もしもし情報局 > 1922年 > 1月4日 > 作家

山田風太郎の情報 (やまだふうたろう)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

山田風太郎の情報(やまだふうたろう) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

山田 風太郎さんについて調べます

■名前・氏名
山田 風太郎
(読み:やまだ ふうたろう)
■職業
作家
■山田風太郎の誕生日・生年月日
1922年1月4日
戌年(いぬ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

山田風太郎と同じ1922年生まれの有名人・芸能人

山田風太郎と同じ1月4日生まれの有名人・芸能人

山田風太郎と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


山田風太郎と関係のある人

万城目学: 2014年(平成26年)、『悟浄出立』で第5回山田風太郎賞候補、第152回直木賞候補。2016年(平成28年)、『バベル九朔』で第7回山田風太郎賞候補。2021年(令和3年)、『ヒトコブラクダ層ぜっと』で第12回山田風太郎賞候補。


花園ひろみ: 山田風太郎忍法シリーズ 江戸忍法帖(1966年、MBS)- お縫


菱沼康介: 『くノ一忍法帖 影ノ月』(監督/共同脚本・2011年)(原作:山田風太郎


池田成志: 山田風太郎 からくり事件帖-警視庁草紙より-(2001年、NHK) - 加治木警部 役


内田健介: 山田風太郎 からくり事件帖-警視庁草紙より- 第7話「夢のゆくえ」(2001年11月9日、NHK)


原田知世: 山田風太郎 からくり事件帖-警視庁草紙より-(2001年、NHK) - 小蝶 役


高野和明: 2011年に発表した『ジェノサイド』で第2回山田風太郎賞と第65回日本推理作家協会賞を受賞。


池上永一: 2017年、『ヒストリア』で第8回山田風太郎賞受賞。


小林重四郎: 山田風太郎忍法シリーズ 江戸忍法帖(1966年、TBS)- 柳沢出羽守


勝田文: 風太郎不戦日記(原作:『戦中派不戦日記』(山田風太郎)、『モーニング』、講談社、2019年8月29日号 - 2021年7月8日号)


馳星周: 尊敬する作家に山田風太郎と大藪春彦を挙げる。


有本倶子: 『山田風太郎疾風迅雷書簡集』(編、神戸新聞総合出版センター、2004年)


阿保郁夫: NHK金曜時代劇「山田風太郎 からくり事件帖-警視庁草紙より-」の主題歌「風のタンゴ」を歌う。


五社英雄: その一方、こうした五社の大胆な演出に角川春樹が注目し、山田風太郎原作の映画『魔界転生』の監督を依頼してきた。


高木彬光: 悪霊の群 東京文芸社、1955年 - 山田風太郎との合作。


せがわまさき: 2005年4月より『週刊ヤングマガジン』(講談社)で『Y十M 〜柳生忍法帖〜』(原作:山田風太郎)を連載、2008年6月に完結。


長谷川海太郎: 」(山田風太郎「愛すべき悪漢『丹下左膳』」『一人三人全集 2 時代小説・丹下左膳』1970年 河出書房新社)といった読まれ方をした。


伊東潤: 2013年『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞受賞。


高木彬光: 山田風太郎、高木彬光、島田一男、香山滋、大坪砂男の五人で「探偵小説界の戦後派五人男」と呼ばれた。また、1950年、山田風太郎、島田一男、香山滋らと新人探偵作家の会「鬼クラブ」を結成して、同人誌『鬼』を刊行した。


有川浩: 2010年、『キケン』で第1回山田風太郎賞最終候補に挙がり、『植物図鑑』が本屋大賞第8位、第1回ブクログ大賞小説部門大賞を受賞。


せがわまさき: 十 〜忍法魔界転生〜 - (原作:山田風太郎、『月刊ヤングマガジン』(講談社)2012年9月号 - 2018年7月号)全13巻


誉田哲也: 2012年 - 『あなたが愛した記憶』で第3回山田風太郎賞候補。


真崎守: 『初夏の診断書(環妖の系譜第一部緋色篇)』(単行本では「初夏のカルテ」に改題)(原作:山田風太郎、脚本:宮田雪)- 劇画ゲンダイ1973年8月1日号に掲載。


白鳥哲: 山田風太郎 からくり事件帖-警視庁草紙より-(2001年、NHK)


