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平田良介の情報 (ひらたりょうすけ)
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【6月15日】今日誕生日の芸能人・有名人

平田良介の情報(ひらたりょうすけ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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平田 良介さんについて調べます

■名前・氏名
平田 良介
(読み:ひらた りょうすけ)
■職業
野球選手
■平田良介の誕生日・生年月日
1988年3月23日 (年齢36歳)
辰年(たつ年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
大阪出身

(昭和63年)1988年生まれの人の年齢早見表

平田良介と同じ1988年生まれの有名人・芸能人

平田良介と同じ3月23日生まれの有名人・芸能人

平田良介と同じ出身地大阪府生まれの有名人・芸能人


平田良介と関係のある人

久本祐一: 中日に入団後のプロ2年目のオフシーズンから毎年静岡県内で自主トレーニングを行っており、広島移籍後は菊池涼介、戸田隆矢、磯村嘉孝ら、中日打撃投手就任後はさらに平田良介ら後輩達を引き連れて行っている。


土井正博: 伸び悩んでいた平田良介を開花させ、ダヤン・ビシエド、ソイロ・アルモンテにも熱心に指導。


岡副麻希: 高校野球ファンになったきっかけは、大阪桐蔭中1年の時に当時同高校3年だった辻内崇伸、平田良介の高校野球での活躍を見たことで、アナウンサーを志すようになったきっかけも、母校の野球部を取材したいと思い始めたことだった。


遠藤一星: また、平田良介の故障時や、大島の休養時にはスタメンで出場した。


高橋周平: 平田良介が離脱してからは3番に回り、4月終了までに打率.276、3本塁打、13打点と好スタートを切っていたが、30日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)にて右手を痛めて途中交代。


靍岡賢二郎: 甲子園初戦では平田良介・辻内崇伸らを擁する大阪桐蔭高校と対戦、7対9で敗れたが、自身は辻内から中堅バックスクリーンへ本塁打を放つなど5打数2安打の成績を残した。


アーロム=バルディリス: 4月28日の対埼玉西武ライオンズ戦から4試合連続本塁打を放ち、この間4月30日の対西武戦でエンリケ・ゴンザレスからサヨナラ本塁打、翌5月1日の対ロッテ戦で薮田安彦から逆転サヨナラ本塁打を放ち、2011年の中日・平田良介以来史上9人目となる2試合連続サヨナラ本塁打を記録した。


中田翔: 大阪桐蔭高校では1年夏には5番・一塁手でレギュラーとなり、2005年の夏の甲子園ベスト4に貢献、この時の3年生に平田良介、辻内崇伸がおり、入学時からこの二人をライバルとして競争心を燃やしていた。


タイロン=ウッズ: 日本シリーズでは日本一になった第5戦で、この試合の唯一の得点となる平田良介の犠牲フライでホームを踏み、最後の打者となった小谷野栄一の二塁ゴロでウイニングボールを掴んだ。


及川雅貴: 平田良介、森友哉と対戦し、平田から138km/hのストレートで空振り三振を奪ったが、森には中前打を打たれた。


松井佑介: シーズン全体では平田良介のケガによる離脱もあって、自己最高の56試合に出場し4本塁打・18打点を記録するなどキャリアハイの成績を残した。


大島洋平: しかし、その後は打撃不振に陥り、その間に平田良介や野本圭の活躍もあり、5月21日に二軍降格。


加賀繁: 中日との24回戦に先発登板し、先頭打者の平田良介を三振に抑えて降板した。


前田大和: その一方で、4月29日の対中日戦(ナゴヤドーム)6回裏無死満塁の遊撃守備では、平田良介が放ったゴロを捕球後の本塁送球をきっかけに、捕手・嶺井博希や三塁手・宮﨑敏郎との間で「6-2-5」という珍しいフォーメーションの併殺を完成させた。


