もしもし情報局 > 1950年 > 5月18日 > 環境社会学者、政治家

嘉田由紀子の情報 (かだゆきこ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

嘉田由紀子の情報(かだゆきこ) 環境社会学者、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

嘉田 由紀子さんについて調べます

■名前・氏名
嘉田 由紀子
(読み:かだ ゆきこ)
■職業
環境社会学者、政治家
■嘉田由紀子の誕生日・生年月日
1950年5月18日 (年齢74歳)
寅年(とら年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
埼玉出身

(昭和25年)1950年生まれの人の年齢早見表

嘉田由紀子と同じ1950年生まれの有名人・芸能人

嘉田由紀子と同じ5月18日生まれの有名人・芸能人

嘉田由紀子と同じ出身地埼玉県生まれの有名人・芸能人


嘉田由紀子と関係のある人

越直美: 2011年2月、越は滋賀県知事の嘉田由紀子に、翌年の大津市長選への出馬を前提に、目指す政策をA4判9枚分にまとめたメールを送った。


川端達夫: 嘉田由紀子が当選した2006年7月の滋賀県知事選挙では、現職の國松善次と嘉田のどちらを推薦するかで民主党滋賀県連内の意見が二分し、最終判断を一任された県連代表の川端は5月12日に國松の推薦を決定。


大山昌宏: なお国民の生活が第一は、11月27日に滋賀県知事の嘉田由紀子が結党した日本未来の党へ合流した。


亀井静香: 2012年11月28日、嘉田由紀子滋賀県知事が結成した日本未来の党に減税日本・反TPP・脱原発を実現する党が合流して日本未来の党所属となるが、嘉田代表と小沢一郎の党内対立の影響で同年12月27日に離党。


越直美: 出馬をめぐり、一時は大津市議会の民主党系会派「市民ネット21」が越の支援に難色を示していたが、民主党で前知事の嘉田由紀子の支援を取り付ける。


谷亮子: 同年11月28日、嘉田由紀子滋賀県知事が代表を務める「日本未来の党」(前日27日に結成)に参加した。


福田衣里子: なお、みどりの風は、滋賀県知事の嘉田由紀子が卒原発を旗印に結成した「日本未来の党」(以下、未来の党)に福田を含む党所属の衆議院議員3名を合流させる方針を示したため、2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では未来の党から、比例近畿ブロック単独で(第14位)立候補したが落選した。


主濱了: 11月28日、滋賀県知事の嘉田由紀子が代表を務める「日本未来の党」(前日27日に結成)に参加。


西川貴教: 2008年:1月、滋賀プラスワン(滋賀県広報誌)1月号(vol.103)において、「滋賀に元気の風を吹かせよう」というタイトルで嘉田由紀子との対談が掲載され、郷土である滋賀県について語っている。


川端達夫: 前・滋賀県知事の嘉田由紀子を後継指名したが、嘉田は接戦で大岡に敗れた。


辻恵: 日本未来の党の解党後は嘉田由紀子らが新たに立ち上げた日本未来の党 (政治団体)の設立総会に参加した。


大岡敏孝: 2017年10月の第48回衆議院議員総選挙では滋賀1区より出馬し、前滋賀県知事の嘉田由紀子を約5000票の僅差で破り3度目の当選を果たした。


服部岩吉: 嘉田由紀子


亀井静香: その後、国民の生活が第一などとの合流を前提とした新党を模索し、同年11月28日に嘉田由紀子滋賀県知事が結成した日本未来の党に減税日本・反TPP・脱原発を実現する党と国民の生活が第一が合流する形で新党が実現する。しかし、日本未来の党は結成後一ヶ月も経たない間に嘉田由紀子代表と小沢一郎の対立が表面化し、分裂状態となる。


永江孝子: それに先立ち、7月30日には永江、同じく野党統一候補で当選した嘉田由紀子(滋賀県選挙区選出)の2名で新たな会派「碧水会」の立ち上げを発表し、参議院事務局に会派の設立を届け出た。


