土門拳の情報(どもんけん) 写真家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
土門 拳さんについて調べます
■名前・氏名 |
土門拳と関係のある人
荒多惠子: 2007年3月 作品「胸 神」 第13回土門拳文化賞奨励賞受賞。 砂守勝巳: 5月 - 6月、個展『漂う島 とまる水:第15回土門拳賞受賞作品展』(銀座ニコンサロン:大阪ニコンサロン) 藤本四八: 1937年(昭和12年) - 名取洋之助が主催する日本工房に入り、『NIPPON』誌上で土門拳らと共に活動する。 谷口吉生: 資生堂アートハウス(1978年)や土門拳記念館(1983年)、東京都葛西臨海水族園(1989年)の他にも、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、東京国立博物館の法隆寺宝物館、ニューヨーク近代美術館の新館などを手掛けた。 三木淳: しばらくすると、亀倉は写真の技術的なことを、土門拳に教えてもらうように勧めた。 鬼海弘雄: また、2004年には写真集『PERSONA』(ペルソナ)で第23回土門拳賞を受賞したが、これは浅草寺で撮り続けた市井の人々の膨大な写真の一部を収録したものである。 十文字美信: 1991年、第10回土門拳賞 - 「黄金風天人」 捧賢一: 写真を撮るうちに土門拳などの写真集の鑑賞も趣味となった。 佐藤時啓: 2023年6月、郷里で開館40年を迎える土門拳記念館の第5代館長に就任した。 高梨豊: 2012年 第31回土門拳賞(「IN'」) イサム・ノグチ: 土門拳記念館の庭園(1983年) 植田正治: 植田作品は人をオブジェのように配する構図や、逆に物を擬人化するなどの特徴を持ち、土門拳や名取洋之助の時代以降の主観や演出を重視した日本の写真傾向と合致し、また、その後に大きく興隆する 広告写真、ファッション写真とも親近性があったこともあり、次第に評価が高まった。 金村修: 2000年 - 史上2番目の若さで、第19回土門拳賞受賞。 岩田専太郎: 『私の履歴書 芸術家の独創』、田河水泡・土門拳・横尾忠則と共著、日本経済新聞出版社、日経ビジネス人文庫、2008年1月7日 ISBN 4532194342 土田ヒロミ: 2008年、土門拳賞受賞 三木淳: 青年期に『ライフ』(米タイム・ライフ社発行)の表紙に掲載されたマーガレット・バーク=ホワイトの写真と、土門拳が撮影した「傘を回す子供」の写真に感銘を受け、写真家を志す。土門拳、亀倉雄策に師事し、写真を学ぶ。 東松照明: 1961年 - 土門拳らと広島、長崎の被爆者、被爆遺構などを取材、『hiroshima-nagasaki document 1961』(第5回日本写真批評家協会作家賞)を刊行。 長倉洋海: 1993年、土門拳賞受賞。 草柳大蔵: 『日本名匠伝』土門拳写真 駸々堂出版 1974 谷口吉生: 資生堂アートハウスの設計で1984年 日本建築学会賞、土門拳記念館(1983年)の設計で1984年 吉田五十八賞、東京都葛西臨海水族園(1989年)の設計で1990年 毎日芸術賞を受賞するなど受賞多数。 勅使河原蒼風: 三人三様 土門拳,亀倉雄策共著 講談社 1977.1 谷口吉生: 1987年 日本芸術院賞 (土門拳記念館) 三木淳: 彼の師の土門拳が、長いこと『LIFE』に憧れていて果たせなかったことを弟子の彼が実現した」と回想している。 林忠彦: 木村伊兵衛、土門拳、渡辺義雄などと並ぶ昭和を代表する写真家の一人である。 福島菊次郎: 土門拳、木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募していたこともある。 今森光彦: 2009年 第28回土門拳賞 三木淳: 土門拳は酒田市で生まれ、7歳まで過ごした。 三木淳: すでにスーパースターであったアイゼンスタットとバーク=ホワイトが、ジョン・ミリの撮影助手に入り、フラッシュ持ちをしているのを見て「日本で例えるなら、木村伊兵衛が土門拳の撮影助手をするようなものだ」と驚いた。 新正卓: 企画展参加・「土門拳と土門拳賞受賞作品展」土門拳記念館 酒田市 坂田栄一郎: 2005年には今までの人物写真等の功績が讃えられ、「PIERCING THE SKY-天を射る」で第24回土門拳賞、日本写真協会作家賞をダブル受賞した。 |
土門拳の情報まとめ
土門 拳(どもん けん)さんの誕生日は1909年10月25日です。山形出身の写真家のようです。