エクトル=ルナ: 中日時代の2014年にはチーム3位の8盗塁、2015年には平田良介と並ぶチーム2位の11盗塁を記録。


堂上剛裕: 2012年、自身の誕生日であった5月27日の対福岡ソフトバンクホークス戦(ナゴヤドーム)で一軍公式戦でのシーズン初本塁打を放つと、右翼のレギュラー候補だった平田良介の不調などを背景に、右翼手として先発出場する機会が増加。


アレックス=カブレラ: 打席で構える際に行っていた背中を後方に反る独特の構えが特徴で、その構えはカブレラが西武時代に高校生であった平田良介や中田翔も模倣するなど全国の高校球児にも伝播するほどの人気を誇ったが、オリックスに移籍した2008年頃からは持病の腰痛のため、反らずに担ぐようになっている。


萬谷康平: 平田良介とは、実家が道を挟んで2軒隣にあるという間柄で、小学校1年生から中学校1年生まで同じ少年野球チームに所属していた。


岡田貴弘: 3年になると、同学年の平田良介とともに進路が注目された。


三浦優奈: 元中日ドラゴンズ~平田良介~引退記念「トークショー vs MC三浦優奈 」(2023年4月28日、株式会社 ウエストエンド) - MC


松尾汐恩: 聖望学園との2回戦で2打席連続本塁打を放ち、OBの平田良介、森友哉、藤原恭大らに並ぶ史上10人目の甲子園大会通算5本塁打に到達した。


亀澤恭平: チーム内ではムードメーカー的存在で、チームメイトの平田良介や遠藤一星と共に得点が入るとカメラに向かい、パフォーマンスをすることがあった。


加藤翔平: リーグ最少の33本塁打・183得点と得点力不足に悩まされ、平田良介、マイク・ガーバーなどの外野手が低迷している中日の補強ポイントに合致した。


森福允彦: 中日との日本シリーズでは11月15日の第3戦で2点リード二死から1人抑えてホールド、11月16日第4戦では6回1点リード無死満塁から登板、小池正晃を空振り三振、平田良介をレフトフライ、谷繁元信をショートゴロに抑え、7回までの6者連続の凡退とし、連日のホールドで勝利に導いた。


松井佑介: 高校3年次の夏の決勝戦では、先発投手として辻内崇伸、平田良介、中田翔擁する大阪桐蔭に敗れ甲子園出場はならなかった。


西口直人: 「第2回プロ野球最強将棋王決定戦」に初出場ながら1回戦で山川穂高、準決勝で安田尚憲に勝利し決勝まで勝ち進んだものの、前年のプロ野球最強将棋王決定戦で優勝し「球王」の称号を保持している平田良介に破れ準優勝。


遠藤一星: 2020年は6月24日の対横浜DeNAベイスターズ戦で低迷していた平田良介に代わり2番右翼でスタメン出場するなど、65試合に出場したが、打撃成績は打率.219、本塁打0本、4打点と前年を下回った。


遠藤一星: 恥ずかしがり屋だが、チームでは平田良介や亀澤恭平とともに、ベンチの盛り上げ役としても貢献している。


鶴直人: 近畿大学附属高校に進学後は、大阪桐蔭高校の辻内崇伸・平田良介、履正社高校の岡田貴弘らと共に「浪速の四天王」と呼ばれた、3年夏の大阪大会では肘を故障して満足に投げられず五回戦でPL学園高校に敗退。


菅野智之: 令和初の試合となった5月1日の対中日戦(東京ドーム)では1回表に渡辺勝から見逃し三振を奪い、令和初奪三振を記録すると、7回表に平田良介から空振り三振を奪い、自身プロ通算1000奪三振を記録。


平田良介の情報まとめ

もしもしロボ

平田 良介(ひらた りょうすけ)さんの誕生日は1988年3月23日です。大阪出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、人物などについてまとめました。引退、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。平田良介の現在の年齢は36歳のようです。

平田良介のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

平田 良介(ひらた りょうすけ、1988年3月23日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。ワンエイトプロモーション所属。

