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江戸川乱歩の情報 (えどがわらんぽ)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

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江戸川 乱歩さんについて調べます

■名前・氏名
江戸川 乱歩
(読み:えどがわ らんぽ)
■職業
推理小説作家
■江戸川乱歩の誕生日・生年月日
1894年10月21日
午年(うま年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
三重出身

江戸川乱歩と同じ1894年生まれの有名人・芸能人

江戸川乱歩と同じ10月21日生まれの有名人・芸能人

江戸川乱歩と同じ出身地三重県生まれの有名人・芸能人


江戸川乱歩と関係のある人

笹沢左保: 笹沢は江戸川乱歩賞の選考委員を務めていた際も、推理小説の枠が拡がりすぎて、本質が見失われつつある現状を憂いたコメントを繰り返している。


山崎純資: 浴室の美女 江戸川乱歩の「魔術師」より(1978年)


岡田奈々: 「魅せられた美女 江戸川乱歩の「十字路」」(1980年11月1日)


折原一: 1988年 - 『倒錯のロンド』で第34回江戸川乱歩賞候補。


岡本信彦: 江戸川乱歩 名作朗読劇『孤島の鬼』(2023年1月28日、紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA) - 箕浦金之助 役


矢野徹: 日本に本格的なSF出版が芽生える前の、海外SFのファン1号といわれ、SFに興味があった晩年の江戸川乱歩に面識を得る。


鳥羽亮: 小中学生のころから推理小説に興味を持ち、江戸川乱歩やアーサー・コナン・ドイルを愛読していた、という。


伴野朗: 江戸川乱歩賞、日本推理作家協会賞受賞。


鏑木創: 江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(1969年)


大越孝太郎: とくに内容面では花輪と丸尾以外に、本人が好きな作家と公言する横溝正史や、江戸川乱歩、そして夢野久作などが得意とする怪奇、淫靡、そして猟奇などといった要素を表現している。


和久峻三: 1972年に、『仮面法廷』で第18回江戸川乱歩賞を受賞。


三條美紀: 江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎 第23話「赤い血をなめる女たち」(1970年、12ch)


工藤明子: 江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎 第14話「人喰い人間」(1971年、12ch) - 大河原由美子


山本紀彦: 江戸川乱歩の美女シリーズ 第22作「禁断の実の美女」(1984年) - 土田


矢部太郎: シリーズ・江戸川乱歩短編集 第2弾『妖しい愛の物語』「黒手組」(2016年、NHK-BSP) - 牧田 役


庄司麻由里: 江戸川乱歩の美女シリーズ「禁断の実の美女」 江戸川乱歩の「人間椅子」(1984年、ANB) - 丹沢山中で黒川の遺体を発見するハイカーの女性役。


野引香里: 江戸川乱歩の怪人二十面相DS(花崎マユミ)


白石奈緒美: 浴室の美女 江戸川乱歩の魔術師(1978年) - 佐伯


団時朗: 歌手活動を行っていたこともあり、俳優としては細々と行っていたが1970年の「江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎」への出演を皮切りに本格的に俳優としての活動を開始。


陳舜臣: 少年時代は江戸川乱歩に親しみ、大学時代はコナン・ドイルやチェスタトンを乱読し、専攻のペルシャ文学ではラシード『集史』を愛好していた。


角田喜久雄: 1946年に戦後初めての探偵小説『高木家の惨劇』は、発表のあても無く20日間で書き上げ、翌年『小説』誌に「銃口に笑う男」の題で一挙掲載、江戸川乱歩は「登場人物達の性格描写の筆力」に敬服したと評し、「本格ミステリ第一の波」の一翼を担った小説とされる。


岡戸武平: 『大阪時事新報』時代には江戸川乱歩と同僚であり、乱歩名義で発表された『蠢く触手』の代作を行ったことがある。


小泉萌香: 江戸川乱歩朗読劇 幻調乱歩2『自決スル幼魚永久機関』(2023年9月30日、イイノホール) - 花崎マユミ 役


草薙幸二郎: 第14作「五重塔の美女 江戸川乱歩の『幽鬼の塔』」(1981年) - 鶴田正雄


伊吹吾郎: 『江戸川乱歩の黄金仮面II/桜の国の美女』ではその腕前を披露している。


中村桜: TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より-(国保藤子)


石川球太: 人間椅子 - 原作:江戸川乱歩、『週刊少年キング』第8巻第36号(1970年8月16日(34)号)・第8巻第37号(1970年8月23日(35)号)、少年画報社。SGコミックス『江戸川乱歩妖美劇画館』第2巻に収録。


井上梅次: 大学に招かれ講演した際、テレフィーチャー「江戸川乱歩の美女シリーズ」について「大事なことは(視聴者にチャンネルを変えさせないよう)9時55分に女の裸を出すことです」と述べた。


川久保潔: 江戸川乱歩 推理小説シリーズ「赤い部屋」「疑惑」カセットブック(1988年) - 朗読


平井輝七: 平井輝七の作品「月の夢想」について、飯沢耕太郎はその著書『写真に帰れ 光画の時代』の中で、「江戸川乱歩の小説のような幻想世界を作りあげている」「『前衛写真』の記念碑的な作品」と評している。


江戸川乱歩の情報まとめ

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江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ)さんの誕生日は1894年10月21日です。三重出身の推理小説作家のようです。

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業績、栄典などについてまとめました。卒業、結婚、趣味、家族、事件、映画に関する情報もありますね。

江戸川乱歩のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、1894年〈明治27年〉10月21日 - 1965年〈昭和40年〉7月28日)は、日本の推理作家、怪奇・恐怖小説家、アンソロジスト。本名は平井 太郎(ひらい たろう)。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。ペンネームは小説家のエドガー・アラン・ポーのもじり。

大正から昭和期にかけて活躍し、主に推理小説を得意とした。また、第二次世界大戦後は推理小説分野を中心に評論家や研究家、編集者としても活躍した。乱歩の寄付で創設された江戸川乱歩賞が推理作家の登竜門となるなど、後世にも大きな影響を与えた。自らも実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。

1894年(明治27年)、三重県名賀郡名張町(現・名張市)に名賀郡役所書記の平井繁男ときくの長男として生まれる(本籍地は同県津市)。平井家は武士の家柄で、祖先は伊豆伊東の郷士だった。のちに伊勢の津藩の藤堂家に仕え、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げた。

2歳の頃父の転勤に伴い三重県鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)、翌年、愛知県名古屋市に移る。以降、大人になっても引越しを繰り返し、生涯で46回引っ越した。

小学生の頃に母に読み聞かされた菊池幽芳訳『秘中の秘』(ウィリアム・ル・キュー原作)が、探偵小説に接した最初であった。中学校では、押川春浪や黒岩涙香の小説を耽読した。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を卒業後、早稲田大学の政治経済学科に進学。在学中に(メルヴィル・D・ポーストに先んじた世界初のトリックという意味で)傑作の処女作『火縄銃』を執筆。博文館の雑誌『冒険世界』に投稿するが、掲載はされなかった。卒業後は貿易会社社員、古本屋、支那そば屋など多くの仕事に勤務。

1917年(大正6年)11月、三重県鳥羽の鳥羽造船所電機部(現・シンフォニア テクノロジー)に就職。庶務課に配属されたが、技師長に気に入られ、社内誌『日和(にちわ)』の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に回された。無断欠勤などもあったが許されていたという。『日和』では編集のみならずイラストも描いている。この会社は1年4ヶ月で退職するが、この時期の体験が『屋根裏の散歩者』『パノラマ島奇談』の参考になったという。

1919年、読み聞かせ会で知り合った坂手島の小学校教師である村山隆子と結婚する。

1923年(大正12年)、森下雨村、小酒井不木に激賞され、『新青年』に掲載された『二銭銅貨』でデビューする。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志す一方で『心理試験』『赤い部屋』といった変格とみなせるような作品も書き、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残した。『人間椅子』や『鏡地獄』に代表されるようなフェティシズムや怪奇小説の部類も初期から執筆しており、岩田準一とともに研究していた衆道の少年愛・少女愛、男装・女装、人形愛、草双紙、サディズムやグロテスク、残虐趣味などの要素を含んだ通俗探偵小説も、昭和初期から一般大衆に歓迎された。