卒業、兄弟、趣味、現在、事件、退社、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。1990年に亡くなられているようです。
土門拳のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)土門 拳(どもん けん、1909年〈明治42年〉10月25日 - 1990年〈平成2年〉9月15日)は昭和時代に活躍した日本の写真家。 リアリズムに立脚する報道写真、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財を撮影し、第二次世界大戦後の日本を代表する写真家の一人とされる。また、日本の写真界屈指の名文家としても知られた。 1909年10月25日 - 山形県飽海郡酒田町鷹町(現・酒田市相生町)に父熊造、母とみえの長男として誕生。 1916年 - 一家で東京へ移住。 1917年 - 麻布区飯倉小学校に入学。 1918年 - 一家で横浜市磯子区へ移転、磯子小学校へ編入。 1921年 - 一家で同市の神奈川区へ移転、二ッ谷小学校へ編入。絵画を描きはじめる。 1926年 - 土門が描いた十五号の薔薇の油彩が横浜美術展覧会で入選。審査員は安井曾太郎。 1927年 - 考古学に興味を持ち、学校の周囲で土器や石器掘りに熱中する。 1928年 - 旧制神奈川県立第二中学校(現・神奈川県立横浜翠嵐高等学校)卒業。日本大学専門部法科に進学するが中退、 逓信省の倉庫用務員になる。 1929年 - 三味線に熱中し、常盤津の師匠に弟子入りする。 1932年 - 農民運動に参加し、検挙される。 1933年 - 遠縁にあたる宮内幸太郎の写真場に内弟子として住み込み、写真の基礎を学ぶ。 1935年 - 8月1日に電車内であくびをする幼い兄弟をダゴール付きアンゴー8×10.5cm(手札)判でスナップ撮影した「アーアー」が『アサヒカメラ』10月号で月例第一部(初心者)二等に初入選した。またその号に出ていた名取洋之助主宰の第2次日本工房の求人広告に応募、名取のもとで報道写真を撮り始めた。 1936年 - 日本工房発行の欧文雑誌『NIPPON』の記事作成のため、伊豆を取材。この時撮影した「伊豆の週末」や、「かんじっこ」などは、初期の土門の傑作に数えられる。 1937年 - 早稲田大学の卒業アルバムの写真撮影を担当。これは実質的に土門の初めての作品集となる。なお同書は2009年に復刻された。 1938年 - 土門が撮影した、当時の外務大臣・宇垣一成のルポルタージュ、「日曜日の宇垣さん」が、「婦人画報」の9月号と、アメリカのグラフ誌「ライフ」9月5日号に掲載される。濱谷浩、藤本四八、光墨弘、田村茂、林忠彦、加藤恭平、杉山吉良らと「青年報道写真研究会」を結成。 1941年 - 文楽の撮影を開始する。対米宣戦布告の号外を見たのは、大阪四ツ橋の文楽座の楽屋でのことだった。徴兵検査を受けるが不合格となり帰郷。 1943年 - 第1回アルス写真文化賞受賞。荻原守衛の彫刻作品を撮影する。 1946年 - 戦後はじめてとなる古寺の撮影を開始する。 1949年 - 写真雑誌「カメラ」の企画で桑原甲子雄編集長とともに大阪、中国地方の旅に出る。大阪でははじめて安井仲治のオリジナルプリントの作品にふれる。鳥取では植田正治らと撮影会をおこなう。 1950年 - 木村伊兵衛とともに「カメラ」誌の月例写真審査員になり、リアリズム写真を提唱。また木村とともに三木淳の結成した「集団フォト」の顧問になる。 1953年 - 江東区の子どもたちを撮りはじめる。写真集『風貌』(アルス社)刊行。このころからカラーフィルムを使いはじめる。 1954年 - 写真集『室生寺』(美術出版社)刊行。 1957年 - 広島を取材。 1958年 - 写真集『ヒロシマ』(研光社)刊行。同社のカメラ誌「フォトアート」月例審査員を1963年まで断続的に務める。 1959年 - 筑豊炭鉱労働者を取材する。 1960年 - 写真集『筑豊のこどもたち』(パトリア書店)を100円で刊行。続編『るみえちゃんはお父さんが死んだ』(研光社)を完成直後、脳出血を発症。回復後、ライフワークとなる大型カメラによる『古寺巡礼』の撮影を開始。古美術商の近藤金吾の知己を得、骨董に興味を持つ。 1961年 - 「芸術新潮」に『私の美学』を連載。 1962年 - 装幀家の菅野梅三郎との交流がきっかけとなり古陶磁の撮影を始める。 1963年 - 写真集『古寺巡礼』第一集(美術出版社)を刊行。7月に創刊された平凡社の雑誌「太陽」の連載記事「日本のあけぼの」の写真を手がける。後年『日本人の原像』として単行本化。 1964年 - 京都の東寺(教王護国寺)を撮影する。 1965年 - 写真集『信楽大壺』(東京中日新聞社)、『古寺巡礼』第二集(美術出版社)、『大師のみてら 東寺』(東寺保存会 非売品)刊行。 1966年 - 草柳大蔵とのコンビで、平凡社「太陽」に『日本名匠伝』を連載。土門が撮影を担当した勅使河原蒼風の作品集「私の花」(講談社)刊行。考古学研究書『日本人の原像』(平凡社)刊行。芹沢長介と坪井清足がテキストを執筆、福沢一郎が挿画、土門が写真を担当した。同年、日本リアリズム写真集団の顧問に就任。 1967年 - 1月秋田県木地山のこけし職人小椋久太郎を撮影する。『太陽』の依頼で2月と6月の二回にわたり屋久島を訪れ、藪椿や石楠花を撮影。同じく3月に東大寺二月堂のお水取りを撮影。11月には羽田闘争を撮影(最後の報道写真)する。 1968年 - 前年に取材した東大寺のお水取りの模様が平凡社「太陽」1月号に特集記事として掲載される。10年ぶりに再び広島を取材。6月、東京・ニコンサロンで、作品展「憎悪と失意の日日、ヒロシマは続いている」を開催。写真集『古寺巡礼』第三集(美術出版社)刊行。6月、雑誌「太陽」の取材で滞在していた山口県萩市で二度目の脳出血を発症し、九州大学付属病院に緊急入院。右半身不随となるが、左手で水彩画を描いたりしてリハビリテーションに励む。撮影は助手として同行していた弟の牧直視が引き継ぎ、同誌の9月号に特集記事として掲載される。なお、写真のクレジットは牧直視名義となっており、土門の作品が使用されているかは不明。 1969年 - 6月、長野県鹿教湯温泉にある東京大学療養所に転院。リハビリテーションを続ける。 1970年 - 車椅子にて撮影を再開。風景写真を数多く撮る。 1971年 - 写真集『古寺巡礼』第四集(美術出版社)、『薬師寺』(毎日新聞社)、『荻原守衛』(筑摩書房)刊行。『古寺巡礼』の業績に対し第19回菊池寛賞受賞。 1972年 - 写真集『文楽』(駸々堂)刊行。本文は武智鉄二が担当した。同年、紫綬褒章を受章した。 1973年 - 写真集『東大寺』(平凡社)刊行。平凡社「太陽」に『骨董夜話』を連載。 1974年 - 写真集『古窯遍歴』(矢来書院)、『日本名匠伝』(駸々堂)を刊行。初めての随筆集『死ぬことと生きること』正・続(築地書館)刊行。酒田市の名誉市民第一号となる。 1975年 - 写真集『古寺巡礼』第五集(美術出版社)、『私の美学』(駸々堂)、随筆集『骨董夜話』(共著、平凡社)刊行。 1976年 - 初めての風景写真集『風景』(矢来書院)刊行。写真集『子どもたち』(ニッコールクラブ 非売品)、写真論集『写真作法』(ダヴィッド社)刊行。5月より箱根 彫刻の森美術館の野外彫刻の撮影を始める。 1977年 - 日本経済新聞の「私の履歴書」を25回分連載。随筆集『三人三様』(共著、講談社)刊行。写真集『土門拳自選作品集』全三巻(世界文化社)を翌78年にかけ刊行。 1978年 - 3月、初めて雪景の室生寺を撮影。またこの時初めてストロボを使用する。写真集『女人高野室生寺』(美術出版社)、『日本の美』(伊藤ハム栄養食品 非売品)、『生きているヒロシマ』(築地書館)刊行。カメラ誌の月例審査をまとめた『写真批評』(ダヴィッド社)刊行。 1979年 - 写真集『現代彫刻』(サンケイ新聞社)、随筆集『写真随筆』(ダヴィッド社)刊行。7月に生前最期の撮影地となった福井県丹生郡にて越前甕墓や越前海岸などを撮影。これらの写真は「カメラ毎日」1979年11月号などに掲載された。9月11日に脳血栓を発症、昏睡状態となる。 1980年 - 勲四等旭日小綬章を受章した。 1990年 - 9月15日、心不全のため、虎の門病院で死去。80歳。墓所は八柱霊園。
リアリズム写真月例土門日本文化への傾斜「乞食写真」女性ポートレート土門が選んだ世界の写真家ベスト10
第2位 - ムンカーチ・マールトン 第3位 - マン・レイ 第4位 - ブラッシャイ 第5位 - アーウィン・ブルーメンフェルド 第6位 - セシル・ビートン 第7位 - ハーバート・リスト 第8位 - エドワード・ウェストン 第9位 - ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン 第10位 - マーガレット・バーク=ホワイト 土門は完全主義者としても知られており、生来の不器用さを逆手に取り、膨大な出費や労力をいとわず、何度も撮影を重ねることによって生まれる予想外の成果を尊んだ。撮影時の土門の執拗な追求を伝えるエピソードは数多く、1941年に画家の梅原龍三郎を撮影した際は、土門の粘りに梅原が怒って籐椅子を床に叩きつけたが、土門はそれにも動じずその怒った顔を撮ろうとレンズを向け、梅原が根負けした一件や、1967年に東大寺二月堂のお水取りを取材した際にも、自然光にこだわり、真夜中の撮影にもかかわらず一切人工照明を使わず、度重なる失敗にもめげずに撮影を成功させた逸話などがある。撮影中は飲まず食わずで弟子にも厳しく、「鬼の土門」と称されるほどの鬼気迫る仕事ぶりであったが、人を惹き付ける魅力があり、多くの後進を育てた。 弟子には、芹沢長介、八木下弘、三木淳、北沢勉、牧直視、牛尾喜道、藤森武、西川孟、毛利秀之らがいる。 土門は、作品発表の場として展覧会よりも写真集を重視し、『古寺巡礼』全五集(美術出版社、1963年-1975年)などでは撮影から製本の一部始終にまでこだわった結果、定価も第一集が23,000円と、大卒者の初任給が40,000円程度であった当時、大変高価なものになった。 一方、筑豊炭鉱のルポルタージュとなった『筑豊のこどもたち』(1960年)は、誰でも安価に買えるようにと初版はザラ紙を使い出版された。 ダゴール付きアンゴー8×10.5cm(手札)判 ジナーS4x5in判 ニコンSP+ニッコール85mmF1.5、35mmF2.8、28mmF3.5 ミランダT ライカM3+ズミクロン50mmF2、沈胴式エルマー90mmF4 ニコンF2フォトミック+マイクロニッコール105mmF4 2人が対立したのは、著作権の帰属が原因であった。名取洋之助は、ドイツのウルシュタイン社で報道写真家として活躍していた背景から、写真は芸術でも個人の作品でもなく、編集者ひいては雇用者である企業が著作権を持つ物であると考えていた。これに対し写真は表現手段の1つであり、個人の芸術的な所産だと土門は考えていた。この対立には、西洋と東洋、絵画と写真、芸術性・個人性と社会性・集団性・企業性など様々な思想の対立が背景にある。 土門が日本工房で働いていた4年間はプロの写真家としてはまだ駆け出しの頃にあたる。この時代、土門と名取の相性はすこぶる悪く、1936年に土門が伊豆を撮った一連の写真は別にしても、名取は土門の写真をまるで評価していなかった。傍目から見ても、名取は土門をいじめているように見えたという。 名取と土門の対立を決定的にした事件は1937年に起こった。当時アメリカ滞在中だった名取は、グラフ誌『ライフ』に土門の作品を名取名義で発表したのである (1937年8月の『ライフ』の特集の中で、名取の作品の中に土門の写真が組み込まれていたが、すべてが名取の名前で公表されていた)。ただ、これは名取に一方的な非があったわけではない。当時は海外配信システムが日本政府によって統制されており、土門の場合に限らず、写真の発表は名取の名前で配信することになっていためやむを得ない面があった。いずれにしても、撮影者の名前でではなく名取の名前で発表されることに土門は不満だった。 このことに土門は怒り、1年後の1938年、土門はタイムライフ社からの依頼により、当時の外相の宇垣一成を取材。同時に取材していた木村伊兵衛を出し抜き、「ライフ」誌に「KEN DOMON」の特注のスタンプを捺した自分の作品を投稿した。土門は、名取が中国に出張中で不在だった時期を狙って写真を送った。土門の写真は採用され、Japan's foreign minister, posed at home and ahorse, asks help against China〈LIFE Magazine - September 5, 1938 Fall Fashions〉の記事内で使用された。ライバルの木村はもとより、名取への大きな反撃となった。しかし、この当時、日本政府の統制下にあって、対内外宣伝写真の撮影は秘密厳守が求められており、土門のこの行動は政府による規制に違反していた。当然、名取は激怒した。程なくして土門は日本工房を退社、名取との関係に自ら終止符を打った。こうして2人の仲は決裂し、土門は師の名取の葬儀にも参列をしぶる程になってしまった。しかし、土門は写真家としての名取には敬意を払っていたようで、名取の写真集『麦積山石窟』(1957年出版)は、自著で評価を与えている。また名取も、滅多に人を褒めなかったが、土門が辞めたのち『NIPPON』8号に掲載した土門の作品『伊豆』を「傑作だよ。あれはそうそう撮れるもんじゃねぇ」と激賞していたという。 土門は、新しい撮影にとりかかる前には、準備のために多くの文献を読むことを自らに課していたが、個人的にも、志賀直哉や武田麟太郎、トーマス・マンなどを愛読するなど、文学好きとしても知られていた。また、1950年代に、カメラ雑誌の審査員を務めていた際には、見どころのある応募作品の裏に、感想や激励の文章をしたためて返送したり、読者からの質問や身の上相談があると、長文の手紙を送るなど、筆まめとして知られていた。写真集の解説も自ら手がけることが多く、『古寺巡礼』全五集(美術出版社)などは、文章だけで一冊の本に相当するほどの解説を書いている。書かれたテーマは写真、美術、人生観や食べ物に関するものなど幅広い。土門の文章は『死ぬことと生きること』正・続(築地書館)、『写真作法』、『写真批評』、『写真随筆』(ダヴィッド社)、『拳眼』、『拳心』、『拳魂』(世界文化社)などでまとめて読むことができる。 また、土門は若い頃から書写を日課としており、大雅堂や大燈国師を手本としていた。『風貌』の撮影の際には、撮影したい人物の名前を自宅の襖に毛筆で列記し、それが終わるたびに新しく襖を張り替えたことは有名である。出版会や展覧会などで筆をとることも多かったが、1968年に脳出血のために半身不随になってからは、左手で揮毫するようになった。自著の題字を書くことも多く、『信楽大壺』、『古窯遍歴』、『死ぬことと生きること』、『骨董夜話』、『私の美学』、『風景』(矢来書院)、『子どもたち』(ニッコールクラブ)、『生きているヒロシマ』、『写真作法』、『写真批評』、『写真随筆』の題字は土門の筆によるものである。 土門は少年時代には画家を志しており、1926年には、地方の展覧会で入選するほどの画才を持っていた。写真家として大成したのちも、機会あるごとに絵筆をとり、1950年には親交のあった画家、原精一や鳥海青児とのグループ展に絵画を出品したこともある。出品作のひとつ「Y嬢」は、モディリアーニ風の優れた油彩として知られている。また1968年に2度目の脳出血で入院した折にはリハビリテーションのために左手で100点以上の水彩画を描いている。美術界での交流も幅広く、前述の二人のほか華道家の勅使河原蒼風と、グラフィックデザイナーの亀倉雄策とは、お互いに風貌が似ているところから、周囲から3兄弟と呼ばれるほどに篤い親交を結んでいた。互いの制作活動に参加することも多く、三人の共同制作による作品にはポスター『仏陀』(1961年)や、随筆集『三人三様』(1977年)などがある。 第二次世界大戦中は、名取洋之助を批判しつつも、それとは別の視点から国策に協力し、海外向け写真誌に掲載する写真の撮影を請け負っているが、海軍飛行予科練習生の撮影時には構図にこだわるあまり訓練を何度もやり直させたため予科練生らには不評だったという。戦後は、この戦時中の活動や自己の考え方については触れることがなかった。これに対しては「ここで沈黙を続けたことで、その後弁明する機会を逸してしまったと理解される」という評価もなされている。 仕事場は築地明石町にあり、本人によると「印画紙の水洗の水の量がすごいので水道代は町内のフロ屋の次だった」という。 『古寺巡礼』の撮影を始めた時には半身不随となり、2度目の脳出血では車椅子生活を送りながらも、弟子に指示しながら精力的に撮影した。 1978年度「朝日賞」を受賞した(「古寺巡礼」をはじめとする写真家としての多年の業績)。 「土門拳賞」 - 1981年、毎日新聞社が制定した。社会・人物・自然などを中心にした作品が対象。 土門拳記念館 - 1983年10月、開館。故郷の山形県酒田市の飯森山公園にある。全作品を収蔵する。建築家谷口吉生が設計。 「酒田市土門拳文化賞」 - 1994年に酒田市が設立。アマチュア写真家の作品が対象。 小惑星「(5187) Domon」は土門に因んで命名された。 『風貌』アルス社、1953年 北川桃雄 文『室生寺』美術出版社、1954年9月15日。NDLJP:2468753。 (要登録) 『ヒロシマ』研光社、1958年。NDLJP:2485446。
『筑豊のこどもたち』パトリア書店、1960年/築地書館、1977年 『るみえちゃんはお父さんが死んだ』研光社、1960年 『古寺巡礼』全五集、美術出版社、1963年~75年。国際版も出版 小川冨士夫『信楽大壷』東京中日新聞出版局、1965年3月1日。NDLJP:8799385。 (要登録) 『大師のみてら東寺』東寺文化財保存会、1965年10月30日。NDLJP:2531709。 (要登録)(非売品) 福沢一郎・芹沢長介・坪井清足『日本人の原像』平凡社、1966年1月22日。NDLJP:3025747。 (要登録) 『私の花』(共著)講談社、1966年 毎日新聞社 編『薬師寺』毎日新聞社、1971年6月10日。NDLJP:12634828。 (要登録) 『荻原守衛』筑摩書房、1971年 『文楽』駸々堂出版、1972年 『東大寺』平凡社、1973年 草柳大蔵『土門拳 日本名匠伝』駸々堂出版、1974年5月20日。NDLJP:12417035。 (要登録) 『古窯遍歴』矢来書院、1974年10月30日。NDLJP:12653971。 (要登録) 『私の美学』駸々堂出版、1975年 『骨董夜話』(共著)平凡社、1975年 『風景』矢来書院、1976年 『こどもたち』ニッコールクラブ、1976年(非売品) 『土門拳自選作品集』全三巻、世界文化社、1977~78年 『日本の美』伊藤ハム、1978年(非売品) 『現代彫刻』産経新聞社、1979年 『土門拳 艶 日本の美 現代日本写真全集7』集英社、1980年 『土門拳 昭和写真・全仕事』朝日新聞社、1982年 『土門拳 古寺巡礼』美術出版社、1996年。大著 『土門拳 日本の写真家16』岩波書店、1998年。小著 『土門拳全集』全13巻、小学館、1983~85年 『土門拳の古寺巡礼』全7巻、小学館、1989~90年。普及版 『土門拳の昭和』全5巻、小学館、1995年。普及版 『古寺巡礼 愛蔵版』小学館、1998年。各・土門たみ監修 『風貌 愛蔵版』小学館、1999年 『昭和のこども 愛蔵版』小学館、2000年 『死ぬことと生きること』築地書館、1974年、普及版1982年ほか
『続・死ぬことと生きること』築地書館、1974年、普及版1990年ほか。各・愛蔵限定版も刊 『写真作法』ダヴィッド社、1976年。ISBN 978-4804800783 勅使河原蒼風・亀倉雄策『三人三様』講談社、1977年1月20日。NDLJP:12417284。 (要登録) 『写真批評』ダヴィッド社、1978年。ISBN 978-4804800790 『写真随筆』ダヴィッド社、1979年。ISBN 978-4804800806 日本経済新聞社 編『私の履歴書』《文化人 8》日本経済新聞社、1984年1月10日。ISBN 4-532-03078-1。NDLJP:12255677。 (要登録) 『土門拳の伝えたかった日本』毎日新聞社、2000年、新版2011年 ISBN 9784620606569 『土門拳自選作品集 新装版』世界文化社、2009年 ISBN 9784418099047 『鬼の眼 土門拳の仕事』光村推古書院、2016年 ISBN 9784838105540 『拳眼』世界文化社、2001年 ISBN 9784418015214 『拳心』世界文化社、2001年 ISBN 9784418015221 『拳魂』世界文化社、2002年 ISBN 9784418025091 『土門拳の早稲田1937』講談社、2009年 ISBN 9784062155007 『土門拳の昭和』クレヴィス、2010年、新版2022年、ISBN 9784909532749 『土門拳の古寺巡礼』クレヴィス、2011年、ISBN 9784904845134 『寺と仏像手帳』藤森武・堀内伸二監修、東京書籍、2018年、ISBN 9784487811939 『土門拳の室生寺』クレヴィス、2019年、ISBN 9784909532312 『土門拳の風貌』クレヴィス、2022年、ISBN 9784909532725 『土門拳のこどもたち』クレヴィス、2022年、ISBN 9784909532893 『古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ』小学館文庫、2001年 ISBN 9784094114218 『古寺を訪ねて 奈良西ノ京から室生へ』小学館文庫、2001年 ISBN 9784094114225 『古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ』小学館文庫、2001年 ISBN 9784094114232 『古寺を訪ねて 東へ西へ』小学館文庫、2002年 ISBN 9784094114249 『腕白小僧がいた』小学館文庫、2002年 ISBN 9784094114256 『強く美しいもの 日本美探訪』小学館文庫、2003年 ISBN 9784094114263 『逆白波のひと・土門拳の生涯』 佐高信解説、小学館アートセレクション、2003年 ISBN 9784096070154 『土門拳1 古寺巡礼』 小学館アーカイヴスベスト・ライブラリー06、2006年 ISBN 9784091054067 『土門拳2 こどもたち』 小学館アーカイヴスベスト・ライブラリー13、2006年 ISBN 9784091054135 『土門拳3 風貌』 小学館アーカイヴスベスト・ライブラリー29、2006年 ISBN 9784091054296 『写真と人生 土門拳エッセイ集』阿部博行編、岩波書店同時代ライブラリー、1997年 『風貌 私の美学 土門拳エッセイ集』酒井忠康編、講談社文芸文庫、2008年。ISBN 978-4062900119 『土門拳 写真論集』田沼武能編、ちくま学芸文庫、2016年。ISBN 978-4480097118 阿部博行『土門拳 生涯とその時代』法政大学出版局、1997年、新装版2007年 都築政昭『火柱の人 土門拳』近代文芸社、1998年 都築政昭『土門拳と室生寺』KKベストセラーズ新書、2001年 都築政昭『土門拳の写真撮影入門』近代文芸社、2004年
三島靖『木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯』平凡社ライブラリー、2004年 岡井耀毅『土門拳の格闘 リアリズム写真から古寺巡礼への道』成甲書房、2005年 倉田耕一『土門拳が封印した写真 鬼才と予科練生の知られざる交流』新人物往来社、2010年 八木下弘『土門拳を撮る』築地書館、1982年 - 以下は弟子の回想 藤森武・写真『土門拳 骨董の美学』平凡社コロナ・ブックス、1999年 藤森武監修『土門拳 鬼が撮った日本』平凡社 別冊太陽スペシャル、2009年 牛尾喜道・藤森武『我が師、おやじ・土門拳』朝日新聞出版、2016年 高橋美緒、ふるさと偉人マンガ「土門拳」製作活用検討委員会 監修『リアリズム写真の巨匠 鬼の眼 土門拳』山形県酒田市、2024年3月。 https://www.bgf.or.jp/bgmanga/307/
文楽
寺院・仏像
室生寺
風景
脚注
^ “土門拳とその作品”. 土門拳記念館. 2024年5月11日閲覧。 ^ 現代物故者事典1988~1990:日外アソシエーツ編、紀伊国屋書店発行 1993 ^ “傑作選ー戦前ー”. 土門拳記念館. 2024年5月11日閲覧。 ^ “文楽”. 土門拳記念館. 2024年5月11日閲覧。 ^ “土門拳記念館”. 酒田市 (2023年4月7日). 2024年5月11日閲覧。 ^ 『日本の彫刻 Ⅴ「平安時代」』美術出版社、1952年-03-05日。 鑑賞の位相―美術出版社刊『日本の彫刻』をめぐって (PDF) (増田玲 東京国立近代美術館) ^ “ヒロシマ”. 土門拳記念館. 2024年5月11日閲覧。 ^ “銀座ニコンサロン”. ニコン. 2024年5月11日閲覧。 ^ “ヒロシマの記録1968 6月”. ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞. 2024年5月11日閲覧。 ^ 岡井耀毅『土門拳の格闘 リアリズム写真から古寺巡礼への道』成甲書房、2005年、408頁。 ^ 「月例総評」『カメラ』1953年6月号。 ^ 「月例総評」『カメラ』1953年10月号。 ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、101頁。ISBN 9784309225043。 ^ 『季刊クラシックカメラNo.1ライカ』p.010。 ^ 『ニコンの世界第6版』p.146-149。 ^ 『別冊太陽 土門拳 鬼が撮った日本』平凡社、2009年3月10日、96頁。 ^ 『別冊太陽 土門拳』p.177. ^ 『別冊太陽 土門拳』p.97. ^ 石川保昌解説、小柳次一写真『従軍カメラマンの戦争』新潮社、1993年8月5日、84頁。ISBN 4-10-393601-0。 ^ 「土門拳の予科練写真 発見」河北新報2015年8月16日 ^ 柴岡信一郎『報道写真と対外宣伝~15年戦争期の写真界』日本経済評論社、2007年、110頁。 ^ “朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2024年5月11日閲覧。 ^ “(5187) Domon = 1975 VU4 = 1979 ON4 = 1985 UB4 = 1985 VT3 = 1990 TK1”. 2022年12月22日閲覧。 ^ “生きているヒロシマ”. 築地書館. 2024年5月11日閲覧。 ^ “マンガふるさとの偉人 発売!”. 土門拳記念館. 2024年5月11日閲覧。 『クラシックカメラ専科No.17、フォクトレンダーのすべて』朝日ソノラマ 『季刊クラシックカメラNo.1ライカ』双葉社 ISBN 4575471046 日本光学工業『ニコンの世界第6版』 1978年12月20日発行
現代写真研究所 日本の写真家一覧 『土門拳』 - コトバンク 『土門 拳』 - コトバンク 土門拳写真美術館(旧・土門拳記念館)(山形県酒田市) 土門拳記念館 - 酒田市 鬼と呼ばれた写真家 土門拳 - YouTube 土門拳ってどんな人 八柱霊園に眠る著名人 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 若村麻由美 北勝海信芳 今西陽一郎 三田佳子 片岡孝夫 伊藤京子 森祇晶 浅野温子 安野光雅 伊勢桃代 新井満 山口智子 千代の富士貢 沖清司 千代の富士貢 いしだあゆみ ねじめ正一 小林浩美 中村勘九郎 村崎芙蓉子 西田敏行 石岡瑛子 斎藤雅樹 渡辺梓 沖清司 山本陽子 中村鴈治郎 諏訪内晶子 野田秀樹 コシノジュンコ 渡辺久信 森口祐子 松岡修造 沢口靖子 真田広之 小林由紀子 増井光子 山崎豊子 秋山幸二 芦原すなお 荻野アンナ 若花田勝 貴花田光司 緒形直人 鷲尾いさ子 田中好子 内林達夫 有森裕子 曙太郎 古賀稔彦 富司純子 中田久美 野茂英雄 村上弘明 伊藤みどり 森光子 高橋克彦 松尾武 三田佳子 米長邦雄 市川團十郎 細川直美 筒井道隆 つみきみほ 松原敏春 平瀬真由美 宮尾登美子 川淵三郎 内館牧子 田村亮子 植木等 野村克也 中丸三千繪 古田敦也 ミヤコ蝶々 曙太郎 古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 北大路欣也 武良布枝 大竹しのぶ 田中将大 コシノジュンコ 三谷幸喜 鈴木京香 佐々木則夫 鈴木明子 松山ケンイチ 松井冬子 琴奨菊和弘 綾瀬はるか 尾木直樹 澤穂希 中村勘九郎 樹木希林 桂文枝 吉田沙保里 入江陵介 菅野よう子 日馬富士公平 田中将大 滝川クリステル 宮藤官九郎 宮本信子 杉良太郎 風吹ジュン 岡田准一 杏 片岡愛之助 阿川佐和子 中園ミホ 尾上松也 蜷川実花 山中伸弥 井上真央 阿部寛 仲間由紀恵 タモリ 黒柳徹子 羽生結弦 堺雅人 長澤まさみ 大泉洋 土屋太鳳 三宅宏実 上橋菜穂子 所ジョージ 有村架純 又吉直樹 高畑充希 辻沙絵 草刈正雄 新垣結衣 大谷翔平 萩野公介 伊調馨 秋本治 春風亭昇太 村田沙耶香 村田諒太 村上茉愛 加藤一二三 吉岡里帆 高橋一生 宮本信子 鈴木亮平 林真理子 阿部サダヲ 安藤サクラ 池江璃花子 小平奈緒 佐藤健 出川哲朗 永野芽郁 中村勘九郎 夏井いつき 野村萬斎 長谷部誠 井上尚弥 上沼恵美子 サンドウィッチマン 渋野日向子 瀬戸大也 田中圭 戸田恵梨香 中西麻耶 長谷川博己 広瀬すず 吉野彰 黒柳徹子 サンドウィッチマン 杉咲花 染谷将太 チコちゃん 宮崎美子 宮本亞門 室伏広治 吉沢亮 石川佳純 清原果耶 小池栄子 坂口健太郎 谷真海 三谷幸喜 芦田愛菜 黒柳徹子 西村宏堂 羽生結弦 坂東彌十郎 福原遥 松本潤 村上宗隆 森保一 吉田都 北口榛花 国枝慎吾 堺雅人 俵万智 寺島しのぶ 寺田宜弘 バカリズム 吉高由里子 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー フランス BnF data ドイツ イタリア イスラエル アメリカ 日本 チェコ オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research ニューヨーク近代美術館 写真家識別目録 オランダ美術史研究所データベース ULAN SNAC IdRef 土門拳 20世紀日本の写真家 日本のフォトジャーナリスト NHK紅白歌合戦審査員 ストリート・フォトグラファー 勲四等旭日小綬章受章者 紫綬褒章受章者 朝日賞受賞者 菊池寛賞受賞者 みんなのうたの映像制作者 私の履歴書の登場人物 神奈川県立横浜翠嵐高等学校出身の人物 山形県出身の人物 1909年生 1990年没 経歴が年譜のみになっている人物記事 記事名の制約を受けている記事 言葉を濁した記述のある記事/2011年以前 2024/11/10 15:07更新
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domon ken
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