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長谷邦夫: 1974年に二度目の単行本書き下ろし『人生破壊学』を発行(赤塚不二夫名義、執筆は奥成達と共同)。 高平哲郎: 共著:山下洋輔・筒井康隆・奥成達・平岡正明・坂田明・日比野孝二・河野典生・上杉清文・山口泰・伊達政保・舎人栄一・岡崎英生・瀬里なずな・小山彰太・池上比沙之・堀晃・黒鉄ヒロシ・赤瀬川原平・高信太郎・長谷邦夫・南伸坊・末井昭・長谷川法世・タモリ・吉峯英虎・赤塚不二夫・高平哲郎・朝倉喬司 タモリ: 1975年の春、山下が行きつけの新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」で、「山下がそんなに面白いと言うのなら一度見てみたい」と、タモリを上京させる機運が高まり、バーの常連(奥成達、高信太郎、長谷邦夫、山下洋輔、森山威男、坂田明、三上寛、長谷川法世、南伸坊ら)により「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、会のカンパによって、1975年6月に上京を果たす。 高平哲郎: 奥成達編集で書籍『空とぶ宴会芸』が刊行され、赤字を埋めた。 白石かずこ: 『晩酌の思想 味噌汁と六本のストロー』(奥成達,平岡正明共著、住宅新報社) 1976 赤瀬川原平: 日本満足問題研究会(1976年、赤塚不二夫、赤瀬川原平、奥成達、高信太郎、長谷邦夫) 平岡正明: 油井正一、大森忠、佐々木守、ソンコ・マージュ、奥成達、大山倍達、布川徹郎、上杉清文、新宿「バードランド」主人、瓜生良介、赤塚不二夫、池田圭、羽生道雄、神彰を論じている 赤塚不二夫: 1976年から、『週刊読売』誌上で「全日本満足問題研究会」(赤塚、赤瀬川原平、奥成達、高信太郎、長谷)と名乗り、「バカなことを真面目にやる」連載を行った。 高平哲郎: 「VAN99ホール」を退社した北吉洋一、劇団東京ヴォードヴィルショーの舞台監督の谷口秀一らを入社させ、奥成達らと『小説マガジン』の編集、執筆を行う。その後、奥成達と高信太郎に、新宿歌舞伎町の「ジャックと豆の木」(通称「ジャック」)というスナックに連れていかれ、タモリの密室芸(奥成達が命名)を鑑賞し、馬鹿騒ぎをする。 赤塚不二夫: 奥成達編集で書籍『空とぶかくし芸』が刊行され(赤塚は表紙イラストや本文イラストを担当)、赤字を埋めた。 タモリ: 命名者は奥成達。 高平哲郎: また、1978年には「全日本満足問題研究会」(赤塚不二夫、赤瀬川原平、奥成達、高信太郎、長谷邦夫)のLP『ライブ・イン・ハトヤ』もプロデュースした。 赤瀬川原平: 赤塚不二夫と全日本満足問題研究会(赤塚不二夫、赤瀬川原平、奥成達、高信太郎、長谷邦夫)、タモリ、山下洋輔、坂田明、小山彰太、林美雄 平岡正明: また、1975年に山下洋輔が「全日本冷し中華愛好会」を結成すると、上杉清文、奥成達らと主要な論客として参加した。 赤瀬川原平: 『定本ハナモゲラの研究』筒井康隆, 山下洋輔, タモリ, 赤塚不二夫, 奥成達 共著 講談社 1979 赤塚不二夫: 出演:赤塚不二夫/赤瀬川原平/長谷邦夫/奥成達/高信太郎/タモリ/山下洋輔/坂田明/小山彰太/林美雄/常木健男/伊東鳩子/ハトヤ混声合唱団/下落合テンタクルス/ハトヤ男子従業員一同/ビクター女子従業員一同/ハトヤ・ダンシングチーム/ハトヤ・オールスターズ 赤瀬川原平: また1976年から、『週刊読売』誌上で「全日本満足問題研究会」(赤塚不二夫・赤瀬川原平・奥成達・高信太郎・長谷邦夫)と名乗り「バカなことを真面目にやる」連載を行った。 片岡義男: しかし1970年、奥成達が編集長を務めた雑誌『東京25時』9・10月合併号に、サザエさんのパロディ漫画『サザエさま』を掲載(木崎しょう平作画)すると、原作者である長谷川町子の作品を管理する姉妹社から訴えられ、罰金50万円の支払いと謝罪広告の掲載がなされた。 高平哲郎: 中平穂積、矢吹申彦、矢崎泰久、和田誠、来生えつこ、平野甲賀、片岡義男、瀬戸俊一、磯田秀人、奥成達、伊藤八十八、石川次郎、渡辺和博、渡辺貞夫、日野皓正、山下洋輔、内藤陳、タモリ、野田秀樹、森田芳光、山本容子、大岡玲、津野海太郎、坪内祐三 坂田明: 『破壊するのだ!!赤塚不二夫の「バカ」に学ぶ』(Ele-king books) 髙平哲郎, 三上寛,奥成達, 足立正生,山下洋輔,赤塚りえ子, 三田格共著. Pヴァイン, 2015.9 高平哲郎: 共著:赤瀬川原平・赤塚不二夫・朝倉喬司・糸井重里・上杉清文・及川正通・岡崎英生・、奥成達・鏡明・加藤芳一・高信太郎・小山彰太・坂田明・高平哲郎・タモリ・筒井康隆・中原仁・中村誠一・山口泰・山下洋輔・湯村輝彦・横田順彌 |
奥成達
奥成 達(おくなり たつ)さんの誕生日は1942年6月30日です。東京出身の詩人、編集者のようです。
詩人として、編集者としてなどについてまとめました。卒業、映画に関する情報もありますね。73歳で亡くなられているようです。
奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015年8月16日)は、日本の詩人、ジャズ評論家、著述家、漫画原作者、編集者、作詞家、トランペット奏者。 東京都品川区大井出身。東京都立城南高等学校卒業。雑誌記者、タウン誌編集長、青山学院大学文学部講師を歴任。 さまざまな種類の活動を通して、日本のサブカルチャー界に、広い人脈を築いた。タモリの「密室芸」の命名者である。 また、様々な別名を用いて執筆活動を行った。自身のペンネーム「異魔人」。また高橋肇との共同ペンネーム「影山勲」。弟の奥成繁(久保田呉春)との共同ペンネーム「山口泰」。妻はイラストレーターのながたはるみ。 2015年8月16日、腎盂癌のため死去した。73歳没。 詩人として早熟な詩人であり、北園克衛の影響をうけて10代から詩作をはじめ、15歳にして、北川冬彦が主宰する詩誌『時間』の同人になる。 1961年には詩、ジャズのイベント「新人類学会総会」を主催。日本で初めての「ツイスト・パーティ」であった。この頃、白石かずこと出会う。 その後、詩集を何冊か発行した後、1977年に北園克衛主宰『VOU』同人の同人となる。 また、詩の朗読活動に興味を抱き、1979年には「PRW」(ポエトリー・ロード・トウ・ザ・ワールド)の会を、白石かずこ、八木忠栄と発足。生涯にわたって、ポエトリー・リーディングの活動を行っていた。 1979年には自らの詩誌『gui』を創刊した。 編集者として1961年に『日本団地新聞』に入社して、編集・記事執筆を行う。1964年にはエスエス製薬の宣伝課に勤務。この時の宣伝部長が、のち、『東京25時』を発行するアグレマン社の社長となる宮崎宣久だった。 1967年には『主婦と生活』誌の編集部記者となる。美術課に在籍していた及川正通と知り合う。また、『主婦と生活』の仕事をしていた、山村雅昭、上村一夫、浜野安宏、沢渡朔などとも知り合う。 1970年には、タウン誌『東京25時』(アグレマン社刊)を創刊し、編集長をつとめる。編集者は、高校の後輩の西脇英夫(のち、映画評論家)との2名であった。佐伯俊男の才能を発見しカバー絵に起用。また、佐伯を通して三上寛を知る。時代の熱気を取り込んだ、過激な雑誌であったが、テディ片岡(片岡義男の旧名)原作による「サザエさん」のパロディ「サザエさま」を掲載したことから、長谷川町子に訴訟を起こされ、賠償金50万円を支払い、同誌は1971年に廃刊。 1977年には、セルフ出版(のち白夜書房)から、『小説マガジン』を刊行(編集人は末井昭だが、実質は奥成が編集長)。赤塚不二夫の「ウナギイヌ」を表紙にした、奥成の人脈を駆使した「面白雑誌」だったが、6号で休刊。 2024/05/19 00:50更新
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okunari tatsu
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