当初は小説家として生計を立てるか悩んだと述べており、デビュー作『二銭銅貨』以降は、あくまで兼業の趣味の範疇として散発的に短編小説を執筆するに留まっていた。1925年に森下の企画で『新青年』に6ヶ月連続短編掲載するにあたってその2作目の『心理試験』が好評で踏ん切りがついたと述べている。ここで会社を辞めて小説家一本にしたが、探偵小説家としては早くも行き詰まり、連続掲載の6作目に当たる『幽霊』は自ら愚作と評し、小説家になったことを後悔したという。しかし、森下の紹介で『写真報知』や『苦楽』にも掲載を持てることとなり、探偵小説専門誌である『新青年』には載せられないような通俗的な作品の執筆で生計が安定した。

海外作品に通じ、翻案性の高い作品として『緑衣の鬼』『三角館の恐怖』『幽鬼の塔』などを残している。このほか、探偵小説に関する評論(『幻影城』など)を残している。

また、少年向けとして1936年に発表した、明智小五郎と小林少年や少年探偵団が活躍する『怪人二十面相』は、少年層からの圧倒的な人気を得てシリーズ化され、その他にも少年向けの作品が作られるようになった。

戦後も主に評論家、プロデューサーとして活動するかたわら、探偵小説誌『宝石』の編集・経営に携わった。また、日本探偵作家クラブの創立と財団法人化に尽力した。同クラブに寄付した私財100万円の使途として江戸川乱歩賞が制定され、同賞は第3回より長編推理小説の公募賞となる。 晩年は高血圧、動脈硬化、副鼻腔炎(蓄膿症)を患い、さらにパーキンソン病を患ったが、それでも家族に口述筆記させて評論・著作を行った。

1965年(昭和40年)7月28日、蜘蛛膜下出血のため東京都豊島区池袋の自宅で70歳で没した。戒名は智勝院幻城乱歩居士。31日、正五位勲三等瑞宝章を追贈される。8月1日、推理作家協会葬が行われた。墓所は多磨霊園(26区1種17側6番)。

業績

小説家として

創作活動初期は、『D坂の殺人事件』『心理試験』など、いわゆる本格派推理小説(探偵小説)の短編作品を執筆し、日本人の創作による探偵小説の基礎を築いた。トリックや題材に欧米の諸作からの影響を感じさせるが、単なる模倣でなく乱歩の独創性が活かされている。

探偵小説の王道というべき本格派を志向していたが、それらの作品は大衆からあまり支持されなかった。大衆は幻想・怪奇小説、犯罪小説に分類できる変格ものと称される作品を好んだ。『赤い部屋』『人間椅子』『鏡地獄』などが代表的な変格ものといえる。

1926年(大正15年)12月より1927年(昭和2年)2月までの約3か月間、朝日新聞に『一寸法師』を連載する。病欠の山本有三の代役だった。作品は評判がよく、映画化された。しかし乱歩は小説の出来に満足できず休筆宣言をし、各地を放浪したという(以後、戦前の乱歩は「休筆中に放浪」というパターンが多くなる)。

1928年(昭和3年)8月、14か月の休筆のあと、乱歩は自己の総決算的中篇『陰獣』を発表する。これは変態性欲を題材にした作品で、不健康とみなされた一方、横溝正史(当時の探偵小説の雑誌『新青年』の編集者)により「前代未聞のトリックを用いた探偵小説」と絶賛された。戦前の本格探偵小説の新時代を築いたといえる。『新青年』は『陰獣』を8月増刊号、9月号、10月号の三回に分けて掲載したが、初回の載った増刊号は増刷するほどで、当時の世評の高さがうかがえる。

1929年(昭和4年)8月より通俗長編『蜘蛛男』をかねてより執筆依頼のあった『講談倶楽部』に連載する。この作品は自身の趣向であった「エログロ・猟奇・残虐趣味」を前面に押し出したものだった。作品は大好評で、これを契機として乱歩は続けざまにヒット作を連発させる。単行本は数十版を重ねた。これは探偵小説をポピュラーな地位に押し上げたといえる(通俗長編について乱歩は、黒岩涙香やモーリス・ルブラン、ポーなどから着想をえたと言っており、事実、そのような作品が多い)。

