新崎人生の情報(しんざきじんせい) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
新崎 人生さんについて調べます
■名前・氏名 |
新崎人生と関係のある人
ミスター珍: 五所川原吾作との対戦では、五所川原がアンダーテイカー吾作(ジ・アンダーテイカーのパロディ)に、珍が珍崎人生(新崎人生のパロディ)にそれぞれなりきってのパロディ対決が話題を集め、ミスター珍の全盛期を知らない若い世代のファンも喜ばせていたが、病状が悪化し、1995年6月26日に慢性腎不全により死去。 高橋ヒロム: 越中詩郎、AKIRAとタッグを組み、藤波辰爾&船木誠勝&新崎人生と6人タッグマッチで激突した。 二階堂綾乃: 初めて見た試合もグレート・ムタvs新崎人生戦。 ウルティモ・ドラゴン: 2003年5月に闘龍門にてCIMAとの師弟対決を終えると、6月24日、WWE正式デビュー、2004年にはレッスルマニア20に出場、その後4月13日にWWEを退団し、7月以降は、みちのくプロレスに参戦、18日、新崎人生をパートナーに初代東北タッグ王者となる。 三中元克: 翌日の2月28日、相方の臼杵と共に、新崎人生からの依頼でみちのくプロレスでのイベントのMCを務めることになり、これがプロの芸人としての初仕事となった。 ザ・グレート・サスケ: 新崎人生と組み、拳王とフジタ“Jr”ハヤト組と戦った。 三中元克: 2014年10月、めちゃイケの新たな企画として、新崎人生率いるみちのくプロレスでプロレスラーを目指すことになり、「テスト生」という形で合宿所に入寮。 アントニオ小猪木: 他のリングでは武藤敬司、ビッグバン・ベイダー、ザ・グレート・サスケ、新崎人生、辻結花らとも対戦している。 ザ・グレート・サスケ: 4月29日、東京・大田区体育館にてこの大会で『"真"八十八番札所』として新崎人生と対戦。 スコット=ビガロー: 決勝で阿修羅・原、新崎人生、ジョン・テンタ組を破り優勝を果たした。 スペル・デルフィン: 4月16日松下IMPホールでは、新崎人生と初のシングルマッチを行い勝利。 湯浅和也: 1999年9月11日、みちのくプロレス大迫カントリープラザ大会で湯浅和也として対新崎人生戦でデビュー。 小橋健太: マウナケア・モスマンと組んでハヤブサ、新崎人生組に勝利。 杉卓也: 後に新崎人生から元服祝いとしてTAKAみちのくが持つ東北ジュニアヘビー級王座への挑戦権を獲得したが敗れる。 丸藤正道: 2019年2月19日、新崎人生とのタッグで『ジャイアント馬場没後20年追善興行』第6試合に出場。 石野結: 12月20日Zepp Sendai大会、試合後、新崎人生社長から、リングネーム公募をアナウンス。 ウルティモ・ドラゴン: 初代、第18代東北タッグ王座(パートナーは新崎人生→気仙・沼ジローラモ) ザ・グレート・サスケ: 新崎人生に社長を譲り、自身は会長職となる。 ザ・グレート・サスケ: なおこの試合で敗れたサスケを介抱したのは当時リング上で敵対関係にあった新崎人生であった(この2,3ヶ月前から人生は後の海援隊メンバーに絶縁宣言されたサスケに駆け寄る、サスケの試合を会場後方から観戦するなど伏線的な行動は見せていた)。 ドラゴン・キッド: しかし、プロレスラーになる夢を捨てきれず、遠縁の新崎人生の紹介でウルティモ・ドラゴンが設立した闘龍門の1期生としてメキシコへ渡り、ウルティモから後継者に指名されてマスクを授かった。 ブル中野: 後に新崎人生(白使)や佐藤昭雄(Shinja)がWWFに加わると、新崎らと行動を共にしていた。 スペル・デルフィン: 2003年、サスケが議員になったことにより、みちのくプロレス社長となった新崎人生のブッキングによって、みちのく10周年記念大会にてサスケvsデルフィン戦が実現し、デルフィンが勝利する。 宇梶剛士: プロレスラー新崎人生はリングネームを相談したところ、宇梶の一言『人生はどうだ』で決まった。 ザ・グレート・サスケ: サスケは離脱以降デルフィンのことを「絶対に許さない」と公言しており、当初この対戦カードにも強い難色を示していたが大会直前の仙台大会で新崎人生社長とファンの説得を受け、受託した。 谷津嘉章: その後はSPWF道場生だった超人勇者Gヴァリオンとシングルマッチや、ヒロ斎藤と組み、新崎人生&新井健一郎組とのタッグマッチなどを行った。 |
新崎人生の情報まとめ
新崎 人生(しんざき じんせい)さんの誕生日は1966年12月2日です。徳島出身の格闘家
プロレスのようです。
得意技、タイトル歴などについてまとめました。卒業、引退、現在に関する情報もありますね。新崎人生の現在の年齢は57歳のようです。
