下村観山の情報(しもむらかんざん) 日本画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
下村 観山さんについて調べます
■名前・氏名 |
下村観山と関係のある人
小村雪岱: 下村観山教室に学ぶ。 本田博太郎: 脱兎のごとく 岡倉天心(1984年) - 下村観山 前田青邨: 1911年(明治44年) 下村観山の媒酌で、荻江節の家元 初代荻江露章こと佐橋章子の妹松本すゑ(荻江露友)と結婚。 橋本雅邦: 東京美術学校では雅邦四天王と呼ばれた下村観山、横山大観、菱田春草、西郷孤月の他、川合玉堂、橋本静水らを指導しており、その指導が近代美術に及ぼした影響は大きい。 菱田春草: 横山大観、下村観山とともに岡倉天心(覚三)の門下で、明治期の日本画の革新に貢献した。 速水御舟: 1917年(大正6年)9月の第4回院展に『洛外六題』を出品し、横山大観、下村観山らに激賞され、川端龍子と共に日本美術院の同人に推挙された。 建畠大夢: 1919年、帝国美術展覧会審査員に任命され、下村観山、川端龍子、保田龍門をはじめとする同郷の芸術家と南紀美術会を組織した。 岡倉天心: 同校での美術教育が特に有名で、福田眉仙、横山大観、下村観山、菱田春草、西郷孤月らを育てたことで知られる。 横山大観: 1913年(大正2年)には、守旧派に押されて活動が途絶えていた日本美術院を、下村観山、木村武山等と共に再興した。 横山大観: 同期生には下村観山、西郷孤月、第2期生には菱田春草などがいる。 |
下村観山の情報まとめ
下村 観山(しもむら かんざん)さんの誕生日は1873年4月10日です。和歌山出身の日本画家のようです。
卒業に関する情報もありますね。1930年に亡くなられているようです。
下村観山のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)下村 観山(しもむら かんざん、1873年(明治6年)4月10日 - 1930年(昭和5年)5月10日)は、明治 - 昭和初期の日本画家。本名は晴三郎。 1873年(明治6年)、和歌山県和歌山市小松原通5丁目に、代々紀州藩に仕える小鼓方幸流の能楽師の3男として生まれる。1881年(明治14年)8歳のとき、一家で東京へ移住。父は篆刻や輸出象牙彫刻を生業とし、兄2人も後に豊山、栄山と名乗る彫刻家となった。観山は祖父の友人だった藤島常興に絵の手ほどきを受ける。常興は狩野芳崖の父・狩野晴皐の門人だったことから、芳崖に観山を託す。観山初期の号「北心斎東秀」は芳崖が授けたとされ、1883年(明治16年)観山10歳の頃にはもう使用していたとされる。1886年(明治19年)芳崖が制作で忙しくなると、親友である橋本雅邦に紹介して師事させる。1889年(明治22年)東京美術学校(現・東京藝術大学)に第一期生として入学する。初期の美校では基礎知識として、フェノロサによる美学、岡倉天心による「日本美術史」、フェロノサと岡倉天心の師である黒川真頼による有職故実、和文、金工、漆工史等の講義があった。 卒業後は同校で教えていたが、1898年に岡倉覚三(天心)が野に下ったときに行動を共にし横山大観、菱田春草とともに日本美術院の創設に参加した。1903年2月21日、文部省留学生として渡英のため横浜を出航、12月10日帰国。 1906年、天心が日本美術院を茨城県北部の五浦海岸へ移した際、大観、春草、木村武山とともに同地へ移住し画業を深めた。1917年6月11日、帝室技芸員となる。1930年 死去。墓所は多磨霊園(3-1-9-5)と台東区安立寺。
熊野観花(1894年、東京藝術大学)
仏誕(1896年、東京藝術大学)
嗣信最期(1897年、東京藝術大学)
闍維(じゃい)(1898年、横浜美術館)
魔障図(1910年、東京国立博物館)
^ 国立国会図書館. ^ 『近代日本美術全集』第5巻,2 東京美術學校の創設と岡倉天心/p10,東都文化交易,1954 ^ 『官報』第1458号、大正6年6月12日。 ^ [ID_1816] 嗣信最期 : 収蔵品情報 _ 収蔵品データベース _ 東京藝術大学大学美術館 The University Art Museum, Tokyo University of the Arts ^ E0065918 修羅道絵巻 - 東京国立博物館 画像検索 ^ 大原之露 - 五浦の作家(主な所蔵作品) - 茨城県近代美術館 ^ 鵜鷗図 _ 滋賀県立近代美術館 ^ Diogenes in white robe, clasping his knees and gazing down; rim of barrel above him - British Museum ^ 石川県立美術館編集・発行 『前田利為と尊經閣文庫 図録』 1998年、第15,16,97図。 ^ C0010440 魔障図 - 東京国立博物館 画像検索 ^ 「下村観山展―観山と三溪」第5図。 ^ 下村観山 毘沙門天弁財天 学芸員の作品解説 徳島県立近代美術館 ^ 「下村観山展―観山と三溪」第15図。 ^ 弱法師 - e国宝 ^ E0041520 春雨図屏風 - 東京国立博物館 画像検索 ^ 『生誕一四〇年記念 下村観山展』第82図。 ^ 獅子図屏風 - 文化遺産オンライン ^ C0010441 豊太閤図 - 東京国立博物館 画像検索 ^ 「KANZAN 第三の男・下村観山」第19図。 ^ C0010437 楠公図 - 東京国立博物館 画像検索 『観山画集 下村観山1』 大日本絵画、1981年8月 『下村観山伝 下村観山2』 大日本絵画、1981年8月 『下村観山 菱田春草』 小学館〈現代日本絵巻全集4〉、1982年8月 『横山大観 下村観山』 講談社〈現代の水墨画2〉、1983年 横浜美術館編集『大観と観山展』 日本経済新聞社、1990年 朝日新聞社文化企画局大阪企画部編集 『下村観山展―生誕120年記念』 朝日新聞社、1993年 財団法人 三溪園保勝会編集・発行 『三溪園開園一〇〇周年記念特別展「下村観山展―観山と三溪」』 2006年 横浜美術館編集・発行 『岡倉天心生誕一五〇年・没後一〇〇年記念 生誕一四〇年記念 下村観山展』 2013年 『生誕一四〇年記念 「KANZAN 第三の男・下村観山」』 駿府博物館、2014年1月18日 安立寺 - 墓所がある。 野生司香雪 - 仏画家。東京藝術大学日本画科時代、イギリスから帰国した下村観山が担任となった。 “下村観山”. 近代日本人の肖像. 国立国会図書館. 2015年6月24日閲覧。 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー ドイツ イスラエル アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research オルセー美術館 ULAN IdRef 日本画家 帝室技芸員 東京芸術大学の教員 和歌山県出身の人物 東京芸術大学出身の人物 1873年生 1930年没 多磨霊園に埋葬されている人物 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 Musée d'Orsay識別子が指定されている記事 ULAN識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 22:59更新
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