二葉百合子の情報(ふたばゆりこ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
二葉 百合子さんについて調べます
■名前・氏名 |
二葉百合子と関係のある人
原田悠里: プライベートでは、同じ二葉百合子門下生の島津亜矢、坂本冬美、藤あや子、石原詢子と「二葉組」を結成している。 杉紀彦: 二葉百合子 昭和こいる: 1980年初頭の漫才ブームの波には乗れるような芸風ではなく、三橋や二葉百合子の巡業に帯同する。 石野径一郎: 1953年には内山惣十郎脚色で二葉百合子により浪曲化、1962年に文化放送で放送される。 坂本冬美: 歌手復帰のきっかけとなったのは、実家に居た母親と一緒にテレビで視た二葉百合子の65周年リサイタルで「岸壁の母」を聴いた時、坂本自身大変感銘を受けた事からだった。 石川さゆり: ともに石川への憧れから演歌歌手を志しており、現在は同じ二葉百合子門下生で、石川の兄弟弟子にあたる。 昭和のいる: 1980年初頭の漫才ブームの波には乗れるような芸風ではなく、三橋や二葉百合子の巡業に帯同する。 玉川良一: 「母のなみだ」(歌唱:二葉百合子) 名和美代児: 司会者としても活躍しており、水前寺清子、三橋美智也、村田英雄、大月みやこ、二葉百合子の専属司会者で東奔西走。 石原詢子: 現在は二葉百合子に師事。 内藤やす子: 中学時代に二葉百合子の弟子になるが三年で辞め、17歳の時アマチュアのロックバンドでヴォーカリストを務めた。 石川さゆり: 二葉百合子 島津亜矢: プライベートでは、同じ二葉百合子門下生の原田悠里、坂本冬美、藤あや子、石原詢子と「二葉組」を結成している。 藤あや子: また、同じ二葉百合子門下生の坂本、原田悠里、島津亜矢、石原詢子とは「二葉組」を結成し、互いをあだ名で呼び合う仲であるという。 坂本冬美: 伍代夏子と藤あや子は公私共にとても親しく、二葉百合子門下生の藤あや子、原田悠里、島津亜矢、石原詢子らは「二葉組」として互いをあだ名で呼び合う仲で、藤、石原、坂本の3人でペンションを借りてゴルフ合宿をしたこともある。 石川さゆり: デビュー曲がヒットしなかったことや、上記の同世代との差が開いたことで深い挫折と劣等感に苛まれたが、その不安を払拭するように歌に没頭することを決めて二葉百合子の門を叩き、歌うことを基礎から学び直した。 |
二葉百合子の情報まとめ
二葉 百合子(ふたば ゆりこ)さんの誕生日は1931年6月23日です。東京出身の歌手のようです。
結婚、引退、テレビ、家族、現在、姉妹に関する情報もありますね。今年の情報もありました。
二葉百合子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)二葉 百合子(ふたば ゆりこ、1931年6月23日 - )は、日本の浪曲師、演歌歌手。日本浪曲協会名誉顧問。本名、大村 百合子(おおむら ゆりこ) 東京都葛飾区堀切生まれ。浪曲師の父・東若武蔵に師事し、3歳で浪曲師として初舞台を踏む。日本ポリドール蓄音器商會(日本国内におけるポリドール・レコード。現:ユニバーサルミュージックLLC)所属となった後、9歳頃に父が二葉を座長にした「二葉百合子一座」を作り、以降地方公演で日本全国を周るようになった。その後、関東節を女流ながらこなす稀な存在として、名を上げる。 1957年には『女国定』でレコードデビューし、間奏に浪曲の台詞を入れる「歌謡浪曲」を確立させた。 1963年、歌手の大村忠と結婚し、長男を儲ける。結婚を機に夫は二葉のマネージャーに転じた。 1970年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。 事実をもとに作られ、菊池章子が歌ってヒットさせた「岸壁の母」(作詞:藤田まさと、作曲:平川浪竜)を1972年に台詞入りでカバーし大ヒットさせたことで特に有名。1976年には同曲で日本レコード大賞の審査員会選奨賞、日本有線大賞の有線ヒット賞を受賞し第27回NHK紅白歌合戦に出場した。他のヒット曲に「九段の母」(戦前の塩まさるのカバー)・「関東一本〆」がある。 母物・股旅物を得意とし、和服で純和風な演歌を歌う。母の感情のこもった歌声に涙を誘われる人も多い。その歌声は古稀を過ぎ芸能生活75年を迎えても健在であり、昔と変わらない姿を見せた。 2010年3月17日、記者会見を行い、翌2011年3月の東京公演を最後に現役を引退すると発表。2011年3月6日にNHKホールにて最終公演を行い、77年間の芸能生活に終止符を打った。「今後は後進の育成に携わる」としていたが、以後もテレビ出演依頼やメディアの取材には応じている。 2014年3月29日放送された『第20回家族で選ぶにっぽんの歌』(NHK総合)にて、引退から3年ぶりに一夜限りの復活を果たした。翌2015年8月8日の『思い出のメロディー』(NHK総合)や、2018年5月15日、2024年5月14日には『うたコン』(NHK総合)にも出演。 ステージにおいては、2016~2018年に弟子の原田悠里、藤あや子、石原詢子のコンサートにゲスト出演している。 2021年6月には満90歳を迎え、同年8月14日、『人生、歌がある』(BS朝日)に出演。同番組では弟子の坂本冬美、藤あや子らと共演、「岸壁の母」など往年のヒット曲を披露し、貫禄を見せた。 5人きょうだい(2男3女)の次女として生まれた。3歳の頃、父が子どもたちに「誰か浪曲をやりたいやつはいるか?」と聞いた所、二葉だけが「やる」と言ったことから、以後父に浪曲を教わるようになった。当時、父が横綱・双葉山のファンだったことにちなんで、「二葉百合子」という芸名が付けられた。また、普段の生活では𠮟られるとカーッとなるような負けず嫌いな性格で、きょうだいゲンカをすると兄を倒してしまうほどの“きかん坊”だったことから、当時のあだ名は「おとこおんな」だった。 父は芸に厳しかったことから幼い二葉にも、「こうい話の筋なんだから、大人の気持ちになってやらなきゃダメなんだ」などと𠮟られたり、時にはゲンコツを落とされ、褒めてもらえるのは10回に1回ぐらいだったという。また、舞台では客からは孫を見るように暖かく見守られ、お菓子やおひねりなどのご褒美をもらえることがとても嬉しかったという。 9歳頃の「二葉百合子一座」の地方公演は、昔で言う「芝居小屋」の他、小学校の講堂や公民館などでも公演を行い、当時娯楽の少ない時代だったこともあり、どこの会場でも多くの客が入った。その舞台では、父や他の大人の浪曲師たちが先に出番を迎え、二葉がトリを務めると、一生懸命浪曲をやる“子どもの座長さん”として客から温かい拍手をもらった。 その後次第に第二次世界大戦の戦況が激しくなるが、「二葉百合子一座」による地方公演は戦時中も中止にはならず、休みなくやり続けた。ただし、当時は浪曲にも検閲があり、恋愛ものや“切った張った”などの内容は一切できず、父は地方公演での演目選びにとても苦労したという。その後東京への空襲がひどくなったことで家族は両親の出身地である山梨県韮崎市に疎開した。ただし、二葉と父だけは浅草の知り合いの家の一室を借り、そこから全国を周る公演を続けた。 しかし後日地方巡業から浅草に戻ると、3月10日の東京大空襲により知り合いの家を含めた辺り一面が焼け野原になっていた。このため二葉と父も家族がいる山梨へ行くことになり、今度はそこから中央本線に乗って全国巡業を続け、14歳で終戦を迎えた。この疎開中に父は、浪曲と歌謡曲をミックスさせた「歌謡浪曲」を考案し、終戦後から本格的に二葉が取り組んでいくこととなる。 1963年に結婚と同時期に浪曲師として父から独立し、テレビやラジオへの出演やレコードを出すようになった。離れて暮らす父からは、その後もテレビなどで歌唱を見ては「お腹から声が出ていない!」などと電話を通じて𠮟られることが続いた。 1976年、大ヒットした「岸壁の母」で紅白歌合戦に初出場した時、父から「百合子、歌もヒットさせてもらって念願の紅白に出られて、やっぱり続けていて良かったな」とものすごく喜ばれた。 その後父は81歳で亡くなったが、息を引き取る直前、父は家族や医者などを人払いして二葉と2人きりの時間を作った。すると父から「今まで本当に苦労をさせたけれど、お前のおかげでいい暮らしができた。嫌な思いをしただろうけどありがとう。辛抱してくれて良かった」と感謝の言葉をかけられた。 お客さんから“二葉百合子も声が出なくなって哀れだな…”と言われる前に引退することを何年も前から決めており、当初2006年の「芸能生活70周年コンサート」での引退を考えていた。しかし、当時まだそこそこ声が出ていたことに加え、同年に旭日小綬章を授かったことから「これはもうちょっと頑張らないと」との考えにより引退を取りやめた。2011年3月、80歳を機に(ただし、実際の二葉の誕生日は6月)引退することにした。 引退後もインタビューなどを受けたり、坂本冬美、藤あや子などの弟子たちに歌唱指導を行うなどしている(2014年現在)。 2023年11月4日放送の「人生、歌がある」や、2024年5月14日放送の『うたコン』などに出演し、『岸壁の母』を歌唱するなど、90代でも歌声は健在で、いくつかの歌番組で歌唱している。 夜のヒットスタジオ(フジテレビ) 夜明けの刑事 第84話「危うし!岸壁の母」(1976年、TBS ※本人役で出演) 年忘れにっぽんの歌(テレビ東京) あなたが聴きたい 歌の4時間スペシャル 年忘れ緊急特別編(TBS)2008年12月25日 NHK歌謡コンサート(NHK総合) 思い出のメロディー(NHK総合)2015年8月8日 歌謡チャリティーコンサート(NHK総合) スタジオパークからこんにちは(NHK総合) BS日本のうた(NHK BS2) シブヤらいぶ館「演歌一本勝負」(NHK BS2) 渋谷らいぶステージ(NHK BS2) 家族で選ぶにっぽんの歌(NHK総合)2011年5月5日※引退前テレビ最終出演、2014年3月29日 ファミリーヒストリー 泉ピン子 ~父が語ったルーツ(NHK総合)2017年11月8日 ※泉ピン子の父(広沢竜造)について語った。 うたコン(NHK総合)2024年5月14日 他、数々の歌番組に出演。 出演順は「出演順/出場者数」で表す。 石川さゆり 坂本冬美(2002年の歌手活動休業中に弟子入り。二葉からの激励の言葉と歌のレッスンを機に、2003年活動を再開) 原田悠里 藤あや子 石原詢子 湯原昌幸 島津亜矢 岡田美鈴(元二葉百合江、鈴々舎馬風の妻) 二葉しげる 玉川カルテットメンバー。 内藤やす子 1977年:日本放送演芸大賞受賞 1994年:芸術選奨文部大臣賞受賞 1999年:日本レコード大賞功労賞受賞 2006年:旭日小綬章受章 2014年:第49回長谷川伸賞受賞 ^ 後に父からこの話を聞かされたが、当時は幼かったため実際に『やる』と言ったかどうかは覚えていないとのこと。 ^ 二葉によると、「3歳ですから浪曲の中に出てくる言葉の意味も分かりません。舞台が終わると、父から『今の歌い方なんだ、だらしない』とゲンコツが飛んでくることもありました。たまに私を褒める時は舞台の帰りに私の好きなあんみつやおしるこをごちそうしてくれました。当時は父に怒られないように必死に稽古していました」。 ^ ちなみに本人によると、「当時東京にはたくさんの寄席があり、浪曲をやっている6~7歳の女の子も何人かいましたが、3歳というのは恐らく私くらいだったと思います」と回想している。 ^ 本人は歌手業引退後、「父のこの言葉で、それまでの苦労がいっぺんに吹っ飛びました。『芸事は一生勉強だから』と怒り続けてくれた父がいたからこそ、77年間、この道でへこたれずにやってこられました。父には感謝しかありません」と父への想いを語っている。 ^ 弟子は他に原田悠里、石原詢子、島津亜矢などがいる。また坂本たちからは、月に1度二葉と夫を囲んで食事会を開いてくれているとのこと。二葉は「皆さん本当に情に厚い方でね。みんな一歩外に出れば一人ひとりが大スターなのに、お稽古に来る時はスッピンで、本当の母娘のようにお喋りしてくれます」と語っている。 ^ “芦田淳さんら4028人秋の叙勲”. 共同通信 (2006年11月2日). 2013年2月16日閲覧。 アーカイブ 2013年12月27日 - ウェイバックマシン ^ “引退後も素晴らしいお弟子さんに恵まれて 幸せだなぁと、つくづく思います”. マンション生活情報サイト「Wendy-Net」より「Ms Wendy」 (2014年11月掲載). 2023年6月16日閲覧。 ^ 葛飾区史 | 葛飾ゆかりの人 葛飾区 2024年11月11日閲覧 ^ “二葉百合子が引退会見「上げた幕下ろす」”. 日刊スポーツ. (2010年3月17日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20100317-607241.html 2011年3月6日閲覧。 ^ “二葉百合子さんが最後のコンサート=東京”. 朝日新聞. (2011年3月6日). http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201103060075.html 2011年3月6日閲覧。 ^ “二葉会♪”. Ayako Fuji official blog「あや子日記」 (2016年12月2日). 2024年10月26日閲覧。 ^ “藤あや子 歌手生活30周年記念公演で二葉百合子と念願の共演”. SPICE (2017年5月12日). 2024年10月26日閲覧。 ^ “石原詢子、師匠・二葉百合子さんとステージ初共演「夢のよう」”. スポーツ報知 (2018年9月5日). 2024年10月26日閲覧。 ^ 二葉百合子「90歳になった記念と、高齢の皆さんにも元気になってほしくて」 3年ぶりテレビ歌唱2021年8月8日 サンケイスポーツ 1957年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手 三波春夫 - 同様に浪曲出身。歌謡浪曲。 村田英雄 - 同様に浪曲出身。歌謡浪曲。 キングレコード 二葉百合子 - NHK人物録 表 話 編 歴 1973 5代目柳家小さん / 1974 てんぷく集団(三波伸介、伊東四朗) / 1975 3代目古今亭志ん朝 / 1976 10代目柳家小三治 / 1977 二葉百合子 / 1978 春日三球・照代 / 1979 星セント・ルイス 1980 5代目三遊亭圓楽 / 1981 春風亭小朝 / 1982 2代目桂枝雀 / 1983 ビートたけし / 1984 タモリ / 1985 該当者なし / 1986 ビートたけし / 1987 明石家さんま 表 話 編 歴 坂本敏明
村上潔
青木美保 秋元順子 池田輝郎 井上由美子 市川由紀乃 岩出和也 岩本公水 大津美子 大月みやこ 丘みどり 岡ゆう子 音羽しのぶ オルリコ 角川博 北川裕二 北野まち子 小金沢昇司 小村美貴 鏡五郎 佐々木新一 さとう宗幸 神野美伽 椎名佐千子 島津悦子 新川二朗 芹洋子 千葉一夫 永井裕子 夏木綾子 中村美律子 成底ゆう子 西方裕之 パク・ジュニョン 花岡優平 原田悠里 福田こうへい 二葉百合子 藤原浩 真木柚布子 三笠優子 美輪明宏 水城なつみ 水田竜子 森昌子 山本あき 板野友美 INORAN 上野優華 植村花菜 嘘とカメレオン orange pekoe 柏木由紀 キノコホテル CUBERS SHY SUPER BELL"Z Dezille Brothers 寺内タケシ 中山美穂 浪江女子発組合 虹のコンキスタドール
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2024/11/23 09:15更新
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