井上準之助の情報(いのうえじゅんのすけ) 銀行家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
井上 準之助さんについて調べます
■名前・氏名 |
井上準之助の情報まとめ
井上 準之助(いのうえ じゅんのすけ)さんの誕生日は1869年5月6日です。大分出身の銀行家のようです。
卒業、現在、事件、ドラマに関する情報もありますね。1932年に亡くなられているようです。
井上準之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)井上 準之助(いのうえ じゅんのすけ、1869年5月6日(明治2年3月25日)- 1932年(昭和7年)2月9日)は、日本の政治家、財政家。日本銀行第9、11代総裁。山本、濱口、第2次若槻内閣で大蔵大臣に就任。貴族院議員。位階は従二位。 帝大卒業後に山本達雄の勧めで日本銀行に入行。日銀では高橋是清の知遇を受け営業局長にまで昇進。ニューヨークへの転勤を経て横浜正金銀行に招かれ、のちに高橋の計らいで古巣の日銀の総裁に任命される。日銀総裁時代に起きた昭和金融恐慌の際には高橋と共に混乱の収拾にあたった。 第2次山本内閣で大蔵大臣を務めた際は関東大震災の混乱の中でモラトリアムを断行する。経済界でも辣腕を振るい、第二の「渋沢」と称される存在となった。 田中義一内閣で外務大臣候補とされるなど立憲政友会に近い人物と目されていた。しかし、金融システムの安定と経済界の整理を推進する井上に対し、銀行の正当化を進める田中政友会は衝突し、更に田中政友会の中国政策にも井上は不満を感じていた。井上は金本位制への復帰を目指す立憲民政党の濱口雄幸からの依頼で、民政党員でないにもかかわらず濱口内閣の大蔵大臣として入閣した。 1926年、環太平洋の諸国で移民や通商、人種等の問題を話し合う太平洋問題調査会が発足。井上は理事長に就任した。同調査会は前年に開催された太平洋関係調査研究会を恒久的な組織としたもので、日本のほかアメリカ合衆国、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドが参加した。 満洲事変が勃発すると、井上は同郷(大分)の南次郎陸相と親しいこともあって若槻首相に不拡大対応について期待されていた。しかし事変への対応が後手に回る中で、民政党の実力者で内相である安達謙蔵が協力内閣運動を推進すると外相の幣原喜重郎とともにこれに反対した。若槻内閣が内部分裂で倒れると井上財政は終焉し、高橋是清蔵相の元で積極財政を推進する政友会の犬養内閣が成立した。 野党に転落した民政党を井上はあくまでも支えた。元老である西園寺公望に次の内閣総理大臣候補として期待されていたという。民政党の総務を任され、第18回衆議院議員総選挙の選挙委員長も引き受けた。しかし、蔵相時代の経済の悪化などを理由に血盟団から暗殺の標的にされ、昭和7年(1932年)2月9日、選挙への応援演説会場であった東京市本郷区(現在の文京区)の駒本小学校へ到着した直後に、小沼正に射殺された。青山霊園に土葬で葬られ、隣には盟友であった濱口雄幸の墓がある。 日本経済聯盟会(日本経済団体連合会の前身)の結成や東洋文庫の創設に尽力。また、日本でのゴルフ普及の功労者でもあり、東京で最初のゴルフ場である『東京ゴルフ倶楽部』の設立呼びかけ人となっている。 葬儀の際、棺には白楽天の詩集、端渓の硯のほか、ゴルフ道具一式が納められた。 1869年(明治2年) - 大分県大鶴村(現:日田市大肥大鶴町)に、造り酒屋「井上酒造」を営む井上清・ひな夫妻の五男として生まれた。生家は、1804年創業の酒蔵であったが、7歳の時に叔父、井上簡一の養子として生家を離れている。しかし、養父の病没で11歳で家督相続したものの、すぐに実家に復籍している。 教英中学中退、上京後、成立学舎などに通う。 1888年(明治21年) - 仙台の第二高等中学校予科1年次入学。高山樗牛と同級で、卒業時にはそれぞれ法科と文科の首席を分け合う。 1893年(明治26年) - 帝国大学英法科入学 1896年(明治29年) - 帝大卒業後、日本銀行入行 1905年(明治38年) - 大阪支店長 1908年(明治41年) - ニューヨーク駐在 1911年(明治44年) - 横浜正金銀行副頭取に就任 1913年(大正2年) - 横浜正金銀行頭取に就任 1919年(大正8年) - 日本銀行総裁に就任 1923年(大正12年) - 第2次山本内閣の大蔵大臣に就任 1929年(昭和4年) - 濱口内閣の蔵相。金解禁に尽力 1930年(昭和5年) - 『世界不景気と我國民の覚悟』(経済知識社)を出版 1932年(昭和7年)2月9日 - 選挙運動中に血盟団員小沼正に暗殺される(血盟団事件)。 1906年(明治39年)4月1日 - 勲五等瑞宝章 1915年(大正4年)11月10日 - 勲四等旭日小綬章 1920年(大正9年)11月1日 - 旭日中綬章 1929年(昭和4年)3月4日 - 勲二等旭日重光章 1916年(大正5年)4月1日 - 勲三等瑞宝章 1930年(昭和5年)12月5日 - 帝都復興記念章 妻は、男爵・毛利重輔の長女・チヨ。 息子、井上四郎はアジア開発銀行総裁を務めた。 息子、井上五郎の妻は、木戸幸一の三女の井上和子(元宮内庁侍従職女官長)。 娘婿に三宅重光(日銀理事、東海銀行頭取・会長、東海旅客鉄道会長)。 日本暗殺秘録 - 演:野村鬼笑 城山三郎『男子の本懐』- 濱口雄幸と共に主人公
^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、32頁。 ^ 「恒久的な組織として設立、理事長に井上準之助」『東京日日新聞』1926年4月7日(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.384 毎日コミュニケーションズ 1994年) ^ 中村隆英『昭和恐慌と経済政策』講談社学術文庫 ^ 評伝小説に、高橋義夫『高橋是清と井上準之助』学陽書房・人物文庫、2005年 ^ 鈴木隆『高橋是清と井上準之助』文春新書、2012年、p140 ^ 中野剛志『日本経済学新論』ちくま新書、2020年、p.300 ^ 大前信也『昭和戦前期の予算編成と政治』木鐸社、2006年 ^ 井上の横死が民政党の選挙資金の枯渇と総選挙での敗北をもたらしたとされている(井上寿一『政友会と民政党』中公新書、141頁)。 ^ 涙さそう井上前蔵相、白楽天詩集も納棺『東京日日新聞』昭和7年2月13日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p116 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年) ^ (株)井上酒造-日本酒と本格焼酎、大分・天領日田の蔵元 2011年現在も大分県日田市で清酒「角の井」や焼酎を製造している。生家は、「清渓文庫」として保存され、9月から11月に限って一般公開されている。 ^ 杉山伸也「井上準之助研究ノート(1)」「書斎の窓」N0.610 p.39 有斐閣 2011年12月 ^ 『日本近現代人物履歴事典』秦郁彦、東京大学出版会、2002年。 ^ 『晩翠放談』土井晩翠、河北新報社、1948年 ^ 『官報』第7337号「叙任及辞令」1907年12月11日。 ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。 ^ 『官報』第3411号「叙任及辞令」1924年1月9日。 ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。 ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。 ^ 早川隆著『日本の上流社会と閨閥』(角川書店、1983年)、179頁より ^ コトバンクより 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。 土井晩翠『晩翠放談』(河北新報社、1948年) 文藝春秋編『血族が語る昭和巨人伝』(文春文庫、1990年) 秦郁彦『日本近現代人物履歴事典』(東京大学出版会、2002年) 杉山伸也「井上準之助研究ノート(1)」「書斎の窓」N0.610 p.39 (有斐閣 2011年12月) 『政治家人名事典』(1990年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)61頁 鈴木隆『高橋是清と井上準之助 インフレか、デフレか』(文春新書、2012年) 筒井清忠 『昭和戦前期の政党政治 - 二大政党制はなぜ挫折したのか』 (ちくま新書、2012年) 井上寿一『政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか』 (中公新書、2012年) 中村隆英『昭和恐慌と経済政策』(講談社学術文庫、1994年) 新井領一郎 - ニューヨークで井上にゴルフを教える。 一万田尚登 - 日銀総裁。若いころに井上の秘書を務めたこともある。 第9、11代総裁:井上準之助 - 日本銀行 井上準之助 | 近代日本人の肖像 コトバンク 経済危機に挑んだ蔵相・井上準之助の論理(1929-31年) - ダイヤモンド・オンライン 井上 準之助:作家別作品リスト(青空文庫) 表 話 編 歴 吉原重俊 富田鐵之助 川田小一郎 岩崎弥之助 山本達雄 松尾臣善 高橋是清 三島彌太郎 井上準之助 市来乙彦 井上準之助 土方久徴 深井英五 池田成彬 結城豊太郎 渋沢敬三 新木榮吉 一万田尚登 新木榮吉 山際正道 宇佐美洵 佐々木直 森永貞一郎 前川春雄 澄田智 三重野康 松下康雄 速水優 福井俊彦 白川方明 黒田東彦 植田和男 表 話 編 歴 松平慶永 伊達宗城 大久保利通 大隈重信 佐野常民 松方正義 松方正義 渡辺国武 井上馨 松田正久 西園寺公望 曾禰荒助 阪谷芳郎 桂太郎 山本達雄 若槻禮次郎 高橋是清 武富時敏 寺内正毅 勝田主計 市来乙彦 井上準之助 勝田主計 濱口雄幸 早速整爾 片岡直温 三土忠造 藤井真信 町田忠治 馬場鍈一 結城豊太郎 賀屋興宣 池田成彬 石渡荘太郎 青木一男 櫻内幸雄 河田烈 小倉正恒 賀屋興宣 津島壽一 広瀬豊作 渋沢敬三 石橋湛山 矢野庄太郎 栗栖赳夫 北村徳太郎 泉山三六 大屋晋三 臨時代理 池田勇人 向井忠晴 小笠原三九郎 一万田尚登 佐藤栄作 水田三喜男 田中角栄 福田赳夫 植木庚子郎 愛知揆一 大平正芳 坊秀男 村山達雄 金子一平 竹下登 渡辺美智雄 宮澤喜一 橋本龍太郎 海部俊樹 羽田孜 林義郎 藤井裕久 武村正義 久保亘 三塚博 松永光 宮澤喜一 宮澤喜一 塩川正十郎 谷垣禎一 尾身幸次 額賀福志郎 伊吹文明 中川昭一 与謝野馨 藤井裕久 菅直人 野田佳彦 安住淳 城島光力 麻生太郎 鈴木俊一 加藤勝信 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ IdRef 大正時代の閣僚 昭和時代戦前の閣僚 日本の大蔵大臣 貴族院勅選議員 大正時代の貴族院議員 昭和時代の貴族院議員 在職中に死去した日本の貴族院議員 日本銀行総裁 東洋文庫の人物 暗殺された政治家 血盟団事件の人物 勲三等瑞宝章受章者 勲四等旭日小綬章受章者 勲五等瑞宝章受章者 日本のゴルフに関する人物 東京大学出身の人物 旧制第二高等学校出身の人物 錦城学園高等学校出身の人物 大分県出身の人物 豊後国の人物 1869年生 1932年没 濱口雄幸 青山霊園に埋葬されている人物 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/18 23:51更新
|
inoue junnosuke
井上準之助と同じ誕生日5月6日生まれ、同じ大分出身の人
TOPニュース
井上準之助と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「井上準之助」を素材として二次利用しています。