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中上川彦次郎の情報 (なかみがわひこじろう)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

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中上川 彦次郎さんについて調べます

■名前・氏名
中上川 彦次郎
(読み:なかみがわ ひこじろう)
■職業
実業家
■中上川彦次郎の誕生日・生年月日
1854年10月4日
寅年(とら年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
大分出身

中上川彦次郎と同じ1854年生まれの有名人・芸能人

中上川彦次郎と同じ10月4日生まれの有名人・芸能人

中上川彦次郎と同じ出身地大分県生まれの有名人・芸能人


中上川彦次郎と関係のある人

朝吹英二: 妻・スミの兄・中上川彦次郎(実業家) - 中上川は慶應義塾創設者福沢諭吉の甥。


朝吹三吉: 父の朝吹常吉は朝吹英二と澄(福沢諭吉の姪、中上川彦次郎の妹)の三男。


藤原あき: 中上川彦次郎の庶子。


朝吹真理子: その他にも、縁戚関係のある人物として、福澤諭吉、中上川彦次郎、名取和作、名取洋之助、野依範治、野依良治、牛場暁夫らがいるが、ここでは親族に限定して記載した。


藤原義江: 「吾等のテナー」は各地でリサイタルを行い大成功を博すが、東京・京橋の開業医、宮下左右輔の妻、宮下アキ(藤原あき、福澤諭吉の実姉:婉の長男で、三井財閥の番頭、中上川彦次郎と妾・つねとの間の子で女子学習院出身)とのスキャンダルが大事に発展、ほとぼりを冷ます目的で外遊。


武藤絲治: 姉・蝶は父・山治の上司だった中上川彦次郎の三男に嫁ぎ、妹・勝子は外交官の吉沢清次郎に嫁いだ。


朝吹英二: 三井家四天王の一人として、中上川彦次郎、益田孝等と併称された。


朝吹英二: 尊皇攘夷思想に染まり、維新後の1870年(明治3年)、開明派の福澤諭吉暗殺を企てるが、転向し福澤とその甥中上川彦次郎の庇護を受け、彦次郎の妹・澄(スミ)と結婚する。


松本重太郎: 1886年、重太郎らが発起人となって成立した山陽鉄道は1892年までに神戸、三原間の敷設を完了したが、1890年不況の影響で不振となり、工事がストップしたまま、社長の中上川彦次郎が辞任してしまった。


藤原あき: 父・中上川彦次郎 - 叔父に福沢諭吉


池田成彬: 同年12月には中上川彦次郎が改革を断行していた三井銀行に入行。その間に、三井財閥の実力者、中上川彦次郎の長女・艶と結婚する。


福澤捨次郎: 翌明治22年(1889年)には従兄の中上川彦次郎が社長を勤める山陽鉄道へ入社、明治24年(1891年)まで勤めた。


井上馨: 中上川彦次郎、青木周蔵などと交流を結んだが、旅行中に木戸の死、西南戦争の勃発や大久保の暗殺などで日本が政情不安になっていることを伊藤から伝えられ、明治11年(1878年)6月にイギリスを発ち、7月に帰国した。


藤原あき: 福澤諭吉の実姉:婉の長男であり、山陽鉄道の創設者で三井財閥の近代化に尽力した中上川彦次郎の三女(庶子、母は彦次郎の妾・つね)。


益田孝: 三井内部では、工業化路線を重視した中上川彦次郎に対して商業化路線を重視したとされている(但し、後述の三井鉱山の設立や團琢磨を重用したように工業化路線を軽視したわけではなかった)。


浜田寅彦: 20世紀開幕(1965年) - 中上川彦次郎


藤山雷太: この問題解決の際に福澤諭吉を介して、福澤の甥であり山陽鉄道社長であった中上川彦次郎の知遇を得て、黒田清隆、大隈重信、鳩山和夫らと知り合ったという。


里見弴: 中上川彦次郎の二男・次郎吉を旦那に、二代目市川猿之助を愛人に持つ赤坂芸妓の菊龍(遠藤喜久、お良、1895年生)を猿之助から奪って愛人にした。


井上馨: このほか、山陽鉄道社長に中上川彦次郎を据えて鉄道建設を進めたり、パリやベルリンに劣らぬ首都を建設しようと官庁集中計画を進めたりしていたが、条約改正と同じく辞任にともない頓挫した。


朝吹英二: 中上川彦次郎は義兄にあたる。


朝吹英二: 妻・スミ(中上川彦次郎の妹)


中上川彦次郎の情報まとめ

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中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう)さんの誕生日は1854年10月4日です。大分出身の実業家のようです。

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家族・親族、著作などについてまとめました。現在、卒業、退社、家族、結婚に関する情報もありますね。

中上川彦次郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう、嘉永7年8月13日(1854年10月4日) - 明治34年(1901年)10月7日)は、明治時代の官吏・実業家。三井財閥の工業化と三井銀行の不良債権処理を推進し、三井家の最高議決機関である「三井家同族会」を設置。「三井中興の祖」として高く評価されている。従五位。三井合名理事長。福澤諭吉の甥(母・婉が諭吉の姉)にあたる。三女はタレント・参議院議員の藤原あき。

現在の大分県中津市金谷森ノ丁に豊前中津藩士・中上川才蔵・婉夫妻の長男として生まれる。

手島物斎(仁太郎)と弟の橋本塩巖(手島中次郎)の下で漢学を修め、15歳頃まで藩校・進脩館で四書五経を学んだ後、講師となる。その後、大阪に出て適塾の山口良蔵に学ぶ。1869年(明治2年)には東京留学が許され慶應義塾に入学。卒業後、中津市学校・伊予宇和島藩の洋学会社の教員などを歴任後、小泉信吉と共にイギリス留学、元老院議官井上馨を知る。

1878年(明治11年)、工部卿・井上馨に誘われて工部省に入省。井上馨の秘書官となる。井上が外務卿となると中上川も外務省に入り、従六位に叙せられ太政官少書記官となり、中野健明の後を次いで公信局長となる。1880年(明治13年)に、外務省太政官権大書記官に昇進、従五位に進む。井上の下で条約改正案の作成にあたる。同時期に、慶應義塾で同窓であった小松原英太郎が外務省権少書記官に居た。

この頃、伊藤博文から要請を受けた官制新聞『公布日誌』発刊の計画の打診について、福澤諭吉の代わりに断りの打診を告げる。明治十四年の政変による失脚という政変に伴い、外務省を辞す。後に福澤の勧めで時事新報社社長となる。

三菱の荘田平五郎から社長就任の要請があり、1887年(明治20年)山陽鉄道(現在のJR山陽本線の前身)創設時の社長となる。建設に当たっては、瀬戸内海航路との競争を意識して、「線路の勾配を100分の1以内(10パーミル以内)にせよ」との方針を打ち出し、「百分の一」「ワン・ハンドレッド」とあだ名された。しかし90年不況の影響で経営不振となり、工事がストップしたまま、1891年(明治24年)に社長を辞任する。1892年(明治25年)、社長に就任した松本重太郎は借入金と社債発行により資金調達の道をつけ、三原~広島間の敷設を1894年(明治27年)までに完成させた。

山陽鉄道の社長時代には、当時「車長」と呼ばれていた役職を、「社長」と響きが同じで良くないとして「車掌」という語を考案している。

1891年(明治24年)、三井銀行の経営危機に際して井上馨の要請を受けて福澤諭吉は当初、学卒第一号の高橋義雄を慶應から選んだが、失敗した。そこで、慶應を卒業して福澤の甥っ子であり、上述のように井上とも知己であった中上川が山陽鉄道を退社して三井財閥に入る。1891年(明治24年)、山陽鉄道を辞して三井銀行に入行、理事となる。三井鉱山理事、三井物産理事、三井呉服店調査委員を兼務し、三井大元方参事となる。

三井銀行及び同財閥の経営を任された中上川は益田孝らとともに三井財閥が政商として抱えていた明治政府との不透明な関係を一掃。不良債権の回収に奔走し、まず手始めに本願寺から差し押さえも辞さない態度で債権回収に成功、また伊藤博文の京遊びの不足分の借り受けの申し込みも断り、さらに井上馨の反対を押し切って桂太郎の邸宅を差し押さえるなど、豪腕にして財務体質の健全化を図ったが、水面下では次第に中上川反対派が結成された。一方、王子製紙・鐘淵紡績・芝浦製作所などを傘下に置いて三井財閥の工業化を推進した。1893年(明治26年)、日本郵船会社取締役に就任。

没後の1904年(明治37年)に三井呉服店(旧越後屋)を三井本体から分離して三越百貨店としたのも中上川の構想とされている)。また、学卒者の定期採用としてほぼ慶應出身者のみを採用し、柳荘太郎、藤山雷太・武藤山治・藤原銀次郎・小林一三・池田成彬らを有能な人材を育てた。中上川の死後、中上川の「工業化路線」は、益田孝の「商業化路線」に取って代わられ、さらに後継最有力候補と目されていた朝吹英二らも益田を補佐する地位に一旦はあったが、最後は退任に追い込まれた。

中上川の政府高官に対するあまりにも厳しい貸金回収策は、井上馨の意見を無視してのものであったために、のちに中上川と井上の関係はうまくいかなくなるという、中上川には好ましからざる結果を生む事になった。

家族・親族

妻 : 勝(旧福井藩士・江川常之助の長女)

長男 : 太郎一

長女 : 艶(池田成彬に嫁す)

次男 : 次郎吉(慶應義塾卒。電気化学工業監査役)

次女 : 道

三男 : 三郎治(慶応義塾理財科卒。千代田組副社長、鐘淵紡績監査役)

三女 : アキ(タレント・政治家。母は彦次郎の妾・つね)

四男 : 鐡四郎(コーネル大学電気科卒。富士電機製造取締役、日本ペガサス常務)

四女 : 銀(母は彦次郎の妾・つね)

五男 : 勇五郎(京都大学工科卒。日東化学工業常務)

六男 : 小六郎(京都大学理科卒。三井生命保全部長、福岡製紙監査役。松方正義の孫の富子と結婚

妹 : 澄(朝吹英二に嫁す)

義妹 : 峰(妻・勝の妹。藤山雷太に嫁す)

妾 : つね(三女・アキ及び四女・銀の生母)

著作

単書

『日本地図草紙の文』1873年11月。NDLJP:767763。  - 福澤諭吉『日本地図草紙』の付録。

『陰陽両暦比較表』中上川彦次郎、1873年12月。NDLJP:831088。 

『第一文字の教』中上川彦次郎、1874年3月。NDLJP:862394。 

『第二文字の教』中上川彦次郎、1874年3月。NDLJP:862404。 

短編

中川敬一郎、由井常彦 編集・解説 編「中上川彦次郎編」『財界人思想全集』 第1、ダイヤモンド社、1969年。 

翻訳

『議事院談』 後編、福澤諭吉 閲、中上川彦次郎 訳、中上川彦次郎、1874年10月。NDLJP:783870。  - 亜米利加合衆国マスサチュセッツ州の憲法の飜訳。

筆記

福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記と記されている著書。実際は福澤諭吉が執筆した著作である。

『時事大勢論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、飯田平作、1882年4月。NDLJP:783139。 

『帝室論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、丸善、1882年4月。NDLJP:783521。 

『徳育如何』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、飯田平作、1882年11月。NDLJP:757929。 

『学問之独立』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、飯田平作、1883年2月。NDLJP:808243。 

『全国徴兵論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、慶応義塾出版社、1884年1月。NDLJP:843081。 

『通俗外交論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、飯田平作、1884年6月。NDLJP:785605。 

    福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記 著「通俗外交論」、稲生典太郎 編『内地雑居論資料集成』 1巻、原書房〈明治百年史叢書 第404巻〉、1992年7月。ISBN 4-562-02325-2。  - 複製。

    『日本婦人論』 後編、福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、石川半次郎、1885年8月。NDLJP:798981。 

    『士人処世論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、時事新報社、1885年12月。NDLJP:755643。 

    福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記『品行論』時事新報社、1885年12月。NDLJP:758187。 

    『男女交際論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、石川半次郎、1886年6月。NDLJP:759152。 

      『男女交際論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、三香堂、1886年7月。NDLJP:759151。 

      『男女交際論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、三香堂、1886年7月。NDLJP:759153。  - 附:『男女交際餘論』。

      『男女交際論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、岡本直蔵、1886年9月。NDLJP:759154。  - 附:『男女交際餘論』。

      偽版

      『男女交際論』の偽版として以下の2冊がある。

      『男女交際論俗解 附・男女交際餘論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、高橋恭二郎 俗解、精文堂、1886年11月。NDLJP:849355。  - 大阪で出版された偽版。『男女交際論』と『男女交際餘論』に無断で振り仮名を付して俗解と称したもの。

      『男女交際論』福澤諭吉 立案、中上川彦次郎 筆記、高橋恭二郎 俗解、干城社、1898年9月。NDLJP:759154。  - 附:『男女交際 花と月』(松の家みどり)。東京で出版された偽版。『男女交際論』と『男女交際餘論』に無断で振り仮名を付して俗解と称し、『男女交際 花と月』という小説を追加したもの。

2024/06/16 04:35更新

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