与謝野馨の情報(よさのかおる) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
与謝野 馨さんについて調べます
■名前・氏名 |
与謝野馨と関係のある人
阿部俊子: 2008年自由民主党総裁選挙では与謝野馨の推薦人となる。 中曽根康弘: 1999年(平成11年) - 江藤隆美・中尾栄一・与謝野馨・村上正邦・佐藤静雄らで構成する中曽根派と亀井静香率いる亀井グループが合併し「志帥会」を結成。 谷川寛三: 愛知和男・中村喜四郎・鳩山邦夫・西田司・中島衛・池田行彦・堀内光雄・相沢英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直。 石川要三: 1975年まで市長を2期務め、1976年に第34回衆議院議員総選挙に旧東京11区から出馬し、当選した(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正らがいる)。 愛知和男: 1976年12月、第34回衆議院議員総選挙に義父の地盤を引き継いで旧宮城1区(定数5)から立候補し、同区トップで初当選した(当選同期に鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正らがいる)。 西田司: 得票数2位で初当選した(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正らがいる)。 加藤紘一: この総選挙では、東大1959年入学同期3人(加藤紘一、与謝野馨 、田中秀征)の若手候補が立候補すると週刊誌に取り上げられた。 額賀福志郎: 福田首相辞任に伴う2008年自由民主党総裁選挙では、津島派から石破が出馬する一方、前参議院議員会長の青木幹雄は与謝野馨を支持した。 大塚雄司: なお旧東京1区は定数が3議席になった第31回衆議院議員総選挙以降3度、自民が1、非自民(革新系)が2議席を獲得する構図が続いていたが、大塚が初めて衆院議員に当選したこの選挙では、保守系無所属の麻生良方、自民党新人の与謝野馨、大塚の保守系候補が3議席を独占し、日本社会党所属の前職加藤清政が落選の憂き目を見た。 石川武美: 孫 : とも子 = 与謝野馨 北澤俊美: 2010年末、菅らがたちあがれ日本に連立政権への参加を打診した際、当初は幹事長岡田克也が交渉の窓口であったが、連立協議が不首尾に終わると、菅は交渉役を岡田から北澤に切り替え、その結果たちあがれ日本から与謝野馨を単独で離党させ、菅第2次改造内閣で入閣させることに成功した。 成田豊: 東大野球部では、マネージャーだった与謝野馨の先輩にあたり、与謝野が招集した安心社会実現会議座長を務めた。 石破茂: しかし総選挙が近づくと、閣内にありながら与謝野馨財務大臣らとともに麻生おろしに加担し、退陣要求を行った。 後藤田正純: 2008年自由民主党総裁選挙では、与謝野馨を総裁候補として支持し、「与謝野氏に是非立ってほしい」と記者団に語った。 嶋田隆: 8月 - 与謝野馨内閣官房長官秘書官。 吉川洋: 2006年の経済財政諮問会議で、当時の竹中平蔵総務大臣と与謝野馨経済財政担当大臣が提起した骨太の方針に関して、名目経済成長率と名目金利の相関関係・因果関係について議論を戦わせた。 野田佳彦: 財政政策では、与謝野馨らと並んで財政再建派・増税派の代表格とされる。 嶋田隆: 1月 - 与謝野馨経済財政政策担当大臣秘書官。 小池百合子: ただ憲政史上初の女性総理誕生とはならず、結果は、麻生太郎、与謝野馨に次ぐ3位。 原田昇左右: 1974年に運輸省大臣官房審議官を最後に退官、1976年の衆院選に西村直己の後継者として旧静岡1区から出馬し初当選(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。 園田博之: 与党の政策調整を切り回せる政調会長代理のポストを福田康夫に直訴、与謝野馨を党財政改革研究会の会長に担ぎ出す。 遠藤武彦: だが、内閣官房長官の与謝野馨 は「法律や規則で定めたことにミスとはいえ、きちんとこたえていなかったことは残念なことだ」と苦言を呈した。 堀内光雄: 1976年の第34回衆議院議員総選挙で初当選(当選同期に愛知和男・中村喜四郎・鳩山邦夫・中島衛・西田司・池田行彦・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。 園田博之: 園田は麻生内閣の経済財政政策担当大臣である与謝野馨に働きかけ、財政再建派の「正しいことを考え実行する会」を設立。同年10月、谷垣禎一総裁の下で幹事長代理に就任したが、執行部批判を強める与謝野馨に同調し、2010年3月に幹事長代理を辞任した。 石破茂: 2010年4月22日の記者会見において、自民党を離党した与謝野馨、園田博之らが参加する新党たちあがれ日本について「私自身、新党「たちあがれ日本」に参加した与謝野馨と園田博之とは、政策的に非常に近いスタンスだ。 中島衛: 1976年、再び第34回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、初当選した(当選同期に中村喜四郎・愛知和男・鳩山邦夫・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。 町村信孝: 当初は内閣官房長官への就任が確実視されていたが、安倍と麻生太郎の最終的な話し合いで、土壇場で与謝野馨の名が浮上し、町村は2度目の外相就任となった。 森雅子: 2008年自由民主党総裁選挙では与謝野馨、2009年自由民主党総裁選挙では谷垣禎一の推薦人名簿にそれぞれ名を連ねた。 嶋田隆: 8月 - 与謝野馨経済財政政策担当大臣秘書官。 安倍晋三: 一方、自身の健康への不安のためとする理由も、与謝野馨(当時、内閣官房長官)が同日中会見で述べている。 |
与謝野馨の情報まとめ
与謝野 馨(よさの かおる)さんの誕生日は1938年8月22日です。東京出身の政治家のようです。
家族、卒業、解散、病気、引退、事件、趣味、事故、兄弟、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。2017年に亡くなられているようです。
与謝野馨のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)與謝野 馨(よさの かおる、1938年〈昭和13年〉8月22日 - 2017年〈平成29年〉5月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。通常は新字体で与謝野と表記。 衆議院議員(10期)、衆議院議院運営委員長(第50代)、文部大臣(第117代)、内閣官房副長官、通商産業大臣(第61代)、自由民主党金融調査会長(第2代)、自由民主党政務調査会長(第46代)、内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策〈第3次小泉改造内閣〉)、内閣官房長官(第74代)、拉致問題担当大臣(第2代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策、規制改革〈福田康夫改造内閣〉)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策、男女共同参画、少子化対策〈菅直人第2次改造内閣〉)、財務大臣(第11代)、内閣府特命担当大臣(金融〈麻生内閣〉)、学校法人文化学院院長・理事などを歴任した。 著名な歌人である与謝野晶子・与謝野鉄幹の孫(次男の子)にあたる。 東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)に与謝野秀(しげる)・与謝野道子の長男として生まれる。父・秀は歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の二男で外交官(戦前は外務省情報部長、調査局長などを経て在外公館勤務)。 生後すぐに父が北京に赴任し、0歳で北京に移る。日本に帰国した4歳の頃、祖母の晶子が死去している。祖父の鉄幹は馨が生まれる3年前に死去して会っておらず、晶子との思い出も殆どなく、祖父母は身内ではなく、教科書に載っている歴史上の人物であるような気がすると自身の著書で著している。父は戦時中にベルリンの日本大使館に勤務していたが、日本に残された家族の生活は困窮し、無賃乗車で母とともに交番へ連れて行かれたこともあったという。戦争末期に東京大空襲に遭遇している。港区立麻布小学校卒業後、麻布中学校に進学。 父がエジプト勤務になったときは、カイロ郊外・ヘリオポリスのイングリッシュスクールに編入学している。このころ、自分が敗戦国の国民であることを強烈に感じ、日本の文化・経済を一流にしたいという想いが生まれたという。その後、イギリスのオックスフォード大学への進学を目指し、一次試験までパスするが、考えを変えて日本に帰国。麻布高校に編入学し、平沼赳夫の同級生となる。東大受験に失敗するが、平沼によれば卒業式で表彰されるような優等生だった。駿台高等予備校(現駿台予備学校)で1年間の浪人を経て東京大学文科Ⅰ類に入学。いわゆる全学連世代だが、学生運動は一切関わらなかった。駒場時代は授業に失望して文学書を濫読。好きな分野は刑事法。学生時代の記憶に残る本としては有島武郎の「カインの末裔」、後々まで自分の思考に影響を与えた本として、碧海純一「法哲学概論」、団藤重光「刑法綱要」などを挙げている。硬式野球部に所属し、マネージャーを務める。このときの2年後輩に新治伸治がいる。 1963年、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業(三井住友銀行名誉顧問の岡田明重や元財務官の中平幸典は東大法学部の同期)。母の知人・中曽根康弘の紹介で日本原子力発電に入社する。日本原子力発電では、当初技術部に配属され、後に外交官となる今井隆吉係長の薫陶を受け、英語専門文献の翻訳なども手がけた。後に事務系に転じ、米国での資金調達や原子力保険といった金融業務に従事していた。 会社の命により、民社党の核拡散防止条約に関する訪欧調査団に原子力の専門家・通訳として同行、スイス、ユーゴスラビア、イギリス、イタリア、ドイツなどを訪問した。調査団メンバーは後の委員長佐々木良作を始め曽祢益、岡沢完治、渡辺朗。与謝野にとっては政治家と深く関わった第一歩であり、こうした民社党の面々とは政界入り後も親しい関係が続くことになる。佐々木と共にドイツ滞在中に中曽根康弘と邂逅、2人の政治家の食事のお供などをしたが、このことが政界入りの直接の契機となった。中曽根とは就職の斡旋以来、勉強会などを通じて親交があったが、帰国後にやはり同じ勉強会のメンバーであった渡邉恒雄を通じて秘書にならないかと誘いを受けた。 1968年日本原子力発電を退職し、中曽根の秘書となる。この頃読んだシュテファン・ツヴァイクの「ジョセフ・フーシェ」は愛読書の一つであり、著書などでフーシェに触れることが多い。 1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧東京都第1区から自由民主党公認で立候補するが落選する。この総選挙では、東大1959年入学同期3人(加藤紘一 、田中秀征、与謝野馨)の若手候補が立候補すると週刊誌に取り上げられた。 1976年12月の第34回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補し初当選。中曽根派に所属する。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で当時の大平正芳首相が打ち出した一般消費税による逆風を受け落選したが、1980年の第36回衆議院議員総選挙で、日本社会党委員長の飛鳥田一雄を抜きトップ当選し返り咲いた。以後、科学技術・通商産業関係を皮切りに、通商産業政務次官、自民党商工部会長、衆議院商工委員長などを歴任し、商工族、政策通として頭角を現す。中曽根派に所属しながらも、1990年に竹下派の実力者であった梶山静六の下で国会対策委員会副委員長を務めた縁で「梶山門下」を自称する師弟関係を形成した。その後、梶山は1991年に国対委員長に再任されると再び与謝野を副委員長に起用したほか、1992年に幹事長に就任した際には議院運営委員長に指名するなど重用した。 1994年、自民党が政権復帰した村山内閣(自社さ連立政権)で文部大臣として初入閣。1996年、自民党単独内閣となった第2次橋本内閣では、梶山内閣官房長官の下で内閣官房副長官(政務)に就任。