新崎人生のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)新崎 人生(しんざき じんせい、1966年12月2日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:新崎 健介(しんざき けんすけ)。徳島県徳島市出身。血液型A型。 四国八十八箇所の巡礼者をギミックとしたキャラクターで活躍し、アメリカ合衆国のメジャー団体WWFでも、白使(Hakushi)のリングネームで実績を残した。 小中学校時代には新田広一郎と一緒のチームでサッカーをしており、中学生の時にはゴールキーパーとして四国選抜にも選ばれた。徳島県立徳島東工業高等学校(現:徳島県立徳島科学技術高等学校)では柔道部に入部したつもりが、アマレス出身の顧問が赴任してきたため、柔道部はレスリング部に変更され、そのまま在籍(後輩にアレクサンダー大塚がいる)。持ち前の身体能力が生かされアマレスを始めたその年でインターハイにまで進出した。 スポーツ特待生として大学から声がかかっていたが、俳優を志していたため卒業後は上京し、JAC(ジャパンアクションクラブ)に在籍の後、菅原文太(後に新崎の後援会長となる)の付き人などを務めていた。バイト先で同い年であった大塚武生(後のテリー・ボーイ)に誘われる形でプロレス観戦をするようになる。会場で体格が良いからと見込まれスカウトされる際に「芸の肥やし」になると思い大塚と練習に参加、今後のことを考え覆面レスラーを志願し、「モンゴリアン勇牙」として1992年11月19日デビュー(vs獅龍&テリー・ボーイ組。パートナーはバッファロー張飛=引退)。 自身は数試合で辞めるつもりであったが、菅原の付き人と平行して、ユニバーサル・プロレスリングに入門。ユニバーサルの大半の所属選手がみちのくプロレスに移るとそれに追随し、1993年6月11日、青森・三戸町民体育館での獅龍戦で、四国遍路者のギミックを施したキャラクターレスラー「新崎人生」としての再デビューを果たした。本格的にプロレスラー転向の伴い菅原の付き人を辞め、素顔でやることに対し兄貴分である宇梶剛士にリングネームを相談したところ(本名の健介では佐々木健介と紛らわしいため)宇梶は第一声で『人生はどうだ?』の言葉から現在のリングネームとなった。 デビュー当初はヒールであり、悪役マネージャーのミスター・トヨタを帯同し、トヨタが対戦相手を罵倒するも本人は試合前・試合後を通じ一言も発しないというスタイルを貫いた。 試合ごとに「○○番札所(大会の開催地)巡礼」と称し、「八十八番札所」にあたるデビュー88試合でザ・グレート・サスケを倒すことが「満願成就」としていた。 デビュー当初から短時間で若手選手を圧倒する試合を続け、「八十七番札所」に当たる能代大会でサスケと初対戦するが両者KO、決着戦となる1994年4月29日の対ザ・グレート・サスケ戦(大田区体育館)では、「念仏ケブラーダ」(後述)を初公開し、当時の団体エースであるサスケからデビュー1年足らずで勝利を収めた。 これを機に一躍トップレスラーの仲間入りを果たす。 サスケ戦直後の1994年5月、アメリカのWWFの日本興行シリーズ『WWFマニア・ツアー』に参戦。全身に写経を施した耳なし芳一スタイルで出場し、観客の度肝を抜いた。その個性的なキャラクターをWWF幹部のブラックジャック・ランザに高く評価され、すぐにWWFと契約を結ぶ。地元・徳島でWWF巡礼壮行試合を終えた後(1994年12月17日、徳島市立体育館)、それまでまったく喋ったことのなかった新崎がマイクを持ち、「心はみちのくにあり」という言葉を残した。 1995年1月、白使(Hakushi)のリングネームで怪奇派のヒールとしてWWFに登場。1-2-3キッドとの連戦に勝利し、1月9日には当時21歳のマット・ハーディーを下して『マンデー・ナイト・ロウ』のデビュー戦を飾っている。以降、信者(Shinja)こと佐藤昭雄をマネージャーに迎え、ジェリー・ローラーと共闘してブレット・ハートと抗争するなど活躍、3月14日に開催されたPPV『イン・ユア・ハウス』の第1回大会ではブレットとのシングルマッチが組まれた。同年下期からはベビーフェイスに転向し、ミッドカード戦線で活動。ユダヤ系アメリカ人のバリー・ホロウィッツ(英語版)をパートナーに、サニー率いるスキップ&ジップのザ・ボディードナーズなどと抗争した。 1996年2月20日のTVテーピングでは、当時ゴールダストが保持していたインターコンチネンタル王座にも挑戦している。4月に一時帰国し、アメリカンドリームマッチとして東京ドームでグレート・ムタと対戦したが、白使は大流血に追い込まれ、防戦一方のまま敗戦。試合後のインタビューで「まだ修行が足りませんでした。もう一度新たに巡礼の旅を続けていきたいと思います」と話し、WWFとの契約解除を明言した。 みちのくプロレスに出戻った後はメインをサスケたちの正規軍、デルフィン軍団、海援隊☆DXに譲り、時折ビッグマッチなどで絡む以外は通常の大会ではセミファイナル以下の試合でシングルマッチを続けた。 大仁田厚引退以降の新生FMWには継続参戦し、ハヤブサとのタッグではチームノーリスペクトのミスター雁之助&金村ゆきひろ組と、シングルでは雁之助との長期間にわたる抗争を続けた。 1997年7月17日、突如、全日本プロレスの試合会場(愛媛県西条市の西条市総合体育館)に現れ、ジャイアント馬場の前で合掌して参戦志願。それが認められ、同年7月25日のサマー・アクション・シリーズ最終、日本武道館大会に参戦。ジョニー・スミスと組んでの秋山準&馳浩戦で好ファイトを展開し、以降継続参戦していた。同年9月6日には、ハヤブサとのコンビで、タッグマッチではあるが小橋健太と対戦。ハヤブサ同様に、人生も小橋とは初対決であった。同年暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦では、ハヤブサと組んで出場。戦績は2勝7敗と振るわなかったものの、多くの好勝負を展開。中でも三沢光晴&秋山準組との試合では、あわや大金星と思わせた。 1998年5月1日の東京ドーム大会では、得意技であり代表的なパフォーマンス「拝み渡り」をジャイアント馬場相手に敢行した。その後の継続参戦中には、馬場や三沢、小橋らとタッグを結成したこともあった。小橋が初めてバーニングハンマーを三沢相手に繰り出した試合で、小橋のタッグパートナーを務めたのは新崎であった。10月11日の愛知県体育館大会に於いて、三沢との初のシングル対戦。翌1999年には、他団体所属選手でありながら、第19回チャンピオン・カーニバルにフル参戦を果たした。その中で、小橋や秋山、田上明、更にはスタン・ハンセン、ベイダーやゲーリー・オブライト、ジョニー・エース等といった全日本参戦主要外国人選手とも、シングルで対戦を果たし、大森隆男から勝利を上げている。この全日本プロレス継続参戦を経て、三沢や小橋、川田利明らとの親交が芽生え、これは三沢がプロレスリング・ノア旗揚げ後も継続した。2009年に三沢は他界したが、密葬には他団体所属ながらハヤブサとともに参列した。 2000年6月、全日本プロレスが分裂騒動に見舞われると選手の大量離脱によって人員が手薄になった7月シリーズに緊急参加し、7月23日の日本武道館大会ではセミファイナルでスティーブ・ウィリアムスと戦った。 2001年2月18日には白覆面の姿で新日本プロレスの武藤敬司対村上一成戦の最中に登場。武藤が勝利した後リングインし、武藤やセコンドの太陽ケアと握手した後マスクを取り正体を明かし、以降BATTの一員として武藤らと共闘していった。また、武藤扮する黒使無双とは白使としてタッグを組み、拝み渡りを同時に披露するなどのパフォーマンスを見せた。 2003年6月、みちのくプロレス社長で創設者のザ・グレート・サスケの後を引き継ぎ、社長に就任(サスケは代表権のない取締役会長に就任)。このときみちプロは人気選手の離脱による観客減少に苦しんでいたが、フリー選手中心の試合編成を見直し、サスケ、人生などのみちプロ所属選手に遮那王やロス・サルセロス・ハポネセスなどの闘龍門X出身の若手を加えた若返り策を採用。 2006年からは、みちのくプロレス女子プロレス部であるセンダイガールズプロレスリングを旗揚げ。 2009年8月31日、株式会社みちのくプロレスの代表取締役社長にサスケが復帰することとなり、新崎はコミッショナーに就任。センダイガールズ代表職、みちのくエンタテイメント社長職(センダイガールズ運営)は変わらず。新事業開拓にも注力している。 2010年3月9日、仙台市泉区にて、自身のプロデュースによる徳島ラーメン専門店「徳島ラーメン人生」を開店。さらには国分町に肉汁うどんとカレーうどんの店「まるじん」を、多賀城市には肉汁つけうどんの店「人生」もオープンさせた。 2011年7月、センダイガールズ代表職を退任(後任は選手代表の里村明衣子)。試合会場にはよく登場する。 2013年3月3日、故郷徳島でデビュー20周年記念大会を開催。6月30日、第二の故郷仙台でデビュー20周年記念大会を行った。 2015年、センダイガールズのタイトル創設に合わせてコミッショナー就任。 2019年2月19日、『ジャイアント馬場没後20年追善興行』第6試合に出場。 得意技自身のキャラクターを活かした独創的なオリジナル技を数多く考案して既存の技もネーミングを含めた新崎なりのアレンジを加えているものが多い。ヘビー級選手ながら、その身体能力で華麗な飛び技もこなすテクニックを併せ持つ。また、受け身の巧さも非常に評価が高い。 フィニッシュ・ホールド飛び技打撃技合体技タイトル歴初代、第3代、第5代、第20代、第30代東北タッグ王座(w / ウルティモ・ドラゴン→GAINA×2→気仙沼二郎→ザ・グレート・サスケ) みちのくふたり旅優勝(w / スペル・デルフィン) みちのくトリオリーグ戦優勝(w / ザ・グレート・サスケ、気仙沼二郎) 第65代アジアタッグ王座(w / ハヤブサ) 新人賞(1993年) 2024/06/09 08:30更新
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shinzaki jinsei
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