有川浩: 2011年、『県庁おもてなし課』で第2回山田風太郎賞最終候補に挙がる。


木田元: ※山田風太郎、モーツァルト、カフカ、保坂和志、大塚博堂など、哲学以外の本や音楽、映画などを語る。


島田一男: 島田は、山田風太郎、高木彬光、香山滋、大坪砂男との五人で「探偵小説界の戦後派五人男」と呼ばれた。また、1950年、山田風太郎、高木彬光、香山滋らと新人探偵作家の会「鬼クラブ」を結成して、同人誌『鬼』を刊行した。


高木彬光: 十三の階段 1953年 - 山田風太郎・島田一男・岡田鯱彦・高木彬光によるリレー作品


高野和明: 2011年 - 『ジェノサイド』で第145回直木三十五賞候補、第2回山田風太郎賞受賞。


吉宮君子: “山田風太郎 からくり事件帖 ─警視庁草紙より─”.


山田風太郎の情報まとめ

もしもしロボ

山田 風太郎(やまだ ふうたろう)さんの誕生日は1922年1月4日です。兵庫出身の作家のようです。

もしもしロボ

来歴、歴史・死生観などについてまとめました。卒業、映画、現在、母親、再婚、事件に関する情報もありますね。亡くなられているようです。

山田風太郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2001年7月28日)は、日本の小説家。本名は山田 誠也(やまだ せいや)。戦後日本を代表する娯楽小説家の一人。東京医科大学(入学時は東京医学専門学校)卒業、医学士号取得。

『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた伝奇小説、推理小説、時代小説の3分野で名を馳せる。特に奇想天外なアイデアを用いた『魔界転生』や忍法帖シリーズに代表される大衆小説で知られている。2010年(平成22年)、その名を冠した「山田風太郎賞」が創設された。

筆名は、中学生時代に3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷 / 雨 / 雲 / 風という符丁、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来する。当初は「かぜたろう」と読ませたかったようである(国立国会図書館のデータベースにその名残が見られる)が、最終的に「ふうたろう」で定着した。なお、戦前・戦後の映画・芸能雑誌をコレクションしていた色川武大が、その雑誌の中から、たまたま学生時代の「風太郎」名義の投稿を発見し、その頁のコピーを山田に送ったこともある。

生前に戒名を「風々院風々風々居士」と自ら定めた。上川霊園(八王子市)にある墓碑には「風ノ墓」とのみ刻まれている。

来歴

生い立ち

1922年(大正11年)、兵庫県養父郡関宮村(現在の養父市)で「山田医院」を開業していた父母ともに代々医者の家系に生まれる。

5歳のとき、父・太郎が脳卒中で急死。9歳のとき、山陰の漁村・諸寄村に転居する。11歳のとき、母親が亡父の弟で医師である叔父と再婚して山田医院を再開、故郷の関宮へ戻る。

1935年(昭和10年)、兵庫県立豊岡中学校(旧制中学=5年制、現在の兵庫県立豊岡高等学校)に入学し、寮生活が始まる。旧制中学時代の教師に奈良本辰也、吉田靖彦 (国際政治学者)は中学の同級生で友人。1936年(昭和11年)、母・寿子が肺炎により死亡し、「魂の酸欠状態」となる。叔父は別の女性と再婚するが、養父母になじめず、「不良学生」となる。3度停学となる。

1940年(昭和15年)、旧制高等学校の合格はならず、2年間浪人。1942年(昭和17年)8月、家出状態で上京。この年に受けた徴兵検査で肋膜炎のために入隊を免れる(当時、甲種と乙種合格の者のみが徴兵されていた)。沖電気の軍需工場(品川)で働きながら受験勉強を続け、1944年(昭和19年)に旧制東京医学専門学校(後の東京医科大学)に合格。入学後は読書を心の支えに虚無的な生活を送るも、1945年(昭和20年)5月に空襲で焼け出されて山形に避難し、沖電気時代の恩人である高須氏夫人の連れ子にあたる佐藤啓子(当時13歳)と出会う。後に学校ごと長野県の飯田に疎開。

敗戦前日には異常な精神状態となり、友人と徹夜で議論。「日本を救うためには不撓不屈の意思の力であと三年戦うしかない、無際限の殺戮にも耐え抜いたときのみにこそ日本人の誇りは守られる」と訴えた翌日の日記には「帝国ツイニ敵ニ屈ス。」とのみ記された。