通例なら長官とともに総理総裁派閥から起用されるポストだが、梶山の篤い信頼のもとで、他派閥ながら橋本政権を中枢で支えた。 1998年、橋本内閣の次の小渕内閣で通産大臣に就任。通産大臣でありながら、所管外(法務省管轄)の通信傍受法成立に力を注ぎ、『噂の眞相』などに「盗聴法成立の黒幕」と批判された。 2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で民主党の現職・海江田万里に敗れ、重複立候補していた比例代表東京ブロックでも復活せずに落選する。自民党は民主党に都市部を中心に議席を奪われ、「1区現象」と呼ばれる事態に陥ったが、閣僚経験者で総裁候補とも目されつつあった与謝野の落選は、1区現象の象徴として大きく報じられた。与謝野の落選について小泉純一郎は後に、「(与謝野さんが)落選していなければ自分ではなく与謝野さんが総理になっていただろう」とも述べている。 浪人時代はCS放送「朝日ニュースター」を始めマスメディアにしばしば登場、その頃誕生した小泉内閣の構造改革に当初は批判的であったが、徐々に方針転換して改革にも一定の理解を示すようになったほか、復活を期した2003年の総選挙前に派閥を離脱した。これは当時所属派閥であった志帥会における亀井静香との権力抗争に敗北し、以前に亀井が所属していた清和政策研究会の小泉首相に接近する事情もあった。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙で選挙区では僅差で海江田に敗れたが、比例復活で3年ぶりの国政復帰し、その後は党の金融調査会長を務める。2004年に自民党政調会長に就任し、小泉首相の進める郵政民営化に尽力し、2005年9月に行われた第44回衆議院議員総選挙で、海江田に比例区での復活を許さないほどの圧倒的な勝利を収め、5年前の雪辱を果たした。2005年に発足の第3次小泉改造内閣で、内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策)に就任する。2006年に小泉内閣の終わり近くに景気が少し持ち直してくると、消費者物価指数がマイナスにもかかわらず、量的緩和解除のゴーサインを出した。「デフレのほうが良い。インフレは絶対悪だ。だから物価上昇率がプラスになったら悪魔である」と語っていたという。 2006年9月26日に安倍政権が発足、安倍とは通信傍受法の成立にあたって協力したほか、財界との勉強会である「四季の会」を通じて親しい関係であるため、内閣官房長官として与謝野を起用する構想があったとされるが、与謝野の官僚寄りの姿勢を警戒して、小泉が待ったをかけたという。結局自民党税調会長(税制調査会長)に就任したが、就任直後の10月に口内に痛みを覚えるなどしたため入院し、11月に税調会長を辞任して療養生活に入った。 2007年1月初旬に退院した後も自宅療養を続け、4月13日の衆院本会議に出席し政治活動を再開し、6月8日に発売された『文藝春秋』7月号に寄せた随筆「告知」にて、喉頭癌による入院だったことを公表した。 2007年8月27日発足の第1次安倍改造内閣において内閣官房長官(拉致問題担当大臣兼務)に就任。改造にあたって安倍は菅義偉の登用を模索したが、菅の事務所費問題から断念。その後は町村信孝の就任が確実視されていたが、最終的に与謝野を官房長官に起用した。 2007年9月12日、所信表明演説直後に突如安倍が辞任表明。その後安倍は体調不良で入院という事態となった。安倍が入院しても首相臨時代理は置かれなかったが、官房長官である与謝野が官邸を事実上仕切り、「与謝野官邸」と呼ばれた。同様に党務を仕切った幹事長の麻生とともに、麻生クーデター説のやり玉の一人に挙げられ、強く批判された(その後この説はデマと判明)。同年9月26日の福田康夫内閣発足に伴い官房長官・拉致担当相を退任した。 福田政権では自民党税制調査会の小委員長に就任。政権の指南役として薬害肝炎問題の議員立法を提案し、解決に導くなど 存在感を見せる。 10月の大連立構想で、かつての中曽根・渡邉との関係からある程度の動きはつかんでいたようである。自身も大連立に肯定的な発言をしているが、特に具体的な行動は起こさなかった。福田・小沢会談の直前に小沢と囲碁で対決し、メディアから大連立に関する話し合いが行われたと報道されたが、与謝野本人は大連立とは全く関係がないと主張している。 2008年2月20日、派閥横断型勉強会「正しいことを考え実行する会」(正しい議連)の活動再開を機に、同会に参加する。8月2日、福田内閣の内閣改造(福田改造内閣)により内閣府特命担当大臣(経済財政政策、規制改革)に就任。経済財政担当相在任中、福田首相の辞任表明に伴う自民党総裁選挙に出馬。財政再建を訴えて2位につけ、麻生内閣では経済財政担当相に再任した。 2009年2月17日、財務大臣兼金融担当大臣の中川昭一が辞任したことに伴い、その後任に指名されたため、与謝野一人で経済関連3閣僚を兼任することとなった。兼任は予算成立後に解かれる予定だったが、結局7月2日の閣僚補充で経済財政担当大臣に林芳正が任命されるまで続いた。同月、実施された東京都議選で自民党が敗れたことにより党内の麻生おろしが最高潮に達すると、重要閣僚でありながら麻生の自発的辞任を求める立場に立ったが最終的に麻生内閣のもとでの衆議院解散に同意した。第45回衆議院議員総選挙では再び民主党の海江田万里に2003年以来3度目の敗北を喫するも、比例代表で復活当選。9月4日と9月5日に開かれるG20財務相・中央銀行総裁会議は病気を理由に出席しない意向を示した。 同年9月16日、麻生内閣総辞職により財務相・金融担当相を退任した。 自民党下野後は衆議院予算委員会に所属した。2010年2月12日の衆院予算委員会において、当時の鳩山由紀夫首相の偽装献金問題を追及し、鳩山を「平成の脱税王」と呼んだ。さらに、その弟で与謝野と当選同期の鳩山邦夫の「うちの兄貴はしょっちゅう母のところへ行って子分に配る金、子分を養成する金が必要だと言って金をもらっていた」という発言を引き合いに出し、鳩山を厳しく追及した。 文藝春秋(2010年4月号)で自民党執行部を批判する記事を書き、同年4月3日総裁の谷垣禎一と直接会談し、4月7日付で離党届を提出。会談で与謝野は谷垣に「自民党分裂とはとらないでください、大げさに感じないでください」と述べ、会談後も記者に「“自民党の分裂ではなく、一個人・与謝野馨が去ったということだと考えてほしい”と伝えた」と述べ、自身らの離党は自民党分裂ではないとした。4月10日の午前に「反民主・非自民を貫く」と述べ、結成を予定する新党は反民主の党であるとの認識を示し、4月10日午後、平沼赳夫、園田博之らとともに、新党「たちあがれ日本」の結党を正式に発表した。そして4月27日、自民党党紀委員会は政党票で当選した比例選出議員であることや新党結党首謀者として他の自民党国会議員(園田博之・藤井孝男・中川義雄)に対して新党結党のために自民党離党を促したことを反党行為として、賛成9票・反対3票で与謝野に対して除名処分を下した。 2010年12月に民主党政権からたちあがれ日本の連立政権参加の打診を受けたが、与謝野が賛成する中で他5人が反対し、党内で孤立。2011年1月13日、平沼代表に離党届を提出、たちあがれ日本から離党した。翌1月14日、菅直人再改造内閣にて、内閣府特命担当大臣(経済財政政策、男女共同参画、少子化対策)に就任し、新設された社会保障と税の一体改革担当大臣も兼務した。与謝野の前任の内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)で、内閣改造で経済産業大臣に横滑りした海江田は、記者会見で同じ選挙区の与謝野の入閣について「一言申し上げると、人生は不条理だと思う」と述べた。1月19日に無所属議員として衆議院会派「民主党・無所属クラブ」に入会し、再び与党議員となった。 与謝野の民主党政権参加は、除名処分にした自民党など野党から強く批判をされている。与謝野はたちあがれ日本の離党において、「私は『打倒民主党』という言葉を使った覚えはない」と弁明しているが、朝日新聞2010年4月7日に掲載されたインタビュー記事では与謝野は「打倒民主党」という言葉を使っており、与謝野のHPにも掲載されている。入閣から7ヶ月前の2010年6月16日に衆議院本会議で菅内閣不信任決議に賛成票を投じている。 与謝野は後のインタビューで「別の仕事だったらやらなかったと思います。菅さんは税に関しては、一回もぶれなかった」と述べている。 2011年9月、野田内閣発足に伴い経済財政政策担当大臣を退任。同月5日、衆議院会派「民主党・無所属クラブ」を離脱。無所属議員となった。 菅直人内閣での閣僚退任の後、体調を崩し2012年6月から約2ヶ月間入院。その間に咽頭がんの修復手術を受けたがその影響で声を失い、筆談での会話を余儀なくされた。声のリハビリなども開始していたが早期の回復は困難なため、9月5日になって第46回衆議院議員総選挙への立候補をあきらめ、政界からの引退を表明した。水面下で自らの地盤である東京1区から立候補を予定していた新人候補の山田美樹を支援する目的で自民党への復党を打診したが、党からは「節操がなくなる」とされ、復党は認められなかった。 2013年4月、「多年にわたり国会議員として議案審議の重責を果たすとともに、内閣府特命担当大臣等として国政の枢機に参画した」 功労により、旭日大綬章を受章した。 声を失った与謝野は食道発声や電気式人工咽頭を試した後にがん研究会有明病院において気管食道シャント法と呼ばれる手術を受け、2013年暮れまでに声を取り戻している。 2017年4月30日に自民党の党紀委員会は、与謝野の近年の同党への貢献を評価して与謝野の復党を了承した。国会議員として自民党を除名された人物の復党は綿貫民輔に次いで2例目となる。 同年5月24日、関係者が与謝野の死去を明らかにした。78歳没。当初は死没日が遺族の意向で公表されなかったが、同年5月30日に開かれた自民党役員連絡会で二階俊博自民党幹事長(当時)が21日と報告している。最終的に与謝野家と自民党による合同のお別れ会を開催するに至った。 日本国政府は、同年6月16日の閣議において、正三位に叙することを決定した。墓所は港区賢崇寺。 村上ファンドから2004年の政治資金収支報告書記載分として40万円の政治献金を受けていた。 トラック輸送業界の政治団体である道路運送経営研究会(道路特定財源を資金源とし、一般財源化に反対している)から政治献金を受けている。 福島県知事の汚職事件に関連していた大手のゼネコンである前田建設工業の取締役名誉会長を務めていた前田又兵衛から政治献金を受けていた。前田は汚職事件が発覚した後、取締役名誉会長職を辞任している。与謝野側は「何かあったら返さなくてはいけないというのは、その人に失礼だ」として受けた献金を返還しない意向を示している。 1986年から与謝野の私設秘書を務め、一時は公設秘書も務めていた人物が、地下鉄駅の階段で女性の尻を触り、痴漢容疑で2008年8月25日に書類送検されている。秘書は「左手の甲が偶然ぶつかった」と弁明していたが、階段が混雑していなかったことを追及され、容疑を認めた。秘書は退職願を出し8月22日に退職している。 身長169cm、体重63kg。本名は旧字体の「與謝野馨」であるが、報道などは新字体で「与謝野馨」と表記することが多い。2013年春の叙勲に際して内閣府が発表した受章者名簿は「氏名」欄に「與謝野馨」 と記しており、通称などを掲載する「芸名等」欄に「与謝野馨」 と併記され、『官報』も「與謝野馨」 と表記した。 カトリックに強い影響を受けているが、洗礼は受けていない。 趣味はゴルフ、パソコンの自作、囲碁、写真撮影、天体観測、釣りなど多岐にわたる。 与謝野鉄幹・与謝野晶子が創立した文化学院の院長を務めており、学校法人の運営に対してアドバイスをしている。 1977年、39歳で濾胞性リンパ腫を発症して以降、がんとの戦いを続けていた。濾胞性リンパ腫発症時は衆議院初当選から10ヶ月後の発症だった。10年ほどした後に腸間膜に転移したが、国立がん研究センターで化学療法と放射線治療を行い、1993年に治療を終える。 2000年8月に肛門から10cmの直腸がんを切除、2001年秋に前立腺がんが判明しホルモン療法と放射線治療で根治させた。2006年10月に下咽頭がんで、声帯を残し首のリンパ節と喉のがんの部分を切除し、放射線治療の影響で膀胱炎を患う。 下咽頭がんの切除手術で食道が狭くなり、通過障害や誤嚥によって体重が激減。その後食道を広くする治療を受け、誤嚥せずに飲み込むコツを掴んで自分で栄養補給できるようになった。2012年に手術した箇所が時間経過で狭くなったため誤嚥性肺炎を発症する。そこで声は失っても普通に食べたいものを食べて日常生活を送りたいという判断から、声帯を切除し食べものの通る道と空気の通る道を完全に分ける手術をすることになった。この声帯切除で政界引退を表明することになる。 30年以上にも及ぶがんとの戦いは2012年に『全身がん政治家』で本に著している。 2008年9月17日の自民党総裁選の島根県出雲市における街頭演説において、米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻に関して「日本にももちろん影響はあるが、ハチが刺した程度。これで日本の金融機関が痛むことは絶対にない。沈着冷静な行動が求められる」と述べ、日本経済への影響は限定的との見方を示した。 2011年5月20日の閣議後の会見において「(東京電力福島第一原子力発電所事故は)神様の仕業としか説明できない」「(東電の津波対策は)人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」と発言し、東電に事故の賠償を負わせることは不当だという認識を示した。この事故については国内外から安全対策の不備や人災によるものとの指摘があり、このような論理で東電を擁護する与謝野に対しては、「原発は安全」だと説明されてきた地元住民から批判が出るだろうと報道されている。与謝野は日本原子力発電出身であり、通産大臣在任中の1999年6月に志賀原発、同年9月に東海村JCOで臨界事故が起こっているが、その後も一貫して原発推進論者である。 2011年7月5日の記者会見で「(デフレーションという)定義のない言葉を使ってはいけない。」「1%程度の物価下落は労働者、年金所得者にとってはプラスになっている。」と発言した。 2011年7月19日の閣議後の会見にて2011 FIFA女子ワールドカップでサッカー日本女子代表が優勝したことについて「日本国においては女性のほうが男性より優秀だ。新たにその証明が一つ付け加わったということだ」と発言(男女共同参画担当の特命担当相している時期の発言)。 現行制度上発行可能な政府紙幣に関し、「通貨の額面価格の単位は円とし、その額面価格は一円の整数倍とする」と定めている通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律に反して「『円』っていうのは使えないんですよ。だから、『両』とかにね、しないと。信用あります?流通しないですよ」と発言した。高橋洋一は、法定通貨である政府紙幣の単位に法律上「両」は使用できず、与謝野の発言は法律違反に当たると評した。 曾祖父 - 与謝野礼厳 - 僧侶 祖父 - 与謝野鉄幹 - 歌人 祖母 - 与謝野晶子 - 歌人 祖父 - 坂内虎次 - 球磨川電気社長 大伯父 - 鳳秀太郎 - 工学者 父 - 与謝野秀 - 外交官 母 - 与謝野道子 - 評論家、随筆家 弟 - 与謝野達 - 金融家 妹 - 与謝野文子 - 詩人、美術評論家 従弟 - 与謝野久 - 建築家 甥 - 与謝野信 - 第48回衆議院議員総選挙比例東京ブロック単独候補者、次点で落選 長男 - 与謝野優 - 東海旅客鉄道(株)勤務 次男 - 与謝野穣 - 三菱グループ勤務 岳父 - 石川数雄(主婦の友社第2代社長) 遠縁 - 赤松克麿 - 衆議院議員 2013年4月29日 - 旭日大綬章受章 与謝野晶子著『みだれ髪』与謝野馨編、主婦の友社、1973年。
「大塚論文"中曽根民活批判"を駁す」『中央公論』1987年2月号。 「国際競争力の回復と財政の健全化」『月刊自由民主』1996年8月号。 「これだけは言っておく! 自民党広報本部長(衆院議員)与謝野馨の激白!『社民は今,先祖返りしている』」『月刊官界』1997年12月号。 「4つの課題」『LA international』1999年2月号。 「これからの日本経済」『日経調資料』2001年7月号。 「この国を考える(46)いまこそ責任政党に恥じない政策選択を!」『月刊自由民主』2004年4月号。 「私の読書遍歴(28)与謝野馨 自民党下野時代に読み耽った二十冊の量子力学の本」『文學界』2005年10月号。 「ポスト小泉が直面する重要課題」『正論』2006年7月号。 「千鳥ヶ淵で全国戦没者追悼式を行おう」『中央公論』2006年8月号。 『堂々たる政治』新潮新書、2008年4月。ISBN 9784106102578。 麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸『国力会議』祥伝社、2008年4月。ISBN 9784396613075。 『民主党が日本経済を破壊する』文春新書、2010年1月。ISBN 9784166607174。 『全身がん政治家』文藝春秋、2012年6月。 『目指した明日 歩んだ毎日』文藝春秋、2018年5月 ^ 所属会派は民主党→無会派 ^ 与謝野曰く福田康夫首相から電話で直接「経済財政担当大臣を引き受けてくれませんか」と聞かれ、与謝野が了承すると、福田首相は「あなたには軽いポストかもしれないが、体調の方も気になるから・・・体の方は大丈夫ですか?」「まぁ与謝野さんがやってりゃ、みんな安心してできるから。経済財政政策の司令塔と言うことで」と与謝野に頼んでいたという。 ^ 鳩山兄弟の母・安子はブリヂストン創業者の石橋正二郎の長女であり、鳩山兄弟は石橋の外孫にあたる ^ 比例代表選出の国会議員は自身が選出された選挙で戦った他党へ移籍は不可能。与謝野は代議士辞職せずに民主党入党はできない。 ^ “与謝野馨氏の死去は21日 自民党役員連絡会で二階俊博幹事長が正式に報告”. 産業経済新聞社. (2017年5月30日). https://www.sankei.com/article/20170530-MCJK56HFJVKRTIIAHWLTH54OFM/ 2017年5月30日閲覧。 ^ “与謝野馨元財務相が死去 政界きっての政策通”. NHK. (2017年5月24日16時4分). オリジナルの2017年5月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170524072644/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170524/k10010993481000.html 2017年5月24日閲覧。 ^ 与謝野馨 (2016年2月25日). “私の歩んで来た道(27)”. 与謝野 馨 公式サイト. 2021年7月25日閲覧。 ^ 『現代人物事典:出身校別 :全国版』サンデータシステム、1982年発行、883ページ ^ 『堂々たる政治』84頁。 ^ 田中秀征「自民党本流と保守本流」p.94 ^ “経歴詳細 | 与謝野 馨 公式サイト”. www.yosano.gr.jp. 2022年10月10日閲覧。 ^ “元経済財政相 与謝野馨さん”. 日本経済新聞 (2012年10月18日). 2022年10月10日閲覧。 ^ “経歴詳細 | 与謝野 馨 公式サイト”. www.yosano.gr.jp. 2022年10月10日閲覧。 ^ 浜田宏一『アメリカは日本経済の復活を知っている』 ^ 村尾新一; 林博英 (2006年9月27日). “論功組閣 盟友も重用”. 読売新聞. オリジナルの2007年4月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070402092111/http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6900/fe_ab_06092701.htm 2010年4月11日閲覧。 ^ 今堀守通 (2008年2月3日). “首相とりまく政治力学に変化 鞘当て顕在化 与謝野・秀直・森 そして小沢…”. 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DIAMOND Online. ダイヤモンド社. 2020年9月9日閲覧。 与謝野論文 与謝野 馨 公式サイト 表 話 編 歴 本多市郎 大野伴睦 田中角栄 神田博 福田篤泰 小平久雄 長谷川四郎 中村幸八 大島秀一 中川俊思 早稲田柳右衛門 逢沢寛 二階堂進 内田常雄 天野公義 島村一郎 小峰柳多 大久保武雄 八田貞義 鴨田宗一 藏内修治 浦野幸男 浜野清吾 松岡松平 山村新治郎 稲村佐近四郎 野呂恭一 橋口隆 塩川正十郎 野中英二 渡部恒三 登坂重次郎 梶山静六 粕谷茂 野田毅 佐藤信二 渡辺秀央 田原隆 与謝野馨 浦野烋興 奥田幹生 武藤山治 山口鶴男 井上普方 中井洽 白川勝彦 甘利明 武部勤 斉藤斗志二 古賀正浩 中山成彬 古屋圭司 廃止 表 話 編 歴 新設 中村弘海 近藤鉄雄 森美秀 永田亮一 大野潔 鳥居一雄 大久保直彦 原田昇左右 大坪健一郎 中川秀直 北口博 与謝野馨 中馬弘毅 近岡理一郎 小沢潔 臼井日出男 宮里松正 野呂昭彦 井上喜一 佐藤敬夫 小池百合子 大野由利子 北側一雄 田端正広 古賀一成 廃止 表 話 編 歴 浅沼稲次郎 山口喜久一郎 大村清一 小沢佐重喜 石田博英 福永健司 菅家喜六 中村梅吉 椎熊三郎 保利茂 山村新治郎 江﨑真澄 荒舩清十郎 周東英雄 福永健司 小平久雄 福田一 佐々木秀世 福永健司 坪川信三 塚原俊郎 坪川信三 伊能繁次郎 久野忠治 塚原俊郎 渡海元三郎 田澤吉郎 海部俊樹 佐々木秀世 田澤吉郎 金丸信 細田吉蔵 亀岡高夫 山下元利 内海英男 山村新治郎 小沢一郎 綿貫民輔 越智伊平 三塚博 山口敏夫 小此木彦三郎 山下徳夫 森喜朗 中西啓介 与謝野馨 奥田敬和 中村正三郎 谷垣禎一 平沼赳夫 亀井善之 中川秀直 大島理森 藤井孝男 鈴木宗男 鳩山邦夫 大野功統 武部勤 川崎二郎 佐田玄一郎 逢沢一郎 笹川堯 小坂憲次 松本剛明 川端達夫 小平忠正 高木義明 佐田玄一郎 高木毅 逢沢一郎 林幹雄 河村建夫 佐藤勉 古屋圭司 高市早苗 高木毅 山口俊一 浜田靖一 表 話 編 歴 大木喬任 木戸孝允 西郷従道 寺島宗則 河野敏鎌 福岡孝弟 大木喬任 森有礼 榎本武揚 芳川顕正 大木喬任 河野敏鎌 井上毅 西園寺公望 蜂須賀茂韶 濱尾新 外山正一 尾崎行雄 犬養毅 樺山資紀 松田正久 菊池大麓 児玉源太郎 久保田譲 桂太郎 牧野伸顕 小松原英太郎 長谷場純孝 柴田家門 奥田義人 大岡育造 一木喜徳郎 高田早苗 岡田良平 中橋徳五郎 鎌田栄吉 犬養毅 岡野敬次郎 江木千之 岡田良平 三土忠造 水野錬太郎 勝田主計 小橋一太 田中隆三 鳩山一郎 斎藤実 松田源治 川崎卓吉 潮恵之輔 平生釟三郎 林銑十郎 安井英二 木戸幸一 荒木貞夫 河原田稼吉 松浦鎮次郎 橋田邦彦 東條英機 岡部長景 二宮治重 兒玉秀雄 太田耕造 松村謙三 前田多門 安倍能成 田中耕太郎 高橋誠一郎 森戸辰男 下条康麿 高瀬荘太郎 天野貞祐 岡野清豪 大達茂雄 安藤正純 松村謙三 清瀬一郎 灘尾弘吉 松永東 灘尾弘吉 橋本龍伍 松田竹千代 荒木万寿夫 愛知揆一 中村梅吉 有田喜一 剱木亨弘 灘尾弘吉 坂田道太 高見三郎 稲葉修 奥野誠亮 三原朝雄 永井道雄 海部俊樹 砂田重民 内藤誉三郎 谷垣専一 田中龍夫 小川平二 瀬戸山三男 森喜朗 松永光 藤尾正行 塩川正十郎 中島源太郎 西岡武夫 石橋一弥 保利耕輔 井上裕 鳩山邦夫 森山眞弓 赤松良子 与謝野馨 島村宜伸 奥田幹生 小杉隆 町村信孝 有馬朗人 中曽根弘文 大島理森 町村信孝 正力松太郎 宇田耕一 正力松太郎 三木武夫 高碕達之助 中曽根康弘 荒木万寿夫 池田正之輔 近藤鶴代 佐藤栄作 愛知揆一 上原正吉 有田喜一 二階堂進 鍋島直紹 木内四郎 西田信一 平泉渉 木内四郎 前田佳都男 森山欽司 足立篤郎 佐々木義武 前田正男 宇野宗佑 熊谷太三郎 金子岩三 長田裕二 中川一郎 安田隆明 岩動道行 竹内黎一 河野洋平 三ッ林弥太郎 伊藤宗一郎 宮崎茂一 中村喜四郎 斎藤栄三郎 大島友治 山東昭子 谷川寛三 中島衛 渡辺省一 江田五月 近江巳記夫 田中眞紀子 浦野烋興 中川秀直 近岡理一郎 谷垣禎一 竹山裕 有馬朗人 中曽根弘文 大島理森 町村信孝 町村信孝 遠山敦子 河村建夫 中山成彬 小坂憲次 伊吹文明 渡海紀三朗 鈴木恒夫 塩谷立 川端達夫 高木義明 中川正春 平野博文 田中眞紀子 下村博文 馳浩 松野博一 林芳正 柴山昌彦 萩生田光一 末松信介 永岡桂子 盛山正仁 阿部俊子 省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。 カテゴリ 表 話 編 歴 稲垣平太郎 池田勇人 高瀬荘太郎 横尾龍 高橋龍太郎 小笠原三九郎 岡野清豪 愛知揆一 石橋湛山 水田三喜男 前尾繁三郎 高碕達之助 池田勇人 石井光次郎 椎名悦三郎 佐藤栄作 福田一 櫻内義雄 三木武夫 菅野和太郎 椎名悦三郎 大平正芳 宮澤喜一 田中角栄 中曽根康弘 河本敏夫 田中龍夫 江﨑真澄 佐々木義武 田中六助 安倍晋太郎 山中貞則 宇野宗佑 小此木彦三郎 村田敬次郎 渡辺美智雄 田村元 三塚博 梶山静六 松永光 武藤嘉文 中尾栄一 渡部恒三 森喜朗 熊谷弘 畑英次郎 橋本龍太郎 塚原俊平 佐藤信二 堀内光雄 与謝野馨 深谷隆司 平沼赳夫 平沼赳夫 中川昭一 二階俊博 甘利明 二階俊博 直嶋正行 大畠章宏 海江田万里 鉢呂吉雄 枝野幸男 茂木敏充 小渕優子 宮澤洋一 林幹雄 世耕弘成 菅原一秀 梶山弘志 萩生田光一 西村康稔 齋藤健 武藤容治 表 話 編 歴 膳桂之助 石橋湛山 高瀬莊太郎 和田博雄 栗栖赳夫 泉山三六 青木孝義 周東英雄 周東英雄 山崎猛 池田勇人 小笠原三九郎 水田三喜男 岡野清豪 愛知揆一 高碕達之助 高碕達之助 宇田耕一 河野一郎 三木武夫 世耕弘一 菅野和太郎 迫水久常 藤山愛一郎 宮澤喜一 高橋衛 藤山愛一郎 宮澤喜一 菅野和太郎 佐藤一郎 木村俊夫 有田喜一 小坂善太郎 内田常雄 倉成正 福田赳夫 野田卯一 倉成正 宮澤喜一 小坂徳三郎 正示啓次郎 河本敏夫 塩崎潤 河本敏夫 金子一平 平泉渉 近藤鉄雄 中尾栄一 原田憲 愛野興一郎 越智通雄 高原須美子 相澤英之 越智通雄 野田毅 船田元 高鳥修 久保田真苗 寺澤芳男 高村正彦 宮崎勇 田中秀征 麻生太郎 尾身幸次 堺屋太一 額賀福志郎 額賀福志郎 麻生太郎 竹中平蔵 与謝野馨 大田弘子 与謝野馨 林芳正 菅直人 荒井聰 海江田万里 与謝野馨 古川元久 前原誠司 甘利明 石原伸晃 茂木敏充 西村康稔 山際大志郎 後藤茂之 新藤義孝 赤沢亮正 表 話 編 歴 柳澤伯夫 竹中平蔵 伊藤達也 与謝野馨 山本有二 渡辺喜美 茂木敏充 中川昭一 与謝野馨 亀井静香 自見庄三郎 松下忠洋 中塚一宏 麻生太郎 鈴木俊一 加藤勝信 表 話 編 歴 中村弘毅 井上毅 土方久元 田中光顯 田中光顯 小牧昌業 周布公平 平山成信 伊東巳代治 高橋健三 平山成信 鮫島武之助 武富時敏 安広伴一郎 鮫島武之助 柴田家門 石渡敏一 南弘 柴田家門 南弘 江木翼 山之内一次 児玉秀雄 高橋光威 三土忠造 宮田光雄 樺山資英 小橋一太 塚本清治 鳩山一郎 鈴木富士彌 川崎卓吉 森恪 柴田善三郎 堀切善次郎 河田烈 吉田茂 白根竹介 藤沼庄平 大橋八郎 風見章 田辺治通 太田耕造 遠藤柳作 石渡荘太郎 富田健治 星野直樹 三浦一雄 田中武雄 広瀬久忠 石渡荘太郎 迫水久常 緒方竹虎 次田大三郎 楢橋渡 林譲治 林譲治 西尾末広 苫米地義三 佐藤栄作 増田甲子七 岡崎勝男 保利茂 緒方竹虎 福永健司 根本龍太郎 石田博英 愛知揆一 赤城宗徳 椎名悦三郎 大平正芳 黒金泰美 鈴木善幸 橋本登美三郎 愛知揆一 福永健司 木村俊夫 保利茂 竹下登 二階堂進 竹下登 井出一太郎 園田直 安倍晋太郎 田中六助 伊東正義 宮澤喜一 後藤田正晴 藤波孝生 後藤田正晴 小渕恵三 塩川正十郎 山下徳夫 森山眞弓 坂本三十次 加藤紘一 河野洋平 武村正義 熊谷弘 五十嵐広三 野坂浩賢 梶山静六 村岡兼造 野中広務 青木幹雄 中川秀直 福田康夫 細田博之 安倍晋三 塩崎恭久 与謝野馨 町村信孝 河村建夫 平野博文 仙谷由人 枝野幸男 藤村修 菅義偉 加藤勝信 松野博一 林芳正 表 話 編 歴 橋本龍太郎 石原伸晃 金子一義 村上誠一郎 中馬弘毅 佐田玄一郎 渡辺喜美 岸田文雄 与謝野馨 甘利明 一時廃止 稲田朋美 有村治子 河野太郎 山本幸三 梶山弘志 片山さつき 北村誠吾 河野太郎 牧島かれん 岡田直樹 河野太郎 平将明 表 話 編 歴 松平慶永 伊達宗城 大久保利通 大隈重信 佐野常民 松方正義 松方正義 渡辺国武 井上馨 松田正久 西園寺公望 曾禰荒助 阪谷芳郎 桂太郎 山本達雄 若槻禮次郎 高橋是清 武富時敏 寺内正毅 勝田主計 市来乙彦 井上準之助 勝田主計 濱口雄幸 早速整爾 片岡直温 三土忠造 藤井真信 町田忠治 馬場鍈一 結城豊太郎 賀屋興宣 池田成彬 石渡荘太郎 青木一男 櫻内幸雄 河田烈 小倉正恒 賀屋興宣 津島壽一 広瀬豊作 渋沢敬三 石橋湛山 矢野庄太郎 栗栖赳夫 北村徳太郎 泉山三六 大屋晋三 臨時代理 池田勇人 向井忠晴 小笠原三九郎 一万田尚登 佐藤栄作 水田三喜男 田中角栄 福田赳夫 植木庚子郎 愛知揆一 大平正芳 坊秀男 村山達雄 金子一平 竹下登 渡辺美智雄 宮澤喜一 橋本龍太郎 海部俊樹 羽田孜 林義郎 藤井裕久 武村正義 久保亘 三塚博 松永光 宮澤喜一 宮澤喜一 塩川正十郎 谷垣禎一 尾身幸次 額賀福志郎 伊吹文明 中川昭一 与謝野馨 藤井裕久 菅直人 野田佳彦 安住淳 城島光力 麻生太郎 鈴木俊一 加藤勝信 表 話 編 歴 周東英雄 滝川末一 曾禰益 福島愼太郎 有田喜一 橋本龍伍 郡祐一 菅野義丸 田中不破三 松本瀧藏 北沢直吉 田中龍夫 松本俊一 小川平二 保岡武久 服部安司 八田貞義 草野一郎平 斎藤邦吉 竹下登 木村俊夫 亀岡高夫 木村俊夫 三原朝雄 山下元利 大村襄治 梶山静六 海部俊樹 鯨岡兵輔 塩川正十郎 森喜朗 加藤紘一 瓦力 池田行彦 藤波孝生 水平豊彦 山崎拓 唐沢俊二郎 渡辺秀央 小沢一郎 牧野隆守 志賀節 藤本孝雄 大島理森 近藤元次 鳩山由紀夫 北村直人 園田博之 渡辺嘉蔵 藁科満治 与謝野馨 額賀福志郎 鈴木宗男 額賀福志郎 安倍晋三 細田博之 杉浦正健 長勢甚遠 下村博文 大野松茂 塩谷立 松本純 松野頼久 古川元久 藤井裕久 仙谷由人 斎藤勁 加藤勝信 萩生田光一 西村康稔 西村明宏 坂井学 木原誠二 村井英樹 橘慶一郎 上杉光弘 松谷蒼一郎 上野公成 山崎正昭 鈴木政二 岩城光英 鴻池祥肇 浅野勝人 松井孝治 福山哲郎 長浜博行 芝博一 世耕弘成 野上浩太郎 岡田直樹 磯﨑仁彦 森屋宏 青木一彦 郡祐一 井上清一 剱木亨弘 江口見登留 谷口寛 井上卓一 田中栄一 岡崎英城 鈴木俊一 小笠公韶 佐々木盛雄 細谷喜一 石岡實 小池欣一 後藤田正晴 川島廣守 梅本純正 道正邦彦 翁久次郎 藤森昭一 石原信雄 古川貞二郎 二橋正弘 的場順三 二橋正弘 漆間巌 瀧野欣彌 竹歳誠 杉田和博 栗生俊一 佐藤文俊 表 話 編 歴 水田三喜男 塚田十一郎 三木武夫 福田赳夫 中村梅吉 船田中 椎名悦三郎 福田赳夫 田中角栄 賀屋興宣 三木武夫 周東英雄 赤城宗徳 水田三喜男 西村直己 大平正芳 根本龍太郎 水田三喜男 小坂善太郎 櫻内義雄 倉石忠雄 水田三喜男 山中貞則 松野頼三 櫻内義雄 河本敏夫 江﨑真澄 河本敏夫 安倍晋太郎 田中六助 藤尾正行 伊東正義 渡辺美智雄 村田敬次郎 三塚博 加藤六月 森喜朗 三塚博 橋本龍太郎 加藤紘一 山崎拓 池田行彦 亀井静香 麻生太郎 額賀福志郎 与謝野馨 中川秀直 中川昭一 石原伸晃 谷垣禎一 保利耕輔 石破茂 茂木敏充 甘利明 高市早苗 稲田朋美 茂木敏充 岸田文雄 下村博文 高市早苗 萩生田光一 渡海紀三朗 小野寺五典 表 話 編 歴 太田正孝 植木庚子郎 前尾繁三郎 愛知揆一 坊秀男 小山長規 坊秀男 小山長規 内田常雄 桜内義雄 黒金泰美 坊秀男 小山長規 内田常雄 植木庚子郎 小川平二 金子一平 倉成正 山中貞則 村山達雄 加藤六月 山中貞則 三塚博 西岡武夫 塩川正十郎 武藤嘉文 村山達雄 林義郎 武藤嘉文 相澤英之 津島雄二 柳澤伯夫 与謝野馨 津島雄二 野田毅 宮澤洋一 甘利明 宮澤洋一 表 話 編 歴 代表:平沼赳夫 幹事長:園田博之 参院代表:藤井孝男 参院幹事長:片山虎之助 平沼赳夫 園田博之 2013年改選:藤井孝男 中山恭子 2016年改選:片山虎之助 自由民主党→国益と国民の生活を守る会 太陽の党→日本維新の会 新党改革 減税日本 日本創新党 創生「日本」 Category:たちあがれ日本 国益と国民の生活を守る会 石原慎太郎 中川義雄 与謝野馨 日本のこころ 表 話 編 歴 浅沼稲次郎 櫻内義雄 原彪 野坂参三 野坂参三 井手光治 浅沼稲次郎 野村専太郎 鳩山一郎 浅沼稲次郎 原彪 安藤正純 鳩山一郎 浅沼稲次郎 安藤正純 原彪 鳩山一郎 安藤正純 原彪 浅沼稲次郎 田中栄一 浅沼稲次郎 原彪 鳩山一郎 安井誠一郎 浅沼享子 田中栄一 原彪 田中栄一 麻生良方 原彪 四宮久吉 田中栄一 広沢賢一 麻生良方 田中栄一 麻生良方 渡部通子 紺野与次郎 田中栄一 加藤清政 麻生良方 与謝野馨 大塚雄司 飛鳥田一雄 木内良明 大塚雄司 与謝野馨 大塚雄司 飛鳥田一雄 与謝野馨 大塚雄司 木内良明 与謝野馨 大塚雄司 木内良明 鈴木喜久子 与謝野馨 大塚雄司 海江田万里 与謝野馨 柴野たいぞう 表 話 編 歴 与謝野馨 海江田万里 与謝野馨 海江田万里 山田美樹 海江田万里 山田美樹 海江田万里 鳩山邦夫 中山義活 深谷隆司 中山義活 辻清人 栗本慎一郎 松原仁 石原宏高 松原仁 石原宏高 松原仁 石原宏高 新井将敬 森田健作 中西一善 平将明 藤田憲彦 平将明 小杉隆 手塚仁雄 小杉隆 手塚仁雄 若宮健嗣 手塚仁雄 岩國哲人 石井紘基 小宮山洋子 越智隆雄 小宮山洋子 越智隆雄 落合貴之 粕谷茂 長妻昭 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田畑毅 石原慎太郎 今村洋史 山田宏 海江田万里 松原仁 菅直人 大熊利昭 三谷英弘 高木陽介 高木美智代 笠井亮 青木愛 秋元司 松本文明 鈴木隼人 前川恵 若狭勝↓ 赤枝恒雄 田畑毅↑ 長島昭久 松原仁 菅直人 笠井亮 宮本徹 池内沙織 落合貴之 初鹿明博 木内孝胤 高木陽介 高木美智代 越智隆雄 山田美樹 小田原潔 松本文明 安藤高夫 高木啓 手塚仁雄 末松義規 初鹿明博↓ 山花郁夫 松尾明弘↑ 松原仁 柿沢未途 伊藤俊輔 高木陽介 高木美智代 笠井亮 宮本徹 高木啓 松本洋平 越智隆雄 若宮健嗣 長島昭久 石原宏高 伊藤俊輔 鈴木庸介 海江田万里 大河原雅子 阿部司 小野泰輔 高木陽介 河西宏一 笠井亮 宮本徹 山本太郎↓ 櫛渕万里↑ 安藤高夫 伊藤達也 松本洋平 大空幸星 長島昭久 鈴木庸介 松下玲子 有田芳生 阿部祐美子 柴田勝之 円より子 森洋介 鳩山紀一郎 河西宏一 大森江里子 阿部司 猪口幸子 田村智子 櫛渕万里 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 韓国 CiNii Books CiNii Research 平成時代の閣僚 内閣府特命担当大臣(少子化対策担当) 内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当) 日本の財務大臣 内閣府特命担当大臣(金融担当) 内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当) 内閣府特命担当大臣(規制改革担当) 日本の内閣官房長官 拉致問題担当大臣 日本の通商産業大臣 日本の文部大臣 内閣官房副長官 自由民主党政務調査会長 自由民主党の衆議院議員 民主党の衆議院議員 東京都選出の衆議院議員 比例東京ブロック選出の衆議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 平成時代の衆議院議員 たちあがれ日本の国会議員 東京大学野球部の選手 与謝野家 日本の闘病記著者 麻布中学校・高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 東京都区部出身の人物 正三位受位者 旭日大綬章受章者 言語障害を持つ人物 1938年生 2017年没 外部リンクがリンク切れになっている記事/2010年1月-4月 外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年5月 外部リンクがリンク切れになっている記事/2021年7月 Webarchiveテンプレートのウェイバックリンク 検証が求められている記述のある記事/2010年以前 プロジェクト人物伝項目 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2024/12/02 08:08更新
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yosano kaoru
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