もしもし情報局 > 1943年 > 6月7日 > 政治家

中山成彬の情報 (なかやまなりあき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

中山成彬の情報(なかやまなりあき) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

中山 成彬さんについて調べます

■名前・氏名
中山 成彬
(読み:なかやま なりあき)
■職業
政治家
■中山成彬の誕生日・生年月日
1943年6月7日 (年齢81歳)
未年(ひつじ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
宮崎出身

(昭和18年)1943年生まれの人の年齢早見表

中山成彬と同じ1943年生まれの有名人・芸能人

中山成彬と同じ6月7日生まれの有名人・芸能人

中山成彬と同じ出身地宮崎県生まれの有名人・芸能人


中山成彬と関係のある人

上原正吉: 中山成彬


竹山祐太郎: 中山成彬


中山恭子: 2009年、夫である中山成彬が第45回衆議院議員総選挙にて宮崎1区から立候補した。


井上吉夫: 中山成彬


天野公義: 中山成彬


小山長規: 中山成彬


上杉光弘: 2008年、上杉と長年の確執を抱える関係にある宮崎1区選出の国土交通大臣・中山成彬が問題発言の責任を取って国土交通大臣を辞任。


大島友治: 中山成彬


岡田勢一: 中山成彬


渡海元三郎: 中山成彬


前田佳都男: 中山成彬


奥田幹生: 中山成彬


近藤鶴代: 中山成彬


宮崎茂一: 中山成彬


佐藤敬夫: 1986年に、衆議院選挙秋田1区から自由民主党公認で立候補し初当選(当選同期に鳩山由紀夫・斉藤斗志二・三原朝彦・村井仁・逢沢一郎・武村正義・園田博之・中山成彬・谷津義男・新井将敬・石破茂・笹川堯・村上誠一郎・井出正一など)。


東国原英夫: 2008年10月、地元宮崎県選出の代議士・中山成彬(宮崎1区)が次期衆議院議員総選挙に出馬せず、引退を表明した際に宮崎県政界の中に東国原を後継候補者として擁立する動きがあった。


中村梅吉: 中山成彬


内海英男: 中山成彬


原田昇左右: 中山成彬


道休誠一郎: 同日に民進党は希望の党への合流を決め、10月3日に道休は希望の党の一次公認を受けたが、民進党宮崎県連が希望の党に保守色の強い中山成彬元文部科学相が参加していることに反発し、道休を支援しない方針を決定。


古賀雷四郎: 中山成彬


武井俊輔: 民主党前職(国民新党推薦)の川村秀三郎、日本維新の会元職の中山成彬らを破り、初当選した(中山は比例復活)。


逢沢一郎: 以後、11期連続当選(当選同期に石破茂、武部勤、村上誠一郎、渡海紀三朗、金子一義、三原朝彦、中山成彬、中山太郎、前田武志など)。


坂元親男: 中山成彬


天野光晴: 中山成彬


小沢辰男: 中山成彬


すぎやまこういち: 政治家に対する直接的な支援としては、松原仁・稲田朋美・城内実などの応援曲の作曲を手掛けたほか、2012年には稲田に計250万円(夫人・之子名義のものを含めると計450万円)、安倍晋三に計160万円、中山成彬に130万円、中山恭子に80万円、赤池誠章に50万円を献金するなど、金銭面での支援も行っている。


木部佳昭: 中山成彬


斎藤栄三郎: 中山成彬


荒木万寿夫: 中山成彬


中山成彬の情報まとめ

もしもしロボ

中山 成彬(なかやま なりあき)さんの誕生日は1943年6月7日です。宮崎出身の政治家のようです。

もしもしロボ

卒業、事件、引退、現在、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。中山成彬の現在の年齢は81歳のようです。

中山成彬のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

中山 成彬(なかやま なりあき、1943年〈昭和18年〉6月7日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。

衆議院議員(8期)、文部科学大臣(第5代・第6代)、国土交通大臣(第10代)、経済産業副大臣(第2次森改造内閣)、日本維新の会・次世代の党両院議員総会長兼代議士会長、希望の党最高顧問、同代表(第2代)を歴任。

ラ・サール高等学校、東京大学法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省。大臣官房企画官などを経て1982年に退官。翌1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧宮崎2区から無所属で立候補したが落選。1986年の第38回衆議院議員総選挙で自民党公認で立候補し初当選。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選。1996年の第41回衆議院議員総選挙から選挙区が宮崎1区となり、この選挙で新進党の米沢隆(元民社党委員長)らを破り、政界に復帰した。その後衆議院商工、厚生労働の各委員長、経済産業副大臣などを務めた。

2004年の第2次小泉改造内閣にて文部科学大臣として初入閣し、日本原子力研究所と、もんじゅを運営していた核燃料サイクル開発機構を統合し独立行政法人日本原子力研究開発機構とする法案を成立させた。また、かつて慰安婦問題で調査を行い、南京事件は存在しないというレポートを出している。

2008年9月24日に麻生内閣の国土交通大臣に就任するが、同月28日に辞任。原因は同月25日の「成田反対はゴネ得」、「日本は単一民族」、同月27日の「日教組を解体へ」の発言に対して度重なる抗議を受けたため。翌29日、『みのもんたの朝ズバッ!』に生出演し、自身の発言に対する批判に反論した。

2008年10月4日、次回の衆議院議員総選挙に立候補せず引退すると表明したが、10月16日、「やっぱり出る意思を固めた」とし、引退表明を撤回した。この出馬表明に対し、イメージダウンを嫌った自民党本部は門前払いした。自民党内から「日教組批判などを繰り返し、国交相を引責辞任した中山成彬の再出馬なんか認めたら、国民から神経を疑われる」と批判が相次いだ。党選対委員長の古賀誠と電話で話したが、立候補を拒否され、再出馬を断念した。

自民党宮崎県連は、中山成彬の後任に元参議院議員・上杉光弘の出馬を内定した。しかし、中山は支部長を上杉に譲ることを拒否し、宮崎1区支部長職の交代は進展しなかった。

宮崎1区に自民の公認候補が存在しない選挙となり、自民支持層は分裂した。結果、民主などの推薦を受けた川村秀三郎が漁夫の利を得て当選した。落選後、中山は「あまりにもあっけない落選。申し訳ない。全国的な民主党ブームの中、県民の冷静な判断を求めたが。日教組教育が浸透するとこの国はダメになる。政治家としてこの国の行く末を見届ける。」と、今後も政治活動を続ける意向を示した。

2009年7月18日、自民党宮崎県連党紀委員会は、すでに県連として上杉光弘を公認申請していたにもかかわらず、党議に背き中山成彬を公認候補とするよう党本部に要請したとして、党県第1選挙区支部の久島時夫幹事長と大村嘉一郎副支部長を除名処分とした。

2009年9月12日、県連党紀委は国交相就任時の発言やその後の衆院選不出馬撤回など、一連の中山成彬の言動を「党の規律を乱す行為」とし、党本部に中山成彬を除名処分とするよう求めることを決定した。

2010年7月11日の第22回参議院議員通常選挙でも、自民党からの立候補を目指したが実現しなかった。2010年6月21日、たちあがれ日本公認で立候補することが決定した。自民党を離党(受理されず除名処分)した妻・恭子と共に、たちあがれ日本へ入党したが、第22回参議院議員通常選挙では落選。

2010年8月4日、自民党本部は、地方組織を混乱させ、「自民党の選挙対策に悪影響を及ぼした」とし、中山成彬を除名した。これにより、夫婦揃って自民党から除名されることとなった。

2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、公示前にたちあがれ日本が太陽の党を経て、日本維新の会に合流したことにより宮崎1区に日本維新の会から出馬、選挙区では3位に終わったものの、比例九州ブロックで復活当選、国政へ復帰した。

2014年6月、石原慎太郎共同代表が維新を分党して新党を立ち上げる事を表明したのに伴って、妻・恭子と共に同党に参加する事を表明。8月1日次世代の党正式設立に参加し、結党大会では最高顧問に就任する石原や、党首に選ばれた平沼赳夫とともにあいさつした。同日同党両院議員総会長、代議士会長に就任。同年12月14日の第47回衆議院議員総選挙では、比例九州ブロックの比例単独1位で立候補したが、落選した。

2016年6月、第24回参議院議員通常選挙に比例区から出馬したが、7月10日の投開票の結果、落選。

2017年の第48回衆議院議員総選挙では、妻・恭子と共に旧希望の党に参加。比例九州ブロックから同党の比例単独1位で出馬し当選した。2018年5月、希望の党分党に伴い新たに発足した希望の党の最高顧問に就任。2019年5月28日、辞任した松沢成文の後任として党代表に就任。

2021年10月6日、第49回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界を引退する意向と報じられる。同月18日、中山が記者会見で引退を正式に表明し、代表を務める希望の党は同月1日にすでに解党していたことを明かした。

2023年秋の叙勲に於いて旭日大綬章を受章した。

女性宮家の創設に反対。

アベノミクス及び消費税率10%への引き上げを1年半先送りした事を評価しており、消費税率を10%に引き上げる際に軽減税率を生活必需品などに導入すべきでないとしている。年金の給付水準が下がるのは、負担増が耐えられない為やむをえないとしている。

原発は日本に必要としている。

選択的夫婦別姓制度導入について、反対の請願を国会に提出している。一方、野田聖子による例外的に夫婦の別姓を実現させる会には賛同していた。

同性婚制度導入に反対。2015年4月には渋谷区パートナーシップ制度が成立したことを受け、「性的少数者への偏見は解消しなければならないが、同性婚を法的に認めることには反対だ」とツイッターに投稿した。

憲法9条の改正に賛成。

集団的自衛権の行使に賛成。

特定秘密保護法を必要としている。

日本の核武装について、検討を始めるべきとしている。

普天間飛行場の移設先については、沖縄県以外の日本国内が望ましいとしている。

南京事件における大虐殺の発生を否定している。

2013年3月8日の衆議院予算委員会で質疑に立ち、慰安婦は日本政府による強制ではなく、逆に悪意ある集団を警察が取り締まっていたことを当時の朝日新聞の記事をもとに主張した。また、「日本の留学生は、(同じ国に留学している)中国や韓国の留学生から『祖先はひどい目にあった』と責められ肩身が狭い思いをしている」と述べ、状況の改善を政府に求めた。

首相の靖国神社参拝を問題ないとし、「村山談話」及び「河野談話」を見直すべきとしている。

慰安婦問題では、「従軍慰安婦」の存在を否定する立場を取る。日本維新の会が2013年11月に「歴史問題検証プロジェクト・チーム (PT)」を発足させると座長に就任した。2014年4月18日には、PT座長として首相官邸を訪れ、河野談話の見直しを要求する署名約16万筆を官房長官の菅義偉に提出した。中山は「国民の声を届けた。『従軍慰安婦』は存在しなかったというのが事実だ。事実をしっかり知っている人に検証してもらいたい」と述べた。

小泉内閣の文部科学大臣当時、「ゆとり教育」学習指導要領による学力低下を認めるものの「生きる力」の「理念や目標には間違いがない」とし、また「その狙いが十分に達成されていないのではないか」と発言、「ゆとり教育」の理念に理解を示した。

後述の「発言」に見られるように、日本教職員組合の存在と活動に否定的である。また、後述のように文科相時代に全国学力調査を提唱し、導入を推進した。現在の性教育やジェンダーフリー教育についても否定的である。「道徳」を小中学校の授業で教える事に賛成。

「教育のガン」発言後の2008年12月10日に自民党の森山眞弓を会長とする「日本教職員組合問題究明議員連盟」が発足すると、顧問の一人として就任した。中山は、「一般国民の目が届かないところで一部過激な日教組の組合員が自虐教育、過激な性教育、行き過ぎたジェンダーフリー教育など信じられないような教育を行っている。かつて社会党議員であった者が今民主党内にもぐりこみ、民主党の教育政策の主導権を握り、道徳教育反対等の日教組の主張が色濃く反映している」と主張している。

「必要な道路は造っていかないといけない」「都会にも改良すべき道路はたくさんある」と述べ、地方の道路整備を進めると同時に首都圏でも道路の再整備を続ける方針を示している。また、「公共事業の削減はもう限界。財政再建は必要だが、削減一辺倒という考えはやめてほしい」として公共事業への積極投資を示唆している。

ヘイトスピーチを法律で規制することに反対。

受動喫煙防止を目的に飲食店等の建物内を原則禁煙とする健康増進法改正に賛成。

2008年(平成20年)9月25日、千葉県にある成田国際空港拡張工事への反対派による三里塚闘争を指して、「戦後教育が悪かったと思うが、公のためには、ある程度自分を犠牲にしてでもというのがなくて、自分さえよければという風潮の中で、なかなか空港拡張もできなかったのは大変残念だった。中国がうらやましい。」 と述べ、当時の千葉県知事である堂本暁子や、成田空港問題を抱える成田空港地域共生・共栄会議参加首長から抗議を受けた。この「ゴネ得」舌禍事件が、国土交通大臣辞任の最大の原因との指摘もある。

訪日外国人旅行客の誘致策を問われた際、「日本はずいぶん内向きな、単一民族といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない」と発言した。この発言について、アイヌ民族団体の北海道ウタリ協会理事長の加藤忠より、抗議を受けた。この発言は、2008年6月に衆議院・参議院で全会一致で決議した「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を否定する内容であった。さらに「アイヌの人々が独自の宗教、文化を持った民族であることは認識している」と発言し、前述のように北海道ウタリ協会より抗議を受けた。なお、同日晩に『誤解を招く表現』として、前述の「ゴネ得」と「単一民族」発言について、撤回・陳謝した。

2008年9月、教育問題について、「(賄賂事件のあった)大分県の教育委員会の体たらくなんて日教組ですよ」「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる」「(日教組が強いから)大分県の学力は低い」と日本教職員組合を批判した。この発言に対し、日本教職員組合書記長から抗議文書が送られた。また、文科相時代に全国学力調査を提唱した理由も、自説を証明するためであり、証明が完了した以上調査の役割は終わったとも述べた。11月にはSAPIOに『何度でも言う。「日教組は教育のがんである」』と題するインタビュー記事が掲載される。

朝日新聞は13道府県を対象に、日教組の組織率と学力テストの点数が共に高かった例(秋田県)や、組織率と学力テストの点数が共に低かった例を挙げて、組織率と学力の相関関係はうかがえないとしている。また、文部科学省の銭谷真美事務次官は、「かつて一部地域で不適切な活動があり、是正指導をしたのは事実」と行過ぎた組合活動があったことを認めた上で、「組合の組織率が高くても低くても成績のよい県はある。(関連があると)一概には言えない」との省としての見解を示した。

これらの調査に対して産経新聞は、「日教組の強さを勝手に組織率に置き換えている」「日教組の組織率の高さと組合運動の強さが正比例しているわけではない。組織率が高くても、イデオロギー色が薄く互助組合のようなところもある」「日教組が強いとは、質の問題であり、イデオロギー色の強い活動をどれだけしていて、闘争的な組合員がどれだけ全体に影響を持っているかということであり、低学力地域には日教組が強い地域が多い」と反論した。

中山は、「授業を無視してストライキをするようなことが生徒の学力にいいはずがない。それに組織率と日教組の強さは等しくない。例えば秋田県は組織率は90%を超えるほど高いがゆるい活動で知られ、実際に学力テストの結果は良かった。逆に組織率は高くないながら過激な活動で知られる北海道や大阪は学力は低い」ちなみに、同誌の中で、文部大臣時代に全国の小中学校を視察したが大阪だけは日教組が阻止して実行できなかったと述べている。また日教組に対する批判について、「撤回はしない。わたしは日本の教育のガンは日教組だと思っている。ぶっ壊すために火の玉になる」「何とか(日教組を)解体しなければならない」と述べ、千葉県知事・ウタリ協会代表からの抗議申し入れには直接応対したものの、日教組に対してはこれを拒否した。日教組側は「非常に憤りを感じる」「直接本人に会って、真意を伺うとともに、改めて辞任を求めていきたい」とコメントした。

時の大阪府知事・橋下徹は中山の発言を「本質を突いている」と支持した。

2008年9月28日、国土交通大臣を辞任。在任期間は5日で、閣僚の在任期間としては戦後2番目の短命となった。辞任した後も中山は、9月29日朝のTBSテレビの番組『時事放談』の中で、「私の次の選挙は本当に危ないが、政治生命をかけてでも国民に訴える責任がある」とし、さらに野党の民主党についても「民主党政権が誕生すると、日本全国が大阪府みたいになる。職員組合とのなれ合いで財政破綻にひんしている」などと発言した。

2008年10月8日、九州横断自動車道建設促進大会でのスピーチにて、一連の問題発言による国土交通大臣辞任について「自民党が(衆院選で)勝つため」に仕組んだ「自作自演のシナリオ」だったと説明した。その上で、同席した宮崎県知事の東国原英夫に対して「どうしても(衆院選に)出てもらわないと困る」と要請した。

東国原はこの要請に対し「あの場で言われても困惑する。考慮に値しない」と述べた上で、「唐突に公の場で依頼されたことに驚きと違和感を覚えた。いかがなものかと思う」と批判し、衆議院議員選挙に出馬しないことを同日改めて表明した(その後、東国原は2009年6月になっていったんは総選挙出馬の意向を示し、翌7月には撤回している)。

第二次世界大戦で日本は負けたが八紘一宇を掲げた、その結果としてアジアやアフリカの植民地が独立し、アメリカにもアフリカ系の人々がどんどん入って来るようになった、そして公民権運動が起き、ついにはバラク・オバマがアメリカ大統領になった。全て私達の先祖のおかげであり、歴史直視とはこういうこと。従軍慰安婦や南京事件などなかった、中韓のでっち上げ。我々(日本維新の会)が平和ボケの日本人を覚醒させる。安倍総理は靖国に公式参拝すべき”と主張した。

2013年6月7日の維新代議士会で、日本による慰安婦の募集に強制性があったとする韓国の主張について、「自分の子や近所の娘が連行されるのを黙って見ていたのか。そんなに朝鮮人は弱虫だったのか」「日本人をおとしめ、彼らの先祖もおとしめている。(応酬は)お互いにやめよう」と発言した。11月、朝日新聞が、「慰安婦だったと証言するインドネシアの女性」を記事にした。ただ、この女性たちは、「日本兵かは定かではないが、言語と顔つきがインドネシア人と違うことから、日本兵だと思った」と話している。これについて、「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい。」と意見を言った。

2003年8月、私設秘書の給与(1996年12月から1998年2月までの計300万円)が、大手商社ニチメンの詐欺事件の被告が会長を務めていた電気機器製造会社「帝菱産業」により肩代わりされていたことが判明した。

自民党宮崎1区支部が、2003年11月に世界基督教統一神霊協会関連団体の世界平和連合から100万円の政治献金を受け取っていた、と報じられた。同支部は、「統一教会との関係は知らなかった。問題なら、返却することも検討する」としている。中山は、2004年9月、宗教法人を所管する文科相に就任していた。地元事務所によれば、地元の会合に世界平和連合のメンバーも出席したことがあったとされ、献金については「問題だとは思わなかった」としている。

村上ファンド元代表の村上世彰から150万円の献金を受けていた。中山の事務所は、「村上氏が被告になったからといって返還はしない」としている。

自民党宮崎県第1選挙区支部が、国交省と旧日本道路公団が発注した鋼鉄製橋梁工事で談合したとして2005年に公正取引委員会から排除勧告を受けた2社(サノヤス・ヒシノ明昌〈現:サノヤスホールディングス〉、日本車輌製造)から、摘発後も計72万円の献金を受けていた。

2009年、第45回衆議院議員総選挙にて宮崎1区から立候補した。成彬は以前引退を表明していたことから、自由民主党宮崎県支部連合会は上杉光弘の擁立を決定しており、両者とも党本部の公認が得られぬまま激しい選挙戦が展開された。恭子は選挙対策総本部長に就任しサポートしたが成彬は落選し、さらに恭子の秘書2名が公職選挙法違反容疑で書類送検された。

2012年の第46回衆議院議員総選挙において、中山の支援者が中山氏への投票や票のとりまとめを依頼、報酬として複数回にわたって現金計数万円を受け渡ししたとして書類送検された。中山氏の後援会事務所は「後援会と直接関係のない支援者のことで、詳細はわからない」としている。

娘1人、息子2人

田母神俊雄

1943年6月7日 - 宮崎県小林市に生まれる

1959年 - 小林市立小林中学校卒業

1962年 - 鹿児島ラ・サール高校卒業

1966年 - 東京大学法学部卒業、大蔵省入省。同期に夫人の中山恭子、武藤敏郎、中島義雄、長野庬士、岡田康彦、塩田薫範、浅見敏彦(印刷局長)など。

1970年 - 大蔵省銀行局総務課企画係長

1971年 - 東京都荏原税務署長

1975年 - 世界銀行(ワシントンD.C.)へ出向

1978年 - 大蔵省主計局主査(防衛担当)

1980年 - 大蔵省東海財務局理財部長(名古屋市)

1982年 - 大蔵省大臣官房企画官。その後大蔵省を退官し、政治活動に入る。

1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙に衆議院選旧宮崎2区より初出馬(551票差で落選)

1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙に初当選

1990年12月 - 文部政務次官に就任(-1991年11月5日)

1993年7月 - 第40回衆議院議員総選挙で落選

1996年10月 - 第41回衆議院議員総選挙で当選

2000年12月 - 通商産業総括政務次官に就任(-2001年1月5日)

2001年1月 - 経済産業副大臣に就任(-同年4月26日)

2003年9月 - 自民党副幹事長に就任

2004年9月 - 文部科学大臣に就任(第2次小泉改造内閣)

2006年10月 - 自民党政務調査会副会長に就任

2008年9月25日 - 国土交通大臣に就任(麻生内閣)28日、大臣辞任

2009年8月30日 - 第45回衆議院議員総選挙で落選(次点)

2010年6月21日 - たちあがれ日本に入党 8月4日、自民党より除名処分

2012年12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙で当選(比例復活)

2014年12月14日 - 第47回衆議院議員総選挙で落選

2016年7月10日 - 第24回参議院議員通常選挙で落選

2017年10月22日 - 第48回衆議院議員総選挙で当選

2021年10月6日 - 第49回衆議院議員総選挙には立候補せず、任期限りで政界を引退する意向を明らかにした。同月18日、中山が記者会見で引退を正式に表明し、代表を務める希望の党については同月1日に解党していたことを明かした。

2021年11月 - 新しい歴史教科書をつくる会顧問に就任。

日本会議国会議員懇談会

清和政策研究会

日本教職員組合問題究明議員連盟(顧問)

教育再生・地方議員百人と市民の会(特別顧問)

公共放送のあり方について考える議員の会

日本の前途と歴史教育を考える議員の会(会長)

国想う在野議員の会(会長)

日本維新の会「歴史問題検証プロジェクト・チーム(座長)

例外的に夫婦の別姓を実現させる会

朝日新聞を糺す国会議員の会(代表)

これらのうち、自民党の議員連盟からは2010年8月の除名により退会したものと考えられる。

伊藤玲子「中山成彬はなぜ日教組と戦うのか 〜まっとうな教育を回復せよ〜」ベストセラーズ、2008年12月 ISBN 978-4584131169

^ 国会議員経験者を処分する権限は、党本部が持つと自民党の党則で規定されている

^ 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号(平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)

^ 報告は戸井田徹のウェブサイトにPDF保存されており、水間政憲が『南京の実相』として書籍にまとめ日新報道から2008年10月に出版している(ISBN 9784817406675)

^ “中山国交相、28日に辞任 日教組めぐり再び問題発言”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年9月28日). https://web.archive.org/web/20080927234219/http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092701000409.html 2010年9月15日閲覧。 

^ “中山氏「言葉狩り」強弁変えず “朝ズバッ!”に生出演”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年9月29日). https://web.archive.org/web/20080929171819/http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092901000177.html 2012年11月28日閲覧。 

^ “中山前国交相が衆院選不出馬表明 宮崎1区、後継は明言せず”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年10月4日). https://web.archive.org/web/20081006031645/http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008100401000458.html 2010年9月15日閲覧。 

^ 中山前国交相:やっぱり出る…引退撤回、衆院選出馬の意向 毎日新聞 2008年10月16日

^ 中山前国交相:八方ふさがり 党本部も「門前払い」 毎日新聞 2008年10月17日

^ 中山前国交相:衆院選「やっぱり不出馬」古賀氏が調整拒否 毎日新聞 2008年10月17日

^ 自民宮崎1区 9支部「上杉氏支援」 中山氏応じず 支部長交代進展なく 西日本新聞 2008年12月8日

^ “中山前国交相「あまりにもあっけない落選」 宮崎1区”. 朝日新聞. (2009年8月31日). https://www.asahi.com/senkyo2009/news/SEB200908310008.html 2014年5月30日閲覧。 

^ “久島、大村氏を除名 中山氏擁立で自民・宮崎県連”. 宮崎日日新聞. (2009年7月19日). http://www.47news.jp/news/election/shuin2008/2009/07/132601.html 2017年7月23日閲覧。 

^ “「自民を名乗るべからず」宮崎県連が中山氏の除名要請へ”. 朝日新聞. (2009年9月13日). https://www.asahi.com/seikenkotai2009/SEB200909120043.html 2014年5月30日閲覧。 

^ “中山成彬氏を「除名」 自民県連党本部に要請へ”. 宮崎日日新聞. (2009年9月13日). http://www.47news.jp/news/2009/07/post_20090719104432.html 2014年5月30日閲覧。 

^ “「自民を名乗るべからず」宮崎県連が中山氏の除名要請へ”. 朝日新聞. (2009年9月13日). https://www.asahi.com/seikenkotai2009/SEB200909120043.html 2014年5月30日閲覧。 

^ “中山前国交相を除名処分 自民県連「不出馬撤回で混乱招いた」”. MSN産経ニュース. (2009年9月12日). オリジナルの2009年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090915173545/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090912/stt0909121428008-n1.htm 2019年5月31日閲覧。 

^ “たちあがれ日本、中山成彬氏公認 妻とともに入党へ”. 朝日新聞. (2010年6月21日). https://www.asahi.com/senkyo2010/news/TKY201006210083.html 2014年5月30日閲覧。 

^ “ファイル:中山氏、たちあがれ入党”. 読売新聞. (2010年6月21日). https://web.archive.org/web/20100626034739/http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/news1/20100621-OYT1T00871.htm 2014年5月30日閲覧。 

^ “自民、「みんな」から立候補の水野氏を除名処分”. 朝日新聞. (2010年8月4日). オリジナルの2011年1月9日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20110109012846/http://www.asahi.com/politics/update/0804/TKY201008040153.html 2010年9月15日閲覧。 

^ “日本維新の会:2次公認9人を発表”. 毎日新聞. (2012年11月19日). オリジナルの2012年11月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121121124924/http://mainichi.jp/select/news/20121120k0000m010034000c.html 

^ “中山元国交相が比例復活”. 産経新聞. (2012年12月17日). https://web.archive.org/web/20121216203954/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121217/elc12121702180055-n1.htm 2012年12月19日閲覧。 

^ “平沼党首いきなり党名間違えた 「次世代の党」を「新世代の党」”. スポーツニッポン (2014年8月1日). 2014年8月8日閲覧。

^ 議員一覧 - 次世代の党

^ “中山成彬 衆院選2014”. 読売新聞. 2016年7月13日閲覧。

^ “中山成彬 参院選2016”. 読売新聞. 2016年7月13日閲覧。

^ “希望・中山成彬氏「自民ブランド強い」 前原氏批判も”. 朝日新聞 (2017年10月23日). 2017年10月23日閲覧。

^ “国民民主党参加者、不参加者、新「希望の党」参加者一覧”. 産経新聞 (2018年5月7日). 2019年5月28日閲覧。

^ “希望・松沢成文代表が辞任、新代表に中山成彬氏”. 産経新聞 (2019年5月28日). 2019年5月28日閲覧。

^ “中山成彬氏政界引退へ 衆院選不出馬”. Miyanichi e-press (宮崎日日新聞社). (2021年10月7日). https://www.the-miyanichi.co.jp/kennai/_57230.html 2021年10月7日閲覧。 

^ “中山成彬氏 政界引退を正式表明・宮崎県”. 宮崎放送. (2021年10月18日). https://mrt.jp/localnews/?newsid=202110183682 2021年10月18日閲覧。 

^ “中山成彬元文科相、「ゆとり教育」見直しが思い出…旭日大綬章「支えてくれた方のおかげ」”. 読売新聞. (2023年11月3日). https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20231102-OYTNT50199/ 2023年11月3日閲覧。 

^ 『官報』号外232号、令和5年11月6日

^ “2012衆院選 九州ブロック 日本維新の会 中山成彬”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_hirei_meikan.html?mid=D11139002012 2013年3月13日閲覧。 

^ 2014衆院選 九州ブロック 中山 成彬 - 毎日新聞 - 毎日新聞

^ 第154回国会請願2018号

^ 毎日新聞 2002年7月16日

^ “中山 成彬”. マリフォー国会メーター. 2021年10月8日閲覧。

^ “https://twitter.com/nakayamanariaki/status/583765919945461760”. Twitter. 2021年10月8日閲覧。

^ 産経新聞 2013年3月8日

^ http://nakayamanariaki.com/modules/news/index.php?page=article&storyid=10

^ “河野談話見直し要求の約16万署名提出 維新、官房長官に”. 産経ニュース. 産経デジタル (2014年4月18日). 2020年10月11日閲覧。

^ “河野談話の撤回要求へ 維新、年明け署名 参考人招致も”. 産経ニュース. 産経デジタル (2013年12月28日). 2020年10月11日閲覧。

^ [参考資料「学力の現状」「教育内容」に関するこれまでの国会答弁]

^ “「反日教組」議連が発足 自民、民主をけん制”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年12月10日). オリジナルの2013年5月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130515165115/http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008121001000965.html 2017年2月24日閲覧。 

^ “「日教組問題究明議員連盟(略称)」発足”. 中山成彬公式ホームページ (2008年12月11日). 2009年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月24日閲覧。

^ 日経新聞 9月25日

^ 時事通信 2008年9月25日

^ “衆議院選挙2017/10/22タバコ対策の公開アンケート”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2017年10月24日). 2021年10月30日閲覧。

^ 「成田反対ゴネ得」「日本は単一民族」 中山国交相「誤解招く」と撤回 産経新聞2008年9月26日 Archived 2008年10月3日, at the Wayback Machine.

^ 読売新聞2009年9月30日

^ “ウタリ協会など相次ぎ抗議 中山国交相の問題発言に”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年9月26日). https://web.archive.org/web/20080929043337/http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092601000784.html 2014年7月3日閲覧。 

^ 毎日新聞 2008年9月25日、読売新聞 2008年9月26日

^ 中山国交相の発言内容要旨 朝日新聞 2008年9月26日 Archived 2008年9月29日, at the Wayback Machine.

^ 「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし 朝日新聞2008年9月27日 Archived 2008年9月29日, at the Wayback Machine.

^ 文科事務次官:組合の組織率と成績関連言えぬ…中山発言で 毎日新聞2008年9月29日

^ 組合と学力に関連性はあるか? 低学力地域は日教組票多く 産経新聞2008年10月8日 Archived 2009年1月8日, at the Wayback Machine.

^ 小学館『SAPIO』2008年11月26日号

^ 朝日新聞 2008年9月27日

^ 中山氏「がんの日教組ぶっ壊す」 再び批判発言 共同通信 2008年9月27日

^ 中山国交相“日教組解体を” NHKニュース

^ 開いた口ふさがらない=中山国交相発言に「憤り」-日教組 時事ドットコム

^ 中山国交相 辞任会見でも持論 日教組批判 政府内「自爆テロ」 西日本新聞 2008年9月28日。最短は法相に任じられたもののリクルート事件絡みで辞任した長谷川峻の4日間。

^ 「国交相辞任の中山氏、日教組批判の持論繰り返す」 読売新聞 2008年9月29日

^ asahi.com:国交相辞任、東国原知事出馬が「私のシナリオ」と中山氏 - 政治 朝日新聞 2008年10月8日 Archived 2008年10月19日, at the Wayback Machine.

^ 「東国原知事が出ないと困る」 中山前国交相が“出馬要請” 宮崎1区 知事は不快感 西日本新聞 2008年10月9日

^ 東国原氏が衆院出馬を再否定 産経デジタル 2008年10月8日 Archived 2009年2月7日, at the Wayback Machine.

^ 「平和ボケの日本人を覚醒させる」維新・中山氏 朝日新聞デジタル2013年7月20日

^ “中山成彬氏「朝鮮人は弱虫か」 維新代議士会で発言”. 共同通信社. 47NEWS. (2013年6月7日). オリジナルの2013年6月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130609233407/http://www.47news.jp/CN/201306/CN2013060701002165.html 2019年11月4日閲覧。 

^ “中山成彬氏 朝日の慰安婦報道は「日本悪者にしたい」”. アメーバニュース. (2013年11月29日). http://yukan-news.ameba.jp/20131129-112/ 2014年5月30日閲覧。 

^ 毎日新聞 2003年8月22日

^ “統一教会系団体から献金 100万円、支部長は文科相”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年11月9日). https://web.archive.org/web/20101111134702/http://www.47news.jp/CN/200411/CN2004110901000801.html 2012年9月20日閲覧。 

^ 共同通信 2004年11月17日

^ 朝日新聞 2006年9月9日

^ 読売新聞 2008年9月27日

^ 「衆院選公選法違反容疑、中山恭子氏秘書ら書類送検」『衆院選公選法違反容疑、中山恭子氏秘書ら書類送検:週間ニュース:九州発:YOMIURI ONLINE(読売新聞)』読売新聞、2009年9月19日。 Archived 2012年5月26日, at the Wayback Machine.

^ 中山氏派運動員を書類送検、NHK宮崎のニュース 2009年9月19日

^ 毎日新聞 2013年2月5日

^ 中山氏に田母神氏が“救いの手”スポーツ報知 2009年8月20日 2009年8月26日確認

^ 『田母神元空幕長 広島平和式典「被爆者も2世もいない」』毎日新聞 2009年8月25日配信、2009年8月26日確認

^ 『前空幕長「広島平和記念式典は左翼運動」と発言』 読売新聞2009年8月26日

^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1971年発行、477頁

^ “中山成彬氏政界引退へ 衆院選不出馬”. Miyanichi e-press (宮崎日日新聞社). (2021年10月7日). https://www.the-miyanichi.co.jp/kennai/_57230.html 2021年10月7日閲覧。 

^ “中山成彬氏 政界引退を正式表明・宮崎県”. 宮崎放送. (2021年10月18日). https://mrt.jp/localnews/?newsid=202110183682 2021年10月18日閲覧。 

^ “拡大臨時総会を開催”. 新しい歴史教科書をつくる会 (2021年11月4日). 2022年7月1日閲覧。

^ “参加者 - 国会議員、学識経験者、オピニオンリーダー(顧問)”. 教育再生・地方議員百人と市民の会. 2015年11月17日閲覧。

中山なりあき 公式ホームページ - ウェイバックマシン(2021年10月8日アーカイブ分)

中山なりあき (nakayamanariaki) - X(旧Twitter)(2010年6月登録、2017年10月末を最後に沈黙)

中山 成彬 (nariaki.nakayama) - Facebook

中山成彬(なかやま なりあき)/Nariaki Nakayama【Official】 (nakayamanariaki.official) - Facebook

中山成彬 - YouTubeチャンネル

中山成彬 - Ameba Blog

創設

小林雄七郎

山田泰造

立川雲平

西川義延

高梨哲四郎

山田泰造

西田忠之

小松三省

高橋安爾

鈴木充美

菊池九郎

稲垣示

多田作兵衛

磯田和蔵

西原清東

海野謙次郎

奥繁三郎

村松愛蔵

磯部四郎

鹿島秀麿

花井卓蔵

江間俊一

戸水寛人

岡田泰蔵

板倉中

阿部徳三郎

岩崎総十郎

横田千之助

清水市太郎

森田茂

安東敏之

森田茂

小山温

戸水寛人

中西六三郎

則元由庸

鳩山一郎

島田俊雄

加藤重三郎

岩崎幸治郎

北井波治目

野副重一

横山金太郎

斎藤隆夫

武藤嘉門

岩崎幸治郎

武富済

横山勝太郎

宮古啓三郎

岡田忠彦

川口義久

土屋清三郎

戸沢民十郎

藤田若水

津崎尚武

板野友造

浜田国松

岩崎幸治郎

熊谷直太

磯部尚

牧野賤男

岩崎幸治郎

浜野徹太郎

戸沢民十郎

山本芳治

岡本実太郎

高見之通

一松定吉

松木弘

中井一夫

岡本実太郎

猪野毛利栄

山崎達之輔

清瀬一郎

津崎尚武

松永東

田子一民

牛塚虎太郎

一宮房治郎

寺田市正

西方利馬

一松定吉

谷原公

山崎猛

本田英作

高橋泰雄

創設

大原博夫

森三樹二

明禮輝三郎

松木弘

山本猛夫

森幸太郎

土倉宗明

眞鍋勝

南條徳男

森幸太郎

赤城宗徳

北昤吉

長井源

大森玉木

宇都宮徳馬

山口好一

高瀬傳

武知勇記

中村寅太

大村清一

大森玉木

濱地文平

内海安吉

山本勝市

鍛冶良作

綱島正興

堀川恭平

岡本茂

篠田弘作

菊池義郎

篠田弘作

早稲田柳右衛門

村上勇

島村一郎

宇田国栄

小平忠

中村正雄

曽祢益

林百郎

赤城宗徳

中野四郎

天野光晴

春日一幸

稲富稜人

佐々木良作

天野公義

渡辺栄一

林大幹

松野幸泰

小宮山重四郎

大出俊

原田憲

奥田敬和

左藤恵

小沢辰男

神田厚

山花貞夫

池端清一

西村眞悟

菅原喜重郎

塩田晋

鈴木淑夫

米沢隆

佐藤謙一郎

伊藤忠治

岩國哲人

横光克彦

池田元久

野田佳彦

河村建夫

山本有二

山本拓

近藤昭一

高木義明

大畠章宏

中川正春

大島敦

中山成彬

篠原孝

平野博文

福田昭夫

山井和則

安住淳

大串博志

中川正春

菊田真紀子

新設

鈴木俊一

森英介

坂井隆憲

中山成彬

衛藤晟一

鴨下一郎

岸田文雄

桜田義孝

茂木敏充

田村憲久

藤村修

鉢呂吉雄

牧義夫

池田元久

長妻昭

松本純

後藤茂之

上川陽子

渡辺博道

丹羽秀樹

高鳥修一

冨岡勉

盛山正仁

渡嘉敷奈緒美

橋本岳

三ッ林裕巳

田畑裕明

新谷正義

本多市郎

大野伴睦

田中角栄

神田博

福田篤泰

小平久雄

長谷川四郎

中村幸八

大島秀一

中川俊思

早稲田柳右衛門

逢沢寛

二階堂進

内田常雄

天野公義

島村一郎

小峰柳多

大久保武雄

八田貞義

鴨田宗一

藏内修治

浦野幸男

浜野清吾

松岡松平

山村新治郎

稲村佐近四郎

野呂恭一

橋口隆

塩川正十郎

野中英二

渡部恒三

登坂重次郎

梶山静六

粕谷茂

野田毅

佐藤信二

渡辺秀央

田原隆

与謝野馨

浦野烋興

奥田幹生

武藤山治

山口鶴男

井上普方

中井洽

白川勝彦

甘利明

武部勤

斉藤斗志二

古賀正浩

中山成彬

古屋圭司

廃止

新設

浜地文平

稲葉修

薩摩雄次

中山栄一

楯兼次郎

日野吉夫

廃止

新設

田原春次

芳賀貢

川村継義

辻原弘市

中井徳次郎

高田富之

大原亨

阪上安太郎

金丸徳重

兒玉末男

湯山勇

川崎寛治

米田東吾

藤田高敏

木島喜兵衛

川俣健二郎

上原康助

佐藤観樹

中村茂

馬場昇

伊藤宗一郎

森下元晴

唐沢俊二郎

大石千八

稲垣実男

三ッ林弥太郎

高村正彦

清水勇

森井忠良

池端清一

日野市朗

左近正男

川端達夫

塩田晋

西村章三

中村鋭一

中山成彬

赤羽一嘉

田並胤明

米沢隆

堀込征雄

西村真悟

大野松茂

木村義雄

鈴木恒夫

林田彪

五十嵐文彦

吉田治

村井宗明

馬淵澄夫

荒井聰

坂本剛二

梶山弘志

野田聖子

秋葉賢也

望月義夫

山本幸三

金子恭之

小里泰弘

江藤拓

御法川信英

後藤茂之

小日山直登

田中武雄

三土忠造

村上義一

平塚常次郎

増田甲子七

苫米地義三

北村徳太郎

岡田勢一

小沢佐重喜

大屋晋三

山崎猛

石井光次郎

三木武夫

吉野信次

宮沢胤勇

中村三之丞

永野護

重宗雄三

楢橋渡

南好雄

木暮武太夫

斎藤昇

綾部健太郎

松浦周太郎

中村寅太

荒舩清十郎

藤枝泉介

大橋武夫

中曽根康弘

原田憲

橋本登美三郎

丹羽喬四郎

佐々木秀世

新谷寅三郎

徳永正利

江藤智

木村睦男

石田博英

田村元

福永健司

森山欽司

地崎宇三郎

塩川正十郎

小坂徳三郎

長谷川峻

細田吉蔵

山下徳夫

三塚博

橋本龍太郎

石原慎太郎

佐藤信二

山村新治郎

江藤隆美

大野明

村岡兼造

奥田敬和

越智伊平

伊藤茂

二見伸明

亀井静香

平沼赳夫

亀井善之

古賀誠

藤井孝男

川崎二郎

二階俊博

森田一

扇千景

木村小左衛門

一松定吉

一松定吉

益谷秀次

増田甲子七

周東英雄

野田卯一

佐藤栄作

戸塚九一郎

小沢佐重喜

竹山祐太郎

馬場元治

南条徳男

根本龍太郎

遠藤三郎

村上勇

橋本登美三郎

中村梅吉

河野一郎

小山長規

瀬戸山三男

橋本登美三郎

西村英一

保利茂

坪川信三

根本龍太郎

西村英一

木村武雄

金丸信

亀岡高夫

小沢辰男

仮谷忠男

竹下登

中馬辰猪

長谷川四郎

櫻内義雄

渡海元三郎

渡辺栄一

斉藤滋与史

始関伊平

内海英男

水野清

木部佳昭

江藤隆美

天野光晴

越智伊平

小此木彦三郎

野田毅

原田昇左右

綿貫民輔

大塚雄司

山崎拓

中村喜四郎

五十嵐広三

森本晃司

野坂浩賢

森喜朗

中尾栄一

亀井静香

瓦力

関谷勝嗣

中山正暉

扇千景

増田甲子七

周東英雄

野田卯一

佐藤栄作

戸塚九一郎

大野伴睦

緒方竹虎

三好英之

大久保留次郎

正力松太郎

川村松助

鹿島守之助

石井光次郎

山口喜久一郎

村上勇

西川甚五郎

小沢佐重喜

川島正次郎

佐藤栄作

増原惠吉

福田篤泰

前尾繁三郎

二階堂進

木村武雄

野田武夫

西田信一

渡海元三郎

福田一

江﨑真澄

町村金五

福田一

天野公義

小川平二

加藤武徳

渋谷直蔵

後藤田正晴

原健三郎

松野幸泰

加藤六月

稲村佐近四郎

河本嘉久蔵

古賀雷四郎

綿貫民輔

粕谷茂

坂元親男

井上吉夫

阿部文男

砂田重民

木部佳昭

谷洋一

伊江朝雄

北修二

上原康助

佐藤守良

小里貞利

小沢潔

高木正明

岡部三郎

稲垣実男

鈴木宗男

井上吉夫

川崎二郎

二階俊博

森田一

扇千景

西村英一

丹羽兵助

金丸信

天野光晴

田沢吉郎

櫻内義雄

中野四郎

園田清充

原健三郎

松野幸泰

加藤六月

稲村佐近四郎

河本嘉久蔵

山崎平八郎

綿貫民輔

奥野誠亮

内海英男

野中英二

石井一

佐藤守良

西田司

東家嘉幸

井上孝

上原康助

左藤恵

小沢潔

池端清一

鈴木和美

伊藤公介

亀井久興

柳澤伯夫

井上吉夫

関谷勝嗣

中山正暉

扇千景

扇千景

石原伸晃

北側一雄

冬柴鐵三

谷垣禎一

中山成彬

金子一義

前原誠司

馬淵澄夫

大畠章宏

前田武志

羽田雄一郎

太田昭宏

石井啓一

赤羽一嘉

斉藤鉄夫

中野洋昌

大木喬任

木戸孝允

西郷従道

寺島宗則

河野敏鎌

福岡孝弟

大木喬任

森有礼

榎本武揚

芳川顕正

大木喬任

河野敏鎌

井上毅

西園寺公望

蜂須賀茂韶

濱尾新

外山正一

尾崎行雄

犬養毅

樺山資紀

松田正久

菊池大麓

児玉源太郎

久保田譲

桂太郎

牧野伸顕

小松原英太郎

長谷場純孝

柴田家門

奥田義人

大岡育造

一木喜徳郎

高田早苗

岡田良平

中橋徳五郎

鎌田栄吉

犬養毅

岡野敬次郎

江木千之

岡田良平

三土忠造

水野錬太郎

勝田主計

小橋一太

田中隆三

鳩山一郎

斎藤実

松田源治

川崎卓吉

潮恵之輔

平生釟三郎

林銑十郎

安井英二

木戸幸一

荒木貞夫

河原田稼吉

松浦鎮次郎

橋田邦彦

東條英機

岡部長景

二宮治重

兒玉秀雄

太田耕造

松村謙三

前田多門

安倍能成

田中耕太郎

高橋誠一郎

森戸辰男

下条康麿

高瀬荘太郎

天野貞祐

岡野清豪

大達茂雄

安藤正純

松村謙三

清瀬一郎

灘尾弘吉

松永東

灘尾弘吉

橋本龍伍

松田竹千代

荒木万寿夫

愛知揆一

中村梅吉

有田喜一

剱木亨弘

灘尾弘吉

坂田道太

高見三郎

稲葉修

奥野誠亮

三原朝雄

永井道雄

海部俊樹

砂田重民

内藤誉三郎

谷垣専一

田中龍夫

小川平二

瀬戸山三男

森喜朗

松永光

藤尾正行

塩川正十郎

中島源太郎

西岡武夫

石橋一弥

保利耕輔

井上裕

鳩山邦夫

森山眞弓

赤松良子

与謝野馨

島村宜伸

奥田幹生

小杉隆

町村信孝

有馬朗人

中曽根弘文

大島理森

町村信孝

正力松太郎

宇田耕一

正力松太郎

三木武夫

高碕達之助

中曽根康弘

荒木万寿夫

池田正之輔

近藤鶴代

佐藤栄作

愛知揆一

上原正吉

有田喜一

二階堂進

鍋島直紹

木内四郎

西田信一

平泉渉

木内四郎

前田佳都男

森山欽司

足立篤郎

佐々木義武

前田正男

宇野宗佑

熊谷太三郎

金子岩三

長田裕二

中川一郎

安田隆明

岩動道行

竹内黎一

河野洋平

三ッ林弥太郎

伊藤宗一郎

宮崎茂一

中村喜四郎

斎藤栄三郎

大島友治

山東昭子

谷川寛三

中島衛

渡辺省一

江田五月

近江巳記夫

田中眞紀子

浦野烋興

中川秀直

近岡理一郎

谷垣禎一

竹山裕

有馬朗人

中曽根弘文

大島理森

町村信孝

町村信孝

遠山敦子

河村建夫

中山成彬

小坂憲次

伊吹文明

渡海紀三朗

鈴木恒夫

塩谷立

川端達夫

高木義明

中川正春

平野博文

田中眞紀子

下村博文

馳浩

松野博一

林芳正

柴山昌彦

萩生田光一

末松信介

永岡桂子

盛山正仁

阿部俊子

省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。

カテゴリ

中山成彬→古屋圭司/松田岩夫→大島慶久

高市早苗/西川太一郎

坂本剛二/泉信也

小此木八郎/保坂三蔵

西野陽/松あきら

山本幸三/渡辺博道

新藤義孝/中野正志

高市早苗/吉川貴盛

増子輝彦→池田元久→牧野聖修/松下忠洋→柳澤光美

近藤洋介/松宮勲

菅原一秀/赤羽一嘉

松島みどり/赤羽一嘉

山際大志郎/高木陽介

鈴木淳司/高木陽介

松村祥史/高木陽介

西銘恒三郎/武藤容治

関芳弘/磯﨑仁彦

牧原秀樹/松本洋平

長坂康正/江島潔

細田健一/石井正弘

中谷真一/太田房江

岩田和親/酒井庸行→上月良祐

大串正樹/古賀友一郎

川越博

石神啓吾

森山武彦

小山長規

田中不破三

瀬戸山三男

伊東岩男

小山長規

持永義夫

伊東岩男

持永義夫

瀬戸山三男

伊東岩男

小山長規

瀬戸山三男

瀬戸山三男

児玉末男

小山長規

瀬戸山三男

小山長規

児玉末男

瀬戸山三男

小山長規

児玉末男

瀬戸山三男

小山長規

児玉末男

瀬戸山三男

小山長規

坂元親男

小山長規

児玉末男

瀬戸山三男

堀之内久男

瀬戸山三男

児玉末男

小山長規

堀之内久男

児玉末男

堀之内久男

小山長規

瀬戸山三男

児玉末男

小山長規

堀之内久男

堀之内久男

中山成彬

持永和見

北川昌典

中山成彬

持永和見

堀之内久男

持永和見

中山成彬

川村秀三郎

武井俊輔

渡辺創

江藤隆美

江藤拓

持永和見

古川禎久

衛藤晟一

堀之内久男

山下徳夫

東家嘉幸↓

大原一三

宮路和明

下地幹郎

嘉数知賢

坂井隆憲

林田彪↑

愛野興一郎↓

神崎武法

髙木義明

古賀一成

権藤恒夫

倉田栄喜

島津尚純

東順治↑

松本惟子

川内博史

岩田順介

中西績介

浜田健一

吉井英勝

古堅実吉

下地幹郎

松下忠洋

林田彪

西川京子

堀之内久男

大原一三

嘉数知賢

原口一博

川内博史

楢崎欣弥

古賀一成↓

米沢隆↑

神崎武法

東順治

江田康幸

重野安正

中西績介

今川正美

藤島正之

山田正彦

小沢和秋

赤嶺政賢

野田毅

松下忠洋

仲村正治

西川京子

佐藤錬

三原朝彦

衛藤晟一

松岡利勝

山田正彦

城井崇

楢崎欣弥

川内博史

松野信夫

楠田大蔵

米沢隆

神崎武法

東順治

江田康幸

東門美津子

横光克彦

赤嶺政賢

広津素子

仲村正治

佐藤錬

林田彪

山本幸三

木原稔

遠藤宣彦

冨岡勉

安次富修

原口一博

山田正彦

横光克彦

北橋健治↓

古賀一成

川内博史

大串博志

楠田大蔵↑

神崎武法

東順治

江田康幸

重野安正

赤嶺政賢

皆吉稲生

後藤英友↓

古賀一成

野田国義

打越明司

道休誠一郎

網屋信介

山本剛正

川越孝洋

中屋大介↑

野田毅

山本幸三

谷川弥一

衛藤征士郎

北村誠吾

岩屋毅

神崎武法↓

東順治

江田康幸

遠山清彦↑

赤嶺政賢

中島隆利

宮路和明

宮崎政久

西川京子

林田彪

新開裕司

末吉光徳

湯川一行

松野頼久

河野正美

中山成彬

山之内毅

江田康幸

遠山清彦

濱地雅一

大串博志

原口一博

髙木義明

佐藤正夫

赤嶺政賢

吉川元

玉城デニー

岩田和親

穴見陽一

西銘恒三郎

國場幸之助

宮路拓馬

比嘉奈津美

宮崎政久

今村雅弘

江田康幸

遠山清彦

濱地雅一

吉田宣弘

大串博志

髙木義明

緒方林太郎

松野頼久

河野正美

下地幹郎

田村貴昭

真島省三

吉川元

園田博之↓

宮路拓馬

今村雅弘

古川康

國場幸之助

冨岡勉

岩田和親

宮崎政久↑

中山成彬

吉良州司

稲富修二

城井崇

横光克彦

山内康一

矢上雅義

江田康幸

遠山清彦↓

濱地雅一

吉田宣弘↑

田村貴昭

吉川元

下地幹郎

今村雅弘

保岡宏武

岩田和親

武井俊輔

古川康

國場幸之助

宮崎政久

小里泰弘

末次精一↓

吉川元

山田勝彦↓

稲富修二

屋良朝博↑

川内博史↑

濱地雅一

吉田宣弘

金城泰邦

吉田久美子

阿部弘樹

山本剛正

田村貴昭

長友慎治

阿部俊子

宮路拓馬

鬼木誠

國場幸之助

岩田和親

古川康

宮崎政久

屋良朝博

吉川元

山田勝彦

堤かなめ

濱地雅一

吉田宣弘

金城泰邦

長友慎治

許斐亮太郎

山川仁

阿部弘樹

吉川里奈

田村貴昭

VIAF

アメリカ

日本

昭和時代戦後の衆議院議員

平成時代の衆議院議員

令和時代の衆議院議員

平成時代の閣僚

日本の国土交通大臣

日本の文部科学大臣

日本の副大臣経験者

希望の党の国会議員 (日本 2018)

希望の党の衆議院議員 (日本 2017)

日本のこころの国会議員

日本維新の会の国会議員 (2012-2014)

たちあがれ日本の人物

自由民主党の衆議院議員

比例九州ブロック選出の衆議院議員

宮崎県選出の衆議院議員

日本の財務官僚

日本会議国会議員懇談会の人物

政権閣僚の配偶者

成田空港問題に関連する政治家

法学士取得者

旭日大綬章受章者

新しい歴史教科書をつくる会の人物

東京大学出身の人物

ラ・サール高等学校出身の人物

宮崎県出身の人物

1943年生

存命人物

Webarchiveテンプレートのウェイバックリンク

外部リンクがリンク切れになっている記事/2013年10月

ISBNマジックリンクを使用しているページ

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにないAmeba Blog ID

VIAF識別子が指定されている記事

LCCN識別子が指定されている記事

NDL識別子が指定されている記事

2024/11/14 22:19更新

nakayama nariaki


中山成彬と同じ誕生日6月7日生まれ、同じ宮崎出身の人

山本 昌寛(やまもと まさひろ)
1935年6月7日生まれの有名人 宮崎出身

6月7日生まれwiki情報なし(2024/11/01 17:00時点)

藤野 美奈子(ふじの みなこ)
1962年6月7日生まれの有名人 宮崎出身

日本の漫画家 は行(にほんのまんがか はぎょう) 本ページは、将来的に各漫画家ごとの独立記事が作成される予定の漫画家の下書きです。原則としてこのページへの加筆は行なわないで下さい。 リストの追加等…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


中山成彬と近い名前の人

中山 優貴(なかやま ゆうき)
【SOLIDEMO】
1991年4月2日生まれの有名人 千葉出身

中山 優貴(なかやま ゆうき、1991年4月2日 - )は日本の俳優、SOLIDEMOの元メンバー。千葉県出身、エイベックス・マネジメント所属。 2009年11月23日、第22回ジュノン・スーパーボ…

中山 雅史(なかやま まさし)
1967年9月23日生まれの有名人 静岡出身

中山 雅史(なかやま まさし、1967年9月23日 - )は、静岡県志太郡岡部町(現:藤枝市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード)。現在はJ…

中山 千夏(なかやま ちなつ)
7月13日生まれの有名人 熊本出身

中山 千夏(なかやま ちなつ、1948年〈昭和23年〉7月13日 - )は、日本の作家。元歌手、元女優、元司会者、元テレビタレント、元声優、元参議院議員。50年におよぶ芸歴と多彩な活動歴を持つ。 1…


中山 圭以子(なかやま けいこ)
1964年8月28日生まれの有名人 東京出身

中山 圭以子(なかやま けいこ、1964年8月28日 - )は、東京都出身の歌手、元アイドル歌手(旧芸名中山 圭子)。アイドル当時の所属事務所は、サンミュージックプロダクション(以下、サンミュージック…

中山 エミリ(なかやま えみり)
1978年10月8日生まれの有名人 神奈川出身

中山 エミリ(なかやま エミリ、1978年10月8日 - )は、日本のタレント、女優である。本名、飯沼亜微梨。 神奈川県川崎市出身。ボックスコーポレーション所属。 カリタス小学校卒業。 1993…

中山 マサ(なかやま まさ)
1891年1月19日生まれの有名人 長崎出身

中山 マサ(なかやま まさ、1891年1月19日 - 1976年10月11日)は、日本の女性政治家。元自由民主党衆議院議員。日本初の女性閣僚(厚生大臣)。中山太郎(元衆議院議員)は長男、中山正暉(元衆…

中山 絵梨奈(なかやま えりな)
1995年6月1日生まれの有名人 千葉出身

中山 絵梨奈(なかやま えりな、1995年6月1日 - )は、日本の元女優、ファッションモデルである。千葉県出身。 もともと芸能界に憧れており女優になりたかったが、『ニコラ』を読み始めモデル業に興味…

中山 真見(なかやま まみ)
1984年9月22日生まれの有名人 東京出身

中山 真見(なかやま まみ、1984年9月22日 - )は、日本の読者モデル、実業家。東京都江戸川区出身。 青山学院女子短期大学家政学科に学生として通う傍ら、『JJ bis』などで読者モデルとして活…


中山 恵(なかやま めぐみ)
1980年10月16日生まれの有名人 富山出身

中山 恵(なかやま めぐみ、1980年10月16日 - )は、日本のスタイリスト。富山県出身。 オスカープロモーションに所属し、ファッションモデル・グラビアアイドル・俳優として活動していた。 高校…

中山 史奈(なかやま ふみな)
1985年3月6日生まれの有名人 東京出身

中山 史奈(なかやま ふみな、1985年〈昭和60年〉3月6日 - )は、東京都出身の元グラビアアイドル、元タレントである。本名、根中 景子(ねなか けいこ)。元ジールアソシエイツ所属で、活動期間は1…

中山 愛梨(なかやま あいり)
1983年6月25日生まれの有名人 東京出身

中山 愛梨(なかやま あいり、1983年6月25日 - )は、日本の着エロ系グラビアアイドル。趣味は料理、バドミントン。血液型A型。身長157cm、B90(H)W55H84。 東京都出身。窪塚愛とし…

中山 エリサ(なかやま えりさ)
1985年10月21日生まれの有名人 東京出身

中山 エリサ(なかやま エリサ、1985年10月21日 - )は東京都出身のレースクイーン、モデル、グラビアアイドルである。愛称はエリッサ。ドゥイングプロに所属していた。2009年1月、自身のブログで…

中山 玲(なかやま れい)
1971年2月21日生まれの有名人 東京出身

中山 玲(なかやま れい、1971年2月21日 - )は、日本の女優、声優。本名同じ。 身長167cm。体重51kg。血液型はA型。東京都出身。桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻、玉川大学文学部…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
中山成彬
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

JO1 ONE N' ONLY Hi☆Five IMP. SOLIDEMO 祭nine. BMK_(音楽グループ) BOYS AND MEN MAZZEL STA*M 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「中山成彬」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました