ロイヤル小林の情報(ろいやるこばやし) ボクシング 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
ロイヤル 小林さんについて調べます
■名前・氏名 |
ロイヤル小林と関係のある人
エウセビオ=ペドロサ: 日本でも後楽園ホールで2度試合を行っており、ロイヤル小林(国際)やスパイダー根本(草加有沢)の挑戦を受け、いずれも退けている。 ジョー=メデル: 後の世界ジュニアフェザー級王者ロイヤル小林(国際)と東京・後楽園ホールで対戦。 牛若丸原田: 1975年12月21日、後の世界ジュニアフェザー級王者ロイヤル小林(国際)とのノンタイトル戦に10回判定負けするものの、一時はボディ攻撃で守勢に立たせるなど大いに善戦する。 中島成雄: 大学出身としてロイヤル小林に続く世界王者第2号。 スパイダー根本: 1978年8月6日、ロイヤル小林(国際)の持つ東洋太平洋フェザー級王座に挑戦して、老獪な動きで王者を苦しめるものの12回判定負け。 西岡利晃: 日本人世界スーパーバンタム級(ジュニアフェザー級)王者はこれまで3人(ロイヤル小林、畑中清詞、佐藤修)いたが、いずれも初防衛戦で王座から陥落しており、西岡が日本人として初めてこの階級での王座防衛を果たした形となった。 五十嵐俊幸: 尚、この勝利によりオリンピアンとしてプロで世界王者となり防衛を果たした初の日本人世界王者となった(過去のオリンピアンであるロイヤル小林・平仲明信はともに初防衛戦で王座陥落)。 赤穂亮: ニックネームは「華麗なる倒し屋」で名付け親はかつて担当トレーナーだった元世界チャンピオンロイヤル小林。 工藤政志: この転向には、同じ自衛隊体育学校で、ボクシングのミュンヘンオリンピックの代表となった小林和男(後のロイヤル小林)の影響があった。 平仲明信: さらにオリンピック日本代表経験者の世界王座奪取はロイヤル小林に次いで2人目となった。 |
ロイヤル小林の情報まとめ
ロイヤル 小林(ろいやる こばやし)さんの誕生日は1949年10月10日です。熊本出身のボクシングのようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。2020年に亡くなられているようです。
ロイヤル小林のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ロイヤル小林(ロイヤルこばやし、本名:小林 和男(こばやし かずお)、1949年10月10日 - 2020年11月17日 )は、日本の男性プロボクサー。熊本県下益城郡出身。WBC世界スーパーバンタム級、OPBF東洋太平洋フェザー級王者。ミュンヘンオリンピック(1972年)日本代表。 拓殖大学卒業後、自衛隊体育学校でボクシングを始め、アマチュアのトップ選手としてミュンヘンオリンピックに出場、ベスト8の成績を残す。アマ通算34勝 (28RSC) 3敗、KO率8割2分という記録を引っ提げてプロ入り。国際ジムからプロデビュー後もKOの山を築き、「KO仕掛人」の異名を持った屈指のハードパンチャーであった。 プロではWBC世界ジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)王者になったが、それ以上にアレクシス・アルゲリョ、ウイルフレド・ゴメス、エウセビオ・ペドロサという時代を代表する名王者を相手に世界タイトルマッチを戦ったことでその名を知られた。 現役引退後は横浜光ボクシングジムなどでトレーナーを務めた後、ボクシング界を退いて熊本へ帰り、警備員などの仕事をしていたという。 2020年11月17日に、熊本県内の病院において食道がんで亡くなった。71歳没。 大卒ボクサーとして日本人初の世界王者。 アマチュア出身でありながら「プロ以上にプロらしい」と称され、「正々堂々、スポーツマンシップは夢物語。勝つために何でもするのがプロ」と語るなど、勝負にこだわる「プロ」であった。 大卒アマエリートの肩書きに反して外見はパンチパーマに髭、ファイトスタイルはKO狙いのファイタータイプであった。 1972年、全日本社会人ボクシング選手権大会ライト級決勝で17歳の田中栄民に判定勝。ミュンヘンオリンピック・ボクシングフェザー級でベスト8。 1973年2月15日、プロデビュー戦でバロン熊沢(大川)に8回判定勝ち。小林はアマチュア時代の実績から、特例で8回戦以上に出場できるA級ライセンスを交付され、8回戦でのデビューとなった。 1973年4月27日、デビュー2戦目で佐藤弘道(堀内)に2回KO勝ち。 1974年6月9日、元世界バンタム級1位、「ロープ際の魔術師」とも呼ばれた名ボクサー、ジョー・メデル(メキシコ)に6回TKO勝ち。ただ、メデルも全盛期のカウンターの冴えをのぞかせ、一時は小林から左のカウンターでダウン(判定はスリップ)を奪った。試合後、36歳のメデルはリング上で引退を表明、引退のテンカウントのゴングを聞いた。 1974年9月5日、原田達(新進・現新日本大阪ジム)に4回KO勝ち(相手の原田は、ヨネクラへ移籍後にOPBF東洋太平洋ジュニアライト級王者となる吹打竜)。デビュー2戦目からの11連続KO勝ちを達成。当時の人気時代劇にあやかり「KO仕掛人」と呼ばれる。 1974年9月16日、世界ランカーのバート・ナバラタン(フィリピン)と対戦、10回判定勝ち。連続KO勝ちの記録は途絶えたものの、世界ランキング入りを決めた。 1974年12月30日、日本フェザー級2位、竹森三城(三迫)と対戦、強打者同士の激しい打ち合いとなったが、パンチ力に勝る小林が打ち勝ち、2回KO勝ち。相手の竹森はこの3か月後、メキシコ遠征で世界フェザー級8位、サルバドール・トーレス(メキシコ)に2回KO勝ちして、世界ランキング入りしている。 1975年2月17日、後の世界フェザー級王者、ダニー・ロペス(アメリカ)からダウンを奪ったこともある強打者、豊島正直(川口)と対戦。強打者同士の緊迫した試合となったが、6回に一気のラッシュでKO勝ち。 1975年5月9日、国内のライバルと目されていた、前OBF東洋フェザー級王者歌川善介(勝又)に2回KO勝ち。2回に左フックの一撃で倒した。敗れた歌川は、試合後リング上で引退を表明した。 1975年10月12日、18戦全勝(16KO)の戦績を引っさげ、東京・蔵前国技館にてWBA世界フェザー級王座に初挑戦。1回から王者アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)の速い左ジャブに苦戦するものの、4回に反撃を試みるもアルゲリョにクリーンヒットを与えることができず、5回に勝負に出たアルゲリョの右をボディに受けダウン。辛くも立ち上がったところを今度は左をボディに受けてKO負け。 1976年2月15日、初の海外遠征。パナマで地元のエミリオ・サルセドと対戦、2度のダウンを奪うも、地元判定で10回判定負け。 1976年10月9日、東京・蔵前国技館にてWBC世界ジュニアフェザー級王座に挑戦。王者、リゴベルト・リアスコ(パナマ)に8回KO勝ちし王座獲得。オリンピック日本代表経験者として初の世界王座奪取となった。当時、日本のボクシング界は同年5月に輪島功一が敗れてタイトルを失って以来11年ぶりに世界王者無しとなっており、小林の勝利がその状態にピリオドを打った。また、翌10日には具志堅用高が連日の世界奪取に成功している。 1976年11月24日、WBC世界王座の初防衛戦。韓国・ソウルで同級1位廉東均(韓国)に15回判定で敗れ王座陥落し、世界王座在位47日の短命王者に終わる。この試合では、1回に小林が足を滑らせて転倒したところに、廉の左が軽く当たっていたためダウンと判定され、その失点が最後まで響いた。 1978年1月19日、福岡県・北九州市立総合体育館にて廉からウイルフレド・ゴメス(プエルトリコ)にホルダーが移動していたWBC世界ジュニアフェザー級王座に再挑戦。王者ゴメスに1回、2回と攻勢をかけるものの、3回、アゴにゴメスの左フックのカウンターを鮮やかに決められ、KO負け。 1978年4月27日、OPBF東洋太平洋フェザー級王座に挑戦。黄福寿(韓国)を10回KOで降し王座獲得。以後7度防衛。 1978年8月6日、日本王者スパイダー根本(草加有沢)相手にOPBF王座の初防衛戦を行い、老獪な根本に苦戦するものの12回判定勝ち。 1979年1月9日、東京・後楽園ホールにてWBA世界フェザー級王座に挑戦。王者エウセビオ・ペドロサ(パナマ)に13回KO負け。 1979年7月26日、友成光(新日本木村)に10回判定負け。小林が日本人選手に敗れた唯一の試合である。 1981年10月18日、OPBF王座8度目の防衛戦で、黄正漢(韓国)に1回KOで敗れ、現役引退。 WBC世界ジュニアフェザー級王座(防衛0度) 第14代OPBF東洋太平洋フェザー級王座(防衛7度) ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年 ^ “訃報 KO仕掛人 ロイヤル小林さん死去 元世界J・フェザー級王者 アルゲリョら名王者と対戦”. ボクシングニュース. 株式会社MACC出版. https://boxingnews.jp/news/79790/ 2020年12月8日閲覧。 ^ “ボクシングの小林和男さんが死去 WBC元世界王者”. 東京新聞. 中日新聞社. https://web.archive.org/web/20201208150558/https://www.tokyo-np.co.jp/article/73164 2020年12月8日閲覧。 男子ボクサー一覧 日本のボクシング世界王者一覧 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧 東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)王者一覧 ロイヤル小林の戦績 - BoxRec(英語) 1976年10月9日 - 1976年11月24日 1978年4月27日 - 1981年10月18日 表 話 編 歴 井岡弘樹 大橋秀行 星野敬太郎 新井田豊 イーグル・デン・ジュンラパン 高山勝成 井岡一翔 八重樫東 宮崎亮 田中恒成 福原辰弥 京口紘人 山中竜也 谷口将隆 重岡銀次朗 重岡優大 具志堅用高 中島成雄 渡嘉敷勝男 友利正 井岡弘樹 山口圭司 亀田興毅 井岡一翔 井上尚弥 田口良一 木村悠 八重樫東 田中恒成 寺地拳四朗 京口紘人 矢吹正道 岩田翔吉 白井義男 ファイティング原田 海老原博幸 大場政夫 大熊正二 花形進 小林光二 レパード玉熊 勇利アルバチャコフ 坂田健史 内藤大助 亀田興毅 亀田大毅 五十嵐俊幸 八重樫東 井岡一翔 比嘉大吾 木村翔 田中恒成 中谷潤人 ユーリ阿久井政悟 寺地拳四朗 渡辺二郎 鬼塚勝也 川島郭志 飯田覚士 戸高秀樹 徳山昌守 セレス小林 川嶋勝重 名城信男 清水智信 佐藤洋太 河野公平 亀田大毅 カルロス・クアドラス 井上尚弥 井岡一翔 中谷潤人 田中恒成 ファイティング原田 六車卓也 辰吉丈一郎 薬師寺保栄 戸高秀樹 長谷川穂積 亀田興毅 山中慎介 亀田和毅 井上尚弥 井上拓真 中谷潤人 西田凌佑 武居由樹 堤聖也 ロイヤル小林 畑中清詞 佐藤修 西岡利晃 李冽理 下田昭文 長谷川穂積 小國以載 久保隼 岩佐亮佑 亀田和毅 井上尚弥 西城正三 柴田国明 越本隆志 ホルヘ・リナレス 粟生隆寛 長谷川穂積 沼田義明 小林弘 柴田国明 上原康恒 畑山隆則 ホルヘ・リナレス 内山高志 粟生隆寛 三浦隆司 伊藤雅雪 尾川堅一 ガッツ石松 オルズベック・ナザロフ 畑山隆則 小堀佑介 ホルヘ・リナレス 藤猛 浜田剛史 平仲明信 輪島功一 工藤政志 三原正 石田順裕 竹原慎二 村田諒太 小関桃 安藤麻里 宮尾綾香 池山直 古川夢乃歌 岩川美花 花形冴美 鈴木菜々江 黒木優子 山中菫 松田恵里 多田悦子 藤岡奈穂子 安藤麻里 山田真子 黒木優子 池原シーサー久美子 江畑佳代子 小関桃 佐伯霞 石川海 富樫直美 柴田直子 藤岡奈穂子 天海ツナミ 真道ゴー 好川菜々 藤岡奈穂子 天海ツナミ 山口直子 藤岡奈穂子 吉田実代 奥田朋子 小澤瑶生 晝田瑞希 藤岡奈穂子 新垣諭 ルイシト小泉 西島洋介 西澤ヨシノリ 江藤光喜 シュガーみゆき ライカ 袖岡裕子 菊地奈々子 池山直 天海ツナミ 吉田実代 プロボクシング・世界チャンピオン会 一覧 カテゴリ 表 話 編 歴 76 ロイヤル小林 77 具志堅用高 78 具志堅用高 79 具志堅用高 80 具志堅用高 81 三原正 82 渡辺二郎 83 渡辺二郎 84 渡辺二郎 85 渡辺二郎 86 浜田剛史 87 井岡弘樹 88 なし 89 なし 90 レパード玉熊 91 辰吉丈一郎 92 鬼塚勝也 93 鬼塚勝也 94 薬師寺保栄 95 川島郭志 96 川島郭志 97 辰吉丈一郎 98 辰吉丈一郎 99 戸高秀樹 00 畑山隆則 01 セレス小林 02 徳山昌守 03 徳山昌守 04 川嶋勝重 05 長谷川穂積 06 長谷川穂積 07 内藤大助 08 長谷川穂積 09 西岡利晃 10 西岡利晃 11 なし 12 山中慎介 13 山中慎介 14 山中慎介 15 山中慎介 16 山中慎介 17 村田諒太 18 井上尚弥 19 井上尚弥 20-21 中止 陸上自衛官 アマチュアボクシングの日本王者 オリンピックボクシング日本代表選手 日本の男子ボクサー 東洋太平洋ボクシング連盟王者 スーパーバンタム級世界王者 世界ボクシング評議会世界王者 日本のボクシング世界王者 日本のボクシングトレーナー 自衛隊出身のボクサー 鎮西高等学校出身の人物 拓殖大学出身の人物 熊本県出身の人物 1949年生 2020年没
2024/11/23 05:23更新
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