1953年(昭和28年)に妻子を得、終生を伴とする。

日本の敗戦についてはその後、「最大の敗因は科学であり、さらに科学的教育の不手際であった」と日記に著している。

山田風太郎の作品に共通する、「一歩引いた視点からの人間や歴史への視点」は、幼少時の両親との死別、そして多感な青春時代に起こった太平洋戦争により型作られた。特に徴兵検査で体格不適格で丙種合格となったことが「社会から疎外された者」としての意識を形成することになったと自ら語っている。

初期・ミステリと時代小説

正式なデビュー以前、旧制中学時代に何度か雑誌に小説を投稿し、入賞している。叔父からの仕送りで医学生をしていた時代、生活のために『宝石』の短編懸賞に応募した『達磨峠の事件』が入選(1947年1月号に掲載)したことで作家デビュー。1950年(昭和25年)、28歳で東京医科大学を卒業したものの、医師になることは、自ら不適と決める。

戦後の荒廃した世相を背景とした推理小説を中心に、多数の短編を発表。

また、同期の作家である高木彬光との合作小説『悪霊の群』を執筆するなど活動を続け、山田、高木と、島田一男、香山滋、大坪砂男は「探偵小説界の戦後派五人男」と呼ばれた。また、1950年(昭和25年)、高木彬光、島田一男、香山滋らと新人探偵作家の会「鬼クラブ」を結成して、同人誌『鬼』を刊行した。

長編『誰にも出来る殺人』、『棺の中の悦楽』等は、読み切り連載特有の制約を守りつつ、全体を意外な結末へ導く工夫を凝らしている。作者本人は、明治ものの一作である『明治断頭台』を自身のミステリ作品の最高傑作と述べている。

デビュー以来10年、日本ミステリ界の巨人であり、宝石の編集長を自ら務めた江戸川乱歩への恩もあってミステリ作品を中心に執筆した。ただ、時々雑誌のカテゴリーを無視して時代小説を寄稿している。「(ミステリは)自分には向いていなかった」と山田自身は語っているが、多数の傑作を残したことは事実であり、2000年(平成12年)には日本ミステリー文学大賞を受賞した。現代を舞台にしたミステリ作品は、1960年代半ばまで断続的に発表された。例外として『神曲崩壊』は1987年(昭和62年)の作品である。

鼻の位置にペニスがあるという突拍子もない設定の『陰茎人』をはじめとするユーモア・ナンセンス作品、学年誌に発表した少年向け作品や、歴史を扱った小説も多数発表。『山屋敷秘図』に代表される切支丹もののように日本を舞台にするだけでなく、原稿料のかわりに貰った中国四大奇書のひとつ『金瓶梅』をミステリとして再構成した『妖異金瓶梅』があり、忍法帖を執筆するきっかけともなった。なお、時代小説は晩年に至るまで執筆している。

忍法帖とブーム

『妖異金瓶梅』の後、同じく四大奇書である『水滸伝』を翻案しようと模索するが、108もの武術を考えるに至らず、かわりに忍法という奇想天外な術を用いて活躍する忍者たちの小説を構想する。

1958年(昭和33年)に発表した『甲賀忍法帖』を皮切りとする忍法帖もので流行作家となる。これは安土桃山時代から江戸時代を舞台として、想像の限りを尽くした忍法を駆使する忍者たちの死闘を描いた作品群である。1963年(昭和38年)から講談社より発売された『山田風太郎忍法全集』は全10巻の予定であったが、刊行途中で連載を終えた『柳生忍法帖』の上・中・下巻と短編集2冊を加えて全15巻となり、累計で300万部を売り上げるベストセラーとなった。

その後も掲載紙を問わずに多数の長編・短編が執筆された。その中には細部の設定を詰めずに連載を開始したものも多かった。特に柳生十兵衛三部作の第一作『柳生忍法帖』は当初は『尼寺五十万石』と題され十兵衛が登場する予定はなく、第二作『魔界転生』は、どんな忍法が登場しても大丈夫なように適当な題名『おぼろ忍法帖』をつけたものの、結局内容にそぐわなくなった。そのため『尼寺五十万石』は単行本化の際に、『おぼろ忍法帖』は角川文庫収録時に『忍法魔界転生』、後述する1981年の映画化の際に現行の題名に改題された。

同時期に白土三平が貸本劇画『忍者武芸帳 影丸伝』を発表しているが、従来の「忍術」を「忍法」に変えたことが共通する程度で、作風的には、あまり類似性はない。山田は生前、白土の漫画のことを読んだことがないと語っており、それぞれ、同時代に時代精神として並行して発生したものだと考えられる。