岡本英子: 同年11月27日に嘉田由紀子滋賀県知事が結成した日本未来の党に生活が合流する方針を決めたことを受け、11月28日に政党届出をした未来の党に参加した。


森裕子: 第46回衆議院議員総選挙を目前の11月27日に嘉田由紀子滋賀県知事が結党した日本未来の党へ国民の生活が第一が合流を決定したため、日本未来の党籍議員として副代表に就任した。


目片信: 浜大津移転に反対する市民団体「市庁舎の移転先を考える市民の会」が応援した嘉田由紀子が、2006年に滋賀県知事に当選したが、目片は「新知事は冷静に判断されるはずだ」と語った。


川本勇: 2011年 - 9月、嘉田由紀子滋賀県知事もレコーディングに参加した地産地消キャンペーンソング「おいしがうれしが」含む全7曲のアルバム「U☆TIME JAM」発売。


谷口久次郎: 嘉田由紀子


小沢一郎: 12月、総選挙の惨敗を受けて、小沢系議員と未来の党代表の嘉田由紀子らとの対立が表面化した。


橋川渉: 2008年(平成20年)2月24日に行われた草津市長選挙に民主党、社民党、嘉田由紀子知事の政治団体「対話の会」の推薦を受けて無所属で出馬。


佐藤公治: 同年11月28日、嘉田由紀子滋賀県知事が代表を務める日本未来の党に参加。


柴野和喜夫: 嘉田由紀子


川島智太郎: 同年11月27日に滋賀県知事の嘉田由紀子が結成した日本未来の党に生活が合流する方針を決めたことを受け、11月28日に政党届出をした未来の党に参加した。


三日月大造: 民主党や滋賀県連の幹部は三日月を説得し、現職の嘉田由紀子の去就を見定めてから判断するよう翻意を促したが、地元の首長らに対し「離党してでも出馬したい。


獅山向洋: 2010年の滋賀県知事選挙で、嘉田由紀子の再選阻止を目論み、自由民主党滋賀県連と共に県連会長の上野賢一郎に出馬を要請したが、嘉田がダブルスコアの大差で再選した。


玉城デニー: 同年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙では、嘉田由紀子滋賀県知事が代表を務める日本未来の党の候補として沖縄3区から立候補。


田島一成: その後候補者調整に応じ国民民主党が推す嘉田由紀子元滋賀県知事の支持を表明し、出馬の意向を取り下げた。


越直美: 自ら後継者選びを開始し、嘉田由紀子の次男の嘉田修平市議(2015年初当選)を説得するが断られる。越から相談を受けた嘉田由紀子も小西を高く評価したとされる。


嘉田由紀子の情報まとめ

もしもしロボ

嘉田 由紀子(かだ ゆきこ)さんの誕生日は1950年5月18日です。埼玉出身の環境社会学者、政治家のようです。

もしもしロボ

政策・主張、議員連盟などについてまとめました。父親、兄弟、家族、卒業、結婚、離婚、現在、事件、引退、解散に関する情報もありますね。去年の情報もありました。嘉田由紀子の現在の年齢は74歳のようです。

嘉田由紀子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

嘉田 由紀子(かだ ゆきこ、1950年〈昭和25年〉5月18日 - )は、日本の政治家、農学者、環境社会学者、文化人類学者。参議院議員(1期)、教育無償化を実現する会副代表。

滋賀県知事(第8代)、地域政党チームしが代表、日本未来の党代表、びわこ成蹊スポーツ大学学長などを歴任。

埼玉県本庄市の養蚕農家に、3兄妹の末っ子として生まれる。父親の渡辺康雄は本庄市議会議員も務めた人物で、父が8人兄弟の長男であったことから、3世代13人の大家族で暮らす。嫁ぎ先でこき使われ結核を患った母の姿を見て、「女性がなぜ苦しい思いをするのか」との思いから学問を志す。

今西錦司や梅棹忠夫の本でアフリカ研究に憧れを抱くようになり、埼玉県立熊谷女子高等学校卒業後、京都大学農学部へ進学。当時女性部員がいなかった探検部へ、当時の部長の嘉田良平とともに入部許可を求めて、口論の上で入部する。3回生の時にタンザニアで4ヶ月生活した。22歳のときに嘉田良平と結婚。なお、夫は嘉田の政界入りに反対であったとされ、知事就任後の2008年に離婚している。

