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ガッツ石松の情報 (がっついしまつ)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

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ガッツ 石松さんについて調べます

■名前・氏名
ガッツ 石松
(読み:がっつ いしまつ)
■職業
ボクシング、俳優
■ガッツ石松の誕生日・生年月日
1949年6月5日 (年齢75歳)
丑年(うし年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
栃木出身

(昭和24年)1949年生まれの人の年齢早見表

ガッツ石松と同じ1949年生まれの有名人・芸能人

ガッツ石松と同じ6月5日生まれの有名人・芸能人

ガッツ石松と同じ出身地栃木県生まれの有名人・芸能人


ガッツ石松と関係のある人

鈴木佑季: 最驚!ガッツ伝説(光文社 / 著者:EXCITING編集部 / 監修:ガッツ石松、鈴木佑季 / 2004年7月8日 / ISBN 4-334-97456-2)


エディ=タウンゼント: 減量中理不尽なことで後輩に怒りをぶちまけたガッツ石松を問い詰めないなど選手の気持ちを最優先した指導者であったが、誘惑が多く禁欲的なボクサーの生活に耐え切れず身持ちを崩した赤井英和が負傷し引退したことをきっかけに井岡に対しては「いい彼女を作りなさい。


嘉門達夫: 2002年発売の『ガッツ石松伝説』や同じく2003年の『明るい未来』など、話題作を続けて発表。


堀口宏: ガッツ石松 - 同郷の元プロボクサー。


高崎卓馬: 朝日新聞 朝日新聞デジタル ガッツ石松、松坂桃李、麻生祐未、刈谷友衣子(2012年)


ロベルト=デュラン: 1973年9月、パナマでガッツ石松に10回TKO勝利。


渡辺久江: 2003年4月2日に大門まい子を判定で下し雪辱を果たした後、同郷のガッツ石松から激励を受けた。


増山さやか: マイケアプレシャスタイム ガッツ石松の人生いろいろ OK牧場(アシスタント) - 2016年2月7日 - 2017年3月12日


渡瀬恒彦: ガッツ石松は兄貴分として渡瀬と40年来の親交があった。


米倉健司: "ヨネクラジム米倉健司会長死去、88歳 ガッツ石松氏、大橋秀行氏ら世界王者5人育成".


柴田国明: 夜になると退屈な記者達は当時ガッツ石松が地元で開いていた飲み屋に遊びに行ってしまう。


松野明美: それまでの元スポーツ選手のバラエティタレントといえば、定岡正二や池谷幸雄などのように、本職のお笑い芸人にいじってもらって引き立つ芸風が主流であった(その先駆者としてはガッツ石松がいる)。


橋田壽賀子: 橋田が俳優として努力する様子に感じ入ったというガッツ石松も、良い役を与えられ、幾度となく出演している。


米倉健司: “ヨネクラジム米倉健司会長死去、88歳 ガッツ石松氏、大橋秀行氏ら世界王者5人育成”. 日刊スポーツ (2023年4月21日). 2023年10月20日閲覧。


ダンプ松本: しかし、ゲストのガッツ石松はダンプの行為に対して本気で怒り、殴りかかる勢いで抗ったため内心は恐怖で逃げ出したかったが、テレビカメラの前だったため平静を装ったという。


大熊正二: 最初の世界タイトル獲得時は、柴田国明やガッツ石松、輪島功一の全盛期で、2度目のタイトル奪取時は具志堅用高が連続防衛記録を伸ばしていた時期で、当時の日本人世界王者と比較すると地味な印象だったが、コツコツと実績を積み上げて王座に返り咲いた。


はなわ: 同年6月、「エンタの神様」(日本テレビ)で2003年10月から披露してきた持ちネタ「ガッツ石松伝説」を「伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜」としてCD化。


やくみつる: ガッツ石松、やくとの公開討論を行い判定の批判への不満を露わにした。


ロドルフォ=ゴンザレス: 1974年4月11日、東京の日大講堂で行われた3度目の防衛戦で、挑戦者のガッツ石松に対し8RKO負けを喫した。この試合でガッツ石松が今の「ガッツポーズ」を創造したという話もあるが、創造した訳ではなく、その姿を見たマスコミが名前をつけたにすぎない。


センサク=ムアンスリン: 日本での2度目の防衛戦は蔵前国技館でガッツ石松の挑戦を6回KOで退けた。


飯田圭織: 3月、幸田露伴原作の映画『五重塔』にて、主人公のガッツ石松の娘役として、ソロ活動後初めて映画出演する。


島木譲二: また、公式試合においてタイムキーパーを務めていたこともあり、「ガッツ石松 vs ロドルフォ・ゴンザレス戦」(WBC世界ライト級タイトルマッチ、1974年11月28日、大阪府立体育会館)、「具志堅用高 vs ハイメ・リオス戦」(WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ、1978年5月7日、広島県立体育館)といった世界タイトル戦でもタイムキーパーを担当したと語っている。


ロドルフォ=ゴンザレス: 1974年11月28日、大阪府立体育館でガッツ石松にリターンマッチを挑んだが12RKO負けを喫し、王座奪還を果たせずこの試合を最後に現役を引退した。


下平さやか: ガッツ石松のこれさえ見ればOK牧場(番宣番組、2004年3月6日 - 2006年4月22日)


エディ=タウンゼント: ガッツ石松が劣勢に追い込まれた時、「この試合判定ならアナタの負けネ。


岡本麗: アビバジャパン(ガッツ石松、鈴木紗理奈と共演)


鈴木佑季: 最驚!ガッツ伝説 2 (光文社 / 著者:EXCITING編集部 / 監修:ガッツ石松、ガッツファミリー / 2004年11月18日 / ISBN 4-334-97469-4)


柴田国明: WBC世界ライト級王者ガッツ石松など、好選手が多く在籍していたヨネクラジム最盛期にあっても、ジムのエースとして君臨した。


桑原征平: 当時のWBC世界ライト級チャンピオンで、放送の直前に大阪府立体育会館のタイトル防衛戦でロドルフォ・ゴンザレスに勝利したばかりのガッツ石松のインタビュアーを務めた。


ロベルト=デュラン: 「石の拳(こぶし)」と形容されたワイルドな強打で、後のWBC世界王者ガッツ石松、タフで鳴らしたレイ・ランプキン等の実力者を相手に、「10連続KOを含む11度の防衛」を達成。


ガッツ石松の情報まとめ

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ガッツ 石松(がっつ いしまつ)さんの誕生日は1949年6月5日です。栃木出身のボクシング、俳優のようです。

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来歴、ボクサーとしての特徴などについてまとめました。現在、引退、卒業、事件、ドラマ、映画、テレビ、父親に関する情報もありますね。ガッツ石松の現在の年齢は75歳のようです。

ガッツ石松のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ガッツ 石松(ガッツ いしまつ、1949年〈昭和24年〉6月5日 - )は、日本の男性俳優、タレント、政治活動家。広島国際学院大学現代社会学部客員教授。元プロボクサー。元WBC世界ライト級王者。本名は鈴木 有二(すずき ゆうじ)。栃木県上都賀郡清洲村→粟野町(現在の鹿沼市)出身。株式会社 ガッツ・エンタープライズ代表取締役社長であり、ガッツ・エンタープライズ所属。タレントの鈴木佑季は長女。

ガッツ石松はヨネクラボクシングジム所属で、アジア人で初のWBC世界ライト級チャンピオンだった。当時はWBCとWBAの2団体しかない時代で、ライト級は非常に層が厚い階級だったが、世界の強豪を抑えてタイトルを5度防衛した。ボクサーとしての生涯戦績は、51戦31勝(17KO)14敗6分。

ボクシング引退後はタレント、俳優として長く活動している。

1996年、森喜朗の勧めで第41回衆議院議員総選挙に東京都第9区から自由民主党公認で立候補したが落選した。

粟野町役場庁舎内(現在、鹿沼市役所粟野支所庁舎)に、「粟野町出身の名誉人」として、額入りの顔写真を掲げられている。

来歴

ボクサー時代まで

中学生時代は学校の体育の教師を夢見ていたが、家庭の経済的事情のため進学を断念し、中学卒業とともに上京。様々な職業を転々としながら、ボクシング修行を続ける。

最初のプロテスト不合格を経て1966年12月11日に藤原正夫(堀口)に1回KO勝ちでプロデビュー。当時のリングネームは鈴木石松。「石松」の由来は「死んでも直らないほどのおっちょこちょい」という森の石松である。4回戦時代は当初、勝ったり負けたりの状態であり、1回KO負け(1967年8月9日、村林桂次(木村)戦)の経験もある。後にヨネクラジムと契約していたエディ・タウンゼントの教えを受けている。

1969年、全日本ライト級新人王。同期の新人王にウェルター級の輪島功一がいた。

1970年1月25日、世界王座挑戦がほぼ決まっていた、東洋ライト級王者・ジャガー柿沢(中村)の前哨戦の相手に選ばれるが、番狂わせの一方的な判定勝ちを収め、柿沢に代わって世界挑戦権を得る。

1970年6月6日、パナマでWBA・WBC世界ライト級王座挑戦。イスマエル・ラグナ(パナマ)に13回TKO負けを喫する。

1971年3月3日、日本ライト級王者高山将孝(堀口)に挑むが、10回引分でタイトル奪取ならず。

1972年1月16日、5か月前にKO負けしている門田新一(三迫)の東洋ライト級タイトルに挑戦。今度は判定勝ちで王座奪取する。試合後「今の目標は、生意気ですが、ブキャナン(当時WBA王者)です」と語ったが、3年後には王者としてこのブキャナンの挑戦を受けることになる。東洋ライト級王者となった後、池袋で白タクの利権がらみで弟にからんだトラック運転手等15人を相手に喧嘩をし、2人をKOしたという事件(俗に言う池袋乱闘事件)を起こし、現行犯逮捕された(後に正当防衛を認められ釈放された)。その時の事情聴取でガッツは「チャンピオンは“いついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない”と賞状に書いてある」と供述した。その後2日間勾留されたが、プロボクサーライセンス剥奪には至らなかった。

1973年9月8日、WBA世界ライト級王座挑戦。石の拳ロベルト・デュラン(パナマ)の持つ世界ライト級王座に敵地パナマで挑戦し、10回KO負け。試合の勝敗以前にガッツの「パナマのリングは暑くてスタミナが持たない、こりゃ勝てない」という諦めの早さに米倉健司会長は怒ったという。しかしガッツは全盛期のデュランとの戦いで「世界チャンピオンは確かに強いがこんなものか。技術的にはそんなに劣っていない!自分のスタミナさえあれば勝てない相手ではない」とボクシングの悟りをひらいたと言う。

当時はこのように、試合で少しでも形勢が悪くなると試合放棄に近い行動を取り勝てる試合を落としたり(日本の世界王者の中でチャンピオンになる前に10敗以上しているのはガッツのみである)、ランニングが嫌いで「ランニング行って来ると言ってはジムを出て帰りに水を被ってくる(本人談)」ということがしばしばあったため、ジム側が「ガッツのあるボクサーになってくれるように」との思いを込めて「ガッツ石松」にリングネームを改める。

1974年4月11日、東京・日大講堂で、WBC世界ライト級王座挑戦。ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)に8回KO勝ちで王座奪取。戦績59勝50KO5敗、しかもその前5年間の敗北は一階級上の名王者アントニオ・セルバンテス(コロンビア)に喫した1敗のみという王者に対し、ガッツの戦績は26勝14KO11敗6分であったため、下馬評はガッツは99%勝てない。と言われる程の圧倒的不利の予想であった。だが、試合が始まってみると、ガッツは絶好調で、毎回ほぼ互角の打ち合いが続いた。8回、ガッツのパンチを吸収し、動きがやや重くなった王者に対し、ガッツは強烈な左フックをヒット、ロープに下がった王者にすかさず左右を連打しダウンを奪った。ややレフェリーのカウントはロング気味で、何とか立ち上がったゴンザレスから、すかさずガッツは2度目のダウンを奪う。ところが、レフェリーはこれを「スリップ」と判断し、なおかつキャンバスに倒れた王者を助け起こすルール違反を犯す。セコンドの米倉健司、エディ・タウンゼントらが激高、抗議のためリングに上がりかけるほどの事態だったが、ガッツは冷静に「大丈夫。倒すから」とセコンド陣を制したのち、その言葉どおりにコーナーでゴンザレスを乱打して、今度こそキャンバスに完全に沈めた。最初のダウンを奪ったパンチは、本人曰く「ワンツーパンチ」だが、左・右を繰り出す間隔が短く相手には右腕の動きが見切れないことから、“幻の右”と評された(試合後のインタビューで自ら語っていたという説もある)。トレーナーのエディ・タウンゼントも「今日のイシマツ、新しい力入ったのよ。」と驚いたほどの会心の出来だった。この試合は本来3か月前に行われるはずであったが、ゴンザレスがクモに噛まれたために延期になった。後に、ガッツは「この3か月の延期によってスタミナを付けることができた。私には運があった。」と述べている。この対戦から32年後に番組の企画で再会した際、ゴンザレスも貧しい家に生まれたこと、ボクシングの世界チャンピオンになったこと、そして、引退後に俳優になったことなど、あらゆる点で共通していたことを知る。ゴンザレスへの挑戦前は、世界王座獲得後は元の鈴木石松に戻すと語っていたが、実行しなかった。

世界王者を獲得したファイトマネーで実家のボロ家に住む両親に新築の一軒家をプレゼントした。その頃、妻と娘の3人暮らしも貧しかったが、ガッツは妻に「世界チャンピオンになった、このファイトマネーは俺にくれ!実家の暮らしを助けるために俺はボクシングを始めたんだ。俺は、これから必ず5回は防衛するから」と告げると妻もそれを容認した。この後、約束通り5回の防衛に成功する。

1974年9月12日、愛知県体育館でチュリー・ピネダ(メキシコ)を相手に初防衛戦、風邪をひいて最悪の体調のため、苦戦するが、辛くも引き分けで初防衛に成功した。

1974年11月28日、大阪府立体育会館で、ロドルフォ・ゴンザレスとリターンマッチで対戦し、12回KO勝ちで2度目の防衛に成功した。

1975年2月27日、東京体育館で、元WBA・WBC王者であり、超一流のテクニシャンとしても名高い世界1位の指名挑戦者ケン・ブキャナン(イギリス )相手の防衛戦を行う。この試合まで56勝25KO2敗の戦績を誇るブキャナンは、その5年前にガッツの挑戦を退けた直後のラグナから15回判定勝ちで王座を奪取し、3度目の防衛戦で、ややローブロー気味のボディブローでロベルト・デュランにKO負けし、WBA王座を奪われたものの、その後3年間は負けなし(13戦全勝9KO勝ち)、ガッツ自身を始め、日本の一流どころがいずれも勝てなかった李昌吉(韓国)にも2回KO勝ちしていた。序盤はガッツがブキャナンの左に合わせて、威力ある右を再三ヒット、ブキャナンは左目が腫れてふさがったが、中盤はブキャナンが全盛期を思わせるスピードでガッツの廻りを動きながら、左ジャブを再三ヒットし、ポイントをリードした。これに対し、ガッツは12回、左右を風車のように振り回す「ケンカ殺法」でブキャナンのペースを乱し、13回には右を決めてダウンを奪う(判定はスリップだったが、イギリス人のジャッジ、ハリー・ギブスはこの回を10対8でガッツに付けている)など最後の3Rはほぼ一方的に打ちまくって3-0の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。WBCは、この月の月間MVPにガッツを選出した。最強の挑戦者ブキャナンを下したことで、ガッツの評価は揺るぎないものになった。

1975年6月5日、大阪の近大記念体育館で、前回引き分けているチュリー・ピネダと再戦、今回もやや手こずったが、終盤はアウトボクシングするなど、ピネダの攻勢をかわし、3-0の判定勝ちで4度目の防衛に成功した。このあたりから、ライト級の体重維持がだんだん苦しくなる。

1975年12月4日、東京・日大講堂で、アルバロ・ロハス(コスタリカ)を苦戦の末、10回に右アッパーでダウン寸前に追い込み、14回に右アッパーの一撃で倒し5度目の防衛に成功した。

1976年5月8日、6度目の防衛戦でエステバン・デ・ヘスス(プエルトリコ)に15回判定で敗れ王座から陥落した。この試合、経済的に後進地域だったプエルトリコが、当時としては異例の20万ドルをガッツのファイトマネーに用意した。プエルトリコの英雄ヘススへの期待とガッツの知名度、人気の高さも関係していた。

1977年4月2日、WBC世界ジュニアウェルター級王座に挑戦するが、センサク・ムアンスリン(タイ)に6回KO負けで2階級制覇ならず。この試合、ガッツにとって1年ぶりの試合であり、約15kgの減量を余儀なくされていた。

1978年、後の日本スーパーウェルター級王者・新井容日(大星)に判定負けし、引退した。

引退

タレントに転身し、俳優としてもドラマ映画に起用されるようになる。テレビのバラエティ番組などにおいては、その特異なキャラクターを生かしている。現在数多く存在する元ボクサータレントの草分け的存在でもある。

東映の任侠映画が大好きで、高倉健と菅原文太の大ファン。上京後、ボクシング修行時代の1969年には役者にもなりたいと東映東京撮影所に売り込みに行った。演技の学校の月謝が3万円と聞いて極貧時代の当時では断念せざるを得なかったが、元々ボクシングで強くなる目的は、有名になって映画に出たいからだった。

プロボクサーから俳優に転向したときは、「ボクシングで有名になったからといって、俳優などできるはずがない」と反対されたが、ただ、少年時代から憧れだった高倉健と共演したかっただけだという。そもそも東京に来てボクサーになった動機が「有名になって健さんと共演したかったから」だと後に語っている。俳優転向後、ハリウッド映画『ブラック・レイン』のヤクザ役でその夢を果たした(現役時代に高倉健主演「神戸国際ギャング(1975年)」に出演している)。1987年にはスティーヴン・スピルバーグ監督作『太陽の帝国』にも出演している。

テレビドラマでは『北の国から』や『おしん』など、多数出演した。『北の国から』の最初のテレビシリーズでは、ボクシングに挑戦する設定の北村草太を演じる岩城滉一に指導をおこない、岩城は「勝ったらシナリオを変える」という前提でプロの4回戦選手と実際に試合をした。

円谷プロ作品にも度々出演しており『ぼくら野球探偵団』ではレギュラーで一人二役をこなし、『ウルトラマン80』と『ウルトラマンティガ』にゲスト出演している。

自ら監督・企画・脚本・製作・製作総指揮を務めた映画作品に『カンバック』(1990年)、『罪と罰』(2011年)がある。

2004年には、お笑い芸人・はなわのネタから生まれたCDシングル『伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜』にてブレイクした。

ボクシング界との関係を断ってはおらず、以下のような活動をおこなっている。

1995年世界タイトル初挑戦時の平仲信敏の特別コーチを務めた。

TBSが2006年8月2日に中継したWBA世界ライトフライ級王座決定戦における亀田興毅勝利の判定について、ガッツ石松も業界の一人としてメディアから取材を受けた。インタビュー映像や、同件に関してコメンテーターとしてワイドショーに出演した際などは、淡々と意見を述べていた。テレビ朝日の朝の情報番組・『スーパーモーニング』でガッツと当番組のコメンテーターやくみつるが判定に苦言を呈したり、パフォーマンスや言動に対して苦言を呈したことに王者である興毅の父親でトレーナーでもある亀田史郎が番組への不満を露わにしたことで出演を望み、公開討論が設定された。史郎から「掘り起こすようにこの試合は負けだったというのはおかしい」「ガッツさんには世界チャンピオンらしいコメントしてほしい」などガッツが「私のジャッジでは亀田の勝ちではない」と発言したことに不快感を示し口調も荒かったが、それでもガッツは「私は元世界チャンピオンとしてこの試合は亀田の勝ちじゃないと言ってる人に説明責任がある」と言い淡々と意見を述べた。この討論に同席したやくみつるが史郎を挑発した際には、「やくさん、この場でそういうことをやるのはおかしい」と窘めていた。パフォーマンスはボクシングにはよくあることでそれはやってもいいと述べていた。一方で史郎がこの王座決定戦前の計量でファン・ランダエタからオムツを渡された興毅が激怒してオムツを床に叩きつけた際に、史郎にランダエタが「これ被っとけアホ」と軽く言った後に大声で「お前オムツやっとけやオムツアホオラ!」と暴言を吐いたことには「あの場で周りのスタッフが相手選手に暴言吐くなんてありえない。そんなことは全世界どこでもやってない」「親父さんが出ちゃダメ。実際に闘うのは息子本人であってあんた(史郎)じゃねんだよ」と苦言を呈した。

その後、テレビ東京が2006年9月18日に中継したWBC世界スーパーフライ級暫定王座決定戦の川嶋勝重対クリスチャン・ミハレス戦にゲストで招かれた(川嶋の師匠である大橋秀行はヨネクラの後輩)。ダウンを奪った川嶋が1-2で判定負けし、亀田戦同様「疑惑の判定」と言われかねない試合だった。しかし、独自採点を中継中に公表、ガッツの採点はジャッジ2名と同じ113-114で川嶋の負けであった。

2010年に、元世界王者により発足される「プロボクシング・世界チャンピオン会」初代会長に就任した。

ボクサーとしての特徴

幻の右と言われたパンチが注目されていたが、防御面でも卓越した技術を持っていた。

2024/06/14 18:30更新

gattsu ishimatsu


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