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高階秀爾
高階 秀爾(たかしな しゅうじ)さんの誕生日は1932年2月5日です。東京出身の美術史家のようです。
受賞・栄典、業績・人物などについてまとめました。卒業、父親、解散に関する情報もありますね。今年の情報もありました。
高階 秀爾(たかしな しゅうじ、1932年2月5日- )は、日本の美術史学者・美術評論家。 大原芸術研究所所長。東京大学文学部名誉教授。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院院長、公益財団法人西洋美術振興財団理事長、大原美術館館長などを務めた。秋田県立美術館顧問。多くの著作で作品鑑賞を通じ、美を感ずる心の普遍性を発信し続けている。 東京生まれ。旧姓・佐々木。父は哲学者・高階順治。佐々木は母方の姓である。 1944年 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、のちに東大教授となる芳賀徹、平川祐弘、石井進、平田賢と同じクラス(第1部)。波多野里望と仲良し。東京高師附属中学(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。1944年9月から1946年9月まで、父親の出身地である秋田県(大曲町)に疎開し旧制角館中学で学ぶ。 1948年 四修で旧制第一高等学校に入学。1年修了で翌年新制東京大学に入学。 1953年 東京大学教養学部教養学科卒業。在学中に矢代幸雄の『世界に於ける日本美術の位置』を読み、西洋美術史研究を志す。 東京大学大学院在学中、1954-1959年にフランス政府招聘留学生として渡仏、パリ大学付属美術研究所およびルーブル学院で西洋近代美術史を専攻、展覧会の運営など美術行政も学んだ。 帰国後、国立西洋美術館主任研究官 1967年 遠山一行、江藤淳と雑誌『季刊藝術』を創刊(編集長:古山高麗雄、1979年まで計50号発行) 1968年 この年発足した日本文化会議に参画(1994年に解散) 1971年 東京大学文学部美術史科助教授 1979年 同教授 1992年 定年退官し名誉教授、国立西洋美術館館長(2000年まで) 1997年 パリ第一大学名誉教授 2002年4月 - 2023年6月 大原美術館館長 2004年 京都造形芸術大学大学院長、同比較藝術学研究センター所長 2008年 京都造形芸術大学退職 2015年 日本芸術院会員 2020年10月 - 2023年9月 日本芸術院長 2024年4月に開設する大原芸術研究所の所長に就任(運営財団理事を兼務) 受賞・栄典1972年 - 『ルネッサンスの光と闇』で芸術選奨文部大臣賞、日本翻訳出版文化賞 1981年 - フランス文化省から芸術文化勲章シュヴァリエ章(騎士) 1988年 - NHK放送文化賞 1989年 - 芸術文化勲章オフィシエ章(将校) 1997年 - 明治村賞 1998年 - 日本文化デザイン大賞 2000年 - 紫綬褒章 2002年 - 日本芸術院賞・恩賜賞 2001年 - フランスレジオンドヌール勲章シュヴァリエ章。日仏美術交流に関する長年の貢献により 2005年 - 文化功労者 2012年 - 文化勲章 業績・人物西洋美術館研究官、東京大学の美術史教授として、1963年の『世紀末芸術』を始め数多くの著作があり、啓蒙的役割を果した。ルネサンス期以降の西洋美術を専門としながら、日本近代美術にも造詣が深くその方面の著作、画集編集もある。 同じ東京大学比較文学教授を務め、京都造形芸術大学名誉学長である芳賀徹とは小学校時代からの友人。 『名画を見る眼』正・続(岩波新書)は、半世紀重版され計・82万部出された(新版の紹介より)。 2024/05/20 17:03更新
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takashina syuuji
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