東久世通禧の情報(ひがしくぜみちとみ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
東久世 通禧さんについて調べます
■名前・氏名 |
東久世通禧と関係のある人
木村俊夫: 東久世通禧 岩倉具視: 東久世通禧の回顧録によると岩倉が和宮下向の支度を万事手配したという。 黒田清隆: 帰国後、10月15日に開拓長官東久世通禧が辞任した後は、次官のまま開拓使の頂点に立った。 三田松五郎: 勝海舟(1974年) - 東久世通禧 影丸茂樹: 大河ドラマ/龍馬伝(2010年) - 東久世通禧 役 三条実美: 実美は岩倉がかつての「大姦物」であると難色を示したが、岩倉の縁戚である東久世通禧の説得で提携を受け入れることとなった。 明治天皇: 2月18日には天皇は木戸孝允、宮内卿徳大寺実則、侍従長東久世通禧らを伴って京都嵐山の天竜寺村の漢詩人山中献の山荘対嵐山坊を訪問し、午後には大堰川で鯉の捕魚を天覧。 ハリー=パークス: 兵庫に派遣されてきた新政府使節・東久世通禧と会談、新政府の開国和親・条約遵守の方針を確認し、神戸事件についてもほぼ解決に至った。 伊藤博文: 慶応4年(明治元年、1868年)に外国事務総裁東久世通禧に見出され、神戸事件と堺事件の解決に奔走。 アーネスト=サトウ: 直後に岡山藩兵が外交団を銃撃するという神戸事件が勃発したが、解決のため兵庫に派遣されてきた新政府使節・東久世通禧とパークスらとの会談で通訳にあたった。 倉成正: 東久世通禧 明治天皇: 大久保の奏請を認めた天皇は、8月21日午前8時、皇后、宮内卿徳大寺実則、侍従長東久世通禧らを伴って内国勧業博覧会開場式に臨御した。 三条実美: 実美は状況を把握するため関白鷹司邸に向かい、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、澤宣嘉と出会ったが、肝心の鷹司関白は参内したまま戻っていなかった。 |
東久世通禧の情報まとめ
東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ)さんの誕生日は1834年1月1日です。京都出身の政治家のようです。
事件、現在、結婚、離婚、再婚に関する情報もありますね。1912年に亡くなられているようです。
東久世通禧のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ、1834年1月1日 〈天保4年11月22日〉- 1912年〈明治45年〉1月4日)は、日本の江戸時代末期から明治時代にかけての公家、政治家。茶人。 七卿落ちで長州に逃れた尊王攘夷派公卿の1人。王政復古後は外国事務総督を務め、発足したばかりの新政府の外交折衝にあたる。神奈川府知事、開拓長官、侍従長などの要職を歴任し、後に貴族院副議長・枢密院副議長に至った。華族(伯爵)。号は竹亭、古帆軒。 天保4年(1833年)、東久世通徳(みちなる、1816年 - 1835年)の子として京都に生まれる。幼名は保丸。 天保13年(1842年)、東宮統仁親王(後の孝明天皇)付きの御児として召し出され、所謂「御学友」的な存在として位置づけられていた。 幕末の朝廷で少壮の公家として尊王攘夷を唱え活躍した。しかし文久3年(1863年)、八月十八日の政変によって、朝廷の実権が尊皇攘夷派から公武合体派に移ると、長州藩兵に守られ、三条実美・三条西季知・澤宣嘉・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳とともに船で長州へ逃れた。このことを世に「七卿落ち」という。元治元年(1864年)、長州から大宰府に移された。 慶応4年(1868年)、王政復古によって復権を果たす。1月17日に外国事務総督の1人となり明治政府最初の外交問題・神戸事件の対応責任者となり伊藤博文と共に外国と協議。3月19日には横浜裁判所総督となり江戸開市事務総督も兼ねた。鳥羽・伏見の戦いでは外国公使の局外中立布告が4月に至っても解除されず、東久世は13日に、徳川慶喜征討の軍を引き上げる代わりに局外中立の廃止を求めた書簡を各国公使に送っている。通禧の在任した半年の間に神奈川裁判所総督・神奈川府知事と名称が変遷したこの職は現在の神奈川県知事に相当するものである。 明治2年(1869年)8月25日、第2代開拓長官に任命された。前任の鍋島直正が実務にとりかかる前に辞職したため、実質的に開拓使の事業を始動させたのは通禧である。9月21日、開拓使吏員、農工民約200人をともない、イギリスの雇船テールス号で品川を出帆。9月25日に箱館に着任した。なお、同月には王政復古の功績として賞典禄1000石を給されている。翌年、ガルトネル開墾条約事件の和解にこぎつける。 明治4年(1871年)10月15日、侍従長に転じる。この年、岩倉具視を全権とする岩倉使節団に随行し、見聞を広める。 明治15年(1882年)、元老院副議長。華族令施行に伴い、明治17年(1884年)に伯爵に叙されている。東久世家の家格は羽林家であり、本来は子爵相当であったが、明治維新における通禧の功が考慮されて伯爵とされた。叙爵の時点で功績が考慮された公家は、岩倉具視や三条実美など数少ない。 明治21年(1888年)に枢密顧問官、明治23年(1890年)10月24日に貴族院議員・副議長、明治25年(1892年)に枢密院副議長を歴任した。 明治31年(1898年)、松浦詮(心月庵)が在京の華族、知名士等と設立した輪番茶事グループ「和敬会」の会員となる。会員は、青地幾次郎(湛海)・石黒忠悳(况翁)・伊藤雋吉(宗幽)・伊東祐麿(玄遠)・岩見鑑造(葎叟)・岡崎惟素(淵冲)・金澤三右衛門(蒼夫)・戸塚文海(市隠)・東胤城(素雲)・久松勝成(忍叟)・松浦恒(無塵)・三田葆光(櫨園)・三井高弘(松籟)・安田善次郎(松翁)の以上16人(後に益田孝(鈍翁)、高橋義雄(箒庵)が入会)で、世に「十六羅漢」と呼ばれた。 墓所は中目黒の長泉院。 1884年(明治17年)7月7日 - 伯爵 1889年(明治22年)
12月27日 - 勲一等瑞宝章 1889年(明治22年)12月27日 - 勲一等瑞宝章 1898年(明治31年)12月28日 - 旭日大綬章 1906年(明治39年)4月1日 - 旭日桐花大綬章。 東久世家は村上源氏久我家の分家。 『平成新修旧華族家系大成』には5男1女・養子1人を載せる。 妻:貞子(1853年 - 1936年) - 黒川盛貞の長女 養子:通暉(1850年 - ?) - 久我建通の四男、後に離籍 長男:通敏(1869年 - 1944年) - 伯爵。妻の玉子は土方久元の妹。 次男:孝人(1873年 - 1929年) - 分家 三男:秀雄(1878年 - 1951年) - 分家、男爵 長女:三千子(1886年 - 1948年) - 矢吹省三と結婚したが離婚、伊藤某と再婚 四男:正文(1888年 - 1970年) - 竹腰正己の養子 五男:昌枝(1892年 - 1984年) - 分家 はじめ久我家から通暉を養子に迎えるが、明治6年(1873年)に離籍。家督は長男の通敏(みちとし)が継いだ。また、三男の秀雄は明治30年(1897年)に分家した際、父の功績によって男爵に叙せられた。 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。 朝日日本歴史人物事典『東久世通禧』 - コトバンク 世界大百科事典 第2版『東久世通禧』 - コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus『東久世通禧』 - コトバンク 荒井周大編『福岡県碑誌』福岡県碑誌保存會、昭和4年(平尾山荘碑の撰文) 『東久世通禧日記』 高瀬真卿編,東久世通禧[他]『維新前後:竹亭回顧録』博文館、1911年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684。 国立国会図書館憲政資料室には、「東久世通禧関係資料」が寄託されている。 ^ 『平成新修旧華族家系大成』下、384-385頁。 ^ “東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)の解説”. goo人名事典. https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/%E6%9D%B1%E4%B9%85%E4%B8%96%E9%80%9A%E7%A6%A7/ 2020年2月28日閲覧。 ^ 林大樹『天皇近臣と近世の朝廷』(吉川弘文館、2021年) P108-109・136-137. ^ 朝報掲要 1868. ^ 『官報』第2198号、明治23年10月25日。 ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。 ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。 ^ 『官報』第1952号「叙任及辞令」1889年12月28日。 ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部) ^ 『官報』第4651号「叙任及辞令」1899年1月4日。 ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部) ^ 『官報』第7194号「叙任及辞令」1907年6月24日。 ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、386頁。 ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、39頁。 ^ “憲政資料室の所蔵資料 東久世通禧関係文書(寄託)”. 国立国会図書館. 2014年3月21日閲覧。 『朝報掲要』 (全8巻)《橋本博『維新日誌』第1期第1巻 - 第2期第10巻》、静岡郷土研究会、1935年。https://dl.ndl.go.jp/pid/1186686/1/33。 近代日本人の肖像 東久世通禧 - 国立国会図書館
表 話 編 歴 東久世通禧 細川潤次郎 西園寺公望 黒田長成 蜂須賀正韶 近衛文麿 松平頼寿 佐佐木行忠 酒井忠正 徳川宗敬 議院 衆議院 貴族院 参議院 表 話 編 歴 徳大寺実則1871-1877 河瀬真孝1871-1873.9 東久世通禧1871-1877.8 山口正定1878.12-1884.3 米田虎雄1878.12-1884.3 徳大寺実則1884.3-1912.8 桂太郎1912.8-1912.12 鷹司煕通1912.12-1918.5 正親町実正1918.5-1922.3 徳川達孝1922.3-1927.3 珍田捨巳1927.3-1929.1 鈴木貫太郎1929.1-1936.11 百武三郎1936.11-1944.8 藤田尚徳1944.8-1946.5 大金益次郎1946.5-1947.5 大金益次郎1947.5-1948.6 三谷隆信1948.6-1949.5 三谷隆信1949.6-1965.3 稲田周一1965.3-1969.9 入江相政1969.9-1985.9 徳川義寛1985.10-1988.4 山本悟1988.4-1996.12 渡邉允1996.12-2007.6 川島裕2007.6-2015.5 河相周夫2015.5-2019.5 小田野展丈2019.5-2021.4 別所浩郎2021.4- 表 話 編 歴 鍋島直正 東久世通禧 黒田清隆 西郷従道 時任為基 函館県令 調所広丈 札幌県令 湯地定基 根室県令 岩村通俊 永山武四郎 渡辺千秋 北垣国道 原保太郎 安場保和 杉田定一 園田安賢 河島醇 石原健三 山之内一次 中村純九郎 西久保弘道 俵孫一 笠井信一 宮尾舜治 土岐嘉平 中川健蔵 沢田牛麿 池田秀雄 佐上信一 池田清 石黒英彦 半井清 戸塚九一郎 坂千秋 熊谷憲一 持永義夫 留岡幸男 増田甲子七 岡田包義 田中敏文 田中敏文 町村金五 堂垣内尚弘 横路孝弘 堀達也 高橋はるみ 鈴木直道 表 話 編 歴 東久世通禧 寺島宗則 井関盛艮 陸奥宗光 陸奥宗光 大江卓権令 中島信行 野村靖権令→県令 沖守固 沖守固 浅田徳則 内海忠勝 中野健明 浅田徳則 周布公平 大島久満次 石原健三 有吉忠一 井上孝哉 安河内麻吉 清野長太郎 堀切善次郎 池田宏 山県治郎 遠藤柳作 横山助成 石田馨 半井清 大村清一 飯沼一省 松村光磨 近藤壌太郎 藤原孝夫 内山岩太郎 渡辺広 内山岩太郎 津田文吾 長洲一二 岡崎洋 松沢成文 黒岩祐治 表 話 編 歴 小笠原長行 山口直毅 仁和寺宮嘉彰親王 山階宮晃親王 三条実美 伊達宗城 東久世通禧 澤宣嘉 山階宮晃親王 伊達宗城 澤宣嘉 澤宣嘉 岩倉具視 副島種臣 (副島種臣(外務事務総裁)) 寺島宗則 井上馨 井上馨 伊藤博文 大隈重信 青木周藏 榎本武揚 陸奥宗光 西園寺公望 大隈重信 西徳二郎 大隈重信 青木周蔵 加藤高明 曾禰荒助 小村壽太郎 林董 寺内正毅 小村壽太郎 内田康哉 桂太郎 牧野伸顯 石井菊次郎 本野一郎 後藤新平 山本權兵衞 伊集院彦吉 松井慶四郎 幣原喜重郎 田中義一 幣原喜重郎 犬養毅 芳澤謙吉 齋藤實 廣田弘毅 有田八郎 林銑十郎 佐藤尚武 宇垣一成 近衛文麿 有田八郎 阿部信行 野村吉三郎 松岡洋右 豊田貞次郎 東郷茂徳 東條英機 谷正之 重光葵 鈴木貫太郎 吉田茂 芦田均 岡崎勝男 岸信介 藤山愛一郎 小坂善太郎 大平正芳 椎名悦三郎 三木武夫 愛知揆一 福田赳夫 木村俊夫 宮澤喜一 鳩山威一郎 園田直 大来佐武郎 伊東正義 櫻内義雄 安倍晋太郎 倉成正 宇野宗佑 三塚博 中山太郎 渡辺美智雄 武藤嘉文 羽田孜 柿澤弘治 河野洋平 池田行彦 小渕恵三 高村正彦 田中眞紀子 小泉純一郎 川口順子 町村信孝 麻生太郎 高村正彦 中曽根弘文 岡田克也 前原誠司 松本剛明 玄葉光一郎 岸田文雄 河野太郎 茂木敏充 林芳正 上川陽子 岩屋毅 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef 幕末の公家 日本の枢密顧問官 日本の貴族院副議長 貴族院勅選議員 明治時代の貴族院議員 日本の元老院議官 侍従長 開拓使の人物 日本の官僚 (1868-1949) 神奈川県知事 日本の外務大臣 東邦協会の人物 岩倉使節団の人物 戊辰戦争の人物 日本の神 (人物神 開拓神社) 日本の伯爵 勲一等旭日桐花大綬章受章者 勲一等旭日大綬章受章者 勲一等瑞宝章受章者 東久世家 京都市出身の人物 山城国の人物 1834年生 1912年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/22 14:14更新
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