小学1年から「関目ジュニアスター」で野球を始め、中学時代はボーイズリーグの「大阪北」および「大阪都島」に所属。萬谷康平とは家が道を挟んで2軒隣という幼なじみであり、小学1年から中学1年まで同じ少年野球チームに所属していた。

大阪桐蔭高校では1年夏から6番でレギュラー、秋から4番を任された。高校時代は辻内崇伸と同期で、辻内の話では、平田の名前はすでに大阪一円で知れ渡っており肉体的にも入学時で完成していたため1年生で唯一入学直後から上級生に交じっての練習参加を許されたという。なお、平田3年時の1年生に中田翔と岡田雅利がいた。高校通算70本塁打を記録。

2年時には第76回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦の二松学舎大付戦で本塁打を打ち、また3年時に出場した第87回全国高等学校野球選手権大会の準々決勝・東北戦では、PL学園・清原和博以来の1試合3本塁打を記録した。その後、準決勝で田中将大(当時2年生)擁する駒大苫小牧と対戦。しかし先発の田中に4打数無安打に封じ込められ、チームも延長戦の末敗退した。甲子園通算5本塁打は史上4位。

9月にアジアAAA選手権における韓国戦で右肩を亜脱臼したため手術する予定だったが、予想以上に右肩の状態が良化し、手術は受けなかった。

2005年高校生ドラフトで中日ドラゴンズに1巡目指名された。11月12日に契約金1億円、年俸840万円で仮契約を結んだ。背番号は自身の希望で8に決まった。

2006年1月9日に中日ドラゴンズ選手寮に入所。8月26日に初の一軍昇格を果たすと、同日の横浜ベイスターズ戦(ナゴヤドーム)の9回裏に英智の代打として、プロ初出場を果たした。結果は初球を打ち三塁ゴロだった(投手:木塚敦志)。8月29日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)でも5回表に中田賢一の代打として出場したが、空振り三振に倒れた(投手:井川慶)。

2007年は、10月4日の広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)に「7番・中堅手」としてプロ初のスタメン出場し、延長11回裏一死満塁の場面で死球を受けたことでプロ初打点を挙げる。10月6日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、プロ初安打を打つ。翌7日の対横浜戦では3安打を打ち、初の猛打賞を記録。終盤の活躍と堅実な守備が買われ、その年にセンターでスタメン出場することが多かった英智の故障もありクライマックスシリーズにおいては全試合スタメンで起用される。日本シリーズでもホーム試合ではスタメン起用され、第3戦では安打を打ち、第5戦においては北海道日本ハムファイターズの先発投手のダルビッシュ有から犠飛を打ち、この試合唯一の打点を挙げた。なおこの試合に1-0で勝ち、この打点は日本一を決める決勝点となり、球団として前回1954年の日本一の際の井上登と同じく、高卒2年目の野手が日本一を決める決勝点を挙げたことになった。この犠飛はストレートを打ったのだが「スライダーを投げられていたら打てなかった」と後に語っている。日本シリーズでの活躍が認められて12月の球団主催によるハワイへの優勝旅行にも参加する予定だったが出発前日の練習中に足を捻挫し、急遽参加を取りやめた。

2008年の春季キャンプは前述の足の捻挫もあって二軍スタートだったものの、第4クールで一軍に合流。森野将彦が故障で離脱したこともあり、ほとんどのオープン戦にセンターでスタメン出場。森野の代わりとして開幕スタメン入りも確実視されたが、森野が開幕までに回復し、またオープン戦での成績も相まって、開幕一軍入りとはならなかった。5月16日には森野の怪我による離脱で、二軍で83打数15安打、打率.181、2本塁打と、調子が上がらない中、このシーズン初の一軍昇格、その日の対横浜戦で即スタメン起用された。しかし目立った活躍は見られず5月26日に二軍に降格した。6月11日に再昇格。9月7日の横浜戦(ナゴヤドーム)の9回裏一死の場面に代打で登場し、横山道哉から一軍でのプロ初本塁打を打つ。これが同時にサヨナラの殊勲打となった。その後もシーズン終了まで一軍に定着。主に代打で起用された。シーズン終了後の秋季キャンプでは故障離脱してしまい、春季キャンプの二軍スタートが決まる。