なお、1961年(昭和36年)から連載された横山光輝の漫画作品『伊賀の影丸』は、風太郎忍法帖の影響大の作品である。

忍法帖シリーズの執筆は1960年代の終わりまで続くが、1970年代に入ると幕末を舞台とした時代小説を中心に手掛けるようになる。忍法帖の様式に当てはまる最後の作品は、明治初期を舞台とした『開化の忍者』(1974年(昭和49年))である。

空白の幕末期

幕末を舞台とした短編は1970年代を中心にいくつか書かれているが、長編としては天狗党の乱を描いた『魔群の通過』と、明治元年に薩摩兵が惨殺されたことに対する報復による元幕臣の悲劇を描く『修羅維新牢』、国定忠治の息子が侠客修行の旅を続けるうちに維新の騒乱に身を投じる『旅人国定龍次』などがある(『修羅維新牢』は幕末の動乱が収まっていない時期であるため明治もののカテゴリーからは外れる)。

いずれも、維新のいわゆるヒーローのような人物がほとんど関わらない出来事を取り上げているのが特徴である。『旅人国定龍次』については後半、維新の志士や新撰組、坂本龍馬などが登場し物語に大きく関わりはするが、維新の部外者である侠客の目を通して、一定の距離を置いた幕末の動乱が描かれている。

明治もの・史実の交差

幕末の作品が橋渡しをする形で、1973年(昭和48年)に、明治時代を舞台とした『警視庁草紙』の連載がオール讀物で始まる。“明治もの”と呼ばれる作品群は、明治6年から8年を舞台とした『警視庁草紙』から、基本的に作を進めるごとに時代が下ってゆく。風太郎原作・福田善之の戯曲『幻燈辻馬車』1992年初演(主人公は元会津藩士。三遊亭円朝、大山巌・捨松、田山花袋、川上音二郎・貞奴、坪内逍遥が登場)は明治15年から17年、『地の果ての獄』(主人公は愛の典獄といわれた有馬四郎助。原胤昭、幸田露伴、細谷十太夫、横川省三、鈴木音高、井上伝蔵、岩村高俊、新島襄が登場)は明治19年から20年が舞台。『明治断頭台』は例外的に遡って、1869年(明治2年)から1871年(明治4年)の最初期を舞台にしている。

日本人に馴染みの深い、あるいは名前を知っている歴史上の人物や事件を交差させる手法が特徴である。史実と史実の間を独創的なエピソードによってつなぐこの手法は、人物や事件を可能性の中から模索して結びつけることに成功している。ほとんどの作品は破綻を見せずに完成させているが、意図的に史実を無視した部分も存在する。これは他の時代を扱った作品においても同様である。

1986年(昭和61年)発表の『明治十手架』を最後に、明治物の作品執筆は終了する。

室町と晩年

1989年(平成元年)、足利義政を主人公とした『室町少年倶楽部』を皮切りに、資料面の不足などから当時敬遠されていた室町時代を舞台にした“室町もの”と呼ばれる作品群を発表した。この中には、以下のような作品がある。

『婆沙羅』 - 南北朝時代に、ばさら大名と呼ばれた佐々木道誉の奔放な人生。

『室町お伽草紙』 - 少年時代の豊臣秀吉を中心に、京に集った若き日の織田信長・武田信玄・上杉謙信の物語。

十兵衛 三部作の完結編『柳生十兵衛死す』(1991年(平成3年)発表)

『柳生十兵衛死す』は「小説を書くとその分命を縮める」と考えていた山田が書いた最後の小説でもあるが、実際は白内障や糖尿病、パーキンソン病を次々患ったことで執筆活動そのものが困難になっていたとされる。そのためか晩年には、アイデアはあると語っていたが、小説にすることはなかった。室町時代を舞台に蓮如を狂言回しとして、八犬伝の犬士たちが活躍する室町ものの構想もそのひとつであるが、もし執筆されれば室町ものと忍法帖とのあいだの年表上の空白を補い、「忍法八犬伝」、「八犬傳」とあわせて八犬伝三部作ともいえる作品になったはずであった。なお、室町・戦国・江戸・明治・戦後初期と、それぞれ舞台とした小説の空白期間である、大正期・戦前期についての作品を書いて、風太郎サーガとして「時代の流れをすべて続ける」構想もあった。

