新藤兼人の情報(しんどうかねと) 脚本家、映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
新藤 兼人さんについて調べます
■名前・氏名 |
新藤兼人と関係のある人
金秀吉: 今村昌平・浦山桐郎・新藤兼人・黒木和雄などの監督や、石堂淑朗・馬場当・池端俊策などの脚本家、淀川長治・佐藤忠男などの映画評論家の指導を受ける。 草野大悟: 舞台を中心に活躍する傍ら、岡本喜八、新藤兼人両監督の映画作品に常連として数多く出演した。 嵯峨善兵: 山本監督の『真空地帯』『太陽のない街』などの作品をプロデュースし、この間に山本、今井、新藤兼人ら独立プロの監督作品に多数出演した。 香取環: 香取は西原について「演出に惚れ込んだ」と発言しており、当時の雑誌にも「乙羽信子と新藤兼人のコンビのよう」と評されたという。 京マチ子: 悲しみは女だけに(監督:新藤兼人 1958年、大映) 李相日: 第12回PFFスカラシップ作品として制作された『BORDER LINE』で、最も将来性を期待できる監督に与えられる新藤兼人賞金賞を受賞するなど高い評価を得て、原作・村上龍 × 脚本・宮藤官九郎『69 sixty nine』の監督に抜擢。 市川崑: その後は、宇野千代原作の『おはん』、オリジナル版を自らリメイクした『ビルマの竪琴』、三島由紀夫原作の『鹿鳴館』、新藤兼人原作の『映画女優』、日本最古の物語文学である『竹取物語 (1987年の映画)』などの歴史文芸大作が中心となり、一方では『四十七人の刺客』、『どら平太』、『かあちゃん』など、時代劇の領域で成果を収める。 乙羽信子: 三文役者(2000年、新藤兼人監督) 乙羽信子: 藪の中の黒猫(1968年2月24日、近代映画協会=日本映画新社 母 新藤兼人監督) 日色ともゑ: 小学生の時に観た映画『原爆の子』(新藤兼人監督作)に心を打たれたことが役者を目指す原点となる。 丸山昇一: 『年鑑代表シナリオ集』(1964年版)に掲載されていた新藤兼人の『鬼婆』を読み、シナリオライターを志す。 乙羽信子: どぶ (1954年、新藤兼人監督) 渡辺大: 一枚のハガキ(2011年8月6日、東京テアトル、監督:新藤兼人) - 下士官 役 大滝秀治: 映画では1952年(昭和27年)に公開した新藤兼人監督の『原爆の子』など民藝がユニット出演した作品などに端役で出演していたが、1955年(昭和30年)の『ここに泉あり』でまともな役を演じた。 木村威夫: 現役の映画監督として、新藤兼人に次ぐ高齢監督となった。 乙羽信子: ブラックボード(1986年、新藤兼人監督) 佐藤忠男: 講座日本映画 全8巻 今村昌平/佐藤忠男/新藤兼人/鶴見俊輔/山田洋次編 岩波書店 1985 増村保造: 爛(1962年、大映東京)原作:徳田秋声、脚本:新藤兼人 丘野かおり: 新藤兼人劇場 / 誘惑(1970年、12ch) 望月優子: 『悲しみは女だけに』(新藤兼人 監督、1958年) 乙羽信子: 竹山ひとり旅(1977年、独立映画センター 新藤兼人監督) 新藤風: “新藤風監督、偉大な祖父・新藤兼人監督の死から約5年「やっぱり映画を撮りたいという気持ちに」”. 宅ファイル便 連載 ひと (2017年2月6日). 2018年12月13日閲覧。 吉野せい: 『洟をたらした神』は死去翌年の1978年、監督・神山征二郎、脚本・新藤兼人により東京12チャンネル(現・テレビ東京)でテレビドラマとして放映される予定だったが、原作にない原子力発電所の描写を巡って遺族や地元から抗議を受け、一度は「原子力ではない発電所」に変更することでまとまったが、スポンサーの意向により放映中止となった。 池田敬子: 同年新藤兼人と共に三原市名誉市民に賞与。 内田けんじ: 2005年度新藤兼人賞 優秀新人監督賞(銀賞) 中村義洋: 2007年、日本映画製作者協会 (協同組合)による、もっとも将来性のある新人監督に与える「新藤兼人賞・金賞」を受賞する。 乙羽信子: 午後の遺言状(1995年、新藤兼人監督) 林光: 1956年の木村荘十二監督『森は生きている』以降映画音楽も多数手がけているが、中でも新藤兼人監督作品は、1959年の『第五福竜丸』から遺作『一枚のハガキ』まで、そのほとんどを担当した。 新藤風: 一枚のハガキ(2011年、東京テアトル、監督:新藤兼人) 乙羽信子: 愛妻物語(1951年、新藤兼人監督) |
新藤兼人の情報まとめ
新藤 兼人(しんどう かねと)さんの誕生日は1912年4月22日です。広島出身の脚本家、映画監督のようです。
映画、現在、兄弟、卒業、結婚、退社、解散、事件、テレビ、ドラマ、離婚、再婚、引退、子役、姉妹に関する情報もありますね。2012年に亡くなられているようです。
新藤兼人のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)新藤 兼人(しんどう かねと、1912年〈明治45年〉4月22日 - 2012年〈平成24年〉5月29日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は新藤 兼登(読み方同じ)。近代映画協会会長。従三位、広島県名誉県民、広島市名誉市民、広島県三原市名誉市民。 日本のインディペンデント映画の先駆者であった。性のタブーに挑戦したり社会派映画を制作したりと、冒険的な作品を発表した点が、同世代の監督と大きく異なる点である。『鉄輪(かなわ)』のように前衛的な作品まで制作した。脚本作品も、約370本と非常に多い。 1912年(明治45年)、広島県佐伯郡石内村(現在の広島市佐伯区五日市町石内)生まれ。4人兄弟の末っ子。広島市内から一山越えた農村で豪農の家に生まれるが、父が借金の連帯保証人になったことで没落した。田畑を売り、たったひとつ残った蔵で父母と3人で暮らし、石内尋常高等小学校(現在の広島市立石内小学校)へ通う。当時、長兄は尾道警察署に勤務、姉2人は家が没落したため長姉は花嫁移民として渡米し次姉は広島で看護師になった。なお生家であるその蔵は1999年まで新藤の生家として保存されていたが取り壊され、当地には「生誕の地」碑が建っている。1927年(昭和2年)石内尋常高等小高等科を卒業後、広島市内の親戚の家に預けられた。この時代のことは『石内尋常高等小学校 花は散れども』に描かれている 16歳の時に、尾道の長兄宅に居候することになる。この兄の家は東土堂町にあり、隣が大林宣彦の実家であった。何もすることがなかったが兄に気を遣って家に居づらかったため毎日尾道の町でぶらぶら過ごしていた。1933年(昭和8年)、徴兵検査が終わった頃、たまたま見た山中貞雄映画『盤嶽の一生』に感激し映画を志し、京都へ行くことを決める。 交通費を貯めるため、兄の紹介で自転車卸「山口バイシクル商会」に勤めた。なおこの商会は高橋源一郎の実家である。大林宣彦によると、新藤は大林の尾道の実家の持ち家に住んでいたことがあり、幼少期の大林は新藤と映画を観たことがあるという。ただ大林が5、6歳の頃つまり1942年・1943年頃と証言しており、この時期ではない可能性が高い。 兄の紹介で京都府警察の刑事の伝手を頼りに、京都へ出る。ただすぐには撮影所には入ることが出来ず、絶望し一度尾道へ帰るが、諦めきれずに再び京都へ戻る。 1934年(昭和9年)22歳の時に新興キネマに入る。志望していた映画助監督への道は狭く、体が小さいため照明からも敬遠され、入ることが出来たのは現像部でフィルム乾燥の雑役から映画キャリアをスタートさせる。満州国が帝制に移行した年であった。目指す創造する世界とはかけ離れた、長靴を履きながらの辛い水仕事を1年ほどつとめる。撮影所の便所で落とし紙にされたシナリオを発見、初めて映画がシナリオから出来ているものと知った。 新興キネマ現像部の東京移転に同行し美術部門に潜り込む。美術監督であり美術部長である水谷浩に師事。美術助手として美術デザインを担当した。仲間からは酷評されても、暇を見つけてシナリオを書き続け投稿し賞を得るが、映画化はされなかった。黒沢明や神代辰巳、脚本家の山田信夫らも「監督が脚本を待っていてどうする。待っていても来ないよ。自分で書くんだよ」との言葉を残している。家が近所だった落合吉人が監督に昇進し、脚本部に推薦され『南進女性』で脚本家デビュー。 1941年(昭和16年)、溝口健二監督の『元禄忠臣蔵』の建築監督として1年間京都興亜映画に出向。本作で原寸大の松の廊下を製作したのは新藤である。溝口は俳優から演技を聞かれても「反射してください」というばかりで何も俳優に教えないため、他の俳優・スタッフ同様に新藤も反発していた。しかし出来上がった作品を見ると感銘を受けた。伝手を頼り溝口の内弟子になることになり、シナリオを1本書いて溝口に提出するが、「これはシナリオではありません、ストーリーです」と酷評され、自殺を考える程の大きなショックを受ける。スクリプターをしていた内妻・久慈孝子の励ましで奮起し 劇作集を読みあさり再出発を誓う。孝子とは1939年に結婚したとする資料もある。 1942年(昭和17年)、情報局の国民映画脚本の公募に応募、佳作に終わる。当選は東宝の助監督・黒澤明の『静かなり』であった。翌年『強風』が当選。これを知った溝口から連絡があり生涯ただ1度だけ祇園で御馳走にあずかる。1944年(昭和19年)、所属していた興亜映画が松竹大船撮影所に吸収され東京本部へ移籍。 同1944年4月、脚本を1本も書かないうちに日本海軍に召集され二等水兵として呉鎮守府海兵団に入団。新藤は「戦争に行けば死ぬに決まってる」「もうシナリオは書けないのか」と絶望した。任務は新藤曰く“掃除部隊”で、最初は奈良天理教本部宿舎に海軍飛行予科練習生が配置されることになったため、次に兵庫宝塚歌劇団の宝塚大劇場や宝塚音楽学校に潜水艦乗りや航空隊(宝塚海軍航空隊)が配置されることになったため、そこを掃除するというものだった。 既に32歳ながら年下の上等水兵の若者に扱き使われ、彼らの身の周りの世話をする。上官にはクズと呼ばれ、木の棒で気が遠くなる程叩かれ続けた。兵隊は叩けば叩くほど強くなると信じられていた時代だった。天理教本部を掃除した100名のうち大半が前線に送られ、94人が戦死した。 この間、内妻の孝子は結核に罹るが、貧しさのためろくに栄養をつけることができず死去している。 1945年(昭和20年)、宝塚海軍航空隊所属にて広島市への原子爆弾投下を知り、そして第二次世界大戦終戦を迎える。これらの事は、60年後に製作された『陸に上った軍艦』(山本保博監督)で描かれた。 東京でのアパートは空襲により焼けていたため、一旦尾道の兄のところに身を寄せている。看護婦をしていた姉は当時尾道へ移っていたため無事で、被爆時には広島で看護活動をしていた。新藤自身も被爆後の広島に足を踏み入れている。そして松竹大船撮影所に復帰するため上京することになる。 宝塚歌劇団図書館にあった全ての「戯曲集」を読み終え松竹大船撮影所に復帰。1945年(昭和20年)秋書いた『待帆荘』がマキノ正博によって『待ちぼうけの女』(1946年)として映画化され1947年(昭和22年)のキネマ旬報ベストテン4位となり初めて実力が認められた。溝口のために溝口の戦後第1作『女性の勝利』(1946年)と『わが恋は燃えぬ』(1949年)を書く。 戦中に亡くなった内妻の孝子のために書いた『愛妻物語』のシナリオはこの頃に書いている。 1946年(昭和21年)34歳のときに美代と結婚。美代とは60歳(1972年)まで婚姻関係を続けている。 1947年(昭和22年)に、吉村公三郎と組んで『安城家の舞踏会』を発表する。大ヒットしキネマ旬報ベストテン1位も獲得、シナリオライターとしての地位を固めた。その後は吉村とのドル箱コンビで『わが生涯のかゞやける日』(1948年)などのヒット作を連発。木下惠介にも『結婚』、『お嬢さん乾杯!』を書く。 1949年(昭和24年)、『森の石松』の興行的失敗等で松竹首脳らが「新藤のシナリオは社会性が強くて暗い」とクレームをつけるに及び、自らの作家性を貫くため1950年(昭和25年)、松竹を退社して独立プロダクションの先駈けとなる近代映画協会を吉村、殿山泰司らと設立。 1951年(昭和26年)、大映から請け負う形で近代映画協会初の作品として、『愛妻物語』で39歳にして宿願の監督デビューを果たす。この自伝的な内容の脚本はどうしても他人にやらせたくなかったと告白している。主演は大映人気スター“百萬弗のゑくぼ”乙羽信子 で、乙羽がこの脚本を読んでどうしても妻の役をやりたいと願い出てきたこと、新藤としては愛妻物語のモデルである内妻・孝子と乙羽がよく似ているから、との理由で決まった。 また大映に持ち込んだ『偽れる盛装』が1951年(昭和26年)の大ヒット映画となった。 1952年(昭和27年)、近代映画協会初の自主制作作品として、原子爆弾を取り上げた映画『原爆の子』を発表。翌年の1953年(昭和28年)、カンヌ国際映画祭に出品。後に公開された外交文書あるいは外務省文書において、当時の日本政府はこれを好ましく思っていなかったこと、アメリカの圧力により外務省が受賞妨害工作を試みたこと、逆にカンヌでは高い評価を得ていたこと、が判明している。こうした前評判に周囲はパルム・ドールを期待したが落選している。また西ドイツでは反戦映画として軍当局に没収される騒ぎもあり、各国で物議を醸したが世界で反響を呼び、チェコ国際映画祭平和賞、英国フィルムアカデミー国連賞、ポーランドジャーナリスト協会名誉賞など多くの賞を受けた。これ以降も広島原爆をテーマとした作品をつくった。また長崎原爆ものでは1950年『長崎の鐘』で脚本を担当している。 原爆の子主演の乙羽は映画制作の際に近代映画協会へ強引に移籍、以降新藤と乙羽の関係は続き、私生活では新藤には本妻・美代とその子たちがいたもののこの頃より乙羽と愛人関係になる。 以降は自作のシナリオを自らの資金繰りで監督する独立映画作家となり、劇団民藝の協力やカンパなどを得て数多くの作品を発表。しかし芸術性と商業性との矛盾に悩み失敗と試行錯誤を繰り返した。核兵器の作品も続き、1959年(昭和34年)『第五福竜丸』を発表するも興行的には失敗に終わり、近代映画協会には多額の借金が残り解散の危機に陥った。 この頃、同時期に日本映画に衰退の陰りが見え大きな映画会社の経営が困難になり始めた。しかし、産業としての映画の衰退は「社会派映画」や「前衛芸術映画」の躍進のチャンスでもあった。大映画会社による映画館の独占支配体制が緩み、小さな独立系プロの製作する映画にも上映の機会を得ることができるようになった。 1960年(昭和35年)、経営が立ちゆかなくなった近代映画協会は、その解散記念作品として新藤が長年暖めていた無言の映画詩『裸の島』の制作に入る。広島県三原市の無人島である宿弥島を舞台に、その南にある佐木島でロケを敢行、制作費はわずか500万円、夫婦役の殿山・乙羽含めスタッフ13人に佐久島の小学生も加わり、撮影期間1ヶ月で作り上げた。新藤は後のインタビューで以下のことを語っている。 この映画が評価されたのは日本国内よりも海外で、1961年(昭和36年)モスクワ国際映画祭でグランプリを獲り、新藤監督は世界の映画作家として認められた。モスクワ国際映画祭の際には、各国の映画バイヤーから次々に買い入れの申し入れがあり、最終的に世界62ヶ国に作品の上映権を売ることで、それまでの借金を返済した。 このモスクワ国際映画祭ではその後の新藤作品の殆どを出品し、それらは当地で評価されており、新藤は「足を向けて寝れない」とこの映画祭を感謝している。 この成功は、限られた観客を相手に、極端に低い製作費で優れた作品を撮ることが可能であることを示し、大会社の資本制約から離れる事で自由な映画表現と制作ができる事を証明した。そして製作手法(オール地方ロケ。出演者及びスタッフがロケ地で合宿体制を組む。スタッフ全員参加のミーティングを行い、本来の持ち場を越えて意見を交換する。等)は、その後の邦画界におけるインディペンデント映画の製作に、多大な影響を与えた。 宿祢島のある三原市は『裸の島』の他に、『らくがき黒板』『かげろう』『三文役者』でロケ地として用いており、この縁で三原市名誉市民に顕彰されている。 新藤作品には社会性の強い作品、性のタブーに挑戦した作品がいくつか存在する。1964年の『鬼婆』では、吉村実子、佐藤慶が全裸で走る場面を撮影。1970年(昭和45年)連続拳銃発砲事件の永山則夫を題材にした『裸の十九才』。1972年にはフラワー・メグのヌードがほぼ全編で流れる『鉄輪(かなわ)』を発表した。『鉄輪』は日本の伝統芸能に題材を取った「前衛的作品」だった。1974年引揚者から東北開拓農民となった者達を描いた『わが道』、1977年(昭和52年)津軽三味線の高橋竹山を題材とした『竹山ひとり旅』、広島原爆で死亡した桜隊を題材とした『さくら隊散る』、家庭内暴力に材を取った『絞殺』、死と不能をテーマにした『性の起源』、樋口可南子が美しいヌードを披露した『北斎漫画』(1981年)。同作品では田中裕子もヌードを披露している。性のタブーに挑戦した『濹東綺譚』などを発表する。新藤の世代で〈性と人間〉にこれだけ取り組んだ映画作家は稀である。また「頼まれた仕事は断らない」を信条に、近代映画協会における自作の映画制作と平行し、大手映画会社の企画作品の脚本も多数手がけた。中には映画史に残る名作、話題作も含まれた。「優れた芸術家は多作である」という観点から見れば、これも特筆すべき才能といえる。 評価の高い脚本作品に、川島雄三監督/『しとやかな獣』(1962年)、鈴木清順監督/『けんかえれじい』(1966年)、中平康監督『混血児リカ』シリーズ(1970年代)、神山征二郎監督/『ハチ公物語』(1987年)などがある。娯楽怪作としては江戸川乱歩の原作をミュージカル仕立てにした『黒蜥蜴』(1962年)などがある。テレビドラマ、演劇作品も含めると手がけた脚本は370本にもおよび、多くの賞を受賞した。