柴田睦陸の情報(しばたむつむ) 声楽家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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柴田 睦陸さんについて調べます
■名前・氏名 |
柴田睦陸と関係のある人
大谷冽子: 1941年に、柴田睦陸と「出せ一億の底力」を吹き込む。 豊田喜代美: 声楽を萩谷納、柴田睦陸、柴田喜代子、エレン・ボゼニウスに師事。 中山悌一: 1952年には柴田睦陸らと二期会を結成した。 三宅春恵: 芸術祭後にソプラノの三宅、アルトの川崎靜子、テノールの柴田睦陸、バリトンの中山悌一の4名が中心となり、「先人のオペラ活動を第1期に自らは第2期の中心として気概を新たに」という趣旨から「二期会」を結成し、1952年(昭和27年)2月15日に結成披露・基金募集の「ヴォーカル・コンサート」が行われた。三宅春恵、大熊文子、朝倉万紀子、柴田喜代子、荒牧規子、川崎靜子、佐々木成子、木下保、柴田睦陸、渡邊高之助、中山悌一、秋元清一、関忠亮、石津憲一、畑中良輔、伊藤亘行。 林康子: 柴田睦陸、ニコラ・ルッチ、リア・グァリーニに師事。 三宅春恵: 1956年9月29日 NFC交響楽団 ベートーヴェン 交響曲第9番『合唱つき』三宅春恵(S)川崎静子(A)柴田睦陸(T)秋元雅一郎(Br)玉川学園合唱団(ニッポン放送 産経ホールで収録) 栗林義信: 師匠は矢田部勁吉、柴田睦陸。 出口正子: 田島好一、柴田睦陸、アントニオ・ベルトラミ、エドアルド・ミューラー、ニーノ・スカットリーニに師事。 |
柴田睦陸の情報まとめ
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柴田 睦陸(しばた むつむ)さんの誕生日は1913年3月23日です。岡山出身の声楽家のようです。
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上京以前のエピソード、受章・受位歴などについてまとめました。現在に関する情報もありますね。74歳で亡くなられているようです。
柴田睦陸のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)柴田 睦陸(しばた むつむ、1913年(大正2年)3月23日 - 1988年(昭和63年)2月19日)は、昭和期の日本の声楽家(テノール)・歌手・オペラ歌手・翻訳家(訳詞家)・音楽教育者・音楽評論家。二期会の創立者の一人であり「生みの親」。妻は声楽家の柴田喜代子。別名宗近明または宗近昭。 岡山県児島郡興除村(現在の岡山市南区)出身。上京以前に秋吉宗鎮、東京音楽学校で薗田誠一、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒ、クラウス・プリングスハイムに師事。 在学中の1935年(昭和10年)ポリドール・レコードから宗近明として歌手デビュー。『上海リル』、『セントルイス・ブルース』などを吹き込む。 その後ビクターレコードに移籍し、本名の柴田睦陸で、『国民進軍歌』、『ラ・クンパルシータ』、『出せ一億の底力』、『朝』、『朝だ元気で』、『大東亜決戦の歌』など、流行歌、国民歌謡、軍歌などを多数吹き込む。一方で、クラシック音楽のテノール歌手としての活動も行なった。その後、1942年(昭和17年)1月応召(浜松飛行隊-台湾)。 1946年(昭和21年)3月復員後はビクターレコードの歌手に復帰するが、1946年(昭和21年)11月に長門美保歌劇研究所 プッチーニ『蝶々夫人』ピンカートンでオペラデビュー。オペラへ傾倒していき、1949年(昭和24年)12月(あるいは翌1950年1月)にはオペラ研究部(あるいは「東京芸術大学歌劇研究部」)(後の二期会)の部長になる。1952年(昭和27年)にはソプラノの三宅春惠、アルトの川崎靜子、バリトンの中山悌一を合わせた4人(全員ビクターレコード専属だったため『ビクター4人組』といわれた)を中心に、志を同じくする12名の声楽家と、事務局の河内正三とともに、17名で新たなオペラ団体の創設に向かう。「先人のオペラ活動を第1期に自らは第2期の中心として気概を新たに」という趣旨から「二期会」と命名し、1952年(昭和27年)2月15日に結成披露・基金募集の「ヴォーカル・コンサート」を行なった。プログラムには、2月現在の二期会会員として以下の16人の声楽家の名前が記されている。三宅春恵、大熊文子、朝倉万紀子、柴田喜代子、荒牧規子、川崎靜子、佐々木成子、木下保、柴田睦陸、渡邊高之助、中山悌一、秋元清一(秋元雅一朗)、関忠亮、石津憲一、畑中良輔、伊藤亘行。同年2月25日から28日にかけて、日比谷公会堂でプッチーニ『ラ・ボエーム』をマンフレート・グルリット指揮の東京交響楽団演奏で初演する。この際の歌詞は宗近昭名義の訳詞による日本語の口語訳で行われ、柴田は主役ロドルフォを歌っている(木下保とのダブルキャスト)。 以後、生涯にわたり二期会の中心人物として活動した。宗近昭としては訳詞を手掛け、オペラの日本語上演の定番となったものが多い。柴田睦陸としては歌手としてオペラの舞台に立ちながら、演出、歌唱指導、指揮、制作、プロデューサー、総監督、総指揮等も数多く務めている。 また、音楽教育者として幾多の後進を指導・育成するとともに、二期会にとどまらず多岐にわたる楽界活動と旺盛な評論活動を展開した。とりわけ発声法について論じ、日本声楽発声楽会の発起人および会長を務め、2015年(平成27年)においてもなお影響を及ぼしている。戦後の日本の声楽界において多大な貢献をした人物である。 1988年(昭和63年)2月19日、東京の病院で、肝不全で死去。74歳没。死去後、正四位に叙せられた。 上京以前のエピソード上京以前、歌手になる夢を両親に猛反対され、宝物のベートーヴェンの彫刻1つを握りしめ家を飛び出した。当時の声楽の師である秋吉宗鎮のもとに身を寄せ、草むしりなどの家事の手伝いをしながら住み込みで声楽の指導を受けていたという。 受章・受位歴1977年(昭和52年)紫綬褒章 1985年(昭和60年)勲三等旭日中綬章 1988年(昭和63年)正四位 2024/06/18 03:57更新
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shibata mutsumu
柴田睦陸と同じ誕生日3月23日生まれ、同じ岡山出身の人
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