 昌明(こうだ まさあき)
1979年9月9日生まれの有名人 鳥取出身

幸田 昌明(こうだ まさあき、1979年9月9日 - )は、日本の男性声優。81プロデュース所属。鳥取県出身。 映像テクノアカデミア出身。 以前は東京俳優生活協同組合に所属していた。 声種はバリ…

幸田 薫(こうだ かおる)
1961年2月20日生まれの有名人 東京出身

紅理子(クリス、1961年2月20日。 - 、旧芸名 幸田 薫(こうだ かおる))は、東京都大田区出身の歌手・タレントである 8歳の時に劇団ひまわりに入団、CMや教育映画のほか、NHK教育テレビの『…

幸田 シャーミン(こうだ しゃーみん)
1956年4月8日生まれの有名人 東京出身

幸田 シャーミン 光代(こうだ シャーミン ひろよ、Charmine Hiroyo Koda、1956年4月8日 - )は、日本のジャーナリスト。1980年代にニュースキャスターとしてテレビ出演してい…

幸田 延(こうだ のぶ)
1870年4月19日生まれの有名人 東京出身

幸田 延(こうだ のぶ、1870年(明治3年)4月19日(旧暦3月19日) - 1946年(昭和21年)6月14日)は、日本のピアニスト、ヴァイオリニスト、音楽教育家、作曲家。 クラシックの分野で日…


幸田 真音(こうだ まいん)
1951年4月25日生まれの有名人 滋賀出身

幸田 真音(こうだ まいん、1951年4月25日 - )は、日本の経済小説家。NHK経営委員、日本たばこ産業取締役、LIXILグループ取締役、日本取引所グループ取締役、三菱自動車工業取締役、国土交通省…

幸田 宗丸(こうだ むねまる)
1920年5月30日生まれの有名人 熊本出身

幸田 宗丸(こうだ むねまる、1920年5月30日 - 1998年7月9日)は、日本の俳優。本名は同じ。 熊本県熊本市出身。劇団文化座を経て、エヌ・エー・シーに所属していた。 早くから役者を志し、…

幸田 将和(こうだ まさかず)
1969年9月12日生まれの有名人 愛媛出身

幸田 将和(こうだ まさかず、1969年9月12日 - )は愛媛県南宇和郡愛南町出身の元サッカー選手(DF、MF)、サッカー指導者。 南宇和高校時代は同学年だった和泉茂徳らとともに第66回全国高等学…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
幸田露伴
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

FLAME カスタマイZ まなみのりさ A.B.C-Z フェアリーズ WEST. 猿岩石 BABYMETAL HEADS Travis Japan 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「幸田露伴」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました