高津春繁の情報 (こうづはるしげ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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会田綱雄: ^ 高津春繁・手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 『万有百科大事典 1 文学』 相賀徹夫、小学館〈日本大百科全書〉(原著1973年8月10日)、初版(日本語)、2ページより引用。 風間喜代三: 1952年東京大学文学部言語学科卒業、高津春繁の指導を受け、比較文法学を研究。 辻直四郎: 門下生からは仏教学者の渡辺照宏、インド文学者の田中於菟弥、言語学者・西洋古典学者の高津春繁が育った。 田中美知太郎: 1950年(昭和25年)日本西洋古典学会を呉茂一、高津春繁、村川堅太郎、松平千秋等と設立、呉の後任で委員長に就いた(第2代、1956年(昭和31年)-1965年(昭和40年))。 セルゲイ=アクサーコフ: 高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 1 文学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1973-8-10)。 会田綱雄: 高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 1 文学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1973-8-10)。 マイケル=ヴェントリス: 高津春繁 著「ミュケーナイ文書の解読」、高津春繁、関根正雄 編『古代文字の解読』岩波書店、1964年、235-302頁。 |
高津春繁
高津 春繁(こうづ はるしげ)さんの誕生日は1908年1月19日です。兵庫出身の言語学者のようです。
研究活動、逸話などについてまとめました。卒業に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
高津 春繁(こうづ はるしげ、1908年1月19日 - 1973年5月4日)は、日本の言語学者、比較言語学研究者、古代ギリシア文学研究者。学位は、文学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。 東京大学文学部教授、武蔵大学人文学部教授、人文学部長(初代)を歴任。 1908年 - 兵庫県神戸市に生まれる。(叔父も西洋古典学者・言語学者の田中秀央) 神戸一中、第六高等学校を経て、東京帝国大学に入学。 1930年 - 東京帝国大学文学部言語学科卒業(卒業論文:「ソフォクレスにおけるsubjunctive mood」) 1930年 - 1934年 オックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学、ギリシア語とサンスクリット語の比較言語学を研究する。 1934年 - Diploma of Comparative Philology of Greek and Sanscrit 1934年 - 帰国 1938年 - 東京帝国大学助手 1942年 - 同大学 講師 1946年 - 学位論文「アルカディア方言の研究」で東京大学より文学博士の学位を受ける。 1948年 - 東京大学助教授 1951年 - 同大学教授(言語学科第二講座担当) 1965年~73年(没時まで) - 日本西洋古典学会委員長(第3代) 1968年 - 同大学退官(3月) 1968年 - 武蔵大学教授 人文学部長(4月) 1968年 - 東京大学名誉教授(5月) 1971年 - 『還暦記念論文集 言語の系統と歴史』(服部四郎編、岩波書店刊) 1973年 - 5月4日午前8時55分、がん性肋膜炎のため東京港区虎ノ門病院で死去。告別式:杉並区永福にある築地本願寺和田堀廟所で、武蔵大学人文学部と合同葬で行った。喪主は久美子夫人。 研究活動高津はオックスフォード留学から帰国後まもなく、東京帝国大学(東京大学)においてそれまで福島直四郎(後に改名し辻直四郎)が担当していた印欧語比較文法の講義を始めた。そしてその成果が初めて公にされたのが「印欧語母音変化と Laryngales の発見」(『言語研究』第3号、1939年)である。これは、近代言語学の祖とも言われるフェルディナン・ド・ソシュールが1878年に提唱し、当時は一般には受け入れられなかった印欧比較文法における Laryngales(喉音)理論を詳論したものである。1939年3月脱稿でありながら、その前年に欧州で発行された専門書・雑誌をも充分に活用・言及している。上記の喉音理論は、提唱者のソシュールの死後、学会の認めるところとなる訳だが、高津は自らの論文を以下の言葉で終えている。「……私は未だ壮年にして逝った彼に今二三十年の生を与えて、ヒッタイト語の発見・解読を体験せしめ、若き日の理論の確認と発展を自らなすを得さしめたかったと思ふのである……今更の様に此の偉大なる印欧比較文法学者への追慕の念の切なるを覚える」(一部漢字を新字体に変更)。 高津の研究は、大きく分けて、1)印欧語比較文法、2)古代ギリシア語、3)翻訳、4)その他(文学史、啓蒙書等)に分類できる。 著作『印欧語比較文法』で、音韻論・形態論のみに止まらず、統語論および印欧諸語の近親関係まで説き及ぶ比較文法を論じている。 高津は、学風としてはフェルディナン・ド・ソシュールのパリでの後継者であるアントワーヌ・メイエに傾注していたようであるが、その主著 Introduction à l’étude comparative des langues indoeuropéennes は、「今まで出たこの種の概説中最も秀れたもの」と評価しながらも、「余によく整理されているため、本書によっては印欧語比較文法の未解決不明の点を知ることがむずかしい」としている。 高津の古代ギリシア語の成果は、『アルカディア方言の研究』と『ギリシア語文法』に集大成されている。名詞と動詞の語形変化と、単純な文章だけを羅列する語学書ではなく、各語の方言形の説明のために歴史的発展をも詳述する。また、シンタックスに挙げられた例文は、高津みずからが古典作品から選びぬいたもので、「話者の気持とも称すべきものを併せて説明しようと試みた(「はしがき」より)」ものである。 翻訳・校訂注解は、古代ギリシアのホメロス『イリアス』、『オデッセイア』から、古代ローマのラテン語作家まで数多く行っている。 高津の専門である古代ギリシア文学関係の著書などもこれに分類でき、『ギリシア民族と文化の成立』のような専門書から、一般読者を念頭に置いた数多くの概説・解説書までを出版した。 逸話高津は非常に探偵小説が好きであった。ある時作家大岡昇平が高津家に訪れ、「読んでばかりいないであなた自身も何か書きなさい」と言われた。 また読むのも速く、「京都へ行くと英語の探偵小説が片道に1冊ずつ要るからね」と言っていた。
高津は最期の病床にあっても英語の探偵小説を読み続け、久美子夫人が「買ってきてもすぐ読んでしまう」とこぼす程であった。 (風間喜代三の追悼文、月刊『言語』1973年7月号、大修館書店) 千野栄一『外国語上達法』(岩波新書, 1986年) P.3 に、「古代ギリシャ語の先生だと思っていた方が三百頁もあるロシア語の本を三日ほどで読みこなして、『ねえ、君、一八六頁の例文おかしいね』とかいわれると、その本を読むだけでも一カ月は必死だったが、やっと読み上げてその先生のところへ顔を出すと、『あれねえ、この方がもっと面白いよ』と、別の本を差し出されるのである」という一節があるが、この「先生」が高津春繁である。 前出、千野栄一の著作では、古代ギリシャ語(同著では「古典ギリシャ語」と表記)に関して、以下のようなエピソードも紹介されている。 2024/05/26 08:33更新
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koudu harushige
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