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今永昇太の情報 (いまながしょうた)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

今永昇太の情報(いまながしょうた) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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今永 昇太さんについて調べます

■名前・氏名
今永 昇太
(読み:いまなが しょうた)
■職業
野球選手
■今永昇太の誕生日・生年月日
1993年9月1日 (年齢30歳)
酉年(とり年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
福岡出身

(平成5年)1993年生まれの人の年齢早見表

今永昇太と同じ1993年生まれの有名人・芸能人

今永昇太と同じ9月1日生まれの有名人・芸能人

今永昇太と同じ出身地福岡県生まれの有名人・芸能人


今永昇太と関係のある人

村上宗隆: 16日の対DeNA戦(神宮球場)では2回に今永昇太から史上7球団目となる球団通算8500本塁打を放ったが、18日に体調不良のため、特例2023で出場選手登録を抹消。


鬼頭洋: なお球団では2022年6月7日、今永昇太が日本ハム戦 (札幌ドーム) でノーヒットノーランを達成するまでに51年363日を要した。


木下拓哉: 初安打・初本塁打・初打点:同上、3回表に今永昇太から左越ソロ


野間峻祥: 4年時には準々決勝まで進んだものの、江越大賀・今永昇太を擁する駒澤大学に1-3で敗れている。


辻大雅: 目標とする選手は横浜DeNAベイスターズの今永昇太


大吉洋平: 前述した大谷に続いて、打撃練習中に鈴木誠也(元・広島東洋カープ外野手)のホームランボールを偶然捕球したほか、前年まで横浜DeNAベイスターズに所属していた今永昇太投手への単独インタビューを実現させた。


戸柱恭孝: 6月に登録と抹消を繰り返したのち、9月に再昇格すると、左肩の手術から復帰した今永昇太とのバッテリーで一軍に定着した。


三浦大輔: 3月上旬の時点で2年目の牧秀悟を4番起用を明言し、開幕を迎えるが、開幕早々からネフタリ・ソト、タイラー・オースティン、エースの今永昇太の故障による不在や、新型コロナウィルスのチーム内感染により主力メンバーを欠く中での戦いを強いられ、4月終了時点で借金5と苦戦。


京山将弥: 12月には、今永昇太と共に「ドライブライン・ベースボール」(アメリカ合衆国のシアトルにあるトレーニング施設)で最新鋭のトレーニングに励んだ。


東克樹: 2018年は、石田健大・今永昇太・濵口遥大に続く左腕の先発要員として、春季キャンプを一軍で過ごした。


大山悠輔: 1試合6安打:同上、今永昇太から2安打、田中健二朗、石田健大、三嶋一輝、砂田毅樹から1安打ずつ ※史上9人目、2リーグ制後最多タイ記録、3本塁打を含む6安打は史上初


戸柱恭孝: プロでもチームメイトとなる白崎浩之は大学の同期生、今永昇太は3学年後輩に当たる。


江越大賀: 大学では、白崎浩之、戸柱恭孝、今永昇太とチームメイトだった。


平田真吾: また、今永昇太や平良拳太郎ら先発陣に故障者が続出していた経緯もあり、10月7日の巨人戦(東京ドーム)でプロ2試合目の先発登板を果たすと、5回2失点7奪三振と好投し通算130試合目の登板でプロ初勝利を挙げた。


石田健大: 2023年は、今永昇太が同年のワールド・ベースボール・クラシック後のコンディション調整のため開幕二軍スタート、大貫晋一が右肩の肉離れで離脱したこともあり、5年ぶり3度目の開幕投手に選ばれるも、阪神タイガースに対し4回4失点で敗戦投手に。


戸柱恭孝: 主に石田健大、今永昇太とバッテリーを組み、後半戦はこの年最優秀バッテリー賞を獲得した山本祐大の台頭もあり、代打や守備固めとしてチームを支えた。


後藤武敏: 9月22日、横浜スタジアムでの中日ドラゴンズ戦で引退試合を開催、7回裏に今永昇太の代打で登場し、笠原祥太郎と対戦、空振り三振で現役最終打席を終えた。


山井大介: また、この試合で今永昇太からプロ初本塁打を記録した。


堂林翔太: 8月13日の対中日戦(バンテリンドーム ナゴヤ)にてここまで36試合自責点0だったライデル・マルティネスから本塁打、同月22日の対DeNA戦(横浜スタジアム)にて今永昇太から自身9年ぶりの2打席連続本塁打を放つなど、規定には届いてないものの8月は月間打率.371、5本塁打、13打点を記録。


青木宣親: 100本塁打:2019年5月17日、対横浜DeNAベイスターズ7回戦(明治神宮野球場)、4回裏に今永昇太から左越ソロ ※史上292人目


岡本和真: しかし6月下旬から、7月5日のDeNA戦で今永昇太から二塁打を放つまでは32打席連続無安打を記録するなど苦しんだが、その後はシーズン終了まで4番として定着した。


杉本裕太郎: 4年生の秋季リーグ戦では、駒澤大学の今永昇太から、単独で2打席連続本塁打を打った。


陽川尚将: 初本塁打・初打点:2016年4月29日、対横浜DeNAベイスターズ6回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に今永昇太から中越2ラン


宮﨑敏郎: 5月15日に一軍登録されると、6月7日の日本ハム戦(札幌)では先発の今永昇太がノーヒットピッチングを続ける中、9回二死から決勝打となる2点適時打を打ち、ノーヒットノーラン達成をアシストした。


原樹理: 横浜DeNAベイスターズから同年のドラフト1位で指名された今永昇太との投げ合いとなった初戦こそ敗れたが、2回戦は救援で4回2/3を投げて勝利投手となり、3戦目は再び今永との投げ合いとなったが完投勝利。


大貫晋一: 前日に今永昇太から「誕生日だからみんなの前で何かやらされるかもしれないから用意をしておけ」と言われて考えたもので、ギャグを見た三浦大輔一軍投手コーチは「いいキャラやね。


大山悠輔: 1回目:同上、今永昇太から左越ソロ、田中健二朗から左越2ラン、砂田毅樹から左越3ラン ※球団では2009年のクレイグ・ブラゼル以来9年ぶり、1イニング2本塁打を含む1試合3本塁打は史上4人目


嶺井博希: 6月7日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、今永昇太とバッテリーを組み、球団にとっては52年ぶりとなるノーヒットノーラン達成をアシストした。


白崎浩之: 戸柱恭孝は同期、今永昇太は3学年後輩。


万波中正: 6月9日には一軍登録されると、同13日の対横浜DeNAベイスターズ戦(札幌ドーム)で今永昇太からプロ初本塁打を放った。


今永昇太の情報まとめ

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今永 昇太(いまなが しょうた)さんの誕生日は1993年9月1日です。福岡出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴、人物などについてまとめました。卒業に関する情報もありますね。今年の情報もありました。今永昇太の現在の年齢は30歳のようです。

今永昇太のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

今永 昇太(いまなが しょうた、1993年9月1日 - )は、福岡県北九州市八幡西区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのシカゴ・カブスに所属。

2018年には、現役のプロ野球選手として初めて北九州市特命大使(スポーツ)を委嘱されている。

永犬丸西小学校時代にソフトボールを始めると、北九州市立永犬丸中学校への進学後に軟式野球部へ所属。投手としては身体が小さく、野球強豪校からのスカウトを受けるほどの成績も残せなかったため、中学卒業後は自宅の近くの公立校・福岡県立北筑高等学校へ入学した。

北筑高校では硬式野球部に所属。同校は下校時刻が19時30分のため「平日の練習時間を2時間半に限る」という環境の下で、1年生の秋から対外試合に登板した。在学中は春夏ともに甲子園球場での全国大会出場は果たせなかったが、3年時の春季福岡県大会1回戦で折尾愛真高校戦で14三振を奪い、NPB球団のスカウトからの注目を集めた。同年の夏の甲子園福岡県予選では、4回戦に進出、小倉高校戦で最速144km/hのストレートを武器に好投したものの1-2で惜敗し甲子園出場は叶わず、高校卒業前に中日ドラゴンズから「下位になるけど、指名させて欲しい」旨を伝えられたこともあったが、卒業後は駒澤大学へ進学した。

駒澤大学では、1年生の春から東都大学リーグの公式戦に登板。1年時のリーグ戦では、当時4年生だった戸柱恭孝とバッテリーを組むこともあった。2年生の春季リーグ戦からエースの座に就く。3年生の春季リーグ戦で3試合連続完封勝利を記録すると、秋季リーグ戦では、MVP、最優秀投手、ベストナインの3冠を獲得するとともにチーム26季振りの優勝に貢献。在学中はリーグ戦通算46試合に登板。18勝16敗、防御率2.03、281奪三振という成績を残した。

大学4年生時に「大学ナンバーワンの左腕投手」と評価される一方で、左肩を痛めて春季リーグ戦の登板を回避した。秋季リーグ戦で復帰したが調子が上がらずチームも最下位となり、同期4年生原樹理投手擁する東洋大学に入替戦で敗れ2部に降格する。その影響でNPB入りを真剣に悩んだことから、プロ志望届を提出したのは、締切の2日前だった。

2015年ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1巡目で単独指名された。担当スカウトは武居邦生。契約金1億円、年俸1500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は21。

同年のドラフト会議で、大学時代の先輩だった戸柱恭孝(大学卒業後にNTT西日本に所属)もDeNAから4巡目指名を受けた。

2016年は、3月29日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)で、先発投手として公式戦にデビュー。この試合から5試合の先発登板のうち、4試合でクオリティ・スタート (QS) を達成しながら開幕4連敗を喫した。ただし、4敗目を喫した4月29日の対阪神タイガース戦(甲子園)で、前身球団を含めたDeNAの新人投手としては公式戦最多タイ記録の14奪三振を達成した。NPBの新人投手が公式戦で14個以上の三振を奪いながら敗戦投手になった事例は、史上4例目だった。この試合までの通算防御率が2.45(セントラル・リーグ5位)だったのに対して、登板1試合当たりの得点援護率 (RS) は同リーグ規定投球回到達投手で最低の数値 (0.50) にとどまった。5月6日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でプロ初勝利を挙げてからは、6月12日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)まで、6試合の先発登板で5連勝を記録した。前身球団を含めたDeNAの新人投手による5連勝では、横浜大洋ホエールズ時代の1982年に右腕の金沢次男が全て救援で達成して以来2人目の快挙。左腕の新人投手および、全て先発による達成は、球団史上初めてだった。「時間を取ってコンディションを整えることが最優先」という首脳陣の方針で、6月中旬から一時二軍で調整に専念したが、7月に一軍へ復帰。8月以降の先発登板では、7試合続けてQSを達成した。レギュラーシーズンの公式戦全体では、22試合の登板で8勝9敗と負け越したものの、防御率2.93という成績を記録。8勝目を挙げた9月19日の対広島戦(横浜)で、チームを史上初の2016年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ進出に導いた。ポストシーズンでは、巨人とのCSファーストステージ第2戦(10月9日・東京ドーム)に先発すると、7回を2被安打1失点という内容で好投。ファーストステージを突破して臨んだ広島とのファイナルステージでは、1勝3敗(アドバンテージを含む)で迎えた第4戦(10月15日・マツダスタジアム)に先発。しかし、1回裏に打者11人から6安打で6失点を喫し、この回の終了後に交代した。結局、チームはこの試合に敗れたため、日本シリーズへの進出に至らなかった。

2017年は、本拠地開幕戦となった4月4日の対巨人戦に、先発投手としてシーズン初登板。同点で迎えた7回表に左脚を痛めて緊急降板した。翌日に練習へ復帰したが、続く4月12日の対阪神戦(横浜)では、プロ入り後自己ワーストの8失点でシーズン初黒星を喫した。次に先発した4月19日の対広島戦(マツダ)では、1被安打・4与四球という内容でシーズン初勝利をプロ初完投・初完封で記録。NPBの一軍公式戦に先発した投手が、初回無死に1安打を許しただけで9回完封勝利を収めた事例は、DeNAのOBである川村丈夫が横浜時代の1998年4月3日に対阪神戦(横浜)で記録して以来19年ぶりだった。8月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で前年を上回る9勝目を挙げると、次に登板した8月17日の対中日ドラゴンズ戦(横浜)で10勝目に到達した。球団の左投手による一軍公式戦でのシーズン2桁勝利は、土肥義弘が横浜時代の2005年に達成して以来13年ぶり。生え抜きの左投手に限れば、吉見祐治が横浜時代の2002年に達成して以来15年ぶりだった。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦でチームトップの11勝を記録。セ・リーグの最終規定投球回に到達した左投手ではトップ(右投手を含めればリーグ5位)の防御率2.98を記録するなど、先発陣の一角で安定した投球を続けると共に、チームの2年連続CS進出に貢献した。

ポストシーズンでは、阪神とのCSファーストステージ第2戦(10月15日・甲子園)に先発登板。試合前から雨が降り続き、グラウンドコンディションが極度に悪い状況で登板。3回を投げ3失点という結果に終わった(勝ち負けは付かず)。のちにチームがファーストステージを突破したため、広島とのファイナルステージ(マツダ)で先発登板を予定していた。しかし、登板を予定していた第4戦が平成29年台風第21号接近の影響で2日順延したことから、アレックス・ラミレス監督は登板間隔の空いた今永を中継ぎで起用することを決断。10月23日の第4戦で、1点リードの7回裏から登板。救援登板はレギュラーシーズンを含めてもプロ入り後初めてだったが、2回を無失点で凌いだ。チームのファイナルステージ突破を経て臨んだ福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、地元の福岡ヤフオク!ドームで催された第2戦(10月29日)と第6戦(11月4日)に先発で登板。いずれの試合でも勝敗が付かなかったものの、第2戦では合計10個、第6戦ではスタメン全員から合計11個の三振を奪った。日本シリーズ史上、1つのシリーズで2桁奪三振を2回、および2試合連続で記録した投手は2007年のダルビッシュ有以来2人目だった。チームは日本シリーズ制覇を逃した。

日本シリーズ終了後に開催された第1回アジア プロ野球チャンピオンシップの日本代表に選出された。同大会ではチャイニーズタイペイとの予選リーグ最終戦(11月16日)に先発すると、6回を無失点に抑えた。18アウト中12アウトを奪三振で記録する好投でチームの決勝進出、および優勝に貢献した。

2018年は、シーズン開幕前の3月にナゴヤドームで開催されたオーストラリア代表との強化試合の日本代表に選出された。3月3日の試合に3回表からの救援登板で、2イニングを無失点に抑えた。

シーズンでは日本代表からDeNAに復帰後から左肩に違和感を覚え、一軍公式戦へのシーズン初登板は4月24日の対広島戦(横浜)まで持ち越された。その後の先発登板試合でも本調子には程遠く、一軍と二軍を往復。一軍公式戦の先発登板16試合で3勝10敗、防御率7.10と不振を極めたため、9月中旬からは、レギュラーシーズンで初めて中継ぎ要員へ転向した。転向後の一軍公式戦では7試合の登板で1勝1敗4ホールド、防御率3.68を記録するなど若干持ち直したものの、シーズン全体ではセ・リーグ最多の11敗を喫した。シーズン終了後の11月18日に臨んだ契約交渉では、プロ入り後初めて球団から減俸を提示され、推定年俸6700万円(前年から1700万円減)という条件で契約を更改。更改後の11月中旬から12月末までは、自身の希望に沿って、オーストラリアン・ベースボールリーグのキャンベラ・キャバルリーに派遣された。オーストラリア滞在中、6試合に先発し、4勝0敗、防御率0.51で57奪三振を記録しながら、1与四球という圧倒的な成績を残した。

2019年は、シーズン開幕前の3月に開催されたメキシコとの強化試合に日本代表に選出された。3月9日の試合で2回を無失点に抑えている。

シーズンでは入団後初めてのレギュラーシーズン開幕投手として、3月30日の対中日戦(横浜)に先発。8回無失点の好投でシーズン初勝利を挙げるとともに、チームに8年ぶりの本拠地開幕戦勝利をもたらした。5試合に先発した5月は、リーグトップタイの4勝(1敗)、リーグ2位の月間防御率1.78を記録するなど好調で、セ・リーグ投手部門の月間MVPを初めて受賞した。さらに、セ・リーグの監督推薦選手としてオールスターゲームに初出場。リーグ戦の再開後は、山口俊などとの間で、最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振のタイトルを争った。結局はタイトルと無縁であったが、チームトップ(リーグ2位)の13勝、リーグトップの3完封勝利を記録するなど、チームの2年ぶりCS進出に貢献。本拠地・横浜スタジアムで初めて開催されたCSでは、阪神とのファーストステージ3試合中2試合に救援で登板したが、ステージの突破までには至らなかった。

オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12の日本代表に選出された。同大会では11月14日のメキシコ戦で6回を1失点に抑えた。12月5日に前年から6900万円増となる推定1億3600万円で契約を更改。前身球団を含むDeNAの左腕投手では史上最高額となった。

2020年は、前年に続いて開幕投手に選ばれたが、6月19日の対広島戦(横浜)では5回2失点で敗戦投手になり、球団として遠藤一彦以来の開幕戦連勝とはならなかった。その後も先発ローテーションの一角を担うも、本来の状態には及ばず、8月16日に出場選手登録を抹消。熟考の結果、10月5日に左肩のクリーニング手術を受けた。この年は9試合の登板に終わるも、5勝3敗を記録した。オフでは「離脱するまでは若い選手を引っ張ってくれた」(三原代表)との評価を受け、3600万円減の年俸推定1億円で契約を更改した。前任の石田健大からの指名を受け、2021年から選手会長に就任することも発表された。

2021年は、キャンプから順調にリハビリを重ね、5月23日の対ヤクルト戦(神宮)で一軍復帰登板。6月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で、前年8月以来309日ぶりの勝利を収めた。9月19日の対中日戦(横浜)では9回4安打6奪三振無四球1失点の好投で763日ぶりの完投勝利を飾った。最終的には19試合を投げて5勝5敗と貯金こそ作れなかったが、防御率は3.08、120 2/3回と110奪三振はともにチームトップだった。一方で被本塁打16本はリーグワースト5位と課題を残した。この年は40打席に立ち打率.270と10打席以上立ったセ・リーグの投手では最も高い打率を残した。12月22日には現状維持となる推定年俸1億円で契約更改し、「契約の話をする前に『アメリカ自体に今永自身は興味があるのか』と(三原球団代表から)投げてもらった。まさか聞かれるとは思っていなかった。『あります』と答えた。」と将来的なMLBへ願望を口にした。

2022年は、春季キャンプ中に左腕の肉離れが判明し、開幕は出遅れる。5月6日に一軍登録され広島戦(マツダ)にてシーズン初先発登板。5月17日の中日戦(バンテリン)で9回4安打13奪三振の無失点に抑え、3年ぶりの完封勝利で1勝目を飾った。6月7日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で史上85人目のノーヒットノーランを達成した。8月には、5勝0敗で防御率1.25という成績を挙げ、球団としては1999年の川村丈夫以来、左投手では1957年の権藤正利以来となる月間5勝を記録し、自身2度目となる月間MVPを受賞。8月にチームが18勝6敗で2位に浮上した躍進の一翼を担う。最終登板となった10月1日の巨人戦(横浜)で、7回を無失点に抑えて勝利を挙げ、3年ぶりに規定投球回にも到達し、11勝4敗の成績を残した。先発投手陣の柱としてチームの3年ぶりクライマックスシリーズ進出に大きく貢献。防御率、QS率はリーグ3位、WHIPはリーグトップと抜群の安定感を見せた。オフの12月8日に契約更改を行い、4000万円増の単年契約で推定年俸1億4000万円で更改し、今後も球団とMLB挑戦に向けて協議を重ねることを明かした。

2023年は、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。同大会では左のエースとしてマウンドを託され、1次ラウンドの韓国戦では2番手として登板し、3回1失点でリードを守り抜き、準々決勝のイタリア戦では1イニング2奪三振と要所を締める投球を見せた。決勝戦のアメリカ戦では先発として登板し、トレイ・ターナーにソロ本塁打こそ打たれたものの1失点に抑えて勝利投手となり、日本の優勝に貢献した。帰国後は、4月21日の広島戦(マツダ)でシーズン初登板し、8回無失点の好投で1勝目を挙げた。7月7日の巨人戦(東京ドーム)では、巨人打線から自己最多タイの7者連続を含め、自己最多で球団タイ記録の15奪三振を記録し、7回1失点で勝利投手となった。9月13日の中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で、初回一死に中日のブライト健太から空振り三振を記録し、NPB史上8番目の速さで通算1000奪三振を達成した。同年はシーズン計174奪三振を記録し、最多奪三振を受賞。プロ8年目で初めてタイトルを獲得した。シーズン終了後の11月11日、ポスティングシステムを利用するMLB挑戦が承認された。

2024年1月11日、シカゴ・カブスが契約を結んだと正式に発表した。背番号は18。複雑な契約オプションだが、選手意思で最長4年の契約が保証されるため、報道上では4年総額5300万ドル(約77億円)となっており、日本選手渡米時の歴代5位となる大型契約となった

4月1日のホーム開幕戦にメジャー初登板初先発し、6回9奪三振無四球無失点の好投でメジャー初勝利を挙げた。4月は4勝0敗、防御率0.98を記録し、4月のルーキー・オブ・ザ・マンスに選出された。

選手としての特徴

スリークォーターから伸びのあるストレート、スライダー、チェンジアップ、カーブを投げ分ける。リリーフ時には自己最速154km/h・最高回転数2678rpmを記録した。2019年からは、後輩の東克樹から伝授された130km/h台前半で変化するチェンジアップ(スプリットチェンジ)や、140km/h前後で変化する高速スライダーを軸にした投球スタイルにしている。チェンジアップは同じ握りから140km/h前後の高速チェンジアップも投げ分ける。

DeNAに1位指名された際には投球スタイルが杉内俊哉に似ていると紹介された。ストレートは高校2年生の秋から、肩甲骨の柔軟な動きを意識したトレーニングの成果によって球速が短期間で大きく向上し、3年生の時には常時140km/h台を計測するようになった。

連投が相次いだ大学時代は、体調が万全な時に奪三振の山を築く一方で、スタミナが切れた時に集中打を打たれる傾向が頻繁に見られた。DeNAへ入団1年目(2016年)に監督へ就任したラミレスは、今永を先発に立てた同年の公式戦で投球数が85 - 100球前後へ達するまでに今永を交代させる方針を取った。「若い投手は(1試合あたりの投球数を)ある程度制限することが将来につながる」との持論によるもので、6月上旬から今永が不調に転じると、休養やコンディション調整を目的に二軍への降格を即断。今永も1か月余りにわたっての二軍調整を経て一軍へ復帰すると、レギュラーシーズンの終盤まで先発で好投を続けた。以上の方針について、チームのクライマックスシリーズ進出決定後には「二軍で過ごした経験がなければ、今、元気に一軍で投げられているとは到底思えない。『ラミレス監督には本当に大事に起用していただいたな』と思っています」との言葉でラミレスに感謝の意を示している。

投手ながら打撃も良く2023年シーズン終了時点で通算打率は276打数51安打で打率.185を記録しており、特に2021年シーズンは37打数10安打で打率.270を記録した。

人物

取材やヒーローインタビューの際の特徴的な言い回しにより、「投げる哲学者」の異名が付けられ、ファンやマスコミの間で定着している。今永の人柄や野球に対する姿勢には憧れる選手も多い。

使用しているグラブには北筑高校野球部の当時の井上勝也監督の言葉である「逆境こそ覚醒のとき」と入れており、その言葉をずっと大切にしている。

グラブをはじめ野球道具はミズノ製品を使用し、2017年よりブランドアンバサダー契約を結んでいる。

プロ野球の応援歌が好きで日頃から車の中で他球団の応援歌を聴いており、試合登板中にピンチになるとマウンド上で自ら対戦チームのチャンステーマを口ずさみ、自己暗示をかけることもある。

両親ともに中学校の教師で、5歳上の兄も小学校教師をしている。三人兄姉の次男で4歳上に姉がいる。父は2022年6月に他界している。

2023年10月27日に自身初の著書「今永昇太のピッチングバイブル」が発売された。

2024/06/22 06:29更新

imanaga syouta


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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「今永昇太」を素材として二次利用しています。

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