「ドラマも人生も、発端・葛藤・終結の3段階で構成される」というのが持論である。監督としては純娯楽作品にはほとんど関心を示していないが、脚本家としてはそちらにも強く、コメディやミステリーなどにも高い技術を発揮するアルチザン的側面も持つ。他の巨匠といわれる監督兼脚本家たちの多くが自身の監督作品の脚本執筆をメインにしているのに対し、他の監督に脚本を提供し、なおかつ高い評価を受ける仕事が非常に多く、そちらに限定しても最高クラスの脚本家である。さらにプロデューサー、経営者、教育者、著述者としてなど、いくつもの顔をもって日本映画へ大きく貢献している。 また私生活においては、本妻・美代の申し出により1972年(昭和47年)60歳の時に正式に離婚(美代は5年後の1977年(昭和52年)死去)。1978年(昭和53年)に乙羽信子と再婚した。1994年(平成6年)乙羽も亡くなっている。老いをテーマとした『午後の遺言状』は、乙羽と杉村春子のためにシナリオを書いたもので、乙羽にとっては遺作、杉村にとっては最後の映画出演作品となった。1989年に亡くなった朋友・殿山泰司をモデルに『三文役者』を書いている。 70年以上の映画人生で、世界最長老の映像作家のひとりである事で知られていた。また池広一夫、神山征二郎、千葉茂樹、松井稔、金佑宣、田代廣孝、田渕久美子ら多くの門下生を出した。尚、近代映画協会は1960年代に100近く有った独立プロのうち唯一成功し現在も存続し、映画作品を送り出している。 長年の映画製作に対して1996年(平成8年)に第14回川喜多賞、1997年(平成9年)に文化功労者、2002年(平成14年)に文化勲章を授与された。『裸の島』『裸の十九才』でグランプリ、『生きたい』で金賞を受賞したモスクワ国際映画祭では、2003年(平成15年)に特別賞を受賞している。また、映画を通じて平和を訴え続けた功績により2005年(平成17年)に谷本清平和賞を受賞。「多くの傑作映画を世に送り出し、日本最高齢現役監督として映画「一枚のハガキ」を完成させた」として、2011年(平成23年)に第59回菊池寛賞を受賞。「一枚のハガキ」は2010年10月31日にクランクアップしていた。 1996年(平成8年)、日本のインディペンデント映画の先駆者である新藤監督の業績を讃え、独立プロ58社によって組織される日本映画製作者協会に所属する現役プロデューサーのみがその年度で最も優れた新人監督を選ぶ新藤兼人賞を新たに創設した。 2010年(平成22年)の時点で日本最高齢の現役映画監督であり、世界でもマノエル・ド・オリヴェイラに次ぐ位置にあったが、同年の第23回東京国際映画祭表彰式で『一枚のハガキ』を監督引退作とすることを公表したが、求められればまだ撮りたい気持ちも表していた。晩年は、高齢で移動に車いすが欠かせなくなっていた。 2012年(平成24年)2月14日に東京都内で行われた第54回ブルーリボン賞の授賞式では新人賞を受賞した当時7歳の芦田愛菜との「92歳差のツーショット」で沸かせた。2ヵ月後の4月22日に、100歳を迎え、東京都内で誕生会が開かれ、集まった映画人を前に「これが最後の言葉です。どうもありがとう。さようなら」と挨拶した。 2012年(平成24年)5月29日、老衰のため東京都港区の自宅で亡くなった。満100歳没(享年101)。葬儀・告別式は2012年6月3日、多くの映画関係者や俳優などが参列する中、増上寺光摂殿で執り行われた。墓所は妙心寺衡梅院にあるが、遺骨の半分は鎌倉霊園に埋葬された後、「裸の島」の舞台である三原市宿祢島に散骨された。 2012年6月26日、日本政府は新藤が数々の作品を世に送り出した功績を讃え、多年に亘る映画界への貢献を評価して死去日の5月29日をもって従三位に追叙する閣議決定を行った。 愛妻物語(1951年) - キネマ旬報ベストテン第10位 雪崩(1952年) 原爆の子(1952年) - カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭グランプリ、エディンバラ国際映画祭脚本賞・名誉賞、英国アカデミー賞国連平和賞、メルボルン国際映画祭グランプリ、ポーランドジャーナリスト協会名誉賞、フランス映画愛好家連盟賞 縮図(1953年)原作:徳田秋声 - キネマ旬報ベストテン10位 女の一生(1953年) どぶ(1954年) 狼(1955年) 銀心中(1956年)原作:田宮虎彦 流離の岸(1956年) 女優(1956年) 海の野郎ども(1957年) - 石原裕次郎主演作。船に乗ってやって来た外国人労働者との軋轢と交流を描く 悲しみは女だけに(1958年) 第五福竜丸(1959年) - キネマ旬報ベストテン8位 花嫁さんは世界一(1959年) - 東宝製作であり、フランキー堺、雪村いづみ主演により日系米国人青年の花嫁探しを描いた、新藤監督異色のロマンティック・コメディ 裸の島(1960年) - モスクワ国際映画祭グランプリ、メルボルン国際映画祭グランプリ、リスボン映画祭銀賞、ベルリン国際映画祭セルズニック銀賞、諸国友好のための親善映画祭グランプリ、マンハイム映画祭グランプリ、宗教と人間の価値映画祭国際ダグ・ハマーショルド賞、キネマ旬報ベストテン6位 人間(1962年)原作:野上弥生子 - 文部省芸術祭文部大臣賞 母(1963年) - 毎日芸術賞、キネマ旬報ベストテン8位 鬼婆(1964年) 悪党(1965年)原作:谷崎潤一郎 - キネマ旬報ベストテン9位 本能(1966年) - キネマ旬報ベストテン7位 性の起原(1967年) 藪の中の黒猫(1968年) 強虫女と弱虫男(1968年) かげろう(1969年) - キネマ旬報ベストテン4位、文化庁芸術祭優秀賞 触角(1970年) 裸の十九才(1970年) - モスクワ国際映画祭金賞、キネマ旬報ベストテン10位 鉄輪(1972年) 讃歌(1972年)原作:谷崎潤一郎 心(1973年)原作:夏目漱石 わが道(1974年) - キネマ旬報ベストテン6位 ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(1975年) - キネマ旬報ベストテン1位・監督賞 竹山ひとり旅(1977年) - モスクワ国際映画祭監督賞・ソ連美術家同盟賞、キネマ旬報ベストテン2位 ドキュメント8.6(1978年) - テレビドキュメンタリーとして製作。「原爆の子」の子役達との再会。原爆投下したエノラ・ゲイ号の元機長ポール・ティベッツとの面談を要求 絞殺(1979年) - ヴェネツィア国際映画祭、乙羽信子「主演女優賞」 北斎漫画(1981年) - キネマ旬報ベストテン8位 地平線(1984年) ブラックボード(1986年) 落葉樹(1986年) さくら隊散る(1988年) - キネマ旬報ベストテン7位 濹東綺譚(1992年) - キネマ旬報ベストテン9位 午後の遺言状(1995年) - モスクワ国際映画祭ロシア批評家賞、キネマ旬報ベストテン1位、日本アカデミー賞最優秀作品賞 他多数 生きたい(1999年) - モスクワ映画祭グランプリ・国際批評家連盟賞、ロシア批評家賞 三文役者(2000年) - モントリオール映画祭特別グランプリ、キネマ旬報ベストテン6位 ふくろう(2004年) - モスクワ映画祭功労賞 石内尋常高等小学校 花は散れども(2008年) 一枚のハガキ(2011年) - 第23回東京国際映画祭審査員特別賞、第36回報知映画賞特別賞、キネマ旬報ベストテン1位 南進女性(1940年11月7日公開、岡田熱監督、新興キネマ) 汪桃蘭の嘆き(1940年11月28日公開、岡田熱監督、新興キネマ) 猛獣使ひの姉妹(1941年3月29日公開、深田修造監督、新興キネマ) 北極光(1941年8月20日公開、田中重雄監督、新興キネマ)※時代考証も 春星夫人(1941年9月28日公開、田中重雄監督、新興キネマ) 女性の勝利(1946年4月18日公開、溝口健二監督、松竹) 待ちぼうけの女(1946年6月13日公開、マキノ正博監督、松竹) 鍵を握る女(1946年8月15日公開、佐々木啓祐監督、松竹) お光の縁談(1946年10月15日公開、池田忠雄・中村登監督、松竹) 仮面の街(1947年1月21日公開、原研吉監督、松竹) 結婚(1947年3月18日公開、木下惠介監督、松竹) 処女は真珠の如く(1947年6月17日公開、中村登監督、松竹) 安城家の舞踏会(1947年9月27日公開、吉村公三郎監督、松竹) - キネマ旬報ベストテン1位 娘の逆襲(1947年11月9日公開、中村登監督、松竹) 誘惑(1948年2月25日公開、吉村公三郎監督、松竹) 噂の男(1948年3月23日公開、佐々木康監督、松竹) 偉大なるX(1948年5月7日公開、大庭秀雄監督、松竹) 火の薔薇(1948年9月1日公開、中村登監督、松竹) わが生涯のかがやける日(1948年9月26日公開、吉村公三郎監督、松竹) - キネマ旬報ベストテン5位 幸福の限界(1948年11月1日公開、木村恵吾監督、大映) 四人目の淑女(1948年12月23日公開、渋谷実監督、松竹) 嫉妬(1949年1月11日公開、吉村公三郎監督、松竹) わが恋は燃えぬ(1949年2月15日公開、溝口健二監督、松竹) お嬢さん乾杯!(1949年3月13日公開、木下惠介監督、松竹) - キネマ旬報ベストテン6位 朱唇いまだ消えず(1949年4月24日公開、渋谷実監督、松竹) 森の石松(1949年6月12日公開、吉村公三郎監督、松竹) - キネマ旬報ベストテン9位 殺人鬼(1949年6月29日公開、大曾根辰夫監督、松竹) 四谷怪談(1949年7月11日公開、木下惠介監督、松竹) 大都会の顔(1949年9月6日公開、阿部豊監督、新東宝) 真昼の円舞曲(1949年10月16日公開、吉村公三郎監督、松竹) 脱線情熱娘(1949年12月15日公開、大庭秀雄監督、松竹) 春雪(1950年3月5日公開、吉村公三郎監督、松竹) 危険な年齢(1950年4月2日公開、原研吉監督、松竹) 春の潮 前篇(1950年6月17日公開、中村登監督、松竹) 春の潮 後篇(1950年6月25日公開、中村登監督、松竹) アルプス物語 野性(1950年9月9日公開、沢村勉監督、太泉映画・東京映画) 戦火の果て(1950年9月16日公開、吉村公三郎監督、近代映画協会・大映) 長崎の鐘(1950年9月23日公開、大庭秀雄監督、松竹) 暁の追跡(1950年10月3日公開、市川崑監督、田中プロ・新東宝) 赤城から来た男(1950年10月7日公開、木村恵吾監督、大映) 七色の花(1950年10月14日公開、春原政久監督、東横映画) 処女蜂(1950年12月2日公開、木村恵吾監督、大映) 偽れる盛装(1951年1月13日公開、吉村公三郎監督、大映) - キネマ旬報ベストテン3位 阿修羅判官(1951年2月15日公開、森一生監督、大映) 熱砂の白蘭(1951年3月24日公開、木村恵吾監督、第一協団・東宝) 自由学校(1951年5月5日公開、吉村公三郎監督、大映) 誰が私を裁くのか(1951年5月18日公開、谷口千吉監督、大映) 上州鴉(1951年5月25日公開、冬島泰三監督、大映) 情炎の波止場(1951年6月8日公開、安田公義監督、大映) 西城家の饗宴(1951年6月15日公開、鈴木英夫監督、大映) 舞姫(1951年8月17日公開、成瀬巳喜男監督、東宝)※原作:川端康成 東京悲歌(1951年9月28日公開、田中重雄監督、大映) 源氏物語(1951年11月2日公開、吉村公三郎監督、大映) - キネマ旬報ベストテン7位 十六夜街道(1951年12月14日公開、安田公義監督、大映) 西陣の姉妹(1952年4月17日公開、吉村公三郎監督、大映) 暴力(1952年8月26日公開、吉村公三郎監督、東映) 千羽鶴(1953年1月15日公開、吉村公三郎監督、大映) 女ひとり大地を行く(1953年2月20日公開、亀井文夫監督、炭勞北海道支部・キヌタプロダクション・北星映画) 村八分(1953年3月21日公開、今泉善珠監督、近代映画協会・現代ぷろだくしょん・北星) 欲望(1953年5月20日公開、吉村公三郎監督、大映) 君に捧げし命なりせば(1953年8月18日公開、若杉光夫監督、新映プロ・北星映画) 夜明け前(1953年10月13日公開、吉村公三郎監督、近代映画協会・劇団民藝・新東宝)※原作:島崎藤村 地の果てまで(1953年10月20日公開、久松静児監督、大映)※原作:フョードル・ドストエフスキー 足摺岬(1954年5月18日公開、吉村公三郎監督、近代映画協会・北星)※原作:田宮虎彦 泥だらけの青春(1954年9月21日公開、菅井一郎監督、日活) 若い人たち(1954年11月8日公開、吉村公三郎監督、近代映画協会・全銀連・新東宝) 愛すればこそ 第一話 花売り娘(1955年1月22日公開、吉村公三郎監督、独立映画) 銀座の女(1955年4月1日公開、吉村公三郎監督、日活) 姉妹(1955年4月10日公開、家城巳代治監督、中央映画・独立映画) 十九の花嫁(1955年4月13日公開、小石栄一監督、東映) 美女と怪龍(1955年10月3日公開、吉村公三郎監督、東映)- キネマ旬報ベストテン10位 母なき子(1955年12月4日公開、堀池清監督、日活) 赤穂浪士 天の巻 地の巻(1956年1月15日公開、松田定次監督、東映)※原作:大佛次郎 嫁ぐ日(1956年2月5日公開、吉村公三郎監督、近代映画協会・松竹) 病妻物語 あやに愛しき(1956年9月7日公開、宇野重吉監督、劇団民藝) 狙われた男(1956年9月11日公開、中平康監督、日活) のんき夫婦(1956年10月3日公開、杉江敏男監督、東京映画・東宝) 四十八歳の抵抗(1956年11月14日公開、吉村公三郎監督、大映) 多情仏心(1957年5月7日公開、小沢茂弘監督、東映) 倖せは俺等のねがい(1957年5月22日公開、宇野重吉監督、日活) ひかげの娘(1957年6月5日公開、松林宗恵監督、東京映画・東宝) 殺したのは誰だ(1957年7月3日公開、中平康監督、日活) うなぎとり(1957年10月1日公開、木村荘十二監督、歌舞伎座・近代映画協会・松竹) 美徳のよろめき(1957年10月29日公開、中平康監督、日活)※原作:三島由紀夫 地上(1957年11月22日公開、吉村公三郎監督、大映) 白鳥物語(1957年未公開作品、堀内甲監督、東映) 禁じられた唇(1958年1月3日公開、堀池清監督、日活) 氷壁(1958年3月18日公開、増村保造監督、大映)※原作:井上靖 夜の鼓(1958年4月15日公開、今井正監督、現代ぷろだくしょん・松竹)※原作:近松門左衛門 不敵な男(1958年9月7日公開、増村保造監督、大映) 一粒の麦(1958年9月14日公開、吉村公三郎監督、大映) 真夜中の顔(1958年9月30日公開、宇野重吉監督、歌舞伎座・松竹) 裸の太陽(1958年10月1日公開、家城巳代治監督、東映)※原作:氷室和敏 - キネマ旬報ベストテン5位 夜の素顔(1958年10月15日公開、吉村公三郎監督、大映) からたち日記(1959年4月14日公開、五所平之助監督、松竹) 才女気質(1959年4月15日公開、中平康監督、日活) その壁を砕け(1959年6月23日公開、中平康監督、日活) 電話は夕方に鳴る(1959年7月8日公開、吉村公三郎監督、大映) 貴族の階段(1959年10月18日公開、吉村公三郎監督、大映) 大いなる旅路(1960年3月8日公開、関川秀雄監督、東映) 国定忠治(1960年3月29日公開、谷口千吉監督、東宝) 路傍の石(1960年5月15日公開、久松静児監督、東京映画・東宝) 素敵な野郎(1960年6月15日公開、富本壮吉監督、大映) 女の坂(1960年6月17日公開、吉村公三郎監督、松竹) がんばれ! 盤嶽(1960年10月16日公開、松林宗恵監督、宝塚映画・東宝) 大いなる驀進(1960年11月8日公開、関川秀雄監督、東映) 松川事件(1961年2月8日公開、山本薩夫監督、松川事件劇映画製作委員会) 胎動期 私たちは天使じゃない(1961年4月12日公開、三輪彰監督、新東宝) 「挑戦」より 愛と炎と(1961年6月17日公開、須川栄三監督、東宝) 女の勲章(1961年6月28日公開、吉村公三郎監督、大映)※原作:山崎豊子 雲がちぎれる時(1961年7月9日公開、五所平之助監督、松竹) 背徳のメス(1961年8月6日公開、野村芳太郎監督、松竹)※原作:黒岩重吾 熱愛者(1961年8月29日公開、井上和男監督、松竹) 献身(1961年10月29日公開、田中重雄監督、大映) 家庭の事情(1962年1月3日公開、吉村公三郎監督、大映) 黒蜥蜴(1962年3月14日公開、井上梅次監督、大映)※原作:江戸川乱歩、原作戯曲:三島由紀夫 爛(ただれ)(1962年3月14日公開、増村保造監督、大映)※原作:徳田秋声 裁かれる越前守(1962年4月6日公開、田中徳三監督、大映)※原作:吉川英治 あの空の果てに星はまたたく(1962年5月20日公開、関川秀雄監督、東映) 青べか物語(1962年6月28日公開、川島雄三監督、東京映画・東宝)※原作:山本周五郎 斬る(1962年7月1日公開、三隅研次監督、大映)※原作:柴田錬三郎 鯨神(1962年7月15日公開、田中徳三監督、大映)※原作:宇能鴻一郎 当りや大将(1962年8月26日公開、中平康監督、日活) 地獄の刺客(1962年11月3日公開、池広一夫監督、大映) しとやかな獣(1962年12月26日公開、川島雄三監督、大映) - キネマ旬報ベストテン6位 嘘 第三話「女体」(1963年3月31日公開、衣笠貞之助監督、大映) 舞妓と暗殺者(1963年8月28日公開、三隅研次監督、大映) 海軍(1963年8月31日公開、村山新治監督、東映)※原作:岩田豊雄 傷だらけの山河(1964年4月4日公開、山本薩夫監督、大映)※原作:石川達三 - キネマ旬報ベストテン7位 駿河遊侠伝 賭場荒し(1964年6月5日公開、森一生監督、大映)※原作:子母沢寛 卍(1964年7月25日公開、増村保造監督、大映)※原作:谷崎潤一郎 沙羅の門(1964年10月14日公開、久松静児監督、宝塚映画・東宝)※原作:水上勉 肉体の盛装(1964年11月21日公開、村山新治監督、東映) 鼠小僧次郎吉(1965年4月3日公開、三隅研次監督、大映)※原作:大佛次郎 清作の妻(1965年6月25日公開、増村保造監督、大映)※原作:吉田絃二郎 刺青(1966年1月15日公開、増村保造監督、大映)※原作:谷崎潤一郎 酔いどれ博士(1966年6月4日公開、三隅研次監督、大映) 座頭市海を渡る(1966年8月13日公開、池広一夫監督、大映)※原作:子母沢寛 続・酔いどれ天使(1966年9月13日公開、井上昭監督、大映) けんかえれじい(1966年11月9日公開、鈴木清順監督、日活)※原作:鈴木隆 酔いどれ波止場(1966年12月24日公開、井上昭監督、大映) 限りある日を愛に生きて(1967年1月14日公開、田中重雄監督、大映)※原作:草薙実 妻二人(1967年4月15日公開、増村保造監督、大映)※原作:パトリック・クエンティン「二人の妻をもつ男」 堕落する女(1967年6月28日公開、吉村公三郎監督、近代映画協会・松竹) 華岡青洲の妻(1967年10月20日公開、増村保造監督、大映)※原作:有吉佐和子 - キネマ旬報ベストテン5位 眠れる美女(1968年1月31日公開、吉村公三郎監督、近代映画協会・松竹)※原作:川端康成 千羽鶴(1969年4月19日公開、増村保造監督、大映)※原作:川端康成 鬼の棲む館(1969年5月31日公開、三隅研次監督、大映)※原作:谷崎潤一郎 闇の中の魑魅魍魎(1971年6月19日公開、中平康監督、中平プロ・東宝)※原作:榎本滋民「血みどろ絵金」 激動の昭和史 沖縄決戦(1971年7月17日公開、岡本喜八監督、東宝) 甘い秘密(1971年8月25日公開、吉村公三郎監督、近代映画協会・松竹)※原作:徳田秋声 軍旗はためく下に(1972年3月12日公開、深作欣二監督、東宝・新星映画)※原作:結城昌治 - キネマ旬報ベストテン2位 混血児リカ(1972年11月26日公開、中平康監督、オフィス203・近代映画協会・東宝)※原作:凡天太郎 混血児リカ ひとりゆくさすらい旅(1973年4月7日公開、中平康監督、オフィス203・近代映画協会・東宝)※原作:凡天太郎 混血児リカ ハマぐれ子守唄(1973年6月23日公開、吉村公三郎監督、オフィス203・近代映画協会・東宝)※原作:凡天太郎 昭和枯れすすき(1975年6月7日公開、野村芳太郎監督、松竹)※原作:結城昌治 危険な関係(1978年3月18日公開、藤田敏八監督、日活)※原作:ラクロ 事件(1978年6月3日公開、野村芳太郎監督、松竹)※原作:大岡昇平 - キネマ旬報ベストテン4位、日本アカデミー賞最優秀脚本賞 配達されない三通の手紙(1979年10月6日公開、野村芳太郎監督、松竹)※原作:エラリー・クイーン 地震列島(1980年8月30日公開、大森健次郎監督、東宝映画・東宝)※原作:グループ915 遥かなる走路(1980年10月25日公開、佐藤純彌監督、日本シネセル・アビプロ・松竹) 蓮如とその母(1980年10月7日公開、川本喜八郎監督、「蓮如とその母」映画製作推進委員会)※原作:平井清隆 積木くずし(1983年11月3日公開、斎藤光正監督、東宝映画・東宝)※原作:穂積隆信 映画女優(1987年1月17日公開、市川崑監督、東宝映画・東宝) - キネマ旬報ベストテン5位 ハチ公物語(1987年8月1日公開、神山征二郎監督、東急グループ・三井物産・松竹グループ・松竹富士) ドンマイ(1990年3月3日公開、神山征二郎監督、テレビ東京・松竹) 東京交差点(1991年4月27日公開、松井稔・須藤公三・山本伊知郎監督、バーム) 遠き落日(1992年7月4日公開、神山征二郎監督、テレビ朝日・東急グループ・松竹グループ・松竹) 宮澤賢治 その愛(1996年9月14日公開、神山征二郎監督、松竹・三井物産) ユキエ(1998年2月14日公開、松井久子監督、エッセン・コミュニケーションズ・シネマ・クロッキオ・近代映画協会)※原作:吉目木晴彦 おもちゃ(1999年1月15日公開、深作欣二監督、東映・ライジングプロダクション) 完全なる飼育(1999年1月30日公開、和田勉監督、東京テアトル・丸紅・セディックインターナショナル)※原作:松田美智子 大河の一滴(2001年9月1日公開、神山征二郎監督、「大河の一滴」製作委員会・東宝)※原作・原案:五木寛之 陸に上った軍艦(2007年7月28日公開、山本保博監督、ピクチャーズネットワーク・パンドラ・シネマディスト)※証言も HACHI 約束の犬(2009年8月8日日本公開、ラッセ・ハルストレム監督、松竹) 恋の浮島(1935年6月26日公開、川手二郎監督、新興キネマ) - 美術 木曾情話(1935年8月8日公開、松崎博臣監督、新興キネマ) - 美術 武器なき人々(1936年2月21日公開、青山三郎監督、新興キネマ) - 美術 残月の歌(1936年5月7日公開、川手二郎監督、新興キネマ) - 美術 桜の園(1936年5月16日公開、村田実監督、新興キネマ) - 美術助手 椿は紅い(1936年5月29日公開、青山三郎監督、新興キネマ) - 美術 さらば外人部隊(1936年8月6日公開、伊奈精一監督、新興キネマ) - 美術 小間使日記(1936年10月9日公開、伊奈精一監督、新興キネマ) - 美術 町内の看板娘(1936年12月17日公開、落合吉人監督、新興キネマ) - 美術 初島田(1937年2月3日公開、伊奈精一監督、新興キネマ) - 美術 嬉しい夢(1937年3月25日公開、青山三郎監督、新興キネマ) - 美術 泣くな鴎よ(1937年4月8日公開、住吉健嗣監督、新興キネマ) - 美術 青空士官(1937年6月3日公開、落合吉人監督、新興キネマ) - 美術 乙女十九(1937年8月5日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 みだれ島田(1937年9月16日公開、伊奈精一監督、新興キネマ) - 美術 海軍爆撃隊(1937年9月23日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 鉄拳涙あり(1937年12月24日公開、伊奈精一監督、新興キネマ) - 美術 青春オリンピック(1938年3月15日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 トーチカ娘行状記(1938年4月7日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 男の魂(1938年5月12日公開、曽根千晴監督、新興キネマ) - 美術 エキストラの少女(1938年6月20日公開、三枝信太郎監督、新興キネマ) - 美術 妻の魂(1938年8月4日公開、曽根千晴監督、新興キネマ) - 美術 乙女ごころ(1938年8月31日公開、伊奈精一監督、新興キネマ) - 美術 姉ちゃんは母ちゃんは(1938年9月8日公開、須山真砂樹監督、新興キネマ) - 美術 貧しき者の幸福(1938年10月27日公開、沼波功雄監督、新興キネマ) - 美術 罪なき罪(1938年11月3日公開、須山真砂樹監督、新興キネマ) - 美術 若い女の危機(1938年12月8日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 評判五人娘(1939年1月7日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 熱血の道(1939年2月1日公開、曽根千晴監督、新興キネマ) - 美術 裁かるる女(1939年2月1日公開、沼波功雄監督、新興キネマ) - 美術 新婚お家騒動(1939年3月8日公開、沼波功雄監督、新興キネマ) - 美術 嵐に立つ女(1939年3月15日公開、青山三郎監督、新興キネマ) - 美術 女の魂(1939年4月1日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 愛憎の書(1939年5月18日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 海棠の歌(1939年6月15日公開、深田修造監督、新興キネマ) - 美術 泣き笑ひの天国(1939年6月22日公開、須山真砂樹監督、新興キネマ) - 美術 男一匹(1939年7月12日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 愛情一筋道(1939年9月7日公開、高木孝一監督、新興キネマ) - 美術 