渋井陽子の情報(しぶいようこ) 陸上競技/マラソン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
渋井 陽子さんについて調べます
■名前・氏名 |
渋井陽子と関係のある人
尾崎好美: 終盤の38km手前で当時姉と同じチームメイトだった加納由理(現・資生堂)をかわし、38.4km地点で先頭を走っていた渋井陽子(三井住友海上火災保険)を追い抜き逆転、自己ベスト記録でマラソン初優勝を果たす。 新谷仁美: 12月4日、東京オリンピック選考会を兼ねた日本陸上競技選手権長距離種目(長居陸上競技場)の10000mに出場、渋井陽子の日本記録を18年ぶりに28秒45更新する30分20秒44の日本新記録で優勝し、10000mのオリンピック代表に内定した。 重友梨佐: 大阪国際女子マラソンで2回優勝の日本選手は、渋井陽子・赤羽有紀子・福士加代子に続いて史上4人目となる。 ポーラ=ラドクリフ: 同年10月13日のシカゴマラソンでは、当時の世界記録保持者だったキャサリン・ヌデレバや、ロンドンでも対決したザハロワ、地元強豪選手のディーナ・カスター、日本からも渋井陽子、千葉真子などの有力選手が出場する中、ロンドンとは違い前半からハイペースで飛ばし有力選手を次々とふるい落とし、ヌデレバの記録を1分以上更新する、2時間17分18秒の世界最高記録をマークしてマラソン2連勝を果たす。 原裕美子: レース後半に入ると優勝候補だった渋井陽子が脱落、2位の大島めぐみや3位の北島良子らと競り合う。 赤羽有紀子: 優勝すれば北京五輪内定となる2008年6月27日の日本陸上競技選手権の女子10000mでは、日本女子長距離トラックの第一人者である渋井陽子・福士加代子とラスト1周まで競り合った。 川上優子: レース終盤は渋井陽子らとデッドヒートとなったが、最後の100mで川上が抜け出して優勝。 赤羽有紀子: 30km付近から渋井陽子とのマッチレースになるが、31kmを過ぎてからは更にスパートをかけた渋井についていくことができなかった。 野口みずき: 野口と同期生で前日本記録保持者の渋井陽子や、有力選手のサリナ・コスゲイとの優勝争いが予想されたが、レース後半の30km手前で渋井を引き離し、35kmで粘るコスゲイもスパートで競り落とし、35kmから40kmまで続く5kmの急な上り坂を過去最速となる初の16分台のラップタイム(16分55秒)で通過するなど、圧倒的な強さでこの難コースを完璧に攻略。 福士加代子: ゴール後に引退セレモニーが開かれ、増田明美・有森裕子・高橋尚子・千葉真子・野口みずきら歴代の日本女子長距離ランナーが参加して花束を手渡した ほか、現役時代に競い合った渋井陽子と小崎まりもサプライズゲストとして花束を渡している。 千葉真子: 1月、アテネオリンピック女子マラソン代表選出を再び目指して、大阪国際女子マラソンに出場したが、27km過ぎでスパートして先頭集団を崩すものの、30km過ぎの坂本直子のスパートに大南博美、渋井陽子と共に引き離され、2時間27分38秒の2位で五輪代表に手が届かなかったものの、補欠代表に留まった(アテネ五輪代表は野口みずき、坂本直子、土佐礼子。 福士加代子: その年は大会の20回記念大会だったため「記念の節目にみんなで優勝しよう」を合言葉に10区を担当した渋井陽子(三井住友海上所属)とともにチームの優勝に貢献した。 原裕美子: 約1年半ぶりのマラソンとなった2007年1月28日の大阪国際女子マラソンでは、序盤からハイペースで飛ばした渋井陽子にぴったりとマーク。 加納由理: その後先頭を走っていた渋井陽子を追い抜き自己ベストを16秒更新したが、2位に留まった。 大南博美: それでも、2004年9月26日のベルリンマラソンで2位入賞を果たし、敬美の自己記録を17秒上回る、2時間23分26秒の好記録を出している(優勝は当時日本最高記録達成の渋井陽子)。 森本友: 気温29度という暑さの中、33km過ぎで2位グループについていた嶋原清子・渋井陽子らを振り切ってスパート、40Km手前で最大3分近くの差があった吉田香織をかわして逆転。 野口みずき: しかし気温が20度近くと高かったため、記録は2時間25分台に留まり、当時渋井陽子の持つ初マラソン世界最高記録(2時間23分11秒)には届かなかった。 中村友梨香: 世界陸上ベルリン大会女子マラソン代表組(渋井陽子、藤永佳子、加納由理)との同走となるも、前週の日本選手権の好調を維持して、1時間9分20秒の自己ベストタイムで初優勝した。 千葉真子: しかし10月のシカゴマラソンでは、ポーラ・ラドクリフ、キャサリン・ヌデレバ、渋井陽子、スベトラーナ・ザハロワなどの序盤からのハイペースについていけず、15km過ぎで遅れ出し9位に終わる。 小崎まり: 35Km付近で前方に居た渋井陽子を追い抜き、それ以降はゴール直前まで加納由理と2位争いのデッドヒートと成るが、結果3位・加納と4秒の僅差で先着し、2時間24分39秒の2位に入った(優勝者は原裕美子)。 小林祐梨子: 2008年6月29日、第92回日本陸上選手権5000mに出場、福士加代子・渋井陽子・赤羽有紀子といった有力選手を向こうに回し、決勝レースで15分11秒97のタイムで走り抜き、堂々の優勝を飾った。 野口みずき: そしてこの記録は孫英傑が持っていたアジア記録、渋井陽子が前2004年のベルリンマラソンで出していた日本記録を共に更新し、当時のラドクリフ、ヌデレバの記録に次ぐ世界第3位であった(2022年時点では44位)。 弘山晴美: 37歳となった2006年3月の名古屋国際女子マラソンでは、41キロ地点までトップを走っていた渋井陽子を、一時は最大58秒もあった差を驚異的な粘りでかわして大逆転、自己最高に迫る2時間23分台の好タイムで悲願のマラソン初優勝を果たした。 森本友: 2009年8月開催の世界陸上ベルリン大会女子マラソン選考では、昨年の北京五輪に引き続いて補欠代表に選出されたが、体調不十分のため同女子マラソン日本代表チームとの同行を辞退した(なお世界陸上正式代表の渋井陽子が故障で欠場、世界陸上同大会女子マラソンの日本代表は1名少ない総勢4名で出場)。 福士加代子: 優勝すれば北京五輪代表内定となる6月27日の日本選手権の10000mでは、渋井陽子と赤羽有紀子(ホクレン)らの激しい競り合いを展開し、勝負はラスト1周まで持ち込まれたが、渋井(優勝)・赤羽(2位)のラストスパートに遅れを取って3位(31分18秒79)と敗れ、五輪内定には至らなかった。 原裕美子: 世界陸上ベルリン大会女子マラソンの国内選考レースである、2009年1月25日の大阪国際女子マラソンに出走したが、30km付近で先頭集団から抜け出した渋井陽子(優勝)と赤羽有紀子(2位)らについていけず、3位でゴール。 川上優子: 引退会見時、川上の好敵手として頭角を現し始めた渋井陽子や福士加代子らに対して、「どこまでやれるか是非挑戦し続けて欲しい」と笑顔でエールを送っている。 新谷仁美: その結果、新谷は渋井陽子(三井住友海上)、福士加代子に次いで日本人3人目の30分台となる30分59秒19の日本女子歴代3位の好タイムをマークして9位でゴール。 土佐礼子: 土佐のフルマラソンの成績は、自己最高記録こそ同僚の渋井陽子には負けるが、渋井の成績が順位と記録の変動が大きいのに対して、土佐の成績は北京五輪・名古屋ウィメンズマラソンを除いて常に5位以内でゴールし、また愛媛マラソン(2回)・北京プレオリンピックマラソン・北京五輪・名古屋ウィメンズマラソンを除けば2時間30分台以内の記録で走っており、安定感では土佐の方が渋井を上回っていた。 清水由香: 同期入社に土佐礼子、先輩には渋井陽子などがいる。 |
渋井陽子の情報まとめ
渋井 陽子(しぶい ようこ)さんの誕生日は1979年3月14日です。栃木出身の陸上競技
マラソンのようです。
卒業、趣味に関する情報もありますね。去年の情報もありました。渋井陽子の現在の年齢は45歳のようです。
