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大塚周夫の情報 (おおつかちかお)
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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

大塚周夫の情報(おおつかちかお) 声優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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大塚 周夫さんについて調べます

■名前・氏名
大塚 周夫
(読み:おおつか ちかお)
■職業
声優
■大塚周夫の誕生日・生年月日
1929年7月5日 (年齢85歳没)
巳年(へび年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和4年)1929年生まれの人の年齢早見表

大塚周夫と同じ1929年生まれの有名人・芸能人

大塚周夫と同じ7月5日生まれの有名人・芸能人

大塚周夫と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


大塚周夫と関係のある人

野島昭生: 当時は森山周一郎、大塚周夫、富田耕生らが20歳そこそこの若手俳優としてその劇団に所属していた頃だった。


田の中勇: 大塚周夫はねずみ男の芝居をもう少し軟化させようと考えた際、「オネエ言葉」にしようと考え、田の中から指導を受けたという。


田の中勇: 劇団の先輩だった森山周一郎、大塚周夫らが、ラジオ、テレビの放送に出演していたことから、研究生だった田の中らにもしばしば出演の機会が与えられる。


田の中勇: 何度か初期メンバー(鬼太郎役の野沢雅子とねずみ男役の大塚周夫)で演じる機会はあったが、『墓場』が三者揃った最後の共演となった。


日高のり子: フック船長役の大塚周夫とは、日高と2人で演じるシーンがかなりあり、大ベテランの大塚が相手役であるため、「精一杯の演技で返したい」という思いで、ずっと緊張感を持って演じていた。


森山周一郎: その演技が評価されたことで再び脚光があてられ、大塚周夫の次に多くブロンソンを担当する役者となった。


朝倉摂: 声優の大塚周夫は従弟。


ジャック=パランス: 日本語吹替は主に大塚周夫、小林清志、納谷悟朗らが分け合う形で担当した。


ロバート=デュバル: このほかにも、大木民夫、池田勝、大塚周夫、堀勝之祐、坂口芳貞なども声を当てている。


大平透: 同年代の大塚周夫はインタビューを受けた2009年当時、現役でアテレコをやっている80代で芝居を真剣に勉強してきた役者の一人に大平の名前を挙げていた。


中村浩太郎: 『マリオ&ソニック AT リオオリンピック』以降、『ソニックシリーズ』のドクター・エッグマンを大塚周夫の死後から引き継いでいる。


野沢那智: キャリア初期にはマカロニ・ウェスタンで活躍したトップスターである二枚目俳優ジュリアーノ・ジェンマも吹替の持ち役にしており、同じく西部劇に数多く声を当てた納谷悟朗や山田康雄、小林清志、大塚周夫らと共に映画番組でのマカロニ・ウェスタンの放映を支えた吹替役者の一人となった。


春名風花: 2015年1月に大塚周夫の訃報に触れ、その長男である大塚明夫と会っていたことに言及したが、後に明夫と周夫の名前を混同していたことを明かし謝罪する。


小川真司: その劇団には大塚周夫や小山田宗徳など、吹き替えでも活躍する俳優が在籍しており、小川も吹き替えの仕事に呼ばれたが、ほとんどが少年役で、地声が低くダメ出しされることが多かったため、暫く吹き替えの仕事は断っていたという。


柴田秀勝: 柴田が『水戸黄門』(25〜27部)のナレーションをしていた頃、大塚周夫が「水戸黄門見てるぞ! いいよ、なかなかいい! でも、ターゲットが広すぎるよ。


日髙のり子: フック船長役の大塚周夫とは、日高と2人で演じるシーンがかなりあり、大ベテランの大塚が相手役であるため、「精一杯の演技で返したい」という思いで、ずっと緊張感を持って演じていた。


大木民夫: 同年代の大塚周夫はインタビューを受けた2009年当時、現役でアテレコをやっている80代で芝居を真剣に勉強してきた役者の一人に大木の名前を挙げていた。


喉押さえマン: 大塚周夫


一条みゆ希: 番組では山田康雄、大塚周夫、小原乃梨子といった声優と出会い、声優の仕事に憧れを抱くようになる。


井上真樹夫: 『ルパン三世』(TV第1シリーズ)での大塚周夫から引き継ぐ形であったが、起用に際して「ハードな殺気をまとう男から若く甘いイケメンの剣豪へとキャラクターが代わり、声優交代が必要だ」と説明を受けたという。


熊倉一雄: 東芸の先輩には大塚周夫がいる。


咲野俊介: 死去した檀臣幸や大塚周夫、諸角憲一から持ち役の一部を引き継いでいる。


一城みゆ希: 番組では山田康雄、大塚周夫、小原乃梨子といった声優と出会い、声優の仕事に憧れを抱くようになる。


野沢雅子: 大塚周夫のねずみ男の演技は灰汁が強いため、鬼太郎以外ではねずみ男を演じてみたいと語ったこともある。


大塚明夫: 父は声優の大塚周夫


野沢雅子: 目玉おやじ役の田の中勇、ねずみ男役の大塚周夫とは元々同じ劇団であり、同じ舞台を何度も超えてきた仲間だったため最初から息はピッタリだったという。


リチャード=ウィドマーク: 1963年10月の『襲われた幌馬車』テレビ放映から、日本語吹き替えは大塚周夫がほぼ専属で担当していた。


若山弦蔵: また大塚周夫もとり・みきによるインタビューで「別録で行った共演作品を完成後に見返したら、オレの芝居と若山弦蔵の芝居がピタリと合ってたんだよ。


大塚周夫の情報まとめ

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大塚 周夫(おおつか ちかお)さんの誕生日は1929年7月5日です。東京出身の声優のようです。

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特色、人物・エピソードなどについてまとめました。映画、兄弟、父親、母親、卒業、テレビ、ドラマ、事件、解散、引退、姉妹、趣味に関する情報もありますね。85歳で亡くなられているようです。

大塚周夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

舞台(作品不明)、『アナタハン島の眞相はこれだ!!』(映画のデビュー作)

大塚 周夫(おおつか ちかお、1929年〈昭和4年〉7月5日 - 2015年〈平成27年〉1月15日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。

劇団東芸、劇団俳優小劇場、芸能座などで活動し、最後は青二プロダクションに所属していた。東京アニメアワード2014「アニメ功労部門」を声優として受賞。

東京都世田谷区出身。4人兄弟であり、父親と兄が彫刻家という芸術一家であった。周夫が生まれつき体が弱いことを心配した母親と、戦前で情勢が悪化し未成年が繁華街を歩いていると問題になる中、放課後に新宿で遊ぶ口実を作りたいと考えた当時新宿高校に通っていた長兄の2人からダンスを習うように言われ、4歳から新宿区内のダンス教室に通っていた。小学1年生のころからダンサーを始める。

日本学園中学校・高等学校卒業。当初は上野の美術学校に通うことになっていたが、新宿第一劇場で芝居の実演を見て面白そうだと感じ、役者を志すようになる。戦争が始まると両親は九州に移り兄は出征したため、周夫は親類に預けられた。戦争で長兄を亡くし、中学生の時にダンスも中断せざるを得なかった。その間は工場で飛行機の部品作りの鋳造工をしていた。戦後中学卒業後も何をしていいかわからず、そんな時に水の江瀧子が劇団たんぽぽをしていたため、見に行っていた。板の上で気持ちよさそうに歌ったり踊ったりしており、「この世界いいなぁ、行こうかなぁ」と思った。4歳から11歳まで8年間ダンスをしていたことから、バッチリ上手いわけで、普通のジャズダンス、クラシックもしており、「じゃあダンサーになろう」ということで、昔のダンスの先生のツテを辿ってダンスの仕事を探していたわけであったという。その後、ダンスを再開し、進駐軍が来たため多くのダンサーが必要となり、ダンサーのオーディションを受けて合格し、キャンプや赤坂などのグランドキャバレーで踊っていた。学校卒業後、タップダンスやジャズダンスなどどんなダンスをするにしてもクラシックバレエが基本だということで、バレエを始めた。当時習っていたタップダンスは珍しかったことから友人4人と組み、バンバン踊り稼ぎ、ワンステージ4千円くらい稼いでいた。当時は相当の金額で100円で寿司が食えれたという。クラシックバレエの勉強では、帝国劇場に立ったこともあった。社交ダンスからタップダンスまで会得していたが、練習のやり過ぎで両脚が膝関節炎になり、医者から「結核菌が入ると一生曲がらなくなるからダンスはやめた方が良い」と助言されたため俳優への転向を図り、たまたま劇団員を募集していた劇団東芸に入団する。東芸の後輩に、田の中勇、富田耕生、熊倉一雄、野沢雅子がいる。特技のタップダンスについては、時折スタジオや待合室で披露することもあった。

テレビ放送が開始される以前、民放のラジオもなく仕事がなかった頃は、大八車を引いて小学校をまわり、『桃太郎』や『浦島太郎』などの演劇の芝居だけが唯一の仕事だったという苦労が続いた時期があったと語っている。ラジオができてからは、NHKからガヤなどのエキストラとして仕事がくるようになったが、1年に1、2回ぐらいでギャラは700円だったという。その内民放ラジオが増えてきてラジオドラマなどの仕事がくると、やっと仕事が出来ると安堵し、嬉しかったと語っている。

36歳のとき、周夫が心酔していた演出家・俳優の早野寿郎から誘われて俳優小劇場に入団。その後テレビ放送が開始されると、中学時代にボクシングをやっていたことやジャズダンスを踊っていたその運動神経を活かして、スタントを交えたアクション映画の悪役の仕事に就く。特に丹波哲郎などに殴られて吹っ飛ぶアクションが上手く、殴った丹波が強そうに見えるということで、その演技にひかれた丹波本人から出演を依頼されることが多かった。劇団在籍中に、「外国映画のアテレコをやらないか」という話があった。その時に生放送のテレビドラマに多く出演しており忙しかったせいもあり、「冗談じゃない!他人の影の声なんかできるか」と言ってつっぱねていた。その時、劇団のある研究生の稼ぎ高の多いのがおり、アテレコをしていたという。「待てよ、あれだけの年季と技量であれだけの収入が…それにこれから外国映画のTV放映が増えるぞ」という気がしていた。その折にたまたま映画館で見たリチャード・ウィドマークの凄みのある芝居に惹かれ、それからは映画館でウィドマークの映画を朝から夜まで観てその芝居を研究し、日本で吹き替え放送が開始されてからは、各局にウィドマークの吹き替えをやらせてもらえるように頼んで回っていた。そして日本テレビの外画部が「ああいいよ。そんなことを言ってきたのは初めてだ」と頼みを聞き入れ、1963年10月13日に放送された『襲われた幌馬車』でウィドマークの吹き替えを担当することになった。

他の人物と比べて、2年くらい遅れてアテレコを始めたという。

声の仕事と平行して、舞台では小沢昭一らとの『しみじみ日本・乃木大将』『国語事件殺人辞典』(どちらも井上ひさし作)などに多数出演。またテレビ番組では、NHK大河ドラマやフジテレビドラマの常連として知られた。

1971年に俳優小劇場が解散し小沢昭一が立ち上げた芸能座に移籍した後も、俳優として舞台やテレビドラマに出演していたが、63歳のときに体力が低下していると感じて舞台を引退する。さらに当時の個人マネージャーに多額のギャラをだまし取られていたことが判明し、それをきっかけに長年演技ができないタレントと共演することなど気持ちよくできなかったテレビ出演も一切やめ、声優業に専念することを決意し青二プロダクションに移籍。以後、数々の洋画吹き替え、アニメで活躍した。

2015年1月15日、青二プロダクションの新年会終了後に帰宅するために乗った地下鉄内で倒れ、虚血性心疾患のため東京都新宿区の病院で死去。85歳没。その新年会に出席する前に収録され、同年1月25日にテレビ東京系で放送されたバラエティ番組『1位じゃなくっていいじゃない』のナレーション収録が最後の仕事となった。このナレーション収録について周夫が「ナレーションではなく芝居をしてやった」と語っていたことが青二プロダクションなどによって報告され、番組の最後には白バックに黒字で「この番組が最後の作品となったナレーター故大塚周夫さんのご冥福をお祈りいたします」と追悼メッセージが流された。また同番組には大塚明夫も声で出演しており、最後の親子共演となった。

葬儀・告別式は1月23日に青山葬儀所で催され、喪主は長男・明夫が務めた。弔辞は野沢雅子と尼子騒兵衛が読み、その他に井上喜久子、田中真弓、平田広明、森田成一、山寺宏一、田中理恵ら250人が参列した。戒名は付けなかったとされる。

特色

役柄としては悪役だが、あまりにもセコいために、どこなく憎めないというような役柄を得意としており、恐いぐらいに悪に徹した悪役を演じても絶品で、重厚な脇役も数多かった。悪役から二枚目、三枚目まで、守備範囲だと語る。

アニメでの代表的なキャラクターは『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』の石川五エ門、『ガンバの冒険』のノロイ、『美味しんぼ』の海原雄山といった重厚な演技、『ピーターパンの冒険』のフック船長、『ソニックシリーズ』のDr.エッグマン、『名探偵ホームズ』のモリアーティ教授、そして後述にある代表作の『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)・(第2作)』のねずみ男や『チキチキマシン猛レース』、『スカイキッドブラック魔王』のブラック魔王といった、悪役に分類されるがコミカルな面から憎めないキャラクターの二つがある。一方で、『機動戦士ガンダム0083』のエイパー・シナプス艦長のような頭の切れるキャラクターや、『忍たま乱太郎』の山田先生(山田伝蔵)のような柔和な面をあわせ持つキャラクターも演じていた。『タイガーマスク二世』ではヒーロー物作品によくある、主人公の隣のギャグキャラと、悪の幹部を一人二役で演じた。

悪役などを演じるテクニックとして、「普段を悪く見せておいて、その人の人間的な温かいところをチラリチラリと見せる。そうすることによってキャラクターに幅がでてくるんですよ」と語っていた。『ソニックシリーズ』で共演した金丸淳一は周夫から「悪をやるにしても、ツッコミどころがあるようなものが魅力があるんだ」と教えてもらったという。

平成に入ってからは、鋭い言説で他人をたじろがせるような知識人的初老の男役が際立って多かった。海原雄山(『美味しんぼ』)、ヨラン・ペールゼン(『装甲騎兵ボトムズ』OVAシリーズ)、ビッグ・ボス(『メタルギアソリッド4』)、そしてアドルフ・ヒトラー(『ヒトラー 〜最期の12日間〜』)など、いずれの役も、劇中何らかの専門探求分野で名を馳せている首魁に位置づけられている人物である。

吹き替えではリチャード・ウィドマークをはじめ、チャールズ・ブロンソン、ジャック・パランス、ピーター・セラーズなどを持ち役とする。

人物・エピソード

親しい間柄からは「ちかさん」または「ちかちゃん」という愛称で呼ばれていた。長男は同じく俳優・声優の大塚明夫。伯父は彫塑家の渡辺長男、その弟で同じく彫塑家の朝倉文夫(周夫、明夫共に文夫の命名)。朝倉摂は一番近い従姉妹にあたる。

仕事に関しては非常に厳しい姿勢だが(後述)、茶目っ気あふれる愛嬌のある人柄から現場の空気を明るくする存在として、仕事仲間や後輩から慕われていた。趣味は人間観察とへら鮒釣り。

テレビがなかった時代、二枚目スターでない俳優は脇役でしか映画に出してもらえず、脇役は言われた役をできなかったら「やめちまえ」と言われるような厳しい世界だったが、そのおかげで演技力を磨いていったと語った。

『チキチキマシン猛レース』では原音で台詞がない部分が多く、演出の高桑慎一郎が「あんた、東京生まれだろう」と問いかけ、周夫がそうだと答えると「江戸弁でいっちゃおうよ」と言われたという。実際にやってみるとそれが好評で制作会社のハンナ・バーベラ・プロダクションの担当者から「どうぞご自由にやってください」と言われたこともあり、台詞がない部分にもアドリブで江戸弁をしゃべって埋めていったという。

『バビル2世』ではヨミを演じていたが、当時演じるのは絶対に悪い役だったことから「どうやったら冷たくて嫌味で毒のある悪役を演じられるか」と常に考えていた。そんな時、リチャード・ウィドマークがヒントになり、彼の演技を参考にして色々使った。大人になってから見ればヨミ、ノロイは翳のあるカッコイイ役だが、子供にとって見れば憎き敵だったことから昔は、「ヨミの声をやってます」と言っていたところあからさまに「えー」と嫌われた。その頃はもう40代であったことから、むしろそういう一癖も二癖もあるような役を好んで演じていたが、若い人物たちはそうではなく余計に、ワルなら「大塚だ」ということになったのかもしれないという。台本を読み込みどんどんヨミになっていき、そうしていたところ、しもべたちの存在が憎たらしく、本気で「また出てきやがった!」とムシャムシャしていた。悪役ばかり演じており、ヨミが「ほとんど最後の極悪キャラだ」と語り、そのうち「完全な極悪」は演じないようになっていった。悪役だが、そこに人間味を少し匂わすような役を演じるようになったという。

『忍たま乱太郎』の原作『落第忍者乱太郎』の原作者・尼子騒兵衛は中学の頃から周夫のファンであり、作品がアニメ化される際「伝蔵先生の声は大塚さんで」と指名でキャスティングされた。山田先生はコミカルで、「いつかそんな役がくるかもしれない」と女形の練習を密かにしていたという。

難しかったのは『釣りバカ日誌』のスーさんで、映画版で三國連太郎がイメージを作りきっており、アニメの方とはキャラクターが違ったためその分難しかった。その後の三國のスーさんは周夫が演じていたスーさんのニュアンスを少し意識しており、「これは、盗まれたな」とピンと来ていたという。

仕事に対する姿勢

芝居に関しては自他ともに認めるほど熱心であり、80代を過ぎてなお丹念な人間観察を行いながら、自身の芸に磨きをかける努力を惜しまなかった。若い頃は、リアルな会話とはどういうことかを勉強するために小さなテープレコーダーを持って電車に乗り、乗客の声のトーンを研究した逸話がある。60歳を迎えたとき、「これからは老いを表現していかなければならない」と考えた。そこで70歳以上からしか会員になれないへら鮒釣りの会に、頼み込んで入会させてもらい、そこで自分より高齢の人たちを観察し勉強をしたと、野沢那智のラジオに出演した際に語っていた。

「人に好かれようとは一切考えない」「上にも下にもびない」人間であり、そうした昔気質な一面は息子である明夫にとって「追い風にもなり向かい風でもあった」という。

オーディションが嫌いでほとんど受けたことがなかった。『ピーターパンの冒険』のフック船長を演じる時に、一度だけしていたという。それ以降の作品は「フック船長の声優やった人にお願いします」ということで依頼が来たという。

移動は電車か徒歩である。車は「人間観察をしなくてはいけない俳優には不必要」と語ったことがある。

高齢のため入れ歯にしなくてはならなくなった際も、歯科医に何度も入れ歯を作り直させ、歯があったころと声の発音方法が変わらないように工夫したという。

「声優以前に俳優である」という姿勢を持ち、声優業はあくまでも俳優業の一つという意識を強く持っており、「声優という職業はない」と語ったこともある。このことは息子の明夫も後者の発言までは言っていないが守っている。ただし、他の人が「声優」という言葉を使うことに関しては抵抗はない。

ナレーション業が苦手で、アニメのアフレコも本音を言えば苦手であるということを語っている。前述のナレーションに関しては、「前提(職業などの設定)がないと自分がどこにいるかわからなくなるため」。アニメにおいては近年アフレコ時に絵が入らなくなった(完成していない)ことに不満を述べている。

自身の所属する青二プロダクションの新人育成傾向が声優専門に偏っていることには懸念を持っており、あえて若手の指導には当たっていなかった。ただし「人間なんてねずみ男みたいに時間が経てば、コロコロ考え方が変わってしまうもんだから、言ったことと逆のことをしているかもしれない」と語ったこともある。また、あるインタビューで「いっそのこと、スパルタ教育の"大塚塾"を開かれたらどうですか」と冗談で言われたときには全否定をし、「この歳になったから色々言っているだけで、役者がそんなことを言うべきではない」と主張している。

吹き替え作品について

吹き替えでの担当俳優のお気に入りは、『事件記者コルチャック』で声を担当したダーレン・マクギャヴィンだという。

持ち役のチャールズ・ブロンソンに関して、吹き替えを初めて担当した際、独特の声を表現するため、前日にブランデーやジンを飲み喉をわざと荒らしてアフレコに挑んだといわれていたが、とり・みき著『映画吹替王』の中で、「(略)あれはね、オーバー。ただ、前の日少しは飲んでも大丈夫っていう感じでね」とやんわりと訂正している。また、「ブロンソンには独特の間合いがある」とのことで、吹き替えを担当する役者にとっては非常に難しい存在であったと語っている。「ただ声を低くして、渋く喋っているだけじゃ駄目。彼の持つ雰囲気、また台詞と台詞のなど、彼の魅力を声で表現する場合、一番大切なのは台詞の最後の音を『半音』にすることを意識している」そうである。それにより「少ない台詞に言外の意味合いや雰囲気を持たせることができる」といっている。なお、半音にするという方法は市原悦子の独特なしゃべり方を観察して発見したそうである。ブロンソンの作品では、『ウエスタン』と『ストリートファイター』、それと『狼よさらば』が印象に残っているという。

俳優小劇場を解散し小沢昭一が芸能座を立ち上げたころ、井上ひさし脚本の舞台劇を年間2本で5年間で10本やろうという話になり、1ヶ月稽古で2か月地方公演というスケジュールだったため吹き替えの仕事ができず、その間の持ち役であったブロンソンの吹き替えが森山周一郎の担当となったことに「悔しかった」と当時の思いを語った。なおその時期に森山がブロンソンを担当した映画『軍用列車』は、後のDVD収録の際にブロンソンに周夫を起用して改めて吹き替え音声を収録している。

リチャード・ウィドマークに関して日本で吹き替えが始まる以前から彼の芝居を研究していたため、「日本の役者の中で誰よりも彼の芝居を知っている」と誇りをもっており、独特な笑い方やしゃべる癖などを完璧に覚えている。そして自ら日本テレビの外画部に売り込み、合わない場合は使わなくて良いと言うことで吹き替えが行われ、これが好評だったため、以後テレビ放送されたウィドマークの映画テレビ局に関係なくほとんど周夫が担当することになった。ウィドマークは一部の例外を除き、出演作のほとんどを周夫が吹き替え、ウィドマークの遺作である『トゥルー・カラーズ』まで担当した。ウィドマークの映画で好きな作品は『太陽に向って走れ』で、最後の最終弁論が5ページぐらい台詞があり、途中で間違えてまた頭から取り直したことがきつかったと語った。また持ち役であるウィドマークにたまたま違う声優が充てられたところ、激怒して現場まで行ってプロデューサーに「なんで俺じゃねえんだ」「あんな下手くそに喋らせやがって」などと詰め寄ったこともあるという。

吹き替えが始まった頃は、ヘッドフォンもなく自分の役を覚えモニターの俳優を見て自分の役がしゃべっているのを見つけて演じていたという。また、当時はテープ代が出演料の10倍と高価で、録り直す場合は最初から取り直し、最高で23時間かかったという。前述のとおり遅れてアテレコを始めたため、当初はうまく行かず、それを逆に利用して、「俺は知らないんだ」というセリフを「俺は知らねーんだよー」といったリアリズム調で切り込んでいった。このことが使いようにより「面白い」という声もあり、その後は、特殊な役の吹き替えが多くきたという。

吹き替えでは西部劇にも数多く声を当てており、納谷悟朗、山田康雄、小林清志、野沢那智らと共にテレビ洋画劇場のマカロニ・ウェスタン放映を支えた吹替役者の一人とされる。特に『続・夕陽のガンマン』でメインの3キャラクターを納谷、山田らと共演した日本語吹替(テレビ朝日『日曜洋画劇場』版)は高く評価されており、DVDソフト『セルジオ・レオーネ 生誕80周年記念 夕陽コレクターズBOX -日本語吹替完声版-』内の『続・夕陽のガンマン』ではテレビ放送でカットされた部分の吹き替えを、初回収録と変わらない声質で追加収録している。

息子・明夫との関係

長男・明夫が駆け出しの劇団員として苦しい生活を送っていた際には、声優の仕事を紹介したことがある。また、明夫が自身と同じく役者の仕事を始めたことに対しては「感性に生きる仕事を選んでくれたことは嬉しい」と語っている。

息子たちに「(財産もないし)何も遺してやれなくてごめんなぁ」と語ったところ、明夫から「俳優として一番大切なものを遺してもらった」と言われる。周夫がそれは何かと問うと「血だ」と言われたことに感動し、嬉しかったと、インタビューなどでたびたび口にしている。

『ブラック・ジャック21』の第1話「医師免許が返る日」では明夫と共演している。その話で演じた医師会長の息子の名前を「明夫」と叫んでいる。これは当初、台本には「息子よ」という台詞が書かれていたが、「自分の息子のことを『息子』と呼ぶような親はいない」との周夫の指摘があり、製作者の判断で「明夫」と変更になったという。なお、この話では内海賢二も自身が演じた友引警部の息子の名前を「賢太郎(内海の長男の名前)」と呼んでいる。

『メタルギアシリーズ』では、ビッグ・ボス役を明夫とともに親子二代で演じている。また、同作の『4』では、アフレコをする際のモニタ映像でモーションアクターである明夫の芝居を見ながら、それに合わせて声をあてるという珍しい現象が起きた。

『バビル2世』では彼の演じたヨミ役を明夫が1992年版OVAで演じた。

『キングダム ハーツ バース バイ スリープ』ではマスター・ゼアノートとして出演。これは『キングダム ハーツ』でゼアノートのハートレスであるアンセムを演じた明夫と親子であることを意識したキャスティングである。

周夫の没後、持ち役の一部を明夫が引き継いでおり、明夫は「結構そういうのがあってね。『たぶん周夫さん枠なんだろうな』という仕事もあって、周夫さんぽくやってみると喜んでもらえたりする。調子に乗ってよくやるんだけど」と語っている。また「(父の)セリフ回しだったりとかが残っていて。そこを親父だったらどう演じるだろうと探っていって音に出してみると、親父がまだ生きているような、会えるような気がするんだよ」とも語っていた。

ねずみ男

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "大塚周夫" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年5月)

『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)・(第2作)』で演じたねずみ男がお気に入りであり、人間の本質でもあるいい加減さを体現したキャラクターに共感を覚えると語っている。しかし、初めて演じた際は人間でもなく妖怪でもないという、あやふやなキャラクターを演じるにあたって「どこ行きゃいいんだ」と困ったという。また、ねずみ男を演じたおかげで、息子の明夫は学校で「小ねずみ男」などと呼ばれ、いじめられたという。

放送当時はもともと同じ劇団の野沢雅子や田の中勇がレギュラーとして入っていたこともあり、遠慮なくそれぞれ話し合いながらキャラクターを創り上げていけたという。また最初のころは、原作者の水木しげるが録音現場に来ていて、「先生、ここんとこ、こうしていいですか」と周夫が言うと水木が「ああ、面白いからやってみな」と原作にないアドリブなどを思うようにやらせてくれたという。「ねずみ男はなにやってもいいから。死んでもすぐ生き返らせるからね」と言われたとも言い、この言葉がねずみ男役をやりがいのある役にしてくれたという。

ねずみ男の声について、うんと調子よくやった方が面白いと考えハイトーンにしたといい、以前吹き替えでやった役のずる賢さと重なったという。ねずみ男のこと自体は気に入ってはいるものの、ハイトーンを維持するのは大変らしく、「くたびれたね、あれは」と語っている。野沢によると、当時のアフレコの際、周夫がねずみ男のパートをしゃべった後、後頭部をさすりながら「熱くて……」とこぼしていたとのこと。たびたびねずみ男がオネエ言葉になるのは台詞の印象を和らげるためであり、その技術は共演者の田の中勇に教わったという。

本人のねずみ男に対する分析は、「(ねずみ男の)本質は『自分で自分のことが大嫌いなヤツ』」であり、人間でも妖怪でもないということから、行き先や居場所をなくし、どんどん孤独化して寂しくなり、結果性格が悪質になっていくのだという。物事の善悪もわからないため、逆に言えば何が来ても彼にとっては恐怖はなく、「怖いのは鬼太郎だけ」と語っている。コミカルさを軽減した『墓場鬼太郎』では、その本質を見え隠れさせている。

「ねずみ男像」を必死で掘り下げたため、他の役者が演じているねずみ男について「絶対に僕と同じようなねずみ男はできない」と語るほど自信を持っていた。第3シリーズ制作時に声優陣が変更された際は残念な思いを抱いたものの、ねずみ男役を継ぐ富山敬に対しは「おもいっきりやって欲しい、ただ先代を越えるものを目指してもらいたい」と考えていたことを後に明かしている。

初代ねずみ男を演じた特別ゲスト出演として、鬼太郎第5シリーズにおいてはゲストキャラクターを二役演じている。そのうち一役の白山坊役は、毎回高木渉演じるねずみ男との絡みが多い役柄であった。また、この白山坊は第4シリーズでも周夫が演じている。

ラジオの『オールナイトニッポン』出演の際は、ねずみ男の声の調子でさまざまなことを語り、終始「俺はいい加減なんだから」と楽しんでいるような調子でねずみ男になりきっていた。また、同ラジオで特別に製作されたラジオドラマにおいては、久方振りにねずみ男を演じた。その後もNHKで放映された『鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜』においては野沢ら第1シリーズのメンバーが演じている。ラジオ番組ではねずみ男を中心に多くのことを語っており、近年の若者に対して「ねずみ男はいけません」と告げたり、後に別の人間が演じていたねずみ男に対しても、短いながらも意見を述べていた。晩年もねずみ男役としてインタビューを受けると、毎回自分なりのねずみ男に対する見解を多く語っていた。

初代ねずみ男を演じた周夫であるが、当時バラエティ番組などにおいて鬼太郎の出演声優が呼ばれるという企画があった際にも、狂言回しであるねずみ男がピックアップされることは少なく、番組においてもあまり出演がなかった。代表作としても、以前は積極的に発表されにくかった。しかし『墓場鬼太郎』などの影響から、彼が初代ねずみ男を演じていたことが改めて世に知れ渡ることとなった。

息子の明夫は、「(父の)一番すごい仕事はねずみ男だと思っている」と語っている。ブラック魔王なども、このねずみ男あってのものだと分析し、本人も軽く同意した。また、いじめの材料にされたキャラであるが、逆に明夫は「ねずみ男を自分が演じて見たい」と冗談めかして言ったこともある。そして2017年の『映画 妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活』では、明夫がねずみ男の声を担当することとなった。

2024/06/25 03:25更新

ootsuka chikao


大塚周夫と同じ誕生日7月5日生まれ、同じ東京出身の人

藤本 永治(ふじもと えいじ)
1931年7月5日生まれの有名人 東京出身

藤本 永治(ふじもと えいじ、1931年7月5日 - 2018年11月)は毎日放送(MBS)の元アナウンサーである。愛称は「MBSの永ちゃん」(矢沢永吉に対抗して)。 東京都出身。中央大学卒業後、…

後藤 梨花(ごとう りか)
1984年7月5日生まれの有名人 東京出身

後藤 梨花(ごとう りか、1984年7月5日 - )は、東京都出身のグラビアアイドル。グッドタイムエンターテイメント所属後、引退。 青山学院大学第二部にて通学。大学に通いながらもレースクイーンをこ…

草村 礼子(くさむら れいこ)
1940年7月5日生まれの有名人 東京出身

草村 礼子(くさむら れいこ、本名;野口 禮子<のぐち れいこ>、1940年7月5日 - )は、日本の女優、ナレーター。東京府北多摩郡三鷹町(現:東京都三鷹市)出身。ジェイ・クリップ所属。…

貞富 信宏(さだとみ のぶひろ)
1979年7月5日生まれの有名人 東京出身

貞富 信宏(さだとみ のぶひろ、1979年7月5日 - )は、東京都出身の元サッカー選手である。ポジションはMF。 帝京高校時代は、2学年上に松波和幸(松波正信の弟)、依田光正、留学生の吉成大と江…

葛西 聖司(かさい せいじ)
1951年7月5日生まれの有名人 東京出身

葛西 聖司(かさい せいじ、1951年7月5日 - )は、日本のアナウンサー。古典芸能の解説者。 中央大学卒業後、1974年にNHKに入局。初任地は鳥取放送局。その後宮崎放送局、大阪放送局を経て1…

伊東 正治(いとう まさはる )
1951年7月5日生まれの有名人 東京出身

伊東 正治(いとう まさはる 1951年〈昭和26年〉7月5日 - )は、毎日放送出身のフリープロデューサー・フリーアナウンサー。元・同局アナウンサーで、放送上の愛称はマーボー。 毎日放送では197…

秋元 玲奈(あきもと れな)
1985年7月5日生まれの有名人 東京出身

秋元 玲奈(あきもと れな、1985年7月5日 - )は、日本のフリーアナウンサー。テレビ東京元アナウンサー。 東京都出身。 白百合学園幼稚園、白百合学園小学校、白百合学園中学校・高等学校、慶應…

太田 元治(おおた もとはる)
1951年7月5日生まれの有名人 東京出身

太田 元治(おおた もとはる、1951年〈昭和26年〉7月5日 - )は、日本のアナウンサー、テレビディレクター・プロデューサー、実業家。朝日放送(ABC)のアナウンサー→スポーツ局局次長・業務担当部…

宮澤 奈々子(みやざわ ななこ)
7月5日生まれの有名人 東京出身

宮澤 奈々子(みやざわ ななこ、7月5日 -)は、日本の女性声優。以前はオフィス薫に所属していた。東京都出身。 あなたにムチュー(ステーシー) 姉のいた夏、いない夏。(クレール) カシコギ クラッ…

市川 展丈(いちかわ のぶたけ)
1973年7月5日生まれの有名人 東京出身

市川 展丈(いちかわ のぶたけ、1973年7月5日 - )は、日本の男性司会者、ラジオパーソナリティ、ナレーター、声優。 東京都出身。青二プロダクション所属。 サッカー、音楽、ファッション、健康に…


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大塚 展生(おおつか のぶお)
1958年1月1日生まれの有名人 岡山出身

大塚 展生(おおつか のぶお、1958年1月1日 - )は、朝日放送テレビ(ABC)の元アナウンサー、政治家。 岡山県玉野市出身、1989年より兵庫県芦屋市在住。青山学院大学文学部フランス文学科を…

大塚 良子(おおつか りょうこ)
1979年11月23日生まれの有名人 東京出身

大塚 良子(おおつか りょうこ、1979年(昭和54年)11月23日 - )は、日本のテレビタレント、女優である。 東京都町田市出身。テレビのバラエティー番組、『ワンダフル』(TBS)に、1998年…

大塚 みな(おおつか みな)
1981年5月15日生まれの有名人 大阪出身

大塚 みな(おおつか みな、1981年5月15日 - )は、日本の元アイドル。舞夢プロに所属していた。 テレビでは『バラエティー生活笑百科』(NHK・大阪制作)のアシスタントを2007年3月まで務…

大塚 良重(おおつか よしえ)
1957年9月15日生まれの有名人 長野出身

 テレビドラマ ・花王 愛の劇場 『母子草』(1979年) 大塚 良重(おおつか よしえ、1957年9月15日 - )は、日本の女優。 長野県で出生、静岡県田方郡伊豆長岡町(現・伊豆の国市)…

大塚 麻央(おおつか まお)
1987年3月12日生まれの有名人 東京出身

大塚 麻央(おおつか まお、1987年3月12日 - )は北海道出身のタレント・グラビアアイドル。元ピー・ビー・ビー所属。 テレビ出演 はるか17(テレビ朝日系) アイドルコロシアム2005(MO…

大塚 びる(おおつか びる)
1989年3月18日生まれの有名人 和歌山出身

大塚 びる(おおつか びる、1989年3月18日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、モデル。マグニファイエンタテインメント所属。和歌山県出身。 2007年に大学進学で上京し、その後芸能活…

大塚 露那(おおつか つゆな)
1986年6月21日生まれの有名人 神奈川出身

大塚 露那(おおつか つゆな、1986年6月21日 - )は、タレントで、元子役。神奈川県生まれ。血液型はO型。子役時代の身長は150cm。劇団東俳所属、かつてはTMOパントナイフに所属していた。趣味…

大塚 善奈(おおつか ぜな)
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大塚 善奈(おおつか ぜな、1984年2月19日 - )は、日本の女性タレント、女優、歌手。 東京都出身。父親はレバノン人、母親は日本人。日本語のほか、英語、フランス語、韓国語が堪能なマルチリンガ…

大塚 安里(おおつか あんり)
1979年11月30日生まれの有名人 千葉出身

大塚 安里(おおつか あんり、1979年11月30日 - )は、千葉県出身のタレント。元アミューズ所属。 タレントの桂菊丸と歌手の泉アキの間の次女として生まれた。実姉はDJのANNA。 並木家の…

おおつか 麗衣(おおつか れい)
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おおつか 麗衣(おおつか れい、1986年4月13日 - )は、京都府出身の元グラビアアイドル、元女優である。 2006年に旧芸名の「大塚麗衣」から改名した。(大塚を漢字から平仮名に変更した) …

大塚 水月(おおつか みづき)
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大塚 水月(おおつか みづき、1988年5月7日 - )は、愛知県犬山市出身の女優、タレントである。エヌ・エー・シー名古屋所属。T164、B80、W63、H85。血液型B型。愛称は「みるきぃ」。 …

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大塚 千弘(おおつか ちひろ、1986年3月12日 - )は、日本の女優、歌手。結婚前本名、同じ。旧芸名、大塚 ちひろ。 徳島県徳島市出身。東宝芸能所属。第5回東宝「シンデレラ」オーディション審査員…

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