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山岡鉄舟の情報 (やまおかてっしゅう)
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【11月24日】今日誕生日の芸能人・有名人

山岡鉄舟の情報(やまおかてっしゅう) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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山岡 鉄舟さんについて調べます

■名前・氏名
山岡 鉄舟
(読み:やまおか てっしゅう)
■職業
政治家
■山岡鉄舟の誕生日・生年月日
1836年7月23日 (年齢1888年没)
申年(さる年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
東京出身

山岡鉄舟と同じ1836年生まれの有名人・芸能人

山岡鉄舟と同じ7月23日生まれの有名人・芸能人

山岡鉄舟と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


山岡鉄舟と関係のある人

明治天皇: 江戸城開城後、勝海舟や山岡鉄舟ら旧幕閣の対応に不満を抱く一部の旧幕臣が彰義隊を名乗って上野寛永寺に立て籠もって反乱を起こした。熾仁親王はただちに解散を命じ、また勝海舟や山岡鉄舟らも投降するよう説得にあたるも効果がなかったため、熾仁親王は5月15日にも上野に討伐軍を派遣し、速やかにこれを殲滅した。


高野佐三郎: 明治21年(1888年)7月、恩師・山岡鉄舟が死去。


小倉遊亀: 1938年、山岡鉄舟門下の小倉鉄樹と結婚し、それ以降は鎌倉に居住した。


かねこはりい: 任侠伝 渡世人一代記(相撲の政、山岡鉄舟


竹尾一真: 花嵐の剣士 〜幕末を生きた女剣士・中澤琴〜(2017年1月14日、NHK BSプレミアム) - 山岡鉄舟


明治天皇: 後に、長州の有地品之允、土佐の片岡利和、元幕臣で江戸開城交渉にあたった山岡鉄舟なども任命された。


寿美花代: また、山岡鉄舟の一刀正伝無刀流の門下であった。


三島通庸: 3月、警視庁撃剣世話掛の補充について山岡鉄舟に相談したところ高野佐三郎の推薦を受け即採用。


高田明和: 『人生に〈定年〉はない 山岡鉄舟・清水次郎長に学ぶ』春秋社 2007


福澤諭吉: 無論、逃げることは最も安全な護身術であるが、諭吉自身、居合はあくまでも求道の手段として殺傷を目的としていなかったようであり、同じく剣の達人と言われながら生涯人を斬ったことがなかった勝海舟や山岡鉄舟の思想との共通性が窺える。


高橋泥舟: 山岡鉄舟が亡くなったとき山岡家に借金が残り、その返済を義兄の泥舟が工面することとなったが、自分にも大金があるはずがなく、金貸しに借用を頼むとき「この顔が担保でござる」と堂々と言い、相手も「高橋様なら決して人を欺くことなどないでしょう」と顔一つの担保を信用して引き受けた等々、その人柄を示すような逸話が多く残っている。


岸田俊子: 1879年 - 槙村正直・山岡鉄舟の推挙で宮中に文事御用掛として出仕し、皇后(後の昭憲皇太后)に漢学を進講する。


生井健夫: 三姉妹(1967年) - 山岡鉄舟


銀河万丈: まんが日本史(坂上田村麻呂、陶晴賢、司馬江漢、山岡鉄舟、武田信虎 他)


勝海舟: 山岡鉄舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれる。


徳川家達: 勝海舟、大久保一翁、山岡鉄舟といった旧臣達や伊藤博文首相以下の閣僚たちも招待された。


真夏竜: 清水の次郎長外伝 〜恋女房お蝶の奮闘記〜(2006年、三越劇場) - 山岡鉄舟


西郷隆盛: 3月9日、静岡で徳川慶喜の使者・山岡鉄舟と会見し、徳川処分案7ヶ条を示した。


志賀直温: 1871年(明治4年)2月、16歳で静岡の山岡鉄舟の元で剣術修行するが、新しい学問を修めたいと上京し、8月本所相生町の共立学舎に入舎。


佐久間象山: 」とその死を悼んでおり、西郷隆盛や山岡鉄舟を「殿」「氏」と付けていたのを、象山だけに「先生」と敬称をつけていた。


高野佐三郎: その後、上京して山岡鉄舟に師事し、明治19年(1886年)警視庁巡査に任官。


明治天皇: 勝は駿府城に陣を構える東征軍参謀西郷隆盛のもとに山岡鉄舟を派遣、山岡の説得の結果西郷と勝の会談がもたれることが決定した。


高瀬右光: 激動!歴史を変える男たち〜アニメ静岡県史〜(山岡鉄舟


高橋由一: 万博出品によってさらに名が知られるようになった由一は、明治6年(1873年)に開催された内山下町の博覧会に『牧牛図』を、明治7年(1874年)に開催された湯島聖堂の書画展覧会に『富士山真景図』を出品したほか、山岡鉄舟の依願によって宮内省に『海魚図』『甲子浦富岳図』『興津海岸』の作品を献上する等、画家としてその地位の確立と経済的な安定を手にすることができるようになった。


勝野洋: 勝海舟 (1990年) - 山岡鉄舟


勝海舟: まず3月9日、高橋泥舟の推薦により徳川慶喜から使者として命じられた山岡鉄舟が駿府へ交渉へ行く前に基本方針を擦り合わせした。


和宮: 3月5日、勝海舟が西郷隆盛に面会に赴く旗本・山岡鉄舟に託した手紙には「慶喜の恭順の意を解さぬ士民が決起した場合、こちらには統御の術が無く、和宮様の尊位は保ちがたい」との文言がある。


高橋泥舟: 代わりに義弟の山岡鉄舟を推薦、鉄舟が見事にこの大役を果たした。


高橋泥舟: 勝海舟、山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれているが、勝は後年「あれは大馬鹿だよ。


三島通庸: 明治21年(1888年)、山岡鉄舟の推挙を受け大炊御門師前を警視庁に採用。


山岡鉄舟の情報まとめ

もしもしロボ

山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう)さんの誕生日は1836年7月23日です。東京出身の政治家のようです。

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現在、結婚、映画、ドラマ、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。1888年に亡くなられているようです。

山岡鉄舟のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう、旧字体:山岡 鐵舟)は、日本の幕末の幕臣、剣術家、明治期の官僚、政治家。剣・禅・書の達人。

鉄舟は居士号、他に一楽斎。通称は鉄太郎(てつたろう、旧字体: 鐵太郞)。諱は高歩(たかゆき、旧字体:高步)。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。「幕末の三舟」のひとり。栄典は従三位勲二等子爵。愛刀は粟田口国吉や無名一文字。

江戸に生まれる。家が武芸を重んじる家だったため、幼少から神陰流や北辰一刀流の剣術、樫原流槍術を学び、武術に天賦の才能を示す。浅利義明(中西派一刀流)門下の剣客であり、明治維新後は一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖となる。

幕臣として、清河八郎とともに浪士組を結成。江戸無血開城を最終決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、徳川慶喜から直々に使者として命じられ官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)に辿り着き、単身で西郷と面会して交渉、大枠を妥結して、江戸無血開城の立役者となった。

明治政府では、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔を歴任した。

勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。身長6尺2寸(188センチ)、体重28貫(105キロ)と大柄な体格であった。

天保7年(1836年)6月10日、江戸の本所に蔵奉行・木呂子村の知行主である小野朝右衛門高福の四男第五子として生まれる。母は塚原磯(常陸国鹿島神宮神職・塚原石見の二女。先祖に塚原卜伝)。

9歳より久須美閑適斎より神陰流(直心影流)剣術を学ぶ。弘化2年(1845年)、飛騨郡代となった父に従い、幼少時を飛騨高山で過ごす。弘法大師流入木道(じゅぼくどう)51世の岩佐一亭に書を学び、15歳で52世を受け継ぎ、一楽斎と号す。また、父が招いた井上清虎より北辰一刀流剣術を学ぶ。

嘉永5年(1852年)、父の死に伴い江戸へ帰る。井上清虎の援助により安政2年(1855年)に講武所に入り、千葉周作らに剣術、山岡静山に忍心流槍術を学ぶ。静山急死のあと、静山の実弟・謙三郎(高橋泥舟)らに望まれて、静山の妹・英子(ふさこ)と結婚し山岡家の婿養子となる。安政3年(1856年)、剣道の技倆抜群により、講武所の世話役となる。安政4年(1857年)、清河八郎ら15人と尊王攘夷を標榜する「虎尾の会」を結成。文久2年(1862年)、江戸幕府により浪士組が結成され、親友の中條金之助とともに取締役となる。文久3年(1863年)、将軍・徳川家茂の先供として上洛するが、間もなく清河の動きを警戒した幕府により浪士組は呼び戻され、これを引き連れ江戸に帰る。清河暗殺後は謹慎処分。

この頃、中西派一刀流の浅利義明(浅利又七郎)と試合をするが勝てず、弟子入りする。この頃から剣への求道が一段と厳しくなる。父の勧めもあって、17歳の頃から禅の修行も始め、長徳寺願翁、竜沢寺星定、相国寺独園、天竜寺滴水、円覚寺洪川に参じ、後年は、滴水和尚から印可を与えられた。

慶応4年(1868年)、新たに設立された精鋭隊歩兵頭格となる。江戸無血開城を決した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、徳川慶喜の使者として3月9日官軍の駐留する駿府(現静岡市葵区)に辿り着き、伝馬町の松崎屋源兵衛宅で西郷と面会して談判する。

2月11日の江戸城重臣会議において、徳川慶喜は恭順の意を表し、勝海舟に全権を委ねて自身は上野寛永寺に籠り謹慎していた。慶喜は恭順の意を征討大総督府へ伝えるため、高橋精三(泥舟)を使者にしようとしたが、彼は慶喜警護から離れることが出来ない、と述べ義弟である鉄舟を推薦する。鉄舟は慶喜から直々に使者としての命を受け、駿府へ行く前に勝海舟に面会する。海舟と鉄舟は初対面であり、海舟は鉄舟が自分の命を狙っていると言われていたが、面会して鉄舟の人物を認めた。打つ手がなかった海舟はこのような状況を伝征討大総督府参謀の西郷隆盛宛の書を授ける。海舟の使者と説明されることが多いが、正しくは広義も含め慶喜の使者である。

この時、刀がないほど困窮していた鉄舟は、親友の関口艮輔に大小を借りて官軍の陣営に向かった。また、官軍が警備する中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と大音声で堂々と歩行していったという。

3月9日、益満休之助に案内され、駿府で西郷に会った鉄舟は、海舟の手紙を渡し、徳川慶喜の意向を述べ、朝廷に取り計らうよう頼む。この際、西郷から5つの条件を提示される。それは、

一、江戸城を明け渡す。

一、城中の兵を向島に移す。

一、兵器をすべて差し出す。

一、軍艦をすべて引き渡す。

一、将軍慶喜は備前藩にあずける。

というものであった。このうち最後の条件を鉄舟は拒んだ。西郷はこれは朝命であると凄んだ。これに対し、鉄舟は、もし島津侯が(将軍慶喜と)同じ立場であったなら、あなたはこの条件を受け入れないはずであると反論した。西郷は、江戸百万の民と主君の命を守るため、死を覚悟して単身敵陣に乗り込み、最後まで主君への忠義を貫かんとする鉄舟の赤誠に触れて心を動かされ、その主張をもっともだとして認め、将軍慶喜の身の安全を保証した。これによって江戸無血開城への道が開かれることとなった。江戸無血開城の中身は鉄舟と西郷の交渉でほとんど決まっている。

3月13日・14日の勝と西郷の江戸城開城の最終会談にも立ち会った。5月、若年寄格幹事となる。徳川慶喜は謹慎先の水戸へ向かう前夜、山岡鉄舟は慶喜の御前に召し出され、慶喜は「(慶喜の救済、徳川家の家名存続、江戸無血開城)官軍に対し第一番に行ったのはそなただ。一番槍は鉄舟である。」と、慶喜自ら「来国俊」の短刀を鉄舟に与えた。

明治維新後は、徳川家達に従い、駿府に下る。6月、静岡藩藩政補翼となり、清水次郎長と意気投合、「壮士之墓」を揮毫して与えた。また、幕臣の救済事業である牧之原台地開墾の責任者である中條金之助に茶の生産を助言する。明治4年(1871年)、廃藩置県に伴い新政府に出仕。静岡県権大参事、茨城県参事、伊万里県権令を歴任した。

西郷のたっての依頼により、明治5年(1872年)に宮中に出仕し、10年間の約束で侍従として明治天皇に仕える。侍従時代、深酒をして相撲をとろうとかかってきた明治天皇をやり過ごして諫言したり、明治6年(1873年)に皇居仮宮殿が炎上した際、淀橋の自宅からいち早く駆けつけたりするなど、剛直なエピソードが知られている。宮内大丞、宮内少輔を歴任した。

明治14年(1881年)に新政府が維新の功績調査をした時、勝が提出した勲功録に、全て勝がやったように書かれており、それを読んだ鉄舟は嘘だと思いながらも勝の面子を潰すので、何も提出しなかった。無血開城の実情を知っていた局員がおかしいと感じて三条実美に鉄舟のことを伝えた。三条は腑に落ちないので、岩倉具視に伝えた。岩倉は鉄舟を呼び出し、「手柄は勝に譲るにしても、事実として後世に残さなければならない」と説得し、鉄舟に事実を書かせ提出させた。

徳川家達は、明治15年(1882年)に徳川家存続は山岡鉄舟のお陰として、徳川家家宝である「武藤正宗」の名刀を鉄舟に与えた。勝海舟は名刀を与えられていない。岩倉具視は、当時の一流の漢学者に、名刀の由来と鉄舟の功績を「正宗鍛刀記」にしたためさせた。この年に西郷との約束どおり致仕。明治16年(1883年)、維新に殉じた人々の菩提を弔うため東京都台東区谷中に普門山全生庵を建立した。

明治18年(1885年)には、一刀流小野宗家第9代の小野業雄からも道統と瓶割刀・朱引太刀・卍の印を継承し、一刀正伝無刀流を開いた。

明治20年(1887年)5月24日、功績により子爵に叙される。

明治21年(1888年)7月19日9時15分、皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命。死因は胃癌であった。家督及び爵位は長男直記が相続した。葬儀は22日に行われ、豪雨であった。前もって明治天皇の内意があったので、四谷の自邸を出た葬列は、皇居前で10分ほど止まった。明治天皇は、高殿から目送された。全生庵での会葬者は5千人にも上った。

この日、門人村上俊五郎は、殉死の恐れがあるというので四谷警察署に保護された。また門人栗津清秀も殉死しようとしたが、全生庵の裏山で発見されて止められた。門人鈴木雄蔵は、葬儀に出たまま家に帰らず、3年間も墓前に留まった。9月15日、門人三神文也が墓前で割腹殉死。同18日、鉄舟の爺や内田三郎兵衛が墓前で死んでいた。享年53。戒名「全生庵殿鉄舟高歩大居士」。没後に勲二等旭日重光章を追贈された。

その人間性は、西郷隆盛をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた。

致仕後、勲三等に叙せられたが、拒否している。勲章を持参した井上馨に、「お前さんが勲一等で、おれに勲三等を持って来るのは少し間違ってるじゃないか。(中略)維新のしめくくりは、西郷とおれの二人で当たったのだ。おれから見れば、お前さんなんかふんどしかつぎじゃねえか」と啖呵を切った。

平沼騏一郎によると井上馨と山岡はかねてより懇意であり、山岡は一度朝敵となった榎本武揚(勲二等)よりも下等であることが不愉快だったのだという。井上が岩倉具視に頼まれて叙勲を説得しに訪ねた際、「お前は随分貧乏しているから金に困るだろう。お金が要ればいくらでも都合してやる」などと気遣って別れると、早速山岡から一万円が必要だという手紙が来た。井上が手許にないからと急いで宮内省から借りて届けさせると、「一万円まことに有り難いが、実は入用がなくなったので、直ぐにお返しする」と悪戯をしたという。

実家の知行地であった埼玉県小川町の割烹旅館「二葉」には、山岡が好んだ料理「忠七めし」が伝わっている。米飯に海苔、薬味ネギ、ワサビ、ユズなどを散らして、カツオ出汁をかける。二葉主人の八木忠七が、山岡から「料理に禅味を盛れ」と注文され、山岡が得意とした剣をワサビ、禅を海苔、書をユズで表現したという。二葉の看板は鉄舟の揮毫による。

明治2年(1869年)、明治天皇の京都行幸の際、明治天皇から手土産の相談を受けた。そして山本海苔店二代目山本德治郎に相談したことで、味付け海苔が創案された。山本海苔店の商品のいくつかは鉄舟の揮毫である。

木村屋のあんパンを好み、毎日のように食べていたともいわれる。また木村屋の看板も鉄舟の揮毫によるものである。

圓山牧田『全生庵記録抜萃』 1918年 金田清左衛門

圓山牧田『鐵舟居士乃真面目』 1918年 全生庵

小倉鉄樹『おれの師匠 山岡鉄舟先生正伝』春風館、1937年

    復刻版 島津書房、2001年 ISBN 4882180847/ちくま学芸文庫(解説岩下哲典)、2021年 ISBN 978-4480510570

    牛山栄治『山岡鉄舟伝』日本青年館 1942年

    大森曹玄『山岡鉄舟』 初出 1968年 春秋社、新装版 1983年、2022年ほか ISBN 978-4393147115

    大森曹玄『剣と禅』p.159、「十章、独妙剣- 一から無に掘り下げた鉄舟」

    小島英煕『山岡鉄舟』日本経済新聞出版社 2002年 ISBN 978-4532164348

    圓山牧田・平井正修『最後のサムライ 山岡鐵舟』教育評論社 2007年 ISBN 978-4-905706-21-2

    水野靖夫『英国公文書などで読み解く江戸無血開城の新事実 : パークスの圧力はなかった。勝海舟、山岡鉄舟の史実再検証』(山岡鉄舟研究会、2017年)

    水野靖夫『勝海舟の罠―氷川清話の呪縛、西郷会談の真実』(毎日ワンズ、2018年)ISBN 978-4901622981

    岩下哲典『江戸無血開城―本当の功労者は誰か? 』(吉川弘文館「歴史文化ライブラリー」、2018年)ISBN 978-4642058704

    岩下哲典『山岡鉄舟・高橋泥舟―もとの姿はかわらざりけり』(ミネルヴァ書房「ミネルヴァ日本評伝選」、2023年)ISBN 978-4623095780

    水野靖夫『定説の検証「江戸無血開城」の真実 西郷隆盛と幕末の三舟 山岡鉄舟・勝海舟・高橋泥舟』(ブイツーソリューション 2021年) ISBN 978-4434284953

    Anatoliy Anshin『The Truth of the Ancient Ways: A Critical Biography of the Swordsman Yamaoka Tesshu』 2012年 Kodenkan Institute ISBN 978-0984012909

    ^ 自得院流(忍心流)槍術の勘違いと思われる。泉秀樹『幕末維新なるほど人物事典: 100人のエピソードで激動の時代がよくわかる』(PHP文庫 2003年 ISBN 978-4-569-66020-2)63頁 に見られるが、この書籍は全体に典拠を示さない読み物なので信頼性は低い。

    ^ きろこむら、現埼玉県比企郡小川町木呂子。

    ^ 小野高福(たかよし 1821 - 1852年)通称朝右衛門(ちょうえもん)は、飛騨郡代(21代 1845 - 1852年)、禄六百石の旗本だった。

    ^ Web 検索すると五男説が散見されるが、勝部真長『山岡鉄舟の武士道』 p.20、 角川ソフィア文庫 1999年(初出は1971年『武士道―文武両道の思想』角川選書、未確認) に五男とあるのが誤転載の源流と思われる。

    ^ 久須美閑適斎は、順三郎祐義といい旗本の次男で、生涯本所大川端の生家に居住し仕官しなかったという。

    ^ 山岡静山 やまおかせいざん 1829 - 1855年、名は正視 まさみ、字は子厳、通称は紀一郎。幕臣、高橋泥舟の兄。槍術家として著名。

    ^ 「精鋭隊」は徳川慶喜が大阪城から逃げ帰った後、その身辺警護のために勝海舟らが旗本の子弟から手練れの剣士70余人を抜擢・組織した護衛隊である。

    ^ 後日、鉄舟は大総督府の参謀から呼び出された。鉄舟が出頭すると、村田新八が出てきて言った。「先日、官軍の陣営を、あなたは勝手に通って行った。その旨を先鋒隊から知らせてきたので、私と中村半次郎(桐野利秋)とで、あなたを後から追いかけ、斬り殺そうとした。しかしあなたが早くも西郷のところに到着して面会してしまったので、斬りそこねた。あまりにくやしいので、呼び出して、このことを伝えたかっただけだ。他に御用のおもむきはない」。鉄舟は「それはそうだろう。わたしは江戸っ子だ。足は当然速い。貴君らは田舎者でのろま男だから、わたしの足の速さにはとても及ぶまい」と言い、ともに大笑いして別かれた、という。

    ^ 宮内省辞職後、鉄舟の住居(旧四谷区仲町三丁目三一番地、現在の新宿区若葉一丁目・学習院初等科付近)の裏手の道場に「春風館」と命名し開いた。

    ^ 釈宗活(しゃくそうかつ、1871 - 1954年)は臨済宗の僧侶。俗姓は入沢。別号に輟翁、両忘庵。

    ^ 立田英山(たつたえいざん、1893 - 1979年)、耕雲庵を号す。1949年、宗教法人「両忘禅協会」を改組し宗教法人「人間禅教団」設立、初代総裁に就任。

    ^ 鉄舟は亡くなる前年の明治20年から健康がすぐれず、勧告に従い「絶筆」と称して揮毫を断るようになったが、ただ全生庵を通して申し込まれる分については例外として引き受けた。しかし、その「例外」分の揮毫だけでも8ヶ月間に10万1380枚という厖大な数にのぼった(受取書が残っている)。またその翌年の2月から7月まで、すなわち亡くなる直前まで、布団の上で剣術道場の建設のために扇子4万本の揮毫をした。鉄舟は、人が揮毫の謝礼を差し出すと「ありがとう」と言って快く受け取り、それをそのまま本箱に突っ込んでおいた。そして貧乏で困窮した者が助けを求めてくると、本箱から惜しげもなくお金を取り出して与えた。しばしばそういう場面を目撃した千葉立造が「先生は御揮毫の謝礼は全部人におやりになるのですか」と訊くと、鉄舟は「わたしはそもそも字を書いて礼をもらうつもりはないが、困った者にやりたく思って、くれればもらっているだけさ」と答えた。こんな具合だったので、鉄舟はずっと貧乏であった。なお千葉立造(ちばりつぞう、1844 - 1926年)は、鉄舟の侍医。立造は通称で名は顕親、愛石(あいせき)と号した。自伝として、千葉立造が口述し三男千葉真一が編纂・出版した『愛石小傳』 1917年 がある。

    ^ 圓山牧田 まるやまぼくでん 全生庵三世住職。

    ^ 本名 渡辺伊三郎 1865 - 1944年、新潟県の生まれ。

    ^ 鉄舟晩年の高弟である小倉鉄樹の口述を石津寛・牛山栄治が筆記・編纂したもの。この書籍の評価は、Anshin Anatoliy 『牛山英治が編纂した山岡鉄舟の伝記について』(千葉大学日本文化論叢 2007年7月1日 no.8 page.1-11)) が参考になる。

    ^ 平井正修 ひらいしょうしゅう 1967年生まれ。2002年から臨済宗国泰寺派全生庵第七世住職。

    ^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),朝日日本歴史人物事典,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,旺文社日本史事典 三訂版,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “山岡鉄舟とは”. コトバンク. 2021年9月22日閲覧。

    ^ 『真宗山元派本山證誠寺史』p.81

    ^ 孫三, 佐倉『山岡鉄舟伝』普及舎、1893年5月16日、1頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782099。 

    ^ 岩下哲典『江戸無血開城―本当の功労者は誰か?』(吉川弘文館「歴史文化ライブラリー」、2018年)

    ^ 鉄舟自身が書いた記録「慶應戊辰三月駿府大総督府ニ於イテ西郷隆盛氏ト談判筆記」

    ^ 水野靖夫『勝海舟の罠―氷川清話の呪縛、西郷会談の真実』(毎日ワンズ、2018年)

    ^ 『官報』第1169号、明治20年5月25日

    ^ 『官報』第1561号、明治21年9月10日

    ^ 官報 明治21年7月20日付「叙任及辞令」 国立国会図書館デジタル官報

    ^ 『最後のサムライ 山岡鐵舟』pp189-191

    ^ 栗原俊雄『勲章 知られざる素顔』(岩波新書、2011年)、171頁。

    ^ 平沼騏一郎回顧録編纂委員会『平沼騏一郎回顧録』(学陽書房、1955年)、171-173頁。

    ^ 【ぐるっと首都圏 食べるつながる】埼玉・小川町/忠七めし「日本五大名飯」味わって『毎日新聞』2018年3月5日

    小説

    南條範夫『山岡鉄舟』 1978年 文藝春秋(上下)、文春文庫(全3巻)1982年 1)ISBN 416728202X、2)ISBN 4167282038、3)ISBN 4167282011

    津本陽『春風無刀流』 1987年 中央公論社 ISBN 4120016102、中公文庫 1990年 ISBN 4122017130、2004年 文春文庫 ISBN 4167314541

    神渡良平(かみわたりりょうへい 1948年 鹿児島県生まれ。九州大学医学部中退、雑誌記者などを経て文筆活動に。日本文藝家協会会員)『春風を斬る―小説・山岡鉄舟』 2000年 PHP研究所 ISBN 4569612768

    山本兼一『命もいらず名もいらず』 NHK出版 のち集英社文庫 2013年 上「幕末篇」ISBN 408-7450651 下「明治篇」ISBN 408-745066X

    映画

    勢揃い東海道 (1963年、東映、演:市川右太衛門)

    ドラマ

    清水次郎長 (1971年、フジテレビ、演:加藤剛)

    勝海舟 (1974年、NHK、演:宍戸錠)

    次郎長三国志東海道の暴れん坊 (1988年、テレビ朝日、演:松方弘樹)

    必殺スペシャル・新春 大暴れ仕事人! 横浜異人屋敷の決闘(1990年、ABC、演:龍虎)

    勝海舟 (1990年、日本テレビ、演:勝野洋)

    次郎長三国志(1991年、テレビ東京、演:藤田まこと)

    新選組!(2004年、NHK、演:羽場裕一)

    西郷どん(2018年、NHK、演:藤本隆宏)

    漫画

    陽だまりの樹

    MUJIN-無尽- 岡田屋鉄蔵

    アニメ

    ねこねこ日本史(2018年11月7日放映、Eテレ) - 巨大猫の西郷隆盛を鎮める巨大ロボットの猫キャラクターとして描かれている。

    その他のテレビ番組

    てなもんや三度笠、(1967年、ABC、演:里見浩太郎)

    大森曹玄 『書と禅』 1975年 新装版第二版 春秋社 p.89山岡鉄舟の墨跡とその進境による変化

    鉄舟寺

    川合清丸

    依田雄太郎(門人)

    鈴木恒太郎(門人)

    高歩院

    近藤鉄太郎 - KBCアナウンサーで名前の由来となった。

    『明治戊辰山岡先生与西郷氏応接筆記』 - 国立国会図書館

    『『武士道』 山岡鉄舟(鉄太郎)述 安部正人編 光融館 1902年(明治35年)1月』 - 国立国会図書館

    『鉄舟言行録』 - 国立国会図書館

    『鐵舟随筆』 - 国立国会図書館

    『女士道』 - 国立国会図書館 山岡英子述

    孫三, 佐倉『山岡鉄舟伝』普及舎、1893年5月16日。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782099。  - 国立国会図書館

    香川善治郎覺書抄

    普門山全生庵

    山岡鉄舟関係学術著作集

    山岡鉄舟研究会

    岩倉公所藏正宗鍛刀記(西郷との会見の模様。日本漢文の世界)

    『剣客山岡鉄舟評伝』(英文、2012年)

    西郷・山岡会見記念碑~慶喜助命、江戸無血開城へ~ - 静岡県立中央図書館

    古賀定雄 参事

    山岡高歩 権令

    多久茂族 権令

    多久茂族 権令

    石井邦猷 参事

    岩村通俊 権令

    岩村高俊 権令

    北島秀朝 県令

    鎌田景弼 県令→知事

    石井邦猷

    樺山資雄

    永峰弥吉

    田辺輝実

    大山綱昌

    武内維積

    平山靖彦

    武内維積

    関清英

    香川輝

    井上孝哉

    西村陸奥夫

    不破彦麿

    若林賚蔵

    石橋和

    岡田宇之助

    大芝惣吉

    沢田牛麿

    富永鴻

    斎藤行三

    時永浦三

    大島破竹郎

    新庄祐治郎

    吉村哲三

    今宿次雄

    井上英

    半井清

    早川三郎

    藤岡長和

    古川静夫

    小山知一

    加藤於兎丸

    真崎長年

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    田中省吾

    宮崎謙太

    沖森源一

    戸沢盛男

    金山国治

    沖森源一

    鍋島直紹

    池田直

    香月熊雄

    井本勇

    古川康

    山口祥義

    山岡高歩

    山口正定 権参事

    野村素介

    渡辺徹

    関新平 権参事→参事

    中山信安 権令

    野村維章 権令→県令

    人見寧

    島惟精

    安田定則

    安田定則

    石井省一郎

    牧野伸顕

    高崎親章

    江木千之

    小野田元熈

    清棲家教

    柏田盛文

    河野忠三

    寺原長輝

    大塚貢 未赴任

    森正隆

    坂仲輔

    岡田宇之助

    力石雄一郎

    守屋源次郎

    藤沼庄平

    次田大三郎

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    中山佐之助

    森岡二朗

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    田中無事生

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2024/11/23 04:26更新

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