90年代は随筆や対談、インタビュー集が出版されたが、その中でもパーキンソン病にかかった自分自身を見つめたエッセイ『あと千回の晩飯』は出色の出来である。

2001年(平成13年)7月28日、肺炎のため東京都多摩市の病院で死去。命日である7月28日は奇しくも師の江戸川乱歩の命日と同日である。

2003年(平成15年)には故郷兵庫県養父市の旧関宮小学校跡に山田風太郎記念館が開設された。

歴史・死生観

上に挙げたようなカテゴリーに当てはめられる作品群以外

太閤記にはじまる英雄としての豊臣秀吉を疑問視し、徹底的なエゴイストとして描き切った『妖説太閤記』

江戸時代の作家、曲亭馬琴の著作、南総里見八犬伝を再構成した上で、八犬伝の世界を“虚”、その作者である馬琴の世界を“実”として交互に綴るという構成の『八犬傳』 余談だが、山田は毎日の献立や出納などを全て日記に記録しており、同じことをしていた馬琴と共通するものがあったという。

上記以外の著名な著作に、

自身の昭和20年の日記である『戦中派不戦日記』、1970年代の初版刊行から数十年経ても版元を変え重版されている。終戦の前日には出る杭を打ち、変わり者を追い払うという日本人は「全く独立独特の筋金の入らないドングリの大群」のようになったと嘆いていた。敗因の原因を日本人が「なぜか?」という問いを持たなかったという(「天声人語」朝日新聞2014年8月15日))。

上記以外にも、太平洋戦争の開戦当日と終戦に至るまでの数日、日米双方で起きた出来事をピックアップして時系列順に並べた『同日同刻』もあり重版されている。

古今東西の著名な923人の臨終の様をまとめ、死亡年齢順に並べた『人間臨終図巻』等が知られる。また学生時代の書簡集や、自身の子供の成長を書き記し、後に嫁入り道具として娘に持たせたという『山田風太郎育児日記』がある。

2024/06/05 00:31更新

yamada fuutarou


山田風太郎と同じ誕生日1月4日生まれ、同じ兵庫出身の人

山本 カナコ(やまもと かなこ)
1970年1月4日生まれの有名人 兵庫出身

山本 カナコ(やまもと かなこ、1970年1月4日 - )は日本の女優。兵庫県出身。劇団☆新感線所属。マネジメントはヴィレッヂ。1990年、『髑髏城の七人』より劇団☆新感線に参加。 髑髏城の七人 …

梶木 又三(かじき またぞう)
1919年1月4日生まれの有名人 兵庫出身

梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 2008年5月21日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党参議院議員(3期)。兵庫県神戸市出身。1990年勲一等瑞宝章受章。 1942年京都帝国…

秋田 Bスケ(あきた びーすけ)
1926年1月4日生まれの有名人 兵庫出身

1月4日生まれwiki情報なし(2024/06/16 02:29時点)

宮永 里佐(みやなが りさ)
1972年1月4日生まれの有名人 兵庫出身

1月4日生まれwiki情報なし(2024/06/08 23:42時点)

植村 花菜(うえむら かな)
1983年1月4日生まれの有名人 兵庫出身

植村 花菜(うえむら かな、1983年1月4日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名:清水 花菜(しみず かな)。2019年よりアーティスト名をKa-Naへ改名。愛称は、カナちゃん、カナ吉…

三田 政夫(さんた まさお)
1919年1月4日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 三田 政夫(さんた まさお、1919年1月4日〈大正8年〉 - 没年不明〈戦死〉)は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。 滝川中…

山川 和大(やまかわ ともひろ)
1995年1月4日生まれの有名人 兵庫出身

山川 和大(やまかわ ともひろ、1995年1月4日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手・内野手)、野球指導者。NPB時代は育成選手だった。右投左打。 神戸市立有野北中時代は、学校の軟式…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


山田風太郎と近い名前の人

山田 ふしぎ(やまだ ふしぎ)
1959年11月11日生まれの有名人 京都出身

山田 ふしぎ(やまだ ふしぎ、1959年11月11日 - )は、日本の女性声優、サイエンスライター。東京都出身。81プロデュース所属。本名・旧芸名は山田 恭子(やまだ きょうこ)。 東京理科大学卒…

山田 英雄_(警察官僚)(やまだ ひでお)
1932年2月3日生まれの有名人 東京出身

山田 英雄(やまだ ひでお、1932年〈昭和7年〉2月3日 - )は、日本の警察官僚。第12代警察庁長官(在任1985年8月25日-1988年1月)。チームおてんとうさま特別顧問。 この節は検証可…