渋井陽子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)渋井 陽子(しぶい ようこ、1979年3月14日 - )は、日本の陸上競技選手。主な競技種目はマラソン、長距離トラック・10000m、駅伝など。2002年から18年にわたって10000mの日本記録を保持し、女子マラソンでも日本歴代4位の記録を持つ。2008年北京オリンピック女子長距離走(10000m)代表、2001年世界陸上エドモントン大会女子マラソン4位入賞。血液型はO型。 栃木県黒磯市(現・那須塩原市)出身。黒磯市立共英小学校、同厚崎中学校卒業。小学校の時から運動が好きでマラソン大会などもトップだった。中学時代は陸上部所属。 1994年、厚崎中学校卒業後、栃木県立那須拓陽高等学校に進学。高校総体栃木県大会で大会新をマーク、国体や全国高校駅伝でも活躍する。全国高校駅伝には高校2・3年時の1995年・1996年大会に出場し、いずれも同学年で2年連続1区区間賞のアン・ワムチ(仙台育英)、山中美和子(添上)、秦由華(市立船橋)らを相手に、エース区間1区6kmで14位・3位の成績だった。 1997年に高校卒業後は大学には進まずに、当時の三井(現・三井住友)海上火災保険に入社、女子陸上部へ入部。20世紀中は、トラック競技・駅伝・長距離走で力を蓄えていった。 2001年1月の第20回記念大阪国際女子マラソンが初マラソンだったが、いきなり2時間23分11秒の当時初マラソン世界最高記録を達成して初優勝(当時1位記録を3分以上更新)、衝撃的なマラソンデビューを果たしている。同年8月の、世界陸上選手権エドモントン大会女子マラソン代表に選出された。 そのエドモントン世界陸上女子マラソンでは、本番前に風邪で体調を崩しながらも、リディア・シモン(ルーマニア)、土佐、スベトラーナ・ザハロワ(ロシア)らと先頭集団で最後まで争い、惜しくもメダルにあと一歩の4位に入賞。土佐礼子の銀メダル獲得と併せて、日本女子のマラソン団体優勝に貢献する(世界陸上では国別の団体戦も行われているため)。一躍2004年8月開催のアテネオリンピックの代表有力候補として注目されるようになった。 翌2002年5月には、アメリカのパロアルトの競技会で女子10000mの日本記録更新に挑戦、当時川上優子の持つ31分09秒46のタイムを20秒以上更新する、日本女子で初めて30分台に突入する30分48秒89の日本新記録を達成した(2位のディーナ・カスター(アメリカ合衆国)も当時のアメリカ新記録を樹立)。この記録は、新谷仁美が2020年12月4日に30分20秒44の新記録を出すまで18年間にわたって日本記録であった。 同年10月のシカゴマラソンでは、日本記録更新も期待されていた。序盤からポーラ・ラドクリフ(イギリス)、キャサリン・ヌデレバ(ケニア)らのハイペースに付いて行き、終盤はややペースダウンとなるが2時間21分22秒の3位に入り、自己記録を大きく更新した。 2003年3月の第24回名古屋国際女子マラソンに出走予定だったが、エントリー発表直前に足を故障、出場を断念。2003年8月の世界陸上選手権パリ大会は、マラソンでは無く10000mで出場したが周回遅れとなり、結局31分42秒01の記録で14位に終わる。 翌2004年アテネ五輪の女子マラソン代表選考レースだった、同年1月の第23回大阪国際女子マラソンでは、前半の思わぬ超スローペースに惑わされる。10Km過ぎから渋井自ら先頭集団を引っ張る形となり、27km地点付近の大阪城公園内で千葉真子の飛び出しには何とかついたが、優勝した坂本直子の30km地点から猛烈な高速スパートには全くついていけなかった。その後は完全にスローダウンとなり後続の選手に次々抜かれ、結局ゴール順位は9位と完敗だった。 2004年6月のアテネ五輪陸上競技選考会だった日本陸上選手権では、長距離トラック代表で五輪選出を目指したものの、女子10000mは9位、女子5000mは12位に終わり、目標だったアテネ五輪出場はならなかった。 2004年9月のベルリンマラソンでは、当時シドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子が持っていた日本記録を5秒更新する、2時間19分41秒(当時世界歴代4位)をマークして優勝(獲得賞金7万ユーロ・約950万円)、雪辱を果たした(その後、翌2005年9月のベルリンマラソンで、アテネ五輪金メダリストの野口みずきに日本記録を塗り替えられる)。この記録は、2013年8月時点で女子マラソン日本歴代2位(世界歴代12位)である。 2005年3月の第26回名古屋国際女子マラソンでは、レース直前に風邪を引き体調不良による影響で、35kmの手前で優勝争いから脱落。結果7位に終わり、世界陸上ヘルシンキ大会のマラソン代表入りを逃した。翌2006年3月の第27回名古屋国際女子マラソンでは、レース序盤から独走するも終盤ペースダウン、ゴールまで残り約1km付近で弘山晴美に逆転され、惜しくも2位となる。 2007年1月に行われた第26回大阪国際女子マラソンには、ほぼ同じコースで行われる世界陸上大阪大会女子マラソン代表を目指して出場。序盤から野口みずきの持つ大会新記録を目指し、優勝した原裕美子と共にハイペースで飛ばしたが、中盤で故障が発生して29Km付近で原に突き放される。その後34km過ぎでは突然立ち停まってしまい、両足を屈伸する場面も有って急失速、結果10位に終わり又も世界陸上出場は断たれた。 2008年8月に開催される北京オリンピックの女子マラソン国内代表選考会だった、2007年11月の第29回東京国際女子マラソンに出場。現日本記録保持者の野口みずきとの一騎討ちが予想されたが、後半の30km手前で再び失速。その後は尾崎朱美や大南博美らにも抜かれて結局7位と敗北、前回のアテネ五輪に続いて北京五輪も女子マラソン代表を逃した。 しかし2008年4月27日の兵庫リレーカーニバル女子10000mでは2位に入り、五輪参加標準記録Aを突破する31分19秒73の好タイムをマーク。そして同年6月27日の日本陸上選手権女子10000mでは、ゴール直前まで2位の赤羽有紀子と3位の福士加代子らとデッドヒートを展開、残り50m渋井が先頭に立ち、31分15秒07の大会新記録で日本選手権初優勝を果たした。これによって、渋井の北京五輪代表が内定となる(6月29日の女子5000mにも出場したが4位留まりだった)。その後6月30日の日本陸連理事会において、念願であった初のオリンピックへは、長距離トラック種目(10000m)の代表として正式に選出となった。 北京オリンピックの女子10000m本番レースは2008年8月15日に行われたが、序盤からの超高速なペースについていけず、終盤周回遅れとなり17位に終わった(ゴールタイムは31分31秒13)。 今大会で最後となる2008年11月の第30回東京国際女子マラソンに出場(世界陸上ベルリン大会選考レース)。レース前半から5Kmラップ16分台のハイペースで独走していたが、後半で17〜19分台にペースダウン。38.4Kmで優勝した尾崎好美に逆転され、その後も加納由理、マーラ・ヤマウチ(イギリス)にかわされて4位に留まった。 東京から約2か月後の2009年1月に開催された第28回大阪国際女子マラソンへ、世界陸上代表選出を目指して再挑戦。レース序盤から5Kmラップが17分台前半で進む先頭集団に加わっていたが、30Km付近で渋井自らロングスパートを仕掛ける。それについていったのは今回初マラソンの赤羽有紀子ひとりだったが、31Km過ぎでさらに渋井がスパートすると赤羽もついていけなくなり、渋井の独走状態となる。スピードは最後まで衰えることなく、40 km〜ゴールまでのタイムも7分2秒と歴代日本人最速となるラップを叩きだし、結果2位の赤羽とは1分58秒の大差をつける圧勝で、2004年9月のベルリン以来4年4か月ぶりのマラソン優勝を飾り、世界陸上ベルリン大会・女子マラソン代表に内定する。 しかし、2009年8月の世界陸上ベルリン大会女子マラソン本番前に、右足の甲を痛めるケガが悪化。疲労骨折と診断されたため、同レースを欠場する事を表明した(補欠の森本友も体調不良により出場辞退。同女子マラソンの日本代表は4人で出場、その内尾崎好美が銀メダルを獲得)。それから2009年12月の全日本実業団女子駅伝の出走後、暫くの期間完全休養に入っていた。翌2010年11月の東日本実業団対抗女子駅伝に出場、1年近くぶりに公式レース復帰を果たしている。 久々のフルマラソン出場だった東京マラソン2011女子の部では、27Km付近でトップに立ち、独走状態となった。だが35Km辺りからだんだんペースが落ち始め、39Km過ぎでタチアナ・アリャソワ(ロシア)に追い抜かれ、その後も日本女子トップの樋口紀子とタチアナ・ペトロワ(ロシア)にかわされてしまい、結局4位(当初)だった。しかし翌2012年1月、優勝者だったアリャソワのドーピング違反が発覚し失格したため、女子優勝は2着だった樋口に変更となり、渋井の順位も3位に繰り上がった。 2011年8月の北海道マラソンは、中盤一人抜け出して一時独走となった吉田香織にはついていかず、2位グループで待機するが、33Km過ぎにスパートした後吉田に逆転優勝した森本友には徐々に離されて後退し、3位に留まった(同じくエントリーしていた土佐礼子は座骨神経痛により欠場)。 2012年8月開催のロンドンオリンピック女子マラソンの国内最終選考会だった、同年3月の第1回名古屋ウィメンズマラソンでは、30Km過ぎまでトップグループに位置し存在感をアピール。34km付近辺りで先頭集団から徐々に遅れ始め、優勝のアルビナ・マヨロワ(ロシア)や、尾崎好美(2位)・中里麗美(3位)に先行され、日本人3番手の4位でゴール。それでも本人自身は充実感を覚えたのか、フィニッシュ後は右手を突き上げて喜びを表していた。また一般参加の土佐礼子がラストランで40位でのゴール後、二人は笑顔で健闘を称え合っていた。 同2012年7月、現役選手兼三井住友海上女子陸上部のプレーイングアドバイザーに就任し、4年後の2016年4月には同陸上部の選手兼ヘッドコーチに転任。2013年以降、マラソンでは好成績を残せなくなったが、2016年8月開催のリオデジャネイロオリンピック女子マラソン国内選考会だった、2015年11月のさいたま国際マラソンでは4位(日本人では吉田香織に次いで2番手)に入り、ほか東日本実業団女子駅伝・20年連続の出場となった全日本実業団女子駅伝へ出走。 2017年4月より、城西大学附属城西高等学校のプレイングコーチにも就任している。 2020年4月1日、三井住友海上 女子陸上競技部 コーチに就任。 非常にお茶目でひょうきんな性格の持ち主でもある。 2004年アテネオリンピック女子マラソンで5位入賞の部の先輩(入社は渋井が先)でよき理解者でもある土佐礼子(現・三井住友海上火災保険女子陸上競技部・プレーイングアドバイザー)を尊敬しており、またかつて土佐は渋井のレースにおいて“セコンド”役を買って出ることもあった。 腹筋が趣味。
2時間19分41秒:2004年9月26日 ベルリンマラソン 渋井のマラソンに関しては、序盤から中盤にかけてハイペースで突っ走るも、終盤の30Km以降で失速するというレースパターンが多い。特に2011年2月の東京マラソンではレース中盤で一時首位に立ちながらも、ゴールまであと残り3Kmを過ぎて後続の選手に次々と追い抜かれ3位(当初4着だったが繰り上げ)に甘んじた。 近年の優勝例である2009年1月の大阪国際女子マラソンでは、前半は控え気味にややスローペースの先頭集団に待機していた。後半に入ってから渋井自ら集団から抜け出し、独走に持ち込む作戦に出たが、結果的にこれが功を奏した格好となる。しかしながら、内定代表だった同年8月の世界陸上ベルリン大会女子マラソンは、右足の故障により出場を辞退した。 『確実に完走できる!マラソン 走りの実力に合わせて、無理なくレベルアップ! (実用BEST BOOKS)』(鈴木秀夫(監修)、日本文芸社、2006/11、土佐礼子・渋井陽子を写真モデルとして掲載、ISBN 978-4537204964) ^ 『確実に完走できる!マラソン』12ページ。 ^ 全国高校女子駅伝女子大会全記録 毎日新聞社 ^ “新谷仁美 女子1万、18年ぶり超絶日本新V!2度目の五輪代表決めた”. スポーツニッポン. (2020年12月5日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2020/12/05/kiji/20201204s00056000580000c.html 2020年12月5日閲覧。 ^ 当時その渋井の後方に居た小崎まりは、渋井が足を止めた場面を目撃し「ビックリした。シブちゃんどうしちゃったの?って」等とレース後語っている。35Km付近で小崎は渋井を追い越し2位に入り、原裕美子と共に世界陸上大阪大会女子マラソン代表に選出された。 ^ 2011年当時、渋井はこの大阪国際女子マラソンで複数回優勝を果たした、歴代初めての日本人ランナーとなる(その後も同マラソンで日本選手では、赤羽有紀子・福士加代子・重友梨佐が2度の優勝を成し遂げた)。 ^ 渋井4位に「いけてんじゃん」/マラソン 日刊スポーツ 2012年3月11日 ^ 吉田が2位、渋井は4位/さいたま国際マラソン詳細 日刊スポーツ 2015年11月15日 ^ 渋井 現役続行を宣言「まだやり残したことがある」 スポニチ 2015年3月22日 ^ 【陸上】37歳渋井陽子、前人未到の「全日本」20度目のたすき 福士、小崎との「しつこいトリオ」そろい踏みは最後? 産経WEST 2016年11月28日 ^ 愛媛マラソン ゲストランナー渋井陽子さんに聞く 愛媛新聞 2018年2月1日 ^ ★☆陸上部顧問紹介☆★ 城西大学附属城西中学・高等学校陸上競技部 ^ “新体制のお知らせ(2020年)”. 三井住友海上 女子陸上競技部 活動レポート (2020年4月1日). 2023年3月30日閲覧。 日本陸上競技選手権大会の記録一覧 マラソン選手一覧 三井住友海上 女子陸上競技部
ベルリンマラソン2004ニュースリリース 渋井陽子 - 日本陸上競技連盟の選手名鑑 渋井陽子 - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語) 渋井陽子 - Olympedia(英語) 渋井陽子の「栃木発、昆明育ち!」(2008年9月4日限りで更新終了) TBS「世界陸上ベルリン」 渋井陽子 城西大学附属城西中学・高等学校陸上競技部 表 話 編 歴 82 R.マルキシオ(英語版) 83 C.メイ(英語版) 84 カトリン・ドーレ 85 C.メイ(英語版) 86 ロレーン・モラー 87 ロレーン・モラー 88 リサ・マーチン 89 ロレーン・モラー 90 ロザ・モタ 91 カトリン・ドーレ 92 小鴨由水 93 浅利純子 94 安部友恵 95 阪神・淡路大震災のため中止 96 カトリン・ドーレ 97 カトリン・ドーレ 98 リディア・シモン 99 リディア・シモン 00 リディア・シモン 01 渋井陽子 02 L.キプラガト(英語版) 03 野口みずき 04 坂本直子 05 J.プロコプツカ(英語版) 06 C.ヌデレバ 07 原裕美子 08 M.ヤマウチ 09 渋井陽子 10 A.ゴベナ(英語版) 11 赤羽有紀子 12 重友梨佐 13 福士加代子 14 赤羽有紀子 15 J.プロコプツカ(英語版) 16 福士加代子 17 重友梨佐 18 松田瑞生 19 F.サド(英語版) 20 松田瑞生 21 一山麻緒 22 松田瑞生 23 ヘヴン・ハイル・デッセ(英語版) 24 ウォルケネシュ・エデサ(英語版) 表 話 編 歴 81 増田明美 82 金子るみ子 83 橋本泰子 84 横須賀久乃 85 深尾真美 86 宮原美佐子 87 高橋郁子 88 松野明美 89 朝比奈三代子 90 松野明美 91 デリラ・アシアゴ(英語版) 92 真木和 93 麓みどり 94 鍾煥テイ(英語版) 95 鈴木博美 96 鈴木博美 97 弘山晴美 98 川上優子 99 弘山晴美 00 岡本幸子 01 岡本治子 02 福士加代子 03 福士加代子 04 福士加代子 05 福士加代子 06 福士加代子 07 福士加代子 08 渋井陽子 09 赤羽有紀子 10 福士加代子 11 杉原加代 12 吉川美香 13 新谷仁美 14 西原加純 15 西原加純 16 鈴木亜由子 17 松田瑞生 18 松田瑞生 19 鍋島莉奈 20 新谷仁美(30:20.44)* 21 廣中璃梨佳 22 廣中璃梨佳 23 廣中璃梨佳 24 五島莉乃 *は大会記録 100m 200m 400m 800m 1500m 5000m 10000m 3000mSC 100mH 400mH 表 話 編 歴 89 リュボフ・クロチコ(英語版) 90 謝麗華(英語版) 91 カトリン・ドーレ 92 大江光子 93 ワレンティナ・エゴロワ 94 安部友恵 95 小松ゆかり 96 藤村信子 97 原万里子 98 高橋尚子 99 山口衛里(2:22:12)* 00 弘山晴美 01 松尾和美 02 松岡理恵 03 野口みずき 04 土佐礼子 05 高橋尚子 06 小幡佳代子 07 橋本康子 08 尾崎好美 09 渋井陽子 10 加納由理 11 木崎良子 12 重友梨佐 13 木崎良子 14 田中智美 15 重友梨佐 16 田中智美 17 岩出玲亜 18 松田瑞生 19 前田穂南 20 一山麻緒 21 一山麻緒 22 松田瑞生 23 鈴木優花 *は大会記録 表 話 編 歴 81 富永ミヤ子(東日本実業団) 82 吉富純子(九州実業団) 83 山内美穂(旭化成) 84 日高美子(京セラ)* 85 田崎裕子(京セラA)* 86 深尾真美(三田工業) 87 石倉あゆみ(京セラ) 88 藤原恵(ワコール)* 89 藤原恵(ワコール)* 90 麓みどり(ダイイチ) 91 石橋美穂(ワコール)* 92 福山つぐみ(ワコール) 93 片岡純子(富士銀行) 94 五十嵐美紀(リクルート)* 95 高橋千恵美(日本ケミコン) 96 弘山晴美(資生堂) 97 永山育美(京セラ) 98 エスタ・ワンジロ(日立)* 99 エスタ・ワンジロ(日立) 00 渋井陽子(三井海上) 01 福士加代子(ワコール) 02 福士加代子(ワコール) 03 L・ワゴイ(英語版)(スズキ) 04 ルース・ワンジル(日立) 05 エバリン・ワンボイ(ユタカ技研) 06 エバリン・ワンボイ(ユタカ技研) 07 オンゴリ・フィレス・モラー(ホクレン) 08 渋井陽子(三井住友海上) 09 福士加代子(ワコール)* 10 福士加代子(ワコール) 11 杉原加代(デンソー)* 12 福士加代子(ワコール)* 13 清水裕子(積水化学) 14 高島由香(デンソー)* 15 高島由香(デンソー)* 16 高島由香(デンソー) 17 堀優花(パナソニック) 18 渡邊菜々美(パナソニック) 19 堀優花(パナソニック) 20 新谷仁美(積水化学)* 21 廣中璃梨佳(JP日本郵政グループ) 22 新谷仁美(積水化学) 23 廣中璃梨佳(JP日本郵政グループ)33:04** *は区間新、**は現行区間記録 1区 2区 3区 4区 5区 6区 表 話 編 歴 83 金子るみ子(東京・順天高) 84 佐々木七恵(岩手・ヱスビー食品)* 85 田崎裕子(鹿児島・京セラ) 86 小林良子(和歌山・住金化工) 87 荒木久美(鹿児島・京セラ) 88 松野明美(熊本・ニコニコドー) 89 朝比奈三代子(宮崎・旭化成)* 90 松野明美(熊本・ニコニコドー) 91 真木和(京都・ワコール) 92 鈴木博美(千葉・リクルート) 93 麓みどり(広島・ダイイチ) 94 朝比奈三代子(宮崎・旭化成) 95 木村泰子(石川・京都産業大) 96 真木和(京都・ワコール) 97 川上優子(熊本・沖電気宮崎)* 98 大南博美(愛知・東海銀行), 高橋尚子(岐阜・積水化学) 99 川島亜希子(愛知・東海銀行) 00 渋井陽子(栃木・三井海上) 01 小鳥田貴子(広島・デオデオ) 02 福士加代子(京都・ワコール) 03 小鳥田貴子(広島・デオデオ) 04 福士加代子(京都・ワコール)30:52** 05 加納由理(兵庫・資生堂) 06 福士加代子(京都・ワコール) 07 大崎千聖(茨城・三井住友海上) 08 野口みずき(三重・シスメックス) 09 新谷仁美(千葉・豊田自動織機) 10 福士加代子(青森・ワコール) 11 福士加代子(京都・ワコール) 12 新谷仁美(千葉・佐倉アスリート倶楽部) 13 新谷仁美(千葉・ユニバーサルエンターテインメントAC) 14 重友梨佐(岡山・天満屋) 15 前田彩里(熊本・ダイハツ) 16 関根花観(東京・日本郵政グループ) 17 小原怜(岡山・天満屋) 18 小原怜(岡山・天満屋) 19 新谷仁美(東京・NTTC) 20 新谷仁美(東京・積水化学) 21 中止 22 廣中璃梨佳(長崎・日本郵政グループ) 23 松田瑞生(大阪・ダイハツ) 24 川村楓(京都・岩谷産業) *は区間新、**は区間記録 1区 2区 3区 4区 5区 6区 7区 8区 9区 表 話 編 歴 朝原宣治 安井章泰 土江寛裕 末續慎吾 藤本俊之 松田亮 田端健児 山村貴彦 小坂田淳 高岡寿成 三代直樹 内藤真人 谷川聡 河村英昭 為末大 吉澤賢 岩水嘉孝 邑木隆二 横山学 渡辺大輔 杉林孝法 室伏広治 油谷繁 森下由輝 西田隆維 藤田敦史 高橋健一 柳沢哲 原義美 今村文男 斉藤晃司 廣道純 岡本治子 野口みずき 小崎まり 杉森美保 柿沼和恵 信岡沙希重 吉田真希子 今井美希 花岡麻帆 池田久美子 綾真澄 三宅貴子 土佐礼子 渋井陽子 松尾和美 松岡理恵 大南敬美 二階堂香織 忠政良子 土田和歌子 表 話 編 歴 朝原宣治 宮崎久 末續慎吾 小坂田淳 佐藤光浩 坪田智夫 内藤真人 為末大 岩水嘉孝 土江寛裕 松田亮 山口有希 山村貴彦 田端健児 小林史明 澤野大地 杉林孝法 室伏広治 油谷繁 佐藤敦之 尾方剛 清水康次 松崎彰徳 藤野原稔人 吉沢永一 今村文男 斉藤晃司 花岡伸和 福士加代子 渋井陽子 大島めぐみ 金沢イボンヌ 吉田真希子 石田智子 鈴木亜弓 坂上香織 小島初佳 今井美希 小野真澄 池田久美子 森千夏 綾真澄 三宅貴子 野口みずき 千葉真子 坂本直子 大南敬美 松岡理恵 坂倉良子 表 話 編 歴 塚原直貴 朝原宣治 内藤真人 高平慎士 末續慎吾 金丸祐三 成迫健児 為末大 岩水嘉孝 竹澤健介 松宮隆行 堀籠佳宏 安孫子充裕 齋藤仁志 澤野大地 醍醐直幸 村上幸史 室伏広治 尾方剛 佐藤敦之 大崎悟史 谷井孝行 森岡紘一朗 山﨑勇喜 福島千里 丹野麻美 久保倉里美 早狩実紀 小林祐梨子 福士加代子 赤羽有紀子 渋井陽子 木田真有 青木沙弥佳 池田久美子 中村友梨香 土佐礼子 野口みずき 川崎真裕美 小西祥子 表 話 編 歴 塚原直貴 江里口匡史 木村慎太郎 高平慎士 藤光謙司 齋藤仁志 金丸祐三 廣瀬英行 上野裕一郎 岩井勇輝 田野中輔 吉田和晃 成迫健児 岩水嘉孝 醍醐直幸 澤野大地 鈴木崇文 荒川大輔 村上幸史 池田大介 佐藤敦之 清水将也 入船敏 前田和浩 藤原新 森岡紘一朗 藤澤勇 鈴木雄介 谷井孝行 山﨑勇喜 福島千里 高橋萌木子 丹野麻美 小林祐梨子 中村友梨香 福士加代子 佐伯由香里 寺田明日香 久保倉里美 青木沙弥佳 早狩実紀 渡辺真弓 和田麻希 佐藤真有 近藤高代 桝見咲智子 海老原有希 尾崎好美 加納由理 藤永佳子 赤羽有紀子 渕瀬真寿美 大利久美 川崎真裕美 ワールドアスレティックス 日本の女子マラソン選手 日本の女子長距離走の選手 陸上競技日本代表選手 オリンピック陸上競技日本代表選手 世界陸上選手権日本代表選手 三井住友海上女子陸上競技部の人物 栃木県出身の人物 1979年生 存命人物 ウィキデータにあるIAAF ID IAAF識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/17 16:42更新
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