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山内溥
山内 溥(やまうち ひろし)さんの誕生日は1927年11月7日です。京都出身の経営者のようです。
投資家・篤志家としての山内溥、経営哲学などについてまとめました。85歳で亡くなられているようです。
山内 溥(やまうち ひろし、1927年〈昭和2年〉11月7日 - 2013年〈平成25年〉9月19日)は、日本の実業家。出生名は山内 博(読みは同じ)。 玩具メーカーの任天堂株式会社代表取締役社長(個人商店の山内房治郎商店より数えて第3代、1949年 - 2002年)、同社取締役相談役(2002年 - 2005年)を経て、晩年まで同社の相談役を担った。任天堂を電子ゲームによって世界的な企業に押し上げた中興の祖として活躍した。 また、アジア人初の大リーグチームのオーナーとして、シアトル・マリナーズの共同オーナーを務めた人物としても知られる。 1927年、京都市に生まれる。溥は任天堂創業家の生まれであり、創業者・山内房治郎の曾孫に当たる。 幼少時に、父・山内鹿之丞(婿養子。旧姓:稲葉)が近所の女性と駆け落ちして失踪した後、祖父母に育てられることになったこと以外は恵まれた環境で育つ。 2005年に取締役を退任し、役職は相談役のみとなる。その際、任天堂側からは長年の功績に対する慰労金として12億3600万円を提示されていたが、山内は「それよりも社業に使ってほしい」と、この申し出を断っている。 2013年9月19日、肺炎のため京都市左京区の京都大学医学部附属病院で死去した。85歳没。葬儀は任天堂本社で社葬として執り行われた。 山内は発行済株式10%を保有する筆頭株主であったがそれらは遺族4人が相続した。相続税の納税のために遺族は株式の一部を売却。任天堂は自社株950万株を1142億円で取得した。 投資家・篤志家としての山内溥1992年、MLBのシアトル・マリナーズが経営危機に瀕し、シアトルから移転されることも考えられていた。それを知った山内は、「長い間、米国任天堂を置かせてくれたシアトルへの恩返し」として、MLB球団をシアトルに留めるために、山内がポケットマネーでマリナーズ運営会社の株式を購入した。 しかし、MLB機構(コミッショナーはフェイ・ヴィンセント)が日本企業がMLB球団を丸々買収することに難色を示したため、「他の出資者も募る形で山内の株保有率は49%に抑える」「マリナーズで重要問題を決める時は共同オーナー7人の投票によって最終意思決定がされ、山内の意向を受けた任天堂の票は2票とする」等の配慮をした上でマリナーズの筆頭オーナーとなり、MLB史上初の非白人・アジア人オーナーとなった。 2002年の任天堂社長退任後も個人出資分として、暫くは共同オーナーに名を連ねていた。山内の出資分は2004年8月までにNintendo of Americaがそれらを買い取って持株比率が55%を超えることとなり、マリナーズ運営会社The Baseball Club of Seattle, L.P.は任天堂の持分法適用会社となった。 社長をしていた当時、マリナーズの日本人大リーガーの佐々木主浩やイチローが、任天堂のコマーシャルに登場したこともある。イチローがMLB挑戦を表明した時には、「何が何でも獲れ」と厳命を下している。山内がマリナーズに対して口出しをしたのはこれっきりであり、基本的には金だけ出し、口を出すことはない。それどころか「飛行機が嫌いだから」という理由で、マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドに一度も行くことはなかった。2005年には、個人保有していた任天堂の株式5000株をイチローの年間最多安打達成のお祝いとして贈呈した。 山内の死去が明らかになった直後の2013年9月23日にはセーフコ・フィールドにおいてマリナーズの試合前に、オーナーであった山内の死去を悼んで黙祷が捧げられた。大型スクリーンに山内の姿が映し出される中で1992年の球団買収でチーム移転を食い止めたことなどが紹介され、マリナーズの選手は2013年シーズン終了までユニホームにイニシャルの「HY」をデザインした喪章を着けてプレーすることになった。 なおNOAは2016年にThe Baseball Club of Seattle, L.P.の株式を10%を残して他の共同オーナーたちへ売却し、筆頭株主ではなくなっている(経緯はシアトル・マリナーズ#運営に記した)。 小倉百人一首をテーマとして、京都文化や京都観光の発展に貢献するために設立された「公益財団法人小倉百人一首文化財団」の理事長を務めた。同文化財団が運営する百人一首のテーマパーク「時雨殿」建設の際には、建築費用21億円すべてを個人で負担し、2012年まで時雨殿運営に任天堂関係者が関与していた。 2002年1月に「ファンドキュー」というベンチャーのゲーム会社を支援する投資ファンドを設立している。「ゲームキューブとゲームボーイアドバンスの連携」、「開発期間は一年」、「任天堂による審査」など条件はあったが、無担保で融資を行うという零細ベンチャーには魅力あるものであり、全額山内のポケットマネーで行われた。 2006年2月、京都市左京区の京都大学医学部附属病院に「大学病院の使命にふさわしい病棟を建設してほしい」と約70億円の個人資産を寄附。これにより京大では地上8階・地下1階で延べ床面積約2万平方メートル・病床約300の新病棟「積貞棟」を建設した。工事の着手は法的問題の解決が難航したため1年半遅れ2008年7月に着工、2010年5月に完成した。 なお上記の通り山内は同病院で生涯を閉じている。 経営哲学任天堂がやることは、任天堂が『一番強みを発揮できる部分』に絞るべき。これは私が山内から教わったことですけど、上手に捨てられるから少ない人数でも大きな所と戦えるわけで、絞ってなければ、ソニーさんやマイクロソフトさんのようなジャイアントカンパニーを向こうに回して競争なんかできないわけですよ。ですから、事業を分散させない。それを前提にすると、自分たちではできないことは他社さんと組まないといけないわけで、その組み方もどんどん変わっていくんだろうなと思います。(岩田聡 談) 商品が売れるか売れないかは、正直いって誰もわからんよ。しかし、面白いか、面白くないかは誰にでもわかる。おもしろいものをつくれば会議で検討したり、市場調査をしたりする必要もないわけや。事実、ゲームソフトで370万本売って超ベストセラーになった「スーパーマリオブラザーズ」など、100人中90人までがおもしろいと評価していたよ。 娯楽というものは、独創性を持たないで、人のやったことをやっていたって仕方がないんや。独創性を発揮して、それが認められるような商品でなかったら新しい市場は成立しない。新薬の開発のように、何かを深く掘り下げて、その技術の上に立って戦略を考えるというのとは根本的には違うんです。 だから、今までこんな遊びがあった、これを改良、改善すればなんとか商売になるのでは……という発想では絶対うまくいかん。だからこそ、他社の類似品は出さんというのが、任天堂のモットーなんです。 何よりも大事なことは、娯楽というのは飽きられるものだということ。ここが必需品と根本的に違うわけです。そして必需品ならば二番手でも安いほうが売れます。しかし娯楽は二番煎じではダメです。たとえ安くても売れない。トップランナーでないといけません。だから、二番煎じで安いものを作るというやり方でやってきた大手の必需品メーカーには、娯楽のソフトウエアを作るのは無理ですよ 2024/05/16 03:57更新
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yamauchi hiroshi
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