1973年、京都大学農学部卒業。同年、大学院農学研究科へ進学し、アメリカ・ウィスコンシン大学大学院へ、アフリカやアジアの経済発展を社会開発や環境の面から研究するため留学するも、指導教官より日本の農村研究を促され、1974年、一時帰国して琵琶湖湖畔における農村生活の形態変化について研究しながら海外での調査研究も継続する。26歳で長男を出産。2年間は専業主婦をしていたが、その後京大院に復帰。29歳で次男を出産し、滋賀県に移住した。

1981年3月、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。京都大学より農学博士(論文名『琵琶湖の水問題をめぐる生活環境史的研究』)を授与される。同年4月、滋賀県庁に入庁し、まだ準備室だった「滋賀県立琵琶湖研究所」の研究員として採用される。琵琶湖周辺の農村生活、ホタルダスや水環境カルテなどを調査研究する。1996年開館の滋賀県立琵琶湖博物館に構想段階から深く関わり、後に滋賀県知事の座を争うことになる國松善次とは同僚である。

2000年、京都精華大学人文学部環境社会学科教授となる。滋賀県立琵琶湖博物館研究顧問、京都精華大学人文学部教授を歴任した。

滋賀県では、栗東市に建設が予定されていた新幹線新駅(名称は南びわ湖駅)の是非が大きな問題となっていた。住民投票条例案の条例制定請求が提出された2006年1月31日、滋賀県議会で傍聴をした際、「この住民投票条例案は受け入れられない」という言葉が響いた時、「こんなに県民がおかしいと思っているのに、どうなんだろう」と思ったのが知事選へ出馬しようと思った最初のきっかけだという。同年3月30日に出馬を決意し、4月18日に正式な出馬表明を行う。

選挙戦では「もったいない」を合言葉に、新幹線新駅の建設凍結、県内に計画されているダムの凍結見直し、旧志賀町に予定している廃棄物処分場の中止などを訴えた。

真に県民のための県政を目指すという「超政党」という立場から全政党に対して推薦依頼を提出する。自民党と民主党は別々に、國松知事と嘉田の双方から主張を聞く会を催した。民主党内には嘉田を推す声が強かったが、新幹線の新駅に対する立場を変えることができず、結果的に自民、民主両党は現職の國松に相乗りした(民主党県連の決定直後に小沢一郎代表の相乗り禁止指令が出た)。その後、公明党も國松の推薦に回った。一方、共産党は当初嘉田支援のために動いたが、途中で推薦から支持に切り替えた嘉田に対する反発と、新駅及びダム建設推進に含みを残す自民党近江八幡支部との対立から支援を見送り、対立候補(無所属の推薦候補)を立てた。嘉田側は、共産党から他党の関係者を入れないように申し入れを受け、「政党の違いは小異であり、県民党の立場で支持を求めた」が、受け入れられなかったと言っている。嘉田は社民党に対する要請でも、途中で推薦から支持に切り替え、社民は不快感を表明したが、最終的に受け入れた。

最終的に嘉田には、社民党支持と近江八幡支部をはじめとする自民党非主流派の支援が残り、7月2日に行われた知事選で、自民、民主、公明の3党が推薦する現職の國松を破り、初当選。

知事当選により、この時点で大阪府の太田房江、熊本県の潮谷義子、千葉県の堂本暁子、北海道の高橋はるみに次ぐ全国で5人目の女性知事となった。

当選以降、自身が公約で主張した「新幹線新駅・産廃処理施設・ダム事業の凍結、見直し」政策を進め、新幹線新駅関連・廃棄物処分場については2007年(平成19年)度における関係予算をつけないことが決まり、これらの事業を事実上中止することができた。

滋賀県栗東市の新幹線新駅問題では、一部では損害賠償請求を求められるという噂もあったが、JR東海の松本正之社長は2007年7月9日、今後の対応について「10月末に出る地元の結論を受けて法的対応を考えるが、工事負担金を5月に仮精算したので大きな問題はない」と述べ、地元に対する新駅計画凍結による損害の賠償請求を行う可能性は低いとの認識を示し、新幹線新駅凍結の今後は地元の事後処理へと焦点が移ることとなった。

