もしもし情報局 > 1936年 > 7月16日 > 政治家

福田康夫の情報 (ふくだやすお)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

福田康夫の情報(ふくだやすお) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

福田 康夫さんについて調べます

■名前・氏名
福田 康夫
(読み:ふくだ やすお)
■職業
政治家
■福田康夫の誕生日・生年月日
1936年7月16日 (年齢88歳)
子年(ねずみ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和11年)1936年生まれの人の年齢早見表

福田康夫と同じ1936年生まれの有名人・芸能人

福田康夫と同じ7月16日生まれの有名人・芸能人

福田康夫と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


福田康夫と関係のある人

野呂田芳成: 2006年、2007年の首班指名選挙はいずれも欠席した(選出されたのはそれぞれ安倍晋三、福田康夫)。


フレドリック=ラインフェルト:


西村康稔: 経済産業大臣(第29代)、原子力経済被害担当大臣、GX実行推進担当大臣、産業競争力担当大臣、ロシア経済分野協力担当大臣、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)(第2次岸田第1次改造内閣・第2次岸田第2次改造内閣)、新型コロナウイルス感染症対策担当大臣(第4次安倍第2次改造内閣・菅義偉内閣)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)(第4次安倍第2次改造内閣・菅義偉内閣)、経済再生担当大臣(第4次安倍第2次改造内閣・菅義偉内閣)、全世代型社会保障改革担当大臣(第4次安倍第2次改造内閣・菅義偉内閣)、内閣官房副長官(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣)、内閣府副大臣(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、外務大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、衆議院内閣委員長、自由民主党兵庫県連会長、自由民主党総裁特別補佐、同筆頭副幹事長を歴任した。


越智隆雄: 父は元金融再生委員会委員長の越智通雄、祖父は第67代内閣総理大臣の福田赳夫、叔父は第91代内閣総理大臣の福田康夫


松村祥史: 経済産業副大臣(第3次安倍第2次改造内閣)、経済産業大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、参議院決算委員長、同政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、同議院運営委員長、同行政監視委員長、同環境委員長、自由民主党総務会長代理、同幹事長代理、同副幹事長、同広報本部長代理、同水産部会長を歴任した。


北村誠吾: 2008年、福田康夫改造内閣で防衛副大臣に就任、麻生内閣まで務める。


安倍晋三: 安倍の公約実現は絶望的となり、後任の首相である福田康夫が謝罪する事態となった。


森喜朗: 後任には当時森派の派閥会長だった小泉純一郎から推された福田康夫が就任した。


筑紫哲也: 「心おきなく話ができる友人」「権力とは一線を画すというジャーナリストの矜持を持っていた」(福田康夫


福田赳夫: これらの自民党右派のスタンスは岸派以来の伝統で、福田派の後継派閥である清和政策研究会出身の総理である森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫らに引き継がれている。


秋元司: 同年9月、福田康夫内閣で防衛大臣政務官に再任。


中野正志: 宮城県議会議員(3期)、衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、国土交通大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、経済産業副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、日本のこころ幹事長、同代表などを歴任。


岩城光英: 2007年8月、第1次安倍改造内閣で内閣官房副長官に任命され、福田康夫改造内閣まで務める。


額賀福志郎: ところが福田康夫の出馬が伝えられると、津島派の石破茂や船田元は福田を、また鳩山邦夫や久間章生は同じく出馬を表明していた麻生太郎幹事長への支持を表明したため、額賀自身は福田と政策協定を結ぶ形で出馬を断念した。福田康夫内閣でも財務大臣に再任され、翌年の内閣改造に伴い退任。


馳浩: 翌月に総裁が安倍晋三から福田康夫に交代したが引き続き留任した。


佐藤泰三: 50歳を超えてから初当選した自民党国会議員の会「クローニンの会」(知命立志会、会長は福田康夫)に所属。


五百旗頭真: 政府関係の委員として、小渕恵三首相時代に官邸に設置された有識者会議「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会(第1分科会)座長、小泉純一郎首相時代に設置された私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、福田康夫首相の私的懇談会である「外交政策勉強会」の座長、2007年(平成19年)12月に設立された政府の有識者会議である「防衛省改革会議」(2009年〈平成21年)10月に解体)委員を務めた。


志位和夫: それに答えて内閣総理大臣の福田康夫が厚生労働省の研究会に規制強化を検討させる考えを表明した。


伊藤哲朗: 警視総監退任後、日本道路交通情報センター理事長を務めた後、2008年5月、福田康夫内閣において内閣危機管理監に就任。


町村信孝: 衆議院議長(第75代)、内閣官房長官(第75代)、拉致問題担当大臣(福田康夫内閣)、外務大臣(第130・131・134代)、文部科学大臣(初代)、文部大臣(第124・129代)、科学技術庁長官(第62代)、原子力委員会委員長(第62代)、内閣総理大臣補佐官(教育改革担当)、衆議院議員(12期)を歴任した。


河村建夫: 1990年(平成2年)、引退する田中龍夫の後継で第39回衆議院議員総選挙に旧山口1区(定数4)から自民党公認で出馬し、当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・村田吉隆・簗瀬進・山本有二など)。


仙谷由人: なお民主党は、2007年11月14日に、労働保険審査会委員・運輸審議会委員・公害健康被害補償不服審査会委員の計3人の元官僚を、福田康夫首相が選任した際の国会同意人事については天下りを理由に不同意としている。


大野松茂: 50歳を超えてから初当選した自民党国会議員の会「クローニンの会」(知命立志会、会長は福田康夫)に所属。


麻生太郎: 2人中2位(1位は福田康夫)。


簗瀬進: 1990年、第39回衆議院議員総選挙に森山欽司の後継者として自由民主党公認で出馬して初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・小坂憲次・山本拓など)。


千野志麻: プライベートでは2006年、福田康夫の甥でゴールドマン・サックス社員(当時38歳)と結婚した。


大野松茂: 2007年9月 福田康夫内閣発足に伴い内閣官房副長官(政務担当)に再任。


秋葉賢也: 2007年、安倍改造内閣で総務大臣政務官(行政組織、公務員制度、年金問題、統計制度に係る諸問題等の担当)に任命され、福田康夫内閣まで務める。


野村哲郎: 農林水産大臣(第67代)、農林水産大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、参議院決算委員長、同政府開発援助等に関する特別委員長、同農林水産委員長、自由民主党政務調査会長代理などを歴任。


菅直人: 野党時代、菅は自著で自民党出身の首相が安倍晋三→福田康夫→麻生太郎と短期間で交代したことに対し「政策的に行き詰まったり、スキャンダルによって総理が内閣総辞職を決めた場合は、与党内で政権のたらいまわしをするのではなく、与党は次の総理候補を決めたうえで衆議院を解散し、野党も総理候補を明確にしたうえで総選挙に挑むべきだろう。


福田康夫の情報まとめ

もしもしロボ

福田 康夫(ふくだ やすお)さんの誕生日は1936年7月16日です。東京出身の政治家のようです。

もしもしロボ

卒業、退社、解散、引退、父親、結婚、病気、事件、現在、テレビ、趣味、映画に関する情報もありますね。福田康夫の現在の年齢は88歳のようです。

福田康夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

福田 康夫(ふくだ やすお、1936年〈昭和11年〉7月16日 - )は、日本の政治家。

衆議院議員(7期)、内閣官房長官(第67・68・69代)、沖縄開発庁長官(第41代)、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)、自由民主党総裁(第22代)、内閣総理大臣(第91代)を歴任した。

東京府東京市生まれで、群馬県高崎市育ち。大学卒業後、丸善石油株式会社に勤務し17年余りサラリーマン生活を送っていたが、40歳で退社し、政界入りする。父である福田赳夫の秘書を14年間務めた後、1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙において旧群馬3区から出馬し初当選を果たす。

第2次森内閣において内閣官房長官に抜擢され、続く小泉内閣でも官房長官を務めた。2004年(平成16年)、自身の年金未納が発覚したため、3年半余り務めた官房長官の職を引責辞任。在任期間は1289日、内閣官房長官として当時歴代最長在任記録を残した(2016年7月、第2次安倍内閣で内閣官房長官に就任した菅義偉に抜かれ、歴代2位となる)。ポスト小泉の候補として、安倍晋三の対立候補として総裁選への立候補が注目されたが、結局出馬しなかった。

2007年(平成19年)9月、安倍の突然の辞任劇の中、当初、後継総裁の最有力と見られた麻生太郎を抑え、自民党の大多数の派閥の支持を背景に2007年自由民主党総裁選挙に立候補する。麻生を破り、第22代自由民主党総裁に選出され、第91代内閣総理大臣に就任。史上初の親子二代での総理となった。2008年(平成20年)9月、内閣を総辞職し、内閣総理大臣・自民党総裁の職を辞した。2012年の衆議院選挙に出馬せず、同年11月に衆議院解散に伴い政界を引退した。

1936年(昭和11年)7月16日、東京府東京市世田谷区(現:東京都世田谷区)に大蔵官僚、福田赳夫、三枝の長男として生まれる。小学校進学前に父親が中華民国汪兆銘政権の財政顧問を務めていた関係で3ヶ月、南京に住み生活し南京に対するあこがれや望郷の思いを抱く。戦時中、父の実家の群馬県群馬郡金古町(後に群馬町、現:高崎市)に疎開していた。金古町立金古小学校(現、高崎市立金古小学校)、大宮市立南小学校(現:さいたま市立大宮南小学校)、東京高等師範附属小学校(現:筑波大学附属小学校)、渋谷区立猿楽小学校などに学ぶ。1949年(昭和24年)3月、東京第一師範学校男子部附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)卒業。小学生時代の福田は野球の好きなスポーツ少年で、在中国大使を務めた谷野作太郎とはこのときから交流があった。

1952年(昭和27年)3月、麻布中学校、1955年(昭和30年)3月、麻布高等学校卒業。中高時代は文学や音楽に親しみ、成績は優秀であった。同級生には声優の柴田秀勝や、物流大手のサンリツ会長の三浦正英などがいる。

1959年(昭和34年)3月、早稲田大学第一政治経済学部経済学科を卒業。大阪に本社を置く丸善石油(現:コスモ石油)に入社し、1962年(昭和37年)3月から2年間、米国ロサンゼルス支店に赴任。帰国後に石油製品の輸入課長も務め、石油の価格、量の動向の予測、判断、産地国からの石油調達の輸入業務などを行っていた。このときオイルショック(第1次、1973年)を経験している。

1966年(昭和41年)に元衆議院議長桜内義雄の姪の嶺貴代子に、「政治家の女房にはしない」と誓い結婚

政界入りはしないとしていた福田だが、父の後継者とされた次男で養子に出した横手征夫が病気となり、母三枝が後継者に推したこともあって、政治家を志す。1976年11月に会社を辞め、衆議院議員秘書となり、1977年12月から1年間、父・赳夫の内閣総理大臣秘書官を務める。事務担当秘書官には、保田博、棚橋祐治、小和田恆らがいた。このことで、議員になる前より外務省にパイプができた。秘書官として、日中平和友好条約へ向けた中国、アメリカとの舞台裏交渉に関与した。1990年2月に第39回衆議院議員総選挙で、群馬3区から出馬して当選(小選挙区制導入後は群馬4区選出)。

初当選後の取材で「二世批判はあるでしょうが、政治家の息子とはいえ私は50歳代。独立した一人の人間として見ていただきたい」と語っていたが、「おじいちゃんのあとを継いだおじいちゃんだから」「あの年寄り(父・赳夫)と一緒にしないでよ」などと漏らしてもいた。連続7回当選する。50歳以上初当選組のクローニンの会に所属している。

議員としては、外務政務次官、党外交部会長を務めるなど、初入閣までは主として外交関係のポストで地歩を築いていった。

2000年10月、第2次森内閣でスキャンダルで辞任に追い込まれた中川秀直に代わり、内閣官房長官および沖縄開発庁長官に就任する。後任人事として小泉純一郎、尾身幸次、町村信孝が挙げられていたが、当時森派会長だった小泉が「本人の能力、人間性、人格などすべてを勘案し、今の時点で一番適任」と考え推薦した。福田起用に関する協議はほぼ森首相と小泉の二人だけで行われたことから、党幹事長にもかかわらず相談を受けなかった野中広務は「私を取るか小泉氏を取るか」と怒りを顕わにした。これに対し小泉は「大人気ない」と一蹴した。福田はこの時点で閣僚経験が皆無だったため、官房長官への起用には疑問の声も上がったが、父親の首相時代に首相秘書官を務めていた経験が生き、無難に調整役を務めた。森の失言の度に福田が会見でとりなし騒動を収めるというパターンが出来上がり、「弁明長官」と呼ばれた。

2000年12月の第2次森改造内閣(中央省庁再編前)において内閣官房長官に留任し、沖縄開発庁長官は退任。翌年1月に成立した第2次森改造内閣(中央省庁再編後)で内閣官房長官および男女共同参画担当大臣に就任した。

2001年4月に組閣した第1次小泉内閣において引き続き内閣官房長官および男女共同参画担当大臣に就任した。2002年9月の内閣改造により成立した第1次小泉第1次改造内閣でも、引き続き内閣官房長官および男女共同参画担当大臣に留任した。2003年9月の内閣改造により成立した第1次小泉第2次改造内閣では、内閣官房長官に留任するとともに、男女共同参画担当大臣の改称により設置された内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)に就任した。

森政権に引き続き小泉政権においても2度にわたる内閣改造で留任し在任期間が延びるにつれ、首相に直言できる女房役としての存在感は次第に増していくことになった。官房長官の記者会見で垣間見える冷笑的態度から、ネットの匿名掲示板では「フフン」というあだ名がついた。

官邸主導の政治体制が確立していく中で、政府各省や与党との調整に力を発揮した上、本来の得意分野である外交における存在感も徐々に増していった。小泉内閣では、外務大臣田中眞紀子と外務省官僚との軋轢を巡る騒動の中で外務省が機能不全に陥った時は、大臣の頭越しに自ら外務省事務方への指示を行った。これにより、外務官僚が外務大臣よりもまず官邸に赴くことが常態化したため、「影の外務大臣」などと囁かれた。騒動の末小泉は田中を更迭し、後任に川口順子を起用する。これは、引き続き官邸外交は福田に任せたい小泉の意向であった。川口は民間人閣僚のため与党内に基盤を持たず、外務省との調整は官房長官の福田が事実上取り仕切ったためである。

