小林可夢偉の情報(こばやしかむい) レーシングドライバー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小林 可夢偉さんについて調べます
■名前・氏名 |
小林可夢偉と関係のある人
関口雄飛: また、富士500kmでは、WECに参戦する国本に代わり2016年全日本F3チャンピオンの山下健太とともに出走、ドライバー三名で参戦した鈴鹿1000kmでは、元F1ドライバーでSUPER GT初参戦となる小林可夢偉をチームメイトに迎い入れ4位を獲得した。 ヘイッキ=コバライネン: チームメイトは平手晃平に代わり元F1ドライバーの小林可夢偉となった。 笠原美香: 元々ミュラ子はDAI安ファミリーの石浦宏明を応援するための企画であったが、ミュラ子のデビュー年に石浦は初優勝を挙げるとともに、元F1ドライバーの中嶋一貴や小林可夢偉を打ち破ってチャンピオンに輝いた。 中嶋悟: このファステストラップは2012年中国GPで小林可夢偉が記録するまでの23年間、F1において唯一アジア人ドライバーが記録したファステストラップだった。 井上隆智穂: 日本の大手自動車メーカーの後ろ盾がないままに(つまり自分自身のスポンサー活動による資金調達のみで)F1にレギュラー参戦した日本人ドライバーは、現時点においては井上と小林可夢偉、山本左近しかいない。 ニック=ハイドフェルド: チームメイトは小林可夢偉。 フェリペ=マッサ: 前半は他車からのもらい事故(小林可夢偉、セルジオ・ペレス、ライコネン、ケビン・マグヌッセン等)によるリタイヤやピットクルーの作業ミス(中国GP等)により苦戦を強いられる。 曽田正人: 小林可夢偉 井上隆智穂: 特にF1やF2、GP3チームの経営事情やドライバーの移籍情報に詳しく、2012年よりキミ・ライコネンがF1復帰することを世界中のどのメディアよりも速くリークし、小林可夢偉のザウバー離脱についても語っていた。 梅本まどか: ちなみに好きなレーサーは、Google+などの発言からフェルナンド・アロンソと小林可夢偉。 中嶋一貴: 第16戦ブラジルGPでは、ティモ・グロックの代役としてF1デビューを果たした小林可夢偉にスタート後の3コーナーでオーバーテイクされ抑え込まれた。 フェリペ=マッサ: 第8戦ヨーロッパGPでは一転して速さを見せることができず、予選13位、決勝も小林可夢偉との接触などもあり16位に終わった。 鈴木亜久里: この出演は同番組のコーナー「スーパーキッズ21世紀夢チャレンジ」に登場した F1ドライバーになる事を夢見る天才カート少年 小林可夢偉 との対決の為であった。 アラン=ジョーンズ: 日本人F1ドライバーの小林可夢偉を高く評価している。 セバスチャン=ベッテル: ハミルトンと小林可夢偉の接触によるセーフティカー出動時に、タイヤ交換に入りポジションを3位まで落した。 ティモ=グロック: 第14戦シンガポールGPではクラッシュが続出する中で2位となり、表彰台にのぼったが、翌週の第15戦日本GPでは予選Q2セッション中、最終コーナーでクラッシュし、精密検査の結果決勝以降の今季の残りのレースは欠場することとなり、次戦ブラジルGP以降の代役は小林可夢偉が務めることとなった。 鈴木亜久里: また日本人ドライバーの母国グランプリでの表彰台は、2012年に小林可夢偉が3位表彰台に上がるまで唯一のものであった。 山本左近: フジテレビの地上波放送では2010年シーズン参戦初戦のイギリスGPと、下位ながら見せ場を作った日本GPを除けば、小林可夢偉の陰に隠れほとんど取り上げられることはなかったが、HRTの2011年シーズンにおける有力ドライバー候補に残るなどの活躍をしており、チームからは山本の金銭面以外の部分にも良い評価を勝ち得ていた。 |
小林可夢偉の情報まとめ
小林 可夢偉(こばやし かむい)さんの誕生日は1986年9月13日です。兵庫出身のレーシングドライバーのようです。
現在、事故、テレビ、事件、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。小林可夢偉の現在の年齢は38歳のようです。
小林可夢偉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小林 可夢偉(こばやし かむい、Kamui Kobayashi, 1986年9月13日 - )は、日本の兵庫県尼崎市出身のレーシングドライバー。スーパーフォーミュラではKCMG、FIA 世界耐久選手権(WEC)ではTOYOTA GAZOO Racingに所属する。WECではトヨタのチーム代表を兼任する。 フォーミュラ1 (F1) 時代には、2012年日本GPで日本人3人目となる3位表彰台を獲得。スポーツカーレース転向後はWECドライバーズチャンピオンを2度(2019-20年・2021年)獲得。ル・マン24時間のコースレコードを樹立し、2019年及び2020年のデイトナ24時間、2021年のル・マン24時間で総合優勝を果たした。 9歳でカートを始める。少年の頃より憧れのドライバーはアイルトン・セナであると発言している。1996年にカートレースにデビュー、実績を積み重ね2000年には全日本ジュニアカート選手権のシリーズチャンピオンとなる。 2001年は全日本カート選手権にステップアップし、ICAクラスに参戦してシリーズチャンピオンを獲得し、「西の小林可夢偉、東の関口雄飛」と呼ばれた。またフォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)を受講しスカラシップを得た。 続いて4輪レースに出場することになるが、当時15歳であったためその前に日本自動車連盟(JAF)が限定A級ライセンスを発行するのをしばらく待たねばならなかった。限定A級ライセンス取得後の2002年度、エッソ・フォーミュラ・トヨタ最終戦にて4輪レースデビューを飾る。2003年は本格的に同シリーズに参戦しランキング2位。 2004年にはトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)の支援下、フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズに参戦しランキング7位。 2005年度はイタリアシリーズに加えユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0も戦い、両シリーズともチャンピオンを獲得。なお小林はヨーロッパのフォーミュラ・ルノー選手権においてシリーズチャンピオンを獲得した最初の日本人であり、ヨーロッパのフォーミュラカー選手権において日本人ドライバーがタイトルを獲得したのは2001年度に金石年弘・佐藤琢磨・福田良がそれぞれドイツ・イギリス・フランスのF3選手権でシリーズチャンピオンとなって以来のことであった。 2006年はASM Formule 3(現在のARTグランプリのF3部門)からダラーラ・F305(英語版)・メルセデスでF3・ユーロシリーズを戦い、ランキング8位ながらルーキーカップを獲得した。またF3マカオGPにも出場しポールポジションを獲得する健闘を見せるが決勝は19位で終えた。この時のチームメイトはセバスチャン・ベッテル、このシーズンのチャンピオンを獲得したポール・ディ・レスタ、そしてギド・ヴァン・デル・ガルデであった。 2007年も引き続き同チームのF3ユーロシリーズに参戦。同年6月30日、フランスのマニクール・サーキットで開催されたシリーズ第4戦の第1ラウンドでポールポジションを獲得しそのままF3初勝利を果たした。チームメイトはこの年のF3チャンピオンを獲得し、後にルノーからF1デビューしたロマン・グロージャン、ウィリアムズからデビューしたニコ・ヒュルケンベルグがいる。シリーズ4位。同年11月よりフォーミュラ1チームであるトヨタF1からフランク・モンタニーに代わり、サードドライバーとして起用されることが発表された。 2008年はGP2にアジアシリーズも含め参戦。3月23日、GP2アジアシリーズのマレーシアGPにて日本人として初優勝。4月27日、ヨーロッパに戻って行われたGP2本戦の第1戦スペイン・レース2でも日本人として初優勝した。 2008年-2009年シーズンとなったGP2アジアシリーズに、トヨタからのサポートを受けて参戦。2008年12月6日、ドバイGPにて08/09シーズンで初優勝。さらに2009年1月24日、バーレーンGPのレース1で優勝し、日本人初の連勝。2位に13ポイント差をつけランキング首位で挑んだ3月25日の最終戦、バーレーンの第1レースで4位入賞したことにより、第2レースを待たずしてアジアシリーズチャンピオンを獲得した。F1直下のカテゴリーで日本人が王座を獲得したのは初めてである。 2009年10月2日に開幕したF1第15戦日本グランプリで、トヨタF1チームのレギュラードライバーであるティモ・グロックが体調不良により金曜フリー走行を急遽欠場したため、リザーブドライバーであった小林がその代役として出走した。翌日はグロックが復帰したものの、そのグロックは公式予選でクラッシュして脊椎を負傷したため、次戦以降を欠場することになった。これにより、小林は10月18日の第16戦ブラジルグランプリでF1デビュー、日本人としては18人目のF1ドライバーとなった。 そのブラジルグランプリでは予選11位を記録。決勝ではポイント首位のジェンソン・バトンを18周に渡り抑えて、一時は3位までポジションを上げたが、入賞に一歩とどかず9位完走だった。 次戦のアブダビGPも参戦することとなり、前戦同様バトンをオーバーテイクして、一時3位を走行していた。予選12位から1ストップ作戦を成功させ、チームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回る6位入賞を果たした。1ストップ勢での上位浮上は小林ひとりであり、2007年の佐藤琢磨以来、2人目となる完全日本製パッケージでポイント獲得をした。 この2戦の活躍で、来シーズンのトヨタF1チームの正ドライバーの座を確かなものとした。しかし、そのアブダビGPからわずか3日後の11月4日、トヨタF1チームがF1から完全撤退することを発表し、2010年以降は他チームにシートを求めることとなった。 2009年12月17日、ザウバーとのレギュラードライバー契約を発表し、撤退したトヨタを離れ2010年シーズンから新天地でのフル参戦が実現した。チームメイトはベテランのペドロ・デ・ラ・ロサ。第15戦シンガポールGPからデラ・ロサに替わりニック・ハイドフェルドがチームメイトになった。 序盤戦はスタート直後の接触事故やマシントラブルにより成果を残せなかったが、トルコGPでは10位入賞し、チームのシーズン初ポイントを獲得した。中盤戦以降はマシンの改善もあり、コンスタントに入賞圏内を争うようになった。 ヨーロッパGPでは予選18位からのスタートであったが、セーフティーカー出動の混乱を巧みに乗り切り、レース終盤の53周目までタイヤを交換しないという策に出る。その53周までのレースの大半を3位で走行し、レギュレーション上のタイヤ交換義務でソフトタイヤに履き替え9位でレースに戻り、新しいタイヤのグリップ力を活かし残り2周でフェラーリのフェルナンド・アロンソを、ファイナルラップの最終コーナーでトロ・ロッソのセバスチャン・ブエミをオーバーテイクし7位入賞を果たして、その印象的な走りは評価された。終始4位に抑えこまれていたマクラーレンのジェンソン・バトンも、インタビューで小林の走りについて"Brilliant!"(素晴らしい!)と称賛した。 続くイギリスGPでも6位入賞。ハンガリーGP予選ではピットレーンの赤信号無視でペナルティを受け23番手に降格。決勝ではスタートで順位を上げ、セーフティーカー出動も味方して9位入賞を果たした。 母国日本GPでは予選14位から、他のドライバーがソフトタイヤでスタートする中、ハードタイヤで走り出した。ハイメ・アルグエルスアリを14周目、エイドリアン・スーティルを18周目にヘアピンで抜き、全53周レースの38周目にピットイン。ソフトタイヤに履き替えると、アルグエルスアリをアウト側から45周目、ルーベンス・バリチェロを48周目、ハイドフェルドを49周目に同じヘアピンで抜き、計5回のオーバーテイクをした。そして2度目のアルグエルスアリをオーバーテイクする際に接触したことでマシン左側のディフレクター、サイドポンツーンの損傷に加えてフロントウィングの一部まで欠損している状況にも拘わらず7位入賞を果たし、観客を熱狂させた。なお、小林自身は何回オーバーテイクを行ったか記憶していないと語っている。続く韓国GPでは8位、ブラジルGPでも10位と3戦連続入賞を果たした。 この年は決して競争力の高いマシンではなかったものの、ルーキードライバーとしては最も高いポイントである32ポイントを獲得しランキング12位。又、チームメイトと比較してもデ・ラ・ロサに7勝2敗5分、ハイドフェルドに3勝1敗1分している事になりベテランドライバー相手にも遜色ない結果を残した。 2010年9月7日、ザウバーは小林をエースドライバーとして残留させることを発表し、2011年も引き続きザウバーから出走する。チームメイトには、新人のメキシコ人ドライバーセルジオ・ペレスが起用されている。 開幕戦オーストラリアGPでは入賞圏内である8位でゴールしたが、レース後の検査でリアウイングに違反があったとして失格処分となった。第2戦マレーシアGPでは、マーク・ウェバーやミハエル・シューマッハらとの接戦を繰り広げ7位入賞。前戦の雪辱を果たし、第3戦中国GP、第4戦トルコGP、第5戦スペインGPまで3戦連続で10位入賞を記録し、日本人F1ドライバーの中で最もポイント獲得している佐藤琢磨の記録「44ポイント」と並んだ。又、同じく佐藤が記録した日本人による連続入賞記録(2004年イタリアグランプリから2004年ブラジルグランプリまで)である「4戦」も並んだ。翌第6戦モナコGPでは同僚のセルジオ・ペレスがシケインでクラッシュし、同グランプリの決勝レースを欠場。小林は単独で決勝レースに臨むこととなったが結果は自己最高位となる5位入賞を果たし、中嶋一貴以来日本人ドライバー2人目のモナコグランプリでのポイント獲得、モナコグランプリにおける日本人歴代最高位を更新した。同時に日本人獲得ポイント記録と、日本人連続入賞記録を更新した。 続くカナダGPでは荒れた天候のレースで一時2位を走るも、7位でフィニッシュ。一部の日本のマスコミ(特にフジテレビ)はこの活躍と有力チームのシート事情を絡め、2012年シーズンに有力チームに移籍する可能性を盛んに報じた。小林自身も移籍の可能性とペーター・ザウバーへの恩義の間で揺れる心境を示唆していた。しかし7月28日にザウバーが小林とペレスの2012年残留を発表している。 開幕戦オーストラリアGPでは、スタート時の接触によりリアウィングの翼端板が破損、DRSの使用に不安が生じた。そんな中で上位陣のクラッシュもあり6位入賞を果たした。第3戦中国GPではフリー走行から安定した走りを見せ、最終的に自己最高となる予選4位を記録する。予選2位のルイス・ハミルトンのペナルティにより決勝は3番手からのスタートとなったが、スタート時にトラブルが発生し順位を落とす。しかし10位でフィニッシュし、日本人としては1989年最終戦オーストラリアGPに中嶋悟が達成して以来23年ぶり、ザウバーチーム(BMW時代を除く)としては初めてのファステストラップを記録した。 第5戦スペインGPでも予選Q3進出したものの、ハイドロ系トラブルによって10位(ハミルトンが予選失格したため、9番手からのスタート)だったが、決勝ではジェンソン・バトンやニコ・ロズベルグをオーバーテイクし、自己最高タイの5位入賞を果たした。 第6戦モナコGP予選ではQ2で敗退となり12番手となったが9番手スタートのパストール・マルドナードがフリー走行中にペレスと接触して10グリッド降格のペナルティを受け11番手スタートとなった。 決勝では、スタート直後に第1コーナーでグロージャンがシューマッハとの接触をきっかけにスピンし、後続を巻き込む多重クラッシュとなり、そのクラッシュに巻き込まれリタイアを 喫した。 第7戦カナダGP予選はQ2敗退となり11番手となった。決勝ではシューマッハのリタイアなどもあり予選グリッドから2つポジションを上げ9番手で入賞を果たした。 第8戦ヨーロッパGP予選はQ3進出を果たし、7番手スタートを手にした。決勝では7番手からスタートし、2周目には4番手までポジションを上げたが、ピットストップに時間がかかり順位を落とす。その後ブルーノ・セナと接触。この接触ではセナにペナルティが科される。その後フェリペ・マッサと接触してリタイア。マッサとの接触には可夢偉に非があるとして次戦のイギリスグランプリで5グリッド降格のペナルティが科された。 第9戦イギリスGP予選では雨のコンディションの中行われ大波乱の予選となり1時間30分の赤旗中断となった。その中、マクラーレンのジェンソン・バトンがQ1敗退を喫し、ロータスのグロージャンもQ3進出を果たすがスピンしQ3を走ることができなかった。その中で可夢偉はQ2で敗退となり12番手となるが前戦のヨーロッパグランプリによる5グリッド降格のペナルティを受け17番手スタートとなる。決勝では1周目に大きく順位を上げその後も順調に順位を上げていくが37周目にピットストップをするときにタイヤがロックし指定の位置に止まることができずメカニック3人と接触。この事故によりピットストップに時間がかかりコースに戻ると12番手、そこからポジションを1つ上げ11番手でフィニッシュしポイントを手にすることはできなかった。レース後メカニックとの接触について審議され2万5000ユーロ(約240万円)の罰金処分を科された。 第10戦ドイツGP予選は雨の降る中行われ、Q2では雨量が激しくなり各車がウェットタイヤに続々と変える中はインターミディエイトタイヤで走る戦略が失敗し予選13番手となるが、決勝では天候に恵まれ戦略面でも巧く事が進み、5位でフィニッシュした。その後、2位のセバスチャン・ベッテルのコース外を使ったオーバーテイクが審議対象となり、その結果決勝タイムから20秒加算ペナルティとなったため、最終的には自己最高の4位入賞を果たした。 第11戦ハンガリーGPはフリー走行からマシンバランスに悩み、予選Q1は通過するもQ2で敗退(15位)。決勝では早めにミディアムタイヤに履き替え変則2ピットストップ作戦を決行し、油圧系のトラブルでリタイアしたが、18位完走扱いでレースを終えた。 第12戦ベルギーGPはウェットコンディションとなった金曜日フリー走行1回目でトップタイム、2回目では7番手を記録。ドライとなった翌日3回目でも4番手タイムを出し、午後の予選ではポールポジションのバトン(マクラーレン)に次ぐ2番手タイムで自己ベストをマークした。また2004年第7戦ヨーロッパGPの佐藤琢磨以来、8年ぶりの日本人予選フロントローも獲得した。ザウバーチーム(BMW時代を除く)としても1999年第7戦フランスグランプリ以来のフロントローを獲得した。だが決勝ではスタートで失敗し、直後にロマン・グロージャンによって引き起こされた多重クラッシュに巻き込まれてマシンにダメージを負い、完走はしたものの13位に終わった。 第13戦イタリアGPではチームメイトが2位を獲得したのに対して9位に終わり、第14戦シンガポールGPでも13位でポイント圏外で不振が続いた。 第15戦日本GPにおいて、予選4位となり、3位だったジェンソン・バトンがシンガポールGP後のギアボックス交換によりグリッド降格処分となったため3番グリッドからのスタートとなった。スタート直後にマーク・ウェバーをかわし2位に浮上するも、14周終了後の1度目のピットインの後、ダニエル・リカルドをオーバーテイクするのに17周目まで手間取ったこともあり、17周目にピットインしたフェリペ・マッサがピットイン後小林の前に入り再度3位となる。その後は終始ジェンソン・バトンに猛追されるもそのまま3位でゴール、日本人としては2004年アメリカGPでの佐藤琢磨以来8年ぶり、鈴鹿では1990年鈴木亜久里以来22年ぶりとなる、日本人3人目のF1GP表彰台登壇者となった。表彰式のインタビューで「初めての表彰台に日本で上がれたことが本当に素晴らしくて信じられない」と語り、観客たちが可夢偉コールで盛り上がった。 2012年はチームメイトを6ポイント下回ったものの昨年の倍の60ポイントを獲得しランキング12位となった。これはランキングでミハエル・シューマッハを上回る結果となった。日本GPの表彰台を含む9回の入賞(チームメイトは7回)や、自身初のファステストラップとフロントローなどを記録した。しかし、チームとの契約延長には至らず、最終戦ブラジルGP前に2013年のザウバー離脱が発表された。 なお、この年は前述の通り9回の入賞を達成したものの、連続入賞は1度もなかった。 2014年1月21日、ケータハムとの契約を発表した。チームメイトは新人のマーカス・エリクソン 。この年から導入されたドライバーの固定ナンバーは「10」を選択した。 開幕戦オーストラリアGPでは予選Q2に進出し、15位(スターティンググリッドでは14位)を獲得するが、決勝ではスタート直後にブレーキトラブルでマッサに追突しリタイアに終わる。 第6戦モナコGPでは荒れた展開だったが、ショートカットをしてしまったため、後方のキミ・ライコネンに順位を譲った際にライバルであるマルシャのジュール・ビアンキに強引にスペースに入り込まれ、順位を奪われた挙句、接触でダメージを負った。その影響でチームメイトのエリクソンにもオーバーテイクされ、ビアンキが9位、エリクソンが11位に対して13位に終わる。 第11戦を終えた時点で予選ではエリクソンに対して9勝2敗と大きく勝ち越し、決勝でも両者が完走したレースでは4勝1敗。しかしシーズン半ばにチームが身売りされた影響などから、第12戦ベルギーGP直前に突如アンドレ・ロッテラーとの交代が発表された。同時に小林自身はベルギーGP以降もチームに留まることも発表された。 第13戦イタリアGPではレースドライバーとして復帰。予選では中国GP以来となるマルシャのビアンキを上回り、予選19位。決勝では直近のライバルであるビアンキを上回る好ペースで周回を続け17位完走。 第16戦ロシアGP、ケータハムはパーツ不足によりフリー走行から2台共にマイレージ制限を実施。マイレージ制限により、初めて走るサーキットにもかかわらず満足な走行は出来なかった。決勝では21周目に突如ピットインを命じられ、その場でリタイヤした。チーム発表によればリタイヤさせた理由はブレーキのオーバーヒートである。小林本人はリタイヤ直後、メディアに対して車に何も問題は無かったと語っている。 第17戦アメリカGPではチームは今年7月にエンガヴェストSAによって買収されたが、その後、元オーナーのトニー・フェルナンデスとの間に論争が生まれ、両者は10月24日、管財人であるスミス&ウィリアムソンにチームの管理を委ねた。チームはオースティンでのレース参戦を目指していたが、管財人はアメリカGPとブラジルGPの2戦を欠場する許可をもらったことを明らかにし、小林は欠場を余儀なくされる。 最終戦アブダビGPではチームはクラウドファンディングなどによる資金調達により、参戦することが可能となり、小林の参戦も決定した。エリクソンが離脱を発表したため、チームメイトはウィル・スティーブンスとなった。また、小林はこのグランプリがF1でのラストランになる可能性が高いことを認めた。予選は19位で、マシンの様々な状況がスティーブンスよりも劣る状態にもかかわらずスティーブンスに勝利した。しかし決勝では残り約10周というところでマシントラブルでリタイアとなり、小林は最後のレースを終えた。その後マノー・マルシャと交渉したり、ハースF1の候補に上がるなどその後もF1復帰を目指していたが、現在2014年最終戦アブダビグランプリが小林最後のF1となっている。またカーナンバー「10」の使用権も失っており、2022年現在ではピエール・ガスリーが「10」を使用している。 小林は2014年にトップチームへ移籍するため、2013年は「しっかりと戦えるチーム」のシート獲得を目指して交渉を行った。候補はロータスかフォース・インディアと考えられた。11月23日にはファンからの「資金協力をしたい」という声に応える形で、支援金を募る「KAMUI SUPPORT」を公式サイトに開設。12月18日までに1億8400万相当が集まり、日本企業のスポンサーを含めて800万ユーロ(約8.8億円)強の資金を確保した。 しかし、12月18日にロータスがグロージャン残留を発表すると、小林は「戦えるチームへの移籍が不可能になった」として、支援金の受付終了を発表した。2013年についてはF1以外のカテゴリは考えていないと述べ、支援金は2014年のシート獲得活動に充てるとした。 最終的に2013年はF1から離れて、アジア人として初めてスクーデリア・フェラーリとドライバー契約(3月11日契約発表)を結び、GTレースにおいてフェラーリのセミワークス的存在であるイタリアのAFコルセチームより、FIA 世界耐久選手権 (WEC) に参戦することになった。チームメイトは、ジャンカルロ・フィジケラ、ジャンマリア・ブルーニ、トニ・バイランダー。 WECではバイランダー(最終戦はフィジケラ)とコンビを組み、フェラーリ・458イタリアGTCの71号車でLMGTE-Proクラスに参戦。開幕戦シルバーストン2位と好調に滑り出したが、マシンの性能調整 (BoP) に苦戦する。初挑戦のル・マン24時間レースでは総合21位(クラス5位)。地元富士は悪天候により打ち切り(クラス5位)。最終的にドライバーズランキングはクラス7位だったが、フェラーリのGTマニュファクチャラーズタイトル連覇に貢献した。 F1の2014年シーズンが終了後、所属していたケータハムは翌年の参戦が不透明に。そんな中キャリア初期を支えたトヨタからスーパーフォーミュラ岡山テストへの参加オファーを受ける。テストにはチームルマンから参加。そして迎えた2015年、トヨタのモータースポーツ体制発表会にてスーパーフォーミュラへのフル参戦が決まった。実に12年振りの日本国内でのレースとなる。2戦目にして優勝争いに加わり多くの表彰台を獲得する善戦を見せるものの、先んじて参戦していた石浦宏明や中嶋一貴に阻まれPP・優勝は一度も獲得できなかった。 2016年も同チームから参戦するが、モノコックに微細なダメージが入っていたこともあり、入賞わずか1回に終わった。 2017年はチームルマンからKCMGに移籍した。また8月に開催された鈴鹿1000キロでは、TEAM WedsSport BANDOHから初めてSUPER GTに参戦した。KCMGのチーム力と裏腹に優勝に絡む活躍を見せたが、結局PP・優勝ともにならなかった。特にもてぎではトップを快走しながら、ピットの右前タイヤ交換作業で20秒近くを失うミスにより勝利を逃すという、象徴的なレースとなった。 2018年はスーパーフォーミュラに加えてTEAM SARDよりSUPER GTのGT500クラスにもフル参戦。チームメイトは元F1ドライバーのヘイキ・コバライネン。第4戦チャン・インターナショナルサーキットで優勝。これが国内メジャーレースにおける初の(そして現状唯一の)優勝となった。 2019年〜2020年はスーパーフォーミュラに参戦。何度か2位表彰台に上るも、こちらの初優勝はお預けとなった。またSUPER GT×DTMの特別交流戦富士スピードウェイ戦では、GT500のメーカーに所属する日本人ながら、唯一DTM陣営としてBMWから参戦するという離れ業をやってのけている。レース1では決勝14位、レース2では5位であった。 2021年はCOVID-19の影響もあり、スーパーフォーミュラに1戦のみの参戦となった。 2015年に国内レースでのトヨタ復帰とともに、FIA 世界耐久選手権(WEC)のトヨタのワークスチームのリザーブドライバーに就任した。 そして2016年はスーパーフォーミュラに加え、TOYOTA GAZOO Racingに改称したWECチームへのレギュラー参戦が発表され、トヨタ・TS050 HYBRIDの6号車を駆ることとなった。チームメイトはマイク・コンウェイとステファン・サラザン。ル・マン24時間の決勝では2台のTS050がペースを掴み、小林は終盤に3位を走行しポルシェ2号車を脅かしていたが、スピンを喫して勝負権を失った。このスピンがなければ、「残り3分の悲劇」にもかかわらずトヨタが総合優勝を掴んでいた可能性があった。一方でWEC富士ではアウディとのデッドヒートを制して、同シーズントヨタ唯一の優勝に貢献した。シーズンを通しては結果的には善戦し、アウディを上回る総合2位の成績を収めた。 2017年は7号車に搭乗。ル・マンの予選ではコースレコードを更新した。しかし決勝ではピット出口に応援に来たアマチュアドライバーをマーシャルと勘違いして発進し結果的にクラッチを壊し、「偽マーシャル事件」の被害者になり、リタイアした。WECのシーズンはサラザンに代わる新チームメイトでルーキーのホセ・マリア・ロペスのミスも重なって成績は芳しくなく、総合成績では8号車に譲った。 2018年も7号車から参戦。ル・マンでは1度は2分の差をつけた8号車に逆転を許し、自身も黄旗の速度違反やピットインを忘れてガス欠の危機に陥るというミスを犯したものの、完走して日本車×日本人初のル・マン1-2フィニッシュに貢献した。 2019年ル・マンはトップを快走するが、残り1時間というところで、内圧センサーがパンクを示したタイヤとは別のタイヤの異常を示すというトラブルに見舞われ、大逆転で8号車に優勝を譲ってしまった。またWECのタイトルも同時に明け渡した。 2020年ル・マンはポールポジションを獲得するが、折り返し地点でターボ系トラブルが発生して長時間のピットインを余儀なくされ、三たび8号車に敗北を喫した。しかしシリーズでは速さを示し、初のチャンピオンを獲得した。 2021年は引き続き7号車に搭乗。ル・マンではポールポジションを獲得。決勝では7・8号車に燃料系のトラブルが発生したが、チーム一丸となって解決策を見つけ出し、7号車はペースをキープした結果、遂に悲願のル・マン制覇となり、そのままシリーズも連覇した。同年12月24日、 東京運動記者クラブのモータースポーツ分科会から、2021年の最優秀選手賞に選出された。 2022年よりWECトヨタチーム代表を兼任する。 2019年にキャデラックのセミワークスであるウェイン・テイラー・レーシングより、デイトナ24時間レースにとしてスポット参戦。チームメイトはジョーダン・テイラー、レンガー・ヴァン・デル・ザンデ、フェルナンド・アロンソ。小林は夜間の4スティントを走行し、トップを死守。2度の赤旗と雨天による早期終了もあったが、1992年以来の日本人優勝を果たした。 2020年も同チームより参戦。チームメイトはヴァン・デル・ザンデに加えてライアン・ブリスコーとスコット・ディクソンが搭乗。小林は最終スティントを担当し、後続を引き離してトップチェッカーを受け、日本人初となる連覇を達成した。 2021年はアクション・エクスプレスとNASCARの強豪ヘンドリック・モータースポーツのジョイントチームであるアリー・キャデラック・レーシングより、NAEC(ノース・アメリカン・エンデュランス・カップ)の4戦に参戦。近く導入されるLMDh規定の絡み(トヨタにIMSA参戦の余地ができたため)により、おそらく最後の他ワークスからの参戦と位置づけて挑んだが、優勝は果たせなかった(最高順位はデイトナの2位)。 2017年11月15日、フォーミュラEにMS&ADアンドレッティ・フォーミュラEからスポット参戦することが発表された。小林は開幕ダブルヘッダーとなる第1戦、第2戦香港ePrixにトム・ブロムクビストに代わって27号車のステアリングを握る。同年10月に行われたフォーミュラEの公式テストに参加しなかったため、いきなりの実戦となった。スポット参戦には、チームのメインスポンサーである国内保険大手のMS&ADだけでなく、日本人ドライバーを欲していたシリーズ側の意向によると分析されている。日本人ドライバーのフォーミュラEへの参戦は佐藤琢磨(2014-15年シーズン第1戦)と山本左近(2014-15年シーズン第10、11戦)に続いて3人目となる。 かねてより小林はフォーミュラEへの参戦に興味があることが伝えられていた。ただ、2014年に行われた自身のYouTubeチャンネル「KAMUI TV」の公開収録イベントで、レーススピードが物足りなかったりレギュレーションが自身の思い描くレース像と異なっていたりすることから、シートの話はあるものの参戦は控えていると語っていた。また、2017年9月に「フォーミュラEには興味があります。いくつかのチームと話はしていますが、すぐには乗れないでしょう」とも語っていた。 2017年12月2日、フォーミュラ第4シーズンが開幕し、開幕戦である香港ePrixに小林はスポット参戦した。 第1戦、シミュレーターとフィルミングデーで50km/hでしか走らせたことのなかったフォーミュラEの車をうまく乗りこなせず、フリー走行1回目は19位、2回目は14位、予選は13位だった。決勝では無線トラブルもあり、ファンブーストで最多投票数(29%)を獲得したものの使用することなく15位で終えた。第2戦は回生ブレーキのトラブルに苦しみ、予選16位、決勝17位に終わった。 日本企業の支援を受けてF1に昇格したという点では、F1ブーム期以降の日本人ドライバーの系譜に連なる。しかし、トヨタのF1撤退で後ろ盾を失いながらデビュー2戦のパフォーマンスを評価され、2010年のレギュラーシートを確保するに至った。起用を決めたザウバーチーム代表のペーター・ザウバーは「彼は資金を持ち込まずにF1チームに加わった最初の日本人ドライバーだ」「彼はドライブ能力のおかげでF1にいる」と評価した。 しかし結局後に2013年の参戦にあたりチームは不明だが彼は10億円の資金持ち込みを要求された。 F1ジャーナリストの今宮純は「小林はマクラーレンの候補リストに日本人として初めて名を連ねていた」と話している。元F1ドライバーの片山右京は「僕らの夢が動き出そうとしている」とコメントを残した。 マシンの空力的性質上オーバーテイクが難しいといわれるF1において、積極的に追い抜きを仕掛ける姿勢は評価されている。2011年シーズンのオーバーテイク回数は99回で、これはミハエル・シューマッハ(116回)、セバスチャン・ブエミ(114回)についで3番目に多い。一方で、接触する場面もあることから海外を中心に「危険な走り」であると指摘を受けている。本人も接触の多さやアグレッシブ過ぎる部分については認めつつも、他車を巻き込んでのリタイヤは無いので危険ではない。安全だと主張している。 タイヤマネジメントに定評があり、タイヤ交換回数を減らしたり、他のドライバーと異なるタイヤを選択することで順位を大きく上げるレースが多い。一方で他カテゴリはともかくF1での予選の速さではチームメイトに劣ることも多く、ペドロ・デ・ラ・ロサのシーズン途中での交代理由も、ザウバーが可夢偉の一発の速さを疑問視したからであった。 F1デビュー戦の2009年ブラジルGPでは、後方から迫るバトンに対して蛇行で牽制するようなブロックをみせた(通常は一つのコーナーに対してワンアプローチしか認められない)。チャンピオン争いをしていたバトンは可夢偉の走行に過剰に反応し、無線で自分のチームに抗議するよう求めたが「ルーキードライバーの(少々過剰な)行為」にクールになるように窘められている。また、ピットアウト直後に中嶋一貴をブロックして接触し、中嶋はクラッシュした。レース後には全世界のファンの投票で選ばれる「マン・オブ・ザ・レース」に選出された。 2009年アブダビGPでは再びバトンとバトルを展開し、デビュー2戦連続で「マン・オブ・ザ・レース」に選出。バトンを追い抜いたシーンが同サイトの「ベストオーバーテイク」のファン投票で1位を獲得した。 2010年日本GPではヘアピンへのブレーキングで5度のオーバーテイクを成功させ、ライバルや海外メディアに賞賛され、F1公式サイトのコメンタリでは「overtaking king Kobayashi」と絶賛された。レース後、イギリスのテレビ局BBCは小林に対して独占インタビューを行い、コメンテイターのエディ・ジョーダン、マーティン・ブランドルより絶賛を受けた。デビッド・クルサードはコラムにおいて「日曜に彼が見せたオーバーテイクは驚異的だった。アグレッシブでありながらコントロールされており、非常に素晴らしかった」と述べた。また鈴鹿サーキットでは、2011年の日本GPにおいてヘアピンの観客席を増設し「小林可夢偉応援席」として販売したが、通常発売期間を待たずして先行予約期間ですぐに完売してしまった。 この2010年日本GPでのオーバーテイク時に ハイメ・アルグエルスアリと接触し、左サイドポンツーンのエアロパーツを破損して無くすことになるが、その後自身のベストラップを刻み、テレビ解説をしていた片山右京に「彼は破損したマシンの方が速いんですね」と苦笑いをされてしまう。 2010年、同じF1ルーキーのヴィタリー・ペトロフやニコ・ヒュルケンベルグ、GP2のジュール・ビアンキやサム・バード、世界ラリー選手権(WRC)に転向したキミ・ライコネンらを抑えて、「AUTOSPORT Awards」のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。 1996年 - SL宝塚シリーズカデットクラス(3位) 1997年 - TOYOTA SL全国大会カデットクラス(優勝) 1998年 - JAFCUP西地域シリーズカデットクラス(優勝) 1999年
TOYOTA SL全国大会SストックDクラス(優勝) 2000年
鈴鹿カート選手権RSOクラス(シリーズチャンピオン) 2001年
アジアパシフィック選手権ICAクラス(2位) フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール(FTRS)受講・スカラシップ獲得 2002年
エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ<Rd.10にスポット参戦>(決勝DNF) 2003年
マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦 2004年
マカオGPフォーミュラ・ルノー参戦(18位) 2005年
フォーミュラ・ルノー2.0ユーロシリーズ(シリーズチャンピオン・優勝6回) 2006年
F3Ultimate Masters(ASM Formula3 #17 Dallara F305 Mercedes)(決勝11位) F3マカオGP(ASM Formula3 #6 Dallara Mercedes-HWA)(予選PP・決勝19位) 2007年
F3マカオGP(ASM Formula3 #9 Dallara Mercedes-HWA)(予選7位・決勝13位) 2008年
GP2メインシリーズ(DAMS #10)(ランキング16位・優勝1回) 2009年
GP2メインシリーズ(DAMS #17)(ランキング16位・最高位3位) F1世界選手権<Rd.16,17に参戦>(Panasonic Toyota Racing #10)(ランキング18位・入賞1回) 2010年 - F1世界選手権(BMW Sauber Ferrari #23)(ランキング12位・入賞8回) 2011年 - F1世界選手権(Sauber Ferrari #16)(ランキング12位・入賞9回) 2012年 - F1世界選手権(Sauber Ferrari #14)(ランキング12位・入賞9回) 2013年 - FIA世界耐久選手権・LMGTE-PROクラス(AFコルセ #71/フェラーリ458 GTE)(シリーズ7位) 2014年 - F1世界選手権(Caterham Renault #10)(ランキング22位・入賞0回) 2015年 - 全日本選手権スーパーフォーミュラ(KYGNUS SUNOCO Team LeMans #8/ダラーラ・SF14)(シリーズ6位) 2016年
全日本スーパーフォーミュラ選手権(SUNOCO Team LeMans #8/ダラーラ・SF14)(シリーズ17位) 2017年
全日本スーパーフォーミュラ選手権(KCMG #18/ダラーラ・SF14)(シリーズ7位) SUPER GT・GT500クラス<Rd.6スポット参戦>(LEXUS TEAM WedsSport BANDOH #19 WedsSport ADVAN LC500/RI4AG)(シリーズ17位) FIA フォーミュラE選手権<Rd.1,Rd.2スポット参戦>(MS&AD ANDRETTI FORMULA E #27/ANDRETTI ATEC-03)(シリーズ24位) 2018年
全日本スーパーフォーミュラ選手権(carozzeria Team KCMG #18/ダラーラ・SF14)(シリーズ10位) ル・マン24時間レース(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID) 2018-19年 - FIA世界耐久選手権・LMP1クラス(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)(シリーズ2位・2勝) 2019年
ル・マン24時間レース(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID) 全日本スーパーフォーミュラ選手権(carozzeria Team KCMG #18/ダラーラ・SF19)(シリーズ6位) 2019-20年 - FIA 世界耐久選手権・LMP1クラス(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)(シリーズ2位・2勝) 2020年
ル・マン24時間レース(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID) 全日本スーパーフォーミュラ選手権(carozzeria Team KCMG #7/ダラーラ・SF19)(シリーズ16位) 2019-20年 - FIA 世界耐久選手権・LMP1クラス(TOYOTA GAZOO RACING #7/TOYOTA TS050 HYBRID)(シリーズ1位・4勝) : 今シーズンの順位。(現時点) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) : 今シーズンの順位。(現時点) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) (key) : ファンブースト。 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) : 今シーズンの順位。(現時点) 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key) : 今シーズンの順位。(現時点) ^ “小林可夢偉組が悲願の初優勝! “ハイパーカー元年”にトヨタは4連覇達成/ル・マン24時間決勝レポート”. オートスポーツWeb. 三栄書房 (2021年8月23日). 2021年8月23日閲覧。 ^ 普通自動車運転免許を取得できないドライバーは、この特殊なライセンスを取得しなければ4輪レースに出場できない。16〜17歳が対象で、日本自動車連盟が発行。取得すると国内の一部レースに限り出場を認められる。 ^ “Champions ASM renamed ART”. AUTOSPORT.com. 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March 24, 2024閲覧。 AUTO SPORTS YEAR BOOK(三栄書房) AUTO SPORTS(三栄書房) フォーミュラトヨタレーシングスクール トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム 小林可夢偉オフィシャルサイト 小林可夢偉(kamui_kobayashi) - X(旧Twitter) 小林可夢偉(kamuikobayashi) - Instagram 表 話 編 歴 05 ニコ・ロズベルグ 06 ルイス・ハミルトン 07 ティモ・グロック 08 ジョルジオ・パンターノ 09 ニコ・ヒュルケンベルグ 10 パストール・マルドナド 11 ロマン・グロージャン 12 ダヴィデ・ヴァルセッチ 13 ファビオ・ライマー 14 ジョリオン・パーマー 15 ストフェル・バンドーン 16 ピエール・ガスリー 08 ロマン・グロージャン 09 小林可夢偉 10 ダヴィデ・ヴァルセッチ 11 ロマン・グロージャン 10 エステバン・グティエレス 11 バルテリ・ボッタス 12 ミッチ・エヴァンス 13 ダニール・クビアト 14 アレックス・リン 15 エステバン・オコン 16 シャルル・ルクレール 17 ジョージ・ラッセル 18 アントワーヌ・ユベール 表 話 編 歴 1981年 ボブ・ギャレットソン 1982年 ジャッキー・イクス 1983年 ジャッキー・イクス 1984年 ステファン・ベロフ 1985年 デレック・ベル / ハンス=ヨアヒム・スタック 1986年 デレック・ベル 1987年 ラウル・ボーセル 1988年 マーティン・ブランドル 1989年 ジャン=ルイ・シュレッサー 1990年 ジャン=ルイ・シュレッサー / マウロ・バルディ 1991年 テオ・ファビ 1992年 デレック・ワーウィック / ヤニック・ダルマス 2012年 アンドレ・ロッテラー / ブノワ・トレルイエ / マルセル・フェスラー 2013年 アラン・マクニッシュ / ロイック・デュバル / トム・クリステンセン 2014年 アンソニー・デビッドソン / セバスチャン・ブエミ 2015年 ティモ・ベルンハルト / マーク・ウェバー / ブレンドン・ハートレイ 2016年 マルク・リープ / ニール・ジャニ / ロマン・デュマ 2017年 ティモ・ベルンハルト / アール・バンバー / ブレンドン・ハートレイ 2018-19年 フェルナンド・アロンソ / セバスチャン・ブエミ / 中嶋一貴 2019-20年 マイク・コンウェイ / 小林可夢偉 / ホセ・マリア・ロペス 2021年 マイク・コンウェイ / 小林可夢偉 / ホセ・マリア・ロペス 2022年 セバスチャン・ブエミ / ブレンドン・ハートレイ / 平川亮 2023年 セバスチャン・ブエミ / ブレンドン・ハートレイ / 平川亮 2024年 ケビン・エストレ / アンドレ・ロッテラー / ローレンス・ヴァントール 表 話 編 歴 1:LEXUS TEAM TOM'S(平川亮/ニック・キャシディ) 6:LEXUS TEAM LeMans WAKO'S(大嶋和也/フェリックス・ローゼンクヴィスト(Rd.1,2,4-8)/ジェームス・ロシター(Rd.3)) 19:LEXUS TEAM WedsSport BANDOH(国本雄資/山下健太) 36:LEXUS TEAM TOM'S(中嶋一貴(Rd.1,3-8)/ジェームス・ロシター(Rd.2)/関口雄飛) 38:LEXUS TEAM ZENT CERUMO(立川祐路/石浦宏明) 39:LEXUS TEAM SARD(ヘイキ・コバライネン/小林可夢偉(Rd.1,3-8)/坪井翔(Rd.2)) 30: apr(永井宏明/佐々木孝太(Rd.1-5)/織戸学(Rd.5-8)) 31: apr(嵯峨宏紀/平手晃平) 35: PANTHER TEAM THAILAND(ナタウッド・ジャルーンスルカワッタナ/ナタポン・ホートンカム /山西康司(Rd.5)) 60: LM corsa(吉本大樹/宮田莉朋) 96: K-tunes Racing LM corsa(新田守男/中山雄一) 表 話 編 歴 小林可夢偉 (チーム代表) ロブ・ルーペン (チームディレクター) トム・ファウラー (テクニカルディレクター) ジョン・リッチェンス (車両開発プロジェクトリーダー) 小島正清 (GRパワートレーン推進部部長) 佐藤恒治 (TGR-E会長) 中嶋一貴 (TGR-E副会長) 木下美明 村田久武 パスカル・バセロン マイク・コンウェイ 小林可夢偉 セバスチャン・ブエミ ブレンドン・ハートレイ 平川亮 ニック・デ・フリース アンソニー・デビッドソン ニコラ・ラピエール アレクサンダー・ヴルツ ステファン・サラザン 国本雄資 フェルナンド・アロンソ 中嶋一貴 ホセ・マリア・ロペス TS030 HYBRID TS040 HYBRID TS050 HYBRID GR010 HYBRID トヨタ自動車 トヨタ・モータースポーツ (TMG) / トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ (TGR-E) オレカ オベ・アンダーソン アンドレ・デ・コルタンツ 片山右京 鈴木利男 土屋圭市 マーティン・ブランドル エマニュエル・コラール エリック・エラリー ティエリー・ブーツェン ラルフ・ケルナーズ ジェフ・リース ヴィンセンツォ・ソスピリ アラン・マクニッシュ GT-One
トヨタ自動車 トヨタ・チーム・ヨーロッパ
ダラーラ ダン・ガーニー ジョン・ウォード 藤森弘道 小河等 パオロ・バリッラ ジェフ・リース 関谷正徳 ファン・マヌエル・ファンジオ2世 ウィリー・T・リブス(英語版) ロッキー・モラン(英語版) クリス・コード(英語版) ドレイク・オルソン(英語版) P. J. ジョーンズ(英語版) アンディ・ウォレス マーク・ディスモア(英語版) トヨタ・88C イーグル・HF89(英語版) イーグル・MkIII オール・アメリカン・レーサーズ
TRD USA 米国トヨタ自動車販売 林みのる 舘信秀 大国正浩 奥明栄 齋藤治彦 トニー・サウスゲート 舘信秀 星野薫 松本恵二 関谷正徳 中嶋悟 エイエ・エリジュ スタンレー・ディケンズ 長坂尚樹 赤池卓 小河等 浅井順久 鈴木利男 ティフ・ニーデル ジェームス・ウィーバー ジェフ・リース スティーブン・アンドスカー 茂木和男 本橋敏夫 松田秀士 黒澤元治 ケネス・アチソン ベッペ・ガビアーニ トーマス・ダニエルソン ウィル・ホイ アンドリュー・ギルバート=スコット アラン・ジョーンズ マウロ・バルディ ロス・チーバー 鈴木恵一 ディディエ・アルゼット パオロ・バリッラ ステファン・ヨハンソン ジョニー・ダンフリーズ ローランド・ラッツェンバーガー 佐藤浩二 ジャン=ピエール・ジャブイーユ 黒澤琢弥 ピエール=アンリ・ラファネル アンディ・ウォレス ヤン・ラマース エディ・アーバイン ジャック・ヴィルヌーヴ トム・クリステンセン ジョージ・フーシェ マウリツィオ・サンドロ・サーラ マウロ・マルティニ ファン・マヌエル・ファンジオ2世 ジェフ・クロスノフ ボブ・ウォレク 82C 83C 84C 86C MC86X 87C 88C 88C-V 89C-V 90C-V 91C-V TS010 92C-V 93C-V 94C-V 童夢 トムス チームイクザワ サード トムスGB トラスト トヨタ自動車 童夢 トムス トヨタ・レーシング・デベロップメント
ハラルド・アートル ロルフ・シュトメレン 舘信秀 セリカLBターボ シュニッツァー トムス トラスト トヨタ自動車工業 シュニッツァー トムス 細谷四方洋 福澤幸雄 鮒子田寛 大坪善男 久留木博之 川合稔 高橋晴邦 蟹江光正 見崎清志 高橋利昭 ヴィック・エルフォード(英語版) 7 トヨタ自動車工業 ヤマハ発動機 トヨタ自動車のモータースポーツ#耐久レース 表 話 編 歴 山科忠(英語版) ジョン・ハウエット(英語版) オベ・アンダーソン 冨田務 木下美明 パスカル・バセロン 新居章年 フランク・ダーニー 竹内一雄 ルカ・マルモリーニ マイク・ガスコイン グスタフ・ブルナー アンドレ・デ・コルタンツ ヨルグ・ザンダー マーク・ギラン ミカ・サロ アラン・マクニッシュ オリビエ・パニス クリスチアーノ・ダ・マッタ リカルド・ゾンタ ラルフ・シューマッハ ヤルノ・トゥルーリ ティモ・グロック 小林可夢偉 フランク・モンタニー 平手晃平 TF101 TF102 TF103 TF104 TF104B TF105 TF105B TF106 TF106B TF107 TF108 TF109 TF110 パナソニック デンソー KDDI EMCコーポレーション ブリヂストン トヨタF1 ジョーダン ミッドランド ウィリアムズ トヨタ自動車 トヨタ・モータースポーツ (TMG) トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム 富士スピードウェイ 表 話 編 歴 アレッサンドロ・アルニ・ブラビ (チーム代表) マッティア・ビノット (COO、CTO) ゲルノット・デルナー(英語版) (アウディCEO) ジェームス・キー (テクニカルディレクター) イグナシオ・ルエダ(英語版) (スポーティングディレクター) ジャンパオロ・ダッラーラ (レーシングエンジニア) セビ・プホラル(英語版) (トラックサイドエンジニアリング責任者) ルース・バスクーム(英語版) (ストラテジスト) フィン・ラウジング アンドレアス・ザイドル オリバー・ホフマン ビート・ツェンダー バルテリ・ボッタス 周冠宇 C44 Kick Stake(英語版) Accelleron 安慕希 Camozzi Everdome Fix Network ハイランドソフトウェア Mascot Workwear Rebellion Timepieces 商湯科技 ビア・シン 商湯科技 スノコ Web Eyewear Zero Petroleum Cielo Ciesse Piumini Code Zero エクストリーム・ネットワークス GlobeAir JigSpace LEMO マレリ MindMaze ピレリ プーマ Save The Children Vibratech WhistlePig ザウバー・モータースポーツ アウディ・フォーミュラ・レーシング アウディAG ペーター・ザウバー モニシャ・カルテンボーン フレデリック・バスール フィン・ラウジング ビート・ツェンダー ジェームス・キー ピエール・ワシェ ウィレム・トーエ マーク・スミス ヨルグ・ザンダー ルカ・フルバット シーマス・マラーキー ペドロ・デ・ラ・ロサ 小林可夢偉 セルジオ・ペレス ニコ・ヒュルケンベルグ エステバン・グティエレス エイドリアン・スーティル マーカス・エリクソン フェリペ・ナッセ パスカル・ウェーレイン アントニオ・ジョヴィナッツィ シャルル・ルクレール C29 C30 C31 C32 C33 C34 C35 C36 C37 → アルファロメオ テルメックス Claro(英語版) Telcel NEC チェルシーFC ブラジル銀行 CNBC アルファロメオ ザウバー・モータースポーツ ロングボウ・ファイナンス(イスレロ・インベストメントAG)(イタリア語版) ペーター・ザウバー ペーター・ザウバー レオ・レス ハーベイ・ポスルスウェイト マイク・ガスコイン スティーブ・ニコルズ アンドレ・デ・コルタンツ ビート・ツェンダー マックス・ウェルティ 後藤治 ヨースト・カピート セルジオ・リンランド ジャッキー・エッケラート(英語版) ウィリー・ランプ カール・ベンドリンガー J.J.レート ハインツ=ハラルド・フレンツェン アンドレア・デ・チェザリス ジャン=クリストフ・ブイヨン ジョニー・ハーバート ニコラ・ラリーニ ジャンニ・モルビデリ ノルベルト・フォンタナ ジャン・アレジ ペドロ・ディニス ミカ・サロ ニック・ハイドフェルド キミ・ライコネン フェリペ・マッサ ジャンカルロ・フィジケラ ジャック・ヴィルヌーヴ C12 C13 C14 C15 C16 C17 C18 C19 C20 C21 C22 C23 C24 → BMWザウバー レッドブル ペトロナス マレーシア政府観光局(英語版) クレディ・スイス PPザウバーAG ザウバー・ペトロナス・エンジニアリング(英語版)(SPE) フリッツ・カイザー・グループ(英語版)(FKG) 表 話 編 歴 トニー・フェルナンデス アレックス・ユーン リアド・アスマット マイク・ガスコイン キース・サゥント マーク・スミス スティーブ・ニールセン コリン・コレス クリスチャン・アルバース マンフレディ・ラヴェット ヤルノ・トゥルーリ ヘイキ・コバライネン カルン・チャンドック ヴィタリー・ペトロフ シャルル・ピック ギド・ヴァン・デル・ガルデ 小林可夢偉 マーカス・エリクソン アンドレ・ロッテラー ウィル・スティーブンス T127 T128 CT01 CT03 CT05 1マレーシア ゼネラル・エレクトリック エアバス デル/インテル エアアジア チューン・グループ ナザ・グループ ケータハムカーズ ルノー CNN EQ8エナジー HPE PACT 表 話 編 歴 (2010.07.18) ・ フィリップ・トルシエ 寺田陽次郎 小原工 (2010.08.06) 朝日健太郎 浦田聖子 篠宮龍三 塚原光男 (2010.09.07) 荻原健司 (2010.09.29) 小林可夢偉 (2010.10.18) 船木和喜 (2010.10.26) 大林素子 (2010.12.06) ドラガン・ストイコビッチ (2011.08.09) 廣道純 福島千里 (2011.11.25) 有森裕子 (2011.11.28) 鏑木毅 (2012.02.28) 駒澤李佳 (2012.03.24) 李大浩 (2012.03.29) アルベルト・ザッケローニ (2012.07.18) フランコ・バレージ 溝畑宏(観光庁長官) 坪田知広(観光庁スポーツ観光推進室長) 志村格(観光庁観光地域振興部長) 観光庁 観光大使 VIAF 日本 日本のドライバー 日本のF1ドライバー トヨタのF1ドライバー ザウバーのF1ドライバー ケータハムのF1ドライバー GP2シリーズのドライバー GP2アジアシリーズのドライバー スーパーフォーミュラのドライバー ユーロF3のドライバー マカオグランプリのドライバー FIA 世界耐久選手権のドライバー IMSA スポーツカー選手権のドライバー SUPER GTのドライバー スーパー耐久のドライバー フォーミュラEのドライバー スパ24時間レースのドライバー デイトナ24時間勝者 ル・マン24時間勝者 兵庫県出身のスポーツ選手 1986年生 存命人物 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/23 16:55更新
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kobayashi kamui
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