2009年は、前述の通り春季キャンプは二軍スタートとなった。一軍に合流することなくキャンプは終了し教育リーグに向かうことになったが、3月17日の阪神との練習試合で一軍に合流。プロ4年目にして初の開幕一軍入りを果たす。藤井淳志、小池正晃、新人の野本圭と外野のポジションを争うことになると思われたが、シーズンが始まると代打でも結果が残せず、4月15日に二軍に降格した。その後8月に一度登録されるが、勝負所での併殺打や三振を繰り返し、9月に再び抹消された。最終的には前年の59試合出場を下回る42試合に留まるが、打率.271・2本塁打・9打点を記録した。

2010年は、新人の大島洋平や2年目の野本などとの競争に勝てず大半を二軍で過ごし、日本シリーズでも活躍できずに終わった。オフに背番号8を大島が付けることになったため、西川明の退団で空き番号になっていた40に変更。

2011年は開幕こそ二軍も5月5日に一軍昇格。5月18日の千葉ロッテマリーンズ戦では同点本塁打、5月22日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では自身初の4安打を記録。6月4日の対埼玉西武ライオンズ戦では9回裏の同点打に加え、延長11回裏に野上亮磨から2008年以来、自身2本目となるサヨナラ本塁打を打った。さらに、その翌6月5日の対ロッテ戦では、9回裏に薮田安彦から2日連続のサヨナラ本塁打を打った。個人の2試合連続サヨナラ本塁打は2002年松井稼頭央(西武)以来8人目。セ・リーグでは1988年のダグ・デシンセイ(ヤクルト)以来23年ぶり。中日では初の出来事である。また前述の活躍もあり6月の月間MVPを初受賞。チームの野手としても2009年6月の和田一浩以来2年ぶりの受賞となった。リーグ優勝が決定した翌日に行われた10月19日の対ヤクルト戦ではプロ入り後初めて4番打者を務めた。中盤以降は調子を落とし1か月以上本塁打が出ない時期などありスタメンを外れる試合も増えたが、最終的には113試合に出場し、打率.255、11本塁打、38打点の成績を残す。守備でもリーグ3位の8補殺を記録するなど、チームのリーグ連覇に貢献した。

2012年は初の開幕スタメンに名を連ね3月30日の開幕戦ではチーム第1号の本塁打を記録。主に7番を打っていたがその後、森野将彦の故障により3番を打つこともあった。しかし5月にぎっくり腰を患い二軍落ちを経験した。最終的には本塁打は前年と同じく11本だったが、安定感を欠き打率.216と低迷し、出場試合数も前年より減った。オフに年俸2900万円(100万円減)で翌年の契約を結んだ。

2013年は開幕一軍を勝ち取ったものの松井佑介にスタメンを奪われると、33打席で1本もヒットを打てずに登録抹消された。5月10日に昇格を果たしても暫くは結果が出ていなかったが、6月23日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では2回に先制のソロ本塁打(シーズン初本塁打)、7回にはダメ押しとなる3点本塁打を打ち、チーム3年ぶりとなる1試合4本塁打のうちの2本を打って勝利に貢献した。その後は右翼レギュラーに定着し最終的に規定打席には及ばなかったがこれまででいずれも自己最高の打率.289、15本塁打、55打点を記録した。オフの11月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。また背番号の変更が発表され、井端弘和の退団により空き番となった6を付けることになった。

2014年にはオープン戦から4番・右翼手で固定されてシーズンを迎える。序盤は好調を維持していたものの長くは続かず、交流戦から6番に下がる。6月27日の対阪神戦(阪神甲子園球場)で邪飛を追った際に左足首を捻挫し、約1か月間戦列を離れたものの、プロ9年目にして初めて規定打席に到達した。