男女共同参画担当大臣を兼任し、「2020年までにあらゆる分野の指導的地位に占める女性の割合を30%にする」という数値目標などを掲げた。また、沖縄開発庁長官として沖縄科学技術大学院大学の設立構想で関係閣僚会合を開くなどして主導、女子暴行事件の容疑者引渡し交渉など米兵による事件にも対応した。こうした経験から、首相就任時に沖縄に関して理解を示す期待が一部でされた。ハンセン病補償法訴訟の控訴断念にも一役買い(後述)、政府の公式謝罪をした。

中国や韓国などの靖国神社参拝に反対している国の意見などにも一定の配慮をすべきこと、憲法改正には周辺国の理解が必要と主張していることなどから、保守派の一部から「親中派」、「媚中派」などと批判されることもある。特に、『文藝春秋』とその系列メディアが官房長官在任期間中ほぼ毎回福田批判記事を掲載したことに激怒し、『文藝春秋』から政府広報の広告を引き上げさせたとの報道も一部でなされた(実際、2004年から数ヶ月間、『文藝春秋』の誌面から政府広報が一切無くなった)。

2004年4月、内閣官房長官の在任記録が1259日となり、それまで歴代1位だった保利茂の在任記録を更新し、会見で「秘密主義長官、影の外務大臣、影の防衛庁長官。いろいろ名前はありますが、まあ、しょせん影ですから」と語った(内閣官房長官在任記録は後に菅義偉に更新され、現在は歴代2位)。

4月28日に「(国民年金保険料を払っているか否かの公表は)個人情報でそういうものを開示すべきではない」、「犯罪ですか?」云々との旨の本人発言直後に、保険料未納が発覚する。当初未納期間は、1990年2月から1992年9月の間と、1995年8月から1995年12月までの間の合計3年1ヶ月間となっていたが、辞任直前、週刊文春が1976年11月から1990年2月までの間のうち、5年8ヶ月間も同じく未納であったことを報じた。

2004年5月7日 定例記者会見の席で官房長官の辞任を表明。在任日数1289日。「風のごとく来りて、風のごとく去るということだ」との言葉を残して官邸を去った。

年金未納が発覚して小泉内閣の官房長官を辞任した後は、政権と距離を置き、第3次小泉改造内閣にも入閣しなかったために、小泉内閣に批判的な一部政治家やマスコミ・知識人などの自民党内外の諸勢力の間に総理総裁就任待望論があり、小泉の2006年9月の総裁任期満了を控え「ポスト小泉」有力候補(俗に言う麻垣康三)の一人に挙げられてきた。

事前の各種世論調査において次期自民党総裁・首相として、安倍晋三に次ぐ支持率を得ることが多く、安倍に次いで次期首相の座に近い立場にあると目され、安倍への対抗馬の筆頭として注目を集めていた。アジア外交などについて小泉内閣の路線を踏襲する色合いの強い安倍に対して、アジア重視の姿勢を見せるなど対立軸を提示し、政権への意欲ともとれる動きも見せていたが、2006年7月21日、総裁選への不出馬を正式に表明。引退の意向すら漏らしたとも伝えられ、出馬を期待していた勢力からは失望の声が聞かれた。これを受け「ポスト小泉」の総裁選は、安倍の大勝に終わった。

安倍内閣においての要職起用は無く、表立った活動は少なかった。2007年6月には党住宅土地調査会会長として「200年住宅ビジョン」を発表したことが話題となった。与党が大きく議席を減らした2007年7月の参院選後は、8月27日の内閣改造人事における起用が取り沙汰されたが、実現しなかった。

しかし、7月の群馬県知事選挙では、自民党候補の大沢正明の選挙対策本部長を務めて当選に導き、そのリーダーシップを発揮した。

2007年9月12日に安倍晋三が内閣総理大臣、自由民主党総裁の辞任を表明し、その翌13日、福田に自由民主党総裁選挙への出馬意思があると報道され、自身も出馬の方針を示した。

15日、自由民主党総裁選挙に立候補の届出をした。対立候補として麻生太郎が立候補したが、町村派含めたほぼすべての派閥(事実上、麻生派以外の全派閥)が福田支持を決定しており、圧倒的優位が伝えられていたが、実際は各派閥の所属議員に対する拘束力が弱まっており圧倒的ではなかった。

9月23日実施の自民党総裁選において330票(麻生:197票 無効票:1 計528票)を獲得し当選。第22代自民党総裁に就任。

2007年9月25日に開かれた内閣総理大臣指名選挙(首班指名選挙)において、与党が過半数を占める衆議院では圧倒的多数で指名されるが、逆に野党が過半数を占める参議院では、民主党の小沢一郎が指名されるという“ねじれ国会”(逆転国会)の象徴的現象が起きた。両院協議会が開催されるが議論はまとまらず、法規に則り衆議院の議決が国会の議決となり、福田が内閣総理大臣に指名された。内閣の組閣に当たり、記者会見で福田は、「一歩でも違えば、自民党が政権を失う可能性もある」と指摘した上で、「背水の陣内閣」と自身の内閣を命名した。

翌9月26日に、宮中での親任式を経て正式に第91代内閣総理大臣に就任し(福田康夫内閣)、日本憲政史上初の親子での総理大臣就任となった。就任年齢となる71歳は、奇しくも父・赳夫が首相に就任した年齢と同じ(赳夫は71歳11ヶ月と10日、康夫は71歳2ヶ月と10日)である。

同年11月、福田と民主党代表小沢一郎との間で大連立構想が模索されたが頓挫し、一時は小沢が代表辞任を表明するなど混乱したが、その後、与野党は対決姿勢を強めることになった。第169回国会では、問責決議が1998年10月16日の額賀福志郎以来10年ぶりに参議院で可決されたが、翌日には内閣信任決議が衆議院で可決された。なお、首相への問責決議案が国会で可決されたのは、田中義一、吉田茂に続き3人目であり、日本国憲法下で参議院からは初である。

2008年8月2日、内閣改造により福田改造内閣が発足した。それに併せて、麻生太郎を幹事長に指名するなど、自由民主党執行部の人事も刷新した。閣僚の参議院枠は参議院自民党の推薦に基づき選抜するのが慣例だが、今回の組閣では参議院会長尾辻秀久による推薦を一切無視し、福田の独断で林芳正や中山恭子らを入閣させ舛添要一を留任させた。また、副大臣も党執行部の推薦に基づく選抜が慣例だが、今回は党からの推薦が差し戻され、閣僚経験者の鴨下一郎らが起用された。また、内閣総理大臣補佐官は、渡海紀三朗が新たに起用されたため全員が閣僚経験者となった。

2008年9月1日、午後9時30分より緊急記者会見を開催し、その席上、「内閣総理大臣・自由民主党総裁を辞職する」ことを表明した。退陣の理由として「国民生活の為に、新しい布陣で政策実現を期してもらいたい」ということを述べた。

2008年9月24日、内閣総辞職。なお、国政選挙の結果を経ずに成立し、かつ在任中に大型国政選挙が無かったのは羽田内閣以来となる。

内閣総理大臣退任後、インター・アクション・カウンシルのメンバーに就任し、2009年の総会ではヘルムート・シュミット、ジャン・クレティエンらと世界金融危機など政治経済の国際的な諸問題について討議した。また、麻生政権にて度々特派大使として各国を訪問し、日本の国際連合安全保障理事会常任理事国入りに理解を求めるなど、協力関係の構築を進めている。2009年7月の天皇・皇后北米歴訪の際は福田が首席随員に選任され、明仁天皇、美智子皇后に随伴しカナダやアメリカ合衆国ハワイ州を訪問した。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党新人で元フジテレビ社員の三宅雪子に苦戦を強いられた。しかも、当時73歳だった福田は党の内規により重複立候補ができなかったため、一時は落選の報も流れたが、結果として福田が三宅を小選挙区で破り7回目の当選を果たした(三宅は比例代表北関東ブロックで復活当選している)。

2010年4月、世界経済フォーラムのアジア版として中華人民共和国で設立されたボアオ・アジア・フォーラムの年次総会にて、フィデル・ラモスの後任として理事長に選出された。

人口問題をライフワークとすることから、アジア人口・開発協会の理事長に就任するとともに、25か国の国会議員らで構成する「人口と開発に関するアジア議員フォーラム」にて議長を務めている。同フォーラムは各国で立法作業の支援活動を展開しており、それらの活動が評価され国際連合人口賞(団体部門)を受賞した。2010年6月、福田は国際連合本部ビルに招かれ、国際連合副事務総長のアシャ=ローズ・ミギロからメダルを授与された。

2010年の防衛大学校開校記念祭観閲式には、横須賀市の市長である吉田雄人らとともに来賓として出席した。

麻生内閣の退陣と鳩山由紀夫内閣の成立により福田は一介の国会議員となったが、その経験を買われ、当時の民主党政権側から助力を求められることも多かった。2010年10月には、内閣総理大臣の菅直人に助言を請われ、アジア太平洋経済協力など外交分野について指南した。

2012年9月26日の自由民主党総裁選挙終了後に地元選挙区の後援会会合に出席、その後に「次期衆議院議員総選挙に出馬せず、今期限りで議員を引退する」意思を表明した。同年11月16日の衆議院解散に伴い、衆議院議員を退任した。退任に際して、衆議院を解散した内閣総理大臣野田佳彦について「解散しなければいけないと分かりながら、引き延ばした。その間政治が停滞した。行政も予算編成も止まり、特に経済は相当な影響を受けた」と厳しく批判するとともに「政権交代が結果的に失敗だったことが、明白になった」と総括した。また、自身の政治活動を振り返り「『正しい政治をしたい』、そういう気持ちだけでやってきた。日本全体と多くの人に良い結果をもたらすような精神を貫いていきたい」と語った。

同年11月に自由民主党群馬県第四区支部の党員大会が開催され、後任として長男の福田達夫の支部長就任が承認された。

ネルソン・マンデラの死去に際し、2013年12月9日に「故ネルソン・ロリシュラシュラ・マンデラ元南アフリカ共和国大統領の追悼式に参列する特派大使」に任命された。それに伴い南アフリカ共和国に渡航し、皇太子徳仁親王らとともにマンデラの追悼式に出席した。なお、同月24日まで特派大使を務めた。

2014年7月27日、北京を訪問し習近平主席と極秘の会談を行ったことが明らかにされた。

2015年1月25日、サウジアラビアの6代目アブドラ国王が死去したことにより、皇太子とともに特派大使として弔問に派遣された。

2018年4月、ボアオ・アジア・フォーラムの年次総会にて、理事長を元国際連合事務総長の潘基文に交代し、諮問委員会主席に就任した。

2022年7月12日、安倍晋三の葬儀に出席した。

安倍晋三首相と朴槿恵大統領の首脳会談も開かれない状態だった2014年の東京都の日韓交流のための祭りで福田は「互い(日韓)の心が通じる関係を確実につくっていかなければならない。」と日韓友好を訴えた。2017年8月末には安倍晋三を「よくやっている。資質もある方。」と評価する一方で、日本政府が米韓と連携して北朝鮮への圧力強化する方針については「日米韓連合で中国包囲網の形式になる懸念が中国にはある。中国政府と話さないと北朝鮮問題の解決の道は出てこない」と述べた。靖国神社参拝については「日本の首相が靖国神社に参拝しないことで、日本のマスコミが騒がなければ何も問題は起きない」との持論も語った。

2007年の自民党総裁選挙で、「希望と安心のくにづくり」、「改革を進め、その先にめざす社会」として次のような基本理念を示した。なお、「自立と共生」は10年前から新生党、旧民主党の理念として使われており、民主党代表の小沢一郎は「ずっと昔から僕が使っていた言葉を何かおっしゃっているみたいに感じた」と話している。

一方、福田は2007年10月21日の早稲田大学創立125周年記念式典にて、「自立と共生」は大隈重信が125年前に既に考えていたことだと発言したが、この発言に小沢への切り返しの意図があったのかは不明である。

自立と共生の社会

ストック型(持続可能)の社会

男女共同参画社会

前任の安倍晋三と比べると、多国間の協調を重視する姿勢が強いと評価されている。しかし、一方で他国に過大な配慮を行っているとの批判もあり、全方位土下座外交と呼ばれることもある。

ASEAN共同体実現への断固支持

日米同盟の強化

平和協力国家として尽力

知的・世代的交流インフラの育成・強化

気候変動との闘い

革新技術の開発と既存先進技術の普及

国全体を低炭素化へ動かしていくための仕組み

地方の活躍

国民主役の低炭素化

身長171cm、体重70kg。趣味はベルリオーズ、バルトーク、シューベルトなどのクラシックの鑑賞。中学2年の時にベートーヴェンの交響曲第5番のレコードを貰ったことがきっかけである。好物は蕎麦、うどん、カレーライス、肉類。ワイン通としても知られる。勝海舟が好きで、歴史小説を中心に多くの本を読む。座右の銘は「誠実に日々一生懸命」、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」(勝海舟)。スポーツが好きで、若いころは登山、スキー、ゴルフ、ボウリングなどをしていた。現在の唯一のスポーツは速歩である。好きな映画としては『黄色いリボン』などの西部劇、俳優としては高峰秀子や藤原紀香を挙げている。愛犬家でありウェルシュ・コーギーを首相公邸で飼育している。サラリーマン時代の米国赴任の経験から英語が堪能。環境に配慮し、天然ガス自動車に乗っている。

冷静沈着な風貌で、会見時の冷笑的態度がよく知られていたが、実際には瞬間湯沸かし器といわれるほど激昂家である。官房長官時代は官房副長官を務めた安倍晋三の上司であったが、日本人拉致問題で帰国した被害者をいったん帰す意向であった福田に安倍が反発。この際「余計なことはするな」と机を蹴り上げて安倍を叱責したという。その他、官邸の官房長官執務室で大仁田厚に対し「大仁田君、政治は男のロマンだ。ファイヤー」と説くなど、ときに熱血漢ぶりを発揮することもある。政敵の菅直人は、官房長官時代の福田について「斜に構えているが泥をかぶってもやり遂げるというところがあった。小泉首相・福田官房長官というのは中曽根首相・後藤田官房長官を思わせる」と評している。脚本家の三谷幸喜は、当時の菅と福田を対比し、福田の物言いについて「明らかに面白いことを言おうという意思がうかがえ、しかも確実に面白いことを言っている」と評した。坪内祐三も「福田さんのブラックジョークが好きだった」としている。

自民党の数少ない外交族である。政界において外交は票に繋がらないというのが定説の中、父から継いだ強固な地盤で選挙には絶対の自信を持っていたためである。田中が外相時に外交が著しく停滞する中、官房長官として外務省を直接取り仕切り破綻を防いだ。これを小泉が高く評価し、後任の川口時代も実際に外務を取り仕切ることとなった。

