佐藤浩市の情報 (さとうこういち) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
佐藤 浩市さんについて調べます
■名前・氏名 |
TOPニュース
佐藤浩市
佐藤 浩市(さとう こういち)さんの誕生日は1960年12月10日です。東京出身の俳優のようです。
人物、趣味嗜好などについてまとめました。父親、映画、事件、結婚、現在、テレビ、卒業、ドラマ、趣味に関する情報もありますね。現在の年齢は63歳のようです。
佐藤 浩市(さとう こういち、1960年〈昭和35年〉12月10日 - )は、日本の俳優。本名同じ。テアトル・ド・ポッシュ所属。身長182 cm、体重67 kg。父は俳優の三國連太郎。 東京都新宿区神楽坂出身。幼少期から父親の仕事場だった東映東京撮影所や日活調布撮影所や松竹大船撮影所に連れて行かれ、早くから映画俳優を志す。千代田区立富士見小学校、千代田区立九段中学校、高校(昭和第一高等学校とされる)を経て、1992年に閉校した専門学校である多摩芸術学園映画学科中退。同校在籍中の1980年(19歳の時)にNHK『続・続事件』でデビュー。 翌年出演した映画『青春の門』でブルーリボン賞新人賞受賞。丸の内東映で、スクリーンに映った自分の姿を観て感激し「俳優として生きていこう」と決意した。 20代から30代前半にかけては脇役の出演が多かったが、『あ、春』『顔』『KT』で重厚な演技を披露。これらの作品の映画賞獲得における大きな原動力となっている。演技力の高さから舞台への進出も期待されているが、「自分は映像で際立つ役者である」ことを理由に一貫して映像作品への出演を貫いている。 2012年4月、東北芸術工科大学の文芸学科客員教授に就任した。任期は2015年3月31日までの3年間。 私生活では、1986年にモデルの女性と結婚したが、手塚理美との不倫騒動もあり3年後に離婚。1993年に舞台女優、広田亜矢子(広田レオナの従妹)と再婚。前妻と現在の妻との間にそれぞれ1児ずつもうけている。現在の妻との間に生まれた息子・寛一郎は俳優。以前よりチャリティ活動やボランティアに理解を示していた妻の申し出を受け入れ、2018年頃から里親制度(フレンドホーム)を活用して、児童を一時的に預かる活動をしている。 2013年頃、心酔していた原田芳雄から歌うことを勧められ、その後原田の追悼ライブで歌を初披露した。2020年に還暦を迎えたのとデビュー40周年を記念し、初のアルバム『役者唄 60 ALIVE』を発表。以後、俳優業の傍らブルーノート東京で定期的にライブを開くなど歌手活動も行っている。 2019年5月、漫画誌『ビッグコミック』に掲載されたインタビュー記事にて、佐藤が映画『空母いぶき』で総理大臣役を演じた際に、「総理はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらった」「最初は絶対にやりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね」などと発言していたことが波紋を呼び、潰瘍性大腸炎を患っている安倍晋三を揶揄したとして批判の声もある一方、演出上の発言であるとして擁護する意見もあった。 2021年現在のチーフマネージャーは、フジテレビジョンが展開するCS放送チャンネルであるフジテレビONE(旧:フジテレビ721)で放送されているゲームバラエティー番組『ゲームセンターCX』の「2代目AD」の笹野大司である。 人物新宿区神楽坂で暮らしていたが、千代田区富士見にある幼稚園に越境入園し、その流れで同区内の小中学校に進学することとなった。小学5年生の頃に両親が離婚し、以後は飲食店を営む母により育てられた。小学生時代は大人しい性格だったが、体が大きかったこともあってイジメられることはなかった。学校では友達と野球をするなどしたが、越境入学したこともあって家の近所には友達と呼べる存在はいなかった。また、一人っ子だったこともあり、帰宅後は自分で考えて一人で行動していたため、自然と自立心が育った。 高校2年生の時に実家を出て新宿区早稲田で一人暮らしを始め、喫茶店でバイトをするようになった。本人は不良ではなかったが、体がでかいせいで街で会う不良などからよくケンカを売られており、基本的に相手が3人以上でなければ買っていたとのこと。広く映画の勉強をしたいとの考えから高校卒業後は多摩芸術学園映画学科に進学したが、毎日16ミリフィルムの編集ばかりやらされたことや、講師と編集をめぐる考えが合わずに1年で中退した。 幼少時代、父の三國が家出という形で離婚し、母に育てられたため、三國との間に確執があった。子供時代は、たまにしか親子3人で食卓を囲めないことを非常に苦痛に感じていた。先述の通り幼い頃に父・三國連太郎に連れられて行った映画撮影所で、スタッフ陣や役者たちの働く様子を見て映画の世界の厳しさを感じながらも、俳優業をする父の姿を見て格好いいと思ったことから、小学生の頃に漠然とではあるが役者に憧れ始めた。 多摩芸術学園映画学科中退前後の頃、父の知り合いからNHKのドラマ『続・続事件』のオーディションに誘われ、父に俳優になるつもりであることを報告した上で、役者デビューした。 1986年の映画『人間の約束』で父子初共演。この時点でお互いのわだかまりは消えておらず、直接関わり合う場面は少なかった。 遡ってデビューからしばらくは、どの撮影現場でも「(演技などが)できてない!」と罵倒され、できるまで何度もやらされた。当時本人は知らぬ間に周りに悪い印象を与えていたのか、ほどなくして制作スタッフから陰で“佐藤浩市は生意気だ”と評されるようになったという。30代の頃、その噂を耳にした三國から「生かされてあればこそ」と一筆したためられた書を渡されたのを機に、撮影現場での立ち居振る舞いを気にかけるようになり、役者として成長することができたとのこと。 1996年に公開された映画『美味しんぼ』では、雄山役のオファーがあった三國が「主演を佐藤にして親子対決にすること」を提案した。製作会見では互いを「三國さん」「佐藤くん」と他人のように呼び、佐藤が「俳優はサービス業」と発言すると、三國が「サービス業などという考え方は間違っている」と発言。映画の発表会見らしからぬ険悪な雰囲気となり、共演の羽田美智子も言葉を失っていた。だが、後に公開されたメーキング映像では、撮影の合間に2人が談笑する様子も収められている。 2000年代に入ると徐々に親子関係は改善の兆しを見せ、いつの間にか親子間の距離も縮まり、自然に和解するような形となった。その「自然な和解」後の2008年ANAの親子共演CMでは仲睦まじい姿を見せており、2009年に出演した『徹子の部屋』では父のことを「努力の人」と語っている。 趣味嗜好趣味等では、芸能界屈指のゴルフ好きであり、頻繁に練習場を訪れている。「フジサンケイクラシック」、「サントリーオープン」、「日本メディアシステムカップ」などの大会に出場しアマチュア部門で優勝したこともある。年末年始は毎年オーストラリアで明石家さんまや中村勘三郎などとゴルフなどして過ごす。また、俳優の中井貴一やとんねるずの木梨憲武とはゴルフ仲間であり、これにヒロミを加えた4人のゴルフ番組がテレビ朝日系列で不定期に放送されている。 江口洋介とは付き合いの長い友人関係を築いている。オダギリジョーとはオダギリの初主演作で出世作仮面ライダークウガの現場を息子の寛一郎と共に訪ねた時からの仲である また、20代からの競馬好きであり、馬のいない東京競馬場のターフビジョンでレースを見るのが楽しいと語る。大泉洋、小池徹平、蒼井優らと共演したJRAのCM『CLUB KEIBA』も話題となった。また、ペットの亀に競走馬の「トウカイテイオー」の名前をつけた。 音楽鑑賞、特にヘヴィメタルを好む。 横浜DeNAベイスターズ(大洋ホエールズ時代から)のファンである。 2024/05/13 20:19更新
|
satou kouichi
佐藤浩市と同じ誕生日12月10日生まれ、同じ東京出身の人
佐藤浩市と近い名前の人
話題のアホネイター
話題の芸能人・有名人
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「佐藤浩市」を素材として二次利用しています。