安井智規の情報(やすいとものり) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
安井 智規さんについて調べます
■名前・氏名 |
安井智規と関係のある人
安井智規の情報まとめ
安井 智規(やすい とものり)さんの誕生日は1943年1月25日です。兵庫出身の野球選手のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。安井智規の現在の年齢は81歳のようです。
安井智規のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 安井 智規(やすい としのり、1943年1月25日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。1967年までの登録名は「安井 俊憲」。 大阪高校では3年次の1960年、夏の甲子園府予選準々決勝に進出するが、桃山学院に敗退。 卒業後の1961年に近鉄バファローへ入団し、2年目の1962年4月7日の大毎戦(日生)に村田康一の代走で一軍初出場。5月13日の阪急戦(日生)では島田光二の代打で初安打、6月24日の大毎戦(東京)で初盗塁を記録。 3年目の1963年5月20日の東映戦(日生)で初打点、1964年4月2日の西鉄(藤井寺)で畑隆幸から初本塁打を記録。同年は主に二塁手として14試合に先発出場を果たし、1965年は開幕から2番打者、二塁手に抜擢される。同年は打撃が低迷し定位置は奪えなかったが、1966年には矢ノ浦国満がサンケイに移籍したため、後継の正遊撃手となる。 1967年には俊足を活かした1番打者に定着し、初めて規定打席(24位)に到達。1968年には8月24日の南海戦(日生)で1試合4盗塁を記録するなど、チーム史上2人目の盗塁王となる。 1969年には打率.272(リーグ17位)と成長を見せ、自身唯一となるオールスターゲーム出場を果たす。 1972年には中日から移籍の一枝修平が正遊撃手となったため、主に二塁手、三塁手として起用される。その後も内野のユーティリティプレイヤーとして活躍し、1970年と1972年にはリーグ最多犠打を記録し、1971年10月9日の南海戦(日生)で1000試合出場を達成。 1974年9月1日のロッテ戦(日生)で八木沢荘六から最後の本塁打、同29日の阪急戦(日生)で最後の安打を記録。 1975年は無安打に終わり、6月23日の日本ハム戦(後楽園)にクラレンス・ジョーンズの代走で起用されたのが最後の出場となった。コーチ兼任となった1976年には一軍出場が無くなり、同年限りで現役を引退。 引退後は近鉄で二軍守備・走塁コーチ(1977年 - 1981年, 1991年 - 1992年, 1998年)、二軍守備コーチ(1988年)→一軍守備コーチ(1989年 - 1990年)、二軍野手総合コーチ(1993年)→二軍野手コーチ(1994年)→二軍監督(1995年)→一軍守備・走塁コーチ(1996年 - 1997年)、育成担当(1999年 - 2002年)を歴任。一軍コーチ時代の1989年には9年ぶりのリーグ優勝に貢献し、二軍監督時代の1995年にはチームを17年ぶりのウエスタン・リーグ優勝に導いている。 近鉄退団後は関西メディカルスポーツ学院で初代監督(2006年)、コーチ(2007年)を務めた。 各年度の太字はリーグ最高 盗塁王:1回 (1968年) 1000試合出場:1971年10月9日 ※史上155人目 オールスターゲーム出場:1回 (1969年) 53 (1961年 - 1965年) 13 (1966年) 6 (1967年 - 1975年) 40 (1976年) 65 (1977年 - 1981年) 88 (1988年 - 2002年) 安井 俊憲 (やすい としのり、1961年 - 1967年) 安井 智規 (やすい としのり、1968年 - ) 兵庫県出身の人物一覧 大阪近鉄バファローズの選手一覧 個人年度別成績 安井智規 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1950 木塚忠助 1951 木塚忠助 1952 木塚忠助 1953 L.レインズ 1954 鈴木武 1955 森下正夫 1956 河野旭輝 1957 河野旭輝 1958 R.バルボン 1959 R.バルボン 1960 R.バルボン 1961 広瀬叔功 1962 広瀬叔功 1963 広瀬叔功 1964 広瀬叔功 1965 広瀬叔功 1966 山本公士 1967 西田孝之 1968 安井智規 1969 阪本敏三 1970 福本豊 1971 福本豊 1972 福本豊 1973 福本豊 1974 福本豊 1975 福本豊 1976 福本豊 1977 福本豊 1978 福本豊 1979 福本豊 1980 福本豊 1981 福本豊 1982 福本豊 1983 大石大二郎 1984 大石大二郎 1985 松永浩美 1986 西村徳文 1987 西村徳文, 大石第二朗 1988 西村徳文 1989 西村徳文 1990 秋山幸二 1991 大野久 1992 佐々木誠 1993 大石大二郎 1994 佐々木誠 1995 イチロー 1996 村松有人 1997 松井稼頭央 1998 松井稼頭央, 小坂誠 1999 松井稼頭央 2000 小坂誠 2001 井口資仁 2002 谷佳知 2003 井口資仁 2004 川﨑宗則 2005 西岡剛 2006 西岡剛 2007 片岡易之 2008 片岡易之 2009 片岡易之 2010 本多雄一, 片岡易之 2011 本多雄一 2012 聖澤諒 2013 陽岱鋼 2014 西川遥輝 2015 中島卓也 2016 金子侑司, 糸井嘉男 2017 西川遥輝 2018 西川遥輝 2019 金子侑司 2020 周東佑京 2021 源田壮亮, 荻野貴司, 和田康士朗, 西川遥輝 2022 髙部瑛斗 2023 周東佑京, 小深田大翔 2024 周東佑京 日本の野球選手 大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手 盗塁王 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 日本の野球監督 兵庫県出身の人物 1943年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2024/11/21 04:03更新
|
yasui tomonori
安井智規と同じ誕生日1月25日生まれ、同じ兵庫出身の人
TOPニュース
安井智規と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「安井智規」を素材として二次利用しています。