山田 英雄_(日本史学者)(やまだ ひでお)
1920年4月18日生まれの有名人 東京出身

山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 2001年5月7日)は、日本の歴史学者、新潟大学名誉教授。専攻は日本古代史・国文学。 1920年、東京生まれ。父は山田孝雄、兄に山田忠雄、弟に…

山田 花子_(タレント)(やまだ はなこ)
1975年3月10日生まれの有名人 大阪出身

山田 花子(やまだ はなこ、1975年〈昭和50年〉3月10日 - )は、日本のお笑いタレント、コメディエンヌ。 大阪府堺市北区南花田町出身。吉本興業所属。身長150 cm、体重48 kg、血液型A…

山田 花子_(漫画家)(やまだ はなこ)
1967年6月10日生まれの有名人 東京出身

山田 花子(やまだ はなこ、1967年6月10日 - 1992年5月24日)は、日本の漫画家。本名、高市 由美(たかいち ゆみ)。旧筆名は裏町かもめ、山田ゆうこ。 自身のいじめ体験をベースに人間関…

山田 稔_(テレビドラマ監督)(やまだ みのる)
1926年6月23日生まれの有名人 東京出身

山田 稔(やまだ みのる、1926年6月23日 - 1995年8月25日)は日本のテレビドラマ・映画監督。東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区牛込)出身。旧制第一高等学校理科甲類卒業。 少年時代…

山田 太郎_(参議院議員)(やまだ たろう)
1967年5月12日生まれの有名人 静岡出身

山田 太郎(やまだ たろう、1967年〈昭和42年〉5月12日 - )は、日本の政治家、実業家、経済学者、教育者。自由民主党所属の参議院議員(2期)。表現の自由を守る会会長。エンターテイメント表現の自…

山田 太郎_(衆議院議員)(やまだ たろう)
1918年3月24日生まれの有名人 岡山出身

山田 太郎(やまだ たろう、1918年3月24日 - 2002年12月23日)は、日本の政治家、公明党の衆議院議員(6期)。岡山市出身。 1941年、慶應義塾大学文学部を卒業。1967年の第31回…

山田 太郎_(歌手)(やまだ たろう)
1948年8月24日生まれの有名人 東京出身

山田 太郎(やまだ たろう、1948年8月24日 - )は、東京都台東区出身の歌手、俳優、馬主、実業家。本名は、西川 賢(にしかわ けん)。芸能プロダクション「新栄プロダクション」代表取締役社長、日本…

山田 三郎_(政治家)(やまだ さぶろう)
1927年3月7日生まれの有名人 埼玉出身

山田 三郎(やまだ さぶろう、1927年(昭和2年)3月7日 - 2010年(平成22年)2月19日)は、日本の政治家、埼玉県富士見市の第2代市長(在任1972年 - 1988年)。 栃木県出身。…

山田 三郎_(実業家)(やまだ さぶろう)
1930年5月9日生まれの有名人 大阪出身

山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 2022年10月20日)は、日本の実業家。泉陽興業、エキスポランドの社長、会長などを歴任し、全日本遊園施設協会(JAPEA)会長も務めた。 大…

山田 隆裕(やまだ たかひろ)
1972年4月29日生まれの有名人 大阪出身

山田 隆裕(やまだ たかひろ、1972年4月29日 - )は、日本の元サッカー選手、実業家。選手時代のポジションはFW(ウイング)、MF(サイドハーフ)。 大阪府高槻市で生まれる。小学校3年生の時…

山田 暢久(やまだ のぶひさ)
1975年9月10日生まれの有名人 静岡出身

山田 暢久(やまだ のぶひさ、1975年9月10日 - )は、静岡県藤枝市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー、フォワード。元日本代表。弟の山田智紀…

山田 卓也(やまだ たくや)
1974年8月24日生まれの有名人 東京出身

山田 卓也(やまだ たくや、1974年8月24日 - )は、東京都世田谷区出身の元サッカー選手。ポジションはDF(右サイドバック)、MF(ボランチ、右ウイングバック)。 東京ヴェルディ在籍時はチー…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
山田風太郎
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手) 石山順征

グループ

私立恵比寿中学 Rev.from DVL DA PUMP 夢みるアドレセンス KAT-TUN 純烈 アリス十番 AeLL. CheekyParade AKB48G 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「山田風太郎」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました