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松野明美の情報 (まつのあけみ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

松野明美の情報(まつのあけみ) 陸上競技/マラソン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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松野 明美さんについて調べます

■名前・氏名
松野 明美
(読み:まつの あけみ)
■職業
陸上競技
マラソン
■松野明美の誕生日・生年月日
1968年4月27日 (年齢49歳没)
申年(さる年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
熊本出身

(昭和43年)1968年生まれの人の年齢早見表

松野明美と同じ1968年生まれの有名人・芸能人

松野明美と同じ4月27日生まれの有名人・芸能人

松野明美と同じ出身地熊本県生まれの有名人・芸能人


松野明美と関係のある人

谷川真理: 1992年の大阪国際女子マラソンでは小鴨由水や松野明美が日本記録を更新するなど、谷川を上回る好記録を収める選手が続出した為、東京国際女子優勝の谷川と共に、名古屋国際女子優勝の大江光子も、バルセロナ五輪女子マラソン代表の最終候補選手には挙げられなかった(バルセロナ五輪女子マラソン日本代表は山下の他2番手に小鴨、最後の三番手の椅子を有森と松野が争うも、結果有森が代表選出された)。


有森裕子: そのオリンピックの女子マラソン代表の座をめぐり、有森が出場しなかった1992年1月の大阪国際女子マラソンでは、有森の日本最高記録を更新して2時間26分26秒のゴールタイムで優勝し、バルセロナ五輪代表を確定的にした小鴨由水に次ぎ、2時間27分2秒の好記録で2位となった松野明美と比較されることになる。


岡田正裕: 1988年ソウルオリンピック女子10000m代表の松野明美を育て、全国的な名声を得た。


ドイツみちこ: 松野明美の物真似を披露。


千葉真子: 3月16日、日本テレビの『THE・サンデー』で谷川真理・松野明美と共に、北京オリンピック女子マラソン代表選考について議論(VTR出演)。


安部友恵: 松野明美は11位。


荒木久美: だが、レース本番では優勝した小鴨由水(のちバルセロナ五輪・女子マラソン代表に選定)、2位に入った松野明美ら、初マラソン組のハイペースを追走しなかったことが裏目に出て、逃げ切りを許してしまう。


みはる: 松野明美


小掛照二: バルセロナオリンピック(1992年)では選考競技会の大阪国際女子マラソンで好タイムながら日本人2位の松野明美と、同じく選考会である前年夏の世界陸上4位(日本人では2位)の有森裕子が比較の対象となった。


みきさえ: 元マラソンランナー松野明美子育て奮闘記 ありがとうと言える日(前・後編) (2009年4月号-6月号 笠倉出版社・嫁と姑デラックス))


真木和: 1992年、真木は兵庫リレーカーニバルで、松野明美の持つ10000mのタイムを更新する、31分40秒38をマークして日本新記録達成。


有森裕子: 後に『[劇場版]ライバル伝説 光と影』の映画鑑賞企画において20年ぶりに再会した際、有森は「20年間、松野明美を避けて来た」、「以前も何回か対面の機会はあったのですが、心情簡単には会えないなと思いまして、私の方が避けていました」と心情を吐露している。


福士加代子: 川内と全く逆に、1992年バルセロナオリンピック女子マラソン日本代表が有力視されながら選出を逃した松野明美は、2月28日にフジテレビ「ワイドナショー」へ出演中、「(名古屋ウィメンズも出場したら)五輪本番前に選手が疲れる。


鈴木奈都: 中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS、2015年7月31日)- 再現VTRの松野明美


増田明美: 12月の全日本実業団対抗女子駅伝では、それまで無名の松野明美に追い抜かれた。


白羽弥仁: 富士通スペシャル スポーツ人間交差点〜光と影〜 松野明美×有森裕子(2011年、TBS)


浅利純子: その後は松野明美(初マラソン・2位)や山本佳子(4位)等にも抜かれ、代表を逃した。


鈴木奈都: 小出の物真似ネタは鈴木が考案したものだったというなお、他の物真似レパートリーには江角マキコ、寺島進、松野明美、高畑淳子、千堂あきほ。


朝比奈三代子: 1992年の大阪国際女子マラソンでは、ライバルの小鴨由水(当時初マラソン世界記録及び日本最高記録で優勝)・松野明美(2位)らと共にマラソンデビューを果たし注目を集めたが、30km以降で失速し2時間30分48秒で9位に終わる。


真木和: 他にも五十嵐美紀、松野明美と3選手が代表入りとなる。


増田明美: 松野明美が実業団対抗女子駅伝で自分を抜いたときには、一瞬沿道の小学生が飛び出してきたと思い、ゼッケンを確認してショックを受けたという。


加藤めぐみ: 松野明美


弘山晴美: なお、弘山と同じ1968年生まれで活躍した日本女子陸上選手に、松野明美・真木和(2018年・乳癌により49歳で逝去)・鈴木博美がおり、この4人が「四天王」と謳われた時期もある。


加藤めぐみ: クレヨンしんちゃん・サザエさん・イタコなどの格好で、松野明美、ユンソナ、小倉優子などの物真似をする。


松野明美の情報まとめ

もしもしロボ

松野 明美(まつの あけみ)さんの誕生日は1968年4月27日です。熊本出身の陸上競技
マラソンのようです。

もしもしロボ

引退、現在、卒業、退社、結婚、テレビ、映画、事件、ドラマに関する情報もありますね。49歳で亡くなられているようです。

松野明美のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

松野 明美(まつの あけみ、本名:前田明美、1968年〈昭和43年〉4月27日 - )は、日本の政治家、タレント、元陸上競技長距離走・マラソン選手。

1988年・ソウルオリンピック女子10000m日本代表。その後女子マラソンでもオリンピックを目指したが、マラソンの種目で五輪代表に選出されることは一度も無かった。

選手引退後はタレント活動を経て政界入りし、熊本市議会議員(2期)、熊本県議会議員(2期)を経て、第26回参議院議員通常選挙に日本維新の会比例代表候補として出馬し当選した。

1968年 - 誕生

1984年 - 植木町立鹿南中学校(現在の熊本市立鹿南中学校)卒業

1987年 - 熊本県立鹿本高等学校卒業

1987年 - ニコニコドー入社、同女子陸上部入部

1988年 - ソウルオリンピック 女子10000m出場

1990年 - 北京アジア大会 女子10000m 3位・銅メダル獲得

1991年 - 世界陸上選手権東京大会 女子10000m出場

1993年 - 世界陸上選手権シュトゥットガルト大会 女子マラソン出場

1995年 - 現役引退

1999年 - ニコニコドー退社後独立

2001年 - 結婚

2010年 - 熊本市議会議員選挙に立候補し初当選

2011年 - 熊本市議会議員選挙に立候補し再選

2015年 - 熊本県議会議員選挙に立候補し初当選

2019年 - 熊本県議会議員選挙に立候補し再選

2022年 - 第26回参議院議員通常選挙に立候補し初当選

1968年、スイカ・メロンの全国一の産地である熊本県鹿本郡植木町(現:熊本市北区)の農家に生まれる。小学生の頃は無口でいじめられっ子だったが、小学校5年生の時に市内のマラソン大会で優勝。その時の母ユイ子の笑顔を見て嬉しく思い、陸上に目覚め、それとともに性格も明るくなる。以来、母のバイク伴走でマラソンの自主練習に励んだ。中学校ではバスケットボール部に所属していたが、高校から陸上部に所属。しかし、高校時代は全国的には無名で、当初は看護婦(現:看護師)を目指していた。

同じ1968年生まれの日本女子ランナーでは、1992年バルセロナオリンピック10000m・1996年アトランタオリンピックマラソン代表の真木和(のち姓・山岡、2018年10月に49歳没)、バルセロナ・アトランタ五輪両10000m代表で1997年世界陸上アテネ大会女子マラソン金メダリストの鈴木博美(現姓・伊東)、アトランタ五輪5000m・2000年シドニーオリンピック・2004年アテネオリンピック両10000m代表と、日本女子の陸上長距離界では唯一の五輪3大会連続出場者だった弘山晴美(旧姓・鈴木)、と錚々たる名前が並ぶ。この68年組の彼女ら(時に「四天王」とも呼ばれる)が横浜国際女子駅伝・国際千葉駅伝に代表される草創期の国際女子駅伝の全日本チームを支え、国内の女子駅伝を盛り上げ、そして日本女子長距離界を引っ張ってきた。しかしその一方で、この68年生まれの4人のうち女子マラソンでオリンピックに出場できたのは真木一人のみで、しかも真木は4人の中でマラソン最高記録ならびに選考レースでの記録が最も遅く、奇しくもあとの三人は同じように記録上は代表選手より早いにもかかわらず五輪に出場できていないという、女子マラソン五輪代表選考騒動 (後述)に巻き込まれることになる。

高校時代の松野は、全国区では無名とはいえ、九州地区では体の小さいランナーとして有名だった。ダントツでインターハイ九州地区大会を制覇しながらも、あまりにも体が軽すぎて(現役当時、身長147cm、体重35kg、足のサイズ21cm)、強風で飛ばされ足をラインの中に入れてしまい失格したほどである。それを見ていた岡田正裕(後に亜細亜大学監督として箱根駅伝で総合優勝)が、倒れながらも前に進もうとする松野の姿に感動し、勧誘したという話は有名。しかし松野の両親は猛反対。そこで岡田は何度も松野の家に通い、「オリンピックに行けるから」と言って説得したという(後に岡田も認めるように、当時としては当然ながら勧誘のためのリップサービスであった)。

高校卒業後、熊本の大手スーパーマーケットであるニコニコドーに入社。スーパーの時計売り場で働く。同時に、同社の取引先の営業マンだった岡田が「駅伝は金がかからないから」と同社社長を説得してその年に創設した実業団チームである同女子陸上部に所属。岡田監督の指導の下、月間1000キロ以上走り込み、国体優勝などの実績を積んでいく。のちには、拒食症・過食症を繰り返し、岡田自身が「休めるときは休め」と声をかけざるをえないほど、松野は練習の鬼となる。

松野の実質上の全国デビューはなんといっても女子駅伝である。全日本実業団対抗女子駅伝や全日本都道府県対抗女子駅伝などでは、小さな体で自分より大きなランナーを次々とごぼう抜きしていく姿が、(当時は女子マラソンや女子駅伝が始まったばかりで、駅伝中継に乗り出したTV局としても視聴率のとれるスターを求めていたということもあり)各メディアで鮮烈に取り上げられた。特に、ルーキーイヤーである1987年全日本実業団対抗女子駅伝では、初出場の熊本のニコニコドーという会社の名前やショッキングピンクのユニフォームも衝撃だったが、圧巻は最長の4区10キロで当時女子マラソンの第一人者だった増田明美(日本電気)を含む松野の12人抜き。非公認ながら10キロロードの日本最高記録32分17秒をマーク、松野は一躍全国の注目を集めた。まさしくそれは日本女子長距離界のエースが増田から松野へ代わった瞬間でもあった(これ以後、松野は増田明美とよく名前を間違えられた)。

1988年ソウルオリンピックでは、女子長距離トラック唯一の代表である10000m代表に選ばれた。本番でも積極果敢な走りを見せ、日本記録を出したものの次点で予選落ち。このとき、松野は増田の持っていた日本記録を6年ぶりに更新している。

女子駅伝の松野というとごぼう抜きのイメージが強いが、1988年第7回全国都道府県女子駅伝での荒木久美(鹿児島県チーム、ソウル五輪マラソン代表)との総合2位をめぐるアンカー対決(最後荒木にかわされ熊本チームは3位)など、印象に残る接戦も演じている。中でも1990年の全国実業団女子対抗駅伝では、新人五十嵐美紀(リクルート、バルセロナ五輪10000m代表)と最長区間4区で壮絶な総合2位争いを繰り広げた。松野は新人の五十嵐を軽くかわそうとしたが、五十嵐もかわされまいと前に出る。それに触発された駅伝女王・松野もまた前に出る…といった意地の張り合いはすばらしい接戦を生んだ。これは今日でも語り継がれる女子駅伝名場面である。チームとしてはニコニコドーは最終5区でリクルートに破れ総合3位にとどまるも、4区は松野が区間新記録で区間賞をとり、面目躍如。女王のまま、女子駅伝を去ることとなる。なお、同年九州実業団駅伝では10キロの非公認ロード記録・30分59秒をマークした。

1991年世界陸上東京大会では、10000mに出場した松野は故障上がりということもあり予選12位に終わり、決勝進出は成らなかった。予選レース後の記者会見では泣きながら「この小さな身体でよく頑張った自分を褒めてやりたい」とコメント、今後は長距離トラック競技からフルマラソン種目に転向する事を表明する。

松野自身初マラソン挑戦となった1992年1月、バルセロナオリンピック・女子マラソンの代表選考レースを兼ねた大阪国際女子マラソンでは、スタート直後から積極的に日本人首位争いの集団に加わっていた。だが、大阪城公園内に入った26Km地点を過ぎた辺りで、先頭を走る小鴨由水と浅利純子(共にダイハツ工業所属)らのハイペースについていかず、カトリン・ドーレ(ドイツの旗 ドイツ)と朝比奈三代子(旭化成)の第2集団に待機する。33Km過ぎ、松野はその第2集団から自ら抜け出してロングスパートを開始。残り5Km付近(約37.2Km地点)でペースダウンした浅利らを抜き去り、独り首位をひた走る小鴨を必死に追い掛けるも、その差が全く縮まらないままゴール地点の長居陸上競技場へ。松野と同じくこの大阪国際が初マラソンだった小鴨が、2時間26分26秒でレース当時の日本女子最高記録と及び初マラソン世界最高記録をマークして初優勝を果たし、それから36秒後に松野も日本最高記録(当時は有森裕子の2時間28分01秒)を59秒上回る、2時間27分02秒の好記録で2位に入る。この結果を受け、前1991年8月開催の世界陸上東京大会・女子マラソンにおいて2時間29分57秒で日本女子トップの2位入賞・銀メダル獲得により、既に日本代表に内定していた山下佐知子と、大阪国際女子マラソン優勝者・小鴨の二人と共に、松野も女子マラソンの種目で「バルセロナ五輪代表入りはほぼ確実」とも言われていた。

ところが、日本陸連関係者の間では国内選考レースで記録が良かった松野より、昨年8月に酷暑の中世界陸上東京大会女子マラソンで2時間31分08秒で4位入賞の実績を残した、有森裕子(リクルート)を推す声が高いという噂が出たことも有ったのか、ある日の新聞で『(バルセロナ五輪女子マラソン日本代表の)3人目は有森か松野か』と大きく記事にした紙面を見た松野は愕然とし、「有森さんはマラソンで世界陸上しか走ってないし、国内選考会を一度も出ていないのに?何で私と有森さんとが比較されてしまうの??」と、内心怒りがこみ上げたという。

その五輪女子マラソン代表選手発表の2日前、急遽松野は地元の熊本市内で、自ら異例の記者会見まで開くこととなる。松野は岡田監督らの同席の下、会見の席で駆け付けた新聞記者達やマスコミ陣、そして日本陸連に対して迄「私、ホント(オリンピック)に出たら、メダル…獲れるとは、本当に確実に思っていますので、その為にも今精一杯頑張ってますので、どうぞ…選んで下さい(笑)」「やっぱり、強い人は強いと思いますので、強い人を選んで欲しいです。(私は)負けませんから!」などと終始笑顔でアピールし続けていた。

一方、有森は国内選考レースには出なかった(当初有森も大阪国際女子マラソンにエントリー、松野との直接対決が注目されたが左足のケガで欠場)ものの、10km等のロードレースを出走し優勝するなど、故障の不安が無いことを強調している。バルセロナ五輪女子マラソン選考決定の当日まで、松野と有森のどちらに当落となるのか、全く分からない混迷状態となっていた。

1992年3月28日、結局バルセロナ五輪の女子マラソン代表へ正式に選ばれたのは山下・小鴨と、そして最後の3人目は有森裕子だった。松野の名前はそこに無く、無念の落選となってしまったのである。しかも日本陸連は松野に対し「前回のソウル五輪同様、女子10000mで選出される可能性がある」との理由で、補欠代表にも選ばなかった(補欠は谷川真理)。この騒動の根本的な原因は、五輪代表選考にとって91年世界陸上4位の有森がどういう位置づけなのか、つまり「世界陸上のマラソン競技が選考レースなのかどうか」「世界選手権4位入賞は代表内定なのか」「代表内定と決定はどう違うのか」などを当時の日本陸連は明言していなかったことにある。

松野は余りのショックに泣き崩れて混乱状態となり、落選時の記者会見には出席出来ず、ニコニコドーの小山部長と岡田監督の二人のみが会見に出席。その席で岡田監督も「何故落選となったのかが全く理解出来ない。松野が余りにも可哀想で、凄く残念でならない」「今さら10000mで松野を五輪に出場させるつもりは無い」と悔し涙を見せた。

このような基準の不明瞭な選考により、「裏では金が動いていたのではないか」「陸連の内部対立があったのでは」「あの記者会見は逆にマイナスに作用したのかも」など根拠のない様々な憶測や噂がテレビや週刊誌をにぎわすこととなる。またその後、1992年8月のバルセロナ五輪女子マラソン本番で、有森が日本女子陸上選手として64年ぶりの2位入賞・銀メダルを獲得したことにより、選考結果に対して肯定的な風潮となり、松野は苦しむこととなる。さらに松野はその後、当時有森の方が自身よりもマラソン自己記録は遅いのに、自分が五輪に落選して有森が選出された事に一切納得出来ず、それから松野は心中有森をずっと妬み憎しむようになったという。

日本陸上・長距離界の女王から一転悲劇のヒロインとなった松野は結局失意の中、マラソンで次の1996年アトランタオリンピック女子マラソン代表を目指すこととなる。しかし、1992年8月の北海道マラソン・女子の部では20Km過ぎで優勝争いから脱落、30度近い気温と強い風が終盤松野を苦しめ、結局2時間38分台の4位(同レースではオルガ・アペル(アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)が優勝、2位に浅利純子。特別ゲスト解説は有森裕子が担当)と低迷した。

翌1993年1月の大阪国際女子マラソンに出走予定だったが故障により欠場、同年3月の名古屋国際女子マラソンで松野は進退をかけてレースに臨んだ。その名古屋ではレース終盤まで優勝争いを演じ、優勝したカミラ・グラダス(ポーランドの旗 ポーランド)にあと一歩及ばなかったが、日本人トップの2位の好成績をあげる。その後同年大阪国際で優勝した浅利純子、2位の安部友恵とともに、1993年世界陸上シュトゥットガルト大会女子マラソン代表入りの切符を手にする。しかし、オリンピック代表選考騒動後の松野にとって、肉体的にも精神的にもピークを維持し続けることはもはや不可能であった。

浅利純子が2時間30分03秒の金メダル、安部友恵が2時間31分01秒の銅メダルに沸く世界陸上シュトゥットガルトの競技場に、松野がようやくゴールしたのは優勝の浅利から遅れること8分。8位入賞にも及ばない11位の成績に終わった松野は、競技場内で待っていた浅利と安部に、精根尽きた状態で倒れ込んでしまった。全日本実業団対抗女子駅伝での鮮烈な全国デビューから6年、増田からエースの座を華々しく奪った松野が、ひっそりと表舞台から降りた瞬間である。そして日本女子長距離界はマラソンでは有森・浅利・安部らを始め、トラックでは志水見千子・千葉真子・川上優子等、同じ1968年生まれの真木和・鈴木博美・弘山晴美、そして高橋尚子・野口みずきへと続く群雄割拠の時代=日本女子マラソン黄金期を迎えた。

現役引退後、松野は週刊誌媒体で日本陸連を告発するような以下の発言をしている。

「私はあの時、何も無理やりお願いするつもりで『私を選んでください』って記者会見を開いたんじゃないんです。あの時は絶対オリンピックの女子マラソン代表に選ばれると思って『頑張って金メダルを取ります』っていう挨拶だったんです」

「代表発表の日も期待感一杯で、まさか落ちるなんて考えもしなかった。ニコニコドーの合宿所で岡田監督に呼ばれた時、朗報だと思って飛んでいったんです。そしたら『落選』って聞かされて、頭の中がもう真っ白!その直後の事はよく覚えていませんが、それからマラソンをずっと恨み続ける毎日でした。なんでこんな裏切られ方をするのかって」

「別に有森裕子さんをけ落として出たいっていうんじゃなくて、私はマラソンで五輪に出たかっただけなんです。有森さんを恨んではいませんが、でも私よりタイムが悪かった有森さんが何故選ばれたんでしょうか?今でもよく分からないです、はい」

松野と有森はバルセロナ五輪の当時以来長らく会う機会がなかったが、2011年にTBSで放映されたドキュメンタリー「ライバル伝説・光と影」において、約20年ぶりとなる顔合わせが実現した。この番組は好評を博し、映像を追加する形で2012年6月に映画として公開された。TBS番組放送直後に松野が「お話できて本当に良かった。つらかったのは私だけじゃなかったと知り、心の中に残っていたものがスッとなくなりました。でも今でも『私なら金(メダル)を獲れた』と思っています。いつか一緒に走りましょう」という電報を有森に送ったことが、映画初日の舞台挨拶に出席した有森から紹介された。金を獲れたのくだりに有森・舞台客らも思わず苦笑していた。

1995年12月28日、足の故障が完治しない事を理由に、翌1996年のアトランタ五輪女子マラソンへの国内選考会出場を断念、現役引退を表明する。引退の直接のきっかけは、いじめられっこだった松野が、陸上を始めるきっかけを与えてくれた母ユイ子の「もういいんじゃないかい」という言葉だったという。引退記者会見で「今一番やりたいことは?」と聞かれた後、松野は「できることならもう一度走りたい」と涙を浮かべていた。引退後は、ニコニコドー人事部係長を務める。同時に、1996年から2000年まで熊本県民テレビでスポーツキャスターも務めた。

1999年、ニコニコドー陸上部休部とともに退社し、独立して「松野明美ヒューマンライフ」という事務所を設立。現在は講演やタレント活動などを行っている。また、岡田元ニコニコドー監督が亜細亜大学陸上部監督になった縁で、1999年から2001年まで亜細亜大学陸上部女子のコーチにも就任。後進の指導にも努めている。

2008年2月、第2回東京マラソンで久々にフルマラソンに出走、お笑い芸人の竹山隆範(カンニング)と一緒に、制限時間約10分前の6時間49分09秒でゴールした。

トラック・駅伝

1987年10月 海邦国体(沖縄国体) 5000m優勝 16分35秒64

1987年12月 第7回全日本実業団対抗女子駅伝(非公認10キロロード日本最高記録32分17秒をマーク)(ニコニコドーは7位)

1988年1月 第6回全国都道府県女子駅伝 9区区間賞(熊本チームは4位)

1988年5月 兵庫リレーカーニバル 10000m優勝 32分57秒89

1988年6月 日本陸上競技選手権大会優勝 10000m優勝 32分53秒75

1988年6月 ソウルオリンピック 10000予選9着 日本新記録 32分19秒57

1988年12月 第1回国際千葉駅伝 6区区間2位(日本チームは4位)

1989年4月 熊本県選手権 10000m日本新記録 31分54秒0(日本女子初めての31分台)

1989年12月 バルセロナ国際女子駅伝 2区区間賞 (日本チームは2位)

1990年1月 第8回全国都道府県女子駅伝 9区区間賞(熊本チームは2位)

1990年2月 第8回横浜国際女子駅伝(日本チーム初優勝)

1990年6月 日本陸上競技選手権大会 10000m2度目の優勝 32分18秒71

1990年9月 北京アジア大会10000m銅メダル 31分56秒93

1990年10月 九州実業団駅伝(非公認10キロロード日本最高記録30分59秒をマーク)

1990年12月 第3回国際千葉駅伝 1区区間賞(区間新記録)(日本チームは2位)

1990年12月 第10回全日本実業団対抗女子駅伝 4区区間新記録(ニコニコドーは3位)

1991年8月 世界陸上(東京大会)10000m予選12着 32分31秒18

マラソン

1992年1月 大阪国際女子マラソン 2位(1位は小鴨由水)2時間27分02秒(小鴨と共に当時日本最高記録)

1992年8月 北海道マラソン 4位(1位はO.アペル)2時間38分24秒

1993年3月 名古屋国際女子マラソン 2位 (1位はK.グラドゥス)2時間27分53秒

1993年8月 世界陸上(シュトゥットガルト大会)マラソン 11位(1位は浅利純子、3位は安部友恵)2時間38分04秒

日本陸上競技選手権大会の記録一覧

引退直後から講演や陸上教室、女子駅伝の解説などを行う一方で、スポーツキャスターやコメンテーター、リポーターを務めるなどタレントとしての非凡な才能を開花させマルチな活躍をしている。退社独立後の近年は、マシンガントークを連発するなどの、おしゃべり好きであること(小学生時のあだ名はスピーカー、自称7時間はしゃべり続けられる)から、バラエティ番組にゲストとして頻繁に出演している(その中でも1999年以降は、特にめちゃイケの出演が多い)。陸上の解説者として出演する場合は、ゆっくりとした口調で冷静に状況を分析するなど、バラエティ番組で見られる マシンガントークは行わない。

ランナーとしての全国デビューが1987年12月の全日本実業団女子駅伝の12人抜きとするならば、タレントとしての全国デビューは2000年2月29日OAの「第19回ものまねバトル大賞」(日本テレビ)における小泉今日子「なんてったってアイドル」のものまねである。フリフリのスカートに満面の笑み、激しいアクションで歌い、歌のラストはグリコポーズ でテープを切る松野(自称マラソン界のゴクミ)の姿は、全国の視聴者に強烈なインパクトを与えた。それまでの元スポーツ選手のバラエティタレントといえば、定岡正二や池谷幸雄などのように、本職のお笑い芸人にいじってもらって引き立つ芸風が主流であった(その先駆者としてはガッツ石松がいる)。この松野のものまねの様子はナンシー関もコラム(後述)で触れている。2010年2月15日放送の徹子の部屋に出演した際トークの主導権を握り黒柳徹子をも聞き役に回すほどの勢いを見せた。

今日ではかつて存在した「スポーツ選手=尊敬される人であるべき」という規範意識がかなり薄れ、また主要メディアが陸上競技をショーアップして取り上げる機会も増えた(その典型が織田裕二・中井美穂両キャスターによるTBS世界陸上中継)ため、福士加代子(インタビューにて100分の3秒を「乳首3つ分」とコメント)のように現役にしてウケをねらう選手も現れている。

その特異なキャラクターから、その後は逆に松野自身が内村光良(出身が同じ熊本県)、コロンブス、加藤めぐみなどにものまねされている。

2001年結婚。夫は鹿本高校の先輩(高校時代は接点なし)。挙式は9月10日ハワイで行ったが、折りしもアメリカ同時多発テロ事件の前日であり結局、帰りの飛行機で足止めを食って、すぐには日本に帰れなかった。

結婚後、夫が松野のマネージャーを務めている。松野のかかあ天下ぶりと夫の温和で心優しい性格とのギャップからトーク番組への夫婦そろっての出演も多い。

2002年、関西テレビの特別番組「女ばかりの人生立て直しスペシャル」収録中に、妊娠検査薬を使ったところ妊娠が発覚した。この件については、当時、ナンシー関が収録時の松野の発言「いいですかねえ、ここで(妊娠検査薬)やっても」をそのままタイトルにしたコラムを書いている(ナンシー関著『耳のこり』(朝日文庫:朝日新聞社、2004年)に収録)。現在では松野は二児(共に男子)の母である。

次男が障害を抱えていることもあり、現在は遠地での活動を控え、地元熊本を中心に日帰りが可能な九州内での活動にとどめているため、九州以外で姿を見ることは少なくなっている。

2010年3月23日、植木町が政令指定都市を目指す熊本市と合併。その際、植木町議を市議として受け入れることなく、またすぐに全市での選挙も行わず、熊本市議会議員の増員のみを図り(合併特例法の定数特例を適用した増員選挙)、植木合併特例区すなわち旧植木町のみを選挙区として市議会議員増員分選挙を4月に行った。肩書は熊本市議でも実質は植木の唯一の代表(定数2人)を決める選挙であった。

植木出身である松野は、合併直後の3月末に「ふるさと植木をよくしたい」「障碍者・児の住みやすい街にしたい」との公約を掲げ無所属で立候補した。選挙の僅か1ヶ月前の立候補であったが、知名度の高さを生かして定員2人に対して2番目で当選を果たした 。ただし、この選挙はあくまでも補充選挙であり、任期は2011年4月30日まで、2011年4月の第17回統一地方選挙で再び選挙戦を戦うこととなっていた。

その2011年4月の選挙は法令の規定により植木選挙区が熊本市に統合されたことから一気に多くの候補者と戦うことになった一方、全市の有権者にアピールするチャンスともなった。松野はマラソンで遊説を行い「人の痛みのわかる議員になりたい」と訴え、幅広く支持を集め11,196票を獲得。2位以下に4,000票以上差をつけてのトップ当選を果たし、2期目のスタートを切った。所属会派は自民党・保守系無所属の会派の1つ「くまもと未来」。

熊本市の政令指定都市移行は2011年10月に本決まりとなり、松野の地元旧植木町には旧役場に北区役所が新たに設けられることが決まった。これによって松野の選挙区は再び縮小され、次の選挙からは北区選挙区からの立候補となる。

2015年4月3日、熊本県議会議員選挙に熊本市第1選挙区から立候補し、同日付けで熊本市議会議員を失職。13日に行われた熊本県議会議員選挙で当選した。

2019年4月7日、投開票の熊本県議選では選挙区トップで再選を決めた 。

2021年11月には立憲民主党熊本県連から、翌年7月の第26回参議院議員通常選挙熊本県選挙区への立候補を打診されるも、「信念を曲げてまで立憲民主党さんと合わせることができるかどうか。不安もある」などと述べ、後に辞退した。

2022年3月26日、熊本市で記者会見を行い、同年の第26回参議院議員通常選挙に比例区から日本維新の会公認で立候補すると表明した。同年4月12日、県議会議長宛に同月22日付での議員辞職願を提出した。松野によれば立憲民主党が立候補を打診しているという趣旨の記事に対し、維新共同代表の馬場伸幸が「松野さーん、辞めといた方がエエですよ~皆んな後悔してますよ~」とtwitterに投稿しているのを見て維新からの立候補を決意したという。また、立憲民主党からの打診を断って維新から出馬したことについて「やっぱり勝たないと意味がないんですよ、選挙って。勝つためにどうしたらいいか」とも述べた。

同年7月10日投開票。日本維新の会は比例代表で8議席を獲得。松野は党比例候補者26人中3位の得票数により、初当選を果たした。

2016年2月10日、県議会2月定例会を「体調不良のため」という虚偽の届けにより欠席し、大阪府堺市で講演をした。同年5月13日にも、熊本地震に関する補正予算などを審議した県議会臨時会を欠席し、東京都府中市であった人権啓発のイベントで講演をした。

憲法改正について、2022年のNHK、毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答。

9条改憲について、2022年の毎日新聞社のアンケートで「改正して、自衛隊の存在を明記すべきだ」と回答。9条への自衛隊の明記について、2022年のNHKのアンケートで「賛成」と回答。

憲法を改正し緊急事態条項を設けることについて、2022年のNHKのアンケートで「賛成」と回答。

敵基地攻撃能力を持つことについて、2022年のNHKのアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答。

普天間基地の辺野古移設について、2022年の毎日新聞社のアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答。

ロシアは2022年2月24日、ウクライナへの全面的な軍事侵攻を開始した。日本政府が行ったロシアに対する制裁措置についてどう考えるかとの問いに対し、2022年のNHKのアンケートで「適切だ」と回答。同年の毎日新聞社のアンケートで「制裁をより強めるべきだ」と回答。

2022年6月7日、政府は経済財政運営の指針「骨太方針」を閣議決定した。NATO加盟国が国防費の目標としている「GDP比2%以上」が例示され、防衛力を5年以内に抜本的に強化する方針が明記された。「防衛費を今後どうしていくべきだと考えるか」との問いに対し、2022年のNHKのアンケートで「大幅に増やすべき」と回答。

徴用工訴訟問題や慰安婦問題などをめぐり日韓の対立が続くなか、関係改善についてどう考えるかとの問いに対し、2022年の毎日新聞社のアンケートで「韓国政府がより譲歩すべきだ」と回答。

選択的夫婦別姓制度の導入について、2022年のNHKのアンケートで「賛成」と回答。

同性婚を可能とする法改正について、2022年のNHKアンケートで「賛成」と回答。

クオータ制の導入について、2022年のNHKのアンケートで「どちらかといえば反対」と回答。

アベノミクスについて、2022年の毎日新聞社のアンケートで「評価するが、修正すべきだ」と回答。

「原子力発電への依存度を今後どうするべきか」との問題提起に対し、2022年のNHKのアンケートで「下げるべき」と回答。

国会議員の被選挙権年齢の引き下げについて、2022年の毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答。

「いちばんじゃなくて、いいんだね。」(2010年2月12日、アスコム、ISBN 978-4-7762-0584-5)

「スローダンス」(フジテレビ)一坂花枝=一坂進(温水洋一)の妻役

「電車男」(フジテレビ)同じく一坂花枝役で出演

「報道発 ドキュメンタリ宣言 健ちゃん ヨーイドン!〜松野明美 ダウン症のわが子を抱いて〜」(テレビ朝日、2010年2月22日)

ゴッドタン 最初でたぶん最後のゴールデンスペシャル 私の落とし方ドラマSP(テレビ東京、2017年8月26日)

まっちゃんねる(2020年10月24日、フジテレビ)- 女子メンタル出演

ドキュメンタル番外編 女子メンタルfromまっちゃんねる(2021年、Amazonプライム・ビデオ)- シーズン1出演

^ 国立印刷局『官報』第787号9ページ「国会事項 参議院 議員氏名」、2022年(令和4年)8月1日

^ “松野明美氏が熊本県議に 「東京五輪に地元選手を」”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年4月13日). https://web.archive.org/web/20150413020021/http://www.47news.jp/CN/201504/CN2015041201001803.html 2015年4月13日閲覧。 

^ “参議院選挙:比例選で日本維新の会の松野明美氏が初当選”. 読売新聞オンライン (2022年7月11日). 2022年7月11日閲覧。

^ この大阪国際女子マラソンでは4位・山本佳子、6位・浅利、9位・朝比奈と、のちに日本女子マラソン界を担うランナーが上位を占めた。それに対して、ソウルオリンピック・女子マラソン代表だった荒木久美が10位と浅井えり子が13位、ロスオリンピック代表の増田明美と当時の世界最高記録保持者クリスチャンセンが途中棄権に終わった。これにより、当レースは日本女子マラソン界のひとつの転換点でもあったといえる。

^ その事にも松野は「10Kmとマラソンじゃ全然違う。有森さんが10Kmレースで優勝したって、好調かどうかなんて分からないのに」と憤慨したと後に語っている。

^ バルセロナ五輪代表の女子マラソン代表候補には、松野や有森の他にも、1991年東京国際女子マラソンで後のバルセロナ五輪女子マラソン金メダリストとなるワレンティナ・エゴロワ(ロシアの旗 ロシア、当時独立国家共同体の旗 独立国家共同体)を破って2時間31分27秒で優勝した谷川真理、1992年名古屋国際女子マラソンにて初マラソンながら谷川を破って2時間31分04秒で優勝した大江光子がいたが、松野や有森よりもタイムや実績が劣るとされ、最終代表候補に挙げられる事はなかった。奇しくも、代表選考レースで優勝しながら、女子マラソン五輪代表に選ばれなかったのは、この時の谷川と大江のみである。

^ 1992年当時のマラソン自己記録は、共に大阪国際女子マラソンでマークした、松野・2時間27分02秒、有森・2時間28分01秒と、約1分の差があった(のちに有森は1999年・ボストンマラソンで2時間26分39秒と、松野のタイムを上回っている)。

^ 有森裕子氏、ライバル松野明美氏からの電報の感激 - 映画ドットコム(2012年6月16日)

^ くまもと県民テレビ(松野明美のおしゃべり日記)

^ その亜細亜大学の2006年箱根駅伝での初優勝を受け、「最初の3年間お手伝いしたが、あまりに学生の反発が強いので、もう無理だと思った。岡田監督はストレスで耳が聴こえなくなったこともあったと聞いた。だから、監督から優勝の電話をもらって涙が出た」とコメントしている。

^ 「早口すぎる」熊本県議、松野明美 黒柳徹子も聞き役に回す「トーク力」がすごい - j-castニュース 2015年4月13日閲覧

^ 松野明美さん、熊本市議当選 植木町選挙区選挙 - 熊本日日新聞 2010年4月26日閲覧

^ 松野明美さん、県議再選=ボクシング元王者も-注目候補・統一地方選 - 時事通信 2019年4月8日閲覧

^ “松野明美氏、立民熊本県連からの参院選出馬要請に「立民と合わせられるか不安もある」”. スポーツ報知. (2021年11月8日). https://hochi.news/articles/20211108-OHT1T51147.html?page=1 2022年3月27日閲覧。 

^ “元陸上五輪代表の松野明美氏、参院選へ 維新の比例候補で”. 朝日新聞. (2022年3月26日). https://www.asahi.com/articles/ASQ3V5R2NQ3VTLVB002.html 2022年3月27日閲覧。 

^ “松野明美氏が参院選出馬表明 比例代表、維新から 「得票数トップ目指す」”. 熊本日日新聞. (2022年3月26日). https://kumanichi.com/articles/602125 2022年3月27日閲覧。 

^ 参院選出馬表明の松野明美氏、熊本県議の辞職願提出 熊本市1区補選へ - 熊本日日新聞社 2022年4月12日

^ “松野明美氏が参院選出馬 日本維新の会から「きっかけは馬場共同代表のツイート」”. スポーツ報知. (2022年3月26日). https://hochi.news/articles/20220326-OHT1T51260.html?page=1 2022年7月12日閲覧。 

^ “数多くの著名候補を出馬させた秘訣は?維新の"キーマン"を取材 参院選は自民が大勝・維新は議席増・立民は伸び悩み”. MBS NEWS. (2022年7月11日). https://www.mbs.jp/news/feature/kansai/article/2022/07/089891.shtml 2022年7月12日閲覧。 

^ “比例代表 日本維新の会 参議院選挙結果・開票速報”. 参議院選挙2022特設サイト. NHK. 2022年7月11日閲覧。

^ “松野明美氏、「体調不良」で熊本県議会を欠席し大阪で講演 元オリンピック陸上選手”. ハフィントンポスト日本版 (2016年5月18日). 2016年10月1日閲覧。

^ “比例代表 松野明美”. 候補者アンケート - 参院選2022. NHK. 2022年6月27日閲覧。

^ “松野明美 維新 比例”. 第26回参院選. 毎日新聞社. 2022年6月28日閲覧。

^ “ロシアが全面侵攻開始、ウクライナは自国を防衛=クレバ外相”. ロイター (2022年2月24日). 2022年2月28日閲覧。

^ 川田篤志、柚木まり (2022年6月8日). “防衛費や子ども関連費倍増も 財源検討は参院選後に先送り 政府が「骨太方針」閣議決定”. 東京新聞. https://www.tokyo-np.co.jp/article/182147 2022年6月27日閲覧。 

“シリーズ 「出生前検査」 (1)”. バリバラ〜障害者情報バラエティー〜. 日本放送協会. 2014年10月31日閲覧。

熊本県議会議員松野明美オフィシャルサイト

松野明美 公式サイト

マラソン代表選考(1992年バルセロナ大会)松野明美が異例の会見「私を選んで」

死んでも「アイツ」に勝ちたかった④ 松野明美

松野明美 - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語)

81 増田明美

82 金子るみ子

83 橋本泰子

84 横須賀久乃

85 深尾真美

86 宮原美佐子

87 高橋郁子

88 松野明美

89 朝比奈三代子

90 松野明美

91 ケニアの旗デリラ・アシアゴ(英語版)

92 真木和

93 麓みどり

94 中華人民共和国の旗鍾煥テイ(英語版)

95 鈴木博美

96 鈴木博美

97 弘山晴美

98 川上優子

99 弘山晴美

00 岡本幸子

01 岡本治子

02 福士加代子

03 福士加代子

04 福士加代子

05 福士加代子

06 福士加代子

07 福士加代子

08 渋井陽子

09 赤羽有紀子

10 福士加代子

11 杉原加代

12 吉川美香

13 新谷仁美

14 西原加純

15 西原加純

16 鈴木亜由子

17 松田瑞生

18 松田瑞生

19 鍋島莉奈

20 新谷仁美(30:20.44)*

21 廣中璃梨佳

22 廣中璃梨佳

23 廣中璃梨佳

24 五島莉乃

*は大会記録

100m

200m

400m

800m

1500m

5000m

10000m

3000mSC

100mH

400mH

83 金子るみ子(東京・順天高)

84 佐々木七恵(岩手・ヱスビー食品)*

85 田崎裕子(鹿児島・京セラ)

86 小林良子(和歌山・住金化工)

87 荒木久美(鹿児島・京セラ)

88 松野明美(熊本・ニコニコドー)

89 朝比奈三代子(宮崎・旭化成)*

90 松野明美(熊本・ニコニコドー)

91 真木和(京都・ワコール)

92 鈴木博美(千葉・リクルート)

93 麓みどり(広島・ダイイチ)

94 朝比奈三代子(宮崎・旭化成)

95 木村泰子(石川・京都産業大)

96 真木和(京都・ワコール)

97 川上優子(熊本・沖電気宮崎)*

98 大南博美(愛知・東海銀行), 高橋尚子(岐阜・積水化学)

99 川島亜希子(愛知・東海銀行)

00 渋井陽子(栃木・三井海上)

01 小鳥田貴子(広島・デオデオ)

02 福士加代子(京都・ワコール)

03 小鳥田貴子(広島・デオデオ)

04 福士加代子(京都・ワコール)30:52**

05 加納由理(兵庫・資生堂)

06 福士加代子(京都・ワコール)

07 大崎千聖(茨城・三井住友海上)

08 野口みずき(三重・シスメックス)

09 新谷仁美(千葉・豊田自動織機)

10 福士加代子(青森・ワコール)

11 福士加代子(京都・ワコール)

12 新谷仁美(千葉・佐倉アスリート倶楽部)

13 新谷仁美(千葉・ユニバーサルエンターテインメントAC)

14 重友梨佐(岡山・天満屋)

15 前田彩里(熊本・ダイハツ)

16 関根花観(東京・日本郵政グループ)

17 小原怜(岡山・天満屋)

18 小原怜(岡山・天満屋)

19 新谷仁美(東京・NTTC)

20 新谷仁美(東京・積水化学)

21 中止

22 廣中璃梨佳(長崎・日本郵政グループ)

23 松田瑞生(大阪・ダイハツ)

24 川村楓(京都・岩谷産業)

*は区間新、**は区間記録

1区

2区

3区

4区

5区

6区

7区

8区

9区

81 遠嶺千代子(東日本実業団)

82 宮原美佐子(九州実業団)

83 浅井えり子(東日本実業団A)

84 荒木久美(京セラ)*

85 荒木久美(京セラA)*

86 里山弘美(三田工業)*

87 松野明美(ニコニコドー)

88 荒木久美(京セラ)*

89 松野明美(ニコニコドー)

