大河原邦男の情報(おおかわらくにお) メカニックデザイナー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png?)
大河原 邦男さんについて調べます
■名前・氏名 |
大河原邦男と関係のある人
湖川友謙: 1977年からはタツノコプロ作品を離れ、タツノコの演出家だった布川ゆうじが手がける和光プロの『激走!ルーベンカイザー』やタツノコのメカデザイナーだった大河原邦男が手がける『合身戦隊メカンダーロボ』、東映動画の『超人戦隊バラタック』といったテレビアニメで作画監督を手がけるようになった。 永野護: また前回のガンダムのデザイナーの大河原邦男の復帰も決まった。 吉田健二: 機動戦士ガンダムシリーズなどのアニメのメカニックデザインで名高い大河原邦男によれば、タツノコプロに入社した当時、車の免許を得ているからと言う理由で制作進行に配属されそうになったが、「せっかく美術の大学を出ているのだから」と言う当時専務であった吉田の進言により、大河原は美術部に配属されることに決まった。 井上ジェット: 稲城なしのすけ (東京都稲城市のイメージキャラクター、大河原邦男と共同制作) カトキハジメ: アニメ作品におけるメカニックデザイナーという役職を確立した大河原邦男が設定画で描くロボットのポージングが「ガワラ立ち」と呼ばれるのに対し、カトキハジメのものは「カトキ立ち」と呼ばれる。 村上克司: 『超電磁ロボ コン・バトラーV』以降、自らキャラクターデザインも直接行うことが多くなり、大河原邦男らとともに「メカデザイナー」としてもアニメファンから知られるようになる。 永野護: またこれらのラフについては、このコンセプトを基に永野自身がリック・ディアスとガルバルディβをデザインしたり、藤田一己がのちにクリンナップして百式とΖガンダム頭部の決定稿を描いたり、大河原邦男が参考にして自身のΖガンダムやガンダムMk-IIのラフデザインを描いたりしている。 永野護: 第3スタジオでは、神田監督とキャラクターデザインの芦田豊雄に挟まれた席で絵コンテの描き方やキャラクターの描き方を教わり、そこに毎日数十枚上がってくるメカデザインの大河原邦男のデザイン画を見せられてレクチャーを受けるという英才教育のような仕事の叩きこまれ方をした。 永野護: サンライズ入社直後に神田武幸監督の『銀河漂流バイファム』と安彦良和監督の『巨神ゴーグ』に登用され、それぞれメインのメカデザイナーの大河原邦男・安彦良和の両巨匠のかたわらでサブのメカデザインを任された。 中村光毅: 入社してきた大河原邦男の指導も行い、その後、大河原には背景美術からメカニックデザイナーへの転向を促した。 中村光毅: 『科学忍者隊ガッチャマン』では、当時新人の背景マンからコンバートされたばかりの大河原邦男とともに、日本で初めてメカニックデザインとしてクレジットされた。 中村光毅: 1976年、独立して大河原邦男と「デザインオフィス・メカマン」を設立。 カトキハジメ: ガンダム関連ではアレンジワークが多い事から、オリジナルのデザイナーである大河原邦男と対比されることが多い。 穴久保幸作: からくり剣豪伝ムサシロード(からくりびとデザイン:大河原邦男・SDクラブ→別冊コロコロコミック→月刊コロコロコミック1990年 - 1991年、全2巻) 秋本治: 2019年(平成31年)4月2日 - 4月16日、布川ゆうじの企画により、天野喜孝、高田明美、大河原邦男らタツノコプロ出身のアーティストと競演した展示会「ラフ∞絵」を、3331 Arts Chiyodaで開催。 宮武一貴: 日本のアニメ界におけるメカニックデザイナーの草分け的存在で、大河原邦男と共にメカニックデザイナーという職業を確立した。 |
大河原邦男の情報まとめ
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
大河原 邦男(おおかわら くにお)さんの誕生日は1947年12月26日です。東京出身のメカニックデザイナーのようです。
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
略歴、作風などについてまとめました。卒業、結婚、退社に関する情報もありますね。大河原邦男の現在の年齢は76歳のようです。
大河原邦男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大河原 邦男(おおかわら くにお、1947年12月26日 - )は、日本のメカニックデザイナー。 日本のメカニックデザイナーの草分け的存在で、『機動戦士ガンダム』に登場するモビルスーツのデザインで知られる。 東京都稲城市出身。息子はアニメーターの大河原烈。 日本のアニメーション作品で初のメカニック専門のデザイナー。代表作は『科学忍者隊ガッチャマン』、『ヤッターマン』をはじめとするタイムボカンシリーズ、『機動戦士ガンダム』とそのシリーズ、『装甲騎兵ボトムズ』、『勇者王ガオガイガー』を含む勇者シリーズなど多数。特に『機動戦士ガンダム』が起こした大ブームにより、自身の名前と「メカニックデザイナー」という職種が社会に認知された。 略歴実家が機械を扱う仕事を代々営んでいたことから建設機械等を頻繁に見かける環境に育ち、子供の頃から機械や物を作るのが好きだった。そのため、家の倉庫にある機械部品を遊び道具代わりに工作に励む少年時代を過ごした。 東京都立町田高等学校卒業後、東京造形大学グラフィックデザイン科に入学。1年後にテキスタイルデザイン科に転科し、機織や染め物などを学ぶ。 卒業後、オンワード樫山に入社し、紳士服の企画を担当。その後、キムラタンに転職し、子ども向けブランド「おとぎの国」の企画を担当するが、東京支店の企画部廃止で専門店向け営業職となる。同僚の女性との結婚を機に、「同じ職場に二人ともいるのは不都合があるのでは」と考えて会社を辞める。 1972年、新聞広告の求人欄を見てタツノコプロに応募し、美術課に背景を描く係として採用される。きっかけは結婚式で仲人に無職と紹介されるのが心苦しかったため。入社の決め手は妻の実家に近かったことだった。アニメや漫画に興味がなかったので、アニメの制作方法も知らなかった。 入社してすぐに『科学忍者隊ガッチャマン』のメインスタッフとなり、番組タイトルロゴを手掛ける。そして美術のかたわらメカデザインも担当していた上司の中村光毅に「メカデザインをやってみないか」と声をかけられ、メインメカ以外の敵メカや自動車などの乗り物などをすべて任される。番組エンディングでは中村と共に「メカニックデザイン」とクレジットされ、アニメ業界で初のメカ専門のデザイナーとなる。 1976年、タツノコプロを退社して中村と「デザインオフィス・メカマン」を設立する。フリー後初仕事の『ゴワッパー5ゴーダム』で、初めてメインメカのデザインを担当した。タイムボカンシリーズ第2作『ヤッターマン』で中村のデザインしたメインメカ以外のすべてのメカを担当。これ以降、すべてのシリーズ作品を担当した。 1978年、メカマンを退社してフリーランスとなる。転職したタツノコ時代の知人に声をかけてもらい、『無敵鋼人ダイターン3』からサンライズ制作作品に本格的に参加するようになる。続いて参加した『機動戦士ガンダム』がプラモデルの大ヒットにより社会的ブームとなり、以降、メカニックデザイナーという職種が広く認知されるようになった。『太陽の牙ダグラム』『装甲騎兵ボトムズ』では高橋良輔監督と組んでミリタリー系のリアルロボットを追求。一方で『勇者シリーズ』のようなヒーロー的なスーパーロボットのデザインも手掛けた。 デザイナー活動40周年にあたる2012年、第16回文化庁メディア芸術祭功労賞を受賞し、その功績を振り返るデザイン展覧会が各所で行われた。大河原のメカを見て育った世代と仕事する機会が増え、海外メーカーからのオリジナルメカの依頼や、実物の工業製品のデザインを引き受けることもある。 地元の稲城市では「MECHANICAL CITY INAGI PRESENTS 大河原邦男プロジェクト」と称して、公式キャラクター「稲城なしのすけ」のデザイン、大型モニュメントやデザインマンホールの設置、トークイベント「メカデザイナーズサミット」の開催など、様々なコラボ企画を推進している。 作風サンライズ作品では『機動戦士ガンダム』『装甲騎兵ボトムズ』などのリアルロボットアニメから『勇者シリーズ』などのスーパーロボットアニメまで担当し、タツノコプロでもシリアスな『科学忍者隊ガッチャマン』の一方でタイムボカンシリーズなどのギャグアニメも担当するなど、手掛ける作品のジャンルは幅広い。 デザインするうえで気を付けていたのは、子どもの成長に悪影響を及ぼさないこと。またタツノコでの経験から、あまりグロテスクだったり過激だったりするものは控えて、あくまで子供たちがワクワクするようなメカを考える習慣が付いたという。 メカデザインの業界では漫画好きやアニメ好きという人物が多いが、自身はそれらに全く興味がない。子供の頃から漫画家やアニメーターになりたいと考えていたわけではなく、業界に入ったのも偶然である。そのため、メカデザイナーとして目指しているのは、監督が求めているものを提供する完璧な職人であること。商業アニメの場合、デザインの良し悪しではなく、スポンサーサイドからの制約の範囲内で演出家のイメージを具体化し、アニメーターのほとんどがその形を頭の中に思い浮かべることできるようにするのがプロの仕事だと思っている。アニメーションはチームプレーであり、アーティストの感性が強すぎると職業として成り立たないと考えているので、作品に自分を出さずにクライアントからの要望に出来る限り近付けることを目指して努力する。そのため、デザインを考える上であまり苦労を感じたことはないという。『装甲騎兵ボトムズ』のスコープドッグは唯一、自分が「やりたい」と温めていたデザインを制作側に提案したケースだった。 デザインに際しては、「現実にこのロボットを製造する場合、どういう工程で作るのか」までを考える。実際に木工や金属加工で模型を作ることもあり、すぐにCADで図面に起こせるものをイメージしてデザインしている。ゲーム会社からオファーが来るようになってからはパソコンや3DCGについても勉強するようになった。 同じメカニックデザイナーでも、絵が好きな人間とメカが好きな人間がいて、ほとんどは前者だが、自身はメカやモノを作るのが好きなタイプであり、1970〜1980年代のロボットアニメ全盛期にはそのことが有利に働いたという。1970年代以降、アニメのスポンサーは主に玩具会社になったため、変形や合体をプレゼンテーションしなければならず、その際、大河原は他のデザイナーのように絵を描くのではなく、立体模型を作っていた。その方が絵を見せるよりもずっと理解しやすかったからである。そのためスポンサーの受けが良く、だいたい即決してもらえたという。 シンプルな機能美も重視しているが、人間は見たことがある物を目にするとそれだけで『リアルだ』と認識するものなので、ザクの露出したパイプのように、あえて不合理なデザインでリアルさを訴求することもある。 民族衣装やコスチューム、仏像などからもヒントを得てロボットをデザインしており、ガンダムも侍のチョンマゲや裃から着想を得ている。 『ヤッターマン』とリアルロボットでは、『ヤッターマン』の仕事の方が面白いと思っている。理由は「どんなデザインをしても、誰からも批判されないから」。 絵の彩色はポスターカラーで行っている。 2024/06/26 14:53更新
|
ookawara kunio
大河原邦男と同じ誕生日12月26日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
Hey! Say! JUMPの有岡大貴と松岡茉優が結婚を発表
NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に
King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表
平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。
元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕
大河原邦男と近い名前の人
話題のアホネイター
![大河原邦男](https://if2.info/geinou/logo/大河原邦男.gif)
最近追加された芸能人・有名人
りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「大河原邦男」を素材として二次利用しています。