伊藤雄之助の情報(いとうゆうのすけ) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
伊藤雄之助と関係のある人
久松静児: 警察日記(1955年) 日活/出演:森繁久弥、十朱幸代、三國連太郎、伊藤雄之助、宍戸錠、二木てるみ、杉村春子 加藤嘉: 合格者の中には谷幹一、森野鍛冶哉、伏見信子、伊藤雄之助らもいた。 久松静児: 続警察日記(1955年) 日活/出演:三島雅夫、伊藤雄之助、芦川いづみ 小森白: 1953年(昭和28年)、33歳で監督に昇進、伊藤雄之助主演のコメディ映画『一等女房と三等亭主』でデビューする。 山岡徹也: 伊藤雄之助や清水元らと共に協同劇団で活動したのち、文化座に移る。 大地康雄: そしてその頃、偶然アルバイトで行った先が伊藤雄之助宅であったため、「弟子にしてくれ」と7回通って懇請し、晴れて弟子入りが許され付き人となる。 一の宮あつ子: ほかの合格者に澤村宗之助、伊藤雄之助、森野鍛冶哉、伏見信子、三宅邦子らがいた。 井上梅次: 三っの顔(主演・三國連太郎・伊藤雄之助・水島道太郎、1955年)- 日活 久生十蘭: 『鎌いたち ―顎十郎捕物帳―』NHKテレビ 1957年、伊藤雄之助 佐田啓二: その後、徐々に演技派に脱皮していき、特に、プロ野球選手のスカウト合戦を題材にした1956年(昭和31年)の小林正樹監督の問題作『あなた買います』では、札束で大学生を釣るアコギなプロ野球のスカウト役として伊藤雄之助を相手に鬼気迫る演技を見せ、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の主演男優賞を獲得した。 久松静児: 雑居家族(1956年) 日活/出演:轟夕起子、左幸子、新珠三千代、織田政雄、田中絹代、伊藤雄之助 伊藤高: 父親は個性派俳優の伊藤雄之助。 岡本喜八: 三船敏郎、鶴田浩二、仲代達矢、加山雄三らのスターの他に、小林桂樹、佐藤允、中谷一郎、田中邦衛、伊藤雄之助、天本英世、岸田森、中丸忠雄、平田昭彦、寺田農、砂塚秀夫、草野大悟、高橋悦史、本田博太郎、神山繁、今福将雄、二瓶正也、岸部一徳らの性格俳優を再三起用し、喜八一家(ファミリー)と呼ばれることもあった。 恩田清二郎: 恩田と親交のあった伊藤雄之助、池田生二、同じく東宝の専属俳優だった加藤茂雄らによると、酒に目がない質であったという。 野坂昭如: 俳優の伊藤雄之助は父の後妻の従弟にあたる。 萩原章: 『又四郎行状記 鬼姫しぐれ』 : 脚本・助監督 製作高村将嗣、監督中川信夫、原作山手樹一郎、撮影河崎喜久三、音楽高橋半、出演嵐寛寿郎、花井蘭子、宮城千賀子、徳川夢声、高堂国典、伊藤雄之助、進藤英太郎、香川良介 ※新東宝提携 |
伊藤雄之助の情報まとめ
伊藤 雄之助(いとう ゆうのすけ)さんの誕生日は1919年8月3日です。東京出身の俳優のようです。
映画、現在、兄弟、解散、退社、テレビ、ドラマ、趣味、結婚、姉妹に関する情報もありますね。1980年に亡くなられているようです。
伊藤雄之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)伊藤 雄之助(いとう ゆうのすけ、本名:伊藤 嘉朗(いとう よしろう)、1919年8月3日 - 1980年3月11日)は、日本の俳優。「ゆうのすけ」は雄之助・雄之弼・侑之助でクレジットされている映画もある。 兄は二代目澤村宗之助、弟は伊藤寿章(澤村敞之助、澤村昌之助)、妻は新東宝の女優だった桐丘峯子。子に俳優の伊藤高と歌手の伊藤照子。付き人に大地康雄がいる。 1919年8月、東京市浅草区東仲町(現在の東京都台東区雷門)で帝国劇場専属の歌舞伎俳優の初代澤村宗之助(本名伊藤三次郎)の次男として生まれる。母は帝国劇場専属女優第1期生の鈴木徳子。兄、弟も役者の芸能一家に育つ。父方の祖父は尾張藩に仕えた300石取りの武士の家柄に生まれた士族だが、地元の子供芝居に投じて台頭、四代目助高屋高助に認められて上京し、その養子となって七代目澤村訥子を襲名していた。訥子は養父の死後小芝居の大立者となり、雄之助出生時もなお活躍中であった。 1924年4月、満4歳8カ月で“澤村雄之助”の芸名を名乗り、父の舞台である四谷の大国座で初舞台を踏む。本来初舞台披露が行われるはずの帝国劇場は前年の関東大震災で焼失し、再建中であった。しかし、初舞台の6日目に父が舞台で急逝した。雄之助ら遺児3兄弟は祖父の世話を受けることになったが、祖父が2年後に亡くなると親戚中から冷遇され、さらに雄之助は他の兄弟たちと比べのろまで不器用だったことから“紀ノ国屋の場違い小僧”と罵られるなど、苦労の多い幼年期を過ごした。 教育熱心な母の意向で慶應義塾幼稚舎に入れられ、成績優秀で将来は教師になることを望んでいたが、慶應義塾普通部1年の夏に母が3万円ほどの借金を遺して病死したため学業中断を余儀なくされ、「澤村兄弟プロダクション」を組織して芸能活動を再開した。1934年、東京宝塚劇場開場と同時に公募された専属俳優に兄弟とともに応募、「東宝専属男女優」第1号の1人となった。この一座はのちに「東宝劇団」と名づけられたが、この劇団では六代目坂東蓑助ら先輩役者との対立もあり、辛酸を嘗めた。とりわけ六代目簑助からは厳しい態度で臨まれ、伊藤自身がノイローゼに追い込まれたほどで、六代目蓑助を刺し殺して自らも自殺しようと思いつめたこともあるという。その最中に若手勉強会に加わったことをきっかけに、リアリズム演劇に惹かれ、初めて演技することの喜びを感じたという。 1940年に陸軍に応召、1943年に一等兵で除隊されるまでに中国大陸で兵役に就く。上官の大便が入った浴槽で入浴することを強要されるなど、ここでも冷遇を受けた。その後は第2次東宝劇団に参加、小夜福子組の移動演劇隊に加わって山形県を巡業中に終戦を迎える。1946年に演劇隊を解散し、東京に戻り八田元夫の演劇研究所に入ってからは、スタニスラフスキー・システムによる演技を学ぶ。 映画は1932年に『少年諸君』で映画デビューしているが、本格的な映画出演は戦後からで、義兄である佐伯清の薦めで1946年に東宝撮影所へ入社する。特に1949年に公開された『野良犬』(監督・黒澤明)では、端役でありながら印象的な演技を見せた。その後東宝争議が始まったために東宝を退社し、新東宝、綜芸プロなどに所属。この時期は市川崑作品の常連で、主演をつとめた社会風刺喜劇『プーサン』(1953年)は、監督ともども出世作となった。 1954年よりフリー。早い段階でフリーとなったため、テレビドラマにも1950年代から多くの作品へ積極的に出演した。 代表作に『巨人と玩具』『侍』『しとやかな獣』など。特徴のある顔とアクの強い演技で多数の映画で名脇役として活躍、『椿三十郎』では大詰めのみの出演ながらも存在感を示した。一方で『気違い部落』『ああ爆弾』などでは主演として鮮烈な印象を残した。1969年6月、歌舞伎座の舞台に出演中に脳溢血で倒れ、半身不随となるも懸命なリハビリの結果、翌1970年には『橋のない川 第二部』(監督・今井正)にて俳優活動を再開した。まだ仕事復帰は医師から厳重に止められており、文字通り命懸けの演技であったという。再起不能とも言われた状態からの復帰直後には「“絶望とはおろか者の結論”とはうがったことばですね。人間、あきらめちゃだめです。努力すれば必ず道はひらけますよ。この通りあたしがなおったんですから」と述べている。晩年も『太陽を盗んだ男』では日本兵の軍装で皇居に突撃しようとするバスジャック犯役で怪演を見せるなど、多数の映画・ドラマなどに出演した。 1980年3月5日、療養で伊東市の温泉へ行くが、翌3月6日になって容態が悪化、そのまま伊東市内の病院に入院。3月11日に心臓発作で死去。60歳没。同年公開の『戒厳令の夜』が遺作となった。 子どもの頃から油絵を描くなど絵を描くことが好きで、寸暇を惜しんでスケッチをして歩くのが趣味だった。 芝居に対する執念はすさまじく、伊藤と同じ事務所に所属していた時、伊藤への興味から伊藤の関西公演に同行して共に生活した俳優の梅津栄は、ある夜明けに隣室の伊藤が起きているのに気付き、「もう起きていらっしゃるんですか」と言おうと襖を開けたが、本を前に何ごとか考えている伊藤の姿に「声をかけるきっかけさえつかめない位のきびしさがあるんだよね...。何、考えてらしたんだろうねェ。...やっぱり、気違いなんですわな。おそらく何かこう、次の作品のヒントかどうかわかんないけど、空気がピーンと張りつめててね、もうね、声かけられなかったですよ。これだっ!って思ったわな」と述懐している。また気骨ある言動で知られ、ゴテ雄のあだ名がつくほどであった。1968年には幼少期から受けた冷遇などを元に、映画界の因習について厳しく批判したエッセイ『大根役者・初代文句いうの助』 を執筆したために映画界から干されるなど、苦労の多い役者人生だった。六代目尾上菊五郎について、「六代目亡きあと日本には役者はいない」と言うほどに深く尊敬していた。 墓所は西光寺 (墨田区)にある。 少年諸君(1932年、兄弟プロダクション) 少年忠臣蔵(1933年、兄弟プロダクション) - 吉良上野介 楠正成(1934年、太秦発声映画) - 沢上錦吾 かけ出し時代(1947年、新東宝) - 松浦記者 人間模様(1949年、新東宝) - 狩野龍馬 野良犬(1949年、新東宝) 銀座三四郎 (1950年、新東宝) 盗まれた恋(1951年、新東宝) 恋人(1951年、新東宝) ブンガワンソロ(1951年、新東宝) - 野呂上等兵 右門捕物帖 片眼狼 (1951年、新東宝) 結婚行進曲(1951年、東宝) - 藤間寿五郎 恋風五十三次(1952年、東映)- 喜多八 生きる(1952年、東宝) あの手この手 (1952年、大映) - 野呂ドクター 早稲田大学(1953年、東映) プーサン(1953年、東宝) - 野呂米吉 愛と死の谷間(1954年、日活) - 松村医師 億万長者(1954年、青俳クラブ) - 団海老蔵 警察日記(1955年、日活) - 岩太 三つの顔(1955年、日活)- 小林大三 ビルマの竪琴(1956年、日活) 青春をわれらに(1956年、日活) - 南部友助 あなた買います(1956年、松竹) - 球気一平 黄色いからす(1957年、松竹)- 吉田一郎 気違い部落(1957年、松竹) - 村田鉄次 抜き打ち浪人(1957年、東映) - 秋沢壮典 少年探偵団 透明怪人 首なし男(1958年、東映) - 怪人二十面相 巨人と玩具(1958年、大映) - 春川純二 坊っちゃん(1958年、松竹) - 堀田(山嵐) 楢山節考(1958年、松竹) 赤い陣羽織(1958年、松竹) 悪女の季節(1958年、松竹) - 片倉盛太 電話は夕方に鳴る(1959年、大映) - 山根伝吉 人間の壁(1959年、山本プロ) - 新井代議士 恋山彦(1959年、東映) - 英一蝶 広い天(1959年、松竹) - 小杉朝雲 いろはにほへと(1960年、松竹) - 松本宗治 次郎物語(1960年、松竹) - 本田俊亮 赤坂の姉妹より 夜の肌 (1960年、東京映画) 「粘土のお面」より かあちゃん(1961年、新東宝) - 豊田由五郎 しとやかな獣(1962年、大映) - 前田時造 椿三十郎(1962年、東宝) - 睦田 放浪記(1962年、東宝) - 白坂五郎 忍びの者(1962年、大映) - 百地三太夫/藤林長門守 温泉巡査(1962年、大映) - 望月六郎太 白い熱球(1963年、東映) - 若山校長 若い東京の屋根の下(1963年、日活) - 柔野謙太郎 天国と地獄(1963年、東宝) - 馬場専務 雨の中に消えて(1963年、日活) - 樺山松雄 関東無宿(1963年、日活) - おかる八 停年退職(1963年、大映)- 多田良雄 赤い水 (1963年、大映)- 禅恵和尚 ああ爆弾(1964年、東宝) - 大名大作 黒いダイスが俺を呼ぶ(1964年、東宝) - 城崎 若草物語(1964年、日活) - 高村勇造 現代インチキ物語騙し屋 (1964年、大映) -赤トンボ 侍(1965年、東宝) - 星野監物 にっぽん泥棒物語(1965年、東映) - 安東警部補 けものみち(1965年、東宝) - 秦野重武 拳銃野郎(1965年、日活) 明日は咲こう花咲こう(1965年、日活) - 尊道教・教祖 血と砂(1965年、東宝)- 持田一等兵 逃亡列車(1966年、日活) - 李元成 新書・忍びの者(1966年、大映) 日本のいちばん長い日(1967年、東宝) - 野中俊雄 さそり(1967年、松竹) - 野田善平 華岡青洲の妻(1967年、大映) - 華岡直道 眠狂四郎女地獄(1968年、大映) - 野々宮甚内 とむらい師たち(1968年、大映京都) - 先生 肉弾(1968年、ATG) 橋のない川(1969年、ほるぷ映画) - 永井藤作 赤毛(1969年、東宝) - 神尾金太郎 子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる (1972年、東宝) - 柳生烈堂 青幻記 遠い日の母は美しく(1973年、青幻記プロ) - 大山公平 人間であるために(1974年、新映画協会) - 岡本尚一 血を吸う薔薇(1974年、東宝) - 高倉刑事 裸足のブルージン(1975年、東宝) エデンの海 (1976年、東宝) 岸壁の母(1976年、東宝) - 弥助 太陽を盗んだ男(1979年、キティ・フィルム) - 山崎留吉 戒厳令の夜(1980年、東宝) - 原良介 馬の感傷(1956年、NHK) 街(1956年 - 1957年、NTV) 石中先生行状記(1957年、NTV) 人間動物園(1958年、NHK) 夫婦百景(1959年・1963年、NTV) 日本の日蝕 (1959年、NHK)※第14回芸術祭奨励賞受賞(安部公房作、和田勉演出、伊藤雄之助主演) いろはにほへと(1959年、KRT) - 松本宗治 自由への証言(1960年、NHK) 署長日記(1961年、NET) 敵(1961年、NTV) 選挙参謀(1961年、KTV) NECサンデー劇場(NET)
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必殺仕置人 第22話「楽あれば苦あり親はなし」(1973年) - 野分けの藤造 助け人走る 第20話「邪恋大迷惑」(1974年) - 音羽の萬蔵 伝七捕物帳(1974年、NTV) 荒野の素浪人(NET)
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2024/11/17 18:04更新
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