園山俊二の情報(そのやましゅんじ) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
園山 俊二さんについて調べます
■名前・氏名 |
園山俊二と関係のある人
田中要次: プライムS 園山俊二と「国境の二人」(2015年12月11日(中国地方向け)、NHK松江放送局) - 左国兵 役 鈴木義司: 鈴木は「漫画社」として請け負った原発広報の仕事を、富永一朗、園山俊二、馬場のぼる、やなせたかしら漫画家仲間に声をかけ、年間150万円の看板料で描いてもらったという。 石川球太: よくばりすぎた若者――日本と中国のむかし話 - 共作:保永貞夫,中村千尋,園山俊二、『小学二年生』第18巻第11号(1963年2月号)、小学館。 わたせせいぞう: 永井から『週刊漫画サンデー』の編集長を紹介され、園山俊二に師事する。 なりたもえこ: 園山俊二 舟崎克彦: 『はじめにんげん』園山俊二画 小学館 1977年 篠田ひでお: はじめ人間ゴン(原作:園山俊二) 山藤章二: 1976年、園山俊二の画風を模して暴れ者の有名人を描いた「新原始人間ギャートルズ」の中に、張本の顔があった。 しのだひでお: はじめ人間ゴン(原作:園山俊二) 福地泡介: 2年上級にしとうきねおと園山俊二が、1年上級に同い年の東海林さだおがいた(2年生での入部で、福地と同期入部)。 しとうきねお: 早稲田大学商学部在学中の1956年、創設されたばかりの早稲田大学漫画研究会に入部し、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らと活動する。 小松和重: プライムS 園山俊二と「国境の二人」(2015年) - 右国兵 東海林さだお: 大学2年時、創設されたばかりの早稲田大学漫画研究会に入部し、1年上級のしとうきねおと園山俊二、1年下級で同い年の福地泡介らと出会う。 結城昌治: 同会は1982年の馬生の死で解散するも、1983年に第二次「くちなし句会」を青柳純一、小田島雅和、園山俊二、石田種生、加賀美尚、山根一眞、平井宏と結成し、園山が死去する1993年まで活動した。 成田アキラ: 26歳でデビュー作「チポー星のやつら」が園山俊二の目にとまり、それがきっかけで漫画サンデーで「フリフリダムダム」を2年間連載するが、性器を模ったキャラクターを主人公とするなど、あまりに内容が「前衛的」「飛んでる」という理由で打ち切りとなる。 板井れんたろう: 大学卒業後、仲間の園山俊二と東海林さだおらと『学漫グループ』に参加したことがある。 |
園山俊二の情報まとめ
園山 俊二(そのやま しゅんじ)さんの誕生日は1935年4月23日です。島根出身の漫画家のようです。
受賞歴、作風・人物などについてまとめました。卒業、趣味に関する情報もありますね。57歳で亡くなられているようです。
園山俊二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)園山 俊二(そのやま しゅんじ、1935年〈昭和10年〉4月23日 - 1993年〈平成5年〉1月20日)は、日本の漫画家。血液型B型。 島根県松江市外中原町生まれ。島根大学教育学部附属小学校、同附属中学校、島根県立松江高等学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て、早稲田大学商学部卒業。 早稲田大学在学中、英文科の講師三浦修や、同級生のしとうきねおらとともに早稲田大学漫画研究会を創設するも、結核の療養のため1年休学。復学後に漫研に復帰し、後輩の福地泡介、東海林さだおと出会う。園山・福地・東海林はのちに相次いでプロとなり、3人が出揃った1960年代後半当時の学生運動になぞらえて「漫画界の三派全学連」と称された。 在学中の1958年、学内での展覧会を通じて知己を得ていた毎日小学生新聞の編集長・原本秀雄にスカウトされ、同紙で『がんばれゴンベ』を連載開始し、プロデビュー。元は数か月だけ連載する予定だったが、35年にわたる長期連載となった。 新聞連載のかたわら、大学を卒業。しとうの世話で広告代理店に就職するも、入社当日の正午、食事に外出したまま会社に戻らず、そのまま辞職。「自分は勤め人にそぐわない性格だと判断した」「食うのにつらくても漫画一本で生きた方がよい」と思ったという。以降専業の漫画家として、児童漫画および大人漫画の連載作品を多数発表する。1961年、寺田ヒロオの紹介で、第2次新漫画党に参加。トキワ荘の漫画家たちと交流を深める。 1989年11月に手術のため入院(著書では「肝臓にできたコワイモノの除去」と説明)。その後入退院を繰り返す。1992年7月には、長期の入院・加療のため多くの連載を中断・終了する。『ペエスケ』を長期連載していた同年12月17日付の『朝日新聞』等では、「ぎっくり腰の治療」と公表していたが、実際は肝臓の病状の進行であった。当時の園山は見舞客に「肝硬変」あるいは「前癌症状」と説明していたが、交友のあった畑正憲は追悼コメントにおいて、実際の園山の病が肝臓癌であったことを明かしている。 1993年1月20日死去。57歳没。「メソメソシルナ 世の中グワンバレ」という文面の遺書を残したほか、病床でペエスケ、ヒロコ、平太、ガタピシなど『ペエスケ』の主要キャラクターをひとりひとり描いて別れを告げたという。翌1月21日付の『朝日新聞』朝刊には、園山が死の直前に書いた動物の絵と、東海林さだおの追悼文からなる特集が1ページ半にわたり掲載された。 受賞歴1976年 第22回文藝春秋漫画賞(『ギャートルズ』等) 1977年 第6回日本漫画家協会賞特別賞(『がんばれゴンベ』) 1993年 勲四等瑞宝章 ※没後受章 作風・人物小学館『デジタル大辞泉』においては、「飄々としたタッチでほのぼのとした日常を描く」と評されている。東海林さだおは「白い画用紙のまん中に、スーッと一本、鉛筆で横に線を引くと、すでにそれは大平原と空を分かつ地平線なのであった」「それが園山さんの代表作『ギャートルズ』なのだった」と園山のシンプルな描線による画風を評した。 ユーモラスな擬音を多く用いている。しっかりと握って離さない状況を示す「シッカ」など。 メスのカエルに乳房を描くなど、動物に対する強い擬人化表現が見られる。 愛称は「おんちょ」。音痴であったことから。 趣味は麻雀。アニメ版の「はじめ人間ギャートルズ」でも父ちゃんが4人で麻雀をする描写を入れたくらいだった(第23回「クルクルマワルラーの巻」)。 1982年に日本自然保護協会の理事に就任。宍道湖の淡水化計画に反対する活動を行った。 2024/06/07 18:02更新
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sonoyama syunji
園山俊二と同じ誕生日4月23日生まれ、同じ島根出身の人
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