葉山嘉樹の情報(はやまよしき) 作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
葉山 嘉樹さんについて調べます
■名前・氏名 |
葉山嘉樹と関係のある人
小林多喜二: 1929年1月5日発行の第一号には「船員は何を読まなければならないか」を二号には「葉山嘉樹海に生くる人々の紹介」三号には『寄らば切るぞ!』を掲載した。 小林多喜二: 小樽で銀行に勤めてから、葉山嘉樹、ゴーリキーなどの作品を通じてプロレタリア作家の自覚を持ち、小樽の労働運動にも関わり始めた。 藤宮史: セメント樽の中の手紙/葉山嘉樹原作(漫画雑誌『アックス』75号 青林工藝舎刊) 長谷川時雨: 年齢順で、長谷川時雨、岡田八千代、田村俊子、柳原白蓮、平塚らいてう、長谷川かな女、深尾須磨子、岡本かの子、鷹野つぎ、高群逸枝、八木あき、坂西志保、板垣直子、中村汀女、大谷藤子、森茉莉、林芙美子、窪川稲子、平林たい子、円地文子、田中千代、大石千代子 /三上於菟吉、直木三十五、獅子文六、葉山嘉樹、大佛次郎など。 藤宮史: 木版漫画集「文學」葉山嘉樹・芥川龍之介・富永太郎/原作、藤宮史/版画(2009年、黒猫堂出版 初版25部) 栗栖継: 『セメント樽の中の手紙』(葉山嘉樹、"Literatura Mondo" ) 1949 藤宮史: 木版漫画「セメント樽の中の手紙」葉山嘉樹原作、藤宮史版画(2008年、黒猫堂出版 初版200部、再版300部) 鶴田知也: 同校の先輩に堺利彦、葉山嘉樹がいる。 |
葉山嘉樹の情報まとめ
葉山 嘉樹(はやま よしき)さんの誕生日は1894年3月12日です。福岡出身の作家のようです。
事故、事件に関する情報もありますね。1945年に亡くなられているようです。
葉山嘉樹のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)葉山 嘉樹(はやま よしき、1894年(明治27年)3月12日 - 1945年(昭和20年)10月18日)は、日本の小説家。本名嘉重。 福岡県京都郡豊津村(現・みやこ町)出身。早稲田大学高等予科文科中退。労働運動に従事し、職を転々とする傍ら、「文芸戦線」に発表した『淫売婦』で注目され、作家生活に入る。『セメント樽の中の手紙』や長編『海に生くる人々』などで労働者階級の生活と反抗と連帯感を描き、初期プロレタリア文学の代表的存在となった。その後開拓団員として満洲に渡り、敗戦後、引揚げの車中で病没した。農民小説も書いた。 士族の家庭に生まれる。旧制豊津中学(現:福岡県立育徳館高等学校)から1913年に早稲田大学高等予科に進学するも、学費未納により除籍。その後、船員としてカルカッタ航路や室蘭-横浜航路の貨物船に乗船した。このときの経験が後年の作品の素材となっている。1920年(大正10年)、名古屋のセメント工場(1918年(大正7年)設立の名古屋セメント。同社は1922年(大正11年)に豊国セメントに合併)に勤務、そこでの労働事故をきっかけに労働組合を作ろうとするが失敗し、解雇される。その後名古屋労働者協会に加入、各種労働争議を指導した。 1923年(大正12年)、「名古屋共産党事件」で検挙、名古屋刑務所に未決囚として投獄され、獄中で「淫売婦」「難破」(のちに「海に生くる人々(英語版)」と改題)を執筆。一旦保釈されたが、1924年(大正13年)有罪が確定。巣鴨刑務所に服役中、名古屋刑務所で遭遇した関東大震災の体験に基づき「牢獄の半日」を執筆し雑誌『文芸戦線』に発表する。1925年(大正14年)出獄後、『文芸戦線』1925年11月号に「淫売婦」、1926年1月号に「セメント樽の中の手紙」を、「海に生くる人々」を改造社から書き下ろしで発表し、これにより葉山は一躍文壇の新進作家となる。 既存のプロレタリア文学が観念的、図式的であったのに対し、葉山の作品は、人間の自然な感情をのびのびと描き、なおかつ芸術的完成度が高かった。特に「海に生くる人々」は、日本プロレタリア文学の傑作といわれる。プロレタリア文学運動が、『戦旗』派と『文芸戦線』に分かれたとき、『文芸戦線』派に属し、その代表的な作家として活動した。 特別高等警察(特高)による思想統制が激しくなり、日本の国論が中国大陸への侵出に統一されていくと、葉山は転向し、翼賛体制への支持を強めた。1934年からは長野県に住み、現地で小説を書きながら、工事現場で働いたりもした。 1943年には満洲国で発行された『満洲新聞』に投稿し、自らも満洲国への開拓団運動に積極的にかかわるようになって何度も渡満した。最終的には開拓村に移住するために1945年6月、娘とともに渡満したが、ソ連軍の満洲占領と第二次世界大戦の日本敗北により日本への帰国を決める。その途中、1945年10月18日、列車内で脳溢血を起こし、徳恵駅に着いた時には死亡していた。戒名は清流院葉山大樹居士。遺体は徳恵駅付近の線路際に埋葬され、遺髪が長女によって青山霊園の解放運動無名戦士墓に納められた。 1977年10月18日、故郷のみやこ町(当時は豊津町)八景山に文学碑が設立された。 牢獄の半日 (文芸戦線 1924.10) 淫売婦 (文芸戦線 1925.11) セメント樽の中の手紙 (文芸戦線 1926.1) 海に生くる人々 (改造社 1926.10) 移動する村落 (東京朝日新聞 1931.9-1932.9) 濁流 (中央公論 1936.7) 淫賣婦 (春陽堂 1926) 海に生くる人々 (改造社 1926) 浚渫船 (春陽堂 1927 文壇新人叢書) 新選葉山嘉樹集 (1928 改造社 新選名作集) 勞働者の居ない船 (1929 改造文庫) 稚き鬪士 (日本評論社 1930 新作長篇小説選集) 誰が殺したか? (日本評論社 1930 日本プロレタリア傑作選集) 仁丹を追つかける (塩川書房 1930 プロレタリア前衛小説戯曲新選集) 葉山嘉樹全集 (改造社 1933 日本文学大全集24) 今日様 (ナウカ社 1935 小説集) 山谿に生くる人人 (竹村書房 1938 創作集) 海と山と (河出書房 1939 書きおろし長篇小説叢書) 流旅の人々 (春陽堂 1939 生活文学選集) 山の幸 (日本文学社 1939) 濁流 (新潮社 1940 昭和名作選集) 葉山嘉樹随筆集 (春陽堂書店 1941) 裸の命 (日本出版社 1946 日本文学選集) 葉山嘉樹全集 (小学館 1948) 淫売婦・移動する村落 他五篇 (岩波文庫 1954) 復刊1994 海に生くる人々 (岩波文庫 1971 度々復刊)、新日本文庫、1975 葉山嘉樹日記 (筑摩書房 1971) 葉山嘉樹全集 全6巻 (筑摩書房 1975-76) 葉山嘉樹集 (新日本出版社 1984 日本プロレタリア文学集8) 葉山嘉樹全集 (未収録作品と建碑記念寄稿文集 天下の糸平生誕百五十年・葉山嘉樹来住五十年記念建碑期成会 1985.7) 葉山嘉樹短編小説選集 (郷土出版社 1997.4) セメント樽の中の手紙 (角川文庫 2008.9) 葉山嘉樹短篇集(道籏泰三編 岩波文庫 2021.5) ^ 葉山の連載記事発見のニュース(人民日報(中国)・日本語版) [1] ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)269頁 ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)189頁 葉山 嘉樹:作家別作品リスト - 青空文庫 早稲田と文学(葉山嘉樹) - ウェイバックマシン(2008年5月17日アーカイブ分) - 早稲田大学 葉山嘉樹文学碑を移転しました | 中津川市公式ウェブサイト 葉山嘉樹 - ウェイバックマシン(2013年11月30日アーカイブ分) FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー ドイツ イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research SNAC IdRef 19世紀日本の小説家 20世紀日本の小説家 プロレタリア文学 労農派の人物 福岡県出身の人物 1894年生 1945年没 2025/01/24 00:37更新
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hayama yoshiki
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