小泉政権で福田と共に閣僚を務めた竹中平蔵は、首相就任後の福田について、クールアース推進構想での数値目標導入、公務員制度改革での内閣人事庁の新設、道路特定財源の一般財源化表明などを例示し「一カ月に一回くらい結構大きな決断をしている」と指摘し「福田総理は改革に後ろ向きであるわけではない」としている。同時に、竹中は福田政権の問題点として、福田によるプロアクティブな改革への取り組みを国民はリアクティブな改革として受け止めていると指摘し、「『政策マーケティング』に問題あり」と評している。福田政権で内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)を務めた伊藤達也は「福田氏は厚労省改革で強い指導力をみせた」と評価した上で、福田は手柄を独り占めしようとせず「手柄を全部われわれに与えようとする」と指摘し「目立とうとしない政治家は珍しい」と評している。慶應義塾大学環境情報学部教授の福田和也は、公文書管理体制の強化を推進した福田について「あの人まじめだから、役所の記録とかを几帳面にきちんと文書化して残してるんだよ。きっと50年後の研究者はすごく助かると思う」と指摘している。

言語学者の東照二は、福田は情報を伝える効果をもつリポート・トークと呼ばれる話し方を得意とする一方、他人に感情を伝え、相手との共感を高める効果をもつラポート・トークと呼ばれる話し方が「できていない、どうしていいかわからない」人物であると指摘している。また東は、情報中心の言葉を多く使う福田が情緒中心の言葉を使う場面は往々にしてラポート・トークに結びつく「共感」「仲間意識」ではなく「怒り」「恐怖」「不満」を表明するときだとも指摘し、マスコミが福田の発言スタイルを「他人事節」と名付けたのは、「個人の強い思い入れ、心の底から湧いてくるような熱い思い、積極的な態度というものが浮かび上がってこない」特徴を指したものだとしている。

1936年7月16日 - 東京府東京市に生まれる。

1949年3月 - 東京第一師範学校男子部附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)卒業

1952年3月 - 麻布中学校卒業

1955年3月 - 麻布高等学校卒業

1959年3月 - 早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業、丸善石油(現:コスモ石油)入社。

1962年3月 - アメリカ合衆国駐在(2年間)。

1976年11月 - 退社し、衆議院議員秘書となる。

1977年12月 - 内閣総理大臣秘書官に就任(1978年12月退任)。

1986年5月 - 社団法人金融財政事情研究会理事に就任(1994年2月退任)。

1990年2月 - 第39回衆議院議員総選挙で初当選(1期)。

1992年6月 - 衆議院外務委員会理事に就任(1999年10月退任)。

1993年

    4月 - 日本スリランカ協会会長に就任(2000年10月退任)。

    7月 - 第40回衆議院議員総選挙で再選(2期)。

    1995年8月 - 外務政務次官に就任(1996年1月退任)。

    1996年

      10月 - 第41回衆議院議員総選挙で再選(3期)。

      11月 - 自由民主党外交部会長に就任。

      1997年

        9月 - 自由民主党副幹事長に就任。

        11月 - 日本イエメン協会会長に就任(2000年10月退任)。

        1998年8月 - 自由民主党財務委員長に就任。

        1999年10月 - 自由民主党経理局長に就任。

        2000年

          6月 - 第42回衆議院議員総選挙で再選(4期)。

          7月 - 自由民主党政務調査会副会長に就任。

          10月 - 第2次森内閣で内閣官房長官、沖縄開発庁長官に就任。

          12月 - 第2次森改造内閣(省庁再編前)で内閣官房長官に留任。

          2001年

            1月 - 第2次森改造内閣(省庁再編後)で内閣官房長官に留任、男女共同参画担当大臣に就任。

            4月 - 第1次小泉内閣で内閣官房長官、男女共同参画担当大臣に留任。

            2002年9月 - 第1次小泉内閣第1次改造内閣で内閣官房長官、男女共同参画担当大臣に留任。

            2003年

              9月 - 第1次小泉内閣第2次改造内閣で内閣官房長官に留任、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)に就任。

              11月 - 第43回衆議院議員総選挙で再選(5期)。第2次小泉内閣で内閣官房長官、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)に留任。

              2004年

                6月 - 衆議院憲法調査会幹事、日本スリランカ協会会長に就任。

                7月 - 財団法人日本インドネシア協会会長に就任。

                2004年5月7日 - 定例記者会見の席で内閣官房長官、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)の辞任を表明。

                2005年

                  1月 - 自由民主党新憲法起草委員会安全保障及び非常事態に関する小委員会委員長に就任。

                  3月 - 財団法人日本ユースホステル協会会長に就任。

                  6月 - 社団法人日本カヌー連盟会長に就任。

                  9月 - 第44回衆議院議員総選挙で再選(6期)。

                  2006年10月 - 自由民主党総務に就任。

                  2007年

                    9月23日 - 第22代自由民主党総裁に就任。

                    9月25日 - 国会で第91代内閣総理大臣に指名。

                    9月26日 - 宮中に参内し、親任式および閣僚の認証式を経て福田康夫内閣を発足。

                    2008年

                      9月1日 - 内閣総理大臣官邸にて辞任表明。

                      9月24日 - 福田康夫内閣が総辞職。

                      2009年8月 - 第45回衆議院議員総選挙で再選(7期)。

                      2012年

                        9月26日 - 第46回衆議院議員総選挙への不出馬を表明。

                        11月26日 - 任期満了に伴い衆議院議員を退職。

                        2013年12月9日 - 故ネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領の追悼式に参列する特派大使に就任(同月24日退任)。

                        クローニンの会(知命立志会)- 代表

                        公文書館推進議員懇談会 - 代表世話人

                        人口と開発に関するアジア議員フォーラム - 議長

                        天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟 - 顧問

                        日米平和・文化交流協会 - 理事(2005年 - 2007年)

                        日本会議国会議員懇談会

                        北京オリンピックを支援する議員の会 - 副会長

                        ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟 - 顧問

                        みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会

                        国立追悼施設を考える会

                        祖父・福田善治(政治家、金古町町長)

                        父・福田赳夫(官僚、政治家、内閣総理大臣)

                        母・三枝(群馬県、新井文夫の三女、大審院判事新井善教の孫娘)

                        弟・横手征夫(群馬県の伊香保温泉横手館へ養子入り)

                        伯父・福田平四郎(政治家、金古町町長)

                        叔父・福田宏一(政治家)

                        岳父・嶺駒夫(実業家)

                        義祖父・櫻内幸雄(政治家)

                        義伯父・櫻内乾雄(実業家、中国電力会長)、櫻内義雄(実業家・政治家、衆議院議長)

                        妻・貴代子(宮城県、実業家嶺駒夫の娘 島根県士族櫻内和一郎の曾孫、政治家櫻内幸雄の孫娘)

                        長男・達夫(自由民主党総務会長)

                        孫・

                        次男・長女

                        義兄・越智通雄(官僚、政治家)、斎藤明(毎日新聞社会長)

                        甥・越智隆雄(銀行員、政治家)

                        甥・横手真一(ゴールドマン・サックス社員)

                        義姪・千野志麻(元フリーアナウンサー 甥・真一の妻)

                        甥・横手誠二(横手館社長)

