本間勝: 1965年は13試合の登板に終わり、オフに西鉄ライオンズに安部和春とのトレードで移籍。
中西太: 若生忠男・畑隆幸・田中勉・安部和春・井上善夫ら若手投手の奮闘もあり、南海と熾烈な優勝争いを繰り広げる。
田辺義三: 中西は、守備が良く、打撃センスもいい田辺を正一塁手に固定するつもりであったが、同年10月6日の大毎戦(東京)での試合前、当時打撃投手としてチームに帯同していた安部和春に替わって打撃投手を務めた際、打撃練習中であった伊藤光四郎の球が田辺の後頭部に直撃して昏倒し病院に運ばれた。
若林忠志: また、田中勉、安部和春、若生忠男、畑隆幸、井上善夫ら若手の投手陣を指導し、長らく稲尾和久一人に頼った西鉄投手陣の立て直しを図った。
宮本洋二郎: 1967年は開幕直後から先発として起用され5勝を挙げ、5月7日の阪神戦(広島市民)では権藤正利と投げ合い、9回裏に大和田明が安部和春からサヨナラ3点本塁打を放って自身唯一の完封勝利を飾る。