快男児(1939年9月某日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 仇なさけ(1939年11月23日公開、伊奈精一監督、新興キネマ) - 美術 岩に咲く花(1939年12月12日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 母恋千鳥(1939年12月24日公開、須山真砂樹監督、新興キネマ) - 美術 愛の記念日(1940年2月11日公開、伊奈精一監督、新興キネマ) - 美術 情熱の翼(1940年2月14日公開、小石栄一監督、新興キネマ) - 美術 妻より何処へ行く(1940年3月7日公開、須山真砂樹監督、新興キネマ) - 美術 母の願ひ(1940年4月18日公開、久松静児監督、新興キネマ) - 美術 玄界灘(1940年6月6日公開、原千秋監督、新興キネマ) - 美術 女性本願(1940年6月13日公開、田中重雄監督、新興キネマ) - 美術 悲運の姉妹(1940年7月25日公開、伊奈精一監督、新興キネマ) - 美術 元禄忠臣蔵 前篇(1941年12月1日公開、溝口健二監督、松竹) - 建築監督 元禄忠臣蔵 後篇(1942年2月11日公開、溝口健二監督、松竹) - 建築監督、キネマ旬報ベストテン7位 こころの山脈(1966年2月2日公開、吉村公三郎監督、本宮方式映画製作の会・近代映画協会・東宝) - 製作協力、キネマ旬報ベストテン8位 生きてはみたけれど 小津安二郎伝(1983年10月29日公開、井上和男監督、松竹) リツ子・その愛(1967年6月11日放送、阿部正春演出、TBS)※原作:檀一雄 天皇の世紀 第11・13回(1971年11月13日・11月27日放送、下村尭二・吉村公三郎監督、朝日放送)※原作:大佛次郎 新・座頭市 (第1シリーズ)(1976年 - 1977年放送、フジテレビ)※原作:子母沢寛 新・座頭市 (第2シリーズ)(1978年放送、フジテレビ)※原作:子母沢寛 あめゆきさん(1979年4月6日放送、今野勉演出、TBS)※原作:山崎朋子 新・座頭市 (第3シリーズ)(1979年放送、フジテレビ)※原作:子母沢寛 赤穂浪士 (1979年、テレビ朝日) 帝銀事件・大量殺人獄中32年の死刑囚(1980年1月26日、森崎東監督、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」枠)※原作:松本清張 沓掛時次郎(1981年4月17日放送、松尾昭典監督、フジテレビ)※原作:長谷川伸 考古学者シリーズ (1981年10月31日~1986年10月25日、齋藤武市監督、テレビ朝日) 5作品、(1987年5月2日~1995年4月29日、松島稔・山本迪夫監督(第15作のみ)、テレビ朝日) 13作品 石倉保志と共同脚本 芙蓉の人(1982年4月1日 - 4月2日放送、佐藤和哉演出、NHK)※原作:新田次郎 松本清張の風の息(1982年4月10日放送、貞永方久監督、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」枠)※原作:松本清張 素浪人罷り通る 去るも地獄残るも地獄(1983年2月18日放送、吉川一義監督、フジテレビ) 女たちの大坂城(1983年11月3日放送、荻野慶人・天野恒幸演出、日本テレビ) 黒い福音(1984年11月26日放送、増村保造監督、TBS)※原作:松本清張 ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる 第1・12・19回(1984年4月12日・6月28日・8月16日放送、森崎東・吉村公三郎・安作郎監督、テレビ朝日) 松本清張作家活動40年記念スペシャル・ゼロの焦点(1991年7月9日放送、日本テレビ「火曜サスペンス劇場」枠) いのちの響(TBS) 他多数 『ある映画監督 - 溝口健二と日本映画』(岩波新書) 『ある映画監督の生涯 -溝口健二の記録-』(映人社) 『「断腸亭日乗」を読む』(岩波現代文庫) 『小説 田中絹代』(読売新聞社、のち文春文庫) 『ながい二人の道 乙羽信子とともに』(東京新聞出版局) 『ひとり歩きの朝』(毎日新聞社) 『歳月は風の吹くままに』(朝日新聞社) 『シナリオ人生』(岩波新書) 『老人読書日記』(岩波新書) 『弔辞』(岩波新書) 『午後の遺言状』(岩波同時代ライブラリー) 『女の一生―杉村春子の生涯』(岩波書店) 『三文役者の死―正伝殿山泰司』(岩波現代文庫) 『追放者たち 映画のレッドパージ』(岩波書店) 『作劇術』(岩波書店) 『祭りの声 あるアメリカ移民の足跡』(岩波新書) 『愛妻記』(岩波現代文庫) 『新藤兼人の足跡』(著作集全6巻、岩波書店) 『ふくろう90歳の挑戦』(岩波アクティブ新書) 『日本シナリオ史』(上・下、岩波書店) 『いのちのレッスン』(青草書房) 『私の履歴書』 日本経済新聞連載
国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所 中川洋吉 『挫折する力 新藤兼人かく語りき』 (新潮社、2011年4月、白寿記念出版) 『日本映画・テレビ監督全集』(キネマ旬報社、1988年12月) 『映像の仕掛け人たち』黒井和男著(キネマ旬報社、1986年7月) 『日本の映画人 -日本映画の創造者たち-』佐藤忠男著(日外アソシエーツ、2007年6月) 乙羽信子(3人目の妻) - 女優 新藤次郎(次男) - 映画プロデューサー及び近代映画協会社長 新藤力也(孫、次郎の子息) - プロレス団体プロレスリングBASARAのリングアナウンサー 新藤風(孫、次郎の娘) - 映画監督 おのみち映画資料館 ^ “広島県名誉県民”. 広島県. 2022年7月12日閲覧。 ^ “広島市名誉市民”. 広島市. 2022年7月12日閲覧。 ^ “三原市名誉市民”. 三原市. 2022年7月12日閲覧。 ^ “<3> 青春時代 撮影所入り 粘って実現”. 中国新聞 (2009年8月20日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ “<2> 恩師 うそを戒める教え今も”. 中国新聞 (2009年8月19日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ “RCCが今日放送 尾道出身 映画作家の対談実現 「新藤兼人×大林宣彦」シネマ魂を”. (山陽日日新聞から転用) (2003年3月25日). 2016年4月5日閲覧。 ^ “新藤兼人監督が死去 反戦貫き人間愛描く 100歳”. 中国新聞 (2012年5月31日). 2015年11月8日閲覧。 ^ 『にほん風景物語』BS朝日、2013年10月1日放送 ^ “「新藤さんの遺志継ぐ」 大林監督 思い出語る”. 中国新聞 (2012年6月4日). 2015年11月7日閲覧。 ^ “<5> 「愛妻物語」 独立プロ設立し監督に”. 中国新聞 (2009年8月22日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ “<4> 戦争 人間性奪い家庭も破壊”. 中国新聞 (2009年8月21日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ “<6> 「原爆の子」 広島市あげて撮影応援”. 中国新聞 (2009年8月26日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ “<7> 「第五福竜丸」 「後世に証拠残す」意識”. 中国新聞 (2009年8月27日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ “<9> 「裸の島」 弱体「プロ」息吹き返す”. 中国新聞 (2009年9月1日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ “<13> 文化勲章 独立貫いた狭い道に光”. 中国新聞 (2009年9月5日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ “三原市名誉市民 新藤兼人”. 三原市 (2014年2月17日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月12日閲覧。 ^ “<10> 社会派 貧しさの実態 鋭く描写”. 中国新聞 (2009年9月2日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ https://moviewalker.jp/mv19529/ ^ http://movies.yahoo.co.jp/movie/北斎漫画/87399/ ^ “<11> 「午後の遺言状」 乙羽さん最期の名演技”. 中国新聞 (2009年9月3日). 2013年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。 ^ “第14回川喜多賞 新藤兼人氏”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2021年7月11日閲覧。 ^ “【第54回ブルーリボン賞】“最年少”芦田愛菜へ“最年長”新藤兼人監督がエール”. ORICONSTYLE. (2012年2月15日). http://life.oricon.co.jp/girls/news/2006978/ 2012年6月5日閲覧。 ^ “新藤兼人監督100歳祝う 「これが最後の言葉 ありがとう」”. 産経新聞. (2012年4月22日). http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120422/ent12042217190014-n1.htm 2012年5月30日閲覧。 ^ “訃報:新藤兼人さん100歳=映画監督・脚本家”. 毎日新聞. (2012年5月30日). オリジナルの2012年7月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20120710072659/http://mainichi.jp/select/news/20120530k0000e040252000c.html 2012年5月30日閲覧。 ^ “「裸の島」「鬼婆」、新藤兼人監督が死去”. 読売新聞. (2012年5月30日). http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120530-OYT1T00780.htm 2012年5月30日閲覧。 ^ 新藤兼人さん葬儀に400人…柄本明が弔辞 サンケイスポーツ 2012年6月4日閲覧 ^ 故新藤兼人氏に従三位 日刊スポーツ 2012年6月26日閲覧 ^ メンバーは小板橋次郎、真鍋繁樹、千葉仁ら。 新藤兼人 - allcinema 新藤兼人 - KINENOTE 新藤兼人 - 日本映画データベース Kaneto Shindô - IMDb(英語) 近代映画協会 新藤兼人賞 - ウェイバックマシン(2006年4月21日アーカイブ分) 新藤兼人 百年の軌跡 新藤兼人 - NHK人物録 ウィキメディア・コモンズには、新藤兼人に関するカテゴリがあります。 表 話 編 歴 愛妻物語 (1951年) 雪崩 (1952年) 原爆の子 (1952年) 縮図 (1953年) 女の一生 (1953年) どぶ (1954年) 狼 (1955年) 銀心中 (1956年) 流離の岸 (1956年) 女優 (1956年) 海の野郎ども (1957年) 悲しみは女だけに (1958年) 第五福竜丸 (1959年) 花嫁さんは世界一 (1959年) 裸の島 (1960年) 人間 (1962年) 母 (1963年) 鬼婆 (1964年) 悪党 (1965年) 本能 (1966年) 性の起原 (1967年) 藪の中の黒猫 (1968年) 強虫女と弱虫男 (1968年) かげろう (1969年) 触角 (1970年) 裸の十九才 (1970年) 鉄輪 (1972年) 讃歌 (1972年) 心 (1973年) わが道 (1974年) ある映画監督の生涯 溝口健二の記録 (1975年) 竹山ひとり旅 (1977年) ドキュメント8.6 (1977年) 絞殺 (1979年) 北斎漫画 (1981年) 地平線 (1984年) ブラックボード (1986年) 落葉樹 (1986年) さくら隊散る (1988年) 濹東綺譚 (1992年) 午後の遺言状 (1995年) 生きたい (1999年) 三文役者 (2000年) ふくろう (2004年) 石内尋常高等小学校 花は散れども (2008年) 一枚のハガキ (2011年) 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 表 話 編 歴 今井正(1950、1953、1956、1957) 小津安二郎(1951) 成瀬巳喜男(1952) 溝口健二(1954) 豊田四郎(1955) 田坂具隆(1958) 市川崑(1959) 市川崑(1960、1962) 伊藤大輔(1961) 今村昌平(1963) 勅使河原宏(1964) 山本薩夫(1965) 山田洋次(1966) 深作欣二(1975) 山根成之(1976) 山田洋次(1977) 野村芳太郎(1978) 今村昌平(1979) 鈴木清順(1980) 根岸吉太郎(1981) 深作欣二(1982) 森田芳光(1983) 伊丹十三(1984) 黒澤明(1985) 熊井啓(1986) 原一男(1987) 和田誠(1988) 舛田利雄(1989) 篠田正浩(1990) 北野武(1991、1996、1998) 周防正行(1992) 滝田洋二郎(1993) 神代辰巳(1994) 金子修介(1995) 原田眞人(1997) 大島渚(1999) 阪本順治(2000) 行定勲(2001) 崔洋一(2002) 森田芳光(2003) 是枝裕和(2004、2008) 佐藤純彌(2005) 西川美和(2006、2009) 周防正行(2007) 石井裕也(2010) 新藤兼人(2011) 内田けんじ(2012) 大森立嗣(2013) 呉美保(2014) 橋口亮輔(2015) 片渕須直(2016) 白石和彌(2017、2018) 真利子哲也(2019) 中野量太(2020) 西川美和(2021) 早川千絵(2022) 石井裕也(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 作品賞 監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 新人賞 表 話 編 歴 今井正(1946) 黒澤明(1947) 木下惠介(1948) 小津安二郎(1949) 吉村公三郎(1950) 成瀬巳喜男(1951) 渋谷実(1952) 今井正(1953) 木下惠介(1954) 成瀬巳喜男(1955) 今井正(1956) 今井正(1957) 木下惠介(1958) 山本薩夫(1959) 市川崑(1960) 小林正樹(1961) 市川崑(1962) 今村昌平(1963、1967) 勅使河原宏(1964) 内田吐夢(1965) 山本薩夫(1966) 岡本喜八(1968) 山田洋次(1969) 山本薩夫(1970) 篠田正浩、山田洋次(1971) 斎藤耕一(1972) 山田洋次(1973、1977) 野村芳太郎(1974) 新藤兼人(1975) 山本薩夫(1976) 野村芳太郎(1978) 長谷川和彦(1979) 黒澤明(1980、1985) 小栗康平(1981) 深作欣二(1982) 大島渚(1983) 伊丹十三(1984) 熊井啓(1986) 原一男(1987) 大林宣彦(1988) 舛田利雄(1989) 市川準(1990) 山田洋次(1991) 東陽一(1992) 市川準(1993) 神代辰巳(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 今村昌平(1997) 平山秀幸(1998) 森田芳光(1999) 阪本順治(2000) 宮崎駿(2001) 平山秀幸(2002) 崔洋一(2003) 黒木和雄(2004) 緒方明(2005) 根岸吉太郎(2006) 周防正行(2007) 若松孝二(2008) 園子温(2009) 三池崇史(2010) 富田克也(2011) 吉田大八(2012) 石井裕也(2013) 呉美保(2014) 塚本晋也(2015) 西川美和(2016) 富田克也(2017) 上田慎一郎(2018) 石川慶(2019) 河瀨直美(2020) 濱口竜介(2021) 三宅唱(2022) 石井裕也(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 表 話 編 歴 久板栄二郎(1946) 植草圭之助(1947) 伊丹万作(1948) 小津安二郎、野田高梧(1949) 新藤兼人(1950) 木下恵介(1951、1953) 黒澤明、橋本忍、小国英雄(1952) 木下惠介(1954) 八住利雄(1955) 橋本忍(1956、1958) 依田義賢(1957) 水木洋子(1959) 橋本忍(1960、1966) 松山善三(1961) 和田夏十(1962) 小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明(1963) 八木保太郎(1964) 鈴木尚之(1965) 山内久(1967) 今村昌平、長谷部慶次(1968) 田村孟(1969) 山田洋次、宮崎晃(1970) 佐々木守、大島渚(1971) 石森史郎(1972) 山田洋次、宮崎晃、朝間義隆(1973) 橋本忍、山田洋次(1974) 中島丈博(1975) 山田信夫(1976) 山田洋次、朝間義隆(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 田中陽造(1980) 倉本聰(1981) 古田求、野村芳太郎(1982) 大島渚/森田芳光(1983) 荒井晴彦、澤井信一郎(1984) 中上健次(1985) 内田裕也、高木功(1986) 伊丹十三(1987) 鎌田敏夫(1988) 松田寛夫(1989) 山田太一(1990) 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ(1991) 丸山昇一(1992) 崔洋一、鄭義信/松山善三(1993) 田中陽造(1994) 橋口亮輔(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 中島丈博(1998) 諏訪敦彦、三浦友和、渡辺真起子(1999) 山田洋次、朝間義隆、平松恵美子(2000) 宮藤官九郎(2001) 鄭義信(2002) 西川美和/深作健太、木田紀生(2003) 荒井晴彦(2004) 内田けんじ(2005) 加藤正人(2006) 渡辺あや(2007) 橋口亮輔(2008) 田中陽造(2009) 佐藤有記(2010) 新藤兼人(2011) ヤン・ヨンヒ(2012) 荒井晴彦(2013) 安藤桃子(2014) 原田眞人(2015) 向井康介(2016) 石井裕也(2017) 野尻克己(2018) 阪本順治(2019) 丸山昇一(2020) 𠮷田恵輔(2021) 早川千絵(2022) 阪本順治(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 表 話 編 歴 成瀬巳喜男(1955) 今井正(1956、1957、1959) 木下惠介(1958) 市川崑(1960、1962) 羽仁進(1961) 今村昌平(1963、1968) 勅使河原宏(1964) 黒澤明(1965) 山本薩夫(1966) 小林正樹(1967) 篠田正浩(1969) 山田洋次(1970、1977) 大島渚(1971) 熊井啓(1972) 斎藤耕一(1973) 熊井啓(1974) 新藤兼人(1975) 長谷川和彦(1976) 東陽一(1978) 今村昌平(1979) 鈴木清順(1980) 小栗康平(1981) 深作欣二(1982) 森田芳光(1983、1985) 伊丹十三(1984) 熊井啓(1986) 伊丹十三(1987) 黒木和雄(1988) 今村昌平(1989) 中原俊(1990) 山田洋次(1991) 周防正行(1992) 崔洋一(1993) 原一男(1994) 新藤兼人(1995) 小栗康平(1996) 望月六郎(1997) 平山秀幸(1998) 原田眞人(1999) 阪本順治(2000) 行定勲(2001) 山田洋次(2002) 黒木和雄(2003) 崔洋一(2004) 井筒和幸(2005) 根岸吉太郎(2006) 周防正行(2007) 滝田洋二郎(2008) 木村大作(2009) 李相日(2010) 園子温(2011) 周防正行(2012) 石井裕也(2013) 呉美保(2014) 橋口亮輔(2015) 片渕須直(2016) 大林宣彦(2017) 瀬々敬久(2018) 白石和彌(2019) 大林宣彦(2020) 濱口竜介(2021) 高橋伴明(2022) ヴィム・ヴェンダース(2023) 表 話 編 歴 八住利雄(1957) 橋本忍(1958) 和田夏十(1959) 橋本忍(1960、1966、1967) 水木洋子(1961、1964) 新藤兼人(1962) 今村昌平(1963) 熊井啓(1965) 田村孟/佐々木守/深尾道典/大島渚(1968) 田村孟(1969) 山田洋次/宮崎晃(1970) 大島渚/田村孟/佐々木守(1971) 神代辰巳(1972) 笠原和夫(1973) 橋本忍/山田洋次(1974) 中島丈博(1975) 田村孟(1976) 朝間義隆(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 田中陽造(1980) 倉本聰(1981) つかこうへい(1982) 森田芳光(1983、1986) 澤井信一郎/荒井晴彦(1984) 筒井ともみ(1985) 伊丹十三(1987) 荒井晴彦(1988) 依田義賢(1989) じんのひろあき(1990) 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ(1991) 石井隆(1992) 崔洋一/鄭義信(1993) 田中陽造(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 鄭義信(1998) 鈴木智/高杉良/木下麦(1999) 阪本順治/宇野イサム(2000) 宮藤官九郎(2001) 山田洋次/朝間義隆(2002) 荒井晴彦(2003) 崔洋一/鄭義信(2004) 内田けんじ(2005) 西川美和(2006、2009) 周防正行(2007) 小山薫堂(2008) 吉田修一/李相日(2010) 荒井晴彦/阪本順治(2011) 内田けんじ(2012) 荒井晴彦(2013) 高田亮(2014) 橋口亮輔(2015) 庵野秀明(2016) 石井裕也(2017) 相澤虎之助/瀬々敬久(2018) 阪本順治(2019) 濱口竜介/野原位/黒沢清(2020) 濱口竜介/大江崇允(2021) 梶原阿貴(2022) 阪本順治(2023) 表 話 編 歴 山田洋次(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 朝間義隆、山田洋次(1980) 倉本聰(1981) つかこうへい (1982) 高田宏治(1983) 伊丹十三(1984) 松田寛夫(1985) 神波史男(1986) 伊丹十三(1987) 市川森一(1988) 石堂淑朗、今村昌平(1989) 山田太一(1990) 岡本喜八(1991) 周防正行(1992) 山田洋次(1993) 古田求、深作欣二(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 鄭義信(1998) 岩間芳樹、降旗康男(1999) 黒澤明(2000) 宮藤官九郎(2001) 山田洋次、朝間義隆(2002) 筒井ともみ(2003) 矢口史靖(2004) 山崎貴、古沢良太(2005) 李相日(2006) 松尾スズキ(2007) 小山薫堂(2008) 西川美和(2009) 中島哲也(2010) 奥寺佐渡子(2011) 内田けんじ(2012) 渡辺謙作(2013) 土橋章宏(2014) 足立紳(2015) 新海誠(2016) 是枝裕和(2017) 是枝裕和(2018) 徳永友一(2019) 野木亜紀子(2020) 濱口竜介、大江崇允(2021) 向井康介(2022) 山崎貴(2023) 日本アカデミー賞 作品賞 監督賞 脚本賞 アニメーション作品賞 外国作品賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 音楽賞 表 話 編 歴 黒木和雄(1988) 今村昌平(1989) 神山征二郎(1990) 山田洋次(1991) 東陽一(1992) 崔洋一(1993) 深作欣二(1994) 新藤兼人(1995) 北野武(1996) 宮崎駿(1997) 平山秀幸(1998) 深作欣二(1999) 阪本順治(2000) 行定勲(2001) 山田洋次(2002) 北野武(2003) 黒木和雄(2004) 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IdRef 新藤兼人 日本の映画監督 日本の映画の脚本家 日本のテレビの脚本家 新興キネマの人物 松竹の人物 近代映画協会の人物 朝日賞受賞者 文化功労者 文化勲章受章者 従三位受位者 菊池寛賞受賞者 九条の会の人物 日本のセンテナリアン 私の履歴書の登場人物 広島市出身の人物 1912年生 2012年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータと異なるNHK人物録ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 DTBIO識別子が指定されている記事 Trove識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/03 19:12更新
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shindou kaneto
新藤兼人と同じ誕生日4月22日生まれ、同じ広島出身の人
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