                        福田氏

                        宏池会(池田派 → 前尾派 → 大平派 → 鈴木派 → 宮澤派) → 木曜研究会(加藤派 → 小里派 → 谷垣派 → 古賀派に合流×) 、※新財政研究会(堀内派 → 丹羽・古賀派) → 宏池政策研究会(古賀派 → 岸田派 → ×)、※大勇会(河野派) → 為公会(麻生派) → 志公会(麻生派)、※有隣会(谷垣グループ → ×)

                        平成研究会(木曜研究会系)

                        木曜研究会(佐藤派) → 周山会(佐藤派) → 周山クラブ(保利グループ → 福田派に合流×)、※七日会(田中派) → 政治同友会(田中派) → 木曜クラブ(田中派 → 二階堂派 → ×)、※経世会(竹下(登)派 → 小渕派) → 平成政治研究会(小渕派) → 平成研究会(小渕派 → 橋本派 → 津島派 → 額賀派 → 竹下(亘)派 → 茂木派)、※改革フォーラム21(羽田・小沢派 → 新生党に合流×)

                        水曜会

                        水曜会(緒方派 → 石井派 → ×)

                        白政会

                        白政会(大野派) → 睦政会(大野派) → 一新会(船田派 → ×)、※一陽会(村上派) → 巽会(水田派 → ×)

                        清和政策研究会(十日会系)

                        十日会(岸派 → ×)、※党風刷新懇話会 → 党風刷新連盟 → 紀尾井会(福田派) → 八日会(福田派) → 清和会(福田派 → 安倍(晋太郎)派 → 三塚派) → 21世紀を考える会・新政策研究会(三塚派 → 森派) → 清和政策研究会(森派 → 町村派 → 細田派 → 安倍(晋三)派 → ×)、※政眞会(加藤派 → 新生党に合流×)、※愛正会(藤山派 → 水田派に合流×)、※(南条・平井派 → 福田派に合流×)、※交友クラブ(川島派 → 椎名派 → ×)、※(亀井グループ → 村上・亀井派に合流×)

                        志帥会、近未来政治研究会(春秋会系)

                        春秋会(河野派 → 森派 → 園田派 → 福田派に合流×)、※新政同志会(中曽根派) → 政策科学研究所(中曽根派 → 渡辺派 → 旧渡辺派 → 村上派 → 村上・亀井派に合流×) → 志帥会(村上・亀井派 → 江藤・亀井派 → 亀井派 → 伊吹派 → 二階派)、※近未来政治研究会(山崎派 → 石原派 → 森山派 → ×)、※さいこう日本(甘利グループ)、※国益と国民の生活を守る会(平沼グループ → 日本のこころに合流×)

                        番町政策研究所(政策研究会系)

                        政策研究会(松村・三木派) → 政策同志会(松村・三木派) → 政策懇談会(松村・三木派 → ) → 政策懇談会(三木派) → 新政策研究会(河本派) → 番町政策研究所(河本派 → 高村派 → 大島派 → 山東派 → 麻生派に合流×)、※(松村派 → ×)、※(早川派 → 福田派に合流×)

                        二日会

                        火曜会(石橋派)、二日会(石田派 → 三木派に合流×)

                        青嵐会、自由革新同友会(中川グループ → 石原グループ → 福田派に合流×)

                        新しい波(二階グループ → 伊吹派に合流×)

                        83会、新しい風(武部グループ → ×)、伝統と創造の会(稲田グループ)、保守団結の会

                        さわらび会(石破グループ) → 水月会(石破派 → 石破グループ)

                        無派閥連絡会、無派閥有志の会、のぞみ(山本グループ)、きさらぎ会(鳩山グループ → 菅グループ)、 ガネーシャの会

                        自由民主党総裁選挙

                        総裁 - 副総裁 - 幹事長 - 総務会長 - 政務調査会長 - 国会対策委員長 - 参議院議員会長 - 選挙対策委員長 - 幹事長代行 - 総裁特別補佐

                        自由民主党国会議員一覧 - 総務会 - 政務調査会 - 税制調査会 - 国会対策委員会 - 参議院議員団 - 青年局 - 学生部 - シャドウキャビネット - 中央政治大学院 - シンクタンク2005・日本 - 過去を学び、分厚い保守政治を目指す若手議員の会 - 文化芸術懇話会 - アベノミクスを成功させる会 - 日本教職員組合問題究明議員連盟(議員連盟) - 国民政治協会(政治資金団体) - 自由社会を守る国民会議(党友) - 自由民主党同志会(院外団) - 自民党ネットサポーターズクラブ

                        自公民路線

                        自共共闘

                        自社さ連立政権

                        保保連合構想

                        自公連立政権

                        大連立構想

                        創生「日本」

                        新自由クラブ

                        新党さきがけ

                        新生党

                        自由改革連合(改革の会 - 自由党 - 新党みらい - 高志会)

                        国民新党

                        新党日本

                        新党大地

                        新党改革

                        日本維新の会

                        沖縄自由民主党

                        新自由クラブ

                        税金党

                        保守新党

                        日本のこころ

                        (自由党 → 憲政党 → 立憲政友会 → 同交会 → )日本自由党 → 民主自由党 → 自由党

                        (立憲改進党 → 進歩党 → 憲政本党 → 立憲国民党 → 立憲同志会 → 憲政会 → 立憲民政党 → 翼賛議員同盟 → 翼賛政治会 → 大日本政治会 → )日本進歩党 → 民主党 → 国民民主党(国民協同党が合流) → 改進党 → 日本自由党 → 日本民主党

                        (護国同志会 → )日本協同党 → 協同民主党 → 国民協同党 → 民主党と合同し国民民主党を結党

                        国民政治協会(政治資金団体) - 自由社会を守る国民会議(党友)

                        日本行政書士政治連盟 - 日本司法書士政治連盟 - 全国土地家屋調査士政治連盟 - 日本公認会計士政治連盟 - 全国社会保険労務士政治連盟 - 日本酒造組合連合会 - 日本蒸留酒酒造組合 - ビール酒造組合 - 日本洋酒酒造組合 - 全国卸売酒販組合中央会 - 全国小売酒販政治連盟 - 全国たばこ販売政治連盟 - 全国たばこ耕作組合中央会 - 全私学連合会 - 全日本私立幼稚園連合会 - 全国専修学校各種学校総連合会 - 全日本教職員連盟 - 日本私立中学高等学校連合会 - 一般社団法人全国教育問題協議会 - 全国ゴルフ関連団体協議会 - 私立幼稚園経営者懇談会 - 全国私立小中高等学校保護者会連合会 - 神道政治連盟 - 財団法人全日本仏教会 - 天台宗 - 高野山真言宗 - 真言宗智山派 - 真言宗豊山派 - 浄土宗 - 浄土真宗本願寺派 - 真宗大谷派 - 臨済宗妙心寺派 - 曹洞宗 - 日蓮宗 - インナートリップ・イデオローグ・リサーチセンター - 崇教真光 - 立正佼成会 - 佛所護念会教団 - 妙智会教団 - 新生佛教教団 - 松緑神道大和山 - 世界救世教 - 日本医師連盟 - 日本歯科医師連盟 - 日本薬剤師連盟 - 日本看護連盟 - 日本製薬団体連合会 - 日本保育推進連盟 - 日本柔道整復師会 - 日本歯科技工士連盟 - 全国介護政治連盟 - 全国旅館政治連盟 - 全国飲食業生活衛生同業組合連合会 - 全日本美容生活衛生同業組合連合会 - 全国クリーニング業政治連盟 - 環境保全政治連盟 - 日本環境保全協会 - 日本造園組合連合会 - 全国ビルメンテナンス政治連盟 - 全国商工政治連盟 - 全国石油政治連盟 - 全国LPガス政治連盟 - 日本商工連盟 - 全国中小企業政治協会 - 全国商店街政治連盟 - 社団法人日本調査業協会 - 社団法人全日本ダンス協会連合会 - 全国農業者農政運動組織協議会 - 21全国農政推進同志会 - 日本森林組合連合会 - 社団法人全国林業協会 - 日本酪農政治連盟 - 全国畜産政治連盟 - 全国漁業協同組合連合会 - 大日本水産会 - 日本自動車工業会 - 日本中古自動車販売協会連合会 - 日本自動車販売協会連合会 - 日本港湾空港建設協会連合会 - 日本自動車整備振興会連合会 - 社団法人全日本トラック協会 - 東日本ときわ会宮城県支部 - 21テレコム会議 - 全国土地改良政治連盟 - 日本港湾空港建設協会連合会 - 社団法人全国建設業協会 - 社団法人日本建設業団体連合会 - 社団法人日本建設業連合会 - 社団法人日本建設業経営協会 - 社団法人全国中小建設業協会 - 社団法人日本道路建設業協会 - 社団法人日本橋梁建設協会 - 社団法人建設コンサルタンツ協会 - 社団法人プレストレスト・コンクリート建設業協会 - 社団法人建設産業専門団体連合会 - 社団法人日本鳶工業連合会 - 社団法人日本造園建設業協会 - 社団法人全国建設業産業団体連合会 - 社団法人全国測量設計業協会連合会 - 社団法人全国地質調査業協会連合会 - 社団法人全国さく井協会 - 社団法人建設電気技術協会 - 日本下水コンポスト協会 - 社団法人全国道路標識・標示業協会 - 社団法人全国鐵構工業協会 - 社団法人日本建設躯体工事業団体連合会 - 社団法人日本塗装工業会 - 一般社団法人日本プレハブ駐車場工業会 - 社団法人不動産協会 - 全国不動産政治連盟 - 全日本不動産政治連盟 - 社団法人住宅生産団体連合会 - 全国生コンクリート工業組合連合会 - 軍恩連盟全国協議会 - 日本傷痍軍人会(解散) - 社団法人日本郷友連盟 - あすの会(解散

                        中曽根康弘

                        小峰柳多

                        武藤運十郎

                        最上英子

                        小峰柳多

                        中曽根康弘

                        武藤運十郎

                        小渕光平

                        中曽根康弘

                        福田赳夫

                        武藤運十郎

                        木暮武太夫

                        中曽根康弘

                        小峰柳多

                        武藤運十郎

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        福田赳夫

                        武藤運十郎

                        栗原俊夫

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        栗原俊夫

                        小渕光平

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        栗原俊夫

                        山口鶴男

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        小渕恵三

                        栗原俊夫

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        小渕恵三

                        山口鶴男

                        中曽根康弘

                        福田赳夫

                        山口鶴男

                        小渕恵三

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        山口鶴男

                        小渕恵三

                        福田赳夫

                        小渕恵三

                        山口鶴男

                        中曽根康弘

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        小渕恵三

                        山口鶴男

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        山口鶴男

                        小渕恵三

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        山口鶴男

                        小渕恵三

                        福田赳夫

                        中曽根康弘

                        山口鶴男

                        小渕恵三

                        福田康夫

                        山口鶴男

                        中曽根康弘

                        小渕恵三

                        小渕恵三

                        福田康夫

                        山口鶴男

                        中曽根康弘

                        尾身幸次

                        佐田玄一郎

                        尾身幸次

                        佐田玄一郎

                        宮崎岳志

                        佐田玄一郎

                        尾身朝子

                        中曽根康隆

                        笹川堯

                        石関貴史

                        井野俊郎

                        谷津義男

                        柿沼正明

                        笹川博義

                        福田康夫

                        福田達夫

                        小渕恵三

                        小渕優子

                        FAST

                        ISNI

                        VIAF

                        WorldCat

                        ドイツ

                        アメリカ

                        日本

                        ポーランド

                        CiNii Books

                        CiNii Research

                        IdRef

                        福田康夫

                        日本の内閣総理大臣

                        平成時代の閣僚

                        日本の内閣官房長官

                        沖縄開発庁長官

                        群馬県選出の衆議院議員

                        自由民主党の衆議院議員

                        平成時代の衆議院議員

                        自由民主党総裁

                        内閣総理大臣秘書官

                        インターアクション・カウンシルの人物

                        日本会議国会議員懇談会の人物

                        コスモ石油の人物

                        福田赳夫

                        福田善治家

                        経済学士取得者

                        早稲田大学出身の人物

                        麻布中学校・高等学校出身の人物

                        東京都区部出身の人物

                        1936年生

                        存命人物

                        世襲政治家

                        外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年10月

                        外部リンクがリンク切れになっている記事/2021年11月

                        外部リンクがリンク切れになっている記事/2016年6月

                        外部リンクがリンク切れになっている記事/2010年1月-4月

                        外部リンクがリンク切れになっている記事/2018年11月

                        プロジェクト人物伝項目

                        FAST識別子が指定されている記事

                        ISNI識別子が指定されている記事

                        VIAF識別子が指定されている記事

                        WorldCat Entities識別子が指定されている記事

                        GND識別子が指定されている記事

                        LCCN識別子が指定されている記事

                        NDL識別子が指定されている記事

                        PLWABN識別子が指定されている記事

                        CINII識別子が指定されている記事

                        CRID識別子が指定されている記事

                        SUDOC識別子が指定されている記事

                        ISBNマジックリンクを使用しているページ

2024/09/18 05:19更新

fukuda yasuo


福田康夫と同じ誕生日7月16日生まれ、同じ東京出身の人

高橋 裕_(アナウンサー)(たかはし ゆたか)
1971年7月16日生まれの有名人 東京出身

高橋 裕 (たかはし ゆたか、1971年7月16日 - )は、KRY山口放送の男性アナウンサー。ラジオパーソナリティ。 1994年に山口放送に入社。入社以来情報番組を中心に担当しており、朝の情報番…

松野 莉奈(まつの りな)
【私立恵比寿中学】
1998年7月16日生まれの有名人 東京出身

松野 莉奈(まつの りな、1998年7月16日 - 2017年2月8日)は、日本の歌手、モデル、女優、タレント。東京都出身。 生前は、スターダストプロモーションに所属。私立恵比寿中学のメンバー(20…

白羽 玲子(しらは れいこ)
1978年7月16日生まれの有名人 東京出身

白羽 玲子(しらは れいこ、1978年(昭和53年)7月16日 - )は、日本の元タレント・歌手。東京都出身。かつての所属事務所はケイダッシュ。 キックボクシング選手として、真空飛び膝蹴りで一世風靡…

小野関 舞(おのぜき まい・)
1989年7月16日生まれの有名人 東京出身

小野関 舞(おのぜき まい・1989年7月16日 - )は、東京都出身の日本のタレント、モデル、レースクイーンである。 ネットアージュ所属。愛称は「まいしゃん」「ぜっきー」など。 趣味はドライブ、…

宇野 実彩子(うの みさこ)
1986年7月16日生まれの有名人 東京出身

宇野 実彩子(うの みさこ、1986年7月16日 - )は、日本の歌手・女優。エイベックスに所属する男女混合パフォーマンスグループAAA(トリプル・エー)のメンバー。作詞家・実業家・プロデューサー・デ…

芹沢 南(せりざわ みなみ)
1996年7月16日生まれの有名人 東京出身

芹沢 南(せりざわ みなみ、1996年7月16日 - )は、日本のグラビアアイドル・女優。2018年1月15日まではスパイラルミュージック所属の女性アイドルグループ「#ドルーチュ」(ハッシュドルーチュ…

宇田川 綾子(うだがわ あやこ)
1973年7月16日生まれの有名人 東京出身

宇田川 綾子(うだがわ あやこ、1973年7月16日 - )は、日本の女優、歌手。東京都江戸川区出身。身長は160cm。体重は46kg。スリーサイズはB82-W58-H85cm。所属事務所は、ミル・ヴ…

堀越 節子(ほりこし せつこ)
1915年7月16日生まれの有名人 東京出身

堀越 節子(ほりこし せつこ、1915年〈大正4年〉7月16日 - 没年不明)は、日本の女優。東京府荏原郡大崎町出身。戦前から文学座を支えたメンバーであり、森雅之の先妻でもあった。 音楽喜劇 ほろよ…

児嶋 一哉(こじま かずや)
1972年7月16日生まれの有名人 東京出身

児嶋 一哉(こじま かずや、1972年〈昭和47年〉7月16日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、プロ雀士(日本プロ麻雀協会所属)、YouTuber。 東京都八王子市出身。八王子市立弐分方小学校…

中里 喜一(なかざと きいち)
1912年7月16日生まれの有名人 東京出身

中里 喜一(なかざと きいち、1912年7月16日 - 2001年1月21日)は、日本の政治家。東京都江戸川区長(9期)。 現在の東京都江戸川区生まれ。東京府立第一商業学校(現・東京都立第一商業高等…

朝倉 摂(あさくら せつ)
1922年7月16日生まれの有名人 東京出身

朝倉 摂(あさくら せつ、1922年7月16日 - 2014年3月27日)は、日本の舞台美術家・画家。本名・冨沢摂。the companyのアソシエイツメンバー。 東京府東京市下谷区谷中(現在の東京…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


福田康夫と近い名前の人

福田康文(ふくだ やすふみ)
生まれの有名人 京都出身

福田康文(ふくだ やすふみ)は、京都府出身の作曲家、編曲家、ギタリスト。 マイクロキャビンへ入社後、同社のゲームソフトの作曲を数多く手がけた。その後チュンソフトへ入社。現在はフリーランスで活動し、作…

福田 保朝(ふくだ やすとも)
1913年2月19日生まれの有名人 香川出身

福田 保朝(ふくだ やすとも、1913年2月19日 - 1994年9月7日)は朝日放送元社長。 香川県高松市出身。1936年に関西大学専門部卒業後、朝日新聞社へ入社。社会部次長、整理部次長をつとめた…

福田 裕彦(ふくだ やすひこ)
1957年5月3日生まれの有名人 東京出身

福田 裕彦(ふくだ やすひこ、1957年5月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー及び作曲家・編曲家、キーボーディスト。東京都板橋区出身。早稲田大学第一文学部卒業。株式会社大頭(だいず)代表取締役。…

福田 舞_(1992年生の歌手)(ふくだ まい)
1992年3月18日生まれの有名人 東京出身

福田 舞(ふくだ まい、1992年3月18日 - )は、日本の元女優・歌手である。東京都出身。 1996年、ダンス教室に通っていたのをキッカケに役者デビュー。役者としても活動しながら、「まいめろでぃ…

福田 舞_(1980年生の歌手)(ふくだ まい)
1980年11月4日生まれの有名人 神奈川出身

福田 舞(ふくだ まい、1980年11月4日 - )は、日本の歌手。 広告代理店に勤める学者の父と、自宅でピアノ教室を開く母との間に生まれる。物心ついたときから母にピアノを習い、途中からは東邦音楽教…

福田 武_(政治家)(ふくだ たけし)
1921年6月5日生まれの有名人 栃木出身

6月5日生まれwiki情報なし(2024/09/27 18:50時点)

福田 武_(実業家)(ふくだ たけし)
1940年9月6日生まれの有名人 兵庫出身

9月6日生まれwiki情報なし(2024/09/27 18:50時点)

福田 正博(ふくだ まさひろ)
1966年12月27日生まれの有名人 神奈川出身

福田 正博(ふくだ まさひろ、1966年12月27日 - )は、神奈川県横浜市緑区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。 Jリー…

福田 萌(ふくだ もえ)
1985年6月5日生まれの有名人 岩手出身

福田 萌(ふくだ もえ、1985年(昭和60年)6月5日 - )は、日本のタレント。結婚前の本名は芸名と同じ。 夫はオリエンタルラジオの中田敦彦。 岩手県出身。ジャパン・ミュージックエンターテインメ…

福田 愛依(ふくだ めい)
2000年11月8日生まれの有名人 福岡出身

福田 愛依(ふくだ めい、2000年(平成12年)11月8日 - )は、日本の女優である。エイベックス・マネジメント所属。愛称はめいめい。福岡県太宰府市出身。 2018年3月に「女子高生ミスコン20…

福田 麻衣(ふくだ まい)
1985年12月16日生まれの有名人 千葉出身

福田 麻衣(ふくだ まい、1985年12月16日 - )は、日本の元タレント、元モデルである。 千葉県の出身で、2007年10月にグラビアアイドルとして6代目やりすぎガールに加入した。のちにお笑い芸…

福田 多希子(ふくだ たきこ)
1984年7月25日生まれの有名人 奈良出身

福田 多希子(ふくだ たきこ、1984年7月25日 - )は、日本の元舞台芸人、元タレントである。奈良県出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪に所属していた。夫は同事務所所属の土肥ポン太。 …

福田 沙紀(ふくだ さき)
1990年9月19日生まれの有名人 熊本出身

福田 沙紀(ふくだ さき、1990年9月19日 - )は、日本の女優・歌手・タレント。 熊本県熊本市出身。オスカープロモーション所属を経て現在はフリー。 6歳の時から、ダンス、芝居、歌のレッスンを…

福田 彩乃(ふくだ あやの)
1988年9月18日生まれの有名人 愛知出身

福田 彩乃(ふくだ あやの、1988年9月18日 - )は、日本の女性タレント、ものまねタレントである。愛知県豊田市出身。所属芸能事務所はアミューズ。 豊田市立末野原中学校で生徒会副会長を務め、愛知…

福田 衣里子(ふくだ えりこ)
1980年10月30日生まれの有名人 長崎出身

福田 衣里子(ふくだ えりこ、1980年10月30日 - )は、日本の元政治家。元衆議院議員(1期)。 薬害肝炎九州訴訟原告団代表、厚生労働省「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり…

福田 明子(ふくだ あきこ)
1982年7月13日生まれの有名人 神奈川出身

福田 明子(ふくだ あきこ、1982年7月13日 - )は神奈川県出身の女性ファッションモデル、女優。レプロエンタテインメント所属。 ファッション雑誌「セブンティーン」「non-no」「MORE」(…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
福田康夫
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人 暇空茜 りんごちゃん_(ものまねタレント)

グループ

アイドリング SUPER☆GiRLS Rev.from DVL 私立恵比寿中学 SUPER EIGHT Ya-Ya-yah SMAP TOKIO HKT48 PASSPO☆ 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「福田康夫」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました