尾崎好美の情報(おざきよしみ) 陸上競技/マラソン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
尾崎 好美さんについて調べます
■名前・氏名 |
尾崎好美と関係のある人
赤羽有紀子: 結果ロンドン五輪女子マラソン日本代表は木崎・重友・尾崎好美(名古屋ウィメンズで日本人トップの2位)の3名が選出、赤羽は惜しくも落選し補欠選出に留まった(なお補欠選手は同年6月29日をもって解除、以降正式代表選手が故障等で出場辞退しても補欠の補充はされなくなった)。 マーラ=ヤマウチ: 2008年11月の東京国際女子マラソンでは優勝した尾崎好美と2位の加納由理に次ぐ3位に入るとともにマラソン自己ベストを7秒更新した。 山下佐知子: 2008年11月16日、第30回東京国際女子マラソンを愛弟子の尾崎好美が優勝。さらに翌2009年8月23日、世界陸上ベルリン大会女子マラソンでは尾崎好美が2位に入り銀メダルを獲得。 加納由理: 8月、世界陸上ベルリン大会女子マラソンでは、優勝した白雪や2位の尾崎好美らが30 km過ぎから仕掛けたスパートにはついていけなかったものの、レース終盤も粘り続けた結果7位入賞を果たす。 渋井陽子: 34km付近辺りで先頭集団から徐々に遅れ始め、優勝のアルビナ・マヨロワ(ロシア)や、尾崎好美(2位)・中里麗美(3位)に先行され、日本人3番手の4位でゴール。 周春秀: 中国)、2位銀メダルは尾崎好美)。 渋井陽子: 同女子マラソンの日本代表は4人で出場、その内尾崎好美が銀メダルを獲得)。 重友梨佐: 完走はなんとか果たしたが、結局2時間40分台の79位(当初)と惨敗だった(他木崎良子16位、尾崎好美19位で日本女子3選手ともメダル・入賞ならず)。 福士加代子: 世界陸上選手権・女子マラソンの種目で日本代表のメダル獲得は、2009年・世界陸上ベルリン大会で尾崎好美が2位入賞・銀メダル以来、2大会ぶりとなった(木崎良子は4位入賞、野口みずきは33km付近で途中棄権)。 三村仁司: 君原健二、瀬古利彦、谷口浩美、森下広一、高橋尚子、有森裕子、野口みずき、イチロー、長谷川穂積、尾崎好美、小崎まり、青木宣親、内川聖一、香川真司、木﨑良子などのシューズ製作を担当した。 加納由理: 終盤まで先頭争いを演じる健闘を見せたが、あと一歩及ばず、中村友梨香、尾崎好美に次ぐ3位だった。 中村友梨香: その後は中村の独走状態となり、同じく初マラソンで2位だった尾崎好美に28秒の差をつけ、2時間25分台(自己ベスト記録)でいきなりフルマラソン初優勝を果たした。 山下佐知子: 尚山下は指導者として、前回ロンドン大会の尾崎好美に続いて、2大会連続でオリンピック・女子マラソン日本代表選手を輩出する事となった。 山下佐知子: 2012年3月12日、尾崎好美が同年8月5日開催のロンドンオリンピック・女子マラソン日本代表に選出。 岩水嘉孝: その地点で、一度はボトルを落とし給水に失敗した尾崎好美選手に対し岩水は全力疾走で追走し、取り損ねたボトルを尾崎に手渡すという好援護をした。 加納由理: 11月、最後の開催となった第30回東京国際女子マラソンに出場するも、優勝した尾崎好美に終盤の38 km手前でかわされる。 渋井陽子: 38.4Kmで優勝した尾崎好美に逆転され、その後も加納由理、マーラ・ヤマウチ(イギリス)にかわされて4位に留まった。 中里麗美: ゴール残り1Kmを切るまで尾崎好美とのマッチレースを繰り広げたが、ゴール目前で尾崎の飛び出しに引き離される。 新谷仁美: 那須川瑞穂(アルゼAC)と新谷が尾崎好美(第一生命)と山下郁代(三井住友海上)をふりきってスパートし、先頭のクリスティーニ・ムヤンガ( 山下佐知子: 自ら指導し活躍した女子選手には、伊藤真貴子(1997年11月の第19回東京国際女子マラソンで優勝)、尾崎好美、野尻あずさ、田中智美、上原美幸などがいる。 中里麗美: 39Km付近までトップグループへ積極果敢についていき、優勝した尾崎好美のラストスパートには離されたものの、初マラソンの記録をちょうど10分縮める2時間24分台の好タイムで2位に入った。 |
尾崎好美の情報まとめ
尾崎 好美(おざき よしみ)さんの誕生日は1981年7月1日です。神奈川出身の陸上競技
マラソンのようです。
主な戦績、マラソン全成績などについてまとめました。引退、現在、卒業に関する情報もありますね。尾崎好美の現在の年齢は42歳のようです。
尾崎好美のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)尾崎 好美(おざき よしみ、1981年7月1日 - )は、日本の女子陸上競技元選手。専門は長距離走・マラソン。 主な実績に、2009年8月・世界陸上ベルリン大会女子マラソン銀メダリスト、2012年8月ロンドンオリンピック女子マラソン日本代表(18位) 、2008年11月・東京国際女子マラソン及び2011年2月・横浜国際女子マラソン各優勝など。 神奈川県足柄上郡山北町出身。実姉の尾崎朱美(現姓・石毛)も陸上競技元選手で、現役時代は資生堂~セカンドウィンドAC(SWAC)に所属。引退後姉の朱美はSWACスタッフ・一般市民ランナーとして活動、現在は1児の母となる。 山北町立山北中学校在学時は陸上部には所属せず、バスケットボール部に所属。大会が行われるごとに常設の陸上部と、他の運動部等から選抜された部員で結成する特設陸上部に、好美も選抜はされるものの、肝心の大会メンバーに選ばれないこともあり、目立った活躍はなかった。私立相洋高等学校卒業後、2000年に第一生命保険相互会社入社、陸上競技部へ入部。 第一生命入社後は、主にトラック競技・駅伝に出場。女子マラソンでは山下佐知子監督の指導を受け、実力アップを図る。しかしフルマラソン出場までは、その後長い年月を要した。 姉に遅れること2年、ようやく山下監督の許しを得て、2008年3月9日の第29回名古屋国際女子マラソンに一般参加選手として初マラソンに挑戦。2000年シドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子など強豪の日本選手が出場する中、積極的にレース終盤まで先頭集団に加わった。32Km過ぎ、中村友梨香(天満屋)が仕掛けたロングスパートについていけず、中村には28秒差で届かなかったが、2位と健闘した。 同年11月16日、最後の開催となった第30回東京国際女子マラソンで2度目のマラソンに出走。終盤の38km手前で当時姉と同じチームメイトだった加納由理(現・資生堂)をかわし、38.4km地点で先頭を走っていた渋井陽子(三井住友海上火災保険)を追い抜き逆転、自己ベスト記録でマラソン初優勝を果たす。これにより、2009年世界陸上ベルリン大会(ドイツ・ベルリン)の女子マラソン日本代表に即内定で初選出された。 2009年8月23日に行われた世界陸上ベルリン大会の女子マラソン本番レースでは、他の代表選手とともに終始先頭集団に加わり、後半のペースアップにもついていった。35km過ぎの給水地点で給水ボトルを取り損ねるものの、この大会男子3000メートル障害代表で給水スタッフを務めていた岩水嘉孝(富士通)が、落としたボトルを拾い猛ダッシュして手渡すというシーンもあった。38km辺りで一度は先頭に立ち尾崎自らスパートを仕掛けたが、優勝した白雪(中国)らに食いつかれ、40km地点からは2人のデッドヒートが続いた。最後の41km付近で白雪のスパートに引き離され、10秒差で2位となったが、日本における世界陸上女子マラソン史上で合計10個目(金2・銀5・銅3)のメダルとなり、奇しくも18年前の世界陸上東京大会での山下佐知子と全く同じ銀メダルを獲得。また、世界陸上ベルリン大会女子マラソン団体戦でも、日本代表として銀メダルを獲得した。 2010年4月25日、エイヤフィヤトラヨークトルの噴火(アイスランド)の影響により、一時開催も危ぶまれていたロンドンマラソンに出走。だが調整ミスもあってか、レース中盤で先頭集団についていけず優勝争いから脱落、結局13位に留まった。 2011年2月20日、第2回横浜国際女子マラソンに出場。レースでは終始先頭集団を走り、39km付近からスパートをかけてペースを上げて後続を振り切ると、自身2番目の記録でマラソン2回目の優勝を果たす。これにより、2011年世界陸上大邱大会(韓国・大邱)の女子マラソン日本代表に、世界陸上選手権に二大会連続で即内定で選出された。 2011年8月27日、世界陸上大邱大会の女子マラソン本番レースでは、世界陸上連続メダル獲得の期待が掛かっていた。しかし、32Km過ぎからのケニア・エチオピア勢の急激なペースアップについていけず、一方的に突き放される。結局日本女子では赤羽有紀子(ホクレン・5位入賞)・中里麗美(ダイハツ・10位)に次ぐ3番手の17位 に終わった。また女子マラソン団体戦でも日本代表は、1997年の世界陸上アテネ大会で採用されて以降、初めて表彰台を逃してしまう結果となった。 2011年11月20日、第3回横浜国際女子マラソンへ同大会2連覇と、翌2012年8月開催のロンドンオリンピック女子マラソン代表選出を目指して出場。気温22度の高温下のレースとなるが、前回大会同様に先頭付近をひた走り、40km過ぎには一旦自らラストスパートを仕掛ける。しかしその後失速、残り1Kmを過ぎてから優勝した木崎良子(ダイハツ)に逆転されてしまい、17秒差の2位と敗退。レース後の尾崎は「貧血の症状が出てしまい思うように練習が出来なかった」と悔し涙を浮かべていた。 2011年12月18日、宮城県で初開催の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では1区を担当し区間賞を獲得、第一生命チームの総合優勝(2002年以来9年ぶり2回目)に貢献。レース後、2012年3月11日の名古屋ウィメンズマラソンで、五輪代表入りに再挑戦する意向を表明した。 その名古屋ウィメンズマラソンでは終始先頭集団に加わったが、35Km過ぎに後方から追い上げ優勝したアルビナ・マヨロワ(ロシア)に食らいつくも、37Km手前でマヨロワの飛び出しにはついていけなかった。その後は中里麗美との日本人争いのデッドヒートを繰り広げたが、ゴール迄残り700m地点で満を持した尾崎が中里をようやく振り切って、日本女子トップの2位でフィニッシュ。その翌日の3月12日、同年7月より行われる念願のロンドン五輪日本代表選手に、最後の3番目で初選出された。 2012年8月5日、期待されたロンドン五輪・女子マラソン本番レースに出走したが、中間点を過ぎた所で先頭集団のロングスパートに全く対応出来ず、ズルズルと後退してしまう。途中迄は日本人トップで走っていたが終盤で木崎に追い抜かれ、8位入賞ラインにも届かないまま、結局日本女子2番手の19位(当初)に終わった(当時木崎良子が日本人首位ながらも16位、重友梨佐は79位で3選手共メダル・入賞ならず)。 しかし、ロンドン五輪・女子マラソン開催より3年経過後の2015年11月、ウクライナ陸連は当初5着(ゴール記録は2時間24分32秒)だったタチアナ・ガメラの血液データを蓄積し変化を調べる「生体パスポート」の検査で異常値を示した為、ガメラをドーピング違反と判定。ガメラのロンドン五輪5着の順位・ウクライナ記録をそれぞれ取り消した為、同五輪・女子マラソンの尾崎の19着の順位が18位に繰り上がった(他木崎は15位、重友も78位に繰り上げ)。 2013年2月24日の東京マラソン2013を機に第一線を退き、同年3月末をもって第一生命陸上部を退部する考えを明らかにした。その東京マラソン本番は、優勝のアベル・ケベデ(エチオピア)から約3分遅れたが、日本女子では首位の5位でフィニッシュ。レース後の尾崎は「少し寂しい気持ちもあるけど、やっと休めるという気持ちが大きい」と安堵の笑みを浮かべていた。 現役引退後の2016年現在は第一生命・女子陸上部のアドバイザーとして、全国各地のマラソン大会ゲストランナーや、ランニング教室参加等で活動中。 2016年3月17日は、第一生命所属の後輩選手・田中智美が、同年8月開催のリオデジャネイロオリンピック女子マラソン・日本代表へ正式に選出される(第一生命所属女子選手としては五輪2大会連続で女子マラソン代表入りに)。その当日、都内で山下監督と田中の記者会見時に尾崎がサプライズで登場し、田中・山下と共に五輪選出の祝福と熱い抱擁を交わし大喜びしていた。 主な戦績2006年 横浜国際女子駅伝日本代表(4区) 2006年 IAAF世界クロスカントリー選手権福岡大会(女子シニア8km):19位(26分45秒) マラソン全成績
2024/06/17 13:51更新
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ozaki yoshimi
尾崎好美と同じ誕生日7月1日生まれ、同じ神奈川出身の人
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