野見山暁治の情報(のみやまぎょうじ) 洋画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
野見山 暁治さんについて調べます
■名前・氏名 |
野見山暁治と関係のある人
高田博厚: 57歳の時、フランスで制作し手元にあった彫刻は、すべて自ら破壊して日本に帰国(絵画はアトリエを受継いだ野見山暁治に処分を依頼した)。 高田博厚: 1957年(昭和32年)ライ・レ・ローズのアトリエを洋画家・野見山暁治に譲り、彫刻は自ら破壊、絵画は野見山に処分を依頼し、数千冊に及ぶフランスで集めた書籍を持って帰国、東京新宿区下落合に住む。 瀧口修造: 作家のなかには野見山暁治、河原温、草間彌生らがいた。 新川和江: 『これはこれは』(野見山暁治絵、玲風書房) 2000 西常雄: 同年6月、窪島誠一郎、佐藤忠良、野見山暁治らとともに、『九条の会』アピールを広げる美術の会」(略称・九条美術の会)発起人。 田淵安一: 1984年 「金山康喜、菅井汲、田淵安一、野見山暁治展」富山県立近代美術館 谷川雁: らくだ・こぶに『ひとうちななつ』ラボ教育センター 1978.6 (画:野見山暁治、音楽:間宮芳生、荻久保和明、野平一郎、吹込:三國一朗 名古屋章 丹阿弥谷津子 七尾伶子) 田中小実昌: 野見山暁治は妻の兄(義兄)。 影木栄貴: 父の長姉は野見山暁治(画家)の最初の夫人であった。 宗左近: 『祈りの画集 戦没画学生の記録』野見山暁治・安田武共著、小野成視撮影 日本放送出版協会 1977 谷川雁: 『グリム4篇』グリム [原作],らくだ・こぶに [翻案],Roger Matthews [英語], 野見山暁治 [絵] ラボ教育センター 1978 |
野見山暁治の情報まとめ
野見山 暁治(のみやま ぎょうじ)さんの誕生日は1921年1月1日です。福岡出身の洋画家のようです。
結婚、兄弟、父親、卒業に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2023年に亡くなられているようです。
野見山暁治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)野見山 暁治(のみやま ぎょうじ、1920年〈大正9年〉12月17日 - 2023年〈令和5年〉6月22日 )は、日本の洋画家。位階は従三位。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、文化功労者。 本名は「暁」が旧字体の野見山 曉治であり、文化勲章受章時の名簿でもそのように記載されている。 福岡県穂波村(現飯塚市)にて、炭鉱経営者の子として生まれる。東京美術学校(現東京芸術大学)入学当時は故郷の炭鉱を制作の原風景とし、その後12年間のパリ生活を経て、抽象画へと変化。帰国後は東京芸術大学で教え、美術学部助教授、教授などを歴任し、同大名誉教授となる。 2023年6月22日、心不全のため死去。102歳没。日本政府より没日付を以て従三位に叙された。 私生活では二度結婚もいずれも先立たれた経験をもつ。
後妻に福岡で有名な高級クラブ「みつばち」を経営していた武富京子を迎え、別居結婚の形をとるもたびたび九州へ足を運んでいた。九州滞在時は20代から癌などの病歴があった後妻を健康面・店の経営面両面から支え続けた。後妻は後年までクラブを切り盛りするも、2001年、体力の限界などからクラブを完全閉店し、まもなく死去。 野見山の実妹は田中小実昌の妻。田中の死去まで実の兄弟のような交流があった。姪(田中の次女)は小説家田中りえ。 野見山の従姪はNHK交響楽団ホルン奏者の野見山和子。 1920年、福岡県穂波村にて出生。父親の野見山佐一は海老津鉱業、昭和炭鉱社長。 1938年、嘉穂中学校(現嘉穂高等学校)卒業。肺浸潤を患う。 1943年、東京美術学校洋画科卒業、直ちに応召、満州で発病し入院、その後帰国し入院 1945年、終戦まもなく退院し、傷痍軍人制度廃止に伴う一時金を得る 1946年、第2回西部美術展覧会で福岡県知事賞 1948年、妹の同級生だった内藤陽子と結婚 1952年、滞仏 1956年、サロン・ドートンヌ会員。妻・陽子29歳で夭折 1957年、ライ・レ・ローズのアトリエを彫刻家・高田博厚から譲り受ける 1958年、第2回安井賞受賞 1964年、帰国 1968年、東京芸術大学助教授 1972年、同大学教授就任 1978年、『四百字のデッサン』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞 1981年、芸大辞職 1992年、第42回芸術選奨文部大臣賞 1994年、福岡県文化賞 1996年、毎日芸術賞受賞 2000年、文化功労者に選ばれる 2014年、文化勲章受章 2017年、練馬区名誉区民に選定される 2018年、高田博厚展2018記念事業で堀江敏幸と対談 2020年12月17日、満100歳となった後も作画を続けていた。 2023年4月15日、パブリックアート「明日の空」落成式(飯塚市総合体育館) 2023年6月22日、死去。没日付にて従三位追叙。 野見山暁治財団 野見山暁治ステンドグラス メイキングビデオ - YouTube 東松山市(高田博厚展2018記念事業:堀江敏幸との対談) 洋画家・野見山暁治 × 作家・堀江敏幸特別対談 - YouTube 『愛と死はパリの果てに』(講談社) 1961 『野見山暁治の風景デッサン』(河出書房新社) 1978、増補新版 1995 『四百字のデッサン』(河出書房新社)1978、のち河出文庫、改版 2012 『さあ絵を描こう』(河出書房新社)1979、新版 1988 『パリ・キュリイ病院』(筑摩書房)1979、のち弦書房 2004 『遠ざかる景色』(筑摩書房)1982、のちみすず書房 大人の本棚 2013 『絵そらごとノート』(筑摩書房) 1984 『一本の線』(朝日新聞社) 1990 - 自伝 『空のかたち 野見山暁治美術ノート』(筑摩書房) 1994 『署名のない風景』(平凡社) 1997 『しま』(光村教育図書)1999 - 児童向け絵本 『うつろうかたち』(平凡社) 2003 『遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅』(平凡社ライブラリー) 2004 『いつも今日』(日本経済新聞社、私の履歴書) 2005 - 回想 『ケムクジャーラ』(ネット武蔵野) 2007 - 児童向け絵本 『異郷の陽だまり』(生活の友社) 2011 『とこしえのお嬢さん 記憶のなかの人』(生活の友社) 2014 - 交友記 『みんな忘れた 記憶のなかの人』(平凡社) 2018 - 交友記 『野見山暁治 のこす言葉 人はどこまでいけるか』(平凡社) 2018 『アトリエ日記』(清流出版) 2007 - 月刊「美術の窓」に没時まで連載 『続 アトリエ日記』(清流出版) 2009 『続々 アトリエ日記』(清流出版) 2012 『やっぱり アトリエ日記』(生活の友社) 2014 『じわりと アトリエ日記』(生活の友社) 2017 『どうにも アトリエ日記』(生活の友社) 2020 『最期のアトリエ日記』(生活の友社)2023.12 - 遺著 『祈りの画集 戦没画学生の記録』(宗左近, 安田武共編著、日本放送出版協会) 1977 『佐伯祐三のパリ』 (朝日晃と解説、新潮社、とんぼの本) 1998 - 図版 『これはこれは 新川和江詩集』(玲風書房) 2000 - 画を担当 『無言館はなぜ作られたのか』(窪島誠一郎共著、かもがわ出版) 2010 『「戦争」が生んだ絵、奪った絵』(橋秀文, 窪島誠一郎と解説、新潮社、とんぼの本) 2010 - 図版 『舞い降りる妖精たち 川津英夫写真集』(日本写真企画)2011 - 解説担当 『新美南吉 でんでんむしのかなしみ』(星の環会) 2016 - 画を担当 『絵描きと画材屋 洋画家・野見山暁治と山本文房堂・的野恭一の五十年』(聞き手井口幸久、忘羊社) 2016 『野見山暁治デッサン 素描集』(用美社) 1986 『セルフィッシュ 画集』(田中小実昌解説、用美社)1990 『野見山暁治作品集』(田中小実昌ほか解説、講談社)1994 『野見山暁治 版画 1965-2002』(アーツアンドクラフツ) 2004、普及版 2009 『目に見えるもの 野見山暁治画文集』(求龍堂) 2011 『100歳記念 すごいぞ! 野見山暁治のいま』(秋元雄史, 堀江敏幸解説、青幻舎) 2021 こころの時代「100年のアトリエ 画家・野見山暁治」(2020年12月27日、NHK Eテレ) ^ “画家の野見山暁治さん死去 102歳 文化勲章受章 独自の自然描写”. 毎日新聞. 毎日新聞社. (2023年6月26日). https://mainichi.jp/articles/20230625/k00/00m/040/126000c 2023年6月26日閲覧。 ^ “画家で文化勲章受章者・野見山暁治さん死去、102歳…慰霊美術館「無言館」の顧問も”. 読売新聞オンライン. 読売新聞社 (2023年6月26日). 2023年6月26日閲覧。 ^ 『平成26年度 文化勲章受章者:文部科学省』2014年11月。 ^ 飯塚市の名誉市民飯塚市、2016年4月 ^ 故郷・炭鉱の街、ステンドグラスに 洋画家の野見山さん朝日新聞、2016年12月21日 ^ 尾道市立美術館「消えないもの 野見山暁治展」2013年 ^ 『官報』第1030号 令和5年7月30日付7頁 ^ "DAIGO、三島由紀夫と親戚だった…9親等「やばいね」 加山雄三は19親等". デイリースポーツ. 神戸新聞社. 11 February 2020. 2023年6月27日閲覧。 ^ 武富京子さん死去/高級クラブ「みつばち」の元ママ四国新聞社、2001/10/01 ^ 石炭統制会設立十一月一日初委員会日本工業新聞 1941、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 ^ 第002回国会 不当財産取引調査特別委員会 第57号昭和二十三年九月四日 ^ 肺患い なぜか「乙種」合格…洋画家 野見山暁治さん 94読売新聞、2015年08月08日 ^ 自著『四百字のデッサン』 1982年 ^ “日仏で活躍した彫刻家・高田博厚の足跡たどる 東松山市総合会館で18日まで”. 東京新聞. (2018年11月16日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201811/CK2018111602000154.html 2019年2月28日閲覧。 ^ 野見山暁治 (2014/10/20). とこしえのお嬢さん 記憶の中の人. 平凡社 ^ “文化勲章にノーベル賞の天野さん・中村さんら7人”. 朝日新聞デジタル (2014年10月24日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月2日閲覧。 ^ “練馬区、名誉区民を選定 画家・野見山暁治さん、漫画家・ちばてつやさん”. 練馬経済新聞 (2017年6月9日). 2017年6月10日閲覧。 ^ “彫刻家高田博厚展を開催=埼玉県東松山市”. 時事通信. (2018年11月9日). https://web.archive.org/web/20181231143932/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018110900400&g=soc 2019年2月26日閲覧。 ^ “日仏で活躍した彫刻家・高田博厚の足跡たどる 東松山市総合会館で18日まで”. 東京新聞. (2018年11月16日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201811/CK2018111602000154.html ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年12月18日). “画家、野見山暁治さん100歳 「広くて深い、宇宙観を描きたい」 年明けに個展も”. 産経ニュース. 2021年12月7日閲覧。 ^ “描き続けて、100歳~画家野見山暁治~”. RKBオンライン (2021年10月24日). 2021年12月7日閲覧。 ^ “東京メトロ銀座線青山一丁目駅「みんな友だち」”. 日本交通文化協会 (2020年10月16日). 2023年1月31日閲覧。 ^ "100年のアトリエ 画家・野見山暁治". NHK. 2020年12月27日. 2020年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月19日閲覧。 聞き手北里晋(西日本新聞文化部記者)『眼の人 野見山暁治が語る』弦書房、2009年10月。ISBN 4863290276 『ユリイカ 総特集 野見山暁治 絵とことば』 2012年8月臨時増刊号、青土社。ISBN 4791702409 野見山暁治財団 野見山暁治 - NHK人物録 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 洋画家 東京芸術大学の教員 従三位受位者 文化勲章受章者 内藤用一郎家 日本のセンテナリアン 私の履歴書の登場人物 福岡県立嘉穂高等学校出身の人物 東京芸術大学出身の人物 福岡県出身の人物 1920年生 2023年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにないNHK人物録ID すべてのスタブ記事 美術家関連のスタブ項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/21 20:46更新
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nomiyama gyouji
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