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山岡久乃の情報 (やまおかひさの)
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【6月15日】今日誕生日の芸能人・有名人

山岡久乃の情報(やまおかひさの) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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山岡 久乃さんについて調べます

■名前・氏名
山岡 久乃
(読み:やまおか ひさの)
■職業
女優
■山岡久乃の誕生日・生年月日
1926年8月27日 (年齢72歳没)
寅年(とら年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(大正15年/昭和元年)1926年生まれの人の年齢早見表

山岡久乃と同じ1926年生まれの有名人・芸能人

山岡久乃と同じ8月27日生まれの有名人・芸能人

山岡久乃と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


山岡久乃と関係のある人

鈴木義司: メンバーの1人に、のちに演芸作家に転身した織田正吉がいたほか、女優の山岡久乃がグループのマネージャー(電話番)となった。


麻丘めぐみ: 共演した山岡久乃を尊敬しており、道しるべのように思っていた。


成瀬昌彦: 森塚敏、山岡久乃、東恵美子、初井言榮ら有志と創作劇団「青年座」を立ち上げ、初代の座長として同劇団の礎を築く。


池内淳子: 2010年(平成22年)の池内の逝去時には、その報を受け、大空眞弓は「お別れが早すぎます」と哀悼の辞を述べ、黒柳徹子は「山岡久乃さん(1999年死去)と3人で一緒に老人ホームに入ろうね、って約束してたのに」とコメント。


小林綾子: その様子に気づいた山岡久乃(本作で育ての母親役を演じた)から、手取り足取り芝居のイロハを教えられた。


庄司薫: これらのうち東宝青春路線として1970年代以降、『赤』(岡田裕介・森和代・中尾彬・山岡久乃など主演)と『白』(岡田裕介・本田みちこ・加賀まりこ・細川俊之など主演)が映画化され、また、『白』はNHKでドラマ化(荒谷公之・仁科明子など主演)された。


夏木陽介: 黒柳徹子、山岡久乃、池内淳子と4人で、同じ老人ホームに入ることを約束し合っていた。


和田アキ子: 山岡久乃とは、1973年(昭和48年)、TBS系ドラマ『あんたがたどこさ』で初共演して以来、山岡を「(芸能界での)おっ母(かあ)」と呼び、深く尊敬するようになった。


初井言榮: 後に山岡久乃らと脱退し、1954年劇団青年座設立に参加。


沢田雅美: 山岡久乃や京塚昌子からはデビュー当時よりとても可愛がられ、「山岡のお母さん」「京塚のお母さん」と呼んで慕っていた(『徹子の部屋』より)。


水前寺清子: 1970年からは民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録したTBSのドラマ『ありがとう』に主演し、山岡久乃演じる母と娘(水前寺)の日常生活、石坂浩二との恋を演じた。


森光子: 加藤治子や山岡久乃や京塚昌子らとともに日本を代表する「お母さん女優」としてその人気を不動のものとし、「日本のお母さん」の異名を取っている。


堀川とんこう: みかん きんかん 夏みかん(1971年、池内淳子、児玉清、山岡久乃、黒柳徹子ほか) - ディレクター


日高真弓: 山岡久乃


堀川とんこう: 拳骨にくちづけ(1981年、大原麗子、丹波哲郎、山岡久乃、細川俊之、北詰友樹、本間優二) - プロデューサー


野沢雅子: 影響を受けた役者はいないが、ただ好きで尊敬する女優である杉村春子、山岡久乃、奈良岡朋子たちの芝居はよく見に行っていたという。


長山藍子: 杉山、山岡久乃、八千草薫、池内淳子とも共演が多く、特に山岡や池内とは舞台などでも共演し、プライベートでも親交が深かった。


奈良岡朋子: 若尾文子、加藤治子、赤木春恵、乙羽信子、麻生美代子、山岡久乃、森光子との親交も深かった。


小沢栄太郎: 最初の妻との間に演出家の小沢僥謳を授かるも、堀阿佐子や山岡久乃と浮名を流し、初妻は栄太郎・山岡が関係を清算した矢先とされた1954年に自殺。


石井ふく子: 池内淳子、吉永小百合、佐久間良子、若尾文子、三田佳子、淡島千景、京マチ子、中田喜子、坂口良子、山田五十鈴、森光子、いしだあゆみ、小川知子、松坂慶子、一路真輝、長山藍子、泉ピン子、竹下景子、野村真美、藤田朋子、赤木春恵、乙羽信子、杉村春子、山岡久乃、奈良岡朋子、京塚昌子、大原麗子、香川京子、草笛光子、河内桃子、山村聡、藤岡琢也、宇津井健、大空眞弓、石坂浩二、佐良直美、波乃久里子、井上順、前田吟、角野卓造、沢田雅美、三田村邦彦、船越英一郎、徳重聡、植草克秀、東山紀之、錦織一清、高島礼子、音無美紀子、熊谷真実、東てる美、岡本信人、松村雄基、渋谷飛鳥、清水由紀などを起用した。


冨士眞奈美: 30代半ばの頃に独身として女優業に邁進していたある日、先輩女優・山岡久乃から未婚のまま女優活動を続けた後悔を聞いた。


京塚昌子: 京塚は森光子や加藤治子や山岡久乃らとともに、「日本を代表するお母さん女優」と呼ばれ、CMにも起用されていた。


石坂浩二: 石坂と共演の多かった山岡久乃が亡くなった際に、山岡が入居するはずだった老人ホームに、山岡の肖像画を石坂自身が描き贈ったという。


東恵美子: NHK東京放送劇団を経て、1948年、劇団俳優座に入団したが、1954年に山岡久乃、初井言榮らとともに俳優座を脱退して劇団青年座を結成。


小川寛興: 愛(1979年 - 1980年、TBS、主演:山岡久乃


筑紫哲也: 「自分がかかわった人の死で涙を流したのは、芸能界で引き立ててくれた山岡久乃さんと、てっちゃんだけ」「てっちゃんは、まさに「強いものには強く、弱い者には弱い」人でした」(和田アキ子)


橋田壽賀子: ただし、ファミリーのみでのドラマ制作は無論限界があり、かつ、主人公を演じられる俳優は限られるため、赤木春恵、山岡久乃、八千草薫、河内桃子、渡辺美佐子、草笛光子、池内淳子、若尾文子、佐久間良子、宇津井健、角野卓造、橋田の盟友・石井ふく子と共に高く評価していた三田佳子や大原麗子、石井親子と二代に渡り交流のあった杉村春子、山村聡や山田五十鈴や森光子や淡島千景などが主役・準主役・あるいは特別出演扱いで出演している(森繁久彌とは接点がなかった)。


初井言榮: チャオ・チャオ日本(1964年4月、NHK)原作 丹下キヨ子、共演 山岡久乃


野村昭子: 石井ふく子からの信頼も厚く、『渡る世間は鬼ばかり』では、山岡久乃の後任ポジションを務め、晩年の代表作となった(なお、野村は山岡とは『夕陽カ丘三号館』、『ありがとう』第3シリーズ、『心』最終話などで共演しており、山岡の通夜・葬儀にも参列している)。


杉山とく子: 山岡久乃・長山藍子・前田吟と共演が多く、山田洋次作品には常連出演していた。


山岡久乃の情報まとめ

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山岡 久乃(やまおか ひさの)さんの誕生日は1926年8月27日です。東京出身の女優のようです。

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逸話、評価などについてまとめました。趣味、テレビ、ドラマ、映画、結婚、離婚、母親、家族、子役に関する情報もありますね。72歳で亡くなられているようです。

山岡久乃のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

山岡 久乃(やまおか ひさの、1926年〈大正15年〉8月27日 - 1999年〈平成11年〉2月15日)は、日本の女優。

東京府東京市大森区馬込生まれ。身長162cm、体重49kg。趣味は乗馬、手芸。特技はスキー。過去の出演作品については権利継承者である養女からオフィス天童に委任されている。生涯のテレビドラマ本数は400本以上にも上る。

1942年、33期生として宝塚音楽舞踊学校に入学。男役志望で清澄あきらの芸名も予定していたが、太平洋戦争が勃発・進展により劇団生活に限界を感じ、一度も舞台に立つことなく1944年に音楽学校を中途退学する。

終戦後改めて俳優座養成所で演技の勉強をし直し、1946年俳優座に正式入団。同年の『文化議員』で初舞台を踏む。初出演映画は1953年の『やっさもっさ』である。1954年には、同じ俳優座の準劇団員だった東恵美子、初井言榮らとともに劇団青年座を結成。その後、日活と専属契約を結び多くの映画に出演し、青年座創生期は屋台骨として劇団を支える。以来、舞台をはじめ映像分野でも幅広く活躍する総合女優として活躍した。

1956年、同じ青年座創立メンバーだった俳優の森塚敏と結婚するも1971年に離婚した。離婚と同年、青年座を退団。その後は終世独身を通した。

山岡のテレビドラマ初出演は1953年、NHK『竜舌蘭の誓い』とされる。本名の山岡比佐乃での主演作であった。以後、脇役を中心に、多くのテレビドラマに出演する傍ら、契約が切れる1960年代中盤まで日活の映画にも数多く出演した。1966年には、主演映画『こころの山脈』も公開され、女優としてステップアップしていった。

1970年の『ありがとう』で役者としての人気を決定付ける。ドラマは娘役の水前寺清子とのコンビが評判となり、視聴率50%を突破して「怪物ドラマ」と呼ばれた。この作品を契機に森光子や加藤治子や京塚昌子らとともに、白い割烹着が似合う「お母さん女優」としての地位を確立した。以後も山岡は多くのホームドラマ母親役を演じ続け、「日本のお母さん」として慕われた。特にTBS系列のホームドラマで演じる役柄は人気が高く、代表作といえるものも多い。

TBS火曜9時枠の連続ドラマには1972年10月~1973年9月の『みんなで7人』(この作品のみ9時30分からの放送)から1976年9月~1977年4月の『三男三女婿一匹(第1シリーズ)』まで、途切れることなく連続して出演している。このうち『みんなで7人』、『家族あわせ』(1974年10月〜1975年3月)、『いごこち満点』(1976年4月~9月)はトップクレジットの主演作で、『あんたがたどこさ(第1シリーズ)』(1973年10月~1974年3月)、『あんたがたどこさ(第2シリーズ)』(1975年4月~9月)、『三男三女婿一匹(第1シリーズ)』の3作は、森繁との夫婦役で森繁に次ぐ準主役での出演であった。

『ミス・マープル』シリーズの吹き替えも好評であり、新劇出身であることを改めて印象付けた。

1998年10月1日、山岡は晩年の代表作とも言える1990年から続いてきたドラマ『渡る世間は鬼ばかり』シリーズの主演・岡倉節子役の降板が明らかになった。山岡が演じる節子は「海外旅行先で急死した」という設定で、劇中一度も顔や声が登場しないままの降板となった。そのため、世間では数々の臆測を呼んだ。TBSは山岡の降板にあたり、異例の「山岡降板説明記者会見」をマスコミに対して開き、6月1日付けの山岡本人の診断書の結果を受けて「正式に出演は困難と判断した」とマスコミ各社へ説明した。第3シリーズ終了後、次シリーズへの出演拒否の意思を貫く山岡に対し、橋田や石井は何度も出演要請をするが、山岡の意思は変わらなかった。これに対し橋田がTBSに「山岡さんなしではドラマが成り立たないので、もうこのドラマはやめましょう」と打ち切りの方針を伝えたが、人気番組となっているためTBSは納得せず、節子を死亡した設定にして脚本も作り変え、製作することとなった。TBSは先述の会見で「ああいう(急死の)形にしたことは山岡さんにも了解してもらっています」と説明した。これに伴い、小島五月役の泉ピン子が主役に昇格した。最後のOPクレジットにおいては、第3シリーズ総集編が組まれた上にスタート時点で生存設定であった第4シリーズ第1話が、OPで山岡の名前が載った最後の回となった。ちなみに、山岡は第3シリーズ放送終了後、1997年国際演劇月参加作品東宝現代劇5・6月特別公演「渡る世間は鬼ばかり3」の舞台版まで岡倉節子役を演じており、岡倉節子役を最後に演じたのはテレビではなく、この舞台公演であった。1997年6月29日の国際演劇月参加作品東宝現代劇での公演が岡倉節子を演じた最後の公演である。

理由のはっきりしない山岡の突然の降板は、民放各局のワイドショーや週刊誌などを中心に世間を騒がすことになった(実際の降板理由は下記の通りで山岡の既定路線だったのだが、これに触れたメディアはない)。山岡の認知症発症説や山岡と橋田の確執説、山岡の橋田への報復説なども噂されることとなった。当時メディア出演が多くあった橋田が「山岡さんは私のことがよっぽどお嫌いなんでしょうね」などと山岡への不用意な発言を度々行ったことも騒動に火に油を注いだ。第4シリーズ放送開始後、山岡は胆管癌であることを公表し、癌公表前の第3シリーズ出演中の時点で次シリーズの出演意思はなかった。

山岡の実際の降板理由は、「パート3撮影時に発覚した石井の脱税騒動で自分の名前が脱税のために勝手に利用されていたことによる石井への不信感と(胆管癌発症前に)総胆管結石および肝機能障害のため体調を崩し、自身の年齢も考えて、今後は自分の好きな仕事だけをしていくと決めたためだった」と、山岡の死去後に週刊誌に報じられた。また、これと時を同じくして東京にあった住まいを引き払い、愛知県豊田市に知人が開設する予定を立てていた老人ホームに「終の棲家」として入所することを決めており、引っ越しの準備もパート3が放送された時期には既に始めていたという(その際、財産整理という意味合いから姪と養子縁組を結んでいる)。極秘で藤岡琢也のみに今シリーズ限りで降りると話していたという。山岡の病状経過としては、第3シリーズ放送終了直前の1997年2月に総胆管結石及び肝機能障害のため体調を崩し、『渡鬼』の撮影を全て撮り終えた3月に手術を受けたが7月には胆管癌(ステージ4)を宣告された。しかし、山岡はドラマと舞台の仕事が事前に決まっていたものに関しては予定通り出演を続け、1998年2月の日生劇場での舞台「おもろい女」(森光子や芦屋雁之助らと共演)が山岡の生涯最後の仕事となった。

1998年12月、自らが胆管癌を患っていることを告白し、同月15日に所属事務所を通じて山岡は「70年突っ走ってきてそろそろゆっくり歩いて行こうかと思っていた矢先に『癌』という最悪のシナリオを頂いてしまいました。ただ、幸いなことに、このシナリオには結末が書いてありません。私が自由に演じていいことになっているんですね。力が入りますよ。もう少し時間がかかると思いますが、しばらくこの女優の底力を見守ってください」というコメントを発表した。この発表を聞いた橋田もそれまでの自分の発言を悔い、神社へお百度参りし山岡の回復を祈ったという。

しかし、上記のコメント発表からわずか2ヶ月後の1999年2月15日午後10時02分、山岡は胆管癌による心不全のため親族や八千草薫、長山藍子、石井ふく子らに看取られ神奈川県川崎市の病院で死去した。72歳没。

1998年1月6日に放送された、日本テレビ開局45周年記念ドラマ『嫁とり婿とり大騒動』への出演がテレビドラマにおける最後の出演となった。1998年2月の日生劇場での舞台『おもろい女』(森光子や芦屋雁之助らと共演)が山岡の生涯最後の仕事となり、黄疸を化粧で隠して病状が悪化するなか千秋楽まで演じきった映像が残されている。同年7月8月に芸術座で予定されていた単独座長公演『月の光』の舞台は踏めず、山岡の代役は親友の池内が務めた(のちに池内は『月の光』による演技で菊田一夫演劇大賞等を受賞した)。

なお、山岡の死去は各局のニュース速報でも流れ、連日のワイドショーなどでも大きく報道され一部スポーツ紙では一面トップ記事扱いにもなった。築地本願寺で行われた通夜・葬儀には、八千草薫、黒柳徹子、草笛光子、池内淳子、若尾文子、野村昭子、小林桂樹、高倉健、赤木春恵、京唄子、井上順、森繁久彌、植草克秀、吉村涼、えなりかずき、山田雅人、石坂浩二、角野卓造、泉ピン子、中田喜子、野村真美、藤田朋子、麻生美代子、橋田壽賀子、藤岡琢也、萬田久子、高橋由美子、東山紀之、麻丘めぐみ、水前寺清子、沢田雅美、東てる美、宇津井健、山本学、前田吟、三田村邦彦、山村聡、池部良、加藤治子、淡島千景、奈良岡朋子、佐野浅夫、篠田三郎、香川照之、船越英一郎、夏木陽介、和田アキ子、大鹿次代など、多くの俳優仲間・後輩が訪れ、一般の参列者も多く訪れた。「これだけ大物俳優・女優が揃う通夜・葬儀は珍しい」と評されるほどだった。

喪主は山岡の養女が務め、通夜・葬儀の演出は石井が担当し、葬儀の司会は井上順が担当、弔辞は森光子と長山藍子、蜷川幸雄が読んだ。棺の葬儀場入りの際は山岡の棺を乗せた車が1時間をかけて明治座、帝国劇場、芸術座をまわり、沿道には1万人のファンが集まった。戒名は「華徳院妙伎日久大姉」。山岡の遺体は渋谷区の代々幡斎場で荼毘に付された。墓地は東京都墨田区の法恩寺。

同年2月19日にTBSが放送した山岡の追悼番組は18.6%の視聴率を記録した。  

逸話

面倒見の良さ、事務所の掃除員やスタッフへ手料理を振舞うなど気前も良く「お母さん」と慕われていた。「準主役級の脇役」としての印象が強いが、1970年代以降は主演が多かった。また、2時間ドラマの主演も多かった。

石井ふく子・橋田壽賀子が関係する作品に起用される機会が多かったため、「石井ファミリー(橋田組)」の筆頭格と見なされていた。森光子をはじめ、杉村春子、山田五十鈴、加藤治子、赤木春恵、菅井きん、麻生美代子、杉山とく子、佐々木すみ江、奈良岡朋子、八千草薫、香川京子、河内桃子、黒柳徹子、草笛光子、池内淳子、若尾文子らとは共演が多かった。また加藤や麻生や八千草や黒柳や池内、三崎千恵子などとも交流があった。特に、和田や沢田、麻丘などは実の娘のように可愛いがっていたという。宝塚歌劇団の先輩でもあった乙羽信子とは昔からドラマなどで共演が多く、仲が良かったという。山村聡、森繁久彌、千秋実、三國連太郎、小林桂樹、藤岡琢也と夫婦役を演じたこともある。

晩年は池内、黒柳の3人で一緒に有料老人介護施設へ入居して隠居生活をしようと約束をしており、後に夏木陽介も約束に加わった。

『おかみ三代女の戦い』で共演した当時人気絶頂のアイドルでもある高橋由美子の素行の悪さに激怒し、「このチンピラ!!」と一喝したことがある。ただ、山岡のこの件については週刊誌等による後追い記事で、大げさに報道された側面も大きい。実際には番組制作発表の際に山岡が「高橋(由美子)さんは演技では優等生だけど、もし私だったら、あんなチンピラに旅館の女将は任せない」という発言をしたことが発端とされており、後に高橋自身が『徹子の部屋』において「あれは女子高校生が旅館の女将に抜擢されるというドラマ設定を踏まえた発言で、実際の山岡さんは優しかった」と発言し、また生前、山岡との親交が深かった黒柳も「山岡さんは(本心で)そんな事をおっしゃる方ではない」と発言した。なお、山岡の使った「チンピラ」という言葉自体、元来「駆け出しの若輩者」といったニュアンスでも使われる事から、必ずしも高橋本人の素行の悪さを指摘した言葉であったかどうかは、今となっては不明のままである。

また、山岡はドラマ『あんたがたどこさ』や『三男三女婿一匹(第2シリーズ)』等で共演した、傍若無人な振る舞いの和田を叱り付けたことがある。山岡の叱咤によって改心した和田は以降、山岡のことを「おっかあ」と慕うようになった。ちなみに山岡はバラエティ番組にゲスト出演した際、「最も印象に残っている娘役は和田アキ子」と答えている。

さらに舞台で山岡と共演した麻丘に対しては、役柄になりきれず苦戦する麻丘を見かねて演技指導を買って出、通常の稽古の前に1対1で演技をつけたという。その際「あなたには生活感がまったくない。『麻丘めぐみ』が言われたとおりそこに座っているだけ」など容赦ない言葉が飛んだが、おかげでなんとか舞台を乗り切った麻丘は、後に山岡を「師匠」と慕っていた。

夫婦役として共演も多かった森繁によると「みんな(山岡に)怒られた」とのこと。左とん平によれば、「森繁先生を怒れるのは山岡さんだけだった」とのこと。ただ、それだけ周りから慕われていても、他の芸能人のように「ファミリー」的なつながりは作らず、その付き合い方は実にさっぱりしたものであったという。

評価

演劇評論家の藤田洋も山岡の演技力と存在感を認め、「“お母さん女優”として、温かさと厳しさを併せ持った母親役をうまく演じてきた。」と評した。

2024/06/12 20:52更新

yamaoka hisano


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1964年4月7日生まれの有名人 愛媛出身

山岡 三子(やまおか みつこ、1964年4月7日 - )は、セント・フォースに所属するテレビキャスター。 実家は、愛媛でも著名な古刹である蓮福寺。愛媛県立松山東高校卒業後、1985年宝塚歌劇団に7…

山岡 未樹(やまおか みき)
1951年6月15日生まれの有名人 北海道出身

6月15日生まれwiki情報なし(2024/06/12 19:26時点)

山岡 明美(やまおか あけみ)
1950年6月16日生まれの有名人 千葉出身

6月16日生まれwiki情報なし(2024/06/12 19:42時点)

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山岡久乃
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