2015年7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表された。オフの10月9日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたことが発表された。11月26日、球団納会で谷繁元信監督より翌年の主将に任命された。中日ドラゴンズでは1994年の仁村徹以来のキャプテン就任となる。この年、自身初のベストナインに選ばれた。

2016年開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された。6月18日の日本ハム戦(ナゴヤドーム)で10号本塁打を打ち、6年連続2桁本塁打を記録。9月14日に右肩痛で一軍登録を抹消された。シーズン途中にFA権を取得したが、11月5日にFA権を行使せず残留を表明した。

2017年、1月24日に2017 ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に招集されたことが発表され、大会では2試合に出場した。レギュラーシーズンでは右膝の故障に悩み、66試合の出場に留まった。

2018年は序盤こそ不調だったものの5月に月間打率.431を記録すると、その後も一時は打率トップに立つなど安定して好調を維持。同僚のダヤン・ビシエドらと首位打者争いを演じた。その打率の高さを買われて1番で出場することも多く、1番右翼として出場した8月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦では第1打席に先頭打者本塁打を放つと、その後の打席でも二塁打2本、三塁打、単打を記録し、史上68人目のサイクル安打を達成した。最終的には自己最高の打率.329を記録し、また自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。

2019年も序盤からほぼ1番で起用された。しかし5月17日に左足の違和感で途中交代し、その後、検査で左下腿の肉離れと診断された。7月20日対DeNA戦(横浜スタジアム)の4回表に石田健大から本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を記録した。しかし8月14日の対阪神戦で右手首に死球を受け途中交代した。その後も一軍に帯同したが、治療に専念するために8月21日に一軍登録を抹消された。9月10日に一軍復帰し、残りのシーズンを一軍で過ごしたが、最終的には95試合の出場に終わった。

2020年は開幕一軍スタートとなったが、6月24日に18打数1安打と不振でスタメンを外れた。その後も打率.164と不振が続いたほか、右肘痛を発症したこともあり7月20日に一軍登録を抹消された。その後8月23日に再び一軍登録されると、同日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で追加点となる2点適時二塁打を打った。9月9日の巨人戦(ナゴヤドーム)で通算1000安打を達成。9月21日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では1年ぶりとなる1試合4安打を記録したが、9月26日、下肢のコンディション不良で一軍登録を抹消。10月29日に再び一軍登録されたが、この年は2度の登録抹消もあり、55試合出場でシーズンを終えた。

2021年は開幕一軍入りしたが、21試合で打率.155、0本塁打、4打点と打撃不振により、4月28日に登録抹消された。以降は二軍で調整していたが、7月4日に体調を崩し喘息、「異型狭心症」と診断された。そのため一軍定着後最少の21試合出場に留まった。5年契約の5年目が終了し、1億5000万円減となる推定年俸3000万円で契約を更改した。

2022年も開幕一軍を迎え、代打や代走での起用が続くが、5月10日に新型コロナウィルスの陽性判定を受け登録抹消となった。7月12日に一軍に復帰すると、7月16日の阪神戦(阪神甲子園球場)で2年ぶりに本塁打を打った。その後9月19日に再び登録抹消されたが、シーズン終盤には翌年の戦力構想外となっていることが明らかになった。10月4日に戦力外通告を受け、NPBでの現役続行を希望し、独立リーグや社会人野球からのオファーはあったものの、NPB球団からオファーはなく、12月28日に現役引退を発表した。

中日退団後の翌2023年1月29日にYouTubeチャンネル「エースファクトリーエンタメチャンネル」に出演し、複数の独立リーグ球団や社会人野球からオファーがあったが、大阪を拠点に活動するエースファクトリーベースボールクラブに入団し、軟式野球に転向することを表明。なお、同チームの入団に当たっては平田の幼馴染の萬谷からの誘いによるものであることが明かされ、共にプレーを続ける。同年2月3日に学生野球資格を回復した事が公表された。その傍らTBSチャンネルの野球解説者としても並行して活動する。

選手としての特徴

高校通算70本塁打。勝負強さを感じる打撃でレギュラーを掴めたといわれる実力者。50メートル5秒7の俊足と遠投110メートルの強肩を併せ持つ。2011年の春季キャンプには当時監督の落合博満と打撃コーチの石嶺和彦の指導により打法を改造している。目深にヘルメットを被るのもトレードマークである。2011年以降はオレンジ色のバットを使用している。

落合からはドラフト時に「この年のドラフトで俺が認めたのは平田だけ。そういう選手がいない年だってある。あれだけ振れる選手はそうはいない。鍛えれば俺以上の打者になる」と高く評価され、守備についても「ドラゴンズの外野守備でいちばんうまい」と賛辞を送られている。

人物

大の漫画好きで、少年漫画だけでなく少女漫画も読む。大阪市の実家には約900冊のコレクションがあるほど。その中から『ドカベン』『涼風』をはじめ、手放せない愛読書を約200冊厳選して寮に持参した。

またかなりのゲーマーでもあり、特に『みんなのGOLF』『ウイニングイレブン』『実況パワフルプロ野球』シリーズはかなりやりこんでいる。『ウイニングイレブン』ではネット対戦で全国151位、『実況パワフルプロ野球』では同じく30位台まで上昇したことがあるという(いずれも本人の自己申告による)。『ウイニングイレブン』では「弱いチームで勝つ方がポイントがたまりやすい」という理由から主にFCコペンハーゲンでプレイしており、フォーメーションは守備重視の「6-3-1」をよく使う。

1歳年上の夫人がいる。経緯は2007年秋ごろから接する機会があり、そこから3年間の交際を経て2010年5月に婚姻届を提出した。同年12月には長男が誕生している。2013年には長女が誕生した。その夫人の影響でももいろクローバーZのファンになり、2013年からは打席時の登場曲に使用している。

大阪ドームが自宅から近かったこともあり、子どもの頃は近鉄バファローズのファンであった。当時好きだった選手として中村紀洋の名前を挙げており、中村の中日在籍時には、ファン目線で「ノリ」と呼びそうになったと語っている。

2009年の自主トレで、同じ大阪桐蔭高校出身の千葉ロッテマリーンズ(当時)の西岡剛、北海道日本ハムファイターズの中田翔とトリオ「好奇心」結成。自主トレの数日前に西岡がクイズ!ヘキサゴンIIで「おバカキャラ」と位置づけされたのを踏まえて、「西岡さんはおバカキャラというか天然なんで…。羞恥心じゃなく好奇心でいきますよ」ここから好奇心が結成した(ちなみに3人の共通点はいずれも高校時代4番を担い、高卒でプロに入り、さらにドラフト1位指名で入団している)。

ヒーローインタビューで度々名言を残している。2011年の2戦連続サヨナラ本塁打の時には、6月4日は「明日はデーゲームですので、お酒は控えるようにして下さい」と、5日は「明日はナイターです。お酒をたんまり飲める、時間があります。しっかり飲んで、明日の6時プレイボールまでにお酒を抜いて応援して下さい」と、2日連続で「酒ネタ」を披露した。この「酒ネタ」は、その後のヒーローインタビューで、中日の他の選手(佐伯貴弘、小田幸平、小池正晃)にも使われた。

2014年からは上述の通り、落合が現役時代に付けていた背番号6を付けることになったが、会見ではそのことに触れられると「知らなかった」と発言。その上で「好きな番号だったので選んだ。自分なりの6番にしたい」と抱負を語った。また東海ラジオのスポーツ番組出演時には当時GMの落合とのやり取りについても明かし、当初は背番号9を提示されるも前年まで同じ外野手の野本圭が背負っていたことを理由に固辞したと語った。次いで希望の番号を問われて6と答え、落合から「誰が着けてたか知ってるか?」と質問されたと語っている。

2015年からは、この年に加入した亀澤恭平や遠藤一星とともに、ムードメーカーとしてチームを盛り上げている。元々は平田が「ファンの方に喜んでもらえるように」と亀澤に呼びかけ、得点が入った際に中継カメラに向かってパフォーマンスを披露するようになり、後に遠藤も加わるようになった。

2015年8月1日の巨人戦にて、東京ドーム左翼席上にあるキリンビール「一番搾り」看板に直撃する特大本塁打を打ち、キリンビールマーケティング株式会社より賞金100万円と「キリン一番搾り」1年分を贈呈された。

2018年オフ、新車では車両価格だけで3970万円すると言われる「ロールスロイス・ゴースト・ブラックバッジ」を新古で購入。本人によると、子供の頃に新庄剛志のフェラーリを見たことがきっかけで「プロ野球選手になったら絶対高級車に乗ったると思ったんです」とのこと。テレビ番組では5000万円とも報道され、大きな話題となった。プロ野球選手を引退後、2023年5月28日にTBSで放送された『THEプラチナリスト~スターが生まれた伝説の名簿~』で「見栄を張る必要がない」という理由でロールスロイスを売却したことを公表している。

2020年12月20日にニコニコ生放送で放送された企画「プロ野球×将棋特番」に出演。プロ野球界の将棋好き4選手(丸佳浩・安田尚憲・齋藤友貴哉)で争ったプロ野球最強将棋王決定戦で優勝し、「球王」の称号を与えられた。

2021年12月12日にニコニコ生放送で放送された「プロ野球×将棋特番2021」に出演。前回大会の実績と将棋文化普及の功績により渡辺明名人から日本将棋連盟の初段免状が授与された。前年より参加人数の増えた「第2回プロ野球最強将棋王決定戦」でも決勝まで勝ち進み、楽天・西口直人との対局を勝利して連覇を達成。「球王」の称号を防衛した。

2024/06/14 18:04更新

hirata ryousuke


平田良介と同じ誕生日3月23日生まれ、同じ大阪出身の人

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古舘 寛治(ふるたち かんじ、1968年〈昭和43年〉3月23日 - )は、日本の俳優。主な出演作に、テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』『コタキ兄弟と四苦八苦』や映画『淵に立つ』『宮本から君へ』 …

小島 智子(こじま ともこ)
1978年3月23日生まれの有名人 大阪出身

小島 智子(こじま ともこ、1978年3月23日 )は、大阪府出身のチアリーダー。身長:163cm、血液型:B型。帝塚山学院中学校・高等学校、立命館大学経済学部卒業。 元NFLのチアリーダーで日本人…

吉田 輝雄(よしだ てるお)
1936年3月23日生まれの有名人 大阪出身

吉田 輝雄(よしだ てるお、1936年3月23日 - )は、大阪府高槻市出身の俳優、歌手。 高槻市立第一中学校時代は野球部に属していた。北陽高等学校、立命館大学経済学部卒業後、1958年湯浅電池に…

山田 弘喜(やまだ ひろき)
1989年3月23日生まれの有名人 大阪出身

山田 弘喜(やまだ ひろき、1989年3月23日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校4年生の時、少年野球チームジュニアコンドルズで外野手として野球を始める。 …


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平田良介と近い名前の人

平田 梨奈(ひらた りな)
【AKB48】
1998年7月16日生まれの有名人 福岡出身

平田 梨奈(ひらた りな、1998年〈平成10年〉7月16日 - )は、日本のタレント、グラビアアイドル、女優である。女性アイドルグループ・AKB48の元メンバー。ダンドル所属。愛称は、ひらりー。 …

平田 璃香子(ひらた りかこ)
1989年8月7日生まれの有名人 愛知出身

璃香子(りかこ、1989年〈平成元年〉8月7日 - )は、日本のタレント、ヨーガインストラクター。Mousa所属。愛知県出身(新潟県長岡市生まれ)。本名および旧芸名は平田 璃香子(ひらた りかこ)。女…

平田 裕香(ひらた ゆか)
1983年9月15日生まれの有名人 北海道出身

平田 裕香(ひらた ゆか、1983年9月15日 - )は、日本の女優、タレント、声優、グラビアアイドルである。 北海道夕張郡栗山町出身、過去の所属はオフィスニグンニイバ。アクロス エンタテインメント…

平田 実音(ひらた みお)
1983年6月1日生まれの有名人 東京出身

平田 実音(ひらた みお、1983年〈昭和58年〉6月1日 - 2016年〈平成28年〉8月5日)は、日本の元タレント、元女優。『ひとりでできるもん!』の初代舞ちゃんとして知られる。 東京都港区出身…

平田 香織(ひらた かおり)
1985年9月13日生まれの有名人 愛知出身

平田 香織(ひらた かおり、1985年9月13日 - )は、日本のファッションモデル、歌手。血液型B型。愛知県津島市出身。 2005年より雑誌『東海スパイガール』の専属モデルを務めるなど、主に愛知…

平田 弥里(ひらた みさと)
1979年2月27日生まれの有名人 群馬出身

平田 弥里(ひらた みさと、1979年2月27日 - )は、日本の女優、タレント、グラビアアイドルである。群馬県太田市出身。アフロディーテ所属。日本女子大学文学部卒業。 2000年にデビュー。その…

平田 和歌子(ひらた わかこ)
1980年5月25日生まれの有名人 福岡出身

平田 和歌子(ひらた わかこ、1980年5月25日 - )は、日本の女優、モデル、タレント。 福岡県出身。東京で蒼 和歌子(あおい わかこ)の名で活動した後、活動拠点を福岡へ移す。その際に芸名も本名…

平田 みやび(ひらた みやび)
1999年3月9日生まれの有名人 広島出身

平田 みやび(ひらた みやび、1999年(平成11年)3月9日 - )は、日本の女優、声優、ファッションモデルである。広島県広島市出身。身長165cm。血液型はB型。愛称は、みちゃびよ。 2016…

平田 敦子(ひらた あつこ)
1963年7月2日生まれの有名人 東京出身

平田 敦子(ひらた あつこ、1963年7月2日 - )は、東京都出身の女優。吉本興業所属。 趣味はパソコンいじり、片思い。特技は割り勘、もんじゃ作り。 1992年に小松和重が座長の劇団「サモ・ア…

平田 志穂子(ひらた しほこ)
6月18日生まれの有名人 神奈川出身

平田 志穂子(ひらた しほこ、6月18日 -)は、日本の女性シンガーソングライター。所属事務所はMIT Artists。神奈川県出身、血液型B型。 6歳から17歳までクラシックピアノに親しみ、16…

平田 真菜(ひらた まな)
4月19日生まれの有名人 東京出身

平田 真菜(ひらた まな、1985年4月19日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。ぷろだくしょんバオバブ所属。 小学校低学年生の頃は教師に「声が小さい」と注意されるような女子だったという。小学…

平田 宏美(ひらた ひろみ)
1978年2月19日生まれの有名人 広島出身

平田 宏美(ひらた ひろみ、1978年2月19日 - )は、日本の女性声優。アイムエンタープライズ所属。広島県出身。 中学生の頃、テレビで映画『ベルリン・天使の詩』を観て、感動してティッシュ一箱分…

平田 絵里子(ひらた えりこ)
1977年12月3日生まれの有名人 東京出身

平田 絵里子(ひらた えりこ、1977年12月3日 - )は、日本の声優、舞台女優。東京都出身。アクセント所属。 中学時代の頃から声優になろうと放送部に所属し、高校時代は放送部がなく演劇部に所属し…

平田 康之(ひらた やすゆき)
1958年1月4日生まれの有名人 東京出身

平田 康之(ひらた やすゆき、1958年1月4日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。身長180cm。体重75kg。血液型はO型。ジョイントオフィス所属。 舞台芸術学院、日本大学芸術学部映画学…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「平田良介」を素材として二次利用しています。

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