乱歩の通俗長編が大衆に歓迎された理由は、作品自体の面白さ以外に、時代的背景が影響していたといえる。金融恐慌の影響で、世間にはいわゆる「エログロナンセンス」といわれる退廃的気風が満ちていた。これらの通俗長編は、初期作品に比べると破綻があり(乱歩自身認めている)、これがミステリーの低俗化を招いたとする批判がある。評論家の権田萬治は、著書『日本探偵作家論』において、乱歩の長編は翻案など一部を除きほとんどがプロットに破綻をきたしていると述べ、作品としての完成度を批判している。一方、乱歩と長年親交のあった評論家中島河太郎は、1974年刊の『小学館万有百科事典』(ジャンルジャポニカ)において、低俗性を認める一方で、市場拡大の貢献を言及している。

1931年(昭和6年)5月、乱歩初の『江戸川乱歩全集』全13巻が平凡社より刊行開始された。総計約24万部の売り上げを記録し、経営の行き詰まっていた平凡社を建て直すきっかけになったという。

乱歩は執筆に関して、長編小説のプロットをまとめることが苦手だったという。多くの長編連載を場当たりで執筆し、筋の展開に行き詰まってしまうことがあった。ストーリー展開の行き詰まりから休筆を繰り返すこととなった。また、長編を作り上げるにあたり、程度の低い作品を書いているという意識に苛まれていた。これも休筆の要因といえる。

とりわけ、探偵小説の本舞台である『新青年』に本格ものを書こうとして行き詰まった経緯がある。『悪霊』は1934年(昭和9年)1月号までに3回中断し、探偵文壇の不評を被った。これ以外に、木々高太郎、小栗虫太郎らの台頭により、乱歩は自分の時代が過ぎ去ったと感じ始める。

1935年(昭和10年)頃より、乱歩は評論家として広く活躍し始める。評論集『鬼の言葉』は、その最初の成果である。その一方で、1936年(昭和11年)初めての少年ものを執筆する。のちにシリーズ化される『怪人二十面相』を雑誌『少年倶楽部』に連載した。この作品は少年読者の圧倒的支持を受け、乱歩のもとに多数のファンレターが来たという。以後、乱歩は創作レパートリーに少年ものを定期的に加えるようになった。

日本が戦争体制を強化していくに従い芸術への検閲が強まっていき、日中戦争に勃発した1937年(昭和12年)頃よりその度合いは強くなった。探偵小説は内務省図書検閲室によって検閲され、表現の自由を制限された。一説では、内務省のブラックリストに乱歩の名が載っていたという。

1939年(昭和14年)以降は検閲が激化し、無茶な削除訂正が頻発し、『芋虫』が発禁になっている。

1941年(昭和16年)に入ってからは原稿依頼が途絶え、旧著がほぼ絶版になった。同年12月、日本が太平洋戦争に突入すると、探偵小説は少年ものですら執筆不可能となり、乱歩は小松龍之介の名で子供向きの作品(科学読み物「知恵の一太郎」など)や内務省の検閲対象とならない海軍省の会報に論評を載せるなどしていた。

この時期、少年時代のノートから気になった近年の新聞記事など取り溜めておいた資料をスクラップブックに貼るようになった。他見させるつもりはなかったようであるが、没時までに9冊に増え、後に『貼雑年譜』(はりまぜねんぷ)として復元・刊行され、乱歩自身や日本の推理小説史の貴重な史料となっている。

太平洋戦争中、抹殺されていた探偵文壇は戦後、GHQの占領政策終了のもと復興し始める。戦後は、創作以外に活動の幅を広げ、評論や講演を行う。また、1946年から始めた愛好家の集まり「土曜会」を発展させ、1947年に探偵作家クラブ(後の日本推理作家協会)の結成を行う。雑誌『少年』1949年(昭和24年)1月号から連載の『青銅の魔人』で少年向け小説を再開する。

評論の分野では、1947年(昭和22年)に『随筆探偵小説』を上梓。1951年(昭和26年)には『幻影城』、1954年(昭和29年)に『続・幻影城』、1958年(昭和33年)に『海外探偵小説作家と作品』が上梓される。これらの評論集は、乱歩の優れた批評眼と洞察力がうかがえる探偵小説論・探偵作家論といえる。

戦後においても、大衆は乱歩の「本格もの」よりも「変格もの」を支持し、作家としても日本・海外を問わず既出のトリックがある本格推理が軽蔑されたため、乱歩だけではなく変格ものが中心に執筆された。乱歩が本意としていた本格ものはあまり反響がなかった。同時期に多数発表された長編探偵小説の中で、戦後継続して再刊され続けた(ほとんどの作品は入手できない時期は存在しなかった)のは乱歩の作品だけである。ちなみに、文庫5000万部という空前のリバイバルとなった横溝正史ですら、戦前作品は『人形佐七捕物帳』などごく一部を除けば一時的に再刊されただけである。また、推理小説(ミステリ)の枠に留まらず、怪奇・幻想文学において存在意義がある。猟奇・異常性愛を描いた作品は後年の官能小説に多大な影響を残した。

また、戦後に再開した少年探偵団シリーズは子どもたちから絶大な支持を受け、昭和30年代頃から映像化された。戦後は雑誌『少年』の発行元だった光文社から『少年探偵江戸川乱歩全集』として全23巻が刊行された。乱歩最晩年の昭和39年頃から光文社は絶版となり、版権はポプラ社へ移動する。ポプラ社では、『少年探偵江戸川乱歩全集』として乱歩が児童向けとして書いた作品を全26巻で刊行した。さらに乱歩の大人向けの作品を代作者が児童向けに書き直したものを20巻刊行し、全46巻の大全集となった。シリーズのほとんどで敵役となっている怪人二十面相は、推理小説の架空キャラクターとしては、シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン、明智小五郎、金田一耕助らと並んで、日本では広く親しまれている。なお、戦後に発表されたものについては、戦前に大人向けに書いた推理小説・怪奇小説を代作者が子供向きに翻案した結果、明智小五郎など登場人物の性格が、乱歩自身の設定と異なっていることがあった。

プロデューサーとして

戦後は、新人発掘にも熱心で、高木彬光、筒井康隆、大薮春彦、星新一など、乱歩に才能を見出された作家は少なくない。『宝石』編集長時代には、多くの一般作家に推理小説発表の場を与えている。代表的な作家に、歌舞伎評論家の戸板康二がいる。また、小林信彦を宝石社にスカウトし、アルフレッド・ヒッチコックの名を冠した雑誌『ヒッチコック・マガジン』の編集長に推薦している。

日本国外の推理作家との交流にも積極的で、エラリー・クイーンと文通してアメリカ探偵作家クラブ (MWA) の会員にもなったほか、フランスのイゴール・B・マスロフスキー、オランダのロバート・ファン・ヒューリック、W・G・キエルドルフ(nl)、ソビエト連邦のロマン・キム(ru)、韓国の金来成らと文通し、彼らを介して各国の推理小説事情を日本に紹介した。

晩年には、SF小説に興味を持ち、筒井康隆、矢野徹など、黎明期の日本のSF関係者を援助し、商業出版に尽力した。1959年のインタビューでは、「推理物は一作目にいいものが多く、クリスティを例外に、一般的に年を取るにつれ筆が鈍る。自分にはすでに創意がない。60歳の誕生日会のとき再び筆を取ると宣言したが、書いてみたら納得がいかなかった。代わりに今後は探偵小説史のようなものをまとめたい」と語ったが、その夢は実現されなかった。

「全集」は没後刊行が一般的な時代、生前・没後に各4度 にわたり「全集」刊行した作家は分野を問わず他には存在しない。

内外から尊敬を込め大乱歩とも呼ばれた。師事した山田風太郎は、『風眼抄』で「『大乱歩』という言葉もある。ほかにも一世を風靡した作家や、大衆から敬意を表された作家や、芸術的にもっと高いものを書いた作家は多いのに、大の字を冠してこれほどおかしくない人も珍らしい。」と書いている。ちなみに、他に「大」を冠して呼ばれることの多いアレクサンドル・デュマ・ペール(大デュマ)や谷崎潤一郎(大谷崎)には、同じ文筆家として名高い息子や弟と区別する意味合いもあるが、乱歩にはそうした区別対象はない。

栄典

1961年 - 紫綬褒章受章

1965年 - 勲三等瑞宝章受章

1965年 - 正五位

2024/06/17 14:09更新

edogawa ranpo


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