長谷川裕見子の情報 (はせがわゆみこ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
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長谷川裕見子
長谷川 裕見子(はせがわ ゆみこ)さんの誕生日は1924年12月8日です。東京出身の女優のようです。
主な出演作品、註などについてまとめました。卒業、映画、結婚に関する情報もありますね。85歳で亡くなられているようです。
長谷川 裕見子(はせがわ ゆみこ、本名;船越 琴子、1924年12月8日 - 2010年7月27日)は、日本の女優。夫は船越英二。息子は船越英一郎、娘は平野洋子。叔父は長谷川一夫。東京都出身。 1924年、飯島まつの次女として誕生。旧制・白百合高等女学校(現・白百合女子大学)を卒業した。祖父・飯島次郎は建設業で名をなした。 長谷川一夫の姪にあたり、長谷川が主宰した劇団・映画会社新演伎座に所属した。映画デビュー作は長谷川主演、大曾根辰夫監督の「遊侠の群れ」(1948年)。 1950年代から1960年代にかけ、東映の時代劇映画で活躍。 1958年1月13日、第2回日本映画見本市に出席のため、城戸四郎(松竹社長)、白川由美、宇治みさ子らと共にアメリカ合衆国のニューヨークへ出発。同年2月8日、日本に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、大変貴重なニューヨーク訪問となった。同年、俳優の船越英二と結婚、1960年に長男で俳優の英一郎を出産。 女優としての最後の出演作品は、親友であった石井ふく子プロデュースによる東芝日曜劇場「一つだけのいのち」(1974年10月20日放送)であった。その後は神奈川県足柄下郡湯河原町で長女(英一郎の妹)とともに旅館を経営していたが、長女には先立たれてしまった。 他に一般男性の次男もいる。 2010年7月27日午前4時44分、転移性肺癌のため湯河原町の病院で死去した。85歳没。墓所は新宿区正受院。 主な出演作品遊侠の群れ(1948年、松竹) 傷だらけの男(1950年、東日興業・新演伎座) 源氏物語(1951年、大映) 関八州勢揃い(1954年、新東宝) 隠密若衆(1955年、新東宝) 牢獄の花嫁(1955年、東映) 御存じ快傑黒頭巾 神出鬼没(1956年、東映) 鳳城の花嫁(1956年、東映)- おきぬ 役 水戸黄門(1957年、東映京都) - お縫 役 大菩薩峠(1957年、東映)- お豊・お浜 役 大菩薩峠 第二部(1958年、東映)- お豊 役 丹下左膳(1958年、東映) 風と女と旅鴉(1958年、東映)- おちか 役 旗本退屈男(1958年、東映) 国定忠治(1958年、東映) 大菩薩峠 完結篇(1959年、東映)- お浜 役 新吾十番勝負(1959年 - 1960年、東映) 赤穂浪士(1961年、東映) 新選組血風録 近藤勇(1963年、東映) 新吾番外勝負(1964年、東映) 東芝日曜劇場・女と味噌汁(1965年6月20日、TBS) - 桐谷錦子 役 渥美清の泣いてたまるか 第25話「お家が欲しいの」(1966年、TBS) 肝っ玉かあさん(第1シリーズのみの出演、1968年4月 - 11月、TBS) - 堀川とみ 役 東芝日曜劇場・カミさんと私(1959年 - 1972年、TBS) 東芝日曜劇場・一つだけのいのち(1974年、TBS) 佐久間良子主演、石井ふく子プロデュース 註^ 長谷川裕見子 コトバンク 新撰 芸能人物事典 明治~平成 2018年7月9日閲覧。 ^ 長谷川一夫の後妻・繁の次姉まつが裕見子の母。2013年2月4日NHK総合ファミリーヒストリーによる。 ^ #外部リンク、「長谷川裕見子」、日本映画データベース、2009年11月18日閲覧。 ^ 「映画渡世・地の巻 - マキノ雅弘自伝」には「傷だらけの男」でデビューとあるが誤りである。「映画渡世・地の巻 - マキノ雅弘自伝」、マキノ雅弘、平凡社、1977年、p.225. ^ “女優、長谷川裕見子さんが死去 片岡千恵蔵らの相手役、船越英一郎さんの母”. MSN産経ニュース. (2010年7月27日). オリジナルの2010年7月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100730112244/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100727/tnr1007271554006-n1.htm 2022年10月31日閲覧。 ^ “元女優の長谷川裕見子さんが死去”. 日本経済新聞 (2010年7月27日). 2020年7月27日閲覧。 2024/05/17 17:34更新
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hasegawa yumiko
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