大河内一男の情報(おおこうちかずお) 経済学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大河内 一男さんについて調べます
■名前・氏名 |
大河内一男と関係のある人
中山伊知郎: (有沢広巳・大河内一男)『新しい社会労使関係』(サンケイ新聞社出版局, 1967年) 後藤誉之助: (大河内一男)賃金決定(労働法学研究所、1957) 河合栄治郎: また、河合門下三羽烏と呼ばれる大河内一男・安井琢磨・木村健康らを育てた。 西山夘三: 大河内一男に推薦されて文部省推薦図書となる。 幸徳秋水: 大河内一男『幸徳秋水と片山潜-明治の社会主義』(『講談社現代新書』)、講談社、1972年(昭和47年)。 太田垣士郎: 1964年、財団法人サンケイスカラシップの発起人として小林中、大河内一男、高村象平、水野成夫、鹿内信隆、沢村義夫等と共に名を連ねている。 岸本英太郎: 大河内一男らと社会政策本質論争を行う。 大浜信泉: 大学総長の実務を取り仕切る中で沖縄復帰運動にも関わり、1962年には茅誠司・大河内一男ら有志で「沖縄問題を話し合う会」を結成、1964年にはこれを沖縄問題解決促進協議会に進展させ代表委員となった。 岸本英太郎: 『労働組合と社会政策』大河内一男共編、有斐閣、1959 奥田東: また、同級生には大河内一男がいた。 隅谷三喜男: 敗戦後の1946年に帰国し、東大大河内一男門下で労働問題の理論的、実証的研究に努め、戦後の労働経済学に道をひらいた。 堺屋太一: ただ、教養課程で他分野を学ぶうち、高校時代からの経済学への興味に気づき、(東大)経済学部へ転入し、大河内一男教授(後の総長)に師事。 和田春生: 『企業繁栄のための労使関係』大河内一男,鈴木哲夫共著 日本生産性本部 現代労使関係シリーズ 1965 アダム=スミス: 『富国論』、『諸国民の富』などとも訳される(ex. 大河内一男監訳『国富論III』中公文庫、p.465)。 水田洋: 高島、大河内一男、大道安次郎を、日本における本格的なアダム・スミス研究の第1世代としたとき、水田は、内田義彦、小林昇と並んで第2世代を形成した。 |
大河内一男の情報まとめ
大河内 一男(おおこうち かずお)さんの誕生日は1905年1月29日です。東京出身の経済学者のようです。
卒業、テレビに関する情報もありますね。1984年に亡くなられているようです。
大河内一男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大河内 一男(おおこうち かずお、1905年〈明治38年〉1月29日 - 1984年〈昭和59年〉8月9日)は、日本の経済学者。位階は正三位。 東京大学総長、同名誉教授。専修大学学長。日本学士院会員。専攻は社会政策。 1905年、東京下谷生まれ。東京府立第三中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学に入学。大学では河合栄治郎に師事した。 大学卒業後、東京帝国大学経済学部助手に採用され、のちに講師昇進。しかし、平賀粛学に際して1939年(昭和14年)1月30日に辞表を提出。しかし平賀譲総長から慰留され、対処をめぐって改めて師の河合栄治郎、河合門下の三羽烏と呼ばれた木村健康・安井琢磨と相談をしたところ、あくまで辞表を撤回するなとする師のメッセージに、それまで持っていた師のイメージが変わってしまい、師と袂を分かつ決意をする。また、平賀譲総長の懇請を受けていたこともあり、経済学部に留まることを決意し、辞表を撤回した。戦時期においては風早八十二とともに生産力理論を提唱した。 戦後は、1945年(昭和20年)11月、文部省が設置した公民教育刷新委員会の委員に就任。また、東京帝国大学経済学部教授との兼任で1946年(昭和21年)~1949年(昭和24年)、1946年(昭和21年)4月に専修大学経済学部長をつとめた。1947年(昭和22年)12月、専修大学学長に就任。1949年(昭和24年)3月退任。退任後は学監となった。1951年(昭和26年)7月、経済学博士号を取得。1962年~1968年、東京大学総長。在任中の1968年(昭和43年)に東大紛争が発生し、同年11月1日、全学部長、評議員とともに紛争の責任をとって辞任。法学部教授加藤一郎が総長代行となった。 学界では、1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)まで社会政策学会代表幹事。1973年(昭和48年)より世界平和アピール七人委員会委員。同年、ラボ国際交流センターの創設にあたっては会長となった。1980年(昭和55年)より社会経済国民会議議長。 1984年(昭和59年)8月9日、両側性気管支肺炎のため駿河台にある杏雲堂病院で死去。 1981年4月29日:叙勲一等授瑞宝章。 1984年:叙正三位、賜銀杯一組。 19世紀後半のドイツ歴史学派経済学による社会政策とは国家学の一つであった。当時のドイツでは社会問題の深刻化に加えて、社会主義運動の高まりに対抗するために、その対策として社会政策が唱えられた。大河内はマルクス経済学によって歴史学派を批判し、国家学としての社会政策学を理論的に確立しようとした。 大河内理論によれば、社会政策は資本主義社会において、労働力の保全または培養のために必要不可欠である、とされる。社会政策の目的を達成するためには 総体としての資本が労働力の一定数量を円満に確保すること 総体としての資本が労働力を収奪しつくしたり消耗しつくさないようにすること 総体としての資本が労働者側の社会的要求や社会的自覚に適切に対応すること が必要だとした。 この大河内理論は他のマルクス主義者服部英太郎や岸本英太郎らは、生産力理論には「生産関係・階級闘争の視点が欠けている」と批判した。また、大河内の理論では「社会政策=労働政策」と捉えられたため、国家論としての射程が狭められるきっかけをつくったと批判された。これは学会では「社会政策論争」と呼ばれ、当時の社会政策学者のほとんどが参加したが、大河内理論を中心として、社会政策の理論が前進したという意義は大きい。 粕谷一希は、その著書『河合栄治郎』の中(147ページ)で「『大河内理論』なるものは『社会政策とは労働者政策ではなく、労働力政策である』という有名な命題を中心としているが、マルクスの資本論を巧みに解釈したその体系は、河合栄治郎の生涯を賭けた人格主義とは無縁であり、自らの立場を、『総資本対総労働』という体系のなかで、どこへでも移行できる便利な理論である。大河内理論は、その巧妙さによって戦中戦後をすり抜けてきたのである」とし「私は最終的にこの人(大河内一男)の存在と学問を信ずる期にはなれない」と批判している。 大河内家は松平信綱の末裔。 父:大河内翠山(大河内発五郎)は講談や児童向け読み物の作者であり、日本の速記史上の重要人物でもある。速記者の待遇改善に大きな貢献をした。 長男:大河内暁男は経済史家。 東大総長時代、1964年3月28日の卒業式における式辞で「いくら東大卒だからといって、エリートとして人生を生きてはならない、太った豚より痩せたソクラテスになれ。」と訓示したという話が流布されている。ただし、この発言は予定稿にはあったが、実際の式では読み飛ばされてしまっており、にもかかわらず草稿を入手したマスコミによって、大河内の言葉として広められてしまったものという。原文はジョン・スチュアート・ミルの引用であることを明記してあり、文章も異なるものであった。 実際の式辞草稿の該当箇所は以下の通りである。 この一文はミルの『功利主義論』の「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい」という一文を、不正確に引用したものと考えられている。 当時は新聞の夕刊に間に合わせるため、東大総長は式辞を事前に原稿化しておき、そのプリントを記者に配布する習慣になっていた。ところが、大河内が実際には当該箇所を読み飛ばしていたにもかかわらず、新聞各紙は配布された原稿をもとに記事をまとめた上、当該箇所を見出しに用いた新聞もあった(つまり誤報である)。大河内は4月15日付『朝日新聞』朝刊に一文を寄せ、実際には読み飛ばしていた事情を明かした上で、「多少きざっぽく思われ出したので、結局告辞のなかで引き合いに出さないでよかったような気がしている」とコメントしている。 大河内自身は、読み飛ばしは意図的なものではなく、写真のフラッシュやテレビカメラのライトのせいで目がチカチカしていて読めなかった、と釈明している。しかし、石井洋二郎はこの説明について、当該箇所は原稿の後半であり、その時間までフラッシュが頻繁に焚かれ続けたとは考えにくい上、フラッシュで読めないのは一瞬だけなので少し待てばよく、また、原稿を読めないほどライトがきつかったとすると、なぜ他の部分は読み上げることができたのか説明がつかない、と疑問を呈している。 大東文化大学板橋図書館には大河内一男、大河内暁男、大河内昭子旧蔵書が「大河内文庫」として残されている。 『独逸社会政策思想史』日本評論社 1936 『社会政策の基本問題』日本評論社 1939年 『戦時社会政策論』時潮社 1940年 『スミスとリスト 経済倫理と経済理論』日本評論社 1943 『日本資本主義と労働問題』白日書院 1947年 『労働組合と失業問題』白日書院 1947年 『社会科学と知識層』勁草書房 1948 『国民生活の理論』光生館 1948 『社会政策総論』有斐閣全書 1949 『学生と社会科学』社会科学を如何に学ぶべきか 啓示社 1949 『社会問題』三省堂出版 1950 『経済思想史』1-2 勁草書房 1950-1958 『社会政策原理』勁草書房 1951 『社会思想史』有斐閣 1951 『黎明期の日本労働運動』岩波新書 1952 『社会政策の経済理論 続社会政策の基本問題』日本評論新社 1952 『社会科学入門』要選書 1952 『社会政策各論』有斐閣全書、1952 『日本労働組合論』慶友社 1953 『労働問題』弘文堂 1955 『欧米旅行記』 時事通信社 1955 『戦後日本の労働運動』岩波新書 1955 『経済学入門』 青林書院、1956 『労働組合運動の再出発「企業別組合」の内と外』日本評論新社 1956 『労働組合運動への提言』三芽書房 1957 『社会思想史要綱 青林書院 1957 『現代知性全集』8,大河内一男集 日本書房 1959 『新しい労使関係のために』正続 有信堂・文化新書 1959-1960 『貧乏物語』文藝春秋新社 1959 『日本的中産階級』 文藝春秋新社 1960 『日本の労働組合』 慶友社 1961 『これからの労働組合』 至誠堂 1961 『労働組合』有斐閣、1963 『社会政策講義 1-2 有信堂、1963-1965 『労働問題入門』1964年、青林書院新社 『私の経済成長論 文藝春秋新社 1964 『私の人間像』 東京大学出版会 1965 『これからの労働組合』 至誠堂新書 1965 『これからの労使関係』 講談社現代新書 1966 『私の教育論』 東京大学出版会 1967 『自分で考える 思想との対話』 講談社 1967 『社会政策講義』 第3 時間と賃金 有信堂 1968 『経済学講義』 青林書院新社、1968 『私の大学論』 東京大学出版会 1968 『大河内一男著作集』全5巻 青林書院新社 1968-1969 『経済学史入門』 青林書院新社 1970 『自分を生かす』 福村出版 1970 『社会政策四十年 追憶と意見』 東京大学出版会 1970 『暗い谷間の労働運動 大正・昭和(戦前)』岩波新書 1970 『賃銀』有斐閣、1970 『日常茶飯 読売新聞社 1971 『社会政策論の史的発展』大河内一男社会政策論集1(有斐閣、1972) 『労使関係論の史的発展』大河内一男社会政策論集2(有斐閣、1972) 『労使関係の曲り角 労使関係セミナー記録 有信堂 1972 『幸徳秋水と片山潜 明治の社会主義』講談社現代新書 1972 『余暇のすすめ』中公新書 1974 『人類の知的遺産 アダム・スミス 講談社 1979 『暗い谷間の自伝 追憶と意見』中公新書 1979 『大河内一男集』全8巻 労働旬報社 1980-1981 『日本人の生活と労働』日本放送出版協会 1981 『経済のソフト化と労使関係』 時潮社 1986.9 『国民生活の課題』(編著、1943年、日本評論社) 『日本を考える』 中山伊知郎対談 田代書店 1973 『現代英吉利経済の分析』 ドイツ対外政策研究所編 横山正彦共訳 国際書房、1943 『労働組合 その組織と発展』 フィリップ・タフト 川田寿共訳 時事通信社 1956 『労働組合』 エリック・L.ウィガム 秋田成就共訳 紀伊国屋書店 1958 『経営労働賃金』 ジョン・P.ウィンドミューラー編 関谷耕一共訳 時事通信社 1959 (「国富論」は監訳となっているが訳者ではない) 『大河内一男先生還暦記念論文集』第1集 社会政策学の基本問題 有斐閣 1966 『大河内一男先生還暦記念論文集』第2集 労働経済と労働運動 有斐閣 196 ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、349頁。ISBN 4-00-022512-X。 ^ 大谷正, 青木美智男, 新井勝紘, 樋口義雄, 繁住敏郎, 斉藤昇, 秩父勇一, 長谷川冨士雄, 古家保ニ「戦中・戦後の専修大学を語る : 専修大学の新たな出発 ; 旧制大学から新制大学へ」『専修大学史紀要』第2巻、専修大学大学史資料課、2010年、9-33頁、ISSN 18839223。 ^ 大河内一男『独逸社会政策思想史』 東京大学〈経済学博士 報告番号不明〉、1951年。NAID 500000495113。http://id.ndl.go.jp/bib/000010662960。 ^ 「《歴代本部校および代表幹事・事務局一覧》」社会政策学会 ^ ラボの精神 ^ 歴代議長(社会経済国民会議)日本生産性本部 ^ この論争についての文献は、社会政策一般の文献も含め、大河内一男『社会政策(総論)増訂版』1980年の「文献改題」に詳しい ^ 関連書籍に、竹島茂『速記曼荼羅鉛筆供養―大河内翠山と同時代の速記者たち』がある ^ “平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞”. 東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部. 歴代学部長メッセージ 石井洋二郎 (2015年3月25日). 2022年4月23日閲覧。 ^ “東大卒業式、抜群のセンスでコピペ情報に警鐘 「肥った豚…」ネタに”. withnews. 朝日新聞社 (2015年4月6日). 2022年4月23日閲覧。 ^ 東京大学創立一二〇周年記念刊行会 編『東京大学歴代総長式辞告辞集』東京大学、1997年11月15日、460頁。ISBN 4-13-001073-5。 ^ 石井洋二郎『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』新潮社〈新潮新書〉、2003年3月20日、127-128頁。ISBN 978-4-10-610988-1。 ^ 3月28日付の『朝日新聞』夕刊は「“やせたソクラテスたれ” 東大卒業式・大河内学長告辞」、『読売新聞』夕刊は「やせたソクラテスになれ 東大の卒業式で大河内学長説く」と報じている。なお、どちらも記事本文では、大河内の原稿通りにミルからの引用であることを明記している。 ^ 大河内一男「豚とソクラテス」『朝日新聞』1964年4月15日、朝刊、11面。 ^ 石井洋二郎『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』新潮社〈新潮新書〉、2003年3月20日、128-130頁。ISBN 978-4-10-610988-1。 ^ 「大河内文庫を考える―大河内一男を中心に―」 大河内一男(Yahoo!百科事典) 大河内一男とは(コトバンク) 表 話 編 歴 法理文三学部綜理 加藤弘之 1877-1881 医学部綜理 池田謙斎 1877-1881 加藤弘之 1881-1886 事務取扱 外山正一 1886 事務取扱 外山正一 1886 初代 渡辺洪基 1886-1890 第2代 加藤弘之 1890-1893 第3代 浜尾新 1893-1897 第3代 浜尾新 1897 第4代 外山正一 1897-1898 第5代 菊池大麓 1898-1901 第6代 山川健次郎 1901-1905 第7代 松井直吉 1905 第8代 浜尾新 1905-1912 事務取扱 桜井錠二 1912 第9代 山川健次郎 1913-1920 第10代 古在由直 1920-1928 第11代 小野塚喜平次 1928-1934 第12代 長与又郎 1934-1938 事務取扱 佐藤寛次 1938 第13代 平賀譲 1938-1943 事務取扱 寺沢寛一 1943 第14代 内田祥三 1943-1945 第15代 南原繁 1945-1947 第15代 南原繁 1947-1951 第16代 矢内原忠雄 1951-1957 第17代 茅誠司 1957-1963 第18代 大河内一男 1963-1968 事務取扱/第19代 加藤一郎 1968-1969/1969-1973 第20代 林健太郎 1973-1977 第21代 向坊隆 1977-1981 第22代 平野龍一 1981-1985 第23代 森亘 1985-1989 第24代 有馬朗人 1989-1993 第25代 吉川弘之 1993-1997 第26代 蓮實重彦 1997-2001 第27代 佐々木毅 2001-2005 第28代 小宮山宏 2005-2009 第29代 濱田純一 2009-2015 第30代 五神真 2015-2021 第31代 藤井輝夫 2021- 辻新次 1872 辻新次 1872 柳本直太郎 1872 副長 伴正順 1872-1873 学長/校長 伴正順 1873/1873 畠山義成 1873-1874 畠山義成 1874-1876 校長補 浜尾新 1875-1877 綜理 加藤弘之 1877 学長 長谷川泰 1872 学長/校長 相良知安 1872-1873/1873-1874 相良知安 1874 長与専斎 1874-1877 池田謙斎 1877 権頭/頭 楠田英世 1871-1873/1873-1875 第二局法学課長 杉山孝敏 1875-1877 学校課長 青山貞 1877-1879 学校課長/生徒課長 植村長 1879-1880/1880 生徒課長/第七局長 黒川誠一郎 1880-1881/1881-1884 書記局学務課長 加太邦憲 1884-1886 心得 加太邦憲 1884-1885 山尾庸三 1871-1872 権頭/頭 大鳥圭介 1875/1875-1877 大鳥圭介 1877-1882 大鳥圭介 1882 副長 竹田春風 1882-1886 関沢明清 1877-1882 関沢明清 1882-1885 岩山敬義 1885-1886 前田献吉 1886 松野礀 1881-1886 前田献吉 1886-1889 高橋是清 1889 前田正名 1889-1890 肥田昭作 1874-1876 服部一三 1876-1877 主幹 服部一三 1877-1879 主幹 浜尾新 1877-1880 主幹/予備門長 服部一三 1880-1881/1881-1882 杉浦重剛 1882-1885 事務取扱 小林小太郎 1885 心得/予備門長 野村彦四郎 1885-1886/1886 野村彦四郎 1886-1887 古荘嘉門 1887-1889 木下広次 1889-1893 嘉納治五郎 1893 心得 久原躬弦 1893-1894 心得/校長 久原躬弦 1894/1894-1898 澤柳政太郎 1898 狩野亨吉 1898-1906 事務取扱/校長 今村有隣 1906/1906 新渡戸稲造 1906-1913 瀬戸虎記 1913-1919 事務取扱/校長 菊池寿人 1919/1919-1924 杉敏介 1924-1929 森巻吉 1929-1937 橋田邦彦 1937-1940 事務取扱 佐久節 1940 安倍能成 1940-1946 事務取扱 日高第四郎 1946 天野貞祐 1946-1948 麻生磯次 1948-1949 矢内原忠雄 1949-1950 湯原元一 1921-1927 塚原政次 1927-1934 近沢道元 1934-1940 藤原正 1940-1945 峰尾都治 1945-1949 矢内原忠雄 1949-1950 高木貞二 1950-1951 塩谷不二雄 1939-1943 事務取扱/主事 颯田琴次 1943/1943-1944 部長/事務取扱 颯田琴次 1944-1947/1947 事務取扱 颯田琴次 1947-1952 カテゴリ メディア 東京大学 東京大学 源流・前身諸機関 人物 表 話 編 歴 初代会長 南原繁 1950 - 1951 第2代 矢内原忠雄 1951 - 1957 第3代 茅誠司 1957 - 1963 第4代 大河内一男 1963 - 1968 第5代 奥田東 1968 - 1969 第6代 加藤一郎 1969 - 1973 第7代 加藤六美 1973 第8代 林健太郎 1973 - 1977 第9代 岡本道雄 1977 第10代 向坊隆 1977 - 1981 第11代 平野龍一 1981 - 1985 第12代 沢田敏男 1985 第13代 森亘 1985 - 1989 第14代 有馬朗人 1989 - 1993 第15代 吉川弘之 1993 - 1997 第16代 井村裕夫 1997 第17代 阿部謹也 1997 - 1998 第18代 蓮實重彦 1998 - 2001 第19代 長尾真 2001 - 2003 第20代 佐々木毅 2003 - 2005 第21代 相澤益男 2005 - 2007 第22代 小宮山宏 2007 - 2009 第23代 濱田純一 2009 - 2013 第24代 松本紘 2013 - 2014 第25代 里見進 2014 - 2017 第26代 山極壽一 2017 - 2019 第27代 永田恭介 2019 - FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ 韓国 オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research IdRef 20世紀の経済学者 日本の経済学者 日本のマルクス経済学者 昭和研究会の人物 日本学士院会員 東京大学総長 東京大学の教員 専修大学の教員 東京大学出身の人物 旧制第三高等学校出身の人物 東京都立両国高等学校出身の人物 東京都出身の人物 日本の思想史家 社会政策学者 日本社会運動史学者 日本の社会主義 歴史学派 正三位受位者 勲一等瑞宝章受章者 東大紛争 1905年生 1984年没 2024/11/06 19:51更新
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