90 松野明美(ニコニコドー)*

91 デリラ・アシアゴ(沖電気宮崎)*

92 藤原恵(ワコール)

93 吉田直美(リクルート)

94 足達美香(リクルート)

95 萩永佳奈子(ワコール)

96 鈴木智香子(リクルート)*

97 戸田東世(川崎製鉄千葉)

98 高成田のぞみ(東海銀行)

99 菅沙希世(東海銀行)

00 渡邊芳子(積水化学)

01 山崎智恵子(天満屋) ,原真由美(サニックス)

02 山中波瑠子(三井住友海上)

03 吉野恵(京セラ)*

04 岩本千明(三井住友海上)

05 石山しおり(三井住友海上)

06 橋本歩(三井住友海上)

07 高吉理恵(三井住友海上)

08 来栖由江(三井住友海上)

09 垣見優佳(第一生命)

10 垣見優佳(第一生命)

11 フェリスタ・ワンジュグ(ユニバーサルエンターテインメント)

12 フェリスタ・ワンジュグ(ユニバーサルエンターテインメント)

13 スーサン・ワイリム(デンソー)*

14 セリー・チェピエゴ(英語版)(九電工)*

15 セリー・チェピエゴ(九電工)*

16 シュル・ブロ(TOTO)

17 シュル・ブロ(TOTO)

18 ヘレン・エカラレ(豊田自動織機)*

19 ゼイトナ・フーサン(デンソー)・パウリン・カムル(英語版)(ルートインホテルズ)

20 ローズメリー・ワンジル(英語版)(スターツ)

21 テレシア・ムッソーニ(英語版)(ダイソー)*

22 ジュティ・ジェプングティチ(資生堂)

23 アグネス・ムカリ(京セラ)10:45**

*は区間新、**は現行区間記録

1区

2区

3区

4区

5区

6区

笠原隆弘

栗原浩司

大沢知宏

高野進

米重修一

阿久津浩三

遠藤司

吉田良一

青戸慎司

山内健次

松原薫

川角博美

小池弘文

臼井淳一

柴田博之

山下訓史

溝口和洋

吉田雅美

新宅永灯至

瀬古利彦

中山竹通

酒井浩文

小坂忠広

松野明美

佐藤恵

松井江美

宮原美佐子

荒木久美

浅井えり子

Template:1990年アジア競技大会 陸上競技日本代表

井上悟

杉本龍勇

山下徹也

奥山義行

高野進

奥山光広

熊谷勝仁

森下広一

浦田春生

池田克美

岩崎利彦

苅部俊二

斎藤嘉彦

山崎一彦

仲村明

小中富公一

渡辺高博

伊東浩司

吉田孝久

竹井秀行

下仁

山下訓史

溝口和洋

金子宗弘

谷口浩美

篠原太

中山竹通

酒井浩文

今村文男

小坂忠広

園原健弘

早狩実紀

五十嵐美紀

真木和

松野明美

佐々木あゆみ

長谷川順子

正木典子

柿沼和恵

北田敏恵

野村綾子

徳田由美子

北川政代

佐藤涼子

天野恵子

佐藤恵

北森郁子

宮島秋子

山下佐知子

有森裕子

荒木久美

佐藤優子

平山秀子

増田房子

井上悟

鈴木久嗣

伊東浩司

大森盛一

高岡寿成

福島正

佐保希

平塚潤

柘植雄介

苅部俊二

斎藤嘉彦

勝木秀和

仲村明

小野原英樹

宮田英明

杉本龍勇

簡優好

小野友誠

吉田孝久

野中悟

橋岡利行

森長正樹

金子宗弘

松田克彦

打越忠夫

早乙女等

本田竹春

多久島努

酒井浩文

今村文男

弘山晴美

吉田直美

真木和

片岡純子

佐藤恵

宮島秋子

浅利純子

安部友恵

松野明美

佐藤優子

上岡由佳

徳永正利

林健太郎

梶木又三

岡野裕

竹内潔↓

伊江朝雄

矢野俊比古

増岡康治

吉村真事

海江田鶴造

古賀雷四郎

大浜方栄

石本茂

山岡賢次

安西愛子

扇千景

柳川覚治

堀江正夫

藤井裕久↓

石井道子↑

寺内弘子↑

中村哲

久保田真苗

松前達郎

大森昭

大木正吾

安恒良一

佐藤三吾

穐山篤

安永英雄

伏見康治

多田省吾

中西珠子

高桑栄松

和田教美

刈田貞子

中野明

飯田忠雄

宮本顕治

市川正一

下田京子

橋本敦

吉川春子

関嘉彦

栗林卓司

藤井恒男

柳沢錬造

青木茂

木本平八郎

前島英三郎

田英夫

野坂昭如↓

下村泰↑

松前達郎

久保田真苗

國弘正雄

日下部禧代子

安恒良一

大森昭

佐藤三吾

安永英雄

堂本暁子

谷本巍

穐山篤

清水澄子

北村哲男

菅野壽

肥田美代子

庄司中

村田誠醇

堀利和

翫正敏

三石久江

清水嘉与子

前島英三郎

岡野裕

山岡賢次↓

井上章平

石川弘↓

須藤良太郎

成瀬守重

大浜方栄

尾辻秀久

木暮山人

石井道子

田村秀昭

伊江朝雄

柳川覚治

扇千景↑

増岡康治↑

高桑栄松

中西珠子

和田教美

刈田貞子

中川嘉美

常松克安

市川正一

橋本敦

吉川春子

林紀子

足立良平

寺崎昭久

下村泰

横溝克己↓

星野朋市↑

アントニオ猪木

大森礼子

扇千景

益田洋介

寺崎昭久

加藤修一

田村秀昭

水島裕

海野義孝

足立良平

但馬久美

木暮山人↓

福本潤一

友部達夫↓

今泉昭

渡辺孝男

畑恵

戸田邦司

星野朋市

松崎俊久↑

金石清禅↑

武見敬三

岡野裕

中原爽

成瀬守重

石井道子

尾辻秀久

清水嘉与子

石川弘↓

依田智治

須藤良太郎

釜本邦茂

小山孝雄↓

橋本聖子

海老原義彦

岩井國臣

中島啓雄↑

柳川覚治↑

日下部禧代子

松前達郎

前川忠夫

朝日俊弘

竹村泰子

伊藤基隆

谷本巍

清水澄子

菅野壽

橋本敦

吉川春子

須藤美也子

笠井亮

筆坂秀世

水野誠一↓

堂本暁子↓

黒岩秩子↑

佐藤道夫

舛添要一

高祖憲治↓

大仁田厚

小野清子

岩井國臣

橋本聖子

尾辻秀久

武見敬三

桜井新

段本幸男

魚住汎英

清水嘉与子

福島啓史郎

近藤剛↓

森元恒雄

藤井基之

山東昭子

小泉顕雄

有村治子

中原爽

中島啓雄↑

藤野公孝↑

大橋巨泉↓

藤原正司

池口修次

朝日俊弘

若林秀樹

伊藤基隆

佐藤道夫

神本美恵子

ツルネン・マルテイ↑

山本香苗

木庭健太郎

遠山清彦

草川昭三

渡辺孝男

魚住裕一郎

福本潤一

加藤修一

紙智子

筆坂秀世↓

井上哲士

吉川春子

小林美恵子↑

西岡武夫

田村秀昭

広野允士

大江康弘

田嶋陽子↓

大田昌秀

又市征治

田英夫↑

扇千景

相原久美子

吉川沙織

青木愛↓

石井一

池口修次

ツルネン・マルテイ

神本美恵子

横峯良郎

藤原正司

川合孝典

風間直樹

轟木利治

大島九州男

西岡武夫↓

今野東↓

藤原良信

藤谷光信

室井邦彦↓

大江康弘↓

山本孝史↓

大石尚子↑↓

広野允士↑

はたともこ↑

玉置一弥↑

樽井良和↑

尾辻かな子↑

山村明嗣↑

舛添要一

山田俊男

中山恭子

丸山和也

川口順子

佐藤正久

尾辻秀久

石井みどり

佐藤信秋

義家弘介↓

橋本聖子

山東昭子

衛藤晟一

有村治子

武見敬三↑

山本香苗

木庭健太郎

山本博司

遠山清彦↓

渡辺孝男

加藤修一

魚住裕一郎

草川昭三↑

井上哲士

紙智子

山下芳生

又市征治

山内徳信

田中康夫↓

平山誠↑

自見庄三郎

柘植芳文

山田俊男

佐藤正久

石井みどり

橋本聖子

羽生田俊

佐藤信秋

赤池誠章

山東昭子

衛藤晟一

石田昌宏

有村治子

宮本周司

丸山和也

北村経夫

渡邉美樹

木村義雄

太田房江

山本香苗

平木大作

河野義博

山本博司

若松謙維

魚住裕一郎

新妻秀規

礒﨑哲史

浜野喜史

相原久美子

大島九州男

神本美恵子

吉川沙織

石上俊雄

アントニオ猪木

中山恭子

儀間光男

藤巻健史

中野正志

室井邦彦

小池晃

山下芳生

紙智子

井上哲士

仁比聡平

川田龍平

山口和之

渡辺美知太郎↓x

井上義行↓x

又市征治

三木亨↓

三浦靖

柘植芳文

山田太郎

和田政宗

佐藤正久

佐藤信秋

橋本聖子

山田俊男

有村治子

宮本周司↓

石田昌宏

北村経夫↓

本田顕子

衛藤晟一

羽生田俊

宮崎雅夫

山東昭子

赤池誠章

比嘉奈津美↑

中田宏↑

田中昌史↑

岸真紀子

水岡俊一

小沢雅仁

吉川沙織

森屋隆

川田龍平

石川大我

須藤元気↓

市井紗耶香↑↓

奥村政佳↑

山本香苗↓

山本博司

若松謙維

河野義博

新妻秀規

平木大作

塩田博昭

髙橋次郎↑

鈴木宗男

室井邦彦↓

梅村聡↓

柴田巧

柳ヶ瀬裕文

藤巻健史↑

山口和之↑

小池晃

山下芳生

井上哲士

紙智子

田村麻美

礒﨑哲史

浜野喜史

舩後靖彦

木村英子

吉田忠智↓

大椿裕子↑

立花孝志↓

浜田聡↑

鳩山威一郎

長田裕二

関口恵造

大河原太一郎

下稲葉耕吉

村上正邦

野沢太三

井上孝

梶原清

岡部三郎

板垣正

田沢智治

岡田広

大鷹淑子

山東昭子

斎藤栄三郎

松浦功

宮崎秀樹

久世公堯

田中正巳

永野茂門

宮田輝↓

山口光一↑

福間知之

野田哲

鈴木和美

松本英一

山本正和

及川一夫

山口哲夫

田渕勲二

粕谷照美

広中和歌子

塩出啓典↓

太田淳夫

鶴岡洋

中野鉄造

猪熊重二

及川順郎

針生雄吉↑

立木洋

山中郁子

近藤忠孝

吉岡吉典

諫山博

橋本孝一郎

田渕哲也

勝木健司

秋山肇

平野清

青島幸男↓

今泉隆雄↑↓

山田俊昭↑

宇都宮徳馬

井上孝

下稲葉耕吉

村上正邦

大島慶久

岡部三郎

泉信也

藤江弘一↓

野沢太三

岡利定

大河原太一郎

永野茂門

清水達雄

松浦功

久世公堯

板垣正

南野知惠子

田辺哲夫↓

田沢智治

楢崎泰昌

宮崎秀樹↑

山東昭子↑↓

嶋崎均↑↓

長尾立子↑

藁科満治

大脇雅子

鈴木和美

川橋幸子

山本正和

及川一夫

山口哲夫

渕上貞雄

松本英一↓

志苫裕

萱野茂↑

牛嶋正

続訓弘

大久保直彦

広中和歌子

鶴岡洋

及川順郎

猪熊重二

武田節子

細川護熙↓

小池百合子↓

寺澤芳男

武田邦太郎

小島慶三↑

円より子↑

立木洋

聴濤弘

吉岡吉典

有働正治

直嶋正行

勝木健司

長谷川清

江本孟紀

青島幸男↓

山田俊昭↑

有馬朗人

村上正邦↓

岡利定↓

大島慶久

野沢太三

阿南一成

南野知惠子

佐藤昭郎

日出英輔

加納時男

佐々木知子

脇雅史

森田次夫

久世公堯

清水達雄↑

宮崎秀樹↑

小宮山洋子↓

今井澄↓

円より子

藁科満治

直嶋正行

内藤正光

勝木健司

川橋幸子

長谷川清

高嶋良充

堀利和

江本孟紀↓

信田邦雄↑

中島章夫↑

樋口俊一↑

立木洋↓

市田忠義

岩佐恵美

吉岡吉典

池田幹幸

小池晃

林紀子

小泉親司

大門実紀史↑

鶴岡洋

続訓弘

森本晃司

荒木清寛

風間昶

沢たまき↓

日笠勝之

千葉国男↑

泉信也

入沢肇

平野貞夫

渡辺秀央

月原茂皓

福島瑞穂

渕上貞雄

大脇雅子

山本正和

小林正夫

加藤敏幸

内藤正光

家西悟

柳澤光美

直嶋正行

大石正光

白眞勲

那谷屋正義

藤末健三

喜納昌吉

高嶋良充

津田弥太郎

工藤堅太郎

円より子

下田敦子

松岡徹

前田武志

渡辺秀央

竹中平蔵↓

秋元司

長谷川憲正

脇雅史

西島英利

山谷えり子

中村博彦

泉信也

荻原健司

加納時男

荒井広幸

水落敏栄

佐藤昭郎

南野知惠子

松村祥史

神取忍↑

浜四津敏子

弘友和夫

谷合正明

荒木清寛

風間昶

浮島とも子

浜田昌良

鰐淵洋子

市田忠義

小池晃

仁比聡平

大門実紀史

福島瑞穂

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有田芳生

谷亮子

直嶋正行

小林正夫

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石橋通宏

難波奨二

津田弥太郎

那谷屋正義

江崎孝

藤末健三

加藤敏幸

前田武志

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白眞勲

西村正美

片山さつき

佐藤ゆかり↓

山谷えり子

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三原じゅん子

中村博彦↓

脇雅史

藤井基之

小坂憲次

水落敏栄

宇都隆史

赤石清美

堀内恒夫↑

阿達雅志↑

柴田巧

江口克彦

上野宏史↓

寺田典城

小野次郎

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真山勇一↑

藤巻幸夫↑↓

山田太郎↑

田中茂↑

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長沢広明

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谷合正明

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竹内真二↑

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田村智子

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2024/11/21 18:26更新

matsuno akemi


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