鵜狩道夫の情報(うがりみちお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
鵜狩 道夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
鵜狩道夫と関係のある人
久保祥次: この時に肩を壊していた鵜狩道夫が二軍で調整していたため、鵜狩の球を受け、シートバッティングで打たせてもらった。 長嶋茂雄: 9月19日に行なわれた対広島戦(後楽園)では、鵜狩道夫から新人記録となる28号本塁打を放ったが、一塁ベースを踏み忘れて、本塁打を取り消された(記録はピッチャーゴロ)。 西園寺昭夫: 初本塁打・初打点:1957年10月13日、対西鉄ライオンズ16回戦(平和台野球場)、9回表に鵜狩道夫から2ラン 藤井弘: 1958年9月19日、この当時巨人のルーキーだった長嶋茂雄が、一塁ベース踏み忘れにより本塁打を取り消される(記録はピッチャーゴロとなる)ということがあったが、この時に一塁を守っており、藤井が鵜狩道夫投手から送球を受け一塁塁審の竹元勝雄にアピールしたことでアピールプレイが成立、長嶋はアウトとなった。 池田英俊: 新人王争いでは24勝12敗の城之内邦雄にタイトルを譲ったが、備前喜夫・鵜狩道夫・河村英文らベテランが出足で躓いた非常事態に、新人とは思われぬピッチングで大車輪の活躍を見せた。 有吉洋雅: 開幕前に同期入団の鵜狩道夫、佐川守一、田中久寿男らと共に石本秀一の自宅で指導を受けていた。 王貞治: 「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズに対して考案したブードローシフトと同様で、王の打球がフィールドの右半分に集中することを考慮に入れて野手の内6人をライト側に守らせたが、王は王シフトにも動じることはなく、その打席でプルヒッティングも流し打ちもせず鵜狩道夫投手が投じたカウント1ストライク2ボールからの4球目内角高めの球をバックスクリーンのわずか右へ18号本塁打(通算133号)を放った。 石本秀一: 石本は広島の自宅に鵜狩道夫、有吉洋雅らを泊めて指導を行い、和田は石本の家の前の道路で捕手の練習を行った。 大和田明: 1957年オフに西鉄球団から来期の契約についての連絡がない状態であったところ、西鉄の鵜狩道夫・佐川守一の獲得交渉のために福岡に乗り込んでいた広島カープの監督・白石勝巳が大和田行きつけのスナックに入り、二人は偶然出会う。 |
鵜狩道夫の情報まとめ
鵜狩 道夫(うがり みちお)さんの誕生日は1936年7月14日です。鹿児島出身の野球選手のようです。
引退、事件、現在に関する情報もありますね。2018年に亡くなられているようです。
鵜狩道夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 鵜狩 道夫(うがり みちお、1936年7月14日 - 2018年8月27日)は、鹿児島県日置市出身のプロ野球選手(投手)、スポーツ店経営者。現役時代は「鵜狩 好応」、「鵜狩 道旺」の登録名も使った。 伊集院高から社会人野球の鹿児島市交通局を経て、1955年に西鉄ライオンズに入団。 西鉄では3年間で1勝もできなかったが、1958年に広島カープに移籍するとチーム最多の23試合先発を果たし、初勝利を含め6勝を挙げる。1958年9月19日、長嶋茂雄に幻の本塁打を打たれる。翌1959年には、元近鉄パールス監督の藤田省三からマンツーマンの指導を受け、シュートをマスターして11勝10敗を記録、初めて規定投球回(7位、防御率2.53)に達する。1965年には2度目の二桁勝利となる10勝14敗、池田英俊、安仁屋宗八とともに先発の柱として活躍した。ピッチングスタイルは速球とカーブを基調としたオーソドックスな右の本格派で、10完封のほか、25完投も記録。1960年代の広島を支えた。 1967年6月10日、ウエスタン・リーグの対近鉄バファローズ戦で同リーグ史上初となる完全試合を達成。しかし、一軍では未勝利に終わり、同年限りで現役を引退。 晩年は、郷里の鹿児島県日置市で、スポーツ店を経営。2006年は社会人野球・クラブチームの鹿児島ホワイトウェーブの監督を務めていた他、地元のカープファンによる組織『鹿鯉会』の名誉顧問も務めていた。 元々素質に溢れた選手で、西鉄から放出されることが決まった際、助監督の川崎徳次は、「なんてことをするんだ、気でも狂ったか!」と三原監督に怒鳴ったと言われている。 スロースターターであり、シーズン終了間際に勝ち星を重ねる傾向があった。 1964年5月5日、後楽園球場での巨人対広島ダブルヘッダーでの第二試合7回裏、打席には王貞治の場面で白石勝巳監督が初めて「王シフト」を敷いた時の投手である。この打席で鵜狩はシフトの頭上を越えるシーズン第18号の本塁打を右中間スタンドに打たれている。 26 (1955年 - 1957年) 17 (1958年 - 1967年) 鵜狩 道夫 (うがり みちお、1955年 - 1959年) 鵜狩 好応 (うがり みちお、1960年 - 1962年) 鵜狩 道旺 (うがり みちお、1963年 - 1967年) 『広島東洋カープ(金山次郎監修)』(ISBN 4-89174-012-4)42ページより ^ 鹿鯉会による訃報 - 鹿鯉会公式Twitter、2018年8月27日。 ^ “82歳で死去の元広島投手・鵜狩道夫氏 長嶋茂雄「幻の本塁打」事件の当事者”. フルカウント (2018年9月7日). 2020年7月15日閲覧。 ^ “82歳で死去の元広島投手・鵜狩道夫氏 長嶋茂雄「幻の本塁打」事件の当事者”. Full-count フルカウント. (2018年9月7日). https://full-count.jp/2018/09/07/post198087/2/ 2020年2月15日閲覧。 ^ ベースボールマガジン2012年11月号72ページ 鹿児島県出身の人物一覧 埼玉西武ライオンズの選手一覧 広島東洋カープの選手一覧 個人年度別成績 鵜狩道夫 - NPB.jp 日本野球機構 日本の野球選手 現在活動していない九州地方の社会人野球チームに所属していた選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 広島東洋カープ及び広島カープの選手 日本の野球監督 完全試合達成者 鹿児島県出身のスポーツ選手 1936年生 2018年没 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/19 22:34更新
|
ugari michio
TOPニュース
注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「鵜狩道夫」を素材として二次利用しています。