湖川友謙の情報(こがわとものり) アニメーター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
湖川 友謙さんについて調べます
■名前・氏名 |
湖川友謙と関係のある人
垣野内成美: 高校卒業後、アニメーターの湖川友謙が主宰する作画スタジオ・ビーボォーに入社する。 石垣環: 『ウィザードリィ外伝』主要登場人物の造形について、湖川友謙がキャラクターデザインを手掛けたロボットアニメ『聖戦士ダンバイン』の影響を受けていると単行本巻末のインタビューで明かしている。 高橋信也: 宇宙戦艦ヤマト 復活篇(キャラクターデザイン(湖川友謙と共同)、作画監督) 板野一郎: この両作品で、安彦良和や湖川友謙(ビーボォー主宰)らベテランから作画技法を学ぶ。 宮武一貴: 宮武の降板後、出渕裕がそのコンセプトを発展させる形でデザイナーを引き継ぎ、メカ部分の世界観作りはキャラクターデザイナーでもある湖川友謙と分担して行った。 西川伸司: 絵の影響を受けた人物として、松本零士、安彦良和、湖川友謙、高橋留美子を挙げている。 国友やすゆき: 完成作品では湖川友謙が国友のデザインを自身のタッチで描き直したデザインが採用された。 安彦良和: なお、遠軽高校の2学年下に湖川友謙がいたが、当時は面識がなかった。 永野護: ただし、当時の永野はまだ新人であり、印象的なメカデザインで注目されていたものの、その画力はアニメーションの設定画(誰もが同じ画を描けるようにする指示書)というレベルではなかったため、最初の内は実際のアニメ制作用の設定画の一部はアニメーションディレクターを務めた湖川友謙率いるビーボォーのスタッフが永野の絵から起こしていた。 須田正己: 湖川友謙が絵において「彼以上に巧い人は見た事ない」と評価している。 北爪宏幸: 卒業すると、アニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を見て「うまい人だ」と感じたという同作の作画監督だった湖川友謙が主宰する作画スタジオ・ビーボォーへ入社。 山下明彦: 10代の頃、富野由悠季作品に影響を受け、なかでも湖川友謙に憧れ絵描きを志すようになる。 恩田尚之: 漫画家・安彦良和、アニメーター・湖川友謙と同じく、北海道遠軽高等学校の卒業生である。 高橋信也: オーディーン 光子帆船スターライト(キャラクターデザイン(湖川友謙と共同)) 後藤圭二: ここは後藤が中学時代に安彦良和と並んでファンだったという、湖川友謙が主宰していたビーボォーの出身者で結成された作画スタジオである。 平野俊貴: その後湖川友謙率いるビーボォー、自ら率いるスタジオイオ、石黒昇率いるアートランド、三浦亨率いるAICなどを経て、現在は有限会社平野俊貴事務所の代表を務めている。 花井愛子: 『グリード SF冒険アニメ』湖川友謙作・絵,花井愛子文 1985 (講談社X文庫) |
湖川友謙の情報まとめ
湖川 友謙(こがわ とものり)さんの誕生日は1950年1月3日です。北海道出身のアニメーターのようです。
テレビ、映画、解散、卒業、退社に関する情報もありますね。去年の情報もありました。湖川友謙の現在の年齢は74歳のようです。
湖川友謙のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)湖川 友謙(こがわ とものり、1950年1月3日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家。旧名は湖川 滋(こがわ しげる)。そのほか、園田美世、花畑まう、小国一和、亥間我子、重塚我子、江塚我子、駅間我子、TOIIIO、枯葉紅葉、音間聞、下井草伊井乃弼、小馳那乃國広道など、多数の別名義を用いている。NEOX顧問。北海道紋別郡遠軽町出身。出生時の名は滋であったが、姓名判断の結果を受け、手続きを経て正式に友謙に改名している。 1970年代の『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ、『銀河鉄道999』といった松本零士作品の作画監督を経て、1980年代に、『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』といった日本サンライズ制作の富野由悠季監督のテレビアニメのキャラクターデザインを手掛けた。代表作は作画のほとんどを自ら手がけていたアニメ映画『伝説巨神イデオン 発動篇』。 あらゆる画風の作品に対応するフレキシブルさとしっかりとしたデッサンで描かれた骨格の入ったキャラクターが特徴で、あおりと言われる構図を得意とした。 「アニメック」でのインタビューによれば「表情表現が乏しくなる」と眼の大きいキャラクターを批判するものの、少女漫画作品をも得意分野としている。さいとうたかをの絵に衝撃を口にする一方で、師匠と呼べる存在はいないと語る。 1979年に作画スタジオとして有限会社ビーボォー設立。北爪宏幸、大森英敏をはじめとして、坂本英明、平野俊弘、板野一郎、矢木正之、遠藤栄一、垣野内成美、恩田尚之、わたなべぢゅんいち、窪岡俊之、辻清光、寺東克己、所智一、筱雅律、沢田正人、宇佐美皓一、南伸一郎、中村悟、仲盛文、越智博之、山下明彦、斉藤昭子、小曽根正美、山根理宏、さとうけいいち、山形厚史、高岡淳一、吉岡敏幸といったアニメーターが所属した。数度のメンバーの独立、離脱を経て、1989年にビーボォーは解散した。 ビーボォーの湖川門下生ではないが、湖川から影響を受けたアニメーターには、稲野義信、中沢一登、黄瀬和哉、後藤圭二らがいる。さらにアニメーターの長谷川眞也は、2000年頃のリアル志向のアニメの作画は湖川の流れにあるのではないかと見ている。 1985年から1986年にかけて著された作画技術書『アニメーション作画法』『アニメーション作画法・実技編』は、1980年代に多くのアニメーターや漫画家、それらを志す人間に支持された。それらの著書はしばらく絶版状態であったが、2007年に新装改訂版として『アニメーション作画法 デッサン・空間パースの基本と実技』が刊行されている。湖川はアニメ専門学校で講師としても後進の育成に励んでおり、東京アニメーター学院、東映アニメーション研究所で教鞭を振るった。 北海道遠軽高等学校卒業時に、彫塑家を志望して武蔵野美術大学を受けるも合格せず、友人の付き合いで行った東京ムービーのアニメーター採用試験を受けて1970年に東京ムービーへ入社。 テレビアニメ『巨人の星』の動画からキャリアをスタートさせるが、早くから才能を認められ、動画を描き始めてすぐ原画昇格の話が持ちかけられたほど。数ヶ月後には原画に昇格するが、1971年から仲間のアニメーターの誘いでタツノコプロ作品に外注として参加し、東京ムービーを9ヶ月で退社する。その後、AC企画、ベンゲシャンといったスタジオの設立に参加。スタジオメイツ経由で古巣の東京ムービー制作作品にも外注として参加した。 1971年から1976年まで、『アニメンタリー 決断』を始めとして、『科学忍者隊ガッチャマン』『破裏拳ポリマー』『宇宙の騎士テッカマン』『ヤッターマン』とタツノコプロの代表作の原画を立て続けに描き、後にそのリアルな作風も相まって湖川はタツノコ系アニメーターと目されるようになる。須田正己、二宮常雄とともにタツノコプロ三羽烏とも呼ばれていた。このことからタツノコ所属のアニメーターだったと誤解されがちだが、タツノコ作品へは外注としての参加でタツノコの社内で仕事をしていたわけではない。これらの仕事もあくまでもフリーのアニメーターとして行ったものである。本人も「アメコミ風」「タツノコ系」と自分の画風を評されるのを否定する発言を、『伝説巨神イデオン』で知名度が増してから幾度となく行なっている。 1977年からはタツノコプロ作品を離れ、タツノコの演出家だった布川ゆうじが手がける和光プロの『激走!ルーベンカイザー』やタツノコのメカデザイナーだった大河原邦男が手がける『合身戦隊メカンダーロボ』、東映動画の『超人戦隊バラタック』といったテレビアニメで作画監督を手がけるようになった。東映動画での仕事は、1978年のアニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、テレビアニメ『銀河鉄道999』のキャラクターデザインと総作画監督の仕事へ繋がった。 同年には日本サンライズの『無敵鋼人ダイターン3』の敵側のキャラクターデザインを担当。東映動画と掛け持ちだったため、ペンネームでの参加だった。日本サンライズでは1980年の『伝説巨神イデオン』から富野由悠季とコンビを組み、1984年の『重戦機エルガイム』まで片腕として活躍した。(『エルガイム』と並行して、『超時空騎団サザンクロス』のキャラクターデザインも同作の監督の長谷川康雄からの依頼で担当している。) その後番組『機動戦士Ζガンダム』は既にスタジオぱっくとして独立した北爪宏幸らに任せて殆ど参加せず(数回のみビーボォーの参加回が存在する)、主宰するビーボォーのメンバーを引き連れて、古巣タツノコプロで『よろしくメカドック』『炎のアルペンローゼ』の作画や東映動画で『オーディーン 光子帆船スターライト』のキャラクターデザイン(男性キャラのみ)・作画監督を引き受ける。 1983年から1984年に徳間書店『ザ・モーションコミック』でマンガを発表。さらに1984年から1985年にかけては原作・監督・脚本・キャラクターデザイン・作画監督を手がけた『GREED』、『COOL COOL BYE』の2本の作品を製作。 1990年代以降は、テレビアニメの絵コンテや作画監督をペンネームで務める。同時期には『宇宙の騎士テッカマンブレード』や『新世紀エヴァンゲリオン』など、一時期離れていたタツノコプロ作品に関わる機会も多くなっていった。2005年にはアニメ映画『あした元気にな〜れ!』のキャラクターデザインと作画監督で久しぶりに気を吐いた。 2007年から2008年にかけてはテレビアニメ『さよなら絶望先生』及び『俗・さよなら絶望先生』の絵コンテ、作画監督を担当。同作で提供したエンドカードでは『イデオン』や『ダンバイン』のキャラもさりげなく描くサービスを見せた。 2009年12月公開の劇場作品『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の総作画監督・キャラクターデザインを担当した。 2017年2月に劇場公開された『宇宙戦艦ヤマト2202 嚆矢篇』では、ガトランティス側のズォーダーとサーベラー登場シーンで原画を担当している。これは監督の羽原信義が、旧作『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』へのオマージュとして、同作で総作画監督を務めた湖川に声を掛けたものである。その際、湖川の持ち味を生かすように、アオリの構図を特に用意して依頼したという。 近年はアニメ関連のものに限らずイベントやトークショーなど積極的に出演しているほか、東日本大震災支援のためのチャリティイベントを主催している。また、2017年からは、福島県鏡石町で実施されている「かがみいし田んぼアート」のデザインを担当している。 湖川と並んで富野監督作品のキャラクターデザイン・作画監督を務めた安彦良和とは同郷で、出身高校も同じ(安彦が2学年上)であるが、お互いアニメ業界に入るまで面識はなく、タクシー内での会話中に偶然わかったという。ビーボォーのメンバーで『Ζガンダム』や『ガンダムΖΖ』、『閃光のハサウェイ』に作画監督として関わる恩田尚之も同校の卒業生である。 『伝説巨神イデオン』では湖川の妻が動画で参加しており、スタッフクレジットにも妻の名前が表記されている。また、湖川が『無敵鋼人ダイターン3』などで使用したペンネームである小国一和の「小国」は妻の旧姓である。 1994年、日本物産から発売されたPCエンジン用ゲームソフト『聖戦士伝承・雀卓の騎士』は『聖戦士ダンバイン』のパロディ要素が濃い作品であるが、作画監督及びキャラクターデザインを勤めている(ちなみにゲームの主演は『ダンバイン』でも主人公を演じた中原茂)。 日本サンライズ(現:バンダイナムコフィルムワークス(サンライズブランド))で担当した作品ではメカニックデザインに深く関わることも多く、『戦闘メカ ザブングル』のウォーカーマシンや『聖戦士ダンバイン』のオーラバトラーの最終デザインは、ほぼすべて湖川によるデザイン修正ないしプロポーション修正が施されている。また、『伝説巨神イデオン 発動編』のザンザ・ルブ、『ダンバイン』のビルバイン、『重戦機エルガイム』のエンディングアニメーションに登場するヘビーメタルは湖川のオリジナルデザインである。 2019年7月、3年ほど前から、かつてキャラクターデザインを担当したテレビアニメのイラストなどを原作者の承諾を得ずにヤフオク!に無断出品しており、著作権侵害の疑いがあることが明らかになった。週刊誌のインタビューに湖川は、原作の漫画とアニメのキャラクターデザインは別物であり、後者は自分の「作品」であると主張している。 (NC) … クレジット表記なし 機甲創世記モスピーダ外伝 ジェネシスブレイカー(2022年 - :キャラクター原案)著:柿沼秀樹、画:マーシーラビット、ホビージャパン『月刊ホビージャパン』連載) 西武ライオンズ 電光掲示板のアニメ(1978年) パイロットフィルム『こぐまのミーシャ』(1979年頃:作画) CM『永井海苔 / ナガイの海苔』(1985年:作画) 実写映画『19 ナインティーン』(1987年:モンスターデザイン) J-キャラ企画『オニオニオン』(2000年:キャラクターデザイン) 株式会社ハイジ『惑星戦隊サンサンダー』(2002年:キャラクターデザイン) 教材ビデオ『落語アニメ おばけ長屋』(2003年:キャラクターデザイン・作画) CM『永盛ジャパン / コリアンシェフ』(2004年:作画) 増井心2ndシングル『MY HERO』PV(2006年:キャラクターデザイン・アニメーション) 株式会社ダイダロス ロゴデザイン(2014年) 福島県鏡石町の田んぼアート(2017年 - :デザイン)
「うさぎとかめ」(2018年) 「眠れる森の美女」(2019年) 「"たのしい"おむすびころりん」(2021年) 「つるのおんがえし」(2022年) 「唱歌"牧場の朝"のまち」(2023年) 『アニメーション作画法 -デッサン・空間パースの基本-』(創芸社、1985年) 『アニメーション作画法 -実技編-』(創芸社、1986年) 『新版 アニメーション作画法 -デッサン・空間パースの基本と実技-』(復刊ドットコム、2019年) 『アンバランス・アングル・ミナミ』(徳間書店、1984年) 『GREED』(朝日ソノラマ、1985年) 『湖川友謙イラストレーションズ』(ヒット出版、1985年) 『THE BEBOW』(創芸社、1985年)※ビーボォーの画集、ビーボォー所属アニメーターとの共著 『湖川友謙 サンライズ作品画集』(一迅社、2017年) ^ 2020年は新型コロナウイルス感染症流行のため中止。 ^ 第30話まで「湖川滋」名義、第31話より「湖川友謙」名義。 ^ 1994年に「トライアッドストーン」のタイトルでメガLDに移植され発売、翌年には「シュトラール 秘められし七つの光」のタイトルでセガサターンや3DOに再移植された。 ^ “湖川友謙 フィルモグラフィー”. WEBアニメスタイル アニメの作画を語ろう. スタジオ雄. 2020年11月14日閲覧。 ^ 『伝説巨神イデオン』を始め数々のアニメに携わってきた、アニメーションクリエーターのスゴい人! 日刊スゴい人! 2017年11月9日 ^ 『イデオンという伝説』p.131。 ^ 「えっ!?あの湖川キャラの作画集団ビーボオーが『うる星』『アルペンローゼ』に挑戦!?」『アニメージュ』1985年6月号、徳間書店、pp.61-62 ^ 「新春横断企画―第一線で活躍するアニメ関係者が推薦―'86年の(56人)ホープを捜せ!」「板野一郎 平野俊弘 初監督対談 オリジナル・ビデオに賭けたもの―1カット"演出"からの脱出―」『アニメージュ』1986年1月号、徳間書店、pp.19-34、pp.173-176 ^ 「―アニメ界の第一人者たちが推した―'90年代を制するホープ44人」『アニメージュ』1990年2月号、徳間書店、pp.31-40 ^ 「ビーボォー村の仲間たち」『THE BEBOW』創芸社、pp.28-34 ^ 「スタッフ紹介」『It's ARTLAND』創芸社、pp.110-143 ^ 吉岡敏幸 - Facebook ^ 「Staff Long Inverview 稲野義信」『甦るゲゲゲの鬼太郎80'S』メディアボーイ、2007年、p.24 ^ 『アニメスタイル』2000年第1号、美術出版社、2000年、p.52。 ^ 小黒祐一郎『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』飛鳥新社、2006年、p.134. 黄瀬和哉はインタビューにおいて、イデオンの骨格のあるリアリティあるキャラクターにショックを受けたと発言。 ^ 『アニメスタイル』p.22。インタビューにおける発言。 ^ 徳間書店『アニメージュ』1998年8月号付録「THE ART OF 後藤圭二」における発言。 ^ 『アニメスタイル』p.14。ライターの小黒祐一郎との対談における発言 ^ 小黒祐一郎「【書籍】アニメーション作画法 新装改訂版—デッサン・空間パースの基本と実技」編集長メモ 2007年7月3日。 ^ 「アニメ本・聞いた・見た・買った(14)6月後半は公式ガイドが目白押し」 WEBアニメスタイル 2007年6月15日。 ^ 東京アニメーター学院の広告より『アニメージュ』1986年1月号、徳間書店、pp.172 ^ ある日々のTO|||O 6月17日 湖川友謙オフィシャルブログ ^ animator interview 湖川友謙(1) アニメーションの作画と画の勉強 WEBアニメスタイル 2005年12月22日 ^ animator interview 湖川友謙(3) アイレベルと『さらば宇宙戦艦ヤマト』 WEBアニメスタイル 2005年12月22日 ^ 『イデオンという伝説』pp.123-124。 ^ 初画集発売直前! アニメーションクリエイター、湖川友謙から教わる“発見”の面白さ アキバ総研 2017年06月28日 ^ 湖川友謙さんの『絶望先生』 編集長メモ(小黒祐一郎) 2008年5月15日 ^ 劇場先行販売BD収録の第二話オーディオコメンタリーにおける羽原の発言。 ^ “活動報告 - 2019年7月|湖川友謙 公認ファンクラブ 「友ありて」 オフィシャルサイト”. tomoarite.starfree.jp. 2023年3月19日閲覧。 ^ 安彦良和『アニメ・漫画・戦争』 ^ “WEBアニメスタイル_アニメの作画を語ろう”. www.style.fm. 2023年7月15日閲覧。 ^ “「メーテル」のイラストをヤフオクに無断出品 「銀河鉄道999」アニメーターの強欲ぶり”. デイリー新潮 (2019年7月30日). 2019年7月30日閲覧。 ^ Kogawa, Tomonori; 湖川友謙 (2019). Animēshon sakugahō : dessan, kūkan pāsu (Shinpan, shohan ed.). Tōkyō. ISBN 978-4-8354-5692-8. OCLC 1120730088. https://www.worldcat.org/oclc/1120730088 中島紳介、斉藤良一、永島収『イデオンという伝説』太田出版、1998年、pp.120-134。湖川友謙インタビュー。 原口正宏、長尾けんじ、赤星政尚『タツノコプロ・インサイダーズ』講談社、2002年、pp.133-135。湖川友謙インタビュー。 湖川友謙オフィシャルブログ WEBアニメスタイル アニメの作画を語ろう(animator interview) - 小黒祐一郎によるロングインタビュー。 表 話 編 歴 聖戦士ダンバイン リーンの翼 ファウ・ファウ物語 オーラバトラー戦記 New Story of Aura Battler DUNBINE ガーゼィの翼 ショウ・ザマ ゲド ズワァース ダーナ・オシー ダンバイン ドラムロ バストール ビアレス ビランビー ビルバイン ボゾン ボチューン ライネック レプラカーン オーラマシン バイストン・ウェル 富野由悠季 湖川友謙 池田繁美 中原茂 宮武一貴 出渕裕 表 話 編 歴 宇宙戦艦ヤマト 宇宙戦艦ヤマト2 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 宇宙戦艦ヤマトIII 宇宙戦艦ヤマト さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち ヤマトよ永遠に 宇宙戦艦ヤマト 完結編 宇宙戦艦ヤマト 復活篇 宇宙戦艦ヤマト2199 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち ヤマトよ永遠に REBEL3199 宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海 宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟 「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択 YAMATO2520 SPACE BATTLESHIP ヤマト 一覧 宇宙戦艦ヤマト2199 緋眼のエース 宇宙戦艦ヤマト 黎明篇 PlayStation版宇宙戦艦ヤマトシリーズ ボードゲーム コンピュータゲーム パチスロ・パチンコ 西崎義展 宮川泰 羽田健太郎 宮川彬良 宇宙戦艦ヤマト 真赤なスカーフ ヤマトより愛をこめて 愛よその日まで 銀河伝説/愛の生命 ラブ・シュープリーム 〜至上の愛〜 明日の君を守りたい 〜YAMATO2520〜 この愛を捧げて 愛詞 Fight For Liberty 愛の星 BLUE 交響組曲 宇宙戦艦ヤマト さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 音楽集 ヤマトよ永遠に 音楽集 不滅の宇宙戦艦ヤマト ニュー・ディスコ・アレンジ YAMATO SOUND ALMANAC 沖田十三 古代進 森雪 デスラー スターシャ 地球防衛軍 イスカンダル ガミラス帝国 白色彗星帝国 暗黒星団帝国 ガルマン・ガミラス帝国 ボラー連邦 バース星 シャルバート ディンギル帝国 宇宙戦艦ヤマトシリーズの地球の戦闘艦 ガミラス帝国の戦闘艦 白色彗星帝国の戦闘艦 暗黒星団帝国の戦闘艦 ガルマン・ガミラス帝国の戦闘艦 ボラー連邦の戦闘艦 ディンギル帝国の戦闘艦 ヤマト ゆきかぜ アンドロメダ 主力戦艦 デスラー艦 駆逐型デストロイヤー艦 三段空母 戦闘空母 潜宙艦 デスラー戦闘空母 二連三段空母 コスモゼロ ブラックタイガー コスモタイガーII 探索艇 救命艇 次元潜航艇 反射衛星砲 空間騎兵隊 自動惑星ゴルバ 波動エンジン 波動砲 波動カートリッジ弾 ショックカノン 空間磁力メッキ 煙突ミサイル ロケットアンカー 遊星爆弾 デスラー砲 デスラー機雷 火炎直撃砲 重核子爆弾 惑星破壊プロトンミサイル ブラックホール砲 ハイドロコスモジェン砲 ハイパー放射ミサイル 松本零士 スタジオぬえ
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2024/11/14 16:36更新
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kogawa tomonori
湖川友謙と同じ誕生日1月3日生まれ、同じ北海道出身の人
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