ただ、ダム事業の凍結・見直し(撤回でも中止でもない)公約では、県内に計画されているダム6つ(丹生ダム、大戸川ダム、永源寺第二ダム、芹谷ダム、北川第一ダム、北川第二ダム)の内、県営の芹谷・北川第一のダム建設計画については2007年2月の議会で容認と取れる答弁を行った。他方、県営北川第二ダムは公約通りの凍結方針を表明しているにもかかわらず、マスコミには取り上げられることはほとんどなかった。また、国営の丹生ダムについては、今までの貯水ダム計画には否定的な見解を示している。ただ、穴あきダムの可能性はあり得るとの発言をとりあげ、マスコミはまたも推進と報じたが、その後は推進するような態度を嘉田は示していない。統一地方選挙後は、県議会の流れの変化によるものか、ダム建設計画に前向きと思わせるような発言をすることは見られなくなった。一部ではダム建設計画への否定的な発言も見られ、また、就任一年の会見では、「社会変動の中でかつて計画したことをそのまま続けることが、本当に次の世代に喜ばれることなのか。勇気ある撤退が必要。」と新幹線のみならずダム計画の凍結に対するこだわりを感じさせる発言もあった。こうした中、2008年11月の定例県議会で、国が計画する大戸川(だいどがわ)ダム(大津市)の建設中止を事実上求める知事の意見案が廃案となった。

当選後の議会における所信表明演説においては「財政的観点からもダム事業は凍結する」という姿勢を見せていたが、一方で「治水事業の瑕疵(かし)で一人でも死者が出た場合は辞任する」とも述べていた。ダム建設を推進・要望していた大津市や彦根市をはじめ県内の自治体は知事の公約に反発、特に丹生ダム建設が計画されていた余呉町とは激しく対立した。

本人は公約について「一切ダムを作らないという、脱ダム(という意味)ではない」、「(マニフェストでは)ダムだけに頼らない治水計画を掲げた。ダムすべてを否定はしていない」また「(現在は)ダムの必要性、効果、影響も含めて議論する過程の中にある」と述べている。この間、ダム事業に対する流れは2004年に発生した平成16年7月福井豪雨をきっかけとした足羽川ダム(福井県)の建設再開(凍結解除)や、2006年に発生した平成18年7月豪雨をひきがねとして長野県の田中康夫が知事選挙に落選したことおよび後任の村井仁による「脱ダム宣言」の撤回など、ダム事業再評価の動きが見られ、こうした流れも微妙に影響を及ぼしている。

2007年、統一地方選挙では彼女を応援する、対話でつなごう滋賀の会が結成され、躍進した。2007年4月23日には留守番電話で、「長崎のようになりたくなければ新駅を作れ」と脅迫された。伊藤一長長崎市長射殺事件を指しているものと思われる。

議会で新駅建設反対派が推進派を上回った結果、推進派の自民党滋賀県連は「知事の考えに従う」として新駅の凍結に賛成する意向を示した。こうした情勢を受けて中川秀直幹事長が現地入りして嘉田と対談し、7月9日には新幹線新駅の凍結方針が国から示された。森喜朗元首相に、「女の人だな、やっぱり(視野が)狭い」と批判された。嘉田は「女性蔑視(べっし)だと言うのは控えたい。問題の本質は財政問題。男だから、女だからとは無縁」と述べた。

10月24日、新駅問題について国松正一栗東市長らと話し合う会議が同日午後、大津市内で開かれ、新駅建設の根拠となる各種協定が今月末で白紙に戻ることを大半の市長が容認した。嘉田知事が前年7月の知事選で「凍結」と訴えた最重要公約が約1年4カ月かけて実現することになる。

国土交通省が推し進める大戸川ダム建設については、淀川水系に属する知事として橋下徹大阪府知事・山田啓二京都府知事・野呂昭彦三重県知事らとともにNOとする共同声明を出している。また、橋下の昨年1年間の大阪府の財政改革などに対する奮闘振りに「やはりマスコミ慣れしている分、はっきりとした意見が言えるのは少し羨ましいですね」と評している。一方、ダム事業の対応についてマスコミや一部支援者から「態度が曖昧」と批判されている。

2008年1月から4月の記者会見等の中で嘉田は、県政にとっては財源の視点から道路特定財源の暫定税率廃止は困るが、しかし、暫定が続いているという現制度自体の問題点や一般財源化の議論が必要であると指摘した。新名神高速道路の大津ジャンクション予定地以西の「当面着工しない区間」については、必要な道路であるとし凍結解除を訴えていた。2012年4月に新名神建設の凍結は解除され、事業区間となっている。

2009年10月30日、鳩山由紀夫内閣下で総務省顧問に就任。

2009年11月、ジーエス・ユアサコーポレーションが新駅予定地跡地に電気自動車用リチウムイオン電池の新工場を建設する計画を表明。2010年4月には生産計画が発表された。嘉田は新駅凍結の代替案として「電気自動車用の電池工場の誘致に成功した」「400億円の投資と800人の雇用が見込まれる」 としている。しかし予定地約50ヘクタールのうち、2012年9月時点でなお30-40ヘクタールの土地の利用が決まっていない。

2010年2月16日、7月11日に投開票が予定されている県知事選に再選を目指して出馬する意向を表明した。4月2日には、新しい支援団体として滋賀の未来をひらく会が発足し、元成安造形大学長の木村至宏が会長に、県商工会連合会長の川瀬重雄が同会の副会長に就任している。7月11日、投開票の結果、自民党前衆議院議員の上野賢一郎らをダブルスコアの大差で破り再選する。この時の得票数419,921票は、滋賀県知事選挙史上最多得票である。

都道府県を廃止する安易な道州制の導入は地域のアイデンティティを破壊するとして、道州制にはきわめて慎重な姿勢を示している。6月、みんなの党に支援を要請するが、みんなの党は道州制に関する議論で認識の違いがあるとして拒否した。

栗東市のRDエンジニアリング産廃問題では、全量撤去案(240 - 400億円)ではなく遮水壁案(約50億円)を提案し、全量撤去を望む住民から批判されていた。2010年1月には「有害物の除去」を柱とする案を新たに示したが、除去する有害物の範囲などで住民側と協議が難航。新たに「有害物をできる限り除去する」との方針を打ち出し、工事に取りかかるためのボーリング調査を提案。地元自治会は県の姿勢を評価し、6月20日に地元7自治会と県との間で調査へ着手することが同意された。自治会側からは「約10年を経て、問題解決に一歩進んだ」と評価する声や、「今後も継続して自治会と協議してほしい」と注文する意見が挙がっている。

2012年、未来政治塾の開講を発表する。

2012年8月、嘉田は新幹線新駅問題の時点ではJR東海のリニアモーターカーによる中央新幹線建設が順調に進行することを予期できなかったとし、その上で中央新幹線が完成した後は東海道新幹線は中距離輸送を担うことになるため、その際には米原駅と京都駅の間に新駅が必要となるという見通しを述べる。これはあくまで中長期的な見通しであるとし、南びわ湖駅建設の復活や特定の他の場所における建設を意味するものではないとしている。

同年11月27日、新党日本未来の党を結成すると発表した。この政党の結成を受けて、小沢一郎は、自身が代表を務めてきた国民の生活が第一(以下、生活)を解党した上で、党ごと合流することを決定した。翌28日、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党共同代表の山田正彦や生活の広野允士参院議員会長など所属議員8名で総務省へ政党届出を行った。

「小沢一郎さんを使いこなせずに官僚を使いこなすことはできません。」と述べている。

同年12月16日に執行された第46回衆議院議員総選挙において、日本未来の党は公示前の62議席から約7分の1にあたる9議席に大きく減らした。嘉田は開票センターでの記者会見で「十分時間が取れなかった。政策が浸透していなかった」と述べたが、記者の質問を聞き逃し「ごめんなさい。もうろうとしていまして」と取り繕うという場面もあった。

総選挙後、小沢との対立が表面化。嘉田は未来の党を離党し阿部知子衆議院議員と新たに政治団体として日本未来の党を結成した。また、未来の党は生活の党に改称した。

2012年12月26日に党代表と県知事の兼務解消を求める決議が滋賀県議会で可決されたことを受け、2013年1月4日に党の代表を辞任することを正式表明した。

嘉田は日本未来の党代表辞任後も次期知事選への立候補については明言を避けていた。こうした中2014年3月、前回知事選時に嘉田を支援した民主党の滋賀県連代表・三日月大造が嘉田の意向表明を待たずして同年6月の次期知事選への立候補を表明、嘉田の去就に注目が集まった。

同年4月26日、嘉田と三日月が同席した集会において候補者一本化の合意を発表、その結果は5月7日に発表し同時に新政治集団「チームしが」を発足させるとした。

4月29日、『嘉田が関係者に知事選不出馬の意向を示した』 という報道がなされ、嘉田本人は『いかにも決定したような内容であり、このような憶測記事を出すことには強く抗議をします』と発表。

5月7日、正式に不出馬を表明し二期をもって知事を引退した。

10月、びわこ成蹊スポーツ大学の3代目学長に就任。

2017年9月末、嘉田は引退を表明していた民進党の川端達夫衆議院議員の後継として、10月22日に行われる第48回衆議院議員総選挙に滋賀1区から立候補する意向を固めた。10月2日に嘉田は記者会見で立候補を正式表明。嘉田は当初は希望の党からの出馬を目指したものの、前日夜に前原誠司から嘉田がかつて国政政党の党首だったことから公認を認められないと回答されたことや、立憲民主党からは参加の要請があったが固辞したことを明らかにし、無所属で立候補すると表明した。

嘉田は会見で「比例代表では希望の党を推す」とも述べたため、かつて嘉田と共闘関係にあった社民党がこれに反発し、対立候補として県連代表の小坂淑子の擁立を急遽決定。共産党も小坂を推薦した。その後希望の党が公約に原発の再稼働容認を掲げることが明らかとなると嘉田も希望の党と距離を置き始め、公示後には「私は無所属。比例区でどの政党に投票して、とお願いすることはない」「『比例は希望』と言った話が広がっているが、どうか情報のアップデート(更新)をお願いします。私は無所属。比例は関係ありません」と釈明に追われ、嘉田と小坂の間で反自民票が割れたことで自民党前職の大岡敏孝が得票率47.7%で逃げ切り3選を果たした。

2018年6月の滋賀県知事選挙では松井一郎大阪府知事から出馬を促されるなどされたものの、チームしが関係者とともに自身の後継にあたる三日月大造知事の応援に入った。

同年12月6日、国民民主党滋賀県連が嘉田を第25回参議院議員通常選挙の滋賀県選挙区に擁立する方針を固めたことが報道により明らかとなった。これに対し同選挙区では立憲民主党は元衆院議員の田島一成を、日本共産党は党滋賀県委員会常任委員の佐藤耕平を予定候補としていたため、12月7日に嘉田は記者会見し「野党統一候補でなければ出馬しない」と表明した。

2019年3月1日、国民民主党・立憲民主党両党の県連は調整の結果、嘉田が国民民主党を離党して無所属で立候補することを条件に統一候補として推す方針で合意したと発表。嘉田は同日に国民民主党を離党した。社民党も嘉田を推すことを決定。5月末、共産党は佐藤の公認を取り下げ、嘉田は晴れて野党4党の統一候補となった。選挙戦中は共産党への抵抗感がある支持者の存在を意識し、社民党、共産党はそれぞれの支持者を固める方式をとった。対する二之湯武史の自民陣営は、安倍晋三首相はじめ閣僚級の政治家を連日投入する組織戦を展開したが、自民党支持層でも一定数が嘉田に投票した。

同年7月21日、投開票。現職の二之湯を小差で破り国政選挙に初当選した。当選後国民民主党代表の玉木雄一郎に復党を持ちかけられたが「当面は無所属で、というのが選挙中の(支援者との)約束だ」と断り、同じく野党統一無所属として当選した永江孝子と共に院内会派「碧水会」を結成した。

大津市長選挙公示翌日の2020年1月13日、嘉田が代表を務める政治団体「チームしが」は、越直美市長の後継候補である元市職員の小西元昭の推薦を決定したが、小西は元自民党県議の佐藤健司に敗れた。

2020年9月3日、立憲民主党と国民民主党の合流新党(後の(新)立憲民主党)への入党受け付けが締め切られ、9月7日には玉木雄一郎ら旧国民民主側の合流不参加者を中心とする(新)国民民主党に加わる国会議員の募集が締め切られた。嘉田は一時国民民主党入りを検討していたが、「チームしが」に身の振り方を決めかねている国民民主党の自治体議員がいたことや、衆院選への立候補を予定する県内の野党候補者を平等に応援するなどの理由から、いずれの党にも参加しなかった。これにより無所属での活動を継続することとなった。

2022年8月31日、院内会派「碧水会」を解散。翌9月1日に嘉田は国民民主党の参議院会派に入会した。2023年6月6日、地域政党チームしがの代表を退任し顧問に就任。6月7日に国民民主党に入党した。

2023年11月30日、国民民主党に離党届を提出し、前原誠司らとともに教育無償化を実現する会を結成した。その後、同年12月13日の国民民主党両院議員総会で、提出されていた離党届を受理せず「党の結束を乱した」事により除籍処分となった。

政策・主張

憲法

憲法改正について、2017年のアンケートで「どちらかと言えば賛成」と回答。改正すべき項目として「地方自治」「環境権」「衆議院の解散」を挙げた。

9条改憲について、2017年の朝日新聞滋賀版のアンケートで「反対」と回答。

外交・安全保障

安全保障関連法の成立について、2017年のアンケートで「どちらかと言えば評価しない」と回答。

「他国からの攻撃が予想される場合には敵基地攻撃もためらうべきではない」との問題提起に対し、2017年、2019年のアンケートで「どちらかと言えば反対」と回答。

「北朝鮮に対しては対話よりも圧力を優先すべきだ」との問題提起に対し、2017年のアンケートで「どちらかと言えば反対」と回答。

「非核三原則を堅持すべきだ」との問題提起に対し、2017年のアンケートで「賛成」と回答。

ジェンダー

選択的夫婦別姓制度の導入について、2017年、2019年のアンケートで「賛成」と回答。

同性婚を可能とする法改正について、2017年のアンケートで「どちらかと言えば賛成」と回答。2019年のアンケートで「賛成」と回答。

経済・税制

アベノミクスについて、2017年、2019年のアンケートで「評価しない」と回答。

経済競争力を多少犠牲にしても格差是正を優先すべきという考えにどちらかと言えば近い。

財政赤字は危機的水準であるので、国債発行を抑制すべき。

2017年の衆議院議員選挙に先駆けて行われたアンケートにおいて、消費税10%に「どちらかと言えば反対」、長期的に消費税率を10%よりも高くすることに「どちらかと言えば反対」と回答している。

2019年の参議院議員選挙公示日での第一声では、消費税増税反対を強く訴えた。

所得や資産の多い富裕層に対する課税を強化すべき。

その他

安倍内閣による森友学園問題・加計学園問題への対応について、2017年のアンケートで「評価しない」と回答。

原子力規制委員会の審査に合格した原子力発電所は運転を再開すべき、という考えに対し、2017年のアンケートで「どちらかと言えば反対」と回答。

原発の存置・廃止問題について、2017年のアンケートで「今すぐ原発を廃止すべきだとの考えにどちらかと言えば近い」と回答。

被選挙権を得られる年齢を引き下げることに、どちらかと言えば賛成。

共謀罪の成立を評価しない。

治安を守るためにプライバシーや個人の権利が制約されることに反対。

首相には靖国神社に参拝してほしいという考えに反対。

ひとり親家庭やDINKSなど家族の形は多様でよいという考えに近い。

幼稚園・保育所から大学までの教育を無償化することに賛成。

共同親権の在り方に賛成

議員連盟

人権外交を超党派で考える議員連盟

2024/06/14 17:48更新

kada yukiko


嘉田由紀子と同じ誕生日5月18日生まれ、同じ埼玉出身の人

藤田 かんな(ふじた かんな)
1994年5月18日生まれの有名人 埼玉出身

藤田 かんな(ふじた かんな、1994年5月18日 - )は、埼玉県出身のAbemaTVのアナウンサー。タレント。成蹊大学経済学部卒業。 志望大学の受験に失敗したことから自信をつけるためにモデル活…

成田 剣(なりた けん)
1964年5月18日生まれの有名人 埼玉出身

成田 剣(なりた けん、1964年5月18日 - )は、日本の声優、俳優。埼玉県出身。フリー。 中学3年生の時に文化祭の会場で、好きだったが中々想いを伝われずにいた女子の前で、同級生の男子達のバン…

黒田 海之助(くろだ かいのすけ)
1911年5月18日生まれの有名人 埼玉出身

5月18日生まれwiki情報なし(2024/06/14 15:08時点)

飯野 和好(いいの かずよし)
1947年5月18日生まれの有名人 埼玉出身

飯野 和好(いいの かずよし、1947年 - )は、日本のイラストレーター、絵本作家。神奈川県鎌倉市在住。 埼玉県秩父郡長瀞町出身。戦国時代から続く農家に、3人兄弟の次男として生まれる。電気系の高…

池田 伸康(いけだ のぶやす)
1970年5月18日生まれの有名人 埼玉出身

池田 伸康(いけだ のぶやす、1970年5月18日 - )は、日本の元サッカー選手、現サッカー指導者である。埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。ポジションはミッドフィルダー(攻撃的MF、守備的MF)、…

岡村 政幸(おかむら まさゆき)
1977年5月18日生まれの有名人 埼玉出身

岡村 政幸(おかむら まさゆき、1977年5月18日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手。 尾間木少年団 1993年 - 1995年 浦和学院高校 1996年 - 199…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


嘉田由紀子と近い名前の人

岡田 有希子(おかだ ゆきこ)
1967年8月22日生まれの有名人 愛知出身

岡田 有希子(おかだ ゆきこ、1967年〈昭和42年〉8月22日 - 1986年〈昭和61年〉4月8日)は、日本のアイドル歌手である。本名は佐藤 佳代(さとう かよ)。愛称はユッコ(Yukko)。 …

岡田有希(おかだ ゆき)
1月10日生まれの有名人 出身

岡田 有希(おかだ ゆき、1981年1月10日 - )は、日本の漫画家。 夫は同じく漫画家の寺嶋裕二。1児の母。 2002年に『マガジンFRESH』掲載の『激闘!!ドッヂボール部24時』でデビュー…

岡田 有紀(おかだ ゆき)
1974年2月17日生まれの有名人 千葉出身

2月17日生まれwiki情報なし(2024/06/07 23:46時点)

高田 幸篤(たかだ ゆきとく)
1928年3月3日生まれの有名人 奈良出身

3月3日生まれwiki情報なし(2024/06/07 16:40時点)

仲田友紀子(なかだ ゆきこ)
1998年1月12日生まれの有名人 静岡出身

仲田友紀子(なかだ ゆきこ、1998年1月12日 - )は日本の女優。ATプロダクション所属。 2020年7月12日から、子供番組『パニパニパイナ!2(スカパー)』でメア役を演じている。特技はジャズ…

高田 ゆき(たかだ ゆき)
1970年12月8日生まれの有名人 大阪出身

高田 ゆき(たかだ ゆき、1970年12月8日 - )は、日本の元グラビアアイドル、元キャンペーンガール。大阪府出身。本名、高田有基。 身長163cm、バスト91cm、ウエスト58cm、ヒップ86…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
嘉田由紀子
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

10神ACTOR 原因は自分にある。 SOLIDEMO IMP. 三四郎 M!LK MAZZEL BMK_(音楽グループ) WATWING PRIZMAX 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「嘉田由紀子」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました