堂本印象の情報(どうもといんしょう) 日本画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


堂本 印象さんについて調べます
■名前・氏名 |
堂本印象と関係のある人
岩澤重夫: 3月に最後まで作家になることを認めなかった父親が他界し、9月には師匠の堂本印象が永眠した。 林承賢: また京都市消防局の1950年10月の国宝防災週間のポスターの絵は堂本印象が描いた焼失後の金閣で、焼けた骨組みの木材だけの姿。 岩澤重夫: 1966年に師匠の京都府立堂本印象美術館が開館する。 西山翠嶂: 青甲社からは堂本印象、中村大三郎、上村松篁、吉田鋤牛、森守明、沢宏靱、不動立山、瀬川艶久などの多くの門弟を輩出している。 堂本尚郎: 日本画家・堂本印象の甥。 堂本元次: 日本画家堂本印象の長兄、堂本寒星の養子。 高峰秀子: 2005年(平成17年)11月、梅原の絵画作品7点、宮本三郎作の1点、森田元子作の1点、堂本印象作の2点、計11点の肖像画を秀子本人が世田谷区に寄贈し、世田谷美術館に所蔵されている。 堂本元次: 1951年(昭和26年) - 叔父・堂本印象の画塾、東丘社に所属 岩澤重夫: 独学で制作を続けていたのだが、限界を感じ意を決して1954年に堂本印象(1891年-1975年)率いる東丘社に入塾する。 岩澤重夫: 翌年自宅に残されていた作品、素描、スケッチブック、陶芸作品など約1000点、愛用の墨、硯、筆など約500点と福田平八郎、堂本印象、香月泰男などの収集美術品を全て遺族から大分県日田市に寄贈されたのだが、2016年にようやく収蔵庫が完成し京都から日田市複合文化施設AOSEに輸送された。 |
堂本印象の情報まとめ

堂本 印象(どうもと いんしょう)さんの誕生日は1891年12月25日です。京都出身の日本画家のようです。

卒業、現在、病気、趣味、結婚に関する情報もありますね。1975年に亡くなられているようです。
堂本印象のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)堂本 印象(どうもと いんしょう、1891年〈明治24年〉12月25日 - 1975年〈昭和50年〉9月5日)は、日本画家。帝室技芸員。日本芸術院会員。本名:堂本三之助。 1891年(明治24年)12月25日、京都府京都市出身。 1910年(明治43年)京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)を卒業後、西陣織の図案描きの仕事をしていたが、日本画家を志して京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。 1924年(大正13年)京都市立絵画専門学校研究科修了。 1919年(大正8年)、帝展初出展作「深草」が入選した。帝展第3回展では「調鞠図」で特選、第6回展に出展した「華厳」は帝国美術院賞を受賞するなど第一級の日本画家として認められた。 1936年(昭和11年)京都市立絵画専門学校教授に就任。翌年の1937年(昭和12年)には、この年から始まった新文展の審査員に就任した。 1940年(昭和15年)ごろには、新造される戦艦大和に大和神社の分霊を祭るために海軍が奈良県に発注した日本画の製作依頼を受け「戦艦大和守護神」を描く。堂本には建造中の新戦艦に納められることは知らされなかった。奈良県の大和神社の神殿を描いたこの日本画は戦艦大和の艦長室に祭られるが、沖縄への海上特攻前に大和から降ろされ、現在は海上自衛隊第1術科学校教育参考館が収蔵している。 1944年(昭和19年)7月1日に帝室技芸員に、1950年(昭和25年)に日本芸術院会員となる。1951年(昭和26年)2月27日には、新たに日本芸術院会員になった者が皇居に招かれたが、堂本は病気を理由に欠席した。 1975年(昭和50年)、心不全のため死去。没日付で従三位に叙せられる。 また、私塾東丘社の主催者として、画壇の指導者としても活躍した。 戦後は抽象表現や障壁画の世界にも活躍の場を広げ、国際展覧会に多くの作品を出展するなど国際的にも活躍。1963年(昭和38年)、大阪カテドラル聖マリア大聖堂に壁画『栄光の聖母マリア』を描く。1973年(昭和48年)にはローマ教皇パウロ6世の委嘱により、バチカン美術館に飾る『母と子』を制作(翌1974年完成)。聖シルベストロ教皇騎士団勲章大十字章を受章した。 文化勲章(1962年〈昭和37年〉) 文化功労者 (1962年〈昭和37年〉) 密教学芸賞 京都市名誉市民(1973年〈昭和48年〉)。 従三位(1975年〈昭和50年〉) 京都府立堂本印象美術館 『訶梨帝母』(1922年) 京都国立近代美術館 『瑞彩』 耕作(1924年) 宮内庁三の丸尚蔵館 『木華開耶媛』1929年) 京都府立堂本印象美術館 『蒼龍』(1933年) 東福寺本堂・・・小僧達が墨を擦り、箒の様な大筆を用いて17日程で描き上げた 『瓜・西瓜』(1934年) 東寺(教王護国寺) 『水郷欲雨』(1935年) 京都市美術館 『柳に鷺』(1935年) 信貴山成福院 『柳樹と流水』(1936年) 醍醐三宝院 高野山根本大塔壁画(1936~1943年) 四天王寺宝塔壁画(1939~1943年)1945年大阪大空襲で焼失。 『朝顔』(1942年) 東京国立近代美術館 『新聞』(1950年) 京都国立近代美術館 『聖徳太子憲法御宣布』(1951年) 最高裁判所大法廷の壁画。現在は公開停止。 『婦女喫茶』(1958年) 智積院宸殿 『規範への抵抗』(1960年) 京都国立近代美術館 『栄光の聖母マリア』(壁画)(1962年) 大阪カテドラル聖マリア大聖堂 『遍界芳彩』(1969年) 西芳寺(苔寺)西来堂 『香雲満堂』(1971年) 法然院望西閣 『静風自来』(1971年) 法然院方丈 『兎春野に遊ぶ』 京都府立堂本印象美術館 (1999年 特殊切手「切手趣味週間」図案) 『印象仏画集』(1940年) ※西宮書院版 『弥勒仏』(1943年) ※西宮書院版(彫師・米田新太郎、摺師・光本嘉一)、限定200部 『乾闥婆』 ※西宮書院版(彫師・米田新太郎、摺師・光本嘉一)、限定200部 『薬師如来浄土』(1944年) ※京都版画院版 『聖女観音』 ※京都版画院版、限定200部 『観音菩薩』 ※京都版画院版 『コップの花』 ※芸艸堂版 堂本寒星 - 長兄、演劇評論家。 堂本漆軒 - 次兄、漆芸家。 堂本四郎 - 弟。印象の画集を編集するなどしている。 堂本元次 - 寒星の養子、日本画家。 堂本阿岐羅 - 漆軒の息子、日本画家。 堂本尚郎 - 四郎の息子、洋画家。 三輪晁勢 ‐ 印象の妹と結婚 山本倉丘 堂本元次 岩澤重夫 山本茂斗萌 中尾英武 ^ 「審査員の顔ぶれ内定」『東京朝日新聞』1937年(昭和12年)7月27日(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p665 毎日コミュニケーションズ刊 1994年) ^ 画家も知らない数奇な運命 堂本印象「戦艦大和守護神」2021年6月16日 16時00分 ^ 『官報』第5239号、昭和19年7月3日。 ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十一』東京書籍、2017年3月30日、187.188頁。ISBN 978-4-487-74411-4。 ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)19頁 ^ “京都市名誉市民 堂本三之助(どうもと さんのすけ)氏[堂本印象]”. 京都市. 2022年9月7日閲覧。 ^ “日本画モダニスト 堂本印象と門下の精鋭たち展”. ふくやま美術館. 2018年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月19日閲覧。 ^ “郷土の現代日本画展 親子の系譜”. 植野記念美術館. 2022年7月19日閲覧。 ^ “堂本印象と東丘社そして山本茂斗萠”. 植野記念美術館. 2022年7月19日閲覧。 日本美術史 日本の画家一覧 文化勲章受章者の一覧 京都府立 堂本印象美術館公式ページ KYOTO PREFECTURAL INSHO-DOMOTO MUSEUM OF FINE ARTS 堂本印象 - 京都市立芸術大学芸術資料館 Archived 2016-03-14 at the Wayback Machine. FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 オランダ ULAN IdRef 堂本家 日本画家 帝室技芸員 従三位受位者 文化勲章受章者 日本藝術院会員 京都市立芸術大学の教員 京都市出身の人物 1891年生 1975年没 Webarchiveテンプレートのウェイバックリンク FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 ULAN識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2025/04/04 03:47更新
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doumoto insyou
堂本印象と同じ誕生日12月25